はてなキーワード: ブロイラーとは
https://anond.hatelabo.jp/20220713203406
ただ輪るピングドラムは完全ネタバレしていくともう少しいろんな事象を混ぜている。
視聴者層が若かったのではないか。今年開かれた原画イベントに行くと当時十代後半だった層が殆どだったので…多分見終わってから調べた層が殆どではないかと。
しかし2021年になってしまい、新規視聴者が増えても、時代背景からの作品理解がどんどん難しくなっていて、当時のブログや考察もなかなかたどり着きにくいなと感じている。
一応ピンドラ考察代表例としてだされている「ピンドラがモチーフにしたもの」についていくつか触れておくので、全くわからなかった人はこのあたりをヒントにしたらいいと思う。
■95というモチーフ
1995年のことだ。バブルは崩壊したが残り香がある時期。世間は2022年のように混沌としている。当時の混沌から勢力を拡大したのがオウムとする意見が主流だ。
モデルの事件として地下鉄サリン事件、は勿論なのだが、この年にはその前に「阪神淡路大震災」が起こっている。
村上春樹の「かえるくん、東京を救う」が劇中に出てくるが、これは短編集「地震のあとで」に収録されているその震災の話だ。
同じく村上春樹の「アンダーグラウンド」というサリン事件被害者インタビューの本がある。
この2冊は作品構造とも密接に関わっているので、考察するには要チェックだ。
作中で出てくるキーワードだ。
これは神戸児童連続殺傷事件(1997年)の犯人が出した犯行声明に書かれていたキーワードだ。
この件に関しては同監督作品の「ユリ熊嵐」の方が直球で投げていたかも。
■カレー
98年に起きた和歌山毒物カレー事件について思わせるシーンがいくつかある。
アニメ冒頭から語られる話であり、ピンドラを考察するならまずこれを読めというものでもある。
登場人物の名前から、関係性、台詞などアニメの構成自体のベースにあるものだ。
ただもう一つ踏み込むと、宮沢賢治が宗教観で父親と対立していたこと、岩手に「ユートピア」を作ろうとしていたこと、病弱な妹を溺愛していたことなど、彼の人生も重なる部分があるので調べてみてほしい。「自己犠牲」についても同じくだ。
聖書などを匂わせる描写もあるが、それも宮沢賢治の独特な宗教ルーツから連想したと思われる。
幾原監督の根本的な怒りの部分がここにある思われる。1964年生まれの監督なので、そのあたりを踏まえてみるともっと考察が生まれるはずだ。むしろその世代に語ってほしいとさえ思う。
■南極物語
銀河鉄道の夜と並行してこのストーリーが組み込まれている。こちらも登場人物に名前に注目してみてほしい。
■リンゴの受け渡し
この辺は有名な考察なのだが今から視聴する人がこの考察にたどり着けるか心配なので、一応触れておく。検索したら出てきます。最終回後にどうぞ。
まあまだ考察は山ほどある作品だが、このあたりを検索していけば他の考察も目にするだろう。youtubeとかにもあがってたりするので。
本作の見方で個人的におすすめなのは「分からなければ一旦ネット上で溢れている考察を鵜呑みにして見直すこと」で、その上で「それは違うんじゃないかなー」ってなっていくから…
やっぱ「生存戦略ー!ハイレグ!」で釣られて気軽に見れる作品ではないなという印象はずっとあります。導入すげー軽いんだけどな。怖いんだよなそこが。愛の話で片付けちゃうと宗教っぽいよね。総括すると愛の話なんだけどね。
あと総集編の新録パートがまたどう転ぶのか難しくて、そのへんも考察を待っている。この記事見るのはこのアニメのファンだろうから「それは違うよ」という意見ならどうぞ語ってほしい。議論こそピンドラだ。
私たちはいつから肉食になったのか?日本人の肉食の歴史を徹底解説!
https://intojapanwaraku.com/culture/48024/
疲れている時、あるいは気合を入れて勝負に臨みたい時、もちろんなんでもない時にでも「お肉食べたい!!」と思うことはありませんか? 焼き肉、から揚げ、ハンバーガー、さまざまなお肉をわたしたちはすぐに食べることができます。しかし、こうしてお肉をなんのためらいもなく食べられるようになるまでに、わたしたちのご先祖さまたちは葛藤を繰り返してきたのです。
日本人の肉食について『肉食の社会史』(山川出版社)の内容と、著者である上智大学教授・中澤克昭先生のお話をもとに追ってみました。
うつりかわる肉食への考え方
日本史の教科書などで「文明開化」の言葉とともに「牛鍋」を食べる人の絵を教科書などで見て、なんとなく近代(明治時代)以降に肉食が始まったと思っている人は圧倒的に多いのではないでしょうか。けれども中澤先生によれば、肉や魚を食べることは、伝統的な食文化だったそうです。ただ、平安時代からは「食べないことが高貴な身分のふるまい」「食べるのはいやしい」と思われるようになったとか。また、家畜は労働力を提供してくれる大切な存在であり、食べる対象としては見ていなかったようです。
3世紀ごろの日本(ヤマト)には、誰かが亡くなった際、喪主は肉食をがまんする習慣があると『魏志倭人伝』に書かれているそうです。これは「物忌み」のひとつとして肉食を慎む「禁欲」だったと考えられています。つまりこの時点では日常における肉食は「禁忌」ではなかったのです。その後、6世紀に仏教とともに「殺生」を「罪業」とする考え方が伝来します。喪に服したり何かを祈願したりする時に肉食をガマンする習慣と仏教の殺生罪業観、このふたつが融合して、のちの肉食忌避(タブー)につながっていくのです。
しかし、肉食忌避が強まるのは中世からで、古代には天皇も肉を食べていました。天皇は各地でとれたものを食すことで統治していることを示していたからで、イノシシやシカも食べられていたことが、さまざまな記録や古代の遺跡から出土した木簡からわかっています。中澤先生によれば、「大地を象徴する生き物を狩ることで土地の所有権を確認する儀礼でもあった」と考えられているそうです。
古代には禁欲の対象だったお肉も、平安時代になると禁忌つまり忌避されるものへとかわっていきました。たとえばイノシシは何世代も飼育されるとことで「豚」という家畜になりますが、奈良時代にはヤマトでも豚が飼育されていたそうです。ところが平安時代になると、食用に育てられている動物が確認できなくなります。野生のイノシシを食べることは続くので、家畜は食べないほうがよいというメンタリティを持っていたことはまちがいなさそうです。
「天神さま(菅原道真)の牛のように、神話や伝承の世界にも動物は出てきますが、家畜を食べるという物語はまずありません。タブーだったのです。死んだ家畜、いわゆる斃牛馬(へいぎゅうば)はいわば産業廃棄物で、専門の人々によって処理されましたが、その仕事にあたっていた人は捨てずに食べていたと思われます」(中澤先生)。ただ、そのことは公の記録には残っていません。馬刺しも牛の内臓(ホルモン)も食べられていたはずですが、身分の高い人には忌避されていたのです。おおっぴらに食べられるようになったのは、近代以降ではないでしょうか。
新鮮な馬肉
では、鶏肉に関してはどうだったのでしょうか。「鶏も『時を知らせる、占いをする』という性質が強いので、おおっぴらには食べられていなかったと思います。卵は食べたはずですが、それもあまり記録にのこっていません」(中澤先生)。闘鶏に使われた軍鶏などは「筋肉質で硬くて、現在の鶏ほど美味しくなかったでしょうね」と先生はいいます。「牛も体脂肪が少なく、現在の『霜降り』のような食感とはほど遠かったのでは」とのこと。
なお、近代以前に肉を地方から京都や江戸へ運ぶとき、塩漬けにするか干し肉にする場合が多かったそうですが、キジの新巻や干し肉も存在していたとか。案外さまざまな加工肉があったそうです。……鮭では見たことがありますが、鳥が新巻にされるなんて想像もつきませんでした。また、少し前にグルメ界を席巻していた熟成肉もあったそうです。遠くから生で運ばれた場合、その可能性が高いとか。よく食べられていたのはシカやイノシシでしたが、貴族社会の宴会ではメインディッシュとして鳥のキジが好まれたそうです。焼くだけでなく、刺身でも食べられたそうですが、味付けは摂関家であれば、ひしお(現在の味噌・醤油の原点と考えられている調味料)や酢などが使われたと考えられています。
肉食を考えるうえで必ず登場するのが「鷹狩り」です。鷹狩りは、神々へのお供え物の調達手段としても大切で、仏教の殺生禁断の思想が広まってからも続けられました。古代には貴族の間で行われて、鷹狩りのための狩場もつくられ、鷹狩りに用いる鷹の繁殖のために狩猟や入山を禁じた巣山や巣鷹山と呼ばれる山もありました。その後、貴族から武家に権力が移ると、キジだけでなく白鳥や雁もよく狩られるようになり、小型の鶴が狩られたこともあったようです。武家の食事のマナーでは、鷹狩りの獲物は箸ではなく指で食べることになっていました。食材としての価値が高く、食べ方にも特別な作法があったようです。
江戸時代になると、徳川家康が好んだ鷹狩りを、代々の将軍が受け継ぎ行っていました。江戸幕府第5代将軍・徳川綱吉が発した「生類憐みの令」のころまでは史料上確認できますが、その後しばらく姿を消してしまいます。復活するのは8代将軍・徳川吉宗のころ。吉宗は徳川家康を尊敬していたので、家康が好んでいた鷹狩りを復活させたようです。その後、大政奉還が行われ明治新政府が発足した後は、鷹狩りは大名の特権ではなくなりました。明治天皇も御料場で鷹狩りを行ったようです。在位中の天皇が狩猟に出かけたのは、白河天皇が1073年に嵯峨野で鷹狩りをして以来のことでした。天皇は800年ものあいだ狩猟をしていなかったわけですが、この800年はそのまま武士の時代と重なっているのが興味深いところです。
明治天皇は1872年に牛肉を食べましたが、近代以降もしばらくは肉食に対する忌避感がありました。しかし、食の欧米化や大規模な多頭養豚経営、乳用種雄の肥育牛の食用への転用などにより、1955(昭和30)年ごろからは急速に肉食が一般化していきます。結果、戦後生まれの世代からは肉食があたりまえの世の中になって現代に至ります。食肉生産が進み、ブロイラーが出てきたからこそ「帰りに焼き鳥でちょっと一杯」ができるようになりました。そんな生活も高度成長期にようやく成立したもので、まだ現在のような「お肉を食べたい」「お肉を食べよう」の歴史は50年ほどしかないのです。
一方で2030年ごろには、世界の人口の増加が食肉生産を追い越してタンパク質が足りなくなる「プロテイン危機」が起こるという研究があり、昆虫食の研究などが進んでいます。今のようにお肉を食べられる時代は、日本史のなかの、ほんのわずかな期間で終わるのかもしれません。
「動物を殺す」肉食に対してはさまざまな意見もありますが、人間の食欲がそれを抑え込んでいるのが今の時代です。お肉はいつでも好きなだけ手に入りますし、食べることもできます。「中世には動物を殺すことやそれを食べることがタブーとされていましたが、実際に食べる人は少なくありませんでした。うしろめたさと食欲との葛藤があって、そこからさまざまな言説が生まれました。現在も肉をめぐってさまざまな問題があります。もう少し葛藤があっても良いのかもしれません」と中澤先生は言います。「お肉が食べたい」という気持ちを自由に満たせる今だからこそ、食文化についてちょっとだけ考えてみませんか。
普段、ブラジル産のブロイラーしか食べてないとたまに国産の鶏肉食べさせてもらえると臭みがなくてビックリするんだよな。で、次にブラジル産のブロイラー食べると「くっさwwww」と思うんだけど二口目には慣れて、肉がプリプリで美味しいくらいしか感じなくなる。
めっちゃ安い肉ばっかり食べてるけど普通に美味しいんだよな。たまに高い店連れてってもらうと「俺は何を食ってたんや」ってなるけど、だからって安い肉に戻れないなんてことはない。「安い肉の安い味がするぜ……ウマい!テーレッテテー」ってなる。
何時間ネカフェに居座るかの「見積もり」を前もって出さなきゃいけない。
これがしんどい。
勝手に最適なやつに切り替わってくれよ。
延滞料金めいたやつが高すぎるよ。
3時間かな? って思うと6時間寝ちゃうし、6時間だけ寝ようって思うと10時間寝てしまう。
だから結局常に12時間コース(2400円ちょい)にするしかない。
それ以外で寝過ごすと速攻3000円越えてしまう。
そりゃホテルよりかは安いさ。しかしシャワーは別料金だし、ご飯がタダで食べれるわけでもない。
シャワーがコース料金に含まれる、もしくは格安、あるいはご飯が食べ放題というネカフェはある。
池袋のマインスペースはシャワーがとにかく快適。30分~1時間使ってOKだし、天井もふさがった完全な個室が選べる。
新宿のマンボーネットルームは漫画が一切ないしシャワーはコインシャワーだが12時間2000円ちょいでご飯(牛丼とカレーとコロッケ)が食べ放題。
ご飯が食べ放題って狂気の沙汰だ。僕はあそこを「ブロイラー」と呼んでいる。一度入るともう出る気にならない。そもそもご飯を食べて寝る為に生きているんだから、貯金尽きるまでここで暮せばいいんじゃないのかってくらい不満がない。栄養偏って死ぬと思った。
ネカフェにずっといても飽きるので「コンビニ行くかー」ってなるじゃん?
でも食べ放題フロアがあると「その前に飯・・」ってなるじゃん。
最上階の食堂フロアへ行って、鍵を渡すと食券がもらえるから、それを持っている間は無限におかわりができる。
まあ、なんとなく最低2杯はご飯食べて、味噌汁も飲んで、コロッケも食べて。最上階から新宿の殺風景な景色をぼんやり眺めて。
「戻るか」ってなるでしょ。
自室戻るでしょ。
そりゃあんた、寝るでしょ。
ジ・エンド。
一日食って寝てるだけで終了。
「囚われる」
僕それで一週間出られなかったから。
もう牛丼とカレー食べない! ぜったい外食する! って覚悟決めて外出ない限り、抜け出せない。
しかもハンパな牛丼チェーンより美味いんだわ、マンボーネットルームの牛丼。自分でいくらでもつゆだくにできるんだよ??
ああ、今すぐあの殺風景な食べ放題フロアに行きたくなってきた。
店員も常に手持ち無沙汰で。二人くらいでずっとだべってて。
客も3人くらいしかいない。
あれで畑仕事とかしたら賃料タダになるとかだったら、畑仕事するし。
ブロイラーってなんか可愛そうだな
ウマ娘の件でめちゃくちゃねちねちしたいやらしい人格を露呈し馬脚を現したわけじゃなくて
ウマ娘の件までは私が勝手に元ガチャピンの人をまもとだと思っていただけで
私が悪いんだ……もう…楽にしてくれ……
一度この人に対して実はすごい嫌な人なんじゃないかと思ってしまうと無理。
とたんにいろんなコメントに違和感を感じるようになってしまった。
元ガチャピンの人が変わったのではなく私の見方が変わっただけ。
ガチャピンアイコンだった時に彼の発言が問題なく見えていたのはアイコンがガチャピンだったからかもしれない。ガチャピンすげー。
とどめは今日のこれ。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/T_akagi/status/1373483114517782536
赤木智弘@おとなブロイラー on Twitter: "アンチフェミクラスタの特徴として「一度批判的に扱った相手を延々とあげつらい続ける」がある 呉座氏や白饅頭氏のさえぼう氏叩きも、その文脈によるのだろう つまり、彼らは「問題の理解解決」に重きを置かず、ひたすら自分たちの意に沿わない他者を叩くことで存続するクラスタであると言える"
なんでも俺様以外の何かが悪いと言い張るのは赤木の通常運転だが、このコメントに対しての元ガチャピンの人は
とコメントしていた。これは私の中では無理なやつ。お気に入りから外した。おわり。
今回赤木が言ってるのは御座候みたいな名前の歴史研究家が、アンチフェミ代表格の白饅頭と組んで女性フェミ文学研究者にねちねちと嫌味を言い続けていた話。御座候が論外なのは言うまでもない。だが、今はてブで見かけるのは、御座候をたたくために同じことをやってるフェミたちの姿。togetterで過去の発言を逐一晒し上げ、女性フェミ文学研究者陛下やカワカミプリンセスに逐一twitterでチクリをしている人たちがいて、それをいちいちはてなブックマークしてる人たち。
気持ち悪。
よってたかってチクリ行為をやってることをとがめられた人のセリフがこちら
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/muimi/status/1373513042072272898
呉座さんを批判したら「さえぼうのお仲間」になるんですね。おかしいことをおかしいと言っているだけですが。鍵アカの内容が漏れたことには同情しますが、そもそも揶揄や悪口を言っていなければこうはならなかったんじゃないですか
さらに調子に乗って、その周辺の人間まで叩きに行く人間。その中にはとても下品な言葉遣いをしている人がいるのだが誰も咎めない。
御座候や白饅頭と同じくらい気持ち悪い。普段あれだけ倫理高そうな顔をしておいて、標的が見つかるとあっさりと同じレベルに堕ちる。浅ましい。
立場が変わって自分たちが有利な立場になったとたん御座候や白饅頭と同じことを言い出す輩。キモイキモイキモイ。
御座候は論外としておフェミ様がやってることも問題だろうという姿勢を示しているのは池内恵先生と北守先生だけ。この二人だけ御座候を批判しつつ同様にフェミ側も批判してる。
元ガチャピンの人はこれらのはてブ欄にも数々顔を出し、リンチみたいな状況になっているのを目にしているはずなのに、フェミたちが
をやっていることについては無視して、アンチフェミだけのことをあげつらっている。
無理。こうなるとただのフェミ党派性に偏った凡百なおじさんでしかない。見る価値がない。
ガチャピンの人が間違ってるだとか否定したいとまでは言わないけど
こういう風に長文かける人はそれだけ煩悶・自問自答しているわけで、ヴィーガンになる傾向があるだろうし、
99%の人間はそんなに深刻に考えられないという意味で、すばらしいプロセスだと思うよ
仮に動植物がありがとうとか一緒にいてくれて助かるとかいつもお世話になってますと言ってくれるなら、それは人間が何をしたときなんだろね
かりにだが羊に生まれたとしよう。
それで広い空気のきれいな牧草地で仲間と一緒に草をはんだり遊んだりする。
春になるとバリカンで毛を刈られてスースーする。
ひょっとしたら1日が1週間くらいの密度かもしれない。
そして何年かすると、老人(老羊)になって死んでいく。
長年連れ添った友人たちも、さようならといっている。
長年、牧草地で草を食べさせてくれた人間や牧羊犬も、悲しそうな顔をしている。
「毛も何十kgも刈られたけど、まあそれで誰かぬくぬくしてくれるならええかw」
「ほなさいなら、ありがとなー」
って感じで、羊ながらに充実した人生を送れたと。
人間のおかげで、安全な場所で、オオカミにおびえないですんだと。
その逆を考えてみよう。
糞尿にまみれた床で、動けるのは半畳ほどのスペースもない。
みんな何もしゃべらない。何も知らない。
太陽があることも、川があることも、牧草があることも知らない。
機械につながれて、乳が出る。
しばらくすると、乳がでなくなる。
エサが与えられなくなる。するとまた乳がでる。
それを繰り替えして、いよいよ乳がまったくでなくなる。
狭い一方通行の道を進まされる。
ガシャンと後ろのシャッターが閉まり、額に銃のようなものを充てられる。
ズドン、という音がして、真っ暗になる。
なんだったんだろう、この体験は。なんだかよくわからないけど、すごい場所だった。
覚えているのは、青白い顔をした人がたくさんいて、乳が張って、食事がなくてひもじかった記憶だけ。
広い世界を歩いたり、水を飲んだり、太陽がまぶしかったりすることを知らない。
ママどこー?って泣いてたのだけ覚えてる。
しばらくしたら、全身がバキバキという音を立てて、画面が真っ暗になったのだけ覚えてる。
https://honkawa2.sakura.ne.jp/0450.html
FAOの2014年データによると、世界の人口は73億人であるが、牛は14.7億頭、豚は9.9億頭、羊は12.0億頭、山羊は10.1億頭などとなっており、この他、水牛、馬、ロバ、ラバ、ラクダなど大きな家畜を含めると合計して50.0億頭となっている。世界の人口の4分の1は15歳未満の子供であるので、世界全体で、だいたい大人1人当たり、約1頭家畜を飼っていることとなる。
また鶏は採卵鶏あるいはブロイラー等として214.1億羽飼養されているので、人口1人当たりでは、2.9羽飼っていることとなる。