はてなキーワード: 健康診断とは
新卒で社内一のブラック部署のなかでもダントツトップなブラックチームに配属された
男性ばかりのチームで、二年新人が入らなかったこともあって一致団結しているから本人たちはそこまで辛くなさそうだったけど
昔ヤンチャしてました系のリーダーを筆頭に、他部署の人のことを死ねだのクズだのキモいだの、事務作業の派遣さん値踏みしたり…
話しかけられることもなく、与えられる仕事は完全に事務の派遣さんと同内容
業務知識を得ようにも何を質問しても「今忙しいから」「そんなことより◯◯(雑用)しといて」と言われ続けて一年
次の年に男性社員が新卒で配属されたら、意気揚々と仕事を教え始める先輩たち
それと同時に聞いたこともない内容の業務仕事を与えられ、質問すれば「何でこんなこともしらねぇんだよ」、失敗すれば「役立たず」「もうお前死ねよ」等々…
協力会社の人やチーム外の人が親切で、足りない知識を教えてもらったりしてどうにかこなして来た
半年経つ頃には、質問すれば一応は教えて貰えるようになり、総務関係の知識が完全に私配下にあるため無視されることも減った
でもその頃には布団入っても一睡もできずに朝を迎えることが増え、電車に飛び込みたい衝動に駆られ、家事が手につかなくなり、人に会うのが億劫になっていた
地震のあった後からただ座っているだけで地面が揺れているような気もして来た
最初こそみんな親切にしていたが、その人は使えない認定され始め、暴言のターゲットが私から彼に移った
暴言だけじゃなくて、足を蹴ったり、肩や腕を殴ったりもしていた
最後の方は、いつも泣き笑いみたいな表情で、明らかに病んでた
本人たちは親しさを装っているつもりらしかったが、聞いた人が眉を顰める様な言動だった
その頃には死ぬ気力すらないレベルに無気力で、自己評価も最低で、休職も転職も考えつかなかった
半年通院しながら働いて、多少回復した頃に、会社の健康診断があった
思い切って、問診票のメンタル系のチェック全てに病んでる系の回答をした
その時点で、産業医から精神科受診を勧められ、本社の人事宛にパワハラの報告も上がった
鬱を通り越して躁気味になっていたことも影響して、いっそ大事にしてやろうという気になっていた
ちょうど良いタイミングで全社宛のアンケートや調査があったので、全て正直に回答した
毎晩終電であること、残業時間を不当に少なく申告させられていること、暴言暴力があること、無休&無給で土日も働かされていることなどなど
親会社巻き込んで揉めに揉めた
なぜか私は疑われず、担当内では辞めた社員の告発ということになっていた
役職者は異動、チームは人数倍増&旧メンバーバラバラになり、事実上解散
一部は納得できずに退職したが、協力会社の人へのパワハラ行為が問題となり、関連会社への再就職拒否、退職金も出なかったと聞く
健康診断の時点で、チームのメンバーは私をある程度は仲間だと思い始めていたらしく、雑談の輪に加え、暴言を吐いた後に長引かせない程度の気遣いをし、質問にも快く答えてくれていた
でもね、私がされてきたことは、私の中ではそんな程度のことで許せるようなレベルじゃなかったんだよ
義実家に行く度に、「旦那が痩せている」と周りが大騒ぎしてウザい。特に義母と小姑夫婦。
実際旦那はどちらかといえば痩せ型だけど、筋肉は結構ついているし、昔から体型は変わっていない。
会社の健康診断でも異常は無いので、それを伝えても「病気なんじゃないか」とか言ってくるので、病院で胃カメラを飲んでもらった。その結果も異常は無し。それでも同じ事を言ってくる…。
私はちゃんと栄養バランスのとれた食事は作っているし、旦那もご飯をおかわりする。でも、こうなったら毎日どんなものを食べているのか写真を撮って見せるしかないのか?
旦那も「心配しすぎ」と言ってくれているけれど、一向に止む気配無し。私の見ていないところで電話やメールなんかでも心配されているようだ。
旦那を太らせればいいんだろうけど毎日炭酸飲料とビールとスナック菓子とか飲み食いさせろとでも?
旦那は「異常に心配する人たちには付き合う必要は無い」と言う。まったくその通りなんだけど、これからもずっと同じ事を言われ続けるのかと思うと疲れるし消耗するし義実家に行きたくなくなる。
この夏の健康診断で再診となり、先月中頃に結果が出た。
結果は死に至る病というやつだった。それで今月で仕事をやめて療養となった。療養というか入院というか。治癒はしない。寛解だ。この結果を告知してくれた先生に感謝する。
正直真っ先に思ったのは「ああ、やっと働かなくていいのか。嬉しい」だった。
地方のSI屋。毎月80時間を超える時間外。病気との因果関係は証明できないだろう。
すぐに上司に報告して、そこから引継ぎが始まった。それももう終わった。あとは一足先に有給消化でもいいじゃないだろうか。他社はどうしているんだろう。
この年で独身でよかったと思う反面、まだ両親には告げられていないのだが、仕事を辞める以上言わなければならないだろうなと、それだけが気が重い。孫の顔を見せられないどころか、悪ければ逆さまで見せてしまうことになるだろう。
いままでいろいろ増田に書いてきたけれど、一旦これで終わりだろうか。これまでバカみたいな軽い文章を書いてきたが、ステージが進めばもっと重い文章も書けるのだろうか。読ませる文章というか。
有り余る時間を何に使おうか。それも憂鬱にさせる。そのうち時間が止まるんだろうけど、その手前までは。
じゃあな。
30歳主任エンジニア手取り年収210万のときの家計簿を出すよ。今じゃないよ。
職種はプログラマとかSEとかそのあたりで、レンタカーや駅まで5km、バスが1日に10本くらい、市の人口が10万以下という田舎。
給与安くないか?という疑問については、入社時の月給が税込み14万で同期の中でも多い方だったので察してね。
金額については家計簿があるので間違いないけど、端数は多少丸めてるよ。
項目 | 金額 | 補足 |
---|---|---|
衛生 | 5500 | シャンプーなど衛生面を保つために必要なもの |
雑貨 | 1300 | 文房具などなくても死なないもの |
家電 | 2000 | 電池などの消耗品 |
趣味 | 8500 | 完全な趣味の世界 |
交通費 | 300 | 時々電車にも乗る |
項目 | 金額 | 補足 |
---|---|---|
食費 | 19000 | 仕事中に飲む飲料代3400円を含む |
光熱費 | 14000 | 内訳は電気6200円、ガス6100円、水道1700円 |
通信費 | 11100 | 内訳はNTT5000円、ドコモ4000円、プロバイダ2100円 |
家賃 | 50000 | 駐車場代5000円を含む |
衛生 | 5000 | 美容院代 |
生命保険 | 12000 | 満期で帰ってくるけどここでは計算しない |
車 | 6000 | ガソリン代、コインパーキング代、洗車代の合計 |
車の任意保険 | 7500 | 車両保険を付けてるのでちょっと高い |
車検 | 7300 | 12ヶ月点検を含む |
スポーツについては週末に近所の山というか丘に登ったりしていて、健康診断では「理想的」と言われるほど健康的です。
趣味はプログラミング、絵を描く(PC限定)、写真撮影(デジカメ、ケータイ)、山野草植物観察、ジオキャッシング、読書、などがメインで、映画鑑賞、鉱物収集、お香、がサブです。
全ての趣味には、発表の場としてサイト運営がおまけでついてます。
http://majikichi.com/archives/7113774.html
身長低い事がそんなにコンプレックスになっているのが分からない。
俺は180センチ以上あるので、背が低い事で悩んだことはなかった。むしろ友人とかと話している時にも下を向いて話すことが多かったので、腰や首が凝って大変だった。
身長が低い人は「男たるもの身長が高くないといけない」なんて思っているのかもしれないけど、そうじゃないだろ、って思う。
そこじゃないだろ、って思う。
俺はチンコがかなり小さい。
もうほんと困っちゃうくらい小さい。
本当に嫌だ。
チンコの大きさだ。
想像してみてほしい。
馬鹿にしてたやつと一緒にトイレや銭湯に行った時にちらっと見たチンコがデカかったら「こいつスゲーな」って思うけど、どんなに格好いい奴でもチンコがちっちゃかったら、「あれ?」ってなるだろ!!
しかもチンコは隠すのが当然なものなので、チンコを見るという行為は、その人の「本質」を見ている気になってしまう。
「あいつ背高いけどチンコちっちゃいよなwww」ってなっちゃう。
これが女の人が胸を見せるのと違う所だと思う。
プロインタビュアーの吉田豪が「『男の性格をチンコが決定づける部分は相当大きい』というのが僕の持論」と言っていたのを深く納得したような、ひねくれたチンコと性格を持つ人間の書いていることなので、この文章を読んで傷ついた人がいても気にしないでほしい。書いている本人も傷つきながら書いているのだから。
36歳男SE独身。まあ、別に死にたいとは思わない。話題の彼女には申し訳ないが。
2年目の時に所謂「死の行進」に巻き込まれて、しかも立ち位置が2年目のくせに仕事をしない糞プロマネの代わりみたいなところだった。
文系なので、ろくにプログラムも書けなかったけど、百戦錬磨(に見える)外注プログラマ3人と、新人2人を使って某コングロマリットの社内システムの一部を作った。予算的には億単位。ばっかじゃねーの、と今になっては思うけども。もっと上手く立ちまわって「いや~2年目なんで(テヘ)」とか言えばよかったと思うけど。まあ、結果として多少稼働後のバグはあったけど、よくやってくれました、って感じだった。
だけど、僕はこの行進で鬱になった。あれから7年か8年。未だに精神科に通っている。
当時、学生時代から続いていた女性がいたけど、病気が治りそうにないのを見た彼女は自然と離れていった。あれから人を好きになったことがない。1年ちょっと休職して、廃人みたいな生活して、復帰して、パニック発作に悩まされつつ都内で転職活動して、前の会社を逃げ出した。
責任を背負い込むような性格は3年くらいかかって捨てた。適当でいいんだ、なんで俺だけ?みたいな考えも捨てた。世の中適当に生きていて、求められた成果にちょっとプラスしとけばボスが大喜びして給料をぽん、ってあげてくれることも理解した。そんな面倒な性格を捨てたら、多少生活に余裕ができて、時間も出来たので今はmacbookとか買って、自分で色々なものを作るのが楽しい。
でも、相変わらず精神科に通ってる。保険証使ってるし、会社にはバレてると思うけど、ま、何も言われない。転職の時も精神科に通ってるなんて言わなかった。健康診断も普通にパスした。彼女も出来ない。というより、本気で好きになったのは離れていった彼女の前に夢中だった年上のお姉さん1人だけだ。惰性で付き合ってた。多少社会人生活が落ち着いて、将来を考えられるようになったら結婚するのかな、と思ってた。だけど、人生暗転した。
そのお姉さんとは実は今でも付き合いがあって、毎年年賀状をくれて、幸せになりなさい、良い恋をしなさい、とメッセージが添えてある。大好きだし、何度も好きですと伝えているけど、そのたびに彼女は曖昧な笑い方をする。思い立った時に会いたい、とメールをすると、会ってくれる彼女は何なんだろう。
私は結婚はしないの
精神科で処方される薬が少しずつ減って、「もうすぐ卒業かな。長かったね。」と主治医がこの前言った。正直、人並みの幸せが欲しい。結婚もしたい。きちんと意見を言ってくれて、よりかかるだけでなくて、よりかかって、よりかかられて、お互いに支えてくれるような結婚生活が良いと思うけど、無理なんだろうね。毎日macbookの中で動くアプリだけが僕の幸せの形。
社会保険庁本庁の幹部用公用車、出張費、事務所備品など(180億円)
社会保険庁公用車247台(4億円) 職員の外国出張費(1億6500万円)
千葉の社会保険大学校内にあるゴルフ練習場の建設・維持費(1200万円)
東京の社会保険業務センター内のテニスコート建設費(422万円)
全国の社会保険事務所に導入した利用ゼロの印刷機(921台,1億5030万円)
年金資金運用基金へグリーンピア建設や住宅融資資金の名目で出資金(1兆800億円)
職員の事務費充当(5300億円)
職員の健康診断費(3億7000万円)
勤労者福祉施設維持費(100億円)
社会保険庁が新築した職員宿舎(10億円) ※家賃は東京都心3DKで2万円
年金関連施設の職員向け宿舎(28億800万円)※家賃は東京新宿区3LDKで月6万956円
社保庁職員宿舎の整備・維持費(42億円)
保養基地運営法人への支出(2兆円、総額5兆6000億円の使途判明)
年金資金運用基金や厚生年金事業振興団総裁の退職金(各4000万円)
大規模年金保養基地(グリーンピア)の職員向け宿舎建設費(15億2600万円)
年金資金運用基金(旧・年金福祉事業団)の職員向け宿舎建設費(2億6500万円)
※年金流用の累計は6兆7878億円。
指摘の通り、BMIはかなり大雑把な指標だ。
生活習慣病のリスクは22以下だと低くなるんだけど、平均寿命と相関をとってみると23~24のほうが長生きしてるとかなんとか。
チビでもムキムキだったら、BMIが高くてもそれが原因で生活習慣病になるかって言ったらそういうわけでもないし、低くたって遺伝的になる人はなるし。
ぶっちゃけ数字について考えたり、健康について考えてる人には必要ないよ。
自分の裸を鏡で見ることもなく、年に一度の健康診断の時以外に体重計に乗ることもないズボラに
「痩せろよデブ」
っていう現実を突きつけるための方便じゃん?
サーバ室は携帯の電波が届きにくく、最低限の仕事上の連絡以外は誰とも連絡を取らなかった。
ただただ、作業に集中した。何も考えず。
病院と家との往復。帰宅したら、疲れて眠るだけだった。食べることすら忘れていた。
彼の事を忘れたいわけではもちろんなかった。
でも彼の事を思い出すと、どうしても後悔の底に落ちて這い上がってこれなかった。
そんな生活を2ヶ月続けて、私の心は壊れそうになっていた。
「例の彼とはどうなったの?」」と聞かれるのが怖かったから。
壊れていたのは心だけではなく、体もだった。
1年前に普通に着ていたはずの服が、ぶかぶかで着られなくなっていた。
5年間使っていた金属バンドの腕時計も、コマを詰めなければいけない程になっていた。
会う人会う人に「痩せたね」と言われ、そのうち「大丈夫?」と心配されるようになっていた。
着られる服は全くなく、買いに行ってもサイズが合わないような状態だった。
もう、限界だった。
仕事に没頭する事で彼の事を考えないようにしていたはずなのに、
仕事に集中できず、彼の事ばかり考えるようになっていた。
それまで私は、夏休みを1週間取る以外で長期休暇を取ったことは一度もなかった。
そんなに仕事が好きだったわけではないけれど、
盆・暮れ・GWが書き入れ時の医療SEは、簡単に長期休暇は取れなかった。
それに自分の仕事には責任を持ちたかったので、あえて休暇を願い出ることもしなかった。
そんな私が、初めての長期休暇を上司に申し出た。
激務が数ヶ月続いていたこともあり、休暇はあっさり認められた。
少し心と体を休めようと思った。
私のスケジュールが突然「休暇」になった事を心配した別の部の同期から、電話がかかってきた。
「大丈夫だよー。ちょっと忙しくて疲れたから休んでる。すぐ戻るよ」
そう言ってごまかした。本当の事が言えるわけもなかった。
当時私がいた部は、元々希望していた配属先とは違っていたし
仕事内容自体も、どうしても好きにはなれなかった。
プログラミングができない、サーバの知識もない、そもそも大学は文系の私に
SEなんて務まるわけもなかった。
配属されて初めてのプロジェクトでは、仕事がきつすぎて毎日泣いていた。
何かうまくいかないことがある度に、辞めたい辞めたいばかり言っていた。
実際、その年の頭には、転職活動を始めようとしていた。
そんな私に、彼がこんな事を言ったことがあった。
舞ちゃんがいつも頑張ってるの知ってるよ。
どんなに夜遅くなっても、自分の仕事に責任持って最後まできっちりやってること知ってるから。
そういうのちゃんと見てるから、辛いのは分かるけど、でも簡単に辞めればいいなんて言えないよ。
彼にそう言われてから、私は辞めたいと言わなくなっていた。
彼は仕事ができる人だった。だから彼に少しでも追いつきたくて必死で勉強して、プログラミングアレルギーも克服した。
今の私を彼が見たらどう思うかな…。
そして私は、当初の予定を1週間延ばしたものの、3週間で職場に復帰した。
復帰後は、少しでも負担の少ない仕事を、という上司のはからいで、
同じ部内で別のグループに移って、全く違う仕事をすることになった。
(というか無理矢理食べさせようとしたんだろうが)
でも、彼とよく会っていた福岡にはどうしても行きたくなかった。
福岡だけでなく、彼と一緒に行った場所を私は避けるようになっていた。
ただ、九州支社はその年の5月に別の場所にできた新しいビルに移転していて、
いつもなら、空港内にある有名なクロワッサン屋でクロワッサンを買う。
彼に「美味しいから一度買ってみなよ」と言われて買ってからお気に入りだった。
もう、クロワッサンを買う気ににもならない。
仕方なく、売店でお土産を買って時間を潰して搭乗時間を待った。
羽田で福岡行きの飛行機を待っていたら、偶然同じ便で福岡に向かおうとしていた彼に会ったこともある。
博多駅から九州支社に向かう途中の道、彼と電話しながら歩いたこと。
色んな事を思い出しすぎて潰れそうだった。
結局その日は、ほとんど眠ることもできず朝になった。
翌日は土曜日で、午後から横浜に行く用があったものの、他にする事がなかった。
ふと、ある男友達の事を思い出した。
その人は会社の同期ではあるものの、職種が違うため仕事での関わりが全くなく、勤務地も違っていた。
それでも入社してすぐの研修で同じクラスになって仲良くなってから、
定期的に二人で飲みに行っていた。彼と付き合っていた時も月1程度で会っていた。
私にとっては完全に「友達」で、恋愛対象として見たことは一度もなかったし、
それは相手も同じで、私を女として見ることはなかった。
だから、二人で会っても大丈夫だと思っていたし、彼に対して、悪いことをしている気持ちには当然ならなかった。
その友達に彼のことは話した事は一度もなかったし、
私の色恋沙汰について何か聞いてくることもほとんどなかった。
ちょうどいいや…。
さすがに当日に連絡しても空いてないだろうなー、と思いつつ、メールをした。
いるー!
その日は横浜で待ち合わせをし、東急ハンズで買い物をして、飲みに行った。
それからの週末はしょっちゅう旅行に行き、家にいることはほとんどなかった。
そして、旅行のお土産だとか色々理由をつけて、その男友達と頻繁に飲みに行った。
色々深く聞いてこないその友達が、一番都合がよかった。
そしてその人と一緒にいると、不思議と気持ちが落ちついた。
前年の年末は、彼がリーダーをしていた病院で正月にシステム本稼動があり、彼は当然仕事をしていて、一緒にいられなかった。
来年は一緒にいられたらいいね、と言っていた。だから、日本にいる事すら嫌だった。
そうやって、現実から目を逸らすことで、どうにか自分を保っていた。
F1が好きだった彼と私は、いつも月曜日にF1の話をしていた。
這い上がれなくなるので、私は見るのをやめた。
二人とも読書が好きだったので、会うとよく読んでいる本の話をした。
仕事が早く終わった時はいつも本屋に行って本を買っていたのに、本屋に近づくことすらできなくなっていた。
一緒に暮らして長いので生活は変わらないし、十分に幸せだったので、いまさら結婚などする必要も感じていなかったのだけれど、相手と相手の親族の強い希望で、届けを出すことになった。
お互い派手なことが苦手なので、最低限必要な相手にだけ報告した。
結婚を人に伝えると、みんな「おめでとう」「よかったね」「幸せでしょう」と言ってくれる。それはとてもありがたいことで、感謝している。
けれど、姓を変えざるを得なかったことでの自己喪失感を理解してくれる人はどこにもいなくて、この数ヶ月、祝われるたびに憂鬱が募っていった。
「いま人生でいちばん幸せでしょう!」と笑顔で言ってくれる人に対し、「でも姓を変えなきゃいけなかったのがつらいんです」とはとても言えなかった。120%幸せに振る舞わなければいけなかった。それがひどく疲れた。
そんな中、年に一度の健康診断で、問診票に間違えて旧姓を書いてしまい、慌てて二重線をひいたら、お医者さんに「最近結婚されたの?」と聞かれた。
ああ、ここで「はい」と答えたらまた「おめでとう」と言われて、自分は一点の曇りもない幸せな顔をしなければならない。嫌だ、答えたくない。
そう思うも答えないわけにもいかず、「ええ、はい…」と言うと、お医者さんは「私もしばらく慣れなかったですよ」と笑った。
「書き間違えたり、呼ばれても誰のことだかしばらく気づかなかったり。大変だった」
初めてだった。おめでとうじゃなくて、大変さに気を向けてくれた人がいた。
ひどくびっくりして、初めて救われたような気がした。
他人だからおめでとうを言う必要がなかったというそれだけなのかもしれない。だけど、とてもほっとした。
これからは少し、楽な気持ちになれそうな気がする。
ブドウ糖を避けた方が良いという日記が注目を集める中逆の日記を書いてみる。
血圧が基本低めで、空腹時は膝からよく落ちて、しばらく座った状態から立って伸びなんかしようものなら9割目の前が真っ白になる。
そんな状態だけど、調べてみると一応正常の範囲内ではあるのね。
去年までの4年間で
低 54-62
高 98-106
ぐらいで。
グルコース、ヘモグロビン、赤血球、白血球、共に健康診断の正常範囲の最低値をうろついている。
基本血が薄いのかな。
一番困るのが朝。
3度寝とか当たり前である。
頭が全く回らない。
目覚ましのスヌーズを切りはしないので、そのうち覚醒はしてくるのだけど、1時間は頭が死んでる。
特に冬は酷い。
一時期は帽子をかぶって寝ることで頭を温めるとかやってみたけどあんまり効果がなかったので諦めた。
そんな中。
最近、夜起きていられず、寝落ちをよくかますのだけど、今日は持ってきたゼリーを一口食って気がついたら寝てた始末。
で、寝ぼけた頭で、「開けちゃったし食べよう」と、起きて1分でする行動じゃないことを選択。
改めて寝起きの俺はいかれてる。
思い返してそう思ったのだけど、それが自分の人生で始めての体験を起こした。
ゼリーを全部食うまでもなく眠さに耐えきれずまたベッドで横になったのだけど、何分かしたら目が冴えてきた。
徐々に覚醒するのがわかる。
ちなみに、おととい徹夜、昨日は6時間ぐらいなのでトータルではそれなりの睡眠不足状態で、多分今日も5時間ぐらいしか寝ていない。
遅刻寸前なら無理にでも覚醒出来るけど出るまでまだ4時間もある。
その状態で15分もしないうちに完全に覚醒した。
そんなに長く生きてもいないが、人生で初めてと言ってもいいほどさっぱりした寝起きだ。
某エントリーを見る限り、自分も出来れば炭水化物とブドウ糖を避ける生活をしてみたいが、いかんせん、食的に低血糖の時間を作らないことは不可能に近い。
昼飯食べる時間なんてバラバラだし、間食なんて不可能だ。
よく、身近な人に血圧とか血糖値が低いという話をすると、「飴とかチョコとか取ると良いって言いますよね」と言うんだけど、同じ職場の人間ならそれが出来ない事は察しろ。
でも、タブレットぐらいならどうにかできないこともないかもしれない。
とりあえず、血糖値を下げ過ぎないという手法で生活改善を行えるか実験してみよう。
何でもできる気がする。
http://anond.hatelabo.jp/20110916231838
私が18歳から21歳だったころ、彼は21歳から24歳だった。他人の話にチャチャを入れるのが得意で、他人の話の揚げ足を取っては、私を笑わせてくれた。でも、そんな性格じゃ、誰からも引き上げてはもらえない。だんだん、生活が追い詰められていって、私は捨てるように逃げてきた。
それから25年間、きれいさっぱり忘れてたんだよ。そんな男のことは。
努力が得意できっちり社会的な責任を果たす男性と結婚して、子供2人産んで育てて、なんだか私も平凡な人生って奴を手に入れたなと思ってた。そんなとき、同窓会があって、彼はそのとき、来なかったんだけど、なんだか、やっぱり経済的につまづいてるらしくて、つらそうで、メールアドレスを教えてもらって、ときどき連絡を取っていたりして。一度会おうかとなって、会えばやっぱり好きだなと思って、でも、私には夫がいるし、そのまますれ違っていくはずだった。彼と会った直後の、夫の健康診断で、夫が末期癌であることが発覚。パニクる私を彼はメールと電話で支えてくれて、私は5カ月間、絶望を噛みしめながら、でも、狂わず(たぶん、周りは狂ったと思ったらしい)。夫の49日が終わってから、彼とよりを戻した。
25年前に別れたときは、お互いに、かなり酷い言葉をぶつけあったから、最初の儀式が「お互いに謝ること」だったり。
彼は性格が変わってなくて、私は笑わせてもらえるんだけど、やっぱり、生活には向いていないので、今はなんだか、私のヒモ状態だ。ときどき(より戻して良かったんかなあ)と思わなくてもないけど、無意識の底にまで、彼へ未練が染み込んでたんならしゃーないなと思うことにしている。
忘れられないなら忘れなければいい。進めないなら進まなくていい。1秒ごとにババアになるのは、世界中の人間が同じ条件なんだから気にしなくていい。でも、出来ることなら、1秒ごとに、いろんなことから自由になったほうが、人生は楽しかろうとは思うね。