はてなキーワード: 正論とは
いわゆる勉強は出来てテストでは良い点が取れるが、要領が悪かったり、常識が欠如していたり、人間関係に問題が有ったり等々の理由で「馬鹿」と周りの人間に評価される人の事だ。
ここで書きたいのは「頭は良い(が、他人や自分が感情を持っていてそれに大きく左右される存在であることを意識できていない)馬鹿」の人の話。
例えば頭が良いが正論で人を殴るのが大好きなタイプ。仕事はできるが、他の仕事が遅い人を馬鹿にしたり怒鳴ったりして場の空気を悪くする人。
口癖は「バカ」「クズ」「遅ぇよ」「何でこんな事もできないんだ」「少しは自分の頭で考えろ」
自分の周りにこういう人がいるので(隣の部署の上長で、頭が良い人と評判だがよく怒鳴り声が聞こえる)、それを考察したい。
こういう人は頭は良いが、人間の半分が「感情」で出来ているというのをたいがい意識していないように思える。
相手にも感情があって、自分の発言や行いが相手の感情をいたく傷つけるのに無頓着だ。
いわゆるサイコパス。他人と共感する能力が低いor欠如していて、しばしば組織内でパワハラ・モラハラを行う。
プライドは高く学歴等でマウントを取ることも多い(その人の場合は分かりやすく学歴で人を馬鹿にすることはないが、初めて会う人には大体出身大学を聞く)。
普段の会話からも「あのバカは~」みたいな発言が随所に見られ、周りの人を見下しているなというのが良くわかる。
そのためか他人から馬鹿にされたりするとすぐ「あ、カチンと来たんだな」という感じの表情になり、声色も若干変わる。声は荒げないが発言が攻撃的になる。
他人の「感情」に無頓着であるのに、自身は大変に「感情」的である。
その割に自分自身をそれほど怒りっぽい人間だと思っておらず、「部下に厳しい事も言うが良い上司」だと自負している節すらある。
当然、周りの人間は波風立てないように表立ってその人を批判したりはしないが、自然と飲み会の場などではその人の悪口大会になるし、パワハラの調査などでも浮かび上がってくる。
そして、いざという時に味方になってくれる人が周りにいないのだ。
ゆえに、こういうタイプの人を「頭は良い(が、他人や自分が感情を持っていてそれに大きく左右される存在であることを意識できていない)馬鹿」と自分は整理している。
本当に頭が良い人というのは何事も自分と相手の感情を損なわないようにうまく振る舞うのだろう。
このように感情を意識できていない「頭が良い馬鹿」の人を反面教師にし、自分と相手の感情を意識しながら「自分に良し、相手に良し、世間(職場)に良し」な三方良しを心掛けたい。
https://blog.tinect.jp/?p=68019
だいぶ昔にMENSAに所属していて、MENSAのIQテスト大会みたいなので優勝したりして、IQという指標で分布見たらかなり端っこにいるヤツ。
元記事にある様な行動を取ったりすることもあるので胸が痛くて増田に書こうと思いました。
ちょうど、同じことを社内向けに伝えたばかりなのでタイムリーだったというのもあり。
まず最初に断っておくと、この項目はいわゆる知的障害者への偏見を抜きにして事実だけ読んでほしいです。
MENSAの飲み会の中である人が「我々は知的障害者なんだ」と話していたことがとても印象に残っています。
どういうことかというと、IQ130(MENSA入会基準)というのはIQ70(知的障害基準の一つ)と同じだけの出現率であること。
そして、知的障害という分類を社会が生み出したのは、コミュニケーションや理解度がボリュームゾーン(IQ100)と異なることで、社会生活に困難を生むから。
大は小を兼ねる的に、高IQだからってコミュニケーション困らないでしょ、と思うとそうでもないです。
知的障害の方々の行動や思考の「理解できなさ」を思い浮かべてみてください。
なぜ、あの人はずっと同じことを繰り返しているのだろう。どうして突然関係ないことにこだわり始めるんだろう。
そういう「理解できなさ」をマジョリティに対して感じることがあるわけです。
そうすると、理解できないことを起因として集団からはじき出されながら社会生活に支障をもたらすことがあります。
僕はパターン化(抽象化)の能力が高いってことだと考えています。
複数の物事に触れたときに、それらの共通点・差異を見つけてパターン化し、次の事象へ当てはめてみようという意欲の強さと精度の高さです。
少なくとも、その能力だけで僕はMENSAに所属し、その中でもIQテスト大会やって優勝するくらいの異端にはなりました。
裏返せば思い込みが激しいんです。
サンプル数の少ない事象に直感とも言うべき帰納的なパターンを見いだして、恐れずそれを適用するだけなのですから。
そして、その独特なパターンに乗ってない議論や視点や考え方への理解はそれほどうまくできなかったりします。
だから、IQ高い/頭がいい=頭の回転が速いとか計算が速い、記憶力が高い、といった捉えられ方をすると困惑します。
相手の言っていることが言葉として理解できるけどその思考が理解できないとか、こちらが伝えようとしていることが全く伝わらないとか、かなりの頻度でありました。
勉強を教えてほしいと言うので教えると、こちらとしては当然こう考えるべきというレールがあるのに、そこに乗ってくれない。
僕は幼い頃からこんな風に周囲との違いを暗に感じてきました。
そういうことを繰り返して手に入れた結論は「人のことがわかるなんておこがましい」です。
「自分は人を見る目がある」と自負する言葉は僕にとって信用ならない言葉だし、「言わなくてもわかるでしょ」はわからないんです。
でも、僕自身はやっぱりパターン化して世界と向き合っているので、そこにはある種の自動化とか思考のショートカットが入っていて、それらを言語化するのにすごく時間がかかってしまう。
その中で、自分自身がうまく言葉にできていない部分を連ねていくときには、自分の思考をトレースしているために、ものすごく直線的な論理展開をします。
そんなときには他者の意見を否定するようないい方をしている場面も自分自身感じています。
ただ、僕は高圧的に話をして人をやり込めたいとか否定したいのではなくて、必死に自分の考えを伝えようとしているだけなんです。
その上で僕の間違っている部分を示してもらって、よい結論へ持って行く議論ができるとうれしい、と思いながら話をしています。
そんな思いとは裏腹に、自分の話し方がまずいせいで、どうしても人を威圧したり、意見を封殺するような口調になっていることが多いように感じています。
理由は上に書いたように、僕が話し始めている時というのはかなり必死な状態なんです。
今まで自分と同じ土俵だと思って話して行き違いを何度も何度も経験してきたことが僕の原体験にになっていて
みたいなやり方が自分の中に根付いてしまっているから、これをうまく修正できないでいます。
つまり、単なるマウンティングのために頭の良さでぶん殴っているわけではなく、立っている土台が違うことでコミュニケーション齟齬を産んでいるケースを想定しています。
今僕は、頭の良さっていうのは謙遜も自慢もなく自覚しないとひどい病だと思っています。
死ぬことこそが救い、俺が愚民を救世してやる、とナイフを振り回す異常者、怖いでしょ?
元記事の同僚がどうかはわからないけど、コミュニケーション上の問題を感じながら論理的であることをやめられないのはそもそも問題意識が周囲と異なるのではないでしょうか。
それ自体が間違っているわけではないし、論理的に解決を進めることが社会や人類を発展させてきてます。
なので人と一緒に働いている中では、自分の特性みたいな部分を自覚して、周囲に伝えてみてください。
その人がどういう人間性なのかを、一面だけで判断しないでほしいです。
もちろん、中にはまさにクズと言っていい性根の人もいるでしょうし、そういう人を無理にかばってくれとも言いません。
しかし、普段は問題ないのに議論になると殴られるからいやだな、と思うような相手はもしかしたら問題を抱えている人かもしれません。
そういう人たちとインクルーシブに働ける環境を作っていけたらいいなぁなんて思っています。
わかってるけど、やりきれない部分ってあるんです。
なので、最善とは言わないけど、ここに書いたような文章をチーム向けに伝えて、お互いのギャップを一緒に見つめましょ、って話をさせてもらいました。
コミュニケーションなんだからみんなできて当たり前、たどり着けない部分があるのは甘え(努力していない)って言われるのは怖いなぁ。
インバウンド需要喚起のために海外からの小規模ツアーに入国規制緩和を…という話が昨日Twitterに出てきてびっくりしましたね
予想通り「何考えてるんだ」「チャイナの言いなりになってる茂木外相」みたいな感じで非難轟々なわけです。まあそうなるわな
ただ一瞬「政治家にはロビー活動が絶えず行われている」ようなことがふと頭をよぎりました。僕は知財関連の法整備にはアンテナ張ってるんだ
まんま「茂木には二階の息も中国からの圧もかかってる」で済むのは済むんですが、仮に観光業から要請が出てたらどうだろうか?
冬季に入り病気にかかりやすいのが当たり前のなかコロナ感染者が増えてGoToに批判が集まり(観光と相関がなさそうなのは根拠があちこちからでていますがガン無視で)国民の政策非支持みたいな機運が高まってしまったわけです。普通にGoTo条件変更でどうとでも対応できそうなのにやりますか?やめますか?みたいな空気なわけです
ここからは完全に想像ですが、誰が言ったか「インバウンド需要を呼び起こそう」と規制緩和をお願いすることを業界が考え出すわけです。財界は金さえ稼げれば文句を言わないし、政府批判が強いのは右派より左派…というより親中親韓、右派というかネトウヨは正論批判するだろうが、仮に感染症持ち込みが増えたとてメディアは報道もそこそこでそもそも感染者の国籍内訳は知れるはずもない。国民からの非難の声をなるべく少なく観光客を増やせる手段としてのインバウンド需要喚起
…は絵空事ですかね
https://anond.hatelabo.jp/20201205203230
婚活敗北増田なんか典型だけど、正直自由恋愛においては容姿や所得といった恋愛資本の乏しい人は敗北・撤退を余儀なくされるわけよ
俺はこれ自体は仕方ないと思う
これを解消するには個人が恋愛・結婚の対象を選好する権利を取り上げる、則ち自由恋愛を禁止するしかない
でもね、いくら恋愛不能者だからといって自責することはないでしょ
自由恋愛に敗北して不平不満を口にする彼等に対して自責を促すポリコレの民達の態度っていうのは
「パートナーを得たいだなんて贅沢な望み!」
お前でなんとかしろや!っていう実際そうする以外どうしようもない事実を詠唱するだけ
だけどさ、彼等は実際に自分でどうにかせざるを得ないことがどうにもできなくて苦しんでるわけじゃん
その苦しみに寄り添わずとも、「大変だったね、辛かったね」って、それくらい言っても何か減るわけじゃないだろ
自由恋愛市場でぼこぼこにされて撤退した奴等に更に追い討ちかける様子はちょっと見るに耐えないわ
かつての見合い制度ってのは「お家」の存続って点だけ見れば合理的な制度だけど、人権の観点から見れば非常に非人権的な部分のある制度だったわけで、故に退潮したんだろうけど、 換言すればあれくらいの非人権的制度でもなければ恋愛不能者は結婚なんて到底できないってことだろ
恋愛不能者達の怨嗟ってのは高度に文明化された社会では救い様のないものなんだよ
だからこそ、「辛かったな」くらい言ってあげてもええやん
もう救われない運命にある者達を虐げるなよ
寄り添えとは思わん
せめて滅びゆく者達の末期の叫びくらい黙って看取ってやれや
はてブで安倍や甘利が自身のブーメランになる正論ぽい発言をそのまま肯定だけして揶揄なしに終わる
この間書いた増田が伸びた。
炎上方向で。
しかも、こちらが言おうとしていたことは関係なしに、ちょっとした言葉の揚げ足を取って一方的に悪者扱いされた。
ほんの一握りの人は、言わんとすることは正しい。とコメントしてくれたけど、そんなんで炎上の勢いは止まらなかった。
それで思い出したのが、小学校の時、学校に来る途中で猫を拾ってきた友達の話だ。
そいつは拾ってきたにも関わらず、自分では飼えないから俺に飼えと言ってきた。
猫は好きだがもちろん我が家でも飼えない。
だから「自分で飼えもしないのに拾ってくるのは無責任ではないか」と言い返した。
そいつは自分のしたことを棚に上げて、俺のことを人でなし扱いしてきた。
「あのままなら死んでたかもしれない」「なんとかしようと考えるのが普通だ」「親に相談もしないで断るお前のほうが人でなしだ」
人でなし認定はあっという間にクラス全員に広がり、全員から止めどない罵声が投げつけられた。
「そんなことは言っていない。ただ、家では飼えないといいたいだけだ」
その時の猫がどうなったのかは覚えていない。
大騒ぎの教室に先生が入ってきて、大泣きをしている自分を教室から連れ出したところで記憶は止まっている。
炎上した増田の真意を伝えようと、どれだけ追記しても(改変は違う気がしたのでしなかった)一度ベクトルが否定に向くと誰一人としてその意図を汲んでくれようとはしなかった。
そりゃそうか。これだけ炎上している内容に正論を書いたところで火消しどころか火傷しかねない。
20年ぶりに酸っぱい記憶が蘇ってしばらくの間、嗚咽とゲップが交互に止まらなくなってしまった。
ある日一人で遊んでいた時の話だ。
声の方に行くと、なんと目の前で子犬が車に轢かれていたのだ。
幸いにも軽く乗っかられた程度、子犬は意識があり弱々しく泣いていた。
便をしているときに轢かれたのか、出血はなかったが、便をタイヤで轢いたあとが道路に点々と伸びていた。
小学生だった自分には、この犬を病院に連れて行ってあげるお金も行動力もない。
しかし、何を思ったか、そのときはこの犬を轢いた人なら、車もあるし経済力もあるし、病院に連れて行ってくれるだろうと思ったのだ。
心優しい大人が、たまたま子犬を傷つけてしまったことに気づいていないだけだと考えてしまったのだ。
早くなんとかしなきゃいけない一心で、家に戻るよりもそのほうが早いと考えて、子犬を抱えたままタイヤの跡を追いかけ始めてしまった。
そうして何軒目かにタイヤに便のついた、ボンネットがまだ温かい黒いセダンが止まっていた。
急いでインターホンを鳴らす。
出てきたのは口ひげをはやした強面のおじさんだった。
ドスの利いた声で「何だよ」と一言。
しどろもどろになりながら、犬が轢かれたこと、その時の便がタイヤについていたこと、自分はお金がなくて、車を運転している大人ならなんとかしてくれると思ったことを早口に伝えた。
しかし、そのおじさんは一言。「知らねえよ」とだけいうと、ドアをバタンと閉じてしまった。
その時はじめて、自分は間違ったことをしたのかもしれないと思った。
もしかしてと少しの希望にすがりたい一心で振り向いた自分に浴びせられた言葉はより絶望に突き落とすものだった。
「お前、公園にいたガキだろ。顔は覚えたからな。親に余計なこと言ったらどうなっても知らねえぞ。」
子犬は両手の中で苦しそうに寝息を立てていた。
泣きながら走って家に帰ると、玄関から母親を大声で呼びつけた。
何事かと走って出てきた母の顔が、手のひらの子犬を見てあからさまにこわばる。
嗚咽とゲップを繰り返しながら事情を説明するも、母の眉間のシワは深くなっていく一方だった。
最後に声を振り絞って、「この犬、うちで飼ってもいいかな?」と尋ねる。
それには答えず、「とりあえず動物病院に行きましょう。」と母。
そうしてどれくらいの時間が過ぎただろう。
ニッコリとした顔で、「お医者さんが大切に面倒を見てくれるそうよ。」とだけいうと、こちらの返答を待たずにそそくさと病院から出るように促された。
帰りの車内、母親はしきりにそのほうが子犬にとって幸せだとまるで言い聞かせるように同じ話を繰り返していた。
その時、うちでは絶対に動物を飼うことはできないのだと、子供ながらに悟った。
大げさな話をすれば、今の自分では命を救うことはできないと悟ったのだ。
そんな機会すら与えられず、自分は人でなしの烙印を押されたまま小学校生活を過ごすことになった。
今更どうせもう誰も覚えていないだろう。もはやこんな記憶は自分を苦しめる以外に何の役にもたちようがない。
まさかそんなことを増田の炎上で思い出すことになるとは思わなかった。
その時の出来事は忘れていても、その時の大人や同級生に対する嫌悪感は忘れることすらできずにべっとりとこびりついていたのだろう。
宮下公園を媒介してNIKEがたたかれているみたいだね。ブクマカたちは安全圏からいつも通りいい子ちゃんぶって正論で罵詈雑言を浴びせてくるけどもう慣れちゃった。
自分はもう何年も渋谷で仕事して渋谷で生活している。渋谷って一口に言ってもいろいろな区画があって、それぞれの区画で治安が良かったり悪かったりする。道玄坂のホテル街は相変わらずラブホが立ち並んでてカップルと風俗客と風俗嬢がうろうろしてるし、スクランブル交差点はいつも関ヶ原で、センター街はリアルエクバ、宇田川町はDJがリアルGTAだし、宮益坂はいつだって坂がきつく、マークシティは死相のあらわれたホームレスがベンチみたいなところで寝転がってたし、南平台はいつだって渋谷と呼んでいいのか分からない。その中でも、宮下公園だけはあからさま近寄ってはいけないムードがただよっていた。それはホームレスがいっぱいいるからっていうのもあるけど、公園では何が行われてるか分からないし、犯罪の噂をしこたま聞くからだ。よく分からないけどなんかやばそうな空気を宮下公園からはいつも感じていた。
実際のところ、ホームレスの母数は統計上減っている。ガチの貧困者がホームレスにならずにネカフェ難民などに移行してるそうだが、それでもジュリーみたいなルンペンは体感で見てもここ数年で明らかに見なくなった。宮下のところや駅のところで高架下にはダンボールを毛布がわりにしたホームレスがいるけど、本当に見かけるのはそのくらいだ。マークシティからもいなくなった。あと、ホームレスは一般市民と比べて結核持ちが多いから、公衆衛生的にもよろしくない。
ところで、Base Ball BearってバンドのSAYONARA-NOSTALGIAって曲にミュージックビデオがついてて、2004年の渋谷が舞台になっているんだけど、ナンバガに憧れた男女がビル屋上で演奏してる裏で、ヒカリエができる前の治安の悪い宮下公園で治安の悪そうなJKが治安の悪そうなことをしてるなんだかよく分からないミュージックビデオだった。2004の頃からしてもそんなに治安の良い空間じゃあなかったのだろう。
そしていま、ちょくちょく宮下公園を通過している。あのあたりに限定すれば、本当に治安が良くなったと思う。安心して宮下を通過できるので治安が良くなったことを体感している。ホームレスの村よりはパリピがインスタ映えを求めてウェイウェイしてる方が明らかに平和だ。
もちろん単にホームレスの母数が減ったからって貧困がなくなったわけでもないけど、行政とナイキが結託して弱者を排除してるっていう単純なストーリーには区民の立場からノーと言いたい。