はてなキーワード: 炭火焼きとは
掘建て小屋みたいな外見で、集落と集落の間の民家がほとんどないところにポツネンと建っていた
長らく不気味な店としてスルーしてたんだが、ある日ふと両親が興味を持ち、家族で行った
鴨肉の炭火焼がメインの店だった
なにぶん昔の話だから詳しくは覚えてないんだけども、店主のオッサンがバーナーで鴨肉を炙っていたような気がする(あるいはバーナーで炭に火をつけてただけかもしれない)
味はムチャクチャうまかった
どこか野性味がある風味、炭(?)の香ばしさ、脂のしたたる感じ、メチャ硬くて噛みきれないのにそれを不快に思わせないだけの強い旨み
当時俺は結構好き嫌いが多くて、あの硬さは他だったらアウトだったと思うんだけど、圧倒的うまさによってオーケー判定を掴み取っていく感じがあった
抜群にうまかった
客はいないが床にカマキリがいた すげえ印象に残っている 店の中にカマキリいていいんだ!と思った(よくないだろうな)
そのあと確か何回か行って、毎回超うまかった
でも、なんやかんや言ってあそこの鴨を超える鴨にはいまだ出会っていない
ちょっと前に帰省した時、あの店はどうなったかと思い出して行ってみたが更地になっていた
両親曰く結構前になくなってたらしい
悲しい 悲しすぎる
俺は野性味ある鴨の炭火焼が食いたいんだ
「鴨 炭火焼」とかで調べて出てくる店、全部オシャンティな感じで俺が求めてるやつと違う
やべー店なのに出てくる鴨肉は異常にうまい そういう店に俺は行きたい
ないですか?
鶏肉だってまずくはないし全然うまいけど、鴨肉のあの野趣・深い旨味みたいなものには到底かなわん 鶏の炭火焼きはスッと食べられて美味しいけど、鴨の炭火焼きは家に帰ってもしばらく思い出すくらい暴力的にうまい
で、鴨肉の方が高いんだよな 結構高い
ウナギも美味しいよねえ サワラとかアジなんかもそりゃうまいけど、ウナギのあの柔らかさ・ジューシーさには勝てん
簡単に育てられて安価に大量生産できて、かつ同ジャンルにおいて他の追随を許さない
そうなるとそれだけでジャンルを構成するようになるから「安い」と認識できなくなる、みたいな話なんだろうか
でもなんにでも高級品はあってそれの方がうまいような気がする
やっぱり手洗いが大事なんじゃねえの?
実際の所飛沫感染よりも、手について伝染する方が多いらしいじゃん?>コロナとか
だからさ、簡易的な洗面台を店の入り口に置いて、出入りする人は絶対に30秒手を洗って入ってくださいって設備を義務づければ相当感染防げる気がするんだよ。
当面はアルコール消毒義務化でもいいけどそれはあくまでも一時的なもの。アルコール消毒は
から、普遍的な基準にするなら、一般人はあくまでも手を洗う方が良いらしいじゃん?
スーパーとかレストランとかの設置基準で義務化しちゃったらいいと思うの。もう防火設備みたいに義務化。駐車場から店に入る途中に、店の規模に合わせてプールの目洗い場みたいなノリで手洗い場所をつけるの。
今でも牛丼屋とか回転寿司とかチェーン店によっては入り口に必ず手洗い場がある店あるじゃん?
そうすれば防火設備みたいにあって当たり前になるし、これから設計するところは入り口に手を洗える設備を設置するのが当たり前になるだろうし。
町中にも消火栓みたいなノリで、とにかく手を洗うところを作りまくったらいいと思うんだよ。洗剤なくても流水だけでもかなりウイルスは落とせるから。
手を通じて感染することが多いって前提で行くと、さらに自動ドアとかも一定規模以上は義務化していく方向じゃないかな。
既にほとんどそうなってるはずだけど、中には押しボタン式スイッチとかになってて衛生的には結局触るんじゃ意味ねーみたいなのもあるじゃん?
そういう所は非接触スイッチに切り替えていくとかやりようはいろいろあるよね。当面は1時間に1回は消毒せよみたいな運用にせざるを得ないだろうけど。
後は換気設備とかもより厳重になるのかなと思うけど、正面に座られて至近距離でくしゃみ喰らったら、備長炭で喰わせる七輪炭火焼き焼き肉屋のごっつい換気システムがあっても無駄だと思うので、コスパは悪いと思う。
(だから、映画館やパチンコの換気がしっかりしているから大丈夫と言う抗弁は採用されなかった)
あり得るとしたら、監視カメラによる体温検知システムとかかな。でもこれはコストがかかりすぎる上に、すり抜けも多いだろうからなー。
取引先に接待で大変美味しい炭火焼きに連れて行っていただいた。色々と前向きな話ができて大変良い酒の席だった。
だったのだが
煙のせいでスーツもコートも全滅。海洋生物の死骸や動植物の焼けた臭いがこびりついている。あとタバコ。タバコの臭いもする。年末年始にクリーニングしたばかりだったのに。他の服に臭いが移りそうで、クローゼットにしまうこともできない。
酔った頭で、家の近くで朝早くから営業してるクリーニング屋を探している。
結局クリーニング代は俺の自腹じゃねえか。奢ってもらって文句を言うのも情けないが、その金も元々はうちの会社の払った金じゃないか。仕方ないことだけど、悔しい。
俺たちはコンビニに辿り着くと、粛々と目ぼしいものを買い物カゴに放り込む。
「手ぶらで冷やかしに入った人間が、数分後には強盗になっていた」というミームはあまりにも有名である。
財布の紐を緩める罠が、至る所に張り巡らされている。
案の定、弟が引っかかった。
「いらん、いらん。こういうところの福袋は、体よく在庫処理したいのが狙いなんだよ」
「でも定価より断然お得だって書いてある」
「定価でいらないものは、安くてもいらないものなんだよ。そういうものを“お得”だとは言わない」
実際、コンビニは手軽さの割に強力だ。
今やコンビニに出来ないことはない。
……とまで言うのは大袈裟だが、同レベルで便利な量販店が他にないのは確かだ。
それほどまでに便利で、携帯端末と同じくらい人々の日常から切り離せない存在なんだ。
「ここのは注文直後に二度揚げするから、いつも揚げたてだっての。というか、初詣の出店はいいのか?」
「だいじょーぶ、食える食える。それにコンビニ飯の方が安くて美味いし、どうしても食べたいわけじゃないし」
昔の偉い人は「コンビニが日常を席巻する」と言っていたが、それでもここまでだとは思っていなかっただろう。
「焼き鳥って、よほどのことがない限り買ったほうがいい食い物だと思う。近年は特にレベルが高くなってる」
「自宅で炭火焼きは難易度が高いからな。そもそも木炭が市場に出回ってないし」
「仕方ないだろう。一時期、集団自殺の手段として社会現象になったからな」
俺たちは他愛のない話をしながら、少し遠回りをしてカジマたちのもとへ戻る。
「む……」
公園までもうすぐというところで、ふと俺たちは足を止めた。
意外だったのは、この時間帯にしては参拝客がチラホラ見えたことだった。
「結構せっかちな人がいるんだな」
「まあ、年は越しているからな。早いに越したことはない、って考え方もある」
こりゃあ、初日の出の後に来てたら混みそうだぞ。
「……ひとつ提案だが、初日の出の前に、初詣を済ましておくのはどうだ?」
ウサクの提案に、俺たちは頷くまでもなかった。
みんな考えることは同じだ。
「よし、カジマとタイナイたちには、後で交代して行ってもらおう」
俺たちはレジ袋を揺らしながら、玉砂利を踏み鳴らして賽銭箱へと向かう。
「あるとは思うが、そんなコードを気にするほどの信仰心がない」
「そうそう、コードなんて無視するのが現代のスタンダードだよ」
○朝食:なし
○調子
お休みなので、むっきゅりむっきゅりしてた。
ただ、来週の途中からは「悪夢の東京出張」なので、色々準備をしないといけない。
ちょっと自分だけじゃ力が出なかったので、母親に連絡して車を出してもらい、買い物に行った。
こうやって、辛い時に頼れるようになったの、よかった、よかった、よかった。
ほんとうによかった。
○グラブル
サプチケ悩み中。SSRロミオがいいかもSSRジュリエットいるから、サイドストーリーに続編が入ったらシナリオ全部読めるから。
けどまだもう少し悩み中。
古戦場は4箱開けた。三凸四天刃が累計3本目。風(エタラブ)と光(ゼノコロゥ剣)以外の四属性用に欲しいから、もう4箱開けたい。(ただこれ、エタラブは四天刃より明らかに強いけど、ゼノコロゥ剣と四天刃は似てるようであまり違うから、光も欲しいっちゃ欲しいな)
連勝記録継続中で、12連勝中で自己記録タイ。(こういうの知っちゃうと、次で負けるよね)
セレビィ楽しいな、圧迫やめてセレビィに特化したデッキ作ろうかな。
ポケモンリスト眺めてたけど、リグレーデッキに入れるとヤバそう。
・キルリア(サーナイト、メガ)、ネクロズマ、カプ・テテフ、セレビィ、アブソル(メガ)、クレセリア
エスパー。
・マーシャドー、デオキシスS、コソクムシ、ゲンガー(メガ)、ルカリオ(メガ)、ゾロアーク
圧迫。(ゲームでアーキタイプがかぶるミラー対決って、妙に緊張しない?)
・ラティアス(メガ)、ケルディオ(いつも、かくご)、ルカリオ(メガ)、ゲンシカイオーガ(カイオーガ)、オノンド(オノノクス)、デンリュウ(メガデンリュウ)
ハドジャン圧迫+スタン。(このデッキ良いな。メガデンリュウで立て直し出来るのが楽しそう)
・ケーシィ(ユンゲラー、フーディン、メガ)、アブソル(メガ)、ラルトス(キルリア、サーナート、メガ)、セレビィ、オノンド(オノノクス)、ゲンシカイオーガ(カイオーガ)
昔ステーキくにのワイルドステーキ1000円を食べた時は衝撃だった。
分厚い炭火焼きステーキがこんな手軽に食べれる店があるなんて知らなかったし。
家では和牛ステーキとかたまに食べてたけど、それと赤身の炭火焼きとでは、焼肉とステーキぐらい別の料理だと思ってる。
そしてしばらくして流行り始めた同じグループのいきなりステーキ。
炭火焼きの厚切りリブロースステーキがこの値段で気軽に食べれるなんてとやっぱり嬉しかった。
今ではあちこちで手軽な値段で分厚い炭火焼きステーキが食べれるようになったけど、それだっていきなりステーキが流行らなかったらそうなってなかったと思う。
最近はほんとにいろんな店ができて、安い日は400グラム1000円とか2000円しないで食べ放題とかあるからあまりいきなりステーキ行かなくなったけど、それにありつけるのも、やっぱりいきなりステーキが流行ったおかげかなと思ってる。
店舗作りすぎとか別業態に変えるとか色々言われてるけど、社会貢献としては素晴らしいことだと思う。
俺がやりたかったのはただ一つ。いつでも作れて手間がなくってかつ美味しいカルボナーラだ。
そして、ついにそれが完成したと言っていい。
所要時間は15分ほど、生クリームみたいな普段常備しない材料は要らず、洗い物もフライパンとまな板、ソースを作る時に使う容器ぐらいで済む。
というわけで、レシピを記す。
材料は一人当たり玉子一個、パルメザンチーズ40g、ベーコン適量、スパゲッティ100g、胡椒少々だ。
https://anond.hatelabo.jp/20070405005438
念のため書いておくと、水500mlをフライパンで沸かし、スパゲッティ100g(俺は7分茹でのやつを使ってる)を入れて中火で煮詰めながら茹でていく。
そしてスパゲッティを入れて2分後くらいにベーコンもフライパンに入れて一緒に茹でていく。
で、ここが超重要で、玉子一個は約50gなんだが、それに対してパルメザンチーズを40g入れて混ぜて、ソースの元を作る。
この比率は非常に大切だ。
もしこれよりもチーズが少ないと、スパゲッティと和えた時に玉子がスクランブルエッグ状になってしまい非常に残念なカルボになるので注意してくれ。
この比率を守るとものすごくモッタリとしたソースの元ができるが、それで正しい。
そして、フライパンのスパゲッティが煮詰まって茹で終わったら火を止め、ソースの元を入れてよく混ぜる。
オリーブオイルは要らないぞ。
ここで胡椒を忘れると、カルボナーラは名乗れないので注意してくれ。
タイルの目地を狂ったようにタワシで磨く行為を1時間程続けていたのだ。汗が眼に入った。脇から流れた汗がTシャツを通って腰に伝った。今日はよく晴れていて、風呂の窓からは蝉の声がシャーシャー聴こえてきた。頭の位置を変えたら酷い立ちくらみがして、大きく長い息を吐いた。
普段まったく家事をしない。必要に迫られないとしない。そして「必要に迫られている」と感じるのが人よりだいぶ遅いようで、自分でも呆れる位、家事をしない。
今日、年に何度か訪れるこのうっかりゾーンの最中、あることを思い出した。
同居人は家事全般、とりわけ料理が得意だった。事情があって一緒に暮らしはじめ、事情があって家事はあまり分担せず同居人が一手に引き受けていた。家事が好きだから、好きな方がやればいいじゃない、と同居人はよく言った。色んな事情があったので、バランスを取るために自然とそうしていたのだと今では思っている。そして実際うまく機能していたと思う。
それでもたまに、何から何まで申し訳ないなと思うことがさすがにあった。そんなときは今日のように風呂のタイルの目地を磨いたりしていた。家事が苦手な人の特徴なのか、自分の特徴なのかは知らないが、いったんやり始めると今日のようにうっかりゾーンに入る。一時間や二時間、平気でタイルを磨いていた。
そんな時よく同居人が背中から声をかけてきた。「お茶のみませんか」「居酒屋さんごっこしませんか(揚げ物とビールを準備しているとき)」「お蕎麦屋さんごっこしませんか(日本酒と卵焼き、板わさを準備しているとき)」。
背中から鬼気迫るものを感じていたのだろう。無理にとは言いませんけど、区切りませんか、そんなニュアンスだった。そんな時はたいていハッと引き戻されて「するする」と犬のように尻尾を振ってタワシを投げ出して、いい匂いを嗅ぎながらタオルで濡れた身体を拭いた。
今日、タイル磨きをやめるタイミングを掴み損ねて、立ちくらみを味わいながらそんなことを思い出した。
かつての同居人とは、何故かあるタイミングでお互いの事情が一致して暮らし始めた。
性行為は付かず離れずしていたが、恋人ではなかった。友だちとも違った。同じ家で暮らして、一緒に起きて、一緒に食べて、一緒に眠る人だった。子供ができたらいいね、と年に何度か言い合うことがあった。動物として自然の流れでそうなったらいいね、という意味だ。自分も同居人も、お互いについての感情は「たまたま一緒の檻になったライオン」のような温度だった。
恋愛感情が無かったわけではなくて、持っていた頃も多分あった。お互いそうだと思う。ただいろんな事情や理由があって、結婚は選択肢に入らなかった。それぞれが別の異性と遊んだりすることもあった。「浮気してくる」「異性と交遊してくる」と言って出かけることもお互いあった。気をつけてね。何時に帰るの。お互い自分自身をそんなに素晴らしい人間だと思っていない同士、そんな生活に不満は無かった。一緒に暮らし続けた。
もちろん人間の感情はそんなに陶器のようにツルンとしてないようで、色んな諍いはあった。お互い思った事を口に出す人間では無かったので(悲しいことだと今では思う)、喧嘩にはならなかった。言い争いの代わりに、子どもや猫のような抗議をお互いよくした。突然夜中に居なくなったり、家に帰らなかったり、メールに返信せずに心配させたり、寝たふりをして返事をしなかったり、料理をしなかったり、料理を食べなかったり。そんな小さいギザギザは数ヶ月に一度あった。それでも同居人とは同じ檻同士、基本的に信頼しあっていた。お互い求められた通りの心配をした。夜中の公園を真冬に探し回ったり、帰ったら好きなお酒や料理や音楽が準備されていたり、心にもない優しい言葉をかけたりした。どうせ仲直りするのはお互い分かっていた。早くしたいとお互い思っていたのだ。諍いに限らずあらゆる事が、始まり方は子どもでも終わり方は大人だったと思う。
一緒に暮らしてから色んな事が変わった。そして、これは自分にとって驚くべきことなのだが、色んな事を学んだ。
まず、健康になった。皮膚や髪の毛の質、睡眠の質が変化した。これは食事がガラッと変わったので当たり前なのかも知れないが、自分には驚くべき事だった。風邪を引いたり、一日寝て過ごす事も減った。同居人が酒好きだったので、自然と自分の飲む量は減った。酔っ払いが二匹居ては収集がつかないと思ったためだ。伴って体重も減った。
趣味の世界や物事の視野も広がった。同居人にとって当たり前のことは、初めて知る事ばかりだった。色んなモノが世の中にはあること、それぞれの用途のこと。野菜ジュースは野菜の代替にならないこと。直火と炭火焼きの違いのこと。季節の食べ物のこと。いろんなお酒が世の中にあること。いろんな方言のこと。悲しいときは運動をするといいこと。泣きながらご飯を食べられないこと。スーパーで鮮魚を買うと捌いてくれること。沖縄と本州で畳のサイズが違うということ。島の暮らしのこと。革製品の手入れのこと。
そして、自分にとって当たり前のことにも興味を示された。テクノやエレクトロニカのこと。色んな漫画や本のこと。映画や芝居のこと。旅行や海外のこと。色んな動物のこと。身体の変化のこと。変な服のブランドのこと。仏教とイスラム教とヒンズー教のこと。お互いの好きな物を教え合ううちに教えられた方が詳しくなって、それが原因で諍いになることもあった。ばかっぽい。村上龍やキャンプについてはそうだった。だいたい土日の昼間に料理を作っている同居人の周りをチョロチョロしながら様々な話をした。自分がこんなに話をする人間である事や、甘えたがる人間である事、そして人間に救われる人間である事。ある業界の仕事をしていた時期から、人間を信頼することは自分とあまり関わりがないと思っていた自分にとって、これは大きな発見であり変化であった。アルキメデスが浮力を発見した事に次いで偉大な功績だった。ユリイカ!
そんな暮らしの中であっても、人間は変化する生き物なのだった。自分にも、変化のスピードに生活を合わせたいと思う時期が訪れた。それで、同居はやめた。自分が変化したのは同居人との暮らしのお陰だった。それはとても辛かった。それでも、時間が経った今はあの決断をした自分は偉かったと思う。偉大な功績だ。ユリイカはユリイカとして、正しいかは死ぬ時まで解らない。
多分ここまで読んで、同居人との関係性について嫌悪感を示す人もいるだろうと思う。我々は少しネジの緩んだ同士だった。誰にも理解されないような、子ども同士の暮らしみたいな生活が好きだったのだ。毎日親がいない家みたいだった。ヘンゼルとグレーテルのようだった。一般的に理解できないものを受け入れることが、わりあい得意な人間同士だったんだろうと思う。人間は変化するので、多分いま暮らしても同じふうにはならない。でも、かつての同居人は今でも家族のような感じがする。かつての同居人もそう思っている気がする。うまい言葉が見当たらないが、belongしあっているという感じ。今でもたまに顔を合わすと、たまに会う親戚のような顔をされる。元気にしてるの、ごはん食べてるの、ちゃんと洗濯してるの。言葉にはしないけれど眼から発信されてくる。
先日、会社の女性に「彼氏と同棲しようかなって話してるんです」と言われた。相談ではなく背中を押して欲しいだけなんだと表情から伝わった。なので、「同居はいいよ」と無責任なことを言った。こいつの責任を持つ筋合いはない。「同居はいいよぉ、まいンち、楽しいことしかないよ」。
家族になるっていいよ。
同居をやめたのは、今日みたいな夏の暑い日だった。突然ひとりにした。突然ひとりになった。「素直に言ってくれてありがとう」という言葉。「がんばったね」。依存しあうものが無くなったあの開放感と、途方もない悲しさ。同居人が見えなくなるまで距離を取ってから階段でめちゃくちゃに泣いた。部屋に入るまでもたなかった。汗と涙と鼻水がごちゃごちゃになった。蝉の声がシャーシャー聴こえてきた。鼻の奥がずっとツーンとして、酸欠になって頭がくらくらした。一人にしないで一人にしないでと布団の中で喚いた。相手のほうが思っていただろうと思う。だから相手には言えなかった。血縁上の家族以上に大切だった。人工の家族だった。相手が可哀想だから、という感情は共依存だと知っていた。お互いの変化を阻害すると知っていた。だから行動に移した。自分のために手放した。相手を理由にするのは相手を一番傷つけると知っていた。対等な人間関係でありたいと願う、自分に残った唯一の正義だった。
何を見ても同居人を連想する日々が続いた。何をしても楽しくなかった。食事の質が落ちたせいで体調も変わった。それでも不思議と、死んでしまいたいとは思わなかった。悲しい事に集中すると、他の事に集中しすぎずに済んだ。なんていうか色々捗った。ロボットのように仕事や食事や人付き合いをこなした。こんな辛いことを乗り越えたのだから、何があっても生きていけるだろうと、直感で理解した。悲しいときは運動をした。泣きそうになったらご飯を食べた。あれからだいぶ時間が経った。何かを見て同居人を思い出すことは、今では殆ど無くなった。
人間の記憶はすべて熱量だと思っている。同居をやめてから、変化に対応していくなかで、たくさんの記憶の熱量をエネルギーに変換して生きてきた。変換したら消えていく。記録と事実は残るが、涙が出るような、胸が痛むような熱量は、失ったら二度と戻らない。
あらゆる事について、もう少し若い頃はこの「失っていく感覚」「燃えていく感覚」を怖いと思っていた。なるべく残したくて、よくテキストにしていた。いつからかそんな執着は無くなり「燃えているな」「もう二度と会えないんだな」とまっすぐに見つめるようになった。何かを決断した自分が得た変化の一つだ。燃えたエネルギーを、これから別のなにかに注ぐ事。もう二度と出会えない分だけ、新しい事が入る余地が出来るんだろう。望むと望まざるに関わらずだ。
もう思い出す種火が少なくなっているのかもしれない。タワシを洗いながらそう感じた。消える前の焚き火を思い浮かべた。少しくらい残したっていいだろう。それくらい愛していた。自信をくれたのだ。自分で作った人工の家族の思い出の事。嘘は一つも書いていないが、自分と同居人の性別や年齢や重要なことは書かない。