はてなキーワード: 詭弁とは
2020年4月号の「VERY(月刊女性ファッション誌)」上で行われた対談記事が物議を醸し、Twitterなどでひととおり話題になった。生命倫理、格差社会、フェミニズムという三本の矢が同時に折れた全方位型の炎上だったのだが、当該記事は既に削除済み。魚拓は以下から。
https://matomedane.jp/page/58758
この対談においては、卵子凍結と代理出産というセンシティブなトピックが扱われた。当該記事の中で、スプツニ子!氏は自身も卵子凍結をしたことを明かしたうえで、モデル・申真衣とともに「ブランドバッグや海外旅行とそう変わらない金額」、「成人式の振り袖より卵子凍結をプレゼントする方がずっといい」という文言を引っ提げて卵子凍結を読者に強く勧める。ふたりの話題は代理母へと移り、「卵子凍結の次に来るのは代理母だと思うんです」という申のビジネスライクな発言に、スプツニ子!氏は「その流れは必ず来ますね」「そもそも男性って女性のパートナーに代理で産んでもらって、親として認められているのに、女性だけが自分で産まないと認められない、なんておかしい」と同意を示していた。卵子凍結や代理出産といった選択肢を気軽に選べる「特権女性」ふたりによる対談には、代理母になるのはどこの誰なのか?という重要なトピックが欠落しており、Twitterには批判的なコメントがあふれた。
この炎上を受け、対談に登場したスプツニ子!氏は、9月5日10:07に自身のTwitterアカウントで以下のようなコメントを発表している。
そもそもですが、私はキャリアのための代理出産に反対です。(中略)結果として、まるで私が代理出産を積極的に推奨しているかのような受け取られ方がされてしまいました。(中略)誤解なく様々な視点を伝えるために、私自身も勉強する必要があると痛感しました。皆様の大切なご意見を有難うございました。
この文章を端的に翻訳すれば、「私は代理出産を非推奨ですが、皆さんは誤解してしまいましたね」である。VERYの元記事からは、氏が「代理出産を非推奨である」という主張を読み取ることは困難だったが、この記事は第三者であるライターやエディターによって編集されたものであることを考慮すれば、確かに事実が歪曲され、誤解されやすい文脈で提示されていた可能性はある。なにより、本人がこのようなコメントを署名入りで発表している以上、我々はこれを信じるよりほかない。氏は当該ツイートの添付画像の中で「代理出産の諸問題についてはVERY以前にインタビューを受けた記事でも触れている」とも記述している。そこで、いくつかの記事を実際に読んでみた。
30代前半から後半という、いちばん仕事が楽しい時期と、女性の妊娠・出産タイミングは丸被りなんです。人類はテクノロジーやサイエンスでいろんな課題を解決してきたのに、妊娠・出産だけは野放し。卵子凍結も本当はもっと早くからみんなやっていいのに。私はアーティストとしても妊娠・出産の概念とかタイムリミットを変えたくて。 (中略) 代理出産って倫理的によくないともいわれるけど、男の人って古来から女の人に代理で産んでもらっているじゃないですか。「僕の子どもを産んでください」って。どうして私も代理で産んでもらえないのかと思ってしまうけど(笑)
出典: https://madamefigaro.jp/culture/news/191105-tiff-women-in-motion.html
もしテクノロジーでそれ(※代理出産)が可能になったら(実際、既に可能だけど)女性も男性と同じように自分の子を誰かに代理で産んでもらっちゃダメなのかな? と最近考えるようになりました。代理出産というのは今も賛否両論あるトピックで、国によって合法・非合法と状況も違いますが、これからもっと様々な角度から議論されても良いのではないかと思います。
出典: https://doors.nikkei.com/atcl/column/19/111100138/112100004/
「一番仕事が楽しい時期である30代って、女性の妊娠・出産タイムと丸かぶりなんですよね。仕事やクリエイションが大好き、という女性たちには(キャリア上の不安で)怖くて踏み切れないという同世代が多い。(中略)男性は古来からずっと女性に“代理”で産んでもらっていますよね。だから私もなんで産んでもらえないの?と思います」と、最近卵子を凍結したことも交えながら語った。
出典: https://www.harpersbazaar.com/jp/lifestyle/womens-life/a29706988/kering-women-in-motion-191107-hb/
…もう充分だろう。スプツニ子!氏の主張は首尾一貫している。「こっちは男の代理で産んできたんだから、私も代理で産んでほしい」ということだ。代理出産に対する彼女のアーギュメントは、常に「男性vs女性」という構図への強烈な反発にのみ基づいている。「女性」どうしの間に生じる格差については一度も言及されていない。少なくとも、「代理出産の背景にある社会構造や格差の問題」について触れたうえでその有用性を提案する、という展開は見受けられない。そして、その主張は頻繁に「(30代以降の)女性のキャリア」と結びつけられている。引用した3本の記事はすべて別の媒体・別のライターによって執筆されたものである。また、有名人の実名を出したイベントレポートなどを事務所チェックなしに公開することは出版倫理上考えにくいので、これらの記事はおそらくすべて彼女自身の(あるいは彼女のマネージャーなど本人に非常に近い人物の)チェックを経ていると考えることが自然だろう。これらの過去記事からも、彼女のコメントにある「私はキャリアのための代理出産に反対です」を読み取ることは相当に難しい。
代理出産に賛成なら、賛成でいいのだ。実際に、代理出産の技術は、一部の人々にとっては最後の砦である。同性愛のカップルや不妊症に悩む女性だけではない。たとえば、病気やケガなどにより、生殖能力はあるが出産という行為が母体にとって非常にハイリスクになってしまう場合など、ぱっと思いつくだけでも色々なケースが想定されるだろう。卵子凍結にしろ代理出産にしろ、その技術を必要としている人は必ずいる。「キャリアを維持するための代理出産」を支持しているとしても、自分がそう思っているのなら、そしてその技術で救われる人がいると信じているのなら、そう主張すればいいのだ。嘘をつくこと、それは最も不誠実な選択肢ではないのか。
VERYの対談は、こういった技術について、女性どうしがオープンに議論することができる貴重な場所だった。しかし、ふたりの会話はあくまで「特権階級のおしゃべり」に終始しているように見える。スプツニ子!氏は、格差や構造的な暴力についても事前に承知していた、とTwitterではっきり述べている。問題を承知のうえで対談に臨み、そのトピックについてきちんと触れるタイミングがあったのにそれを怠ったとしたら ― それは、フェミニズムに携わる者、そして教育者としてメディアに出る者が絶対に取ってはいけない態度だと言わざるを得ない。議論が促進されるきっかけ、多くの人に深い思考を促す契機を自ら潰しているのだから。スプツニ子!氏の弁明コメントは、自身が過去に主張してきた内容と矛盾するものであり、議論の場としての対談企画の信用度を貶めるものだ。彼女は彼女自身に嘘をつき、この国における女性の権利についての議論のきっかけはまた一つ失われた。こんな炎上、そして「悪いのは私ではなく誤解したライターと読者だ」と言わんばかりのコメントの後で、積極的に同じような企画を立ち上げるメディアなどあるわけがない。本来であればその長所・短所含めて公に検討されるべきだった「代理母」の問題は、こうして「タブー」になっていく。
スプツニ子!氏のTwitterでの発言に対して、筆者は強い憤りを感じている(これは余談だが、検索エンジンに引っかからないようにするためか、文書ではなく画像でコメントを投稿した用意周到さにも半ば呆れた)。しかし、これを原因に彼女のこれまでの研究や作品、および彼女の所属機関を否定することはしない。彼女の知識やアイデアは誰かを助けることができる可能性に満ちている。過去の自分に嘘をつかず、責任を他者に押し付けず、持論や現在の社会が抱える問題点を正しく把握したうえで議論を新たなフェイズへと押し上げることが、ひとりの教育者としての正しい態度だと信じる。
誰に何を言われようが、あなたの身体も心もあなただけのものだ。卵子凍結のための採卵は、無痛ではない。「海外行くより安いよ」「今どき、凍結してないなんて古いよ」と他人に言われたからといって、高額な手術を受ける必要はない。パートナーの性別や自分自身の体調の問題で、自然妊娠や分娩が困難である人にも、子どもを持つ権利は平等にある。「代理母なんて愛がない」「倫理違反だ」と他人に言われたからといって、心から愛する人との子どもを持つ最後の手段をあきらめる必要はない。たとえ女性が30代で出産を経験したとしても、彼女たちのキャリアや子どもたちの安全を守る社会を作るための方法は必ずある。すべての人が色々な選択肢を柔軟に選べる社会のために必要なのは、アカデミアの皮をかぶった詭弁ではない。次の世代の社会を少しでもマシにするために、我々はここで議論を止めてはならないのだ。
今でもあるけど、ごく稀な事例を持ち出すのってただの詭弁じゃ
君等が何言ったところでペドが許される国の方がマイノリティなんで。
日本もいずれそうなるんで。
というか、絶対そうさせるんで。
持ってあと5年かな。
ペドが詭弁で反論すればするほど世論はペド規制に向かっていく。
どんなに隠れて逃げ回っても暴き出して規制してペドは全員逮捕されるような健全な社会になるよ。
せいぜい苦しめ、異常者共。
しかし、正義感あふれる人々が目を逸らすとある興味深い事実が存在する。
それは、現実には「ロリコンよりも親からの加害の方が多い」という有名な事実だ。
最近のロリコン・小児性愛者論争はこのことが無視されがちではないかと思う。
アメリカ白人が「イスラム系のテロを許すな!」とイスラム系をいじめてたら、実際の国内テロは白人の方が圧倒的に多かった、みたいな話ですな。
家族を守りたいという動機であろうと、普通このアメリカ白人は「差別主義者」扱いされますよね。同じ話なんです。
テロは許しがたい。
しかし実際にテロを起こしているのは違う人物かもしれないのです。冷静になりましょう。
口で何言おうが現実に手を出さないロリコンより、「何も言わないけど現実に手を出す親」の方が悪い事は当然わかりますよね?
ロリコン・小児性愛者というだけで差別していいなら、「親」を理由に差別するほうがはるかに合理的になってしまう。
差別、よくない。
そもそも、小児性愛者は「子供への加害(性行為)」を認めろなんて要求は、していない。
していても極一部だ。それを全体の主張とすりかえるのは、当然詭弁です。
もちろん例のラブドールのツイート主だってそんなことは言っていない。
「現実の子供に手を出す前に」という発言が危うかったのはわかるが、これは言葉のチョイスが悪かっただけ、単なるミスの話だろう。
このツイートを糾弾していた例のnoteの表現に従うならば、あれは「社会的な責任を意識しているからこそ」出てきた一文でしかない。
逆に責任を意識していなかったら、そもそも出てくるはずがない発言だ。
「現実の子供に手を出すのもいいけど、ラブドールもいいよ!」だったならともかく。
犯罪を抑止する発言だったことはまるっと無視して無理やり悪意を見出す行為は、どう考えてもフェアじゃない。
加えて例のnoteが醜悪だったのは、「法律に関する嘘までついて」いる点だ。
法律の嘘については別の増田が解説している。 https://anond.hatelabo.jp/20200901160242
「自分の主張を通すためなら、法律に関わる嘘をついても構わない」という思想の人間が言う事を、あなた簡単に信じるんですか?
それ普通に考え直したほうがいいですよ。
そもそも「小児性愛者が現実で思いを遂げる」という「抽象的で曖昧な表現」をわざと使っていることからして、読者を煽る気満々だ。
文脈を限定しているようでいて、「性行為をしたら」などと直接言及しないのが実に卑怯でいやらしい。
小児性愛者だろうと博愛主義者だろうと、個人の「思い」なんて千差万別なのに、「小児性愛者が思いを遂げたら、即犯罪(これすら嘘)」だそうである。
あのnoteは「小児性愛者の思いはすべて犯罪に関わることだ」、とすり替えている。
実際には、「現実には手を出したくない」という思いの方が強く、大多数なのに。(もしそうじゃなかったら、日本は世界一の性犯罪大国である)
どれだけ悪意がつめこまれてるねん。
また、「小児性加害に関する話題はツイッターの規約で禁止」としつこく書いているが、本当に小児型のラブドールの話=小児性加害の話だろうか?
そうであるならば、元ツイートに関して言及することだって十分「小児性加害に関する話題」だと思うのだが、それはいいのか?
堂々と正論を述べているようでいて、実態は「自分に都合のいい線を引きまくり」の文章でしかない。
こんな不誠実なnoteに煽られる前に、皆さんには一旦冷静になることをおすすめする。
「ロリコンがネットで何かを言うこと」にフォーカスがずれているように感じるのだが、それ、なんか解決になるの?
現実の児童への性加害を放置するより、「ラブドールで欲望を発散することによって現実の児童に対する性的欲求を抑えることができる」ことを啓蒙する方が、まだ有意義じゃないだろうか。
さらに一部では小児性愛者が「子供への加害(性行為)」を要求しているかのように誘導していますが、それは普通に差別扇動です。
間違った認識を元にイスラムへの差別を煽ることとまったく同じです。
それでも、「ロリコン・小児性愛者が内心の自由を表明するのは許しがたい」と思う人がいるかもしれない。
しかし、「二次元児童ポルノが許されてて世界中から糾弾されているが、児童への性加害は各国より少ない日本」と、
「フィクション上での児童ポルノは厳しく取り締まられているが、現実の児童への性加害は日本の何倍もある国」のどちらがマシか。
もちろん「フィクションを取り上げられたら予備軍共が現実で犯罪を犯しまくる」などと言うつもりはない。
しかし、「それが根本的な解決にならない」ことは諸外国を見れば一目瞭然なのだ。
現状、児童への性加害の総数は減少し続けている。
素人の感覚で「これをやれば劇的に児童への性加害を減らせる!」なんて魔法は、あるわけがないのですよ。
差別は、それを阻害する。
相手が詭弁チートを使ってきているときに正論縛り公式ルールで戦っても勝ちようはない
そういう時はさっさとドロップして他の相手と対戦するのが正解だが
暇なやつはチートvsチートという「ある意味公平なルール」に持ち込んでどっちが勝つか遊んでみようという気になるかもしれない
そういう物好きな勝負が行われていると知ったら、最初からこの対戦ゲームをやりたかったやつじゃなくて「普段このゲームの常連じゃないけどチートには詳しい」やつが腕試しに参戦してくるかもしれない
もともと勝ちようがない戦いに詭弁使ってまで挑む理由ってなんだろうなって
ガチガイジのロールプレイしてる増田とかと違って、一定の論理性は持ってるみたいで無理筋の詭弁を振り回し続けたりもないし
当事者でもないのに勝ちようがないレスバする理由があるなら、どういう理由なんだろうな
面白そうな題材だと思わん?
かまってほしいガイジオジサンとかは相手の意見無視して会話続けたりとかするじゃん、そういうのとも違う人が結構居ると思うんよね
ツイッターなどを見ていると、
菅官房長官を新しい首相に推薦している「経済政策に詳しい」人たちが多くてげんなりしている。
栗原裕一郎、田中秀臣、斉藤淳、山崎元、菊地誠、高橋洋一など。
言うまでもなく菅官房長官は、安倍政権における民主主義破壊の元凶である。
党内反対派を締め上げ、マスコミに圧力をかけ、記者の質問にはまともに答えようという姿勢もない。
記者会見での愚にもつかない詭弁の数々はいちいち取り上げるまでもない。
少しでも「リベラル」を自認している人であれば、支持を明言することなど自殺に等しい。
世界的に反グローバル経済のポピュリズムが吹き荒れているように、
社会主義体制が崩壊して30年がたち、資本主義経済と自由民主主義が対立する時代になってしまった。
香港の現状も、以前から財界や富裕層が中国共産党への全面支持に回っていることが主因である。
日本でも「経済政策の意識高い」人たちが、これまで安倍政権を気持ち悪いほど擁護し、
また左派・リベラル派の中にも、驚くべきことに「左派やリベラルも経済政策を勉強しろ」と説教して
再分配や社会保障を求める労働運動や社会運動を軽視する人たちが出てきた。
相手のミスや悪を指摘した勢いでそのまま勝ち馬に乗るのをやめろ。
相手を貶めて気持ちよくなるな。相手を貶めて気持ちよくなっている相手を見て、それを貶めて気持ちよくなるのをやめろ。
相手が一個ミスったからって相手の全てを間違いだと見なすのをやめろ。それは批判じゃねえんだよただの詭弁だ。知性の欠片も感じねえ。
他者を受け入れる必要はねえけど他者が存在するという事実を認識しろ。このタイトルで言うことじゃねえけど相手を一括りにして批判するのをやめろ。「これだからオタクは」とか「これだからフェミは」じゃねえんだよ。
本質から逃げて安易に悪魔を見出しやがってデビルマンのモブかテメーらはよーーーーー。
お互いにだぞマジで。
ユーミンに対するコメントをみてシンプルにひどい思ったし、敵側にはなんでもアリかよと憤りもした。
だが白井氏の以前のツイッター発言と今回のフェイスブック発言を並べて貼ったツイートを見つけ、「ああ、もっと深刻な、むしろ低レベルな事態なんだな」と思ったので書いておく。
以前のツイッター発言とは要するに、「芸能人や熟知しない人でも政治的表明をしていいじゃないか」「人権に含まれる」「それを避難する人は軽蔑されて然るべき」という内容だ。探すと出てくると思う(以前の検察のときのハッシュタグの時期のツイートだろう)
この直近数ヶ月のツイートは、今回のユーミンに対する発言と、あまりに真っ向から矛盾する。
ユーミンは歌手だ。発言自体は政治的発言といえるかも議論ある程度な踏み込んでいないものだ。しかし、「その者、死すべし。」といって憚らない白井氏が、人権を尊重しいないこと・軽蔑されて然るべきことはもはや言を俟たない。
ただ、どうにも気持ち悪いのが、同一人格の中にこれが成立するということだ。どうにも不可なの解だ。言語表現を生業としているにも関わらず、この矛盾となぜ共存できるのか。
ここまでいくと、単にブーメランというよりも、もう少し根深く低レイヤーで、もう少し低次元なことだなと気付かされる。
もっとプリミティブに、言辞を弄して場を制圧すること(=マウンティング)にこそ向き合っているのだ。
だから彼は理念の人ではない。赤旗への寄稿していた過去もあるようでどちらかといえば左派の人なんだろうが、そんなのは些細なことだ。
第一義的には彼は詭弁家なのだ。つまりソクラテスに嘲り笑われたソフィストでしかないのだ。
コンテクストを自らに定めることすらままならず、場当たり的な優越の快楽にひたあるのみであれば、その者の語りは特段敬聴に値しない。
彼はさほど特別ではない。ソクラテス先生がウンザリするくらいにはギリシアに居たし、歴史は繰り返すので世界中に沢山のソフィストがいる。
詭弁がお上手ですね。私もそういう風に上手くやってみたいです。残念ながら知性は感じないので場面を選びそうですが。
なんで「そういう理解を抜きにして」いると思ったんでしょう??「(日常用語としての)妄想には精神疾患が原因のものと、そうでないものがある」というあなたの主張についてはその通り認めます。が、その上で、「例え一部でも精神疾患由来の妄想があるのであれば」「妄想という用語をもって相手を揶揄することは」差別です。また、「妄想という揶揄に精神疾患に対する差別を感じる」と主張することが、「あたかも全ての妄想が精神疾患由来であるという誤解を生む」という主張は全く理解できません。
「滑稽」が現代社会において批判的なニュアンスを含んでいないかのような言説も元々主張されてるものと同じように我田引水な論ですね。
これもなんでこういう理解になるのか意味不明です。当然「滑稽」はニュアンスどころか、明確に批判として言っています。「批判」と「差別」の違いがわかりますか?
「揶揄することだけが問題」だとは主張していなくて、「差別的な用語で揶揄すること」が差別だと批判しています。ここでも同じですが、「批判・揶揄」と「差別」の違いがわかりますか??
「批判」と「差別」の違いがわからない人は、社会生活を送る上で、無意識に差別に加担しないよう、細心の注意をすることをおすすめします。