はてなキーワード: バイアスとは
コレだと思う。メイクをする圧力を掛けられてるから男にも苦しみをおすそ分けしよう、となるのは合理。
コメントのあちこちにいるバカは何故か忘れてるみたいだけど、女性は一般に男性の見た目の美醜に寛容だ。
しかし男性は女性の顔の美しさを厳しく判定する。可愛い女性を選ぶだけじゃなくてブスと口にして排除するのを憚らない。しかも恋人を選ぶシーンではそれだけじゃなく若さのバイアスもかかる。男性向けの漫画アニメ萌えイラストVtuber、すべてのフィクション作品が美しく可愛い女性「だけで」作られてる。
なのにガス抜きの「キモい」さえ倫理圧を掛けて抑圧するだと???
キモいを言うなの前に、まずそっちが顔の良さを値踏みするのを止めろ。
話はそれから。
Twitterにいるレベルのパンピーからはそういう意見が出るが、アカデミアやプロからはそういう意見は一切出ない。
ガチの素人一般人には判断も指摘も意見も議論も不可能なのを前提にしてる
それが全てだと思うけどね
禅定をはじめとした瞑想でのいわゆる成功と言われる状態は意識の上に上がる事で、瞑想の種類によって「成功」状態の脳の活動はやや変わる
マインドフルネス瞑想=気付きの瞑想=随息観では外からの五感への刺激・感覚・想起される感情・思考・意識について細やかに気付く
この時眠気は無く非常に集中した状態になり、秒間30以上の自分の感覚に対する「気付き」を得る。脳波を測定するとフラットになり非常にリラックスした状態を維持している。
この瞑想を繰り返すことで集中力と知恵(知識ではなく無知無明が晴れた状態・感情や思考のバイアスがかかっていない外界と体への認知)を得、
貪欲・怒り・無明といったエゴから徐々に離れられ、最終的には第一の悟りに達する
第一の悟りは、有身見(自分は存在するという妄想)が消えることが一番大きい。
瞑想には種類が多く、他にも慈悲の瞑想(他者の幸せを願う)・ヨガ(宇宙と一体化し恍惚を得るヒンドゥー教を起源とした瞑想)・禅・死随観(死に至り死んだ後の体が腐っていくのを想像する)・マントラ瞑想(集中力を得る・宇宙と一体化する)
など色々あるがマインドフル瞑想が一番王道とされる。マインドフルネスは座って行う瞑想だけでなくゆっくりと歩いて全身の感覚を観察するバリエーションもある
ワクチンとかの分野自体(つまり論文を発表する側の権威)が何か一方の側に肩入れしていてバイアスになっているというのはあり得る話なので、そういうバイアスに対する率直な指摘を民間人が行うというのも一定の価値はあるのでは。
おそらく指摘の量が多いとか、感情的すぎるとか、フェイクかどうかの判別が難しいとか、バイアスに無自覚とかで、学者の側も情報処理が追いつかないのかもしれん。
ちょうどはてなブックマークで話題になった「経済学者と疫学者の暗闘」という記事を読んだ。そこで参照されている論文が「平均的な外出のコロナ感染リスクは限定的」という論文である。
この論文では2022年9月から10月に調査したデータを用いて、過去二か月の感染歴と同じ時期の行動がどう相関しているかを調べている。具体的には、飲食店の利用、友人を家に招く(訪ねる)、カラオケ、スポーツイベント、性風俗店などの多岐にわたる行動を聞いて、それと感染歴の関係を見ている。行動と感染リスクの双方に影響するような因子をコントロールするために、年齢や家族構成、ワクチン接種状況等の属性について、逆確率重みづけによって調整を行うなどもしている。結論として、筆者たちは極端な頻度でなければ、リスクを伴う行動によって感染リスクは顕著に変化しない、と主張している。具体的には筆者たちは以下のように述べている。
各行動の頻度によって感染リスクへの影響がある程度認められたが、感染リスクが例えば 2 倍以上に高まるのは「飲酒を伴う会合に週 3~4 日以上」など平均的な範囲からやや離れた個人の場合であり、一般的と考えられる範囲のリスク行動の頻度であれば、全くそうした行動を取らない人との間に、感染リスクの顕著な差は見られなかった。いわゆる「飲み会」について述べると、「週 3 回以上」行う人の場合は感染リスクが 10%ポイント弱上昇するという結果が得られたものの、「週 1〜2 回」の感染リスクは「月 1 回未満」と差がなく、どちらも「0 回」の人と比較した場合には、第 7波の時期の 2 ヵ月間での感染リスクを 2~3%ポイント程度上昇させるに過ぎなかった。」
この論文の大きな問題は、二か月以上前に感染したか、特に第六波のオミクロン株への感染があったかをしていないことだ。一回オミクロン株に感染すると、それに対する抗体ができ、感染する確率は下がる。忽那先生の記事によると、オミクロン株BA.1/BA.2に感染した人はBA.5/BA.5にかかる確率が80%ほど下がるらしい。これはつまり第六波で感染した人間は第七波では感染リスクがおよそ5分の1に下がるということだ。
これを考慮に入れないと、結果に大きなバイアスが生ずるかもしれない。具体的には、上のデータで外出している人間は、すでに第六波で感染している可能性がある。つまり一度感染したから、再感染のリスクは低いと見込んで、行動を選んでいるということだ。この場合だと、行動を比べることによって未感染と既感染の割合が異なるグループを比べていることになる。これを考慮に入れると、この結果では決して感染リスクが行動によって大きく変わらないとは言えないのではないだろうか。西浦先生のモニタリング会議の資料によると、第六波では把握できているだけで約84万人、第七波では約150万人が感染している。第七波において、第六波で感染した人間の数は無視できないほど大きいように思える。
このバイアスの可能性については論文中では一切説明がなされていない。恐らくデータがないのだろうが、少なくとも釈明をしない限り、個人的にはこの結果はあまり信用できない。建設的な提案としては、個人が住んでいる地域における第六波における感染者の割合をコントロールすれば、このバイアスは多少コントロールされるのではないかと思う。ただ率直に私のような素人が一読して思いついたようなことがこの論文では議論されておらず、駆け足で書かれた論文なのではないかと思わざるを得なかった。
リンク:
経済学者と疫学者の暗闘:https://himaginary.hatenablog.com/entry/20221231/epidemiologist_vs_economist
平均的な外出のコロナ感染リスクは限定的:https://www.jcer.or.jp/research-report/20221229.html
忽那先生のオミクロン株への再感染に関する記事:https://news.yahoo.co.jp/byline/kutsunasatoshi/20220717-00305856
西浦先生のモニタリング会議の資料:https://www.mhlw.go.jp/content/10900000/001010896.pdf
オタク文化の大衆化にすごくがっかりした anond:20221228200137
という増田、250ブコメを越えてようやく過去の増田の再投稿だと指摘される
nonameotaku 2019年1月11日に全く同じ増田が投稿されている https://anond.hatelabo.jp/20190111203922 オタク 増田
2022/12/29
[B! オタク] オタク文化の大衆化に少しだけがっかりした話 https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20190111203922
[B! オタク] オタク文化の大衆化にすごくがっかりした https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20221228200137
この2つのブクマを並べてみるとわかるのだが、同じメンツが全く同じ内容(タイトルだけ若干違う)の増田に食いつき、議論し、さらには同じことを新しいアイデアのように書いていたりする
結局ブクマには、最早オタク気質の人間は残っていないということなのだろうか
sds-page 少数の作品で満足しないで常に色々な作品に触れて知見を広げようとする姿の方がオタク的ともいえる 増田オタク考え方
2019/01/12
sds-page 色んな作品を見て「この作品はこの作品の影響を受けてる」って語る歴史文化史的な楽しみ方するのもオタクなんでないの。専門書読み漁るタイプの歴史物の楽しみ方と一緒やぞ 増田オタクコンテンツ考え方
2022/12/29
mutinomuti “オタクであることが周囲に知られることは社会的な死を意味した” 文芸部とか普通にあった同時代人としてはそんなことない学校もあったよて言いたい(´・_・`)普通に生徒会兼務とか吹奏楽部兼務とかめっちゃしてたし
2019/01/12
mutinomuti “昭和生まれのオタクだ。 私の学生時代、オタクであることが周囲に知られることは社会的な死を意味した”少なくとも近い世代の自分の界隈はそうでなかったので、この言説に共感できない(´・_・`)
2022/12/29
anmin7 石の下に帰ろう。
2019/01/12
anmin7 めちゃわかる。オタク文化が嫌な掘り下げ型の人がいま迫害されてるんだろうな、って思うわ。迫害を楽しみにするタイプもまたいつだって人類にいるからね。
2022/12/29
algot 中二、コミュ障、ヘンタイをオタクというワードでオブラートに包めた時代が終わった感じ。
2019/01/12
algot “ひとつの漫画に対して熱は何年も続いた” つまり自分もその何年の後は別の漫画に興味が移ったわけじゃん?その時同好の士は増田にガッカリしたんじゃない?
2022/12/29
mujisoshina その場に応じて皆と共有できる話題を使い分けているだけじゃないかな。昔は話題を使い分けることのできない空気を読めない者こそがオタクとよばれていたんだけど、今は普通に空気を読める人も漫画やアニメの話をする
2019/01/12
mujisoshina 他の人と合う部分はSNSで語り、合わない部分は自分だけで楽しむので良いんじゃないかな。オタクの交流なんてそんなものだろう。趣味は一つで無くて良いんだし、他の人だってSNSでは語らない趣味も持っているんだよ。
2022/12/29
toraba アニメオタクではないけど好きなアニメ作品はあるので同じ作品を長く楽しんでる、漫画はジャンルとして好きだから色んな作品をある意味消費するように読んでる(勿論長く楽しんでる作品もある)
2019/01/12
toraba オタキング「オタク第一世代は貴族主義、オタク第二世代はエリート主義、しかしオタク第三世代は教養的に学んでいこうという勤勉さがなく、世間に白い目を向けられる者たちが持つ連帯感と寛容さがない」
2022/12/29
atoh どうやったら世間の情報をこれほど遮断できるのか。海洋堂の宮脇センムが最近はオタクの意味合いが変わったとインタビューに答えたのが2010年の事。https://diamond.jp/articles/-/9427?page=5 増田オタク
2019/01/12
atoh 今まで気づかなかったのか。海洋堂・宮脇センムがオタクの変わりように言及したの10年以上前やぞ。https://diamond.jp/articles/-/9427 増田オタク
2022/12/29
myogab ナニをイマサラ
2019/01/12
myogab オタク黎明期でも「オタク」てのはそんなもんで、増田の言うそれは「マニア」だったかと。 追憶
2022/12/29
sakuragani オタク的なものに興味があろうがなかろうが結局コミュ障はコミュ障だしリア充はリア充だ。もはやオタク的なものがコミュ障のアジールでなくなった以上、そこは割り切っとかないといろいろつらいんじゃない?
2019/01/12
sakuragani 嗜好対象とは関係なく「掘り下げ型」の気質を考えたら繋がる手段が増えたところでって感じではある。一方でオタク趣味の極北などと称されるTRPG界隈にいる身からすると10年で繋がるための環境は劇的に改善してるなとも
2022/12/29
p_shirokuma 「姿勢としてのオタク気質」ってやつのようにもみえるが、実はそうでない話のようにもみえる。 オタク趣味
2019/01/12
p_shirokuma 「最近になってSNSを使ってオタク活動を始めた。同好の士と繋がっていくと中・高生とも話す機会が増えた。今までオタク趣味をオープンに話す機会もなかったので純粋に嬉しかった。」←なんかすげえな。浦島太郎か。 オタク趣味
2022/12/29
kagerou_ts 増田は深堀りするタイプのオタクだからそのままの自分で生きてほしい。
2019/01/12
kagerou_ts 昔は生存バイアス的にガチ勢しかいきのこってなかったのではという気も。単純に楽しめる人が多くなっていいじゃんって思うよ/「今期はこれ」みたいな移り変わり、昔からあったような気もするし
2022/12/29
cl-gaku ナイステキスト/作品のオタクではないが業界のオタクではあると思う。視線の先が少し違う
2019/01/12
2022/12/29
gcyn 『コンテンツが一般化しただけでオタクが増えたわけではなかった。そして皆が皆自分はオタクだと叫んでいる中、オタク気質な同好の士を探すのも以前と変わらず難しい』
2019/01/12
gcyn 「萌え」の語の発生と一般化の以前と以後で、それ以前からあったものも書き直されて「オタク」もまた書き直されたのかも。そういう意味では「私は萌え以前のオタクだから」の矜持で楽しく…や、以後もまた楽しいか。
2022/12/29
technocutzero それオタじゃなくてただのアニメ好き オタは多大な代償を払うことでしかなることができない哀しきモンスター
2019/01/12
technocutzero もうそういう意味でのオタクは10年以上前に終わっている 終わったから日の光の下に出てきたんだよ でもそれは本当の意味での知見があれば聞いてくれる人も多くなったってことでもある
2022/12/29
memoryalpha 昔その層のために作った商品を買ってるのはオタクではなくお客だと官給品コレクターが言ってました(´・ω・`)
2019/01/12
memoryalpha ただの漫画アニメ好きの人までオタクと呼ぶ風潮のせいでは。大衆化もあるが漫画アニメ限定でオタク定義要件が緩和されてる。増田と同類ではないのだ。ラーメン好きな人をラーメンオタクとは呼ばんだろう(´・ω・`)
2022/12/29
sysjojo 増田はアレフガルドに入るくらいからがオタクだと思ってるみたいだけど、今はダーマの神殿についたくらいでオタクなだけだから。大丈夫。メルキドで待ってればそのうちたどり着く人もいるから。(迷い込む?)
2019/01/12
sysjojo カジュアルオタクとヲタとおたくは似て非なるもの。
2022/12/29
neko2bo 日々色々知りたくもあるし。一つを深掘りもしたいし。全てを楽しみ尽くしたい欲求はありますが、時間もお金も足りません。
2019/01/12
neko2bo 愛好するコンテンツ次第で孤立したり中傷を受けたりする。そんな理不尽な危険性が減った。それがどれだけ素晴らしい事なのか。自分は嬉しくてしようがない。 オタク コンテンツ
2022/12/29
cinefuk 昭和の頃は「ミーハー」と呼ばれていた層が、現代の(マネタイズの対象としての)「オタク」になったと捉えれば、おじさん世代も納得すると思う オタク 増田 80年代
2019/01/12
cinefuk 昭和オタク用語でいうところの「ミーハー」が支配的になった世界だからね。でも、昭和でも似たようなものだったのでは?アニメ雑誌のグラビアを切り抜いて下敷きに挟んでいれば「アニメファン」だったでしょう? オタク80年代増田
2022/12/29
citron_908 オタ文化とオタ体質は似て非なるものだと 増田
2019/01/12
citron_908 オタクとは知識ではなく生き方である 増田オタク
2022/12/29
なるほど、言われてみればそうか
「タイトルしか読んでなくても別にいいじゃん」という内容のブコメが多いと思ったから、それを自分は煽りに対する開き直りと捉えたっぽい
改めて見てみると上記解釈で開き直りと捉えられるコメントすらも多くなかった
そうだ、思い出したんで追記だがもうひとつそう思った理由があった
読まないのは数割って書いてるんだから本文読んでたら「自分のことじゃねーし」ってスルーするんじゃないのか?って思ったんだった
どちらにせよバイアスかかってたな
イクイノックス強かったですね
そして出遅れたジェラルディーナがまともにポジション取ってたら着順どうなったかな、とも思いましたが、ボルドグフーシュもあそこしかないという仕掛けどころで動いた好騎乗もありましたし、結局は変わらなかったかもしれません
ボルドグフーシュは吉田隼人騎手が見事な騎乗で神戸新聞杯と菊花賞でいい競馬をしたので、名手福永先生とはいえ乗り変わりはマイナスなのかな、と正直思ってましたけど、いやいや全くそんなことなかったどころか変わってよかったまでありました
個人的に馬券の方は、イクイノックスとジェラルディーナ重視で、イクイノックス-ジェラルディーナ-ボルドグフーシュの3連単は勝ってましたが、2、3着が逆だったので不適中でした
しかし3連単が外れた時用にイクイノックスとジェラルディーナのワイドを2000円買っていたので、数百円のプラスにはなりました
ネットを見ると、凱旋門賞の見えない疲れが、という話しかないけど、そんなはずはない
レース前は元気過ぎて帰厩時期を早めたほど、と言われていたし、栗田先生も和生騎手の表情も明るかった
事前に不安点があればそうはなってないはず
土曜の11Rのグレイトフルステークス(有馬記念と同じ中山2500m)は3着こそ終始3番手を走ったホウオウリアリティが3着に残しているけど、1、2着は差し馬の外からの追い込みで決まっている
日曜の有馬記念の2走前、9RグッドラックHC(これも有馬記念と同じ中山2500m)はもっと顕著で、1-6着までは全て中団以降に位置取りした馬が入っている
前を引いた馬は14着15着に終わった
直線の短い中山はそこまで差しが届かない先入観はあるけど、冬枯れして開催が進んでタフになった中山の馬場はかなり癖がある
ただでさえ適性ゲームの中山で、今は逃げ先行馬にデバフがかかる特殊ステージだった
しかも土曜のグレイトフルSは1000mを1分1秒、前壊滅だった日曜9RグッドラックHCは1000m1分3秒2だ
土曜はともかく、グッドラックHCのスローペースなら逃げ先行馬も消耗がなく、差し届かない展開になりやすそうなペースなのに、それにも関わらず前が残れない
時計には現れないようなタフさが馬場にあって、かなりの消耗を強いるコースだったのだと思う
今回のコース、何回やり直したって逃げ切り勝ちは不可能だったと思う
これじゃあアスクビクターモアが仮に出てくれていたとしても、彼の脚質ならディープボンドやジャスティンパレスと同じ7,8着、めちゃくちゃ状態整っていてもエフフォーリアの5着の位置にいけたら上出来ってところだっただろう
出なくて正解だったかもしれない
個人的にはイクイノックスが強いのもあり、前が残れない馬場もあり、力はあるけどタイトルホルダーは3着前後と予想していた
頭はおそらくなくて、2着ならあり得て、馬券外4着もあるだろう、という想定
問題はここなのよね
4着や5着の、ただの馬券外なら、気にもならない
まあそういう馬場だったもんな、で終わり
スタートもいつもより出足が鈍くて、かなり押さないとハナにいけなかったし、道中もあまり差を開けなかった
ここに何があるのか?だと思う
レース前の様子はあまりよくなかったという声もそこそこ聞かれているので、調整ミスが少しささやかれている
しかしこれは外部のただの素人のファンが判断できるものでもない
ただ、トラックバイアスのマイナス、調整ミスのマイナス、凱旋門賞のメンタルダメージなど、全てが少しずつ重なり合った結果の9着となれば、まあそうなのかなと思う
正直言うとクリティカルな原因はないと思っている
この要因ひとつのせいで一気に飛んだ、みたいな話じゃなさそうかな
ただ、タイトルホルダーが3000m超で強いのは知っているけど、2000-2500m付近で好走したのは弥生賞と宝塚記念だけなんだよな
まあ2着の皐月賞も強くはあったけど
宝塚記念は間違いなく強かった
でもそこにはクロノジェネシスもコントレイルもいないし、エフフォーリアやデアリングタクトは輝きを失っていた
仮にあそこに全盛期のエフフォーリアが出ていればタイトルホルダーは勝てたのだろうか、というのはずっと気になっている
タイトルホルダーはエフフォーリアには、皐月賞で負けて、ダービーで先着されて、有馬記念で負けて、宝塚記念では勝ったけど、今回の有馬記念ではまた先着された
そして今年はイクイノックスという化け物が出てきてしまったし、年度代表馬はイクイノックスが取るだろう
タイトルホルダーは本当に、そこまで強い馬だったのだろうか?
これは夏からずっと考えていること
自分で何らかの仮説を思いつくとする。
その仮説に合致する情報をググれば高確率で仮説に合致するような情報が見つかる。
「日本人は集団主義」「日本人は個人主義」「○○人は○○主義」とか。
だからこういうのを見ると、「自説に都合の良い情報だけ収集する」的なのも、単に一般人だけじゃなくて学者自体がやっちゃってるよなぁって思うんだよね。
特に社会現象を分析するって場合にそういうことが起こりやすいので、コロナを社会分析してもなかなかバイアスを取り除くのは難しいだろうね。
「マスク着用が正しい/間違ってる」「ワクチン接種は正しい/間違ってる」も、「感染者数を減らすには」「経済活動を活性化するには」「子供の成長のためには」とか何らかの目的を前提にしないと主張できないだろうし、人それぞれ重視する目的が違うので、議論するならずっとし続けることになるだろうなと。
まず査読に7年かかったというのが純粋に難しさゆえか、支離滅裂だからかなのか分からない。支離滅裂な文章に意味を見出そうとすればそりゃ何年でもかかるだろう。
レビューも何人かしてるわけだけど、レビューを行った彼らも七年要したのだろうか。つまり彼らは全員査読される前から(つまり公然と掲載される前から)彼の論文を知っている人達だったのだろうか。
論文完成と同時に論文を読み始めてレビューを書いたのなら分かるが、そうでないなら時間的に物理的に辻褄が合わない気がする。
支離滅裂だからという考えを一旦置いておくことにすれば、査読にギネスに登録できるスケールの時間がかかったのはその難しさとは別の学閥等の政治的外因の影響の方がよほど強い気がする。
真偽について数学なのに紛糾しているということで話題になっていたが、これもまたセンセーショナルに切り取っているだけで眉唾臭さが強い。
真偽について語るならそもそもABC予想というものが連続体仮説同様証明可能なのかから語られるべきではないのか。
そういう証明可能性をおいておくなら、とにかく彼の論文を批判するならたった数十分数時間の公開討論で知れることから賛同したり目の敵にしたりするのではなく、真摯に論文に向き合ってからであるべきだとは思う。
たとえばチャンドラセカールはエディントンとかいうやつに嵌められて、30分の時間を用意されブラックホールの存在に関する自説を発表したのだが、そのコメントとしてエディントンはセカールの言うことは戯言だみたいに言ったわけだ。その学会に集まっていたのは当時その天文物理学で最高峰の頭脳を持った重鎮たちだったが、みんな戯言だという主張の方を鵜呑みにしてセカールは笑い物にされたそうだ。
つまり30分程度の説明では相当賢い人でも主張の真偽は理解できない、あるいは学者であっても権威のバイアスには多分に流されるものだということだろう。
今回の例における権威とは「望月の用いた手法が数学的に正しいはずがない」という常識という名の権威だと思われる。常識に流されて、あるいは単に常識に反発して学者までもがああだこうだ言ってるわけである。目の前の論文に向き合えよ。