はてなキーワード: 堆肥とは
結論を言えばそういうグッズ(給水くんみたいなやつのことだよな?)もアリだが真夏だと水不足になると思われ。
まず枯れ方を観察するんだ。
萎れて枯れてるか?
もっと水をやれって話だが、そもそも論として鉢が小さい可能性もある。
鉢が小さい=土が少ない=鉢全体の保水量が少ない=水やりが追い付かず枯れる。
植物の大きさにもよるが、目安として高さ50㎝以内なら5号鉢以上、1m以内なら7号鉢以上に植え付ける方が良い。
植え付けの仕方はググれ。
なお基本的に店売りの観葉植物は小さい鉢に植えられているため、買った後にデカいサイズの鉢への植え替え必須と思っておく方が良い。
土が悪い。その辺で拾った土使ったりしてないだろうな?
その辺で拾った土を使いたいなら、殺菌して堆肥か腐葉土(要するに有機物)と混ぜる作業必須。
初心者にはお勧めできないし、結局堆肥を買わなきゃならんので、だったら園芸用土を買う方が楽。
頑張れ。
購入自体は随分前なので、正確には【使ってみてよかったもの】だが。
購入したものの、とりあえず庭にコンポストあるし台所に置く場所確保するの面倒だし屋外設置は劣化早くて嫌だし
で、梱包の段ボールに入ったまま長年放置されてた生ゴミ処理機。
一方のコンポスト、生ゴミ投入さえすれば勝手に堆肥が生成されるわけではなく、小まめな手入れが必要で。
上手く活用出来ていなかったこともあり、じゃあ生ゴミ処理機使ってみるかと。
生ゴミ処理機、実際使ってみると生ゴミの体積減少っぷりが凄いな。
いや知識として知ってはいたがここまでとは。自治体が購入補助金出すのも納得だわ。
なにかというと弱者の救済は自分も弱者になる可能性もあるし倫理的に情操教育とか人権的にという話になりがちだが
実際のところ強者が弱者に転落することなんてそんなにあるわけでもないし、いざそうなったときにさあ福祉だという待遇もない
いいことなのかそうでもないのか、やさしさや余裕なのかという話でそれぞれの価値観と感情を結び付けて答えを都度はぐらかしているけど
すこし余計な話をはさむが
先般炎上した不要とかいう話は特にそうだが感情というのは情報が人間に直接接触して産まれてくるもので それをもとに行動をすると
直情的で短絡的な結果にいきつく
それはその場は気持ち的に解決するので気持ちがいいものだが後から大きくリボで積み重ねた歪みが清算にやってくる
あとでその支払いタイミングになったところで最初の問題発生時と解決が不十分だったから新たに問題が維持されていたことはさておいて
取引や法制度で感情をはさまないように文章化するのと晃かな基準で条件を交換するのはその無駄を省くためだ
まず局面的にホームレス個人をみて一般人個人の感想としてというのは最終的なところまで置いておいてほしい
まず感覚でどう思うか、それが大事だという呼びかけこそが炎上を招きより小さいコストで大きく問題を解決する邪魔になる
炎上商法はその非効率を用いてなにが儲かるのかというと 非効率で手間がかかりその場で不満が生じるそこに商品をもってくるのだ
日照りで乾燥して喉が渇いた状態をつくって 冷やした水をもってくるのと同じ
冷たい水で元気になって 取り組むやる気を伸ばした後で日照り対策をしよう なんて順番は「炎上させられた側だけ」の都合で
炎上によって問題が発生した当事者や対象は感情で乾燥を抱いている外野とは関係なく状況が進行している
福祉はやさしさや思いやりで行っているわけではない
不要で迷惑なやつらを処分するのに一番効率がいいのは それを邪魔だと思っている側に取り込んでしまうことだ
これが生活と完全に切り離された不要なものだとすると 捨てるだろう
その辺にポイ捨てしてるのがなくならない理由 そのへんにゴミをすてるのが無くならない理由
家庭内でリサイクルしたり継続して利用できるものであればどうだろうか
ブランドものを購入したときの持ち帰り用の紙袋は 電気屋でもらう紙袋やコンビニの袋と同じ扱いだろうか
使いでがあるのでゴミにならずに済んでいる
堆肥として利用可能な生ごみや 燃料として利用可能 造形物などの作品に利用可能であったり素材としてつかえるもの
または買い取り手があり売れるもの 引き取りてがあるものはその辺にポイ捨てするだろうか
不要だと切り分けることによって社会としてはそれに対処するコストが発生する
ゴミの回収や収集 処分といった作業に人手が使われることにコストが発生する
これを捨てずに済むようにつかえば コストはぐっと押さえられるだろう
全国民を確認しその中で適切な処理として 処分を割り出す必要がある
これは単純に国が二つになるくらいにコストがかかるのではないだろうか
次に不要であることが確実だと判明したあとの人間の処遇が必要になる
不要であれば即座に廃棄しないと問題が発生することは明らかである
それだけでもコストが大きいけれども そんな処分が追いつくはずもない
であれば一旦確保しておく必要があるがその安全の維持と管理機能には
健全な人間の何倍もコストがかかる 規律を守らず常識では考えられない行動をし
倫理観もなく行動する人間が健康な人間より低いコストで管理できるわけがない
済む場所を分断し貧民街と富裕層で分けるように壁をつくればよいかもしれないが
そういった文化の国は多くある
結果は見ての通りだ
富裕層は貧民からの一斉蜂起に怯えながら貧民層は国益をただ引き下げながら生活し
一向に埋まらない溝を維持管理しつづけるためにコストを払い続けることになる
社会的機能を利用することができて最低限の生活を選択することができ
かつ常軌を逸した行動で利益や生命を守ったりする必要がなくなる
社会として管理されている範疇に 常識的な低層者とあわせて近いほぼ同じ扱いの延長で
対応することができる
飼い犬の維持には金が掛かるが 山に放たれた野生の犬を社会と接点のある部分について
ホームレスが感情的にイヤなものなので 目の前からきえてほしい という感情をもって
不要なものこそ排除や処分といった 存在について等価なコストを支払い快感を得ようとする
無駄な富裕層の遊びみたいなものに踊らされ消費を促されるより前に
不要なものこそ捨てずに取り込み利用することができれば 収入や元手が少なくとも
より大きな利益に繋がることを見据えてほしい
倫理が常識が人権が というところで思考を停止して反論したり直情的にポリコレであれば殴っていい棒だと
一旦ホームレスは汚くて気持ち悪いから不要で殺してもいい と思考実験してみてほしい
たしかに禁忌でおぞましい話でそんなこと考えるべきでも話すべきでもないと思うが
その上で それがいかに無駄なことか 嫌悪し反発するより取り込み遠ざけるほうが
いかに効率的で安全で 管理下にあり感情的にロスを少なくすることができるか
そのプロセスを全員が触れることができる自由があることこそかなり稀有な平和と安全のある日本ならではのメリットだろう
汚い嫌だ不要だきもちわるい それを排除しようとすることこそコストが増大し
その増大したコストと手間につけ入って 本来不要なプロセスや商品を割り込ませてくる
夏野菜育ててる。
トマトは育てたこともあるけど、筋張るので育てずスーパーで買うことにした。
今年はプランターで育てている分については土も鉢も入れ替えることにした。
きゅうりが毎年うどんこ病になるんだけど、これってどうしたらいいの?
ナスが昨年は立枯病になった。
土壌消毒したらよかったんだろうけど、気がついたら植え付け適期になっていたので、姑息な手段を取ってみることにした。
珪酸塩白土とゼオライトを投入し、あとは腐葉土と牛糞堆肥を入れた。
そしたら、マリーゴールドの葉っぱ食べられまくっててどうしたらいいかわからん。
教えて詳しい人。
https://b.hatena.ne.jp/entry/4700975005177983234/comment/turnriv01
一夫多妻とシングルマザー支援で少子化は解決。独身男性税で財源確保。高齢弱者男性は安楽死。弱者を殺せば問題は解決するのに、強者男性たちは何を迷っているんだろう?
https://b.hatena.ne.jp/entry/4700974277180730850/comment/turnriv01
増田にも似たような憎悪表現、侮蔑表現が数多く投稿されていますが、そちらには通報窓口がないので放置するしかありません。
何かしらの共通した思想を持っているとみなされ、ネット上で「憎悪を向けるべき存在」として抽象化され、誰かのストレスのはけ口のように扱われる。そういった状況を終わらせたいだけなんです。
スズメバチは一年間のサイクルを繰り返す。つまり、女王が生まれ、女王が巣を作り、滅びる。これを繰り返すのである。
いやしかし滅びるってなんなんすかという話であって、勿論字義通りスズメバチの巣は最終的に滅びるんですけど、その時に一体何が起こってるのかについてはあんまりよく知らない人もたくさんいると思うわけです。実際のところ、スズメバチの巣が滅ぶ際には色々常識を超えた現象が起こっています。
女王蜂が巣を作り始めるのは四月とか春の時期で、まあ色々とその時にも障害があります。そもそもきちんと巣を作ってコロニーを形成できる女王は複数いる女王の内の数%程度に過ぎないという説もあるくらいで、巣作りが失敗する理由としては、例えば純粋に病気とか栄養不足のほか、天敵に狙われてしまう場合など色々あります。原理的にコロニーを形成したスズメバチには殆ど天敵はいないのですが、つまりは翻って言うならば、彼(女)らの天敵になり得る存在はスズメバチ自身です。
面白い生き物がいまして、これをチャイロスズメバチと言います。
チャイロスズメバチの女王は基本的に自分で巣を作らずに、他の巣を作ろうとしているスズメバチの女王を襲い、巣を乗っ取ることによって勢力を持つのです。チャイロスズメバチはキチン質の硬い表皮(カブトムシなどと同質)を持っており、よほどのことが無ければ他種のスズメバチの毒針はチャイロスズメバチの表皮を貫通しません。勿論その他の噛みつき攻撃などにも耐性があるので、少数の例外はあれどチャイロスズメバチの女王はなんなく他の女王から作りかけの巣を乗っ取り、あげく成長した働き蜂をフェロモンで支配してその後の巣の運営の為に馬車馬のごとくコキ使ったりするのです。怖いですね。
いずれにせよ色々な障害のために巣作りが失敗することもあるのですが、上手く発展の軌道に乗る巣も当然存在しています。で、そういう巣は爆発的に発展して人間の目の敵になったりするんですけれど、上手くいけばその巣は十月頃まで発展します。逆に言えば、十月が彼らの滅びの始まりとなるのです。
秋から冬にかけて純粋にスズメバチの食物がなくなるので巣は滅びへと向かいます。その過程では女王殺しが行われる場合もあります。
女王は年老いてくると新しい女王に据え替えられる場合もあり、その際に働き蜂から追放され、悪ければアレされます。この女王殺しが起こる条件には色々あるようなのですが、一説には遺伝子的多様性の確保のために女王殺しが行われるそうです。つまり、複数の女王の血統からなるコロニーでは女王殺しが行われないのに対し、単一の女王の血統のみからなるコロニーにおいては女王殺しが起こりやすいのだそうなのです。どうやら、単一の女王のみが働き蜂を産み育てることで、遺伝子的多様性が崩壊するのを恐れる傾向が、働き蜂にはあるのですね。子の心親知らずというか。逆に言えば、遺伝子的多様性が担保されている場合にはある程度円満にコロニーは運営されます。
いずれにせよ冬に掛けていかなるスズメバチの巣も滅びへと向かいます。基本的には、その際に生き残るのは新しい女王蜂のみです。この新女王蜂は木の虚とか比較的越冬しやすい場所で来春までの時を過ごします。翻って言うならば、そのような女王としての素質を持っていない働き蜂は皆滅ぶことになるということです。
ここで疑問を持つ方もいるかもしれません。つまり、女王蜂と同じように働き蜂も越冬すればええやんけという話です。何なら女王が木の虚とか堆肥とかそのテの越冬しやすい場所で年を越せるのであれば、コロニー内の風通しの少ない場所で働き蜂らもある程度なら越冬できるはずなのです。しかし、そこがこのシステムのミソで、要するに新女王を除いて全ては滅びるようになっています。
スズメバチは社会性昆虫なので、一度コロニーを形成してしまえば基本的に大型の猛禽やクマなどの肉食動物を除いて天敵が存在しなくなります。例えばオニヤンマやシオヤアブ、雀などの鳥類が一時的にスズメバチを打倒できるとしても、数百匹の群れを成すスズメバチに対抗できる動物はさほど多くありません。つまり、繰り返すように基本的にスズメバチにとって天敵は存在しないのです。
となれば、何故スズメバチの個体数はそれほど増加せずに、ある一定の値を保ち続けているのだろう――そういった疑問を持つ方もいるかもしれません。勿論、季節のサイクルにおいてスズメバチの生存が難しくなることは先述の通りなのですが、女王蜂が越冬できる事実から言って、他の働き蜂が皆滅びる運命にしかないと断じてしまうことには些か違和感を持つ方もいるかもしれません。女王が生き残れるのであれば、全体とは言わずとも一部であれば来春まで越冬する働き蜂もいるんじゃねえのという話です。
とは言え、それは現実には殆ど起こりません。全く起こらないというわけではないのですが、まずもって起こらないのです。
それは、スズメバチの一生のサイクルには死というシステムが組み込まれてあるからです。
次に話すのは周知の事実ですが、基本的に子孫を成すのは女王だけで、一般の働き蜂は子孫を成すことができません。当然交尾のための行動も行わないのです。何故ならば、彼女たちは女王の分泌するフェロモンによって生殖能力を制限されているからなのです。女王の持つ権能はそれほどまでに及びます。
しかし、女王もまた定命のものです。時を経れば経るほどに、その肉体的な能力は弱体化します。つまり、その際には女王の出すフェロモンの分泌能力にも翳りが生まれるのです。
女王の出すフェロモンには色々な種類があって、まずは先述の生殖能力を制限する目的のもの、それから、働き蜂らを統制するためのフェロモンです。彼女らが何故馬車馬のようにあくせく文句も言わず働いているかと言えば、女王の出すフェロモンが彼女らを統制しているからに他ならないのです。では、そのフェロモンを出す能力に翳りが生まれるとどうなるのでしょう?
そう、スズメバチの巣には内乱が起こります。巣の内部にいる働き蜂は、万民の万民に対する闘争状態さながらに攻撃を開始します。その攻撃の対象は、女王、幼虫、蛹、全てに及び、そこに見境などありません。彼女らは暴走し、一切を食い尽くし、全てを破壊していきます。新女王蜂だけが先見性を持ち、その内乱から脱出し次の巣を作るという使命を持って行動することができるのです。つまり、スズメバチの巣においては、仮に気候条件が彼らの味方をしようとも、女王のフェロモンの効果が薄れるにつれて必ずや内乱が起こるようになっているのです。そのため、彼らは気候条件の云々によらず、必ず滅びる運命にあるということなのです。
そんなこんなで、彼らは新女王を除いて滅びます。その血統のレースは一時中断し、新女王が次のコロニーの制作に低確率で成功するまでは、その成否は保留されることになるのです。
スズメバチは基本的に世界最強のハチであり、さしたる天敵さえも持っていません。それにも関わらず彼らがその個体数を爆発的に増加させないのには、そのような理由があったのです。言わば、彼らの生命サイクルには、内乱と死が含まれているのです。その死が彼らのシステムに含まれていることによって、その個体数は増加せずに済んでいると言えるかもしれません。
以下の文章は私見となるのですが、あるいはこれは自然の生態系というシステムが破綻を来さないために設けた、一つの安全装置のような気がします。ある種の強大過ぎる種類が個体数を増やしすぎないという、生態系に必要な機能のコア部分が、スズメバチの生態というシステムには凝縮されているように思えるのです。
懐かしいな。実家の周りも昭和50年代初めまでは舗装されていなかった。
家は近所でも一番最後まで五右衛門風呂が残っていて、なんと昭和63年まで現役だった。近所の大工さんやってる家から薪を分けてもらって、祖父が薪割りして釜にくべてお風呂を沸かしてくれた。夕方、家の中は燻されたような匂いでいっぱいになった。途中で湯がぬるくなったら大声で呼んで、父か祖父が追い焚きをしてくれた。
当時はまだ男にも家事の割り当てがあった。
祖父は夕方になったら家中のゴミ箱からごみを集めて焼却炉で燃やす(禁止されていなかった)。生ゴミは堆肥用に。回収日に金属ごみを出しに行くのも天ぷら油の処理も祖父の仕事だった。
小さな畑と田んぼしかなかったので農業での現金収入はないが、家族が食べるぶんの野菜を育てるのも祖父の仕事だった。それから農具の手入れも庭仕事も。
祖母の家事分担は私と妹の子守り、自分と祖父のぶんの洗濯と掃除。父と母が勤めに出た後、全員の茶碗洗ってくれるのも祖母だった。午後みんなの洗濯物を取り込んで畳むのも祖母。料理は苦手だったので主に母が作った。祖母はあと内職の仕事をしていた。その間子供は子供同士勝手に遊ぶかひとり遊び。大人に遊び相手をしてもらった記憶はあまりない。宿題も見てもらってなくて、一人で適当にやってた。
母が1番働いていて、朝起きたら田舎の広い家の掃除と食事の支度、夕方は6時ごろに帰ってきて、また食事の支度と洗濯。洗濯物は納屋の一角に干す。
祖父が元気だった頃は父はあまり家事はしていなかったな。子どもたちにとってはただただ口うるさい父であった。
両親は共働きだった。北陸では珍しいことではなくて、祖父母もその昔は共働きだった。祖母は母が嫁いでくるくらいまでは工場で事務員の仕事をしていた。
というか、私は小さい頃、専業主婦なんてサザエさんやドラえもんみたいな架空の話の中でしか見たことがなかった。
近所はみんな三世帯同居で、両親共働き。地区にはアパートなんて洒落たものもなかったし、親と同居せずに夫婦だけで住む場合はもっと町中の便利なところに居を構えたからかなあと思う。
もし万が一専業主婦がいたら、働かない嫁って言われそうだな。いなかったけど。
そういえば家の電話が親子電話?っていうやつで、たまに受話器を耳に当てると、近所のおばちゃんの話し声が聞こえたんだけど、あれなんだったんだろ。
あと昭和の思い出で覚えてること、、駅の近くの踏切は、横に詰所みたいのがあって、国鉄の人が手動で安全確認して遮断機を上げ下げしていた。
蛍がたくさんいた。
明治生まれの曽祖母は洋服じゃなくて着物を着ていた。志村けんがコントで着ていたみたいなやつ。曽祖母は自宅で療養していて自宅の畳の上で亡くなった。曽祖母が亡くなった時、家に大工さんが来て金ぴかの祭壇を作ってくれて、自宅で葬式をした。
平成の初め頃まで土曜日半ドンだった。私は高校卒業まで土曜日も学校行ってたな。休みがなさすぎる。
週休1日だった代わりに両親ともバブル前は定時で仕事を終えて帰ってきてたな。夏場なんて明るいうちに家に着いてた。それだけは羨ましい。
でたよ!堆肥になってないのにクソ山わざわざホジクリ返すやつー!
というか真っ先に批判されとるところやろ
ちょっとググっただけで出てくるわ
http://yama-yaku.or.jp/gakuyaku/houkoku/201009203.pdf
近年学校現場では、様々な目的や用途でEM菌(有用微生物群)が使用されてきた。EM菌は約20年前に、農業の分野での利用を主体とし土壌改良等を目的に研究され、利用範囲が拡がっていった。インターネットの普及とも重なり、当初のプール清掃時の使用から始まり 様々な応用事例がネットに紹介されて、学校でも環境教育の教材としても使われる様になっていった。最近では石鹸、健康食品にまで及ぶ。その一方、否定的見解や効果を疑う意見も 見受けられはじめた。使用法が好ましくないとして 他県で規制が行われたりもしている。それを受けて、山口県下の学校現場での EM菌の使用の実態を知るべく、実態調査を行った。
https://wezz-y.com/archives/53286
上述のサイトを見ればわかるように、EM菌は南知多町だけではなく、全国の自治体で利用されている。さらに国会でもEM菌の推進を提唱していた議員がいたようだ。
海外での事例もぎょうさん出てくるで
https://www.em-seikatsu.co.jp/enjoy/category/detail.php?id=231
タイの大地とEMが出会ったのは30年以上前のこと。人も大地も健康で豊かになる理想の農業。
タイの人々によってEMが大切に育てられ、信じられないほど多くの笑顔を生み出すことになろうとは、いったい誰が想像できたでしょう。
http://open_jicareport.jica.go.jp/pdf/12268058.pdf
コンポンチャム州プレイチョール地区ではJICA草の根事業を行っており、その地区で農業を行っている農家数軒(村長含む)にヒアリングを行った。各農家に生ごみや糞尿を使った堆肥を製造しており、製造過程でEM菌を混合して堆肥化を行っている。EM菌は「カ」国で近年人気となり、堆肥の状態が良くなるということで、利用が進んでいる。