はてなキーワード: タツとは
コラージュとサンプリングによる不可解さが面白みか、すごい納得したわ
だからタツキファンって悪い意味での教養主義というか、元ネタ知ってて当然みたいな、クラシカルなオタク文化との相性がいいんだろうな
ハイコンテクストなアートだから。都内美大の、それも上位が理解できる足切りラインかな。高卒にはカケラも理解できないと思うよ。
この記事のブコメやトラバ見てると、タツキ作品のオタクってオタクの悪いとこ出やすいよなと思う。
「万人受けしない作品だからわからないあなたはむしろ正常」「いちいちそんなこと考えるな」「これだからいいんじゃん」という内容が散見される。
なんかこう「このヤバい作品が理解できるオレらw」みたいなノリがあるよね。
私は好きな作品があればなんでいいのか何がいいのか突き詰めて考えたい人間で、同じように嫌いな作品もなんで嫌いなのか何が駄目なのか考えたい。それが世間では人気のある作品ならなおさら。
「好きなものは好き」で終わらせないで「何故なら◯◯が~」と言いたくなるように、「嫌いなものは嫌い」で終わらせられない、自分の気持ちを分析しないと気が済まない人間なのだ。
だから増田の気持ちわかるんだけど、いわゆる尖っててオタク人気のある作品に否定的な意見は浅くて理解が足りない扱いされがちなのがイラッとくる。
https://anond.hatelabo.jp/20220701203714
↑を見て日本のマンガ史の重厚さと幅広さを実感し、媒体レベルでまとめるのは無理だと悟った
せめて出版社、掲載誌レベルじゃないと議論がとっ散らかりすぎるから一旦みんな好きそうなWJで作ってみた(ジャンプ専業とそうでない人の比較においてアンフェアな気がしたので作者単位ではなく作品単位にした)
選考基準は独断と偏見でしかなく、強いて言えば後世の作家への影響、言語化できないジャンプっぽさを重視している。ランキングではなく、連載開始順に並べただけです
黎明期レジェンド枠。現代の観点で言えばいろいろと問題ありそうだけど、サービスエロがジャンプマンガの大きな側面を担っていた事実は否定できないし、そもそもこの作品の売上が無かったらジャンプが存続してたかも怪しいので入れざるを得ない。
黎明期レジェンド枠2。ジャンプ黎明期の売り上げを支えつつ、不良系マンガを一大ジャンルとして確立させた意味で実は物凄く偉大な作品なのでは?という印象。これが無かったら東リべも存在しないよ多分。
ギネス記録である40年にわたる長期連載、そしてサブカルチャー全般を積極的に題材として取り入れたことで現代日本の風俗、文化を凝縮したような史料的価値を持つ作品になった点を評価したい。
黎明期レジェンド枠3。売り上げもさることながら、見開きを用いたド派手な演出の数々や、「荒唐無稽な能力バトル」というジャンルを確立させた点を評価したい。(このジャンルのパイオニアはアストロ球団なのだが、後進への影響はこちらが上かなと思う)
リングにかけろが確立したバトルマンガ路線を、当時の少年たちが大好きだったプロレスに絡めることでさらなる高みへ導いた作品という認識。初めてのジャンプ黄金期を作った作品で、キン消しとか一般社会への影響力もすごい。
あと個性豊かなキャラクターの関係性が面白い。「友情・努力・勝利」の「友情」はほとんどキン肉マンで作り上げられたイメージなんじゃないかな。
勝利や友情といったそれまでのスポーツマンガの王道を抑えるのみならず、サッカーという競技本来のリアルな楽しさにフォーカスすることで、現実社会でもサッカーブームを巻き起こした。マンガ史全体としてはドカベンがそういうジャンルのパイオニアだけど、ジャンプで言えばキャプ翼がそれ。海外で人気が爆発したほぼ初めてのジャンプ作品という点も評価したい。
80年代のジャンプの象徴といえる作品。創刊以来、ジャンプの主たる系統であった劇画タッチやハードボイルドな男向けの作風の最高到達点だと思う。
90年代中盤のジャンプ黄金期を牽引した作品であり、連載が終了してなおもジャンプ、日本のマンガ文化の頂点に君臨する作品。急激な路線変更、無理やり感ある後付け設定と引き延ばしなど、負のジャンプらしさをも象徴している。
国民的作品として定着してきたのはここ数年って感じはするけど、現代の異能バトルマンガはほぼ全てジョジョ3部の影響下にあると思うので入れざるを得ない。
スポーツマンガの金字塔としてやはり外せない。勝利と成長の喜び、敗北と挫折の苦さがこれ以上なく詰まっている。マンガの域を超えて心に響く名言が多いのも特徴だと思う。
特筆して後世への影響や売り上げがずば抜けている印象はないけど、DB幽白スラダン終了後ワンピナルトブリーチが現れるまでの柱としてジャンプ暗黒期を支えた世代の代表として入れておきたい。
ここに入れるのはだいぶ攻めてるような気もするが、集英社における映像媒体以外のメディアミックスとして最大の成功例ではあるのでね。お金は正義。
ラブコメ枠から選ぶならこれかな。ジャンプの主たる読者層である10代の甘酸っぱい青春がこれ以上なく伝わってくる作品。肉感的なエロさを持った絵は典型的な少年マンガっぽくありつつ、キャラクターの内面を繊細に描き出す表現力が見事。
大河ドラマ的な作風であったり、連載中であったり、作画コストが高すぎたりで他作品へ与えた影響がまるで感じられない(マネしたくてもできない)点が評価を迷うポイント。でもなんだかんだ国民的マンガ、ジャンプの看板の地位は譲ってないのがすごい。
残酷で先の読めない展開、異常に複雑で難解な設定、それでいて少年マンガ的なシンプルな熱さを持ち合わせた稀有な作品。「続きが気になるマンガ」を描かせたらなんだかんだ冨樫の右に出るものはいない。
純粋なギャグ枠から一作入れたかった。読者をただ笑わせるパワーにおいて、この作品を超えるものはジャンプ史上ないと思う。
サスペンスを主体としたマンガとしてこれ以上ない完成度。ジャンプ作品って大別するとバトルものスポーツもの恋愛ものギャグもののどれかになると思うんだけど、それ以外のジャンルで最も成功を収めた作品な気がする。
趣味の多様化、出版不況といった逆風を跳ね返せる力がマンガにはまだあると示してくれた功績がデカい。それは単行本の売り上げや映画の興行収入より何倍も価値がある。
今のジャンプ、ジャンプ+がどんどんジャンルレス化している主たる要因はやはり藤本タツキだなーと思う。コンセプチュアルでありながら大衆性、少年ウケを奥底に秘めた感じというか。まだそこまで顕在化してないけど、今後10年でタツキフォロワーが無限に産まれそうな予感がするので入れておく。
藤本タツキ氏の影響で「私小説風で映画を意識した作風」を描く漫画家志望者が増えたんだけど、
他人のアドバイスを受け入れられないタイプの志望者がなぜか藤本タツキ氏と作品に過剰に自己投影してて、
正直キツい。
読者の視点を意識する能力が全然育ってないのに、自分を投影した主人公が突然叫んで何ページも自分語りする作品を描いてくるんだよ。
「自己投影した人物の異常に細かい自分語り以外は既視感ある表現のツギハギで、漫画として成立してない漫画」自体は志望者の描いちゃうものとして割とよくあるんだけど、
問題はこういう点をオブラートに包んで指摘すると突然キレて「藤本タツキは天才ですよ、アンチですか?」みたいなことを言ってくるんだわ。
いや、藤本タツキ氏の作品とあなたの漫画とは全然違うし、そもそもあなたは藤本タツキじゃないし、お前は一体何を言ってるんだ?状態。
アドバイスされているのは藤本タツキ氏の漫画じゃなくて、あなたの描いてる漫画なんだけど…
どう見ても他の人気作品とそっくりの漫画を描いてきた志望者に「あなたは○○先生じゃないでしょ?」と言って「○○アンチか!」と逆ギレされることはまずない(と思う)けど、
めちゃくちゃ独りよがりな漫画を描いてきた志望者に「読者の視点を意識してね」と言って実は相手が藤本タツキ氏に強い影響を受けていた場合、逆ギレして印籠のように藤本タツキ氏の名前を出してくることがある。
全員そうとは限らないけどヤバいやつは本当にヤバい。なんでこうなるんだ?
藤本タツキ氏の漫画、読者の視点をすごく意識してると思うんだけど…むしろ良い例として出したいくらいだぞ。
そういうのを何人か相手しててうんざりしたあと、藤本タツキ氏に強く影響された志望者は、
「私小説風で映画を意識した作風」=「藤本タツキ風」=「主観的で感情をぶちまけ読者に媚びないのがタツキ風」(?)=「読者の視点は気にしなくていい」(??)=「俺の作品を批判する奴は藤本タツキアンチ」(???)
と考えているんじゃないかと思った。
藤本タツキ氏の漫画は面白いし好きだけど、藤本タツキ氏に影響されて描いた志望者の藤本タツキ風漫画は主観的すぎて意味不明なことが多くてキツい。
ファイアパンチもチェンソーマンもルックバックもさよなら絵里も、読者の視点を無視した作品じゃなかったはずなのに、なんでそうなるの?
(ファイアパンチは若干怪しいが)
志望者がプロになるためのハードルである「過剰に自己投影した人物を描かない」「読者の視点を意識する」「第三者のアドバイスを受けて軌道修正する」を越えられない人は昔から居たけど、
その自己正当化のための武器として藤本タツキ氏を持ち出す人が増えた印象。
なぜかそういう人物ほど過剰に藤本タツキ氏に自己投影してるけど、
びっくりするほど痛い。
間違いなく痛いと言っていい。
断言できる、痛い。
パシっと小気味よい音で肌に当たるが、これは全然痛くない。
OK、余裕余裕。
なんて思ってると第二波がくる。
これがマジで痛い。
驚きの痛さ。
第一波で結構平気かも、いけるいける〜なんて呑気に寝そべってたらジワジワジワッとクソ痛いのがやってきて
と大混乱に陥る。
全身冷や汗でびっしょびしょになる。
おそらくレーザーから出た熱が毛根に伝わるまでちょっと時間がかかるんだろう。
皮膚の下にゆっくりと雷が走る、皮膚に熱が伝わる速度を感じる。
もう、必死に深い呼吸を繰り返して痛みを逃すしか今自分にできることはない。
心頭滅却すれば、っていうじゃん。
呼吸をコントロールできれば痛みも乗り越えられるはずだ。
って思うじゃん。
嘘です。
無理。
とにかく痛え。
アホかってぐらい痛え。
今まさに檻から放たれて人間に襲い掛からんとするモンスターのようにフーフーシュコーシュコー呼吸をしても痛えもんはクソ痛え。
でも絶妙なのがギリギリ我慢できるレベルの痛みなの。クッソ痛いけど。
心の中では大暴れだけども。
タンパク質に火が通るのってこんな感じなのかしら、昨日焼いた豚肉の気持ちはどんなだろうと思いを馳せたり。
こんなに痛くても火傷にならないならガチ火傷はどれほどだろうかと奥歯を噛み締めながら想像したり。
なんでこんな高い金払って股間の痛みのP波とS波に耐えなきゃいけないんだろう。
オマタツルツルの民はみんなこの痛みに耐えたのかな?俺たちは仲間だぜ!!って勝手に仲間意識芽生えたし。
こんなこと語れる友達もいないからはてな匿名にぶつけるしかねえし。
孤独ってつら。
でもやる。
将来介護受ける時に介護士さんとかに少し好かれたいという欲望がある。
清潔でいいですねえ、お世話しやすいですって褒められたいんだ。
もうその頃には介護ロボットとか流通してて無感情に世話してくれるようになってるのかもしれないけどさ。
そうなってたとしてもやっぱり毛はない方がやりやすいんじゃないかなあ。
あそこの毛が原因で故障とかメンテ大変とかになっても恥ずかしいし。
とにかく、頑張るよ、私。オマタツルツルの民になる。決めたんだ。
ところで世の中にはVIO脱毛が全く痛くない女もいるらしいな。
知らねえそんな女、嫌いだ。
公開初日になんかTwitterで話題になってるな~という理由だけで夕方頃に読み、衝撃を受けた。
自分はあまり作品に対する感想を他人とすり合わせたりすることはしないのだが、あまりに衝撃だったのでここに残すことにした。
もちろんネタバレを多分に含むため、未読の方は一旦回れ右して頂きたい。
本作は作中に主人公の作る映画が登場し、主人公の生きている現実と入れ子構造となっている。
構成物を箇条書きにすると、
・映画①の上映後、絵梨と出会い不評だった映画①のリベンジのため次の映画を作ろうとする。
・映画②を上映し映画①のリベンジを果たしたがその後は平穏だが虚無な日々を過ごした現実(現実③)
・現実③の後、現実②で死んだはずの絵梨が実は吸血鬼で生きていたという何か(不明①)
といった内容である。
このように現実と映画を行き来、というかさらに大きな器で更新し続ける。
コレは映画ですよ、コレは現実ですよ、といった予告は一切なく、
読んでいくうちに実はコレは映画でした~といったように急に言われ続けるのだ。
そして、終盤にいたってはそれが現実なのか映画なのかすら読者には分からないようになってくる。
中盤まではこの作品内の「現実」は私たちの生きている「現実」と同じ世界観だと思って見ていたが「絵梨が不老不死の吸血鬼だった」という設定が出てくるためだ。
この設定はそれが主人公作成の「映画」だからなのか、あくまでこの作品自体が「漫画」だからであって主人公の生きている「現実」はファンタジーな世界観だったのか判断がつかない。
このように少しずつ映画と現実の境界線をあやふやにしてきたところで最後の爆弾が投下される。
映画①で散々作中キャラの不評を買い、絵梨の評価を得た「爆発オチ」だ。
この漫画自体が最後の最後、その「爆発オチ」をなぞって終了となる。
「結局爆発オチじゃねえか」
「最初の映画①をなぞらえた上で考えるとこの爆発オチは必然だし、絵梨との関係を見ると感動的ですらある」
「爆発オチで終わったということはこの漫画は全てが主人公の作成した映画でしかなく、主人公の現実は一切描かれない。つまり母や絵梨自体も創作の存在でしかなく、全てデマかもしれない。そう考えるとやはり爆発オチというのはどうなんだ」
この漫画の入れ子構造のように感想自体がどんどん大きい枠で更新されていき収拾がつかなくなってくるのだ。
そして考えていくうちにふと気づく。
「爆発オチなんてサイテー!と考える俺はまるで作中で映画①を批判したモブどものようだし、この漫画は面白かったと考える俺はまるで絵梨、いや絵梨でなくとも作中に描写はされなかったが映画①を見て大多数の意見に流され意見を言えずにいたであろう絶対に0人ではないであろう映画①を評価したモブのようだ。」
「結局一切描かれることの無かったこの作品の映画を作った主人公はどこにいるんだ?それを最終的に突き詰めるとタツキ氏本人にいきつくのでは?」
「この感想を考えている俺自身がこの作品の一部ではない保証もない」
元々舞台の用語で第四の壁というものがある。意味としては知っているものとして解説を省くが、最近の作品にはこの第四の壁を破る作品というのがとてもメジャーになってきた。
タツキの漫画はまず先に「(個人的に)楽しめなかった」が来て、
でもたくさんの人が「楽しめた!」と言っていて、そういう人たちは「元ネタは○○だよね!」と楽しそうに話している
だからふーん元ネタを知らないと楽しめないんだ、しょうもな、って考えに至る
「楽しかった」と思った漫画が後から実は元ネタがあると聞かされてもその時は特に怒りやいじけのような感情は湧かない
なので「読んだけど元ネタを知らないし楽しめなかった」という人に「そんなことはない!元ネタを知らなくても楽しめる!」というのはズレている