はてなキーワード: 年の瀬とは
半沢直樹もそうだし、
蒼き鋼のアルペジオもそうだ。
そんなことを思う年の瀬。
無いものを無いと嘆くより、
あるものを生かす。
閑話休題。
ナノって人を調べると面倒くさい感じの売り方していて、
心動くこともあったが、
この歳になると、
ただただ面倒くささを感じるばかりだ。
なんじゃそりゃあああああああああああああああああああああああああああ
つうかあの目無しQBアイコン(idがわからない)もTwitterでプロポーズOKとかあふざけてんじゃねーぞこらああああああああああああああああああああ
あーあーあーあーあーあーそーーーーーーーーーーだろうよそーだろうよ!!
お前らどうせリアルじゃ高学歴でイケメンで高収入の超人戦士なんだろ!!!!!!!!!!!!
俺ぐらいなんだろ??????低学歴で高卒7年目のフリーターで将来ホームレス餓死が確定してんのはよおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおいいいいいいいいいいいい年の瀬に舐めたことしてくれてんじゃねえかよおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお
お前ら全員呪い<自主規制>してやるからなあああああ早速藁人形をおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお
つうううううううううううううかああああああああああああああああああああああletterdustはてなやめてんじゃねえええええええええええええええええええええええええええええええええかあああああああああああああああああああああああああああああああ
なああああああああああああああああああああにがはてなでワッショイだばかあああああああああああああああああああああああああ!!!!id:kyo_ju
それを民主党が言ってもいいのか?というのは別途議論が必要だし
そもそも、マニフェストって何、間接民主制ってなに? というのは考えられてしかるべきで
じゃぁ、直接民主制がいいのか?ミクロな投票制度がいいのか?衆愚政治ではないのか?など考えることはいっぱいあると思う。
だけどなんだろう。とりあえず。この年の瀬に説明されても困る。
もうクリスマスも過ぎた。
可及的に年を越せない奴がいる。凍死する奴がいるとかは、それこそ別途なんとかその地域でしてくれ。募金がいるなら、どっかの団体に千円ぐらいならする。
とりあえず、ほんとうに、とりあえず。日本中1億何千人で年を越そう。
楽しみ方は人それぞれ。ところで、
901 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/03(火) 21:41:13.78 ID:boZAFiJD
1区 「大迫くん!!!区間新確実ですねー♪」→後半伸びず
2区 「平賀くん!!素晴らしい走りですねー♪」→プチブレーキ
3区 「矢澤くん!!もう東洋を捉えましたねー♪」→後半引き離される
4区 「うーん・・・あのジャンプ走法だと後半伸びません!キリッ」→区間賞
5区 「今日は柏原くん、本当に苦しそうですねー、今日は熱いですからwww・・・いやー柏原くんらしくないですねー♪」→区間新記録
6区 「市川くん、平地になって止まりましたねー、前じゃなくて上に飛んでますよ♪」→区間賞
7区 「しだらくん、ぜっこーのこんでしょんなんじゃねーですかねー(棒」→区間新記録
8区 「いやー、足太いから登り問題ないですねー区間新記録まちがいなし!!!」→惜しくも新記録は出ずも区間賞
9区 「もうタイムとか関係ないねー、ただタスキ繋げばいいんですからー(棒」
10区「顔の筋肉まで全部使って走ってますねー」→区間賞 「去年は柏原くんだけのチームでしたからー」
散々「今年は気温高い」、「今日は暑い」言いまくる→直後に雪が降る
34 :名無しさんにズームイン!:2012/01/03(火) 08:39:06.49 ID:syfVGGZe
http://www.ntv.co.jp/anata/20110123.html
「毎年感じることですが、解説者が早稲田大学贔屓はどうにかならないでしょうか。
視聴者が皆、早稲田大学を応援している訳ではありません。もっと公平に解説出来る人に代えるべきだと思います。」
「必ずしも解説の方、実況のアナウンサーも含めて、なるべく平等に特定の地域も贔屓しないように心がけておりますが、どうしても後輩への思い入れなどが強くて、
その様に受け止められたかもしれませんし、また、レース序盤からどうしても早稲田大学が、先頭の解説の方がいる、移動中継車の目の前にいるシーンが多かったために、
例年以上にその様に、印象を受け止められたかもしれませんが、その他の選手に対しても、きちんと素晴らしいポイントは褒めて、評価をさせて頂いておりますので、
次回以降、バランスの取れた解説実況をお願いして、いきたいなと思っております」
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ネットでこれらの主張が飛び交っていない日はないだろう。
まあ無理もない話だ。
他国の王族を侮辱したり、自社の利益のために自国を貶めるような
放送を流す私企業に対して「見なければいい」で済ますことはできない。
明らかに悪いことをしている個人や企業が罰せられない、
と言う状況は負の感情を生む。社会にとって負の遺産として積もり続ける。
このやりどころのない怒り、不公平感、無力感は、
それを許している法や政治、ひいては社会に対する不信につながっていく。
そのどうにもならない『こんなの絶対おかしいだろ!?』という叫びが
結果的に「フジテレビ潰れろ!」「放送免許を取り消せ!」という声になっている。
それを痛いほど理解した上で。
一歩引いて考えてみる。
「免許剥奪」の選択は現実味がない(むしろ倒産の方がよっぽど現実味がある)。
冷静に考えてみて、免許剥奪になるほどの放送内容というのはなかなか想像が難しい。
結局のところ、放送免許の剥奪というのは大なた過ぎて誰もふるえないのだ。
なので、いつも「現状維持(罰せられない)」という事態に陥っているのではないか。
もちろん、瞬間最大風速的には私自身もフジテレビに対して「滅びろ!」と思うし、
テレビ局はNHKと民放1局ぐらいで十分じゃないのか、とか思うこともある。
(故意かどうかは別にして)いつか問題を起こすことはあるだろう。
絶対に壊れない人工物がないのと同じで、人も企業も不祥事を必ず起こす。
大切なのは過ちに対して適切な懲罰を与え、当人に更正のチャンスを与えることだ。
では、どの程度の懲罰が適切なのだろうか。
「1週間の間、番組自体は放送して良いが(収益源となる)CMの放送は禁止する」というような処置だ。
これであればニュースや地震速報などの情報インフラとして公の放送としての役割を維持しつつ、
売り上げの減少という形でテレビ局に適切な教訓(レッスン)を与えることができる。
そして私たちは、テレビ局がきちんと律されていること、を自分たちの目で確認できる。
分かりやすいことは大切だ。
BPOが書面で注意や勧告をテレビ局に伝えたところで、多くの国民はそれを知ることはないし、
それがテレビ局にとって、同じ過ちを繰り返さないにしようという反省を促す力があるのか不明だからだ。
提供した料理で食中毒が発生すれば、その店は短期間営業ができなくなるが、
評判は下がるだろし、一部の常連客を失うかも知れない。
けれど更正するチャンスは与えられている。
番組スポンサーの商品への不買は結果的にはCM停止と近い効果があると思う。
けれど、私たちは苛立ちたいわけでもないし、デモや不買運動をしたいわけでもない。
同じ結果を生むなら、社会的なルールとしてスマートに解決されればいい。
衣食住どれをとってもルールがあり、完璧ではないにしてもそれなりに機能している。
放送事業者はどうしてこうも罰せられず更正の機会を与えられないのだろうか。
テレビ業界の人々は叱られずに育った温室栽培のお坊ちゃまのように、幼稚で頼りない。
それは国民にとってもちろん不幸だが、彼らにとっても良いことだとは思えない。
私たちはCMがないことで、テレビ局の不祥事が罰せられていることを知り、
溜飲を下げ、少し穏やかな気持ちで、そのテレビ局の更正を見守る。
年の瀬に少し時間ができたので、再レス。恵まれた人だなあ、というのが言葉にならない気持ちを代弁してくれてたので、あらゆる意味で頷いてしまったんだ。でも折角やりとりがあったので、今更だけど返信をしようと思う。
元の記事を見た上でその提案だとしたら、夢一杯すぎて話が通じない感があった。沢山の問題提起を無視しての語りだと思わないかい。夢という結論ありきで文章を読んでいなかったかい。この提案をやろうと腰を上げ実現させる図書館は、数少ないがあるかもしれない。だがそれはあなたが見落としたり無視してしまった問題点を必死で解決してこぎつけた奇跡の催しなんだ。
というわけで、中途半端にしか仕事を理解していないなりの、問題点を挙げておく。
「図書館は人も予算も足りない」から廃棄本の話題が出たことを念頭に入れて、下記の問題点について考えてほしい。
・廃棄処分を「探検隊」の方々に提供するための体裁をどうやって整える?
(捨てる場合、紐とじや箱詰めで積み上げてる場合がある。それを崩して怪我がないよう整頓し催し物の体を整える。)
・催し物のお知らせ、人員を割く、場所の確保を、誰がどうやる?
どういう規模を想定しているんだろう。とりあえず名称からして、最低限の「稀覯本図書館」について考えてみた。
必要なもの:土地代、施設建設費、維持費、運営費、責任者、職員、書籍の修繕費、修繕の専門家(日本じゃ育たない)、資料を提供するためのデータ、図書館間でデータ共有するための加入金、盗難防止の対策(費)、…まだありそうだけどこんなか?
歳を経た方々にそういった催しを提供するだけなら、市や区を巻き込んだ企画が必要かなと思う。
有志のボランティアが企画、スポンサー見つけて開催までこぎつける。その過程に図書館を巻き込む、ってならまだ実現が見込めるよ。今なら老人向けサークルやグループホームなどに声をかけるのも面白いかもしれない。
図書館が動くのは難しくても、催しに乗っかるだけ(本を提供するよっつって資料の運び出しもボラさんと共同で)なら多少開催しやすそうだ。図書館という一団体にメリットがあるからね。宣伝になるし、図書館運営しながら本もより良い形で処分できるしさ。実績として残るから広報としても次の催しに乗っかりやすく、よく言われる「開かれた図書館」ってスローガンを実践しましたっつって上にアピールもしやすい。
善意と熱意だけで施設を動かすのは難しい。営業と同じ。
本が好きってだけじゃ動かし難い問題は山積してるけど、やりようと手配次第で不可能ではないかもしれない。
…ボラ主催じゃなくても、図書館の要らない本を持ち帰ろうってだけの催しなら、既に各地で行われてるんだけどさ。
他人に仕事を押し付けやがって、それだから駄目なんだ、と思わせたらごめんな。
美味しいとこだけ持ってくのは意外と難しいものなんだ。次に繋がらないしね。
時節で言うなら
貧困国どころか、飢饉や餓死者が出ている国に、周辺諸国で援助をしたり、戦争をしていた相手国までが、隣国だからと経済特区作って経済支援していたりしたのに
その国が、核武装するぞ、戦争するぞとミサイル撃ちまくって、外交を始めて、周辺国が対応に苦慮していて、関連して、その周辺国も領土問題でキナくさくなっている
東西冷戦に少し近づいて、米軍がまさに飛行機飛ばしまくって、軍事演習している
まさにその時期に、貧困国に支援すれば戦争はなんって、目の前で起きている事実を無視して言われたら、だれだって、怒ると思うが?
この事実が起きる前だったら、正月のネタでよかったかも知れないけど、
まさに、戦争の時の遺恨を流して各国が支援した国が核武装問題で年の瀬、ワタワタしていた時に、非武装で支援なんって言い始めたら
おまえ、目の前で起きていることを無視して・・・空気嫁。といわれるのは仕方がない。
Togetter - 「ニコニコの歌ってみたは『ハイエナに近い』とボカロPが発言。その発言への反応から見えてくる歌ってみた界隈の問題点」
http://b.hatena.ne.jp/entry/togetter.com/li/82444
Ohnuma Sound Lab. blog 年の瀬・歌い手・ボカロ界隈・これからの活動
http://komonodfkdfk.blog19.fc2.com/blog-entry-16.html
http://b.hatena.ne.jp/entry/komonodfkdfk.blog19.fc2.com/blog-entry-16.html
Ohnuma Sound Lab. blog 【追記1】前回の日記についての補足・お詫び・コメント返信など
http://komonodfkdfk.blog19.fc2.com/blog-entry-17.html
http://b.hatena.ne.jp/entry/komonodfkdfk.blog19.fc2.com/blog-entry-17.html
発言者である大福Pは著作権等法律の問題を主張しているわけではないので、今回の増田では法律面に関する発言は一切しない。
彼の主張は
ボーカロイドを用いて作曲したものをニコニコ動画に投稿している人の総称。立場上は作曲者
ニコニコ動画の一ジャンルを形成する、言ってしまえばカラオケを投稿したようなもの。立場上は演奏者。JASRACとの包括契約により、二次創作は認可されているため、歌ってみた界隈は著作権問題をある程度回避している。
投稿者が作品の中身を1ミリも知らない作品に初見で声をアフレコするというもの。立場上は演奏者であり、ミリしらをする人をミリしらーと呼ぶ。アニメや音楽などのアフレコに使われていたが、今ではもっぱら「歌ってみた(特にボカロ曲)」ジャンルで使われる。
分かる人は分かると思うが、「ミリしら」とは方便である。最低でも一度以上、作品を鑑賞することは間違いない。初見で声を音楽に合わせて入れるというのは並大抵の人間ができることではなく、事前に何度も聞き、メロディーラインの重なりを避け、コード進行に合わせた新しいメロディーラインを構築し、リズムにある程度合わせた歌詞の選出、推敲をしているのは疑いない。
元の曲の歌詞を変えたアレンジで、ミリしらよりは原曲に近い。(私の観測範囲内の話)主に「あにま」という歌い手がしているようである。
Togetterまとめからいくつか抜粋する。(大福P=dfk_ohnuma)
ピアプロで改変不可って書いてあった曲でミリしらやった馬鹿がいたのか。正直ミリしらなんて作詞・作曲者への冒涜だから無くなるべき風潮なんだよね。「おまえの歌詞・メロディなんてイラネ 曲の知名度だけもらってくわ」って事なんだから。ゴミ屑の発想。dfk_ohnuma
曲データでモラル低下というと、ミリしらとか新しい歌ってみたを新曲と言ってしまう等のマナーがなっていないという話のことですか?znc
来年はボカロと歌ってみたがきっちり区別されるようになるといいな。あと、界隈の人数が減ってもいいからもうちょっとまともな人の割合が増えるといいな。「ボカロが盛り上がるのは歌い手のおかげ!」とか言ってるような奴が全員死んだらいいな。dfk_ohnuma
これ以降ブログに主張が移る。
「改変不可」の曲でミリしらを行った人がいたという事実は問題外だが、ここでは割愛する。
要は「マナーがなってない」ということである。それを人数が多いことと結びつけ、質の向上を図るために界隈の人数が減ればいいのに、というなんとも大学生はバカが増えすぎたからFラン潰せよというどっかで聞いたことのあるような主張である。ただし、今回は「マナーが悪いやつ」という偏差値以上に曖昧な基準ではあるが。
話がそれるが、当然「マナー(が悪い|がなってない|を違反している)」というのは誤用である。マナーというのは言い換えれば主体的な配慮であり、それを他者に「守れよ」と押し付けるのは間違いである。この場合はルール(相互が有利になるような取り決め)が望ましい。
話を戻して、歌ってみた界隈の聞き手は、彼のブログから引用すれば
「ボカロが栄えているのは歌ってみたのおかげ!もっと歌い手に感謝するべき!」
「ボカロ曲は人が歌って初めて完成すると思っている」
などという主張をしているようである。こういう盲目な信徒というのはクローズドなコミュニティであればどこにでも沸いてくるウジのようなもので、潰しても潰してもキリがない。
彼らは「歌い手に感謝するべき」というように作曲者に敬意を求めていることがわかる。一方大福Pもマナーを求めていることからわかるように、これは「敬意が足りないvs敬意が足りない」という、宗教戦争である。
大福Pにとって、「敬意ある行動」とは、「歌ってみたりする場合、本当にいい歌詞、いいメロディだと思うなら、それを尊重するはず」というスタンスで、芸術的に見れば保守的な位置にあり、ミリしら、アナザーは作曲者を冒涜したもので「ハイエナシリーズ」にすればいいんじゃないの、というこのようだ。
先の都条例でも同様だが、創作者は「自由」の名のもとで表現をする。ここに留意する必要がある。
たとえ「そんな懐で大丈夫か」と金を積まれようと、「一番いい○○みたいな作品を頼む」と制限をつけられようと、すべての表現は常に解放されているのが原則。
「こんなの○○じゃない」とか「金積んだんだから俺の望むモノ作れよ」とかいう主張も、自由が担保されていなければできない旨の発言である。
一次創作物から二次創作物へは、原材料を加工し、加工物を作る工程に似ている。その二次創作から三次、n次と派生するケースもある。これらは基本的にもとの創作物のカタチを「ある一定」は保持しており、影響がないということはまずない。それは音楽、思想、文章、すべてにおいてで。
ニコニコ動画は視聴者、コメント、マイリストの数がつくため、価値が付加される。歌ってみたという二次創作から歌われた一次創作の動画が評価されるケースもままある(今回の火種の原因の一つ)
また、作曲者と演奏者、聞き手は持ちつ持たれつの間柄であり、どれが一番偉いというものではない。「作ってやってる」「見てやってる」「演奏してやってる」「ホールを貸してやってる」というのは他者を従属的に捉えた主体的な意見であり、それは表現、立場の優劣に寄与することもない。芸術とはそこに参加するすべての構成員に平等な立場を与え、すべてをフラットにする。指揮者は演奏団体を纏めるから、演奏家より偉いというわけではない。誤解されがちだが、経営者と労働者の関係がイーブンであるように、指揮者と演奏家もまた、イーブンな関係にある。そこに作曲者が加わっても、聴衆が加わっても、地主が加わっても、その関係は崩れない。
そして表現されたすべての芸術品も平等である。真贋を、洋の東西を、場を問わず。優劣を感じるのは、表現の埒外である。評論家が何かの作品を優劣付けて評定しようともだ。そしてすべての芸術家もまた、その優劣をつける本能に苦しめられるのである。大概、中身が薄い、質が低下したなどと主張する。
とにかく、一次創作と二次創作の間に、表現上の優劣はないということである。創作者の間でも、もちろんのこと。
ここで、敬意を払うということは、その作品を大事に扱う、ということとする。「大事に」とは、もとの表現者の意向に従う、ということにしよう。極めて主観的だが、敬意とはそういうものだ。
敬意を払うということは、それに肯定的な評価をくだす、正の価値があるということでもある。ありがたやありがたや、ということで、「有難み」というように、めったにないこと、価値の高い、ということである。
正の価値がある、大事に扱うということは、人間の所産であるが、芸術以前の行動である。価値、敬意というのは芸術に含まれない。それらはたとえ定量的に計られようと芸術に寄与することはない。「リスペクト」して創られようとその作品に敬意があるというのは「思い込み」である。
創作以前に、二次創作者は一次創作者の創作物を引用する。引用することに優劣はない。しかし、ここに敬意が入ると話が違ってくる。
敬意が入る場合、往々にして一次創作者>二次創作者という大小関係が生まれる。芸術では対等関係にあろうと、人間の間に序列が生まれる。創作物との間柄にもそれは用いられ、もっぱら二次創作者は立場が下になる。だから、芸術内でも引用したものは上になり、引用して創られたものは下と「見做される」
「配慮」は、自分の立場があなたより下だという意思表示である。あなたに敬意があります、という意思表示である。有難い機会ですということだ。
だから、「マナーを守れ」「配慮しろ」というのは「大事に扱え」というのと同義であり、大事に扱ったとしても、そう見えなければ「大事に扱ってない」と思われる。
そしてそれはけして守る必要がないものの、ときに強制されるものだ。
だからこそ、撤回こそしたものの、大福Pはいっとき「音痴」にまで言及し、「大事に扱ってない」という判断を下したのである。
だからこそ、今も「メロディーラインや歌詞を変えること」は「作品を大事にしていない=敬意を払ってない」という解釈をしているのだ。
推敲後、追加予定。
しかし、大福Pは表現の枠内に押しこみ、自分基準のマナーを創作物の中身まで相手に強いている。
品位ある行動は各人努めたいものだ。
やっと80年代回帰が始まった。この分だと、90年代回帰が始まるのは、2010年頃になるだろうか。
ラジオから流れてくる80年代ポップスのカバー曲を聴きながら私はそう思った。
2010年。私が25歳になる年。同じ世代の大半の人がおそらくそうであるように、私は25歳の私を想像することができない。21世紀に入ってからというものの、時間感覚が酷く曖昧で、今18歳であることすら、実感が湧いてこないのである。
1995年と聞くと、つい最近のことに思えてしまう自分がいる。2001年、地下鉄の延伸。2002年、サッカーワールドカップ日韓共催。2004年アテネオリンピック開催・・・。小学生の頃教科書に載っていた未来の予定が、どんどん既成事実になっていく。あの頃の私には教科書の中の未来はどれも実現不可能なことのように思えたのに・・・。
ノストラダムスの大予言について、あれほど熱心に議論を交わしていた人々は一体何処に消えたのだろう?
ノストラダムスの予言の年、私は14歳だ。結構生きられる、と思っていた。そして1999年の7月1日のニュースでは、アナウンサーが笑顔で「さて、この世界もあと一ヶ月になりました」と言うはずだと思っていた。まるで年の瀬のニュースのように・・・。
人々は世紀末という言葉を忘れた。21世紀という言葉も、昔ほど使われなくなった。70年代や80年代のことはよく話題にのぼるのに、今が何年代と呼ばれるかについては、誰も口にしない。
物心がついてから10年余りが経った。総理大臣は何人代わっただろう。冷夏は何回あっただろう。巨人は何回優勝しただろう。
私たちの世代は昭和最後の一人になりうる。何歳まで生きたら、昭和の最期を見届けられるのだろう。明治はもうすぐだ。大正もすぐ後を追う。多くの人が愛した昭和が完全に歴史の中に入るのはいつのことだろう。
歴史は巨視的に見れば円軌道を回っているだけにすぎないのかもしれない。人はその一切片を直線であると思って生きていくしかないのかもしれない。
『わざと記載しなかった』 石川容疑者 犯意初めて認める
小沢一郎民主党幹事長の資金管理団体「陸山会」による土地購入をめぐる政治資金規正法違反事件で、東京地検特捜部は十五日夜、陸山会の事務担当だった同党衆院議員石川知裕容疑者(36)=北海道11区=らの逮捕に踏み切った。「小沢先生は激怒するだろう」。石川容疑者が政治資金収支報告書への虚偽記載の犯意を認めていることも新たに判明。検察側の聴取要請を拒む小沢氏は窮地に追い込まれた形だ。
「このことを知ったら小沢先生は激怒するだろう」。関係者によると、特捜部の任意聴取に対し、石川容疑者は、こう述べながら政治資金収支報告書への虚偽記載の犯意を初めて認めたという。
特捜部が石川容疑者の任意の聴取に踏み切ったのは、年の瀬も押し迫った昨年十二月二十七日。年が明けた今月十三、十四の両日も石川容疑者から任意聴取を重ねた。
関係者によると、石川氏は今月十三日まで、東京都世田谷区の土地購入の原資となった四億円の収入などについて、陸山会の収支報告書に記載しなかった理由を「単なるミス、忘れていただけ」と説明していたという。
ところが、十四日昼すぎから行われた聴取では、聴取が進むにつれ、石川容疑者は憔悴(しょうすい)した様子を見せ始め、やがて「わざと記載しなかった」と供述した。
聴取を担当した検事が、その理由を何度問いただしても「言えない」「言えない」と繰り返したという。
さらに、虚偽記載の犯意を認めたことについて「このことを知ったら小沢先生は激怒するだろう。自分の立場もなくなる、知られたら政治生命は終わりだ」と供述したという。
特捜部は十五日午後五時、石川容疑者に出頭を求め、逮捕状を執行した。
◆律義な好青年 わきの甘さも
石川知裕容疑者は、小沢一郎・民主党幹事長の資金管理団体「陸山会」による土地購入をめぐる問題で、先月二十七日以降、複数回、東京地検特捜部から任意の事情聴取を受けていた。
小沢氏の公設秘書の大久保隆規被告が政治資金規正法違反罪に問われた準大手ゼネコン「西松建設」による陸山会などへの違法献金事件でも六回、任意で事情を聴かれており、小沢氏の政治資金の流れに精通した「キーパーソン」の一人だった。
石川容疑者は北海道足寄町出身。函館ラ・サール高から早大に進み、在学中に知人の紹介で、書生として小沢氏の家に住み込んだ。朝五時に起き、犬の散歩や掃除をこなす生活を三年、秘書になってから十年。剛腕政治家の下で基礎を築いた。
問題の土地取引があった翌年の二〇〇五年の衆院選に北海道11区から出馬したが、自民党の故中川昭一元財務相に敗れた。〇七年に比例代表北海道ブロック選出の民主党衆院議員が知事選に出馬し、繰り上げ当選。昨夏の衆院選では中川氏を破り当選した。
当選二回となった今も、石川容疑者を知る人は「律義な好青年」と口をそろえる。だが、小沢氏の元秘書としても常に注目される立場。「政治家は金がまつわると命取りになる。わきが甘いといえば甘い」と言う人も少なくなかった。
犯意認めたら逮捕するしかねーわな。
なぜだろう、うまく言葉にできないけどもの凄い嫌悪感が自分の中で蠢いてる。
周り(自分を取りまくすべてのモノ)の雰囲気がワシャワシャとせわしないから、自分も落ち着かないのだろうか。でもなぜそれに対して拒絶感が現れてくるのか分からない。
”この特別な期間を独りで過ごすから”からかもしれない。確かに例年この時期は(この時期に限らずとも)独りで過ごしてきた記憶が強いし、今年においてはXmasから外界と全く接触していない。
が、以前Xmasと大晦日~元日を数人の友人と過ごした時に、元来自分には人嫌い+ぼっち属性があるためか、「ひとりで静かに過ごしたい」と幾度となく悔んだ経験もある。
でも素直になってみてわかった。やっぱり”独りが寂しい”のだと。”一人は好きだが、独りは嫌い”なのだと。そう声高に叫べない自分がいて強がってしまう。そしてどんな形であれ”集団で”enjoyしてそうな人間に嫉妬し、攻撃的になる。結果、坊主憎けりゃ何とやらで、攻撃対象がこの時期に向けられ、その反動で虚しくなると。この時期の芸能人のblogは連日連夜で飲み会だの忘年会だのイベントだので酷いものだが、それらを見るとムシャクシャしては虚しくなる理由もここにあるのだろう。
だからと言って唯一無二の~とか心からの~とかいう関係はいらない。その付き合いが友達にしろ恋人にしろ、己が必要とする以上の関係にまで発展したら絶対に面倒くさくなるという自信が自分にはある。これは元来の特性であって、そこまで深入りはしたくないし関わりたくないというものだ。だから必要な分だけレンジでチンできるご飯みたいな関係が自分にとっては理想である。
なんというか、この点を考えれば風俗は最適ではないか。赤の他人だが自分の好みの人間と一回限りの性的快楽を得られる。知らない男のペニスを何本も何本も突っ込まれた人間とは付き合いたくもないので、まず恋愛に発展しない自信もある。でも性病が怖いし、チキンな自分は風俗に行く勇気もない。さてどうする。
そこで思ったのがメイドカフェ。うん、これだね。というかむしろこっちの方がリスク・コスト両方のバランスがいいかと。奴らは金さえ出せばどんなにグロメンキモヲタだろうと相手してくれる。ここでも恋ないしはセックスに発展する可能性はほぼ皆無に近いだろうから、相手がもし性病持ちだとしても感染する心配はまずない。とにかくこの寂しい自分の一時的な話相手になってくれればいい。それ以上の発展は望まない。ああ、なんて理想的かつ合理的。最近のメイドさんは残念な娘もさることながら、可愛い娘が多い、、気もするし。
そうだ、そうだったのか。わかった!よし、今更だがメイドカフェに行こう!
と考えて早8時間、いつものようにPCの前に座る自分@home。来年もこの腰の重さは相変わらずのようです。ああ疲れた。第九見よっと。
サイトを作ってしばらくの頃は自分の好きな分野でチャットをしたり、創作活動をしたりして、ネットの知り合いや相互リンクさんが幾らかできました。
自分は面倒臭がりやでガンガン更新するタイプではなく創作の才能も無かったので、ウェブサイトはいつも閑古鳥。
自分の好きなタイミングで時にたまに更新して、今では更新は季節ごとに1回あれば良いくらい。
回りの方々との関係も段々と疎遠になって、それでも、閉鎖はしないで続けていました。
普通の管理人さんならイラストとか文章とかソフトウェアとか、そういったものをメインコンテンツに据えているのでしょうけれども、自分がサイトで大事にしているコンテンツはリンク集です。
今年ももうすぐ終わりということで、久々にリンク集の生理整頓をしています。
それでも404になっていると妙に悲しくなってしまいます。
逆に相互リンクが残っていると、義理であったとしても嬉しいものです。
創作活動が花開いてプロになり、自分の手なんて届かないところにいる管理人さん。
BBSや拍手にコメントはしなくなりましたが、尊敬しています。
素材のリクエストが五月蝿過ぎて耐えられなくなって閉鎖した管理人さん。
全く別の名前で活動していらっしゃるという風の噂を聞きました。
今度はのびのびと活動できていると良いですね。
生活環境が変化して、忙しくなったんですね。
いつかひょっこり帰っていらっしゃるんじゃないかと思って今でも時々覗いています。
いつの間に404になった管理人さん。
別の分野で活動をしていらっしゃるのでしょうか。
それともサイト管理者からは手を引いて閲覧者になったか、はたまたネットからすら姿を消したのでしょうか。
元気で過ごしていらっしゃるでしょうか。
それを全く知る術がないのが残念です。
姫納めしてきました。
うちの彼はホテル行く時、必ずお気に入りのエロDVD持参wなんだけど
ストーリーがしっかりしてて女性が見てもあまり抵抗ないのを持ってきては
私に見せつつ事に及ぶわけです。
今までAVとか見たことなかったけど女優さんが綺麗で色っぽかったり、男優さんのハッスル具合wとか
何より本当に楽しく気持ち良さそうにエッチしてるの見ると演技だろうが
いいな~私もあんな風にエッチしたいわって思ってました。
前々から彼は私の後ろの方をちょいちょい狙ってくるんですが
そこはダメだよと。そこはそういう風に出来てないから無理だよと。
そう言って抵抗してたんです。
なんで多分、彼は私の抵抗心を取り除こうとしてそっち系のエロDVDをチョイスしたと思うんです。
内容はね、そんなエグイもんでもなく後ろの方をフューチャーしてあったんですが
男優が!完っ全に女優さんをバカにしくさってるのが分かって超気分悪かった!
あれは設定だけ決められてて、やりとりはアドリブなんだと思う。
女優さんが「イヤ…」とか言うと「はぁ!?何言ってんだてめえ!」みたいなノリで。
無理矢理系ではないんだけど見てて非常にムカついたw
一応彼にも「こういうのは好きじゃない」とだけ伝えて消してもらいましたけど。
何を言いたいかというと、やっぱりエロDVDは男性の娯楽のために作られてるんだなと。
当たり前のことですがしみじみ思いましたね。
可愛い女の子を小バカにして自分の言うとおりに思うとおりにさせるっていうね。
んでそれを都合よく女の子は気持ちよがってくれるっていうね。
そんなわけあるか、ボケ!って話なんですけど、これはあくまでも男性に向けて
男性の娯楽のために作られたもの。
これを真に受けて怒ったりするのは野暮だなと。
そんな事を考えた年の瀬でした。尚、姫初めは1月4日を予定しております。
皆様もよいお年をお迎えください。
ネット近衛兵でも寄生虫でもない一般人にとっては試される1年でしたが
来年は少しでも明るい1年になるといいですね 皆様良いお年を
中学:日本はバブル最絶頂期。テレビに映る大学生や社会人の世界はそれはそれは華やか。俺もいつかあんな風に遊ぶんだ、と思いつつ田舎の市立中学に通う。高校受験に必要(内申書云々)という理由で、やりたくもない運動部で日々を無為に過ごす。
高校:地元の県立高校に進学。どうやら絶好調だった日本経済に陰りが見えてきたらしい。一応進学校だが田舎なのでのんびりしている奴が多い。適当に勉強しつつ、適当に部活に精を出す。部活が義務でなくなる(大学受験には内申書は関係ないらしい)と不思議と部活で汗を流すのが楽しくなる。そういえば、中学高校と女に縁がない。童貞。
大学:親がブルーカラーで家計に余裕もないので、浪人せずに入学できるところを選んだ。一度、東京に出てみたくて、地元の国立ではなくて東京の私立にした。その選択を許してくれた両親に感謝。世間では、阪神大震災、オウム事件と暗い雰囲気が漂い始めた。Windows95が発売されたが一度も触ることがなかった。大学に入学するとすぐに彼女ができた。非コミュの俺になんという奇跡。大学ではなんかめちゃくちゃ勉強をした。
就活:日本経済どん底。山一証券、拓銀が破綻した。金融恐慌の一歩手前。MARCHの就職先なんてロクなもんじゃなかった。同級生たちも皆が微妙な企業に就職していった。俺たちは後にロスジェネ世代と呼ばれるようになる。俺はといえばイマイチ無名な外資に滑り込む。大学で勉強に励んでいたのが役に立ったらしい。
社会人1年目:最初の配属先の上司はリア充全快のコミュ力抜群の人だった。が、人を育てたり指導するのが下手な人だった。おかげで、なかなか仕事を覚えられずに苦労した。このころの人事評価は同期の中でも最下位を争っていたのではないかと思う。現実逃避のために、先輩たちに連れられて毎日飲んでばかりいたような記憶がある。この最初の上司のことは、後に反面教師として意識するようになった。
ネットで現実逃避:仕事でイマイチ不完全燃焼だったころ、PCを買った。Pen2、64MBメモリ、6GBHDD。テレホタイムにアナログモデムで接続し朝までLoopitでチャット。翌日は寝不足で仕事に力が入らない。東芝事件が起こり、2ちゃんねるを発見する。ますますネットにはまった。
部署異動:異動先のボスは体育会系で面倒見がよかった。細かいところまで指導はしてくれないけど、仕事を丸投げして任せ切ること、部下のモチベーションを高めること、組織を動かすことがうまい人だった。ここでの数年間は貴重だった。次々とふってくる重い仕事をこなすうちに仕事が楽しくなり自信もついてきた。気が付いたら人事評価も同期の中でトップの方までのぼっていた。世間ではネットベンチャーブーム。IPOブームが盛り上がっている。そして、日韓W杯が開催されるよりもずいぶん前にネットバブルがはじけた。失われた10年という言葉が流行っていた。このころ付き合っていた彼女と結婚。
転職:より広い裁量と成長機会を求めてベンチャーに転職。ストックオプションで一攫千金という下心も。社長とは微妙にウマが合わなかったが、毎年2ケタ成長する売上、どんどん大きくなる組織、ビジネスのダイナミズムを間近で感じられる環境に満足していた。とにかくひたすらに働いた。毎晩タクシー帰り、休日も出勤した。会社はいつの間にかIPOを果たしたがストックオプションは大した財産にはならなかった。ライブドアの堀江さんが時の人となり第二次ネットバブルが盛り上がっていた。小泉竹中路線で景況感は良かったような気がする。このころ部下の女の子(といっても同い年)に手を出してお互いにラリラリ状態。今考えると社内でもバレていたかもしれない。不倫が妻にばれてプライベートはプチ修羅場。部下の子は会社を辞めた。何をしてもこの罪を償うことはできないと思う。この後、真人間になり部下達の育成に力を注いだ。最初の上司が反面教師だった。このころの部下たちは今でも俺を慕ってくれている(と信じたい。)
退職:社長と意見が合わないことが我慢できなくなり退職することにした。全てのリスクを背負って世間と向き合っているのは彼なのだから、あの会社は彼のやりたいように運営すればいい。意見が合わない以上、引くのは俺だ。ていうか、俺の存在なんか社外では全く無名、社内でも歯車の一つに過ぎない。この後、今に至るまでこの社長は俺にとって反面教師として心の中で大きなウェイトを占めている。株は最後まで大した財産にはならなかったがコツコツためてきた貯金があるので節約すれば夫婦2人で2年くらいは暮らせそうだった。次の仕事のあてもないままに会社を辞めてしまった。なんかアメリカでサブプライムローンというのが問題になっているらしい。評論家がサブプライムローンの残高は少ないので世界経済に与える影響は限定的とか言ってる。
フリーランス:もともと非コミュで友人知人が少なく、人脈と言えるようなものもなかったが、何人か仕事を回してくれる人がいた。1案件いくら、という感じで個人事業主として仕事をこなしながらお金を稼いだ。報酬は、仕事を回してくれる人がピンハネ済みだが、こんな俺に声をかけてくれることにとても感謝していた。そして毎回、全力で仕事をこなしていき、仕事をくれる人の期待に応えようとがんばった。リーマンブラザーズが破綻したらしい。年越派遣村のニュースには共感も反感も感じなかった。年が明けて所得税を計算すると、サラリーマン時代に比べ収入(額面)は倍近く、税金は倍どころじゃない。事業税って何?住民税が2つあるの?国民健康保険高すぎ。上場企業の正社員という安定的な地位を捨てたのだから、将来への備えは自分で何とかしなければならない。麻生総理を攻撃するマスゴミとピントのずれた正義を振りまく鳩山邦夫に、日本はもう駄目かもねとかオヤジくさいことを考えるようになっていた。ていうか俺もう33か、立派なオジサンだし将来への希望も見いだせなくなってきた。
再就職:昔、一度誘ってくれた中小企業の社長がまた誘ってくれた。商売上手なところ、コンプラ意識が強いところ、人の感情に配慮しながら上手に組織を動かせるところが、前のベンチャーの社長とは正反対な人なので、ほとんど迷わなかった。ほぼ即断で、その人のお世話になることにした。その会社は個人事業主的なメンタリティの人が多く、商売に対して貪欲な人が多い。世間の常識を疑い果敢にビジネスチャンスを切り開こうとする。一方で吹けば飛ぶような存在なので自分たちを一瞬で破滅させかねないコンプラリスクには皆敏感でグレーなことには手を出さない。こんなに前向きに清々しい気分で働ける職場は初めてだ。こんな環境をもたらしてくれた社長に感謝。ここに居続けるためには俺も商売人にならなくては。民主党が政権を取った。来年の納税額は3百万円を超えそうだが、子供がいない我が家には何の恩恵も無さそうだ。自民党政権のままで緩慢な衰退を迎えるよりは、民主党が急激に破滅させた方が日本の立ち直りは早いかもしれないと思う今日この頃。
年の瀬にこの20年余を思い出しながら書いてみた。