はてなキーワード: 平仮名とは
「よし田」「すず木」はあんまり美味しそうじゃない。小料理屋レベル。
上や松を使うと高級に見える。「かわ上」「松い」は寿司割烹レベル。
「杉の井」「濱乃家」みたいに高級料亭っぽく見える名字は無いかな。
浅、秋、重、石あたりの漢字がいいと思うんだけど。
※追記
皆さんたくさん考えてくれてありがとう。
これは知らなかった。
何の根拠もないけど、読みが複数ある漢字(ex: 川, 河)とか、画数が多い漢字(ex: 繁)を平仮名にしているのかと思っていた。
元が変体仮名だったところに漢字を当てているパターンは店の名前が明治以前に存在した証だから、それこそ本当の老舗だろう。
発達障害者が幼少期に発見されずボディイメージを掴む訓練ができていないとこんなしょうもないことでもつまづくよ、というお話。
小学生のころ、何かの罰ゲームに尻文字が設定されたことがあった。ケツをフリフリして自分の名前を空中に書けというアレだ。
当時から発達障害バリバリであらゆる方面に大変ドンくさかった僕は、案の定負けて罰ゲームの対象となった。
もちろん恥ずかしかった。黒板の前に立たされ、視線が集中して緊張した。それでテンパった部分も多々あると思う。
しかしそれ以上に、普通にボール遊びをするだけでも体の動かし方がイメージできず、周囲の真似をしようと見よう見まねで挑戦したら、一人で肉あやとりのように絡まってドテッと倒れていた僕には、
他の罰ゲーム対象者たちが順番に尻をフリフリしていく中、どうすれば尻文字が書けるのかがわからない、イメージできないという焦りが生まれていた。
どう動かせば空中に平仮名が書けるのかもわからないし、どうすればみんなのようにケツが振れるのかすら分からない。隣を見ても全然ピンとこない。
尻文字というのは、足は軽く開いて腰を落とし目に構えるだとか、ひざを使ってダイナミックにケツを動かすだとか、尻を突き出しても倒れないようにバランスを取るには上体を前に倒すといった、意外と全身の動きを連動させる必要がある動作になっている。
普通の人はただ尻で字を書けと言われただけである程度自然にできてしまうのだろう。
だが僕の場合は、そういった尻文字の書き方を、後にたまたま録画していたとんねるずの番組で尻文字をやっているのを見つけ、20回くらい繰り返しスロー再生して、上記のような気付いたことをノートに書き留めながら大真面目に観察、分析、練習して、ようやくできるようになったのであった。
ひとまず「ま」の横線はなんとか腰を左右に振って描いたものの(もっとも見ていた友人から言わせると、ケツではなく上半身が左右にブンブン振れていたらしい)、ケツを下げるために足を曲げるという発想が出てこなかったので、どうすればそのポジションからケツが下げられるのかがわからず、僕は完全にパニックに陥った。
しかしケツの下げ方がわからない。気持ちとしては下げようとしているし気合も入れているのだが、体のどこをどう動かし、どう力を入れればいいのかがまるでわかっていないので、下がれ、下がれと全身に力を入れてプルプル震えながら固まる。
しばらくそうしていると、恥ずかしがって動かない、と判断されて「〇〇ちゃんもやったのに!」と言われ始めた。
そうじゃないんだ、ただ、ケツをどうやって下げればいいかがわからないんだ……。
なんでみんなこんなことがサラっとできるんだ?尻文字なんて罰ゲームになったの初めてなのに……。
パニックになりながら、硬直状態を打開してケツを下げる勢いをつけるためには、一度ジャンプするしかないという判断に達した僕は、直立したままその場で真上にジャンプした。したつもりだった。
しかし、実際には前方に飛び出してしまっていたらしく、黒板に頭を強打し、落ちながらチョーク置きにアゴをひっかけて切り、着地に失敗して足をひねって崩れ落ち、アゴから血を出しながら恥ずかしさとあちこちの痛みで悶絶し泣き叫ぶこととなった。
尻文字をやれと言ったら、なぜか上半身をグネグネさせたあと黒板にダイブして頭をぶつけ、アゴから血を出しながら転げまわって泣くという予想外極まりない光景に、
主にはやし立てていた女子を中心にクラス内もプチパニックになってしまって先生も登場する運びとなり、女子たちからは後ほど謝罪を受けた。
頭にできたたんこぶを冷やしていたら泣きながら謝りに来た彼女たちに、違うんだ、僕はただケツの下げ方が、自分の体の動かし方がわからなかっただけなんだ……と伝えることは遂にできなかった。
さっき、『日立 世界ふしぎ発見!』で、黒柳徹子が解答に「桜」と答えていた。ちなみに正解。さすが。
「桜」の崩し字は、木編に「ツ」みたいな三本線の下は平仮名の「あ」みたいな字。
気になる人は「桜 崩し字」で検索してほしい。
書道とかは除いて、彼女の世代が、日常的に崩し字を書いていた最後の世代になる。
私たち(敢えて主語をでかくするぞ、体持ってくれよ!)は、崩し字というか草書の文化を失った。
筆記具は筆から鉛筆・ペンになり、縦書きから横書きへ。筆記から印刷へ。
日常的に漢字を崩したり、文字を連続して書くことは専門家以外にしなくなった。
大学などで習いはするから、読める。けれど、それを日常で書くことはない。
常用漢字という「崩し」で、はっきり楷書で書く時代に生きている。
楷書や常用漢字批判をしたいわけじゃない。回顧したいわけでもない。
重度の自閉症で、会話はもちろんできないし、年齢的には中学生だが平仮名を読むことも書くこともできない。
わめく、走る、泣く、叩く。主な表現はこのくらいだ。
犯人の思想は酷く偏ってるし、あんな事を平気で出来るなんて彼こそ人間ではないと思う。
犯人は重複障害者、と表現しているが、何か特定の障害を表しているのかもしれない。
ただ、「犯人の言っていることは100%おかしい」と言い切れない自分もいる。
自閉症の親族と過ごしていると、この子は何のために生まれたのだろうかと思うことがある。
人は勝手に生を授かるものなので、生まれた理由なんて誰にもないと言う人もいるだろう。
幸せを求めることすら間違っていると言われるかもしれない。
それでも、多くの人は日本語を使って会話する。
側にいる人が幸せだと表現している姿を見て、私はとても安心する。
表情や態度で伝わることもあるけれど、共通言語を使って意思疎通することで伝わる事は多い。
大切な人から聞く「嬉しい。幸せ。」という言葉だけで幸せになったりする。
多かれ少なかれみんな、放たれた言葉によって心揺さぶられた事はあるんじゃないかな。
どんなに表情豊かになっても、話せないという事実はとても悲しい。
分かってあげられることがとても少ないのは、側にいる親としてもとても悲しいはずだ。
果たして本人はどうなんだろうか。
何が楽しくて、何に悲しむんだろうか。
楽しいねって話せないもどかしさを感じたりするんだろうか。
私は親族だから常に側にいる訳ではないし、お盆と年末年始ぐらいしか会わない。
一緒に過ごす時間が少ないから理解できなくて苦しいのかもしれない。
それでも、理解しあえる手段が少ない中でずっと関係を続けていくのって
果たしてどう感じるんだろうね。
英語のアルファベットは簡単な形を26個覚えれば問題なく読めるし書けるのに、日本語は平仮名だけでもまず46ものややこしい形を覚えねばならず、さらに濁音半濁音拗音などいくつ覚えないといけないんだよと切れたくなるくらい覚える事が多い、しかもカタカナまであるのでこれらが倍になる。
それらを覚えても平仮名カタカナだけでは日本語は読めないし、平仮名カタカナだけの文は読みにくいので漢字を覚えなければならない。
漢字の形は死ぬほどややこしく膨大にあり、ほとんどの日本人は全ての漢字を読み書きする事は出来ない。
英語圏に比べて言語の習得に割かねばならない労力と時間が桁違いな上に世界には通用しない。
終戦後日本語を捨てて英語を使おうぜ的な主張があったらしいが、マジでそうしといてくれれば語学の勉強にここまで苦しまなくてすんだし日本人は今より国際社会に出れてたよ。
「6角形に直線を引いて三角形を」を読んで疑問に思ったことがある。
”頭の体操が解けなくて殺意を抱く理系の人々 - Togetterまとめ”
【頭の体操クイズ】 ”次の図(6角形)に直線を1本引いて三角形を2つ作りなさい。”
私はこの問題は Q「パンはパンでも空を飛ぶパンは?」A「フライパン」と同じレベルの「みんな知ってる、単なるなぞなぞ」だと思っていた。しかしそうは捉えられない人がいることに驚いた。
そこでみんなに聞きたい。次の二つの問題を見聞きしたことはある?
Q1.「この橋、渡るべからず」A.一休さん「端っこじゃなくて真ん中を渡ればセーフwww」(トラバより「このはしわたるべからず」と平仮名だったからその頓智が許された、とのことです。言われてみればそうでした)
Q2.「あなたはいま川の前にいます。ここから斜め向こうの、対岸から上流へ500m移動した地点へ渡りたいと思います。川に直角に橋を架ける場合、どのような橋を架ければ最短距離で渡れるでしょうか?」A.「幅500mの橋を架けて斜めに渡る」
二つとも知っていた人は、これらの問題に対して「いやそれは"橋"ではなくて"端"だろ。言葉の定義は正しく」だとか「幅500mの橋はすでに橋とは言えない。面である」なんて言わないと思う。
なぞなぞの"フライパン"という答えに対して「揚げるフライであって空飛ぶフライじゃねーし」とマジレスはしないはず。(”「直線」という言葉には「パン」ほどの曖昧さは許されない”という理屈はなるほどとは思ったけど「なぞなぞだからいーじゃん」という一言を覆せる力はないと思う)
「数学の問題」ではなくあくまで「頭の体操クイズ」と記載されている「(6角形)に直線を1本引いて三角形を2つ作りなさい」に対してマジレスしてる人たちは上記二つの問題も聞いたことがないの?一休さんだよ?
そうだとしたら、あの"頭のクイズ"が解けないというのも分からないではない。
ただ、私はこれらの問題は嘉門達夫の替え歌メドレーのごとく「どこから広まるのか謎だが、なぜか全国津々浦々の小学生に脈々と受け継がれている」レベルの話だと思っていた。
しかし、Toggetterやハテブを見る限り「この類の問題に生まれて初めて出会った」ように見える人が多数いる。
自分が常識だと思ってることが別に常識でもなんでもないなんてことは幾らでもあって当然なんだけど、それでも今回は平行宇宙の話かと思うくらい驚愕した。マジで知らなかったの?
『一般的に皇太子には「皇太子さま」というように「さま」をつけるが,なぜ天皇陛下には「さま」をつけないのか。
また,雅子さまについては,「皇太子妃」ではなく「雅子さま」と呼ぶのはなぜか。
資料2 共同通信社 編著『記者ハンドブック』共同通信社, 2010【816.07/10X/R】pp.602-603「皇室用語について」
「(前略)2 皇室に対する敬称として皇室典範では天皇、皇后、皇太后、太皇太后は「陛下」、それ以外の皇族は「殿下」とすると定めているが、記事上、「陛下」は天皇だけに使う。天皇、皇后と併記する際は「両陛下」とする。「殿下」はできるだけ使用せず、皇后や皇太子など皇族は「さま」を使う。(中略)[例]天皇陛下 天皇、皇后両陛下 皇后さま 秋篠宮さま 雅子さま 皇太子ご夫妻 秋篠宮ご一家(後略)」』
リファレンス共同データベース http://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000184144
『日本のマスコミのおかしなところは、他国の皇族や王室には「さま」呼びしないということです。
イギリス王妃をキャサリン妃と呼び、カンボジアの王族にはシハモニ殿下、ラナリット殿下と呼び、ブータン王室にはワンチュク国王とジェツン・ペマ王妃と呼びます。
しかし、日本の皇族には「さま」です。特に皇后陛下にまで「美智子さま」と呼ぶのです。
これを「親しみをもって」と言っていますが、日本の皇族だけに「さま」呼びしていることに悪意を感じます。』
http://ameblo.jp/sikihanana156/entry-12093235041.html
『謀社に抗議したところ、昔はどの新聞にもきちんと「殿下」をつけて書いてあったのですが、マスコミ各社が「開かれた皇室」ということで例の左翼系の謀新聞社が音頭をとって「殿下」という言い方をやめようと言う話になり、それがマスコミ各社の基準になった、と言うことでした。ところで宮内庁が「開かれた皇室」というスローガンを打ち出したのですか、という問いには、謀新聞社がリードして打ち出したので宮内庁は関係ない、と言うことでした。』
http://turumi-jinjya.blog.so-net.ne.jp/2012-07-08
『「雅子様」とは見出しにとっていない事実だ。「雅子さま」なんです。なんで、「様」でなくて「さま」なんだろう?平仮名の方が柔らかいってのがあるでしょうね。それに「様」というと、マスコミが標榜している「開かれた皇室」というのと、イメージが違ってくる。「さま」だと国民にちょっと近づいた感じを与える。』
鳥越俊太郎の「あのくさ こればい!」http://www.1101.com/torigoe/archive/2000-01-01.html
『「さま」とする敬称はマスコミが勝手に基準を設けているだけで、敬称は皇室典範で決まっています。マスコミは親しみやすく、わかりやすく、と言っているようですが、反面、伝統を壊し、皇室・皇族の権威を下げることに繋がっています。おそらくイデオロギー的なものが入っているのでしょう。一種のトリックです。ちゃんと子供の頃から本来の敬称を教えて、マスコミもちゃんと報道していれば誰でも自然に正しい敬称が使えるはずで、解りにくいとか、窮屈とか、親しみがどうとかそんな話ではないはずです。私自身、偏向マスコミと日教組に洗脳されて育った人間であり、スラスラでてこないため、文献で確認しながらこう書いている始末です。』
http://d.hatena.ne.jp/jjtaro_maru/20100221/1266717963
『共同通信が皇太子殿下から皇族方を「殿下」という言葉を退け、「様」呼ばわりするようになってから、各マスコミが右に倣えして、正しい敬称を使わなくなった状態の中、ついに天皇陛下の尊称である陛下と言う言葉までNHK の製作者は、秘かに削り、省略するような工作をし始めていたのである。』
その頃は、小学生だった。
お年玉でコツコツ貯めてきた小銭の山がある。
しっかりと小銭を10枚ずつ山を作りながら数えたので25000円以上あった。
正確な金額はもう覚えてないがデパートでスーパーファミコンが買える額である。
今思い出せば、お札を小銭と一緒に入れたのがダメだった。
窓口で女性行員に小銭の山+札を渡した。
その後、男性行員が両替機に小銭の山+札を運び流し込んだんだけど、お札が床に落ちてしまった。
男性行員が落ちたお札を拾ったと思えば、ズボンの左ポケットにそのお札をしまいやがったんだよ。
あの光景は今でも忘れない。
小学生の俺はそんなことを指摘することすら出来なかった。
手数料を引いたとしても25000円は残ったはずなのに18000円しかなかった。
購入するはずのスーパーファミコンも変えず気分が重かった。
イケハヤやらハセカラやらがネット流行っているらしい昨今、時代に先んじて
農業に憧れて、バブル期只中、脱サラし、地方に一家揃って在住させた男とその息子のその後の話。
確かうちの父が俺にとって一応の故郷、父にとって見知らぬ新天地へと旅立ったのは1988年だったとかいう。
おれはその頃4歳。詳細な記憶はないけれども、幼稚園児でなくなり、覚えた平仮名はマ行までにとどまった
ことははっきりと覚えている(ヤ行以下は小学校で習った)。そのせいか東京が知の先端であるという認識は消えない。
そんなわけで幼稚園のうさぎ組より全生徒の人数が少ない小学校にあがるまで俺は、
俺にとって単調な遊び場、父にとって夢が詰まった無限の大地で遊んでいた(ほっとかれていた)。
正直、少子化すぎて、田舎のガキ大将に目をつけられていじめられるとかもなく、
主にバッタ、セミ等、季節の虫が友達だった俺だったが、父は早速、村の連中にいじめられた。
果たして父に対するいじめが、村の人間の狭小さ故のものであったのかは判断に悩むところだ。
はっきりいって俺でもいきなり人口数百人もいない集落でいきなり東京の余所者がやってきたら
扱いに困る。しかも、父は時代を先取った痕跡を残すとかいって、変な雑誌の取材をよくいれて
いたので、余計に目立ったし、村の人は父が村に溶け込むつもりかもわからなかっただろう。
なんかだんだんめんどくさくなってきたので、結論からだけ書くと、俺が小学4年の時、
母が父の友達のライターが東京に帰るのについて行ってしまい、それっきりになった。
人というのは脆いもので、そうすると、父も実家の家業の手伝いとかいって、
村を出て、東京近郊に舞い戻ることになった。無論、家業は父の兄がしっかりと
継いでいたから、父にやることは特になく、俺が中学校に上がる頃には、
父は何をしているかわからない人になった。そして、それっきりで、
俺はというと、父の兄のおかげで、大学も出れて、今では父の兄の事業を任されている。
ま、本当に地方在住って父の人生に何も残さなかったのだなと、東京、地方、消耗
という言葉を聞くと思う。帰れる場所が東京近郊にある人にとって、地方は
本当にプライドをみたすだけの存在なんだろうとも思う。それが故に、それを満たせない
ものだと気づくとあっさりとそれを捨てられるのだろう。なんというのか、
うつ病の診断基準は何時ごろ日本で改正されたかは定かではないがDSM-IV-TRとICD-10基準になった
抑うつについて最も広く用いられる診断基準は、アメリカ精神医学会による精神障害の診断と統計マニュアル改訂4版(DSM-IV-TR)と、世界保健機関の疾病及び関連保健問題の国際統計分類(ICD-10)である。前者は米国および非ヨーロッパ諸国で多く用いられ、後者はヨーロッパで多く用いられる[81]。双方の製作はお互いに反映し合いながら行われている
非定型うつ病(新型うつ病)などという新しい病気まで認知されはじめこのままでは日本がうつ病患者で溢れかえってしまう。
インターネットでチャットをしてみても、自称精神病はたくさんいる。どうしてそこまで自分の病気を他者にアピールしてしまうのかそこにあるメリットとは?
身体障害者の漢字を身体障がい者と平仮名表記にする風潮がある。彼らは別に誰かに害を被っているわけではなく生きていく彼らには健常者と比べて生きていく上で困難を感じることが多いだろう、しかしそれは身体障害者が周りに害を齎すという意味ではないのにどうしてわざわざ平仮名にするのかさっぱりわからない。それに比べて精神障害者は実質他人に害をもたらしている。うつ病患者も不のオーラと不幸自慢をインターネット上で垂れ流している。うつ病の人間とコミュニケーションをとるだけで、こちらの生活もリズムも狂いかねない、何より脳みそが萎縮して自分の精神をコントロールできない人間と関わるのはこっち側の友人関係や精神状態まで悪い方に進んでいく。
脳機能障害なんていうけど全くもって健康で健全で幸せな私がうつ病の血液検査をしに病院に行く途中ものすごくブルーなことをずっと考えて行ったら二週間後に届いた結果は”うつ病”ほら誰でもうつ病になれるじゃないか。
誰だって不幸なことはあるし、石につまずいて膝を少し痛めただけで明日生きる気力を失ってしまう人も居れば両親を目の前で惨殺されてもへっちゃらで生きてる人間もいるかもしれない。なのに自分が世界で一番不幸みたいな口ぶりで「家族全員を失った」だの「恋人に裏切られた」だのとペラペラ不幸を語る、それも病気のひとつであり仕方のないことなのだと言われたらそれまでなのだけれど。
時々まとめサイトを延々と眺めてしまう時期が到来する。延々と読んでいると鬼女関連のスレを扱うまとめ記事の自主規制(?)ぶりがすごく目に付く。
管理人の自主規制ではなくブログ側のNGワードが厳しいのかもしれないし、元スレでそういう表記なのかもしれないが。
主に性的あるいは暴力的な表現を含む単語と、そういう単語に使われがちな漢字そのものの使用を必死に……必タヒに避けている。
久々に見たら相変わらず、というかどんどん規制されていっている気がするので一例を書いておく。
「性」「犯」「殺」「殴」……ブログによって分かれるが「◎」「※」「×」などで置き換えられる。「せい」「はん」と平仮名表記したり、「殺」を「刹」に置き換えるパターンも。
頻出する「可能性」「個性的」「確信犯」「犯人」等も当然一斉置換されていて若干読みづらい。「※る」を文脈から「殴る」「蹴る」はたまた全く違う言葉なのか推測する必要がある。
「下着」「ブラ」……最近見てびっくりしたのがこれ。「しtaぎ」「ぶra」 NGワードだかなんだか知らないが、平仮名にしただけでは足りず一部ローマ字で表記。
「ラブラブ」が「ラぶraブ」のように表記される。読みづらい。他に「せいsi」等。一斉置換なので間にスペースが入っているとそのままに。
■その他
投稿者のIDに「SM」等が紛れていると伏字になったり、「えすえむ」になったり。
書いてみたらあまり思いつかなかったので、詳しい方が補完してくれることを願います。
またこれが管理人による自主規制なのか、ブログ側が厳しくてそうしないと記事投稿できない仕様なのかご存知の方がおられればご教授願いたいです。