はてなキーワード: パッシブとは
死にたい、とふとした瞬間よく思う。
アクティブな希死念慮ではない。ロープや練炭を買うこともなければ、富士の樹海や東尋坊に行くこともない。時々発症するパッシブな希死念慮だ。
人生の配信終了ボタンがあるなら押してみたい、定食屋で今だけ死が無料サービスならちょっと選んでみたい。それなりの頻度で「あー死にてえな……」と思う程度の、ファッション死にたがりでしかない。
そんな中に現れた死のチャンス。これを逃す訳にはいかないのである。コロナワクチン接種後に亡くなられた事例が約350件。国内で1回目のワクチン接種を終えた人数は7/5時点で約3255万人。ざっくり計算しても0.001%くらい。交通事故に遭う確率よりは断然低いらしい。しかし宝くじの1等よりは当たる。
これはチャンスなのだ。当たれば死ねる。もし死んだのなら、ワクチンの発展の為に献体にでも回してほしい。当たらなければ「0.001%が当たるわけないよな」なんて言い訳しながら生きる。「あー死にてえな……」とぼんやり思う事も、これまでとなんら変わらない。
チャンスがあるならやるだけやる。それ以上の理由もない。チャンスだからこそ、コロナワクチンを打ちたい。2回きっちりと。そうしてまた、「死ねなかったなあ、死にてえなあ」と思いながら生きてゆくのだろう。
以下中央エリア(ジャングル)担当者をジャングラー、上下エリア担当者をレーナーと呼ぶ。
専門用語がいくつか出てきてMOBA経験者向けの内容になってしまうかもしれないが許して欲しい。
このスキルで敵に張り付いてひたすら殴るのがアブソルの戦い方になる。
また、対象への通常攻撃のダメージも上がるので、サイコカッターでスローにし、つじぎりで飛びつき殴る。
ユナイトスキルには無敵時間があるので自分がフォーカスされたタイミングで使うのが良い。
細かい点になるが、通常攻撃3回目で特防を下げるので、スキルを当てる前に通常攻撃で特防を下げておくとダメージが増える。
野生を狩るのが早くなる。特にカメやロトム、サンダーを味方と協力して倒す際に重要になる。
通常攻撃と攻撃速度が上がる事により、対人戦はもちろん野生を狩るのも早くなる
・ピントレンズ
パッシブで急所率が上がるアブソルと相性が良いアイテム。運次第だが急所の連続でとんでもないダメージを出せる事がある。
・自由枠
更なる火力を求めるか弱点の耐久力を補うか好みで決めて良い。
アブソルは通常攻撃3回目で相手の特防を下げるので特攻を上げられる「ものしりメガネ」
耐久力を補う「ゴツゴツメット」など
アブソルを選択して、バトル準備画面でアイテムと持ち物を設定しよう。内容は上記項目参照。
中央エリアに行く事をアピールし、担当エリアが他の人と被らないようにする。
もしこの時他にも中央エリアに行く人がいれば譲ってあげよう。ピカチュウやカビゴン、ワタシラガなど強そうなキャラを選んで上下エリアに向かおう。
ゲームが始まったらフェイントを取得し、真っ直ぐ右に直進する。
壁の向こうのヨーテリーに向かってフェイントで飛びつき、エネコのしっぽを使用してなるべく動かさずに倒す。
スタート直後にヨーテリーへと徒歩で向かうついでにレーナーと猿を狩るジャングラーがいるがこれはやめた方がよい。
猿はレーナーのものでありジャングラーが経験値を吸ってはいけない。
その為一直線にヨーテリーに向かうのだ。
フルクリアのスタート位置を自分で決められないので、GANK先がランダムになってしまう。
後述するが、上側バフ野生スタートの場合は上側にGANK、下側バフ野生スタートの場合は下側にGANKとなる。
GANK先を自分で選択するためにヨーテリーにエネコのしっぽを使い、真ん中付近で倒す事により、上下どちらのバフ野生スタートにするか選ぶ事ができるのだ。
あとエネコのしっぽ使わないと上下のレーナー付近まで逃げて行ってしまい、ラストヒットをレーナーに取られる可能性がある。
何度か取られて絶望したので毎回しっぽをヨーテリーに使うようにしている。
ヨーテリーを狩った後、上側バフ、下側バフ、下側ザリガニ、上側ザリガニの順に狩り、上側エリア付近でレベル5になる。
このフルクリアルートだと残り時間9:15秒程でレベル5になるのでゲーム中1番レベルが高い存在となる。
この状態でレーンにGANKするのが序盤の動きだ。
下側エリアにGANKしたい場合は下側バフスタートにすれば良い。
最初のGANKを行ったらダラダラと長居せずにすぐにリコールをしよう。
8:40ほどで牛かルンパッパが湧くのでまたすぐにフルクリアする。
そしてGANKに行く。
序盤はこれの繰り返しだ。
これらの野生を狩る事でぐっと勝利に近づく。
出現する時間になったらどちらが取りやすいか判断して素早く向かおう。
勝ってるレーンは取りやすいし、負けてるレーンは取りづらい。
可能な限りどちらかは取りたい。
協力してくれる味方がいたら一緒に殴るタイミングでエネコのしっぽを使おう。
2回目の出現タイミングにも気を配り素早く寄って取ろう。
これもできればカジリガメが欲しい。
2回ともカジリガメが取れればチーム全体のレベルが上がり勝ちやすくなる。
ゲーム中盤はロトムやカジリガメ周辺での3v3の結果が重要になってくる。
レーナーにも言える事だが、カメとロトムが湧いている間は人数不利にならないようしっかりレーンに留まってチャンスを伺おう。
サンダーを取るとゴールにポイントを入れる際の待ち時間が無くなる。
ラストスパート中なので、相手ゴールに辿り着きXをチョンと押すだけで100点が入る。
これを阻止するのは難しいので、サンダーを取ったチームが大幅に有利になる。
サンダー自身の戦闘力も高く、複数人で協力して狩る必要がある。
味方が寄ってくれないと相当厳しい。
ここで初めて5v5の集団戦が起こる事が多い。
人数不利で集団戦に負け、サンダーまで取られると負けが濃厚なので、何も考えずにサンダーに寄ろう。
まとめ:全員サンダーに寄れ。とにかく寄れ。
まあ結構2年半くらい経ったしそんなもんかなと思ってショップに持ち込んだら
店員「あれ、これどこかに水没させました?水に濡れたことによる故障だと、保障がなんとかかんとか」
僕「いや別に水に落とした事も、風呂で使うようなことも無いですけどね」
店員「そうですか…」
この時に、僕は世界の声を聞いて、水のスキルを使用できることを思い出したんだけど、それを店員に伝えることはできなかった。
僕のスキルはbubbly mist。体の一部に水分を集めて霧状に噴霧してピンポイントで火炎耐性を高めるパッシブな防御スキルだ。
僕はスマホを胸ポケットに入れる習慣があり、この夏の暑さの中、脇や胸にこの防御スキルが頻繁に発動されていた。
ふと気づいてスマホを取り出すと、画面全体がじっとり湿って濡れていることが、そういえば何度もあった。
心療内科に通っては辞め、通っては辞めていたが、「薬を飲んでいるとようやくつらい思いをせずに生活を送れる」ことに気付いたというか、そうしなければ生きられない人間なのだと諦めがついた。通院8か月目。たしか。
心療内科ではなく、精神科にいけば根本的に直してくれるんだろうか?カウンセラーさんは、本職の方には申し訳ないが「考え方を矯正する」もしくは「話を聞くだけ」のイメージ(2,3回通っただけ)なので頼ろうと思えない。でも友人の勧めでとても良い方がいるそうなので、経済的に安定したら受ける。経済的にという単語を出したが、自立支援制度を使っているので医療費は1割負担に軽減させてもらっている。(カウンセリングは自費&高額)
いまは、1日3回各1錠の精神安定剤と、夜寝る前に抗うつ薬(躁うつ病向け)、そして睡眠導入剤を服用している。
薬を飲まない素の状態は、記憶がある限り幼稚園の時から30歳近くのいまも変わらず、「なにも悲しくない、つらくないのに、ただひたすら悲しい、つらい」ために涙が止まらない日が週に何度もあり、授業に出ていても、料理をしていても、電車に乗っていても、ウォーキングをしていても、野菜を食べていても、いつ何時でも涙が出る。
そして常に頭の中が騒がしいのだ。毎日同じことを考える。
「涙が出るが訳が分からない」
「なにもないのになんでこんなにつらいのか」
いわゆるライフハックは知っているし何度も試したし、友人おすすめの動画ワーク(いろいろノートに書きだす系)もやってみた。敏感な人向けの本も読んだし、総括すると「そのままの君でいいんだよ」な本も読んだ。
でも、申し訳ないが、どれもわたしには当てはまらない。自責の念だとか、他人のあれこれが気になるとか、そういう具体的なものではないのだ。わけもわからずパッシブで涙が出る。
いまは一日3回定期的に安定剤を服用しているからなんとかなっているが、これ(最大量)でも涙がでてしまう場合は頓服として処方されている液体の安定剤を追加で飲んでいる。これを飲むと落ち着く気がするというか、「私的最終手段を使っているのだから安定しないはずがない」と思って自分をなだめている。
最近傷ついたことと、まあそうなんだけど改めて言われるとショックだなと思ったことがある。
傷ついたことは、「あなたは薬を飲めばスッキリするけど、相談されたこっちはそうじゃないんだよ」
改めて言われてショックだったことは、「常に薬を服用しない人の気持ちはわたし(健常者)には理解ができないから、アドバイスができないんだよ」
そりゃそうだ、としか言いようがない。
だれならわかってくれる?親は「気の持ちようだ」と大学生のときの私に言い張ったのでもう二度と相談しない。
手術して治るものなら、費用を工面して治してハッピーなライフを送るのに。
薬を飲んでいても泣けてしまう自分が本当にわけがわからない、そして薬を飲まない素の自分は社会生活を送れないのだからいったいどうして生きなければいけないのか、と思う。毎日「なぜわたしは生きなければならないのか」と思う。
さめざめと泣きながらこれを書いている。Tシャツが涙で湿ってしまってもう拭えない。
追記:
男は生涯を通じて「性欲」というパッシブスキルを背負う生き物だ。
たったこれだけ、何の変哲も無い毎日を送る間に、一切の脈略無く性欲ゲージが溜まっていくのが男という生き物だ。
自慢じゃないが、私は10代前半の頃に1日8回オナニー生活を送っていた時期がある。
8回もオナニーすると射精はもはや機能していない。むしろ勃起すら怪しい。
生物学的にこの行為には1ミリも意味が無い。だが新たな機能の獲得を感知した私の脳がバックグラウンドで命ずるのだ。なんとなくその快楽の向こうに私の生物学的ゴールがあるよと。
私はそれに抗えない。まこと恐ろしい話である。今やったら死ぬ。
動物の例を出すまでもなく、自分が生まれてきた機序とか同族を増やす意味とかそういう後付けの一切合切を踏まえずに最初から備わっているもの。それが性欲だ。
意味など知らぬ。でも「ある」のだ。
ちなみに私はオナニーの方法について外部から一切の教材を得ていない。ある時ふと気がついた。
とはいえ、幸か不幸か人類は他の動物よりほんの少しばかり余計に理性を得た。
そして、そういう性欲を野放しにすることはどうもよろしくないという合意に至った。
ゆえに男は「性欲」というパッシブスキルを制御するため、さまざまな追加効果を学習するようになる。
その最も基本的なものが「合意無しに相手を襲わない」というものだ。(当然ですね)
予防線として言っておくが、私は決して「だから男は性欲を我慢して頑張ってるんだ」とか、「女を襲わない男は偉い」ということが言いたいのではない。
しかし悲しいかな、パッシブスキルはプレイヤー以外の目に見えない。
自分のことならまだしも、周りの男がどういう性欲のスキルツリーを育てているか、またその中で追加効果を正常に学習できているか、単純に「わからない」。
女性もそうなのかもしれないが、これは男性間であってもよほど親しくないと開示されない情報で、「男が女を愛する」という単純な概念を共有して暮らしているわけではない。
男性同士の姓に関する際どい会話のやり取りからそうではないと思われているかもしれないが、あれは発話者に調子を合わせているだけであって自身の本来の性欲や性癖とは必ずしも一致しない。
白状すれば、実は自分の性欲が世間一般に照らして正常なのかどうかもよく分かっていないのが実情だ。
先に述べた基礎的な部分での学習ができていないのは論外としても、性欲スキルツリーを細かく見ていくと、公序良俗といった社会合意の中で「一般的」とされているものから逸脱した性欲を抱えている個体がいる。
しかし恐らくはその個体でさえ、法律など外部決裁を経ない限り、自分が抱える性欲の良し悪しを本心から信じているわけではないだろう。
ゆえに男が現代社会で男性と女性双方の尊厳を守りつつ暮らす上での最良の方法が、「性欲は内心の領域に留めておきこれを侵さず、他者に危害を加えないなどの基礎事項を守る」という処世術なのである。
しかし感覚値として、この男性が取りがちな「行動しないことで何かを守る」という行動様式はどうも女性に理解されにくいようだ。
男は女性を大事にしたくないわけではない。ただ双方に配慮した今以上の方法もまだ見つからない。
ラブドールの一件で思うところがあったので描いてみた。
戦略をちゃんと立てないといけないのと、程よく運ゲーなのとでリプレイ性が高い
ローグライク系をちゃんとやったことが無いんでズレてるかもだけど戦闘はDarkest dungeonとか世界樹の迷宮みたいなテイストで、回復リソースが限定的なので道中は出来るだけリスクを負わないように立ち回ることを求められ、ボス戦はボスによって戦略を変えて短期決戦を結構求められるゲーム。
ルートがいくつかあって分岐を選んで各マスのアイコンに対応した戦闘やランダムイベント、売店や回復強化などを進めてデッキを作っていく
キャラクターは3人、キャラクターごとに特性と初期デッキがあり、戦闘後に手に入るカード3枚から1枚を選んだり、ショップやイベントでカードやパッシブの永続特殊効果を重ねて行って、ゲームを進めていく。
注: 3Dモード、しばりなし、たねでのステータスアップ一切なし、消費アイテム不使用
DQ11S追加の裏ボスは、第二形態ウルノーガ・ウルナーガの強化版の「失われし時の怨念」と「失われし時の災厄」。
左側が「災厄」で右側が「怨念」。HPは両者とも2万。「災厄」のほうが攻撃も激しく硬い。
はじめは「災厄」だけ攻撃対象で、体力を8000以上削ると「いてつくはどう」をしてから「怨念」に交代し、こちらも体力を8000以上削ると「いてつくはどう」をして両者が出揃う。
両者が出揃ったあとでは、「厄災」は隣接2キャラ(最後尾と最前列の場合もある)を同時に「くらいつく」攻撃パターンをたまにする。
全員レベル99。少なくとも、パッシブ強化系全部と、以降、言及しているスキルは全部持つようにする。
裏ボスとの戦闘前に、最低「ベロニカ」と「セーニャ」は、ゾーン状態にして待機させておく。
パーティの装備は以下。
基本のパーティ編成は、「主人公」、「グレイグ」、「シルビア」、「カミュ」の順(「グレイグ」に「くらいつく」場合を想定した順)。
「主人公」のMPが尽きるなどの状況により、随時「ロウ」を入れて「ベホマラー」で回復させる。
攻撃は、「カミュ」の「分身」+「心眼一閃」(「バイキルト」つき)の繰り返しと、「ベロニカ」+「セーニャ」のれんけい技の「クロスマダンテ」1回で、100手以内を目安に倒す。
「災厄」「怨念」両者そろったあとで、先に倒すのは「災厄」の方から。
注意点は、どちらも名前が赤色になっても残りHPは5000ほどあるので、「分身」+「心眼一閃」を一回では落ちないものとして行動すること。
「主人公」の役割は「ベホマズン」や「ベホマ」での回復。「カミュ」のHPがまんたんになる基準で回復まほうを選ぶ。
余裕がある場合は通常攻撃してもよいが、「とくぎ」も一度に2〜300ダメージしか与えられないので、MPは温存する。
「グレイグ」の役割は、「マジックバリア」と「スクルト」をかけ続けること。
使うのは「マジックバリア」のほう優先で、つねに全員にプラス効果がつくようにしておき、敵攻撃のマイナス効果を受けないようにする。
優先度は低いが、「ベホイム」や「ザオリク」での立て直しもする。4人そろってる状況では「におうだち」はしないこと。
「シルビア」の役割は、最優先が「カミュ」への「バイキルト」で、つぎに「ハッスルダンス」での全体回復。
味方全体のHPがまんたんなら、「ムチ」にもちかえて「極竜撃ち」で敵の「スカラ」や「バイキルト」を消すのもあり。
「カミュ」の役割は、ひたすら「分身」して「心眼一閃」しつづける。たとえ攻撃目標に「スカラ」がかかっていても攻撃する。
「カミュ」は最優先の回復対象で、死んだら「ザオリク」で最優先に生き返らせる。
リザーブの「ベロニカ」と「セーニャ」の役目は、「クロスマダンテ」を1回使うだけ。使ったあとはお役目なし(死んでも生き返らせる必要なし。
少なくともこの二人は、戦闘前にゾーンに入れておくこと(できれば全員ゾーンにしておくのがいい)。
交代時期は、体力が減って「災厄」「怨念」そろったときや、2人くわれたときなど、立て直しのときがよい。
「ロウ」の役目は、「ベホマラー」、「ベホマ」、「ザオリク」での回復の保険。
やることがなければ、「ツメ」に持ち替え、「ゴールドフィンガー」で敵の「スカラ」や「バイキルト」を消してもよい。
ちなみに、「ルカニ」はたまに効くが、回復を待ってまでやる必要はない。「ドルマドン」も「マヒャデドス」も、それほどダメージは与えられない。
「マルティナ」の役割は、予備。「厄災」にふたり減らされたとき、「ザオリク」ができる状況になくなったとき、「怨念」の止めの一撃にだすなど。
保険として、回復用の「けんじゃの石」や「たたかいのドラム」をもたせておく。うまく行ってれば、一度も出さないですむ。
理想的には
(死んだり、くらいつかれたり、での立て直しがあればターン数は増える)
またイベント報酬として、「マルティナ」の防具「妖魔のバニースーツ」(しゅび力+1、みりょく+200、HP0になるたびに自動復活)と、だいじなもの「失われし時の砂時計」(つかうと「災厄」「怨念」と再戦可能になる)ももらえ、「称号」がつく。
https://note.mu/fromdusktildawn/n/n5067707f07a7
おまえらほんと懲りねーな。
これで「いいもの読んだ!」とか言ってるやつはまず自分が過去にブクマした英語学習と筋トレとプログラム学習の記事を掘り起こして3回ずつ読み返してこい。
「創作スキルを身につける」だの「まじめに論文読むレベルの調査研究する」だの、そーゆーのは元々それが好きな奴とかほっといてもなんかしら活動するようなアクティブな奴らだからできることであって、若いうちから寝転がってダラダラはてブで暇潰してるような奴らが「何十年も先の老後の生活のために」なんてふわっとした理由で始めて続くわけねーだろ。
「友達を作るスキル」なんて、んなもん老後どころか小学生の頃から欲しかったわ。けどとっくの昔に諦めとるわ。40年近く陰キャで通しとる奴がなんでジジババの友達作るために今から頑張れるとか思うねん。
料理と読書はまだマシだけど、全体的に書いてあることが意識高すぎてもう最初から根本的に方向が間違ってる。
俺らに必要なのは「スキル」なんかじゃなく、もっとこう「生活」ってもんに対する淡々とした、身の丈にあった向き合い方みたいなもんだろ。
何者にもなれなかった者が何者にもなれなかった人生にそれでも愛着を見出して、いよいよ選択肢のなくなった日々の生活にそれでもささやかな喜びを見出して。晴耕雨読って、命が育ってそれを食って天気が変わってっていう、人間が生まれる前からずっと続いてるもんに向き合うから意味があんだろ?
「若いうちに獲得したスキルで老後も賢くエンジョイしよう!」とかそういうのは一部のガツガツした起業家とセミナー講師にでもまかせとけ。あいつらは脳と内臓のつくりが違うんだよ。
俺らに必要で、かつ今からでも俺らに手が届きそうなものは、人生の受け止め方とか幸せの見出し方とか、そういう物理的身体的な制約の外にあるもっとパッシブなななにかだよ。