2012-01-04

私の全て ④逃避

それからの私は仕事に没頭した。

から晩まで病院サーバ室でサーバ構築作業。

サーバ室は携帯電波が届きにくく、最低限の仕事上の連絡以外は誰とも連絡を取らなかった。


ただただ、作業に集中した。何も考えず。

病院と家との往復。帰宅したら、疲れて眠るだけだった。食べることすら忘れていた。


彼の事を忘れたいわけではもちろんなかった。

でも彼の事を思い出すと、どうしても後悔の底に落ちて這い上がってこれなかった。


不思議と、泣く事はあまりなかった。


そんな生活を2ヶ月続けて、私の心は壊れそうになっていた。

仲の良い友達ともほとんど連絡を取らなくなっていた。

「例の彼とはどうなったの?」」と聞かれるのが怖かったから。


壊れていたのは心だけではなく、体もだった。


1年前に普通に着ていたはずの服が、ぶかぶかで着られなくなっていた。

5年間使っていた金属バンド腕時計も、コマを詰めなければいけない程になっていた。

会う人会う人に「痩せたね」と言われ、そのうち「大丈夫?」と心配されるようになっていた。


自分では気付いていなかったけれど私の体重は急激に落ち、

1年前の健康診断から比較すると、10キロ近く痩せていた。

着られる服は全くなく、買いに行ってもサイズが合わないような状態だった。


もう、限界だった。

仕事に没頭する事で彼の事を考えないようにしていたはずなのに、

仕事に集中できず、彼の事ばかり考えるようになっていた。


それまで私は、夏休みを1週間取る以外で長期休暇を取ったことは一度もなかった。

そんなに仕事が好きだったわけではないけれど、

盆・暮れ・GWが書き入れ時の医療SEは、簡単に長期休暇は取れなかった。

それに自分仕事には責任を持ちたかったので、あえて休暇を願い出ることもしなかった。

そんな私が、初めての長期休暇を上司に申し出た。


激務が数ヶ月続いていたこともあり、休暇はあっさり認められた。

期間は2週間。SEになってから3年弱で初めての長期休暇。

少し心と体を休めようと思った。


私のスケジュールが突然「休暇」になった事を心配した別の部の同期から電話がかかってきた。

大丈夫だよー。ちょっと忙しくて疲れたから休んでる。すぐ戻るよ」

そう言ってごまかした。本当の事が言えるわけもなかった。


SEになってから3年弱で初めての長期休暇。


当時私がいた部は、元々希望していた配属先とは違っていたし

仕事内容自体も、どうしても好きにはなれなかった。

プログラミングができない、サーバの知識もない、そもそも大学文系の私に

SEなんて務まるわけもなかった。

配属されて初めてのプロジェクトでは、仕事がきつすぎて毎日泣いていた。

何かうまくいかないことがある度に、辞めたい辞めたいばかり言っていた。

実際、その年の頭には、転職活動を始めようとしていた。


そんな私に、彼がこんな事を言ったことがあった。


舞ちゃんがいつも頑張ってるの知ってるよ。

どんなに夜遅くなっても、自分仕事責任持って最後まできっちりやってること知ってるから

研修終わってから事務所戻ってきて仕事してたりとかさ。

そういうのちゃんと見てるから、辛いのは分かるけど、でも簡単に辞めればいいなんて言えないよ。


彼にそう言われてから、私は辞めたいと言わなくなっていた。

彼は仕事ができる人だった。だから彼に少しでも追いつきたくて必死勉強して、プログラミングアレルギーも克服した。


今の私を彼が見たらどう思うかな…。


そして私は、当初の予定を1週間延ばしたものの、3週間で職場に復帰した。


復帰後は、少しでも負担の少ない仕事を、という上司のはからいで、

同じ部内で別のグループに移って、全く違う仕事をすることになった。


残業は減ったけれど、上司や先輩がよく食事に誘ってくれた。

(というか無理矢理食べさせようとしたんだろうが)

結局帰宅するのは夜遅い時間だった。


そんな時、福岡に行かなければならない仕事が入った。

でも、彼とよく会っていた福岡にはどうしても行きたくなかった。

福岡だけでなく、彼と一緒に行った場所を私は避けるようになっていた。


ただ、九州支社はその年の5月に別の場所にできた新しいビル移転していて、

彼とよく会った古いビル九州支社はすでになくなっていた。


仕方なくそ仕事を受け、日帰りで福岡に行った。


仕事を終え、福岡空港羽田行きの飛行機を待つ時間

いつもなら、空港内にある有名なクロワッサン屋でクロワッサンを買う。

彼に「美味しいから一度買ってみなよ」と言われて買ってからお気に入りだった。

そして搭乗口で搭乗開始までメール電話をする。


もう、クロワッサンを買う気ににもならない。

メール電話をする相手もいない。

仕方なく、売店でお土産を買って時間を潰して搭乗時間を待った。


彼と初めて会ったのも、福岡での定例会だった。

距離が縮まるきっかけになったのも、福岡出張だった。

羽田福岡行きの飛行機を待っていたら、偶然同じ便で福岡に向かおうとしていた彼に会ったこともある。


博多駅から九州支社に向かう途中の道、彼と電話しながら歩いたこと。

九州支社の裏にある公園で話したこと。


色んな事を思い出しすぎて潰れそうだった。


結局その日は、ほとんど眠ることもできず朝になった。

翌日は土曜日で、午後から横浜に行く用があったものの、他にする事がなかった。


ふと、ある男友達の事を思い出した。

その人は会社の同期ではあるものの、職種が違うため仕事での関わりが全くなく、勤務地も違っていた。

それでも入社してすぐの研修で同じクラスになって仲良くなってから

定期的に二人で飲みに行っていた。彼と付き合っていた時も月1程度で会っていた。

私にとっては完全に「友達」で、恋愛対象として見たことは一度もなかったし、

それは相手も同じで、私を女として見ることはなかった。

から、二人で会っても大丈夫だと思っていたし、彼に対して、悪いことをしている気持ちには当然ならなかった。


その友達に彼のことは話した事は一度もなかったし、

私の色恋沙汰について何か聞いてくることもほとんどなかった。


ちょうどいいや…。


さすがに当日に連絡しても空いてないだろうなー、と思いつつ、メールをした。


福岡出張行ってお土産あるんだけど、いる?

いるー!

いつあいてる?お菓子から賞味期限があるんだけど。

今日あいてるよー。


その日は横浜で待ち合わせをし、東急ハンズで買い物をして、飲みに行った。


それからの週末はしょっちゅう旅行に行き、家にいることはほとんどなかった。

北海道名古屋沖縄京都。。。


そして、旅行お土産だとか色々理由をつけて、その男友達と頻繁に飲みに行った。

ただ、時間を埋めてくれる人が欲しかった。

色々深く聞いてこないその友達が、一番都合がよかった。

そしてその人と一緒にいると、不思議と気持ちが落ちついた。


その年の年末は、女友達イタリアに行った。

前年の年末は、彼がリーダーをしていた病院正月システム本稼動があり、彼は当然仕事をしていて、一緒にいられなかった。

来年は一緒にいられたらいいね、と言っていた。だから日本にいる事すら嫌だった。


そうやって、現実から目を逸らすことで、どうにか自分を保っていた。

現実を受け入れた瞬間、私自身が壊れてしまいそうだった。


F1が好きだった彼と私は、いつも月曜日F1の話をしていた。

F1放送を見ると彼の事を思い出し、また後悔の螺旋に落ちて

這い上がれなくなるので、私は見るのをやめた。

二人とも読書が好きだったので、会うとよく読んでいる本の話をした。

仕事が早く終わった時はいつも本屋に行って本を買っていたのに、本屋に近づくことすらできなくなっていた。


今はどうにか読書をすることはできるようになったものの、F1はどうしても見ることができない。

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