はてなキーワード: 美声とは
ツンデレ全盛期のころは、ツンデレが好きじゃなかったので釘宮理恵の良さがわからんかった。
田村ゆかりとか、堀江由衣とかラジオをよく聞いてたよ。彼女らは青春のアイドルだったな。
自分が若いころ、吉永小百合を見てテンション上がるタモリが理解できなかったけど今ならわかる。おばさんンになった本人の向こう側にある青春を見ているんだ。
ところで、強く推薦している増田に触発されて最近釘宮理恵のラジオを聞いたんだよね。そしたら、ツンデレ狂時代を脱した今だから、釘宮理恵の美声が身に染みる。声は見た目ほど年を取らない。それでいい。
キャラ声じゃなくて地声でしゃべっていると繊細でこんな魅力があったのかと。
そうやって、心地よさに身をゆだねていると、ピリリと鋭いテンション高めの声が聴けたりしてそのギャップに悶絶している。
意外と、地声は普通で職場のおばさんにしゃべり方とか声がにてる。だけれど、アニメ声は格別だよね。普通のおばさんはこうならない。
声優ってすごいよな。いいよね。
本当に圧倒された。
まさに力技で見せつける映画だったなあと。
なのでこれだけだったら、最近の邦画とかにありがちな、低予算コスプレ学芸会になっていた可能性すらある。
でもこの映画はそうならなかった。
むしろ上述のような脚本にツッコんでる批評なんか吹き飛ばすような、観客からの熱狂的支持を勝ち取ったわけで。
そして、その音楽を核にした演出でグイグイ迫ってくる映像美。もちろん極めつけはラスト20分の長尺のアレである。
素晴らしい音楽の前には、どんなことも些細な問題になるのは間違いないと思わせてしまう、打ちのめされるような美声とビート。
だからこの映画を見れば、誰でも必ずQueenの音楽の歴史的価値を再認識することになるだろう。
というか単純に、Queenのサウンドが頭の中でリフレインして止まらなくなること請け合い。
で、そういう内容になったのは、監督や役者が二転三転した上に、撮影が始まっても監督ガーという事件が起きたりで、脚本自体は超無難でオーソドックスにするしかなかったのかなーという気もしている。
それにフレディ・マーキュリーというパーソナリティの関係上、作り方を間違えれば往年のロックファンのみならず、LGBTクラスタからも厳しい批評が待っていただろうし。
まあ、よく作ったなあという感じ。
みんな熱出すし、1週間以上続く。
拙僧も11月の三連休にひとりカラオケでマクロスΔの「ワルキューレがとまらない」を歌いまくるという一人遊びをしていたらもらってしまった。
喉がっさがさで声が出なくてな、めっちゃ緑色の鼻水と痰出るし、ワルキューレが半強制的に止められることとなった。
だから自分も休みを頂こうと思って課長に電話しようとした時、メールが飛び込んできた。
体調不良の子は熱まででてるらしい、一方こっちは声が椿鬼奴?みたいな感じになってるだけ。
言えねえ〜〜 体調は普通やけど喉の御方の機嫌がちょっと悪いです〜〜
また、社内にストーカーがいるのでそいつを避ける仕事回しをしてもらってたのだが、この交代によりまさかのバッティング。
神は拙僧を見捨てたのか。
青のベンザ飲んでるけど全然効かねえ。
何回もうがいするけど喉が焙煎されたまま。
しかも日が経つにつれてよりヴィンテージ感がでてきてる。もう無理。
客に話しかけるだけで「こいつ見た目に反してガマ蛙みてえな声してんな」って顔される。
もうワルキューレになりきってた頃の美声には戻れないのか。ちなみに推しは黄色。
このまま抱きしめて夢が醒めるまで←わかる
何もいらない←今はパブロンが欲しい
愛もいらない←それも欲しい
裸のままでいいよ朝までみつめて←寝る時裸族なんだがたぶん風邪をひく要因のひとつ
愛しさがとまらない←わかるけどそれどこじゃない
精神科で社交不安障害診断済みのモノホンの対人恐怖症かつコミュ障の自覚ありだけど、声はよく通って大きい上に滑舌も良くハキハキと話せる。
だけど、緊張してたり疲労やストレスが溜まってくると、特定の音から始まる第一声が出なくなる(「あ」から始まる言葉など)。
緊張するとすぐにパニック状態になって心身ともに挙動がおかしくなり、それを他人からからかわれたり真似された経験数知らず。
元増田はフィジカルが問題なのではと言うけど、自分の今までの経験から言うと、心身一如というか、心も体もお互いが影響し合っていて、どちらが原因とは言いきれないと感じる。
卵が先か鶏が先かみたいな話。
さて、自分はこれを「テンプレものなゾンビサバイバル」と評したが、これは要所要所のツボは抑えていることを指しているだけだ。
この作品はある意味で「顧客の求めているもの」を提供しているとも言えるし、提供していないとも言える。
どういうことか説明していく。
まず、この映画を“豪華なキャスト”目当てで観たい人は、ぜひ映画館に足を運んで欲しい。
カメオ出演の俳優のために予算を使い果たしたんじゃないかという豪華っぷりである。
主演のマッピーもしっかり絡むので、彼の美声に終始酔いしれることだろう。
逆にゾンビサバイバルものを目当てに観に行くならば、あまり期待しない方がいい。
ゾンビサバイバルもので個人的に好きな箇所は、「パニック状態になって、人間社会が崩壊する前段階」である。
日常が徐々に壊れていくような、でもそれがまだ原型を留めているような段階のことである。
そこを丁寧に、上手く描いたゾンビサバイバルものは、個人的にそれだけでワンランク評価を上げたくなる。
本作も、その前段階にたっぷり尺を使う。
なんと1時間!
いくら自分が前段階が好きだからといって、モノには限度がある。
見せ方も無駄だという印象が強く、ただ登場人物たちがくっちゃべっているシーンが長々と続く。
パンデミックを想起させるニュースを挟んだり、ゾンビになりかけた様子のおかしい人が映るシーンなんてものは申し訳程度にしかない。
ゾンビサバイバルを観たい人は、後半の部分だけ観ても差し支えないレベルだ。
だが、これもある意味でわざとやっている節がある。
『ヴァリアブルオリジナル』の主人公を筆頭に、その他のアニメでも青年役、少年役で彼の声を聴かない日はない。
だからマッピーを目当てに観に行く人にとっては、彼が長々と話しているのはそれだけで至高なのだ。
だが、このマッピーという俳優が、ある意味で作品全体の雰囲気を歪にしている側面もある。
大根というわけではないのだが、これまで声優業ばかりやってきたせいなのか、その癖が抜け切っていない。
或いは、マッピーも実写向けの演技が出来たのかもしれないが、彼のファンはアニメから入ってきた人間ばかりなので、ファン向けの演技指導をさせたのだろうか。
マッピーの発声は本作でもすごくアニメっぽくて、実写向けの演技路線である周りの俳優とは明らかに浮いている。
ヒロインが「バリケードが突破された!」とリアル路線で喋り、周りの俳優やエキストラもそれに合った演技をする中、マッピーだけが雑音が全く無い環境で「ヤバいよ、本当にヤバいよ!?」と言っている場面の脱力感といったら筆舌に尽くしがたい。
これは自分の勝手な憶測だが、この映画の監督は元々コッテコテなゾンビサバイバルを撮りたかったのだと思う。
なのでマッピーの所属する事務所に関係する企業に出資を募ったら、出してきた条件がこの前半のかったるい展開だったのではないだろうか。
或いは広告担当が、俳優を前面に出して集客しようとした結果、それを極端にやりすぎたというか。
映画監督も俳優目当てとゾンビサバイバル目当ての人間をハッキリさせたかったので、前半は開き直って俳優劇場にして、後半でゾンビサバイバルを詰め込んだ、と自分は妄想している。
特に監督のこだわりが感じられたのは、子供のゾンビが出てくることだ。
しかもこの子供ゾンビが……(ネタバレというほどの展開ではないが、個人的な見所ではあるので伏せておく)。
本作のゴア描写は大したことはないのに、レーティングが高めなのはこれが原因だと考えられる。
それでなお“善良な人間からのクレーム”も覚悟しなければならない。
監督も色々譲歩し続けたと思われるが、ゾンビサバイバルのシビアさを表現するため、これは残そうとしたのだと思う。
自分としては、今回でこの監督も注目せざるをえない一人になった。
有料区画のつつじ園のつつじの咲き具合は、入り口から見たところでは5分咲き程度。
それ以外の園内のつつじもそこそこに鮮やかな色の花を付けていた。
藤棚の藤も花を付け始めていた。
秋山元別邸の近くで、年齢そこそこのおっさんがオペラ歌手ばりの大きくはりのある美声を響かせていた。
さらに少し行ったところの弁財天近くの広場で、じいさんが7~8人ばかりブルーシートを広げて酒盛りをしていた。
城沼では白鳥が泳ぎ、この時期限定で渡船がつつじ園とその間を往復していた。
この時期は周辺住民だけでなく県外からの観光客も来ていて、平素の休日よりも若干人が多いように見えたが、
まだ連休の時期ほどではない。
最近自分の歌が全然好きになれなくてなんでだろうって結構真剣に悩んでたんだ。
なんかすごく下手なんだよ。
感情込めて歌うとあざとく感じるし、一生懸命歌おうとすればするほど下手に聞こえるんだ。
どうしたらうまく歌えるのかとかもそれなりに調べていろいろ試したけど全く効果がなかった。
個性的な歌手の特徴とか取り入れようとしてみても下手くそなモノマネにもならないし。
それでふととにかく丁寧に歌ってみようと思ったんだ。
うまく歌おうとするのではなく、とにかくリズムも音程もすごく丁寧に一つ一つを確認するように歌ってみたんだ。
すると録音を聞いてびっくり!何だこの美声は!抱いて!
私のガラケー目覚まし「朝ですぅ! シャッキリ目ん玉開けるですぅ! 早く起きないとブクブクの豚さんになっちゃうですぅ(CV:桑谷夏子)」 https://www.youtube.com/watch?v=b_eah5Lo5p4
朝の部屋に響く翠星石の声。
雑魚寝していた野郎どもがムクリと起き上がり、ゴミを見るような目を私に向ける。
不意の起こされた彼らは露骨に不機嫌な顔をしていた。脳筋研究室のせいか、桑谷女史の美声に酔っているのは私だけである。
すぐに私への事情聴取が始まり、『ニコニコにアップされていたドラマCDから音声ぶっこ抜いてガラケーのアラーム音に設定したこと』を自白させられた。まぁ、事実なんだけどね。
この『翠星石目覚ましアラーム事件』以後、私は3年弱に渡りキモヲタとしてラボラトリーカーストの最底辺を這いずりまわることになる。
屈辱的なヲタ差別から幾星霜、私は再び『朝ですぅ!』の音源をYouTubeで発見した。
著作権法が非親告罪化されれば、桑谷夏子に起こしてもらえなくなるのだ。迷わず光の速さで落とし、アラーム並びに着信時の音に設定した。
時代の流れを感じる。
2. 音声だけ抜く。ファイルサイズが大きい場合は、ビットレートを落とすかトリミングする。
3. ガラケーの着信音、アラームに設定できるようファイル形式を変換する(ここまでがPCでの作業)
4. USBケーブルでPCからガラケーへファイルを転送する。
5. 音質が悪い、ファイルサイズが大きすぎる、ファイル形式が違う、よく分からんが着信音に登録できない場合は最初からやり直し。
という気の遠くなるような作業が必要だった。
それが今はPCナシで、スマホだけであっという間に着信音を自作できてしまう。
今回は、
1. サイト( http://www.youtube-mp3.org/jp )にYouTubeのURL貼ってmp3形式で音声抜く。
2. 着信音として登録。
たったこれだけで済んだ。
隔世の感あり。
小学生のころからずっと思ってたんだけど、あまりにもあほすぎると思っていままでだれにも言わなかった。けど、増田だったらなんだって言えちゃうし、いいかなと思って。きっとみんなにも共感してもらえるはず。だれも言わないけど、みんなこういう妄想をするものなんです。男子というものは。
「はてなはて男」
「はい!」
はて男が舞台の上を中央まで歩き、九十度向きを変え、前に進み礼をする。だが当然ぼくははて男のことなど見ていない。
つぎに呼ばれるはて美ちゃんが、軽くて薄いひらひらした黒い仕立てのいいスカートを気にしながら、一段一段ゆっくりと、いつもながらの真面目な態度で慎重に数段しかない階段をのぼり、舞台上に立った。くるっと客席のほうを振り向くと、美少女はて美ちゃんの顔がぼくらから見える形になった。バレエで培った美しい姿勢を見せ、うっすらと盛り上がった胸を張り、つぎに自分が呼ばれるのをやや緊張した面持ちで待っている。いつもと違う高貴な服装は清楚なはて美ちゃんの美しさを引き立て、そこだけ黄金の光が集まってきて天使が祝福しているように見える。
「はてなはて美」
「はい!」
ついにはて美ちゃんが呼ばれた。はて美ちゃんは、透明感があり歯切れのいい美声で「はい」とだけ言う。場内にはて美ちゃんの声だけが響き渡り、ぼくらの胸の中にはて美ちゃんの声が入ってくる。ぼくの身はとろけはじめる。ひらひらのスカートがはて美ちゃんの膝のあたりで揺れるが、その軽やかで繊細な動きにぼくの性器がびくんと反応する。美しい「はい」の一声に場内は圧倒されたが、その残響と余韻とともにはて美ちゃんが舞台の上を進む。健康的な筋肉質のふくらはぎに真新しい黒いソックスが食い込んでいる。
ぼくの妄想は加速する。はて美ちゃんの「はい」の合図とともに式場内にいた変態たちが勃起してしまって、はて美ちゃんに襲い掛かろうとするのだ。数人の男たちが舞台中央にいま立とうとするはて美ちゃんに襲い掛かる。はて美ちゃんは異変に気づき、困ったときに出すあのおしつぶされたようなかわいらしい声を出す。男たちにもみくちゃにされるはて美ちゃん。「はい」と言ってしまったばかりにこんな目に……。
どうしてわたしがこんな目に……。ただ「はい」と返事しただけなのに……。
きみは「はい」と言ってしまったんだ。場内の男たちはみんなきみだけを見ていた。そこできみは「はい」と言ってしまったんだ。一切の拒否を含まない、完全な肯定である「はい」をね。きみはすべてを受け入れる決意をしてしまったんだ。娼婦はときに聖女のように見えるというが、きみはまさにそのように、すべての男を受け入れる「はい」を発してしまったんだ。きみは貞潔でありながら、娼婦の道を選んだのであり、また逆に、娼婦としての人生を「はい」によって受け入れたきみは、いっそう美しく輝くんだ。
はて美ちゃんは卒業証書を受け取り、そして舞台から降りた。なにごともなかったかのように。つぎの生徒が呼ばれる。
自分を呼ぶ汚らしい中年男に「はい」と返事してしまったということについてぼくは考える。美少女はてなはて美ちゃんは従順だった。しかしぼくらは従順なはて美ちゃんを性奴隷にするどころか、むしろはて美ちゃんの奴隷になろうとするのではないだろうか。担任の中年男ははて美ちゃんに「はい」と返事をされた瞬間に、はて美ちゃんを犯したような気がしたのかもしれない、がそれと同時に、かれはおそらくはて美ちゃんに完全に屈服してしまったのではないだろうか。おそらくあのとき襲い掛かった男たちもはて美ちゃんをもみくちゃにしたまではいいが、はて美ちゃんの声を間近で聞いてしまうととろけてしまって、射精と同時にどろどろになってしまったのではないだろうか。その光景はぼくにはあたかもはて美ちゃんが舞台上で失禁したように見える。
といった感じで、とにかく美少女が名前を呼ばれて「はい!」と言うのを想像するとすごく興奮する。その状況は「はい!」といわざるを得ない状況だというのもいい。はて美ちゃんの意志はそこにはない。だけど、はて美ちゃんはいやいやながらではなく、「はい!」とすばらしい返事をするのだ。そしてはて美ちゃんは犯されると同時に世界を征服してしまうのだ。そしてぼくははて美ちゃんの奴隷になりたいのだ。
こんな妄想、男ならみんなするよね?
全部の服を脱ぎ終えた二人はベッドの上で対座する。まだ何ら行為をしていないのにもかかわらず、夏の暑い室内のせいで二人の肌にはすでに汗がにじんでいる。扇風機もクーラーもあえて付けない。今から始まる舞台は涼しさなど少しも必要としないのである。
正座して見つめ合う二人は「よろしくお願いいたします」と日本人らしい丁寧な敬礼で始めの合図をする。男が股間へ手を伸ばそうとすると、女もそうしようとするが、男はじらすと見えて再びその手を引っ込める。女も引っ込める。熱い試合が見込まれるからこそ立ち合いの呼吸はなかなか合わない。
観念した女がついに自ら口火を切った。男もにわかに右手を激しく上下させる。声は男の方が先だった。それにつられた女も負けじと甲高い美声を部屋中に轟かす。男の「おっ、おっ、おっ」という一定のリズムを保った野太い喘ぎと、女の「あー、んっ、っあ、あーー」という不定形の悲鳴とは、双方の良さを引き立てながら、独特の協奏曲を奏でる。浅黒い男の逞しい筋肉と、純白の女の麗しい乳房。互いの目は互いの身体へと注がれ、興奮の波は上昇の一途をたどる。目の前の体には指一本触れていないのに、まるで相手と同化したような気がするのは、性交では決して得られぬ自慰の奇跡と呼んで差し支えなかろう。
小さくうなずく男に女も同じようにして応える。もはや二人は以心伝心の関係だった。「あっ」と短い声が重なったかと思うと、窓から差し込む夕日の向こうから、カラスの群れの鳴き声が、まるで試合終了の笛が鳴るように、二人の心に響き渡った。「ありがとうございました」。裸の男女は、はずかしそうに微笑みながらあたたかい握手を交わした。
そういう人は案外多いのではないだろうか。
俺もその一人だ。
単調なあえぎ声や非現実的な潮吹きなどに興奮している輩とは友達になれそうもない。
もとより自慰行為には、もっと有意義なやり方があるのにもかかわらず、真っ裸の女をオカズにして欲求を満たすのはどれだけもったいないことか。
きょうは馬鹿な男どもに自慰行為の醍醐味を教えてやろうとおもう。
なにげなくテレビを見ながら、「おっ、かわいいな」って思ったその子を本日のターゲットに決めると、パソコンかスマホを開き、グーグルで名前を画像検索してみる。
グラビアアイドルならばその時点で大量の水着画像が出てくるものの、初々しい女優やアイドルとなると、着衣画像が大半を占めることが多いので、名前の隣にスペースを拵え、「水着」だの「ビキニ」だのと入れて再検索。
するとどうだろう、テレビで清楚な様子をしていたあの子が、胸と股間とを申し訳ばかりに隠し、誘惑するようにほほ笑んでいるではないか!
ほかの誰でもない、彼女は俺に向かってほほ笑んでいるのである。「恥ずかしいな.....でも、俺君とならいいかな」。彼女はたしかにそう言っている。
「大丈夫だよ。やさしくするね。」そう答えたら、おもむろにパンツを下ろし、画像をまじまじ見て息子をふくらませる。
ここで肝心なのは、今から自分はこの子とセックスをするのだと自己暗示すること。このどす黒いものを、うら若い女の秘部に包んでもらいながら出して入れてを繰り返し、やがては夢の世界へ放出する。生で放出する。そう信じ込むんだ。
彼女の瞳をまっすぐに見つめて、みずみずしい口唇のあたりに目線をうつし、ディープキスをする。
まっしろな首筋、やわらかいおっっぱい、さらにおまんじゅうまで好き放題にすると、さっきチューした唇の奥からは、ほそく鋭い美声が部屋中にひびく。
そんな想像を数分間つづける。何をしたっていい。バイブやローターを使ったっていい。あそこを舐めても、舐めてもらってもいい。もしあなたがAVのような過激プレイが好きならば、それを愛しのあの子にしてやればいいんだ。
いよいよ射精感が沸きあがる。
そのころになったら、今まで凝視していたパソコンやスマホから目を離し、そっと瞼を閉じるのがおすすめだ。
想像力をフルに働かせ、数分間ずっと見てきたビキニの深部へ、おもいっきり射精する。
部屋にだれもいないのなら、声を出したっていい。「○○ちゃん、○○ちゃん、いくよ、いくよ!」
以上のような自慰行為をしてきて妙に思うのは、どんなに素晴らしいターゲットを見つけたとしても、せいぜいその子で5回も抜けば飽きてくるという事実だ。
これは結婚してからセックスレスに陥る問題と深くかかわっている気がする。
それはともかく、このやり方においては、飽きたら別のターゲットを探してセックスすればいいだけなのだから、なんら心配はない。
自慰というのは本来自由であるべきものなのだ。自由、自由、自由。なんと爽快な響きであることか!
勿論、射精した後の虚無感については言うまでもないが。