はてなキーワード: 鰹節とは
「ASDには心がない」って言い方、あれは何なんだろう。言われて傷ついた私のこの部分、これは心というものでは?心はあるよ。当たり前にある。「心がない」「人の気持ちが分からない」っての、すごく傷つく。
「横から失礼しますが、タコ焼きに鰹節を乗せるなんて頭がおかしいんじゃないですか? 舟からこぼれそうじゃないですか。非常に不愉快です。」とか、誰も困ってないところに、身勝手な義憤で、一般に最も強い非難とされる表現を組み合わせてぶつけるから。
そして「私はタコ焼きに鰹節が乗っているなんて許せなかっただけなのに、反撃して完封するなんてずるい。私が勝てない戦いなんてメリットがない」とか身勝手な論理を重ねて相手を屈服させようと図って自己を正当化し続けるから。
そういう「戦闘」が起こっていないところでは、特に攻撃側の一投目が無ければ、アスペだろうが統失だろうが人工知能だろうが「いわゆる人の心があるかどうか」など問題になりようがない。
券売機や、ぬいぐるみや、走っているマラソン選手や、天気予報を伝える予報士に向かって「人の心がある・ない」とは言わない。暴君が「その者を殺してしまえ」と命令を発すれば「人の心がない」と評されることはある。誰かの前でぬいぐるみを引き裂いても同様。
つまり「人の心がある・ない」とは、二者以上の生きた人間を含む関係における意思決定が、客観的な、場の合意に基づいた基準において、適切・不適切と言える時に使える表現。
「私は内心で傷つくことができるから、私には人の心がある」などというのは何の言い訳にもならない。そんなものは何の合意にも基づいていないから。客観的、外形的に合意できる形で「人の心」、ある意味では「他人の心を正しく操作する技能」を備えているかどうかが問題。
内心は自由なんだよ。
絵の部分においても徹底された。
キャラクターデザインは線を少なくし、左右対称が基本。
背景を減らすため、キャラクターのアップを増やして誤魔化した。
作画ミスが起きそうな箇所は、作監を兼任するシューゴさん自ら担当する。
移動シーンは上半身のみ、キャラが動かない場合は画面や背景を動かす。
普段から多用されている技術はもちろんのこと、その他にも様々な演出を駆使した。
「このシーン、かなり独特ですね」
「継ぎ接ぎなんだけど、あえてそうしているようにも見える」
「昔のインディーズ映画では、低コストで印象的なシーンを作るために、こういった手法が多用されたんだよ。『ヌードル・ハンバーグ』くらい知ってるだろ?」
「ええ、知ってますよ。美味しそうなタイトルだから覚えてます」
多彩な演出を用いることで、手を抜いていると思われないようにした。
毎日みそ汁を作るために、鰹節を削ったり煮干から出汁を取るのは大変だ。
忙しい時は出汁はパックでもいいし、なんならインスタントだってある。
それは不躾に言えば“手抜き”かもしれないが“不味くない手抜き”といえよう。
「『あいつは俺がこらしめてやる! 溜飲を下げさせてもらうぞ!』」
自分たちで声を当てるって発想もあったが、それはさすがにしなかった。
“漫然と観ているピーポーナードでも、そこにはすぐ気づく”というのがシューゴさんの弁だった。
逆に言えば、そこさえ持ちこたえれば「少なくとも見れる作品」にはなるってことらしい。
「一人くらいベテランいれたほうがよくないですか?」
「ベテランの演技は特筆しているから、周りが新人だらけだと逆に浮くんだよ」
実のところは「声優事務所が売り出したい新人をセット販売していたから」というのが理由だった。
セット販売というものは得てして売り手の都合に過ぎないが、それはそれとして需要はあるものだ。
岡村「ちょっとまってたら外国難民の漁船がいっぱいでますから。わけもわからず高い一本釣りカツオをもってきて叩き売りますから」
わかるか? こういうことだぞ
もとからプロでやってる漁師は売れない時期ならガソリンがもったいないからよほどいいのが釣れると思わないと(または冷凍倉庫行きだの鰹節業者行きだのアテがないと)そもそも漁に出ないくらいの分別はあるし
もとからプロでやってる嬢も(しらんけど)危ない客に手をださない分別はあるだろ
素人が貧困ビジネスにハマっていくのを喜びたいって趣旨の発言したから怒られてるんだぞ
ちょっとかんがえてみればだれも得しないことくらいわかる
カツオは自粛のちょい前にこうなるとおもわなかったプロが漁獲しすぎて、消費者に多少いつもより得させてもいいという思いで市場に出してくれてただけだ、ありがたい
今は生産調整してるはず
セブンイレブンに寄ったら、静岡おでん、というものが売っていたので買ってきてしまいました。
さっき鍋に開けてみました。
ちょっとした衝撃。
静岡というと魚のイメージでしたが、モツでしょうか?動物の内臓のようなものが入ってました。
鰹節をかけるのは、まだ理解出来ました。でも、漁粉?ふりかけみたいな物もかけるん?
汁が、醤油ベースのような八丁味噌を混ぜたような、びみょおおおおな黒い汁でした。
あれだけ美味しい物を色々生産してるのに、おでんは、あんなものを食べるのですか?
食べ物は消化できたようですが、静岡の味覚がわからなくなりまぢた。
まるで、ペットボトルのウィルキンソンが発売された頃のようなモヤモヤを感じてます。
誰か説明してください。
あ、その、先代のマツモトキヨシがお世話になったそうで、だから、その、もう良いじゃありませんか。ローリングストーンズは来やしません。ほかほかのご飯に鰹節をふわふわとまぶすと、着地する直前にシワシワと萎んでご飯に溶けていくの、義務教育を受けた人なら大抵知ってますよ。でもね、ひとつだけ言わしてください。イワシハンバーグになった人の気持ちが分かりますか。僕には分かりません。なったことありませんから。でもそれを想像で補うのが人間じゃないでしょうか。想像力を失った人間はただの獣ですよ。そんなものイワシハンバーグと同じですよ。暑い日も寒い日も、暑くない日も寒くない日も、毎日毎日ご苦労様です。本当に頭が下がります。そうです。みんなそうです。家に帰ったらね。筆箱を油でサッと揚げてご覧なさい。分かるはずです。イワシハンバーグの気持ちが。