2021-07-06

コロナワクチンを打ちたい消極的理由

早く死にたい死にたいからこそコロナワクチンを打ちたい。

死にたい、とふとした瞬間よく思う。

アクティブ希死念慮ではない。ロープ練炭を買うこともなければ、富士樹海東尋坊に行くこともない。時々発症するパッシブ希死念慮だ。

人生配信終了ボタンがあるなら押してみたい、定食屋で今だけ死が無料サービスならちょっと選んでみたい。それなりの頻度で「あー死にてえな……」と思う程度の、ファッション死にたがりでしかない。

そんな中に現れた死のチャンス。これを逃す訳にはいかないのであるコロナワクチン接種後に亡くなられた事例が約350件。国内で1回目のワクチン接種を終えた人数は7/5時点で約3255万人。ざっくり計算しても0.001%くらい。交通事故に遭う確率よりは断然低いらしい。しか宝くじの1等よりは当たる。

これはチャンスなのだ。当たれば死ねる。もし死んだのなら、ワクチンの発展の為に献体にでも回してほしい。当たらなければ「0.001%が当たるわけないよな」なんて言い訳しながら生きる。「あー死にてえな……」とぼんやり思う事も、これまでとなんら変わらない。

チャンスがあるならやるだけやる。それ以上の理由もない。チャンスだからこそ、コロナワクチンを打ちたい。2回きっちりと。そうしてまた、「死ねなかったなあ、死にてえなあ」と思いながら生きてゆくのだろう。

  • 打たない方が死ねそうだし消極的で確率的な死じゃん?

  • ワクチン接種は「これを受けた後にもしかしたら死ぬかもしれない」というわくわく感がある。コロナ感染だとどの行動が直結したのかわからんからわくわく感ない。

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