2022-04-17

藤本タツキ氏による漫画さよなら絵梨」の感想

タイトル通りである

公開初日になんかTwitter話題になってるな~という理由だけで夕方頃に読み、衝撃を受けた。

自分はあまり作品に対する感想他人とすり合わせたりすることはしないのだが、あまりに衝撃だったのでここに残すことにした。

もちろんネタバレを多分に含むため、未読の方は一旦回れ右して頂きたい。

本作は作中に主人公の作る映画が登場し、主人公の生きている現実入れ子構造となっている。

話が進むにつれ、構成物の境界が広がっていく。

構成物を箇条書きにすると、

主人公の母が死ぬ現実(現実①)

主人公作成の母の死を撮り編集した映画(映画①)

映画①の上映後、絵梨と出会い不評だった映画①のリベンジのため次の映画を作ろうとする。

 そして絵梨が死ぬまでを描いた現実(現実②)

現実②の内容を映画にした映画(映画②)

映画②を上映し映画①のリベンジを果たしたがその後は平穏だが虚無な日々を過ごした現実(現実③)

現実③の後、現実②で死んだはずの絵梨が実は吸血鬼で生きていたという何か(不明①)

不明①まで描き、映画①のオチを再度行った映画(映画③)

といった内容である

このように現実映画を行き来、というかさらに大きな器で更新し続ける。

コレは映画ですよ、コレは現実ですよ、といった予告は一切なく、

読んでいくうちに実はコレは映画でした~といったように急に言われ続けるのだ。

そして、終盤にいたってはそれが現実なのか映画なのかすら読者には分からないようになってくる。

中盤まではこの作品内の「現実」は私たちの生きている「現実」と同じ世界観だと思って見ていたが「絵梨が不老不死吸血鬼だった」という設定が出てくるためだ。

この設定はそれが主人公作成の「映画」だからなのか、あくまでこの作品自体が「漫画」だからであって主人公の生きている「現実」はファンタジー世界観だったのか判断がつかない。

このように少しずつ映画現実境界線をあやふやにしてきたところで最後爆弾が投下される。

映画①で散々作中キャラの不評を買い、絵梨の評価を得た「爆発オチ」だ。

この漫画自体最後最後、その「爆発オチ」をなぞって終了となる。

この漫画が終わった後、様々な感想が頭を巡った。

「結局爆発オチじゃねえか」

最初映画①をなぞらえた上で考えるとこの爆発オチ必然だし、絵梨との関係を見ると感動的ですらある」

「爆発オチで終わったということはこの漫画は全てが主人公作成した映画しかなく、主人公現実は一切描かれない。つまり母や絵梨自体創作存在しかなく、全てデマかもしれない。そう考えるとやはり爆発オチというのはどうなんだ」

この漫画入れ子構造のように感想自体がどんどん大きい枠で更新されていき収拾がつかなくなってくるのだ。

そして考えていくうちにふと気づく。

「爆発オチなんてサイテー!と考える俺はまるで作中で映画①を批判したモブものようだし、この漫画面白かったと考える俺はまるで絵梨、いや絵梨でなくとも作中に描写はされなかったが映画①を見て大多数の意見に流され意見を言えずにいたであろう絶対に0人ではないであろう映画①を評価したモブのようだ。」

「結局一切描かれることの無かったこ作品映画を作った主人公はどこにいるんだ?それを最終的に突き詰めるとタツキ氏本人にいきつくのでは?」

それに気づいたときさらに気付く

「この感想を考えている俺自身がこの作品の一部ではない保証もない」

元々舞台用語第四の壁というものがある。意味としては知っているものとして解説を省くが、最近作品にはこの第四の壁を破る作品というのがとてもメジャーになってきた。

しかしこの作品は「第四の壁を破る」作品ではなく、

「いつの間にか、自分自身第四の壁の内側にいた」といえる作品だとそのとき気付いた。

映画シックスセンス」を見終わったあとの衝撃を自分自身を巻き込んで味わったような感覚だった。

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん