はてなキーワード: 大袈裟とは
近所でバイトすればいいじゃん、終わりって感じなんだよなぁ
男の引きこもりも同じだが…わざわざ分けて特集する意味もわからん
引きこもり嫌なら外に出ればええやん!!!!???!?!?!??!!!!???
冒頭10分で見るのやめたが
暇そうだし
まぁでもこういうのって人の人生の話だから私の人生とは何一つ関係なくて
人の人生にいちいち首を突っ込んであーだこーだいう無粋な人間になってしまうのが嫌だな
お絵描き作業用BGMに適当に録画したクローズアップ現代流しがちだとたまにこうなる
こーゆーとこにぺって吐き出してさっさと忘れてハッピーにお絵描きしよ
てかやっぱ主線は太めに描く方が絵が硬くならなくていい感じに見えるな
最近線細めになってた
なんか気付いたら細くなるんだよな
ブラシサイズ0.5以上を心がけよう
面白いバズりツイートが流れてきた時、正直嘘っぽいなと疑うんだけど、嘘「かもしれない」ならまあ面白いし気にしないことにしてる。
でもツイート主がリプ欄でAmazonアフィやnoteなどへ誘導とかしてると、あぁ…確実に嘘だな…と気づいてしまう。
こういう客呼ぶために嘘や大袈裟なツイートしてる人達が嫌いなので見つけた瞬間にブロックするようにはしてる。
でもこれが少なければ別にいいんだけど、体感的にはバズツイートの8, 9割がこれで本当うんざりする。
じゃあそういう「嘘八百系副業ツイッタラー」と無関係そうな日々の日常だけを呟いてる人のツイートを見ていればいいのかというと、それはそれでつまらないんだよな。
他人のフツーの日常生活なんて面白くもなんともないし(そして俺のツイートもこっち系なのであまり反応ももらえず)。
あとは芸能人や企業とかの公式アカウントをフォローするか?とも思ったけど
芸能人系は全く興味なし、企業系は最新製品を追いたいほど好きなものも無いのでこれも興味なし。
リツイートしたら◯◯名にプレゼント!みたいなキャンペーンのために以前フォローしてたこともあるけど当たらなすぎてそれはキッパリ止めた。
字汚いけど、本当にバランスが取れない
まず、文字ごとの大きさも統一させられない。文字ごとに形が異なるのにみんな同じくらいの大きさに揃えられるの職人技だろ
そして1つの文字の中でも斜めになったり線の長さが不均等になったりする
丁寧に書こうすると勢いが無くなるからぐにゃぐにゃした線ばかり(字が汚い奴はフリーハンドで真っ直ぐな線を引くことはできない)のふにゃふにゃした文字になる
俺は綺麗な文字は諦めて、とにかく可読性を上げるようにしてる。具体的には文字の特徴を大袈裟にしたり、大きく書いたりして汚いけど意思伝達の機能は果たせる文字を書くようにしてる。それと極力メールなどを使って文字を書かないようにしてる。
一応一通り書いたつもり。これで分かる?
何に必要なのですか
沢山の可能性というのか、能力が未知の子供達の脳の発達に必要なんじゃ?
これからどの道に進むのか分からない子供達の行く末に必要になるかもしれない、
若しくは、今はまだ開花していないが、何らかの学問を進める事でその道(例えば数学や物理)で
開花するかもしれない子供達の為に、高等教育に到達する前の準備として、
んー、言葉にしようとすると長たらしくなってめんどくさい。
多くの人達は、三角比とか三角関数とか、微積分なんて卒業したら使わないよ。
(俺は仕事で少々使ったけど、学問の範囲から言ったらそれは微々たるものだと思う。)
だからと言って学ばなくて良いものかといったら、そうではないと思うよ。
色んな人が可能性を持ってい居て、誰が数学に関心が有るとか、数学の方面で伸びるとか、誰にも分からないだろうし。
それに、脳みその発達の為にも色々な事を勉強する事で脳に刺激を与えることになって、発達が促進されるとか言われてなかったっけ。
同じ事ばかりやってても脳の発達は促進されないような事を言われてたと思う。
筋力トレーニングも同じようなもので、毎回同じようなトレーニングばかりしていると、
筋肉に対する刺激が少なくて、発達しにくくなるから違うメニューを取り入れるとか。
家の子は将来音楽家になりますから数学は不要です、という親がいたとしたら、その通りにさせてみたい。
他人と会話が出来ない。続かない。
とにかく自分は話下手で、思ったことを人に上手く伝えられない。
『意志を伝える』って、主張そのものだったり、そう感じた根拠だったり、あるいは話をわかりやすくするための例えだったりを順序立てて話すことだと思う。鶏肉とねぎを串打ちしてねぎまにする、みたいな。それが上手くいかない。自分が話したいことを文章化した結果、口から出力されたものは「肉肉肉ねぎいちご!」とかいうゲテモノだったりする。いちごって何だよ、って思うかもしれないけど本当にいちごが出てくる。「中まで火が通って甘くてトロトロの焼きねぎ」と言いたかったのに、咄嗟に言葉が出てこなくて、それが「いちご」になる。ゆっくり考えれば自分の思考に対して適切な表現が思い浮かぶんだろうけど、テンポのいい会話が求められている場面で、そんな悠長な沈黙が許されるはずもなく、結果、考えていることと微妙に関連しつつも違う概念が吐き出される。
だから自分が伝えたいことは、基本、自分の思っている通りに理解されない。相手の反応や返答を見て、「自分が言いたかったのはそういう意味じゃないんだけどなあ」と思うことは本当に多い。100%自分が悪い。でも訂正する気力もない。だってその訂正でさえ、上みたいなぐちゃぐちゃな文章になってしまうから。
こうなってくるともう諦めるしかない。で、ここで話すことをやめてしまうので、会話がぱったりと終わってしまう。これならまだいい方で、前提条件の説明が面倒な内容になってくると、もはや最初から話す気力もなくなる。どうせ喋ったところで相手を混乱させるだけだし。「結局、何が言いたかったの?」って詰られるのが怖い。詰られるは大袈裟にしても、自分が話し終わった後の、周囲の「?」という空気と苦笑いがきつい。
友達同士の会話ならまだいい。問題は大学の授業や就活のグループ面接でこれをやらかしたとき。論理性を欠いた意見なんか当然評価の最低値で、かといって最後まで沈黙を貫くのは「議論に参加する気ある?」と詰められる(そりゃそうだ)。別に人の話を聞いてないわけじゃなくて、頭の中ではちゃんと話題に対する自分の思考が形成されているし、「紙に記述して」と言われたら過不足なく文章化できる。話すことだけが上手くいかない。紙に書けるなら口でも喋れるだろって思うかもしれないけど、自分の中にある思考って靄状の不定形で不明瞭なイメージになっていて、文章だとそれに一番近い言葉が見つかるまで何度も選び直すことができる。でも口語だと言葉を選ぶのはその場その場の一瞬だから(加えて会話の途中で急に黙り込むのもよくない)、全体として話が破綻する。
擁護しようもなく自分が悪いんだけど、一方で本来の自分が適切に評価されてないという不満も感じていて、疲れてしまった。
本当どうしたらいいんだろう。
昔はここまで酷くなかったと思うんだけどなあ。
タキくんとかさあ、いくら中学生っつっても、電車ん中で話しかけてきた知らない人に「お前だれ?」とは言わねえでしょ
えっすみません、どなたですか?くらいになるじゃん
「あー、すみません、なんかあ、どっかで会ったことなかったですっけ?急にごめんなさいね」
まあ言ってたら実際すげー不快なんだろうとは思うよ 逆にそんなリアリティいらねーよ!ってなるのは目に見えている
しかし、こう、バランスとして、フィクションに寄りすぎてる気がすんだよなあ
全体としてはわりとそんな、全セリフが大袈裟でダメダメってことはなく、むしろ結構自然さを意識してる感じがするからこそ、要所要所の決めゼリフ的なところで、人間って通常こんな喋り方はしませェん!となってしまう
すみません、どこかで会ったことなかったですか?よかったらお名前をーーー くらいでいいじゃん
君の……名前は?
じゃねーんだよ
まず君って言わないって
いや俺は実際言うけど、それはけっこう親しい友達とかに対してであり、初対面の相手にはぜってえー言いません
そこなんだよな
常に語尾にピョンとか付けてたら逆にもうなんでも許せる
つい最近TwitterでボカロP的な人が「曲を聴いてもらいたいだけなのにイラストやら動画やらでお金がかかって大変だよ😭」というようなツイートをしていた.
それを見て次の2つのことを思った
1. 良い曲を投稿していればイラストや動画にお金をかけなくても(ある程度は)聴いてもらえるのでは?
2. ツイ主の本心としては"曲を聴いてもらいたい"というより"自分の曲を使ったMVがバズってほしい"なのでは?
そして最後に『3. MVと音楽は別物の創作物である』という個人的な主張について書く.
1. 良い曲を投稿していればイラストや動画に金をかけなくても(ある程度)聴いてもらえるのでは? について
まず前提として,各種の動画投稿サイト上で"曲自体に魅力はないがMVが良いから高い評価を得ている音楽"ってあるだろうか?
全く存在しないことはないだろうが,少なくとも私は知らない.
一方で,"MV自体が高い評価を得ていなくても曲は高い評価を得ている音楽"なら比較的たくさんあると思う.
なんならMVと言いながらもイラストや画像を載せているだけだったり,曲に合わせて音の波形のようなものがうねうね動くだけの動画でも良い曲というのはごまんとある.
こういった事情を考慮すると,自分が作った曲をたくさんの人に聴いてもらおうと思った時にMVが優れている必要はなく,ただ良い曲を作ることだけに注力した方がよくない?と言いたくなる.
もちろん,優れた曲を作った上で優れたMVが用意できれば,話題性が出てより多くの人に聴いてもらえるといったことはあるだろうが,それはMVが特段優れたものではなくても(もしくは,そもそもMVなんかなくても),ある程度の人に聴いてもらえるようなクオリティの曲を作れるようになってからでも遅くはないように思う.
むしろ,明らかに素人感丸出しの曲なのに,お金の力を借りてMVだけクオリティの高いものを用意しても,動画の視聴者はなんか違うな...となってしまうだけではないだろうか.
MVが曲の評価を高めるという側面はあれど,それはあくまでも曲そのものが魅力的である場合に限られると思う.
2. ツイ主の本心としては"曲を聴いてもらいたい"というより"自分の曲を使ったMVがバズってほしい"なのでは? について
最近のボカロ音楽は,音楽と動画のセットで話題になるという傾向が顕著である,というよりむしろMVがないけど話題になるような曲の方が少数派なのではないだろうか.
それゆえ,特に最近のボカロリスナーであればあるほど曲にはMVが付随しているのが当たり前であるという認識が一般的になっているように思われる.
そしてそれに伴って,ボカロ曲の作り手たるボカロPの創作欲求の源泉として,"作った曲を聴いてもらいたい"よりも"作った曲のMVを観てほしい"というものの占める割合が増えてきているのではないだろうか.
もちろん,純粋にボカロで曲を作ってそれを聴いてもらえることが第一であり,別にMVなんか必要ないという作り手も大勢いるだろうことは承知している.
しかし,仮にツイ主がそういった考えであれば,そもそもお金を払ってまでMV制作を依頼することにそこまで固執することはなかったのではないだろうか?
まず,前提として私は音楽をよく聴くが,MVを観ることはあまりない.
その理由を端的に言うと,私は音楽を聴きたいのであり,動画を観たいわけではないからというのに尽きる.
個人的な話だが,つい先日私の好きなバンドが数年ぶりのアルバムを発売するにあたり,YouTubeでそのアルバム内の1曲についてMVを公開した.
公開時にはアルバムはまだ発売されておらず,私は早くその曲を聴いてみたかったのでMVの動画を再生した.だが,あくまでMVを観てはいない.
その時はPCのブラウザでYouTubeを開いていたのだが,動画の再生ボタンを押した瞬間にブラウザから別のウィンドウに切り替えることで,あくまでMVは観ずに音楽を聴いただけであった.
こんなことをしていると,なぜそこまでしてMVを毛嫌いしているのかと言われそうだが,私はMVが嫌いなわけではない.
優れたMVを観て良いなぁと思うことも感動することもある.ただ,それは純粋に音楽を聴いて良いなぁと思ったり感動したりするのとは,情動の発生要因に違いがある.
具体的に言うと,MVを観ながら聴いた音楽には,その音楽についての印象に視覚情報が関わってくる.一方で,MVがなければ,音楽を聴いた時に及ぼすのは純粋にその音楽を聴くことで得られる聴覚情報のみである.(厳密に言えば音楽を聴いている時に目を開けていれば視覚情報はシャットアウトできないがそれは無視する)
それゆえ,私はMVを観ることによって,音楽を聴いたときのイメージに視覚情報が含まれてしまうことが嫌でMVを観なかったのだ.一般的に人間にとって視覚情報は聴覚情報よりも強い影響を及ぼすため,MVを観ながら音楽を聴けば,次に同じ音楽を聴いたとき,その音楽のイメージには少なからずMVの視覚情報から得られた印象が含まれているはずだ.私にとってはこれが好ましくないのだ.
音楽を聴いた時に音楽の全体的な印象として,または特定の音色に関してそこに色彩感覚を知覚する"共感覚"というものがあるらしい.例えば「この音は薄い紫色」だとか「この音楽は白っぽい感じがする」だとか.
私はこの共感覚を持っているとは言えないが,でも曲の中にはなんとなく,本当になんとなくだが色彩感覚であったり,風景(薄い緑色の草原の中を風が吹き抜けている様子だったり,石畳の歩道や教会のある中世の街並みをセピア色のフィルターを通して見た景色だったり)を連想したりするものがある.
これは本当にボンヤリとしたものであって真に共感覚を持っている人の感じ方とは全く異なるものだと考えている.しかし,ボンヤリとした形であれ,音楽という聴覚情報から視覚情報が想起されるという人は自分以外にも少なからず存在するものだと思っている.(具体的な根拠はないですが...)
このような,音楽を聴いた時に何らかの視覚情報が想起されるというのが私が音楽を聴くことが好きな要因の一つであり,また私の好きな音楽というのは,聴いた時に頭の中にイメージや風景が浮かぶものが多い.こういった感性を持っている人がいたら多分共感してもらえると思うが,MVを観て音楽を聴いてしまえば,その音楽の色やイメージのようなものは間違いなくMVで使われていた色やイメージにひきづられてしまう.
つまり,MVを観ることによって,MVを観ることによって得られる視覚情報からの楽しさが得られる代わりと言っては何だが,今後そのMVの曲を聴いたときのイメージが視覚情報から得られたイメージに大きく影響を受けるという代償を負っているとも言える.少し大袈裟な言い方な気もするが,事実である.
よって,私にとってMVというのは視覚と聴覚の両方を同時に刺激する存在であり,音楽というよりはアニメや映画といったものに近い創作物であるという印象がある.
例えば,映画と音楽という創作物について考えてみると,音楽は映画を構成する一部分ではあるが,これら2つの創作物を同じ土俵で評価・議論したりするのは違和感があるだろう.
それと同様に,MVと音楽という創作物もそもそも別種のものと捉え,区別するのがより自然な見方ではないかと考える.
にも関わらず,現状では多くの人がMVと音楽というものをあまり区別することなく,「音楽の良し悪しや評価 = そのMVの良し悪しや評価」と考える人が多いように思えて違和感を感じている.
自転車でその男児の自宅周辺をずっとグルグル走り回るだけという、自分が同じ年頃の時期を思い出しても何が面白いのかさっぱり分からない遊びをしている。
まあ近隣に大した公園なんかもないから自宅周りで遊ぶのは仕方ないのかもしれないとは思っているのだけど、走り回るスピードが結構早いのと走り回りながら「ウゥ〜!」といった奇妙な叫び声をあげるのが危ないやら騒がしいやらで正直困っている。
それらの行為とは別に一番鬱陶しく思うのが、その男児が自転車でウィリーをする姿を見せつけてくることだ。見せつけてくるというと大袈裟に聞こえるかもしれないが、たとえばこちらが買い物から帰宅して駐車場で車から荷物を降ろしたりしていると、そこらを走り回っていたはずの男児はなぜかうちの前に来てウィリーを繰り返してくる。時折ちらっとこちらを伺うような様子があるので、多分意図的にうちの前に来てやってるのだと思う。男児がどのような反応を期待しているかは分からないけど、はっきり言って鬱陶しい以外の何物でもない。構ってほしいなら家族か友達相手にやってほしい。
男児が小学生だから変な遊びしてるで済ませる話だとは思うし、近所の人とトラブルに……とかも面倒だからわざわざその男児の親に話したりはしてない。というか近隣住人ってだけで、これといった交流もないから関わりたくもない。変なことする子供って親もこっちとは普通の基準が違ってたりするし。
でも大人だったら自転車で近隣をグルグル走り回って特筆するような交流もない他人の家の前で住人の反応を伺うようにウィリーを繰り返していたら確実に不審者だよな〜子供だからまあ……ってなるだけでさあ〜とも思う。
英語圏の友達を作るために始めたんだけど、日本語でもかなりのメッセージが来る。
殆どが「会おう」とか「何カップ?」とか「パンツ見せて」とかなんだけど、その中でたまたま丁寧な挨拶と自己紹介を書いたものがあり、やり取りする様になった。
3ヶ月くらいダラダラやり取りする中で、向こうが二十代の社会人でこれまで彼女がいなかったということを知った。そのことで捻くれた発言や自己卑下をすることもあったが、基本は優しい人だった。
ある日何気ないメッセージから写真の交換をした。とても可愛いと大袈裟に褒めてくれて良い気分になった。向こうの写真を見ると、たしかにイケメンではないが、とても「ブサイクで一生彼女ができないレベル」には見えなかった。「全然ブサイクじゃないじゃん」と言ったら「じゃあ俺とキスとかできる?」と言われたので「できるよ」と答えた。
その時はそのまま話が変わったが、その後またふとした会話がきっかけでLINEを交換することになり、実際に会うことになった。
向こうはかなりおどおどしていたが、実際に優しい人で一緒に買い物したりご飯を食べるうちに打ち解けた。そしてそのあと、私の部屋に誘いそこでセックスした。私がリードしてセックスは無事終わった。
あの時、彼は「〇〇のお陰で自信が持てた。ありがとう」と言っていた。しかし、実際には私もそれが初めてのセックスだった。ネットで色々調べたり女性向けAVとか見ながら事前に予習し、内心心臓バクバクでガチガチになりながらセックスしていた。
自信をもらったのは私の方です。
1.元の統計の性質から専業主婦やニートなど完全に働いてないやつ、65歳以上の年寄りはカウントしていない
こいつらをこき使えばまだまだ労働力を絞り出せるぞ
3.時間に換算すると有償無償合わせて1日8時間程度の労働なので普通。限界(笑)
結論を言うと、いつものまーん特有の大袈裟な女性大変アピールにすぎない
統計持ち出すならちゃんと主張を裏打ちする適切なデータか調べてから持ち出せよな
そもそもまーんは旦那の両親と同居は嫌だとかワガママ言って核家族化を推し進めて置きながら
昔から家全体で分担していた育児を、両親だけでやるのだから大変になるに決まっている
更に、女性は家事とかで既に限界(笑)なので労働力が足りない。