はてなキーワード: 品評会とは
全国菓子大博覧会(ぜんこくかしだいはくらんかい)は日本の地方博覧会のひとつで、和菓子を中心に、洋菓子・スナック菓子等も
含めた日本最大の菓子業界の展示会である。全国菓子工業組合連合会(全菓連)などが主催している。
1911年(明治44年)、東京府東京市赤坂区溜池町(現・東京都港区赤坂)で、第1回「帝国菓子飴大品評会」が行われたのが始まりと
されている。第3回から第9回までは「全国菓子飴大品評会」、第10回から「全国菓子大博覧会」の名称を使用している。
開催間隔は不定期であり、第二次世界大戦から戦後占領期にかけて13年余りの中断期もあった。
前日の飲み会に比べて疲れたな。って感じたのは自宅で大学同級生と飲んだのと違って,
名古屋までJR使って足を延ばしたからかな。なんて考えながら帰ってきて,
夜中に酒による吐き気で起きた時に,気づいてしまったから書き残しておく。
高校の同級生と合うのはたぶん5年ぶり。31歳。結構あっていなかった。
高校時代,とても仲が良かったし,5年前までは毎年のようにあっていたので自分でも今年誘われたとき,
なんで5年も空いたのだろうか。と不思議だった。
メンバーは医師,某ビール会社の開発(肩書き付),トヨタの完全子会社のなんか出世が約束されたとこ。
世間的にみたらいわゆる受験戦争の勝ち組。医者以外は国立大(院)卒。
給料も手取りで1千万とか,ちょっと足りないぐらいだとか言ってた。
今年は4,5回海外旅行いって,元旦からもカンボジアに旅行に行ってくる。とか,
新しい車を2回ほど買い換えた。とか,今の日本の景気状況と比べたら別世界のような話をしていた。
でもなんか違和感があった。
石に刻まれた絵画,歴史,モチーフ。その壮大さに腰が抜けるかと思った。
シャムリアップの人々の生活は豊かではなかったが,良く笑っていた。
だまして売りつけるという空気感は無く,ラオスに通じるおおらかさを見た。
展示物を見た後に飯がのどを通らず,
うざい声かけしてくるおっさんタクシードライバーも,この戦争を乗り越えたんだと思ったら,
涙がでるかと思うぐらい,愛おしかった。
でも,そんな話は昨日の飲み会では通じなかった。
自分が行った時の話をさえぎり,俺もその場所に旅行したことある。で,どこのホテルに泊まったの。と別の彼は言った。
でも,家のマットレスを40万の良いものに変えたらどこの高級ホテルでも寝られない。といって話は違うところへいった。
どこに行ったのか。何を食べたのか。どこに泊まったのか。そのホテルの格は何か。どんな女を買ったのか。
いくらつかったのか。
どんな贅沢をしたのか。
すべての話は結局そこに落ち着いた。
結婚式を挙げるホテルはマリオット,ヒルトン,ウェスティン。どこが良いかな。
共働きの夫婦だから夕飯にいつも困って,こんな高いものを食べたよ。
でかい4Kテレビを買って,見るものないからyoutubeでスロットの解説動画をみてるよ。
どうでも良いことで悩んでいるんだな。と思って聞いていた。
でも,さっき気づいた。この話はすべて品評会だったんだと。
俺は他の男と違ってこんな金のかけかたができる。
こんなにも裕福になった。贅沢ができる。で,お前はどうなの?そう聞かれていた。
できない嫉妬なのだろうか。いや,絶対に違う。それぞれはしたければできない贅沢ではない。全部は無理だけど。
自分を羨ましがってもらって,自分のしてきたことは正しいことなんだ。
自分の経験値は間違っていないんだと正当化して欲しいだけなんだ。
東大で過ごした博士課程の3年間。とうぜん周りの人間は東大生ばかり。
でも博士課程に進学するだけあって,あまり,分かり易い欲が見えなかった。
でも,こんな経験がしたい。これが見たい。これが食べたい。これが知りたい。
そんな純粋な自分の欲求をみたすために,全員のベクトルは異なっていたが,貪欲だった。全力だった。
いわゆるマッドサイエンティスト的な雰囲気がそこにはあった。最高だった。
ベクトルが自分と違うから見えにくいだけで,そこには確実に,なるべき自分をそれぞれに持っていた。
高校・大学時代に勉強しておいてよかった。と昨日の彼らは言っていた。
いや違う。君らは何も先人たちの英知を学べてはいない。
ただ,学歴を勝ち取って,そこを卒業し,資格を取り,お金という対価を比較的短い時間と交換できるようになっただけだ。
今,自分が何をしたくて,どう行動して,世界にとって必要なものは何か。何も考えていない。
君たちの言う学問とは何か。世間でいう勝ち組,世間でいう高学歴とは,この人たちなのだろうか。
神を畏れることは知恵のはじめ。無知なものは知恵をも諭しをも侮る。
現勤務校にも,卒業高校にも,たまたまキリスト教高校なので,この一句が飾ってある。
勤務校ははっきり言えば底辺校,教育困難校。卒業高校はまぁまぁの進学校。
それは進学に力をいれるばかりに,キリスト教教育を怠っているからだと宗教主任は語っていた。
それを聞いたとき,あぁ,そうですか。でもそれは勤務校の生徒がアホだからでしょ。って思ってた。
でもこの評判は,正しいのではないだろうか。
自分はキリスト教徒でもない。若い時には宗教アレルギーも強かった。
とはいえ,聖書に書いてある諭しや教えの多くも,学問を通じて,経験を通じて,失敗を通じて気づけていた。
だから,受験で使わない聖書の授業は,宗教の授業は,勤務校の生徒がアホだから「教えてあげなければならず」,
アホじゃなければ「自分で身に着けられる」と勝手に信じていた。自分で作った宗教にはまっていた。
でも恐らく違うんだと気づかされた。
昨日の3人はおそらく,知恵をも諭しをも侮る,無知なもの。だと思う。勉強も仕事もできるはずなのに。
小さな自分の価値観を,他人に羨んでもらうことでしか確認できないようになったのはいつなのだろうか。
学部生の時に友人に「お前は資本主義の権化だ」と言われた。その時は全く理解できなかった。
だって何か特別なこともしてないし,ものを買った覚えもなかったから。
仲が良かったということは,すくなくとも高校時代のあのころは彼らも同じ価値観だったはずだ。
でも昨日の彼らは,いや,昨日の彼らも,資本主義の権化だった。見ていて・聞いていて辛かった。
自分は若いうちに言ってくれる友人ができて,師に会えて,幸せだったわけだ。
その後,学問の道にすすみ,お金はなかったし,挫折もしたけれど,
自分のやりたいことだけ,やりたい場所で,時間をつかえて自分を見直せてよかった。
大学で何を学んだのか。の差だと思う。教育はすごいと確信した。
5年間会っていなかった理由をこの文章を書きながら思い出してきた。
2011年に会ったとき,東京は計画停電と自粛ムードでどんよりしていた。
でも原発はもう一度壊れるかもしれない。そこには自然があり,生き物がすんでいる。
自分は,人間だけの都合でその環境を再生不可能な形に改変してはいけないと強く言っていた。
あの時,少しの呆れと絶望を感じたので,昨日まで会っていなかったのだろう。
昨日の飲み会で生じた感情もおそらく同じだろう。自分にとって残念であった。
学ぶ時間は大切だと痛感した。彼らは良い師に巡り合えなかったのだろう。
良き友人らと朝まで色々な価値観のもと,議論できなかったのだろう。
ただ,もちろん,彼らの価値観が間違っているわけでは無いと思う。自分と相いれないだけ。
でも,仲の良かった友人たちが忌み嫌う価値観のど真ん中にいたことは自分にとって残念でならない。
人間は,もっと自然から,歴史から,周りの人間から学んでいくべきであるし,そのために高等教育があるはず。
受験戦争に勝つことも,高いお給料をもらうことも,もちろん大切なことの一つであるが,それだけではない。
学問とは,大学とは,高校とは,教育のすべては本来そうあるはずだし,そうあるべきであろう。
君らの心は貧しい。と言ってあげるべきだっただろうか。たぶん笑わるし,理解されない。
飲み会の席で今の感情に気づいていれば,あの時の自分は言っていたのだろうか。
30超えたおっさんに説教しても変わらないのでしなかったと信じている。
熱く語って恥ずかしくなってもっと早く帰っていたかもしれない。たぶん,そうだっただろう。
なんだか教師としての道が見つかった気がする。
昨日までは教科教育に精一杯だったが,なんだかやりたいことが見つかった。
あの空間に自分の生徒を送り込んでやりたい。一人でも多くの若者に自分の価値観の狭さを実感して欲しい。
別に東大じゃなくてもその空間はあるかもしれないが,自分があの空間を経験したのが東大だから仕方がない。
少なくとも一昨日まではその空間が維持されていると聞いているし。
それは私自身が生きやすい世界のために必要な手段である。あくまでも自分のため。
もうすぐ息子が起きてくる。
わたしは男子校出身ではないけれど、非モテの女子恐怖症の人間だから、
この女はオレなんかに話しかけてきて何か裏の魂胆があるにちがいない。
そういうふうに身構えてしまうわけで。
そこにちゃんと話してくれて楽しい女の子がいると好きになってしまうんですよ。
これはもうしょうがない。東大女子の方が話も会うし、出会いがないんだもの。
それに上から目線の男子だって、あなたと恋愛したいわけじゃないかもしれないけど
そんなにモテるわけでもないし、そんな雑なコミュニケーションしか取れないようなやつが
モテると思う?
ところがそんなんでも数打ちゃ当たるんだなあ~これが。
あなたが慣れるしかないですね。それとは別に異性の容姿について
でも、あなたの文章からあなた自信も男子の容姿を品評しているのではと感じます。
男女かかわらず友達がたくさん出来るといいですね。
※話題になっている東大の女子学生への家賃補助について、現役東大女子として思ったことを感情的に書きなぐりました。まともな文章でないことお許しください。
「男女差別だ」わかる
「東大に女子が少ないのは女子がそもそも東大を目指さないからなので、仕方がない」
あなたたちがそういう「男女差別」的なことを平気で言うから、あなたたちの税金が「男女差別」に使われるということをわかっていますか???
私は東大女子として東大に女子が増えてほしいと心から思っているが、女の子に東大をオススメすることは感情的には全くできない。日本にいながらマイノリティとしての体験ができるという点はある意味メリットかもしれないが、大学生活において東大に来てよかったと思うことが男子学生に比べて相当少ない、と思わざるをえない環境であるからだ。
まず、入学直後に受けるのが「女子を人間として見ていない男子たち」によるある種の差別、という洗礼である。2年間の学生生活の基盤となるクラスの9割が男子、というような女子にとってかなりアウェーな環境も珍しくない東大。多数派である男子とも仲良くしないと実質生きていけないのだが、彼らの多くは女子を対等な存在として認識していないようだった。
女子に差別的扱いをする男子は大きく分けて2種類いる。まずは「男子校出身の女子恐怖症の男子」。彼らは女子に話しかけられても反応が極端に薄いばかりでなく、目を合わせることすらしない。話しかける側からすれば迷惑千万で失礼な態度極まりないのに、自分が相手を嫌な気持ちにさせていることに全く気づいていないようで、SNS上で女子について「女子どもなんてイケメンにホイホイ釣られるバカだ」というような論調で語っていることもある。時間が経つと一見普通の人間関係が築ける場合もあるが、そういう場合は大抵その女子に対する評価が異常に高くなり露骨に贔屓することも少なくない。最初の態度との落差が激しすぎて正直全く信用できない。
もう1つが、「恋愛対象の女子としか関わりたくない上から目線男子」である。彼らは最初こそクラスの女子に積極的に話しかけたり親切にしたりするが、「うちのクラスの女子どもはオレらの恋愛対象にするにはレベルが低すぎる」と判断した瞬間、ここは男子校だ、男子の楽園だ、みたいな態度を取り始める。SNS上では平気で「女子品評会」をし、女子同士の人間関係やクラス内の女子恐怖症系男子の女子への恋心を影でネタにしまくる。さらに、ノートが汚ければ「女子力低いねー」とからかい合宿では食事の準備をする女子に「女子力高いねー」と声をかける。そんな一方的な「女子力」という評価軸の押し付けに不満を感じながらも、生きていくために女子は積極的に乗るか苦笑いしてやり過ごすしかないのである。
男子校に紛れ込んでしまった女子、という環境で、女子は1年目の大学生活にどうやって馴染めばいいのだろうか?女の子らしさ、という軸によって多数派から一方的な評価を受け、男子と対等な関係を築けないが、かといって数少ない女子の中で気があう人と出会える確率は高いわけではない。慣れない大学生活、なんとなく生きづらいのは当然ではないだろうか。
しかし、「女子より男子が圧倒的に多い集団」と聞くと「オタサーの姫」という言葉を思い出す人も多いのではないだろうか。「紅一点の環境でちやほやされていい思いをしている女子」というような意味である。同じ環境にいる女子以外に、苦労しているという意味を込めて「30人のクラスに女子が3人しかいないんだよね」と言うと微妙な反応をされることが多いなと思っていたが、それは「少数派の女子は性的魅力に関係なく男子にもてはやされて調子に乗っているものだ」という価値観を適用されて解釈されているからだ、ということに気づいた。確かに「女子恐怖症系男子」に贔屓されることはあってもそれはあくまで一部である上にむしろ嫌悪感を抱いているので、「オタサーの姫」とレッテルを貼られることは心外以外の何物でもない。
私がクラスで出会った東大男子の態度に共通していたのが、女子を異物として見る姿勢である。少数派である私たちの感情などまるで存在しないかのように振る舞い、ただ仲間内で女子をネタとして消費する。そんな彼らは社会に出れば「東大男子」というプラスのステータスを持って生きていける一方、女子が獲得する「高学歴女子」という肩書きが利益をもたらすことはほとんどない。これを不公平と呼ばずして何と呼べば良いのだ。
東大男子が悪いわけではない。彼らは「高学歴の若い男性」、私たちは「高学歴の若い女性」。彼らは「日本の未来を担うエリート」、私たちは「プライドの高い欠陥品」。東大男子はこのような世間での評価を大学生活においてそのまま演じているだけなのだ。悪いのは日本社会に根強く残る女性蔑視の価値観である。「女子は男子より頭が悪い」というような全く根拠のない主張がまかり通るような雰囲気である。「女は器量が良ければそれでいい、知性なんて必要ない」という風潮である。そんな価値観の元で女の子が勉強して東大に行きたいなどと思うだろうか?地方の勉強好きな女の子はこのような価値観による圧力を多かれ少なかれ受けて育っているので、家賃補助をしたところで志願者が増えるとは私も思えない。しかし、女の子は勉強しなくても良いという風潮や閉鎖的な環境での数々の嫉妬を突破して、さらに地元の友人たちとの価値観が乖離してゆくことに苦しみながらマイノリティーとして孤独な学生生活を送る決して裕福でない地方出身の東大女子100人に家賃を月3万円補助することくらい、地方への想いを忘れずエリート男性の中で男性優位の価値観に染まらずに活躍する女性が育つための投資として、許してもらうことはできないだろうか?
※話題になっている東大の女子学生への家賃補助について、現役東大女子として思ったことを感情的に書きなぐりました。まともな文章でないことお許しください。
「男女差別だ」わかる
「東大に女子が少ないのは女子がそもそも東大を目指さないからなので、仕方がない」
あなたたちがそういう「男女差別」的なことを平気で言うから、あなたたちの税金が「男女差別」に使われるということをわかっていますか???
私は東大女子として東大に女子が増えてほしいと心から思っているが、女の子に東大をオススメすることは感情的には全くできない。日本にいながらマイノリティとしての体験ができるという点はある意味メリットかもしれないが、大学生活において東大に来てよかったと思うことが男子学生に比べて相当少ない、と思わざるをえない環境であるからだ。
まず、入学直後に受けるのが「女子を人間として見ていない男子たち」によるある種の差別、という洗礼である。2年間の学生生活の基盤となるクラスの9割が男子、というような女子にとってかなりアウェーな環境も珍しくない東大。多数派である男子とも仲良くしないと実質生きていけないのだが、彼らの多くは女子を対等な存在として認識していないようだった。
女子に差別的扱いをする男子は大きく分けて2種類いる。まずは「男子校出身の女子恐怖症の男子」。彼らは女子に話しかけられても反応が極端に薄いばかりでなく、目を合わせることすらしない。話しかける側からすれば迷惑千万で失礼な態度極まりないのに、自分が相手を嫌な気持ちにさせていることに全く気づいていないようで、SNS上で女子について「女子どもなんてイケメンにホイホイ釣られるバカだ」というような論調で語っていることもある。時間が経つと一見普通の人間関係が築ける場合もあるが、そういう場合は大抵その女子に対する評価が異常に高くなり露骨に贔屓することも少なくない。最初の態度との落差が激しすぎて正直全く信用できない。
もう1つが、「恋愛対象の女子としか関わりたくない上から目線男子」である。彼らは最初こそクラスの女子に積極的に話しかけたり親切にしたりするが、「うちのクラスの女子どもはオレらの恋愛対象にするにはレベルが低すぎる」と判断した瞬間、ここは男子校だ、男子の楽園だ、みたいな態度を取り始める。SNS上では平気で「女子品評会」をし、女子同士の人間関係やクラス内の女子恐怖症系男子の女子への恋心を影でネタにしまくる。さらに、ノートが汚ければ「女子力低いねー」とからかい合宿では食事の準備をする女子に「女子力高いねー」と声をかける。そんな一方的な「女子力」という評価軸の押し付けに不満を感じながらも、生きていくために女子は積極的に乗るか苦笑いしてやり過ごすしかないのである。
男子校に紛れ込んでしまった女子、という環境で、女子は1年目の大学生活にどうやって馴染めばいいのだろうか?女の子らしさ、という軸によって多数派から一方的な評価を受け、男子と対等な関係を築けないが、かといって数少ない女子の中で気があう人と出会える確率は高いわけではない。慣れない大学生活、なんとなく生きづらいのは当然ではないだろうか。
しかし、「女子より男子が圧倒的に多い集団」と聞くと「オタサーの姫」という言葉を思い出す人も多いのではないだろうか。「紅一点の環境でちやほやされていい思いをしている女子」というような意味である。同じ環境にいる女子以外に、苦労しているという意味を込めて「30人のクラスに女子が3人しかいないんだよね」と言うと微妙な反応をされることが多いなと思っていたが、それは「少数派の女子は性的魅力に関係なく男子にもてはやされて調子に乗っているものだ」という価値観を適用されて解釈されているからだ、ということに気づいた。確かに「女子恐怖症系男子」に贔屓されることはあってもそれはあくまで一部である上にむしろ嫌悪感を抱いているので、「オタサーの姫」とレッテルを貼られることは心外以外の何物でもない。
私がクラスで出会った東大男子の態度に共通していたのが、女子を異物として見る姿勢である。少数派である私たちの感情などまるで存在しないかのように振る舞い、ただ仲間内で女子をネタとして消費する。そんな彼らは社会に出れば「東大男子」というプラスのステータスを持って生きていける一方、女子が獲得する「高学歴女子」という肩書きが利益をもたらすことはほとんどない。これを不公平と呼ばずして何と呼べば良いのだ。
東大男子が悪いわけではない。彼らは「高学歴の若い男性」、私たちは「高学歴の若い女性」。彼らは「日本の未来を担うエリート」、私たちは「プライドの高い欠陥品」。東大男子はこのような世間での評価を大学生活においてそのまま演じているだけなのだ。悪いのは日本社会に根強く残る女性蔑視の価値観である。「女子は男子より頭が悪い」というような全く根拠のない主張がまかり通るような雰囲気である。「女は器量が良ければそれでいい、知性なんて必要ない」という風潮である。そんな価値観の元で女の子が勉強して東大に行きたいなどと思うだろうか?地方の勉強好きな女の子はこのような価値観による圧力を多かれ少なかれ受けて育っているので、家賃補助をしたところで志願者が増えるとは私も思えない。しかし、女の子は勉強しなくても良いという風潮や閉鎖的な環境での数々の嫉妬を突破して、さらに地元の友人たちとの価値観が乖離してゆくことに苦しみながらマイノリティーとして孤独な学生生活を送る決して裕福でない地方出身の東大女子100人に家賃を月3万円補助することくらい、地方への想いを忘れずエリート男性の中で男性優位の価値観に染まらずに活躍する女性が育つための投資として、許してもらうことはできないだろうか?
昔からきちがいみたいに話するし、話の内容も意味不明だったんだけど。
最近はまともになった。
まともっつーか。しゃべらなくなった。
「へーそうなんだ」「それ本当」「ですよねえ」
とか単語的にはこういうのばっかりで、できるだけ話に意見を挟まずに、抵抗感を無くしてるっていうか。
「どうやって休日過ごすの?」と聞かれたら本当は毎日一人でこもってネットとネトゲしかしてないんだけど、「友達と飯くったりとかですよ」とか。
「ストレスってどうやって解消するの?」と聞かれたら、本当は知り合いを殺す妄想とか残虐なエロ小説描いたりとかなんだけど、「孤独のグルメのまねして弁当とかを1品1品、品評会しながら食ってます~」みたいな。
なんつーか、言っても普通に話題突っ込みやすくって、相手も意見を出しやすいのばかり話している。
なにか聞かれても「そうですねえ」とか「分からないですねえ」「もしかしてこういうことですか?」みたいなとりあえず回避出来る分は相手にたーんまわして。
現実の抵抗を限りなく避けまくっている。摩擦が少ないように、自分の会話にコンドームつけて話してるみたいな感じ。
でも、そのほうが楽なんだな。
たまーに、哲学的な会話できるやつとか、高学歴の奴と話するときは、現象学とか、独自の哲学(哲学的にもまったくこれまでにない見地なのは確認している)とか、論理的な話とかはする。
するが、その会話も自分を形成してる100の内2とか3とかばかりを話していて。
本当の話相手は本とかだけ。人間とは会話できないなと思う。
1日だいたい職場の8時間くらいは、できるだけトイレとかに行って、こまめにメモ帳に自分の思考を記録して自分と会話して、過去の自分のメモを見てそれに対する感想文を書いて。というように自分だけで自分の会話を完結させている。
なるほどこういう感じで『社会生活を送る自立した社会人』ってのになるんだなーと最近納得した。面倒くさいし意味がないもんね、他人と会話しても。ゆる~くつながって、仕事で必要になったときだけお互いゲームキャラみたいに助け合えばいいだけ。
これは冷たいなあと昔は思ってたけど。摩擦が無い分お互い楽で良い感じ。わざわざ毎日料理作るよりコンビニ弁当の方が楽だしお互い長く続くしお互い欲しい分の利益を満たし合えるし。たいして体力必要じゃないし。