はてなキーワード: アフリカとは
地中海沿いは比較的人間っぽい印象があって、エジプトとかモロッコは先進国には及ばないにしてもまあ人間と言えるレベルだよね
でも地中海沿いでもリビアとかアルジェリアとかはきな臭いし半分土人かな
アフリカの真ん中あたりになるともうほぼ土人だけどナイジェリアはGDPが高いらしいから8割土人って感じ
それよりも南は完全に土人ってイメージなんだけどこれで合ってる?
なんの予備知識もなく鑑賞したがガッカリな内容だった。ただただ薄っぺらい。意味のない無駄カットが多すぎる。そして、やたらナレーションや説明が多い。NHK『ノーナレ』千本ノックしてほしい。
「狭いところに閉じ込められてカワイソウ」以上のメッセージをわたしは受け取れなかった。さらに、アフリカの精神障害者は野外に鎖で繋がれているだけなので開放的というエピソードは一体なんのために挿入されたのかも意味不明。
この映画にはたくさんの精神障害者の顔写真と名前が出てくるが、ご本人やご遺族の許可が取れているのだろうか? 遺族の上映許可なく「この人は精神障害者で私宅監置されていた」と映画にしたなら、これは大規模な公衆アウティングであり重大な人権侵害だ。
事実、一部の遺族から無許可および事実誤認について異議申し立てがあったそうだ。原監督は「公表したのは名前だけで苗字を含まないから特定不可能」だという。地方の部落では同姓も多いからお互い名前で呼び合うのが普通だ。都会の人には想像すらできないだろうけれど、そこには隣近所のプライバシーや匿名性のない濃密な社会が存在する。映像内で第三者の「帰りたくても帰れなかった」という表現(事実誤認)は、インタビュー形式であればその発言の責を逃れられるという意味でそのまま残したのか? (わたしは初見だが、このインタビュイーの発言を事実として受け取った)
こうした遺族の異議申し立てによって、文化庁の上映会が延期されたそうだが、かかる人権侵害の申し立てがあれば主催する上映会の一時差し止めが常道であろう。それを遺族からの「クレーム」問題と捉える姿勢は悪質。原監督が「国家権力による言論封殺」と述べた時にはズッコけた。
現代社会の精神障害者が置かれている立場や精神科医療問題、さらに法整備への問題提起とはならなかった。むしろ、歴史上の「沖縄カワイソウ」にフォーカスし、精神科入院病棟があった本土や台湾などを上位づけするのは、現代につながる精神科病棟の諸問題(例えば医療保護入院や社会的入院など)を正当化するに等しく大いに誤解を招く内容だった。
──日本電産といえば、買収した五十数社すべてをほぼ1年以内に黒字化させてきた会社ですね。
再建に向かう際、永守重信社長から真っ先に言われるのが、意識改革、企業カルチャーを変えろ、です。再建メソッドに対する受容マインドをまず上げておく必要がありますから。そしてA3の紙を1枚ポンと渡される。日本電産芝浦の再建のときは「1年以内の売上高倍増」、そしてたった1行「営業マン1人当たり訪問件数月100件」と書いてあった。月20件だったのを100件に上げれば、引き合いは増え受注件数は増え、売上高は上がる。従業員全員をやる気にさせる、そこを徹底するカルチャーにするのです。
日本電産のスピード感覚はハンパなものじゃない。会社全体にスピード感が行き渡り浸透している。見積もり作成に1週間もかけるな、より早く、ライバルよりも断然早く。他社なら1カ月かかる試作品も1週間で仕上げろと。ライバルはついていけなくなり次々脱落していった。最終的には精密小型モーター世界シェア80%を達成するわけですが、競合が消えても手を抜くことがない。会社のDNAとしてしみ付いているわけです、スピード感覚が。
そして会社の機関車は営業、開発・工場は支援部署。市場にいちばん近い部門が会社を引っ張れと。
──本書でもその営業強化策に紙幅を割いていますが、中でもフォローの重要性を強調されていますね。
川勝宣昭(かわかつ のりあき)/1942年生まれ。早稲田大学商学部卒業後、日産自動車入社。中近東アフリカ事業本部部長、南ア・ヨハネスブルク事務所長など歴任。98年日本電産にスカウト移籍。取締役経営企画部長(M&A担当)を経て、日本電産芝浦専務、日本電産ネミコン社長歴任。2008年経営コンサルタントとして独立。(撮影:梅谷秀司)
トヨタ自動車がなぜあれほど強いか。トヨタは「カンバン方式」などメソッドの宝庫です。でもそれと同等以上にフォローの強さがある。未達に対して徹底的な再発防止策を講じる。日本電産にも未達を許さないカルチャーがある。未達しないための準備を重ねる。売上高計画達成が微妙なときに、未達は不可というカルチャーが浸透してると、どうしたらいいか必死で考えますよね。既存領域でまだ拡販余地はあっても、新規客の訪問をかけようとか。あるいはまったく違う提案をしてみようとか。営業マンがどんどん考える営業マンになります。それが大事で、それがフォローの重要性なんです。
強化策のひとつに、週次管理があります。1週ごとに月末着地見込みをにらんで、未達の可能性があれば挽回策を練る。着地をブレさせない。
私がいた頃の日産自動車の年度方針発表会は、業績未達の説明に精緻な図表を作成し、いかに納得させる他責要因ストーリーを組み立てるかに心血を注いでいました。ところが日本電産では、過年度説明は1欄、○△×のみ。簡潔クリアに説明して、大半は新年度目標に向かってどう戦うかの作戦説明に割かれていた。経営者の「未達をしない体質にする」という決意とマネジメントスタイル、組織の中にどれだけフォローの仕組みを組み込んでいるかの違いを見る思いでした。
1週ごとに全社で行うフォロー管理の仕組みが、社員の日常業務管理力を向上させ、後戻りしない体質を作っていたんです。まさに日本電産の看板である「すぐやる、必ずやる、できるまでやる」を体現している。言い換えれば、スピードの文化、必達の文化、フォローと徹底の文化が浸透していた。
組織体質を変える一番の早道は
その第一歩が、まず訪問件数を100件に上げろ、なわけです。整理・整頓・清掃・清潔・しつけの「5S」もしかり。まず実践の場で形、行動から入らせる。それを繰り返して固め、思考様式を変えていくことが、組織体質とカルチャーを変える一番の早道です。会社の改革は人の改革ですから、着慣れた服を脱いで新しい服に着替えてもらわなきゃいけない。それは着づらいし着たくないかもしれない。でもそれじゃ変化はない。韓国・中国のような、コピーも速い一点突破・集中型ガムシャラ経営が台頭するレッドオーシャン時代には、スピードと徹底を身につけないと蹂躙(じゅうりん)されてしまう。
そうです。本を書くに当たっていちばん思いを込めたのが企業カルチャーの変革についてでした。なぜ皆がこぞってトヨタをまねてもトヨタになれないのか。問題は企業カルチャーなんです。トヨタ流の「なぜ?」を5回繰り返すフォローの文化なしに、いくらカンバン方式を入れても定着しない。かつて日産も研究し尽くして導入したけどダメでした。GMもダメだった。どちらも苗が生き生きと育つための土壌改良をしていなかったから。それと同じことです。
どの会社にも必ず問題意識が高く改革に前向きな少数派の“火種社員”がいるものです。経営者は彼らをまず自陣に引き込みタッグを組んで、彼らを改革のモデルとすることでその他大勢のヒラメ社員に新しいカルチャーを浸透させていく。私の経験上この方法がベスト。社長がいくらガナリ立てても変わらない。
──明日から実践できる作戦満載の本ですが、特に重視した点は?
『日本電産流「V字回復経営」の教科書』(東洋経済新報社/318ページ)上の書影をクリックするとアマゾンのサイトにジャンプします
課題を図表で「見える化」し実践メソッドを紹介すること。日本電産時代に、病巣はどこなのか、どうメスを入れるべきか、レントゲン写真が欲しくて、多様なパターンの図表や見える化マップを独自に創作し用いてきました。見える化することで、改善への切り口がわかります。自社の現実を図表化して見せるとみんな乗ってくる。たとえば市場構造に対し当社の顧客構造はズレている、というのが1枚の図表で明らかになる。
最初は中小企業の経営者を念頭に置いていましたが、だんだんとマネジメントの進化を求める管理職にも伝わる本がいいと思うようになった。それで改革メソッドを提案する章は、オリジナルの2面パレート図などを駆使し厚みを持たせました。営業に回るべき100件をどう選ぶかもきちんと分析・抽出できるようにした。自分で言うのも何ですが、見えていなかった部分の見える化をハンパなく提案したつもりです。
「ここまでやれば必ず変えられる!」がこの本の宣伝文句。日本電産時代の買収先の再建、独立してからのコンサル活動を通して、会社は変えられるという変なクソ自信がついちゃいましたね。独立する際に永守さんに書いた「たった7年在籍しただけの日本電産で学んだものは、三十数年いた日産の数百倍以上だった」というのは本当の気持ちです。
世界最年少の億万長者? ナイジェリア出身9歳の少年が1.4億円の資産を所有しているワケ
https://news.yahoo.co.jp/articles/94f8581e904db63bf26cddc9acc57934689eb88a
もう十分金持ちみたいだよ。
世界の富の半分を上位数パーセントの人間が独占しているので是正すべきというような話をたまにきく。
そこまで極端な話でなくても貧富の差が拡大していることがよくないという風説は耳にすることがあるだろう。
あまりよくわかっていないのだが、格差があること自体はなぜ問題と言われるのだろうか。
アフリカの幼い子供が食うにも困り亡くなっている、十分な教育を受けられないというような貧富の貧側の状況が著しく悪いという状況が是正されるべきという理屈は理解できる。
ただその問題は直接的には格差の問題ではなく、貧側の最低保証の水準が低いという問題のはずだ。
世界に存在する富をすべて完全分配できればそのような貧側の著しく悪い状況が改善できるという理屈はあるかもしれないが、その理屈上でも "格差の是正" は最低保証を上げるための手段であって格差是正そのものが目的ではないはずだ。
理屈で考えたら、独裁vs自由競争で、独裁が勝てるのは、独裁者が何やればいいか判ってる間だけ。
間違いだけなら有能なら減らせるんだけど、人間だから死んで代替わりするし、老いるし、時代についていけなくなるときもある。
ITやバイオに投資する、金はアフリカその他から分捕ってくる、欧米や過去の共産党の二の舞にならないようにする。
指針が比較的はっきりしているというか。
そうじゃなくなったときに、また中国はヤバくなると思う。ついでに、たぶんロシアもプーチン後がもうやばいと思う。
そこと比べると、自由競争の強みってたぶん、盛者必衰のルーチンの早さだと思う。
中国に負けたと思ったらもう勝ってる、みたいなことは起きると思ってる。
恐らく、優生学とはなにか、のところが曖昧だから解説にたどり着いてないところがある。
そして科学でないことが優生学が誤りである理由の大部分である。
ナチス政権は、当時、「最新の科学と合理性に基づいて政策を進める」と標榜していた。その「最新の科学」の筆頭が優生学であったのだが、実は優生学は科学的根拠に乏しく、今でいう俗流進化論の水準にも達していない。当時からしてもすでに素人っぽい勘違いや都合の良い前提を数多くの含むものであった。
科学ではないので、科学として優生学の誤りの詳細を検索しても、大して詳しい解説は出てこない。それが主に語られているのは、文系科学の分野だ。学問ではないので、単語としても、優性思想、とか使う。
ナチスがなぜ誤りだったのか、みたいな歴史分析の本を探すのが近道だろう。
一番大きいのは、自然界は弱肉強食である、という素人にありがちな勘違いを採用していること。
優れた遺伝子を持った人が優れた子供を残せば反映するであろうそれが進化だ、とかいう考えが根本にある(そしてなぜかアーリア人が優れていてユダヤ人が劣っているとかいう話にする)。
これが明確に間違いで、自然界は弱肉強食ではなく、適者生存である。ライオンやゾウであっても滅びるし、アリやミジンコであっても繁栄する。また、アフリカで繁栄したアリンコをヨーロッパに運んで来たらそれだけで滅びる。兵士に適した遺伝子を持った国民が増えたら、農業が壊滅するかもしれないし、パソコンの天才になる遺伝子を持った人は、ナチス当時は無能以外の何物でもなかったかもしれない。万能の天才になる遺伝子は、伝染病に抵抗できない特性を同時に持つかもしれない。
つまり、優れた遺伝子、などと言うものはない。何が優れているかは場合による。
それは当時の進化論でもすでに判っていたが、ナチスはそれを判ってなかった。科学を判ってない奴らがぶち上げたのが優生学という訳だ。
ナチス以前にも、類似の発想がずっとあり、差別に活用されてきたからだ。
これは20世紀よりも更に前にあった科学分野だ。頭蓋骨の大きさが判れば、脳の大きさがわかる。脳が大きいということは賢くて優秀である。そして、白人の頭蓋骨は大きく、黒人の頭蓋骨は小さい、という話だった。実際には、そんな事実はなく、骨相学の専門家はわざわざ頭の大きい白人と頭の小さい黒人の頭蓋骨を一生懸命に探し出して、それをデータと称していた。そんなこんなでブームは消滅し、いまでは疑似科学とされているのだが。
つまり、差別に科学(っぽさ)を利用するという発想は、優生学以外にも普遍的だし、常に行われているのだ。
それ故に、科学っぽい差別言説を言おうものなら、「てめえ例のイカサマをしようとしてるんじゃねーだろうな?」という目を世間から向けられる。母さんオレオレ、オレだけど、みたいな電話が家にかかってきたときの感じに近いかな。
2000年代初頭から2000年代半ばぐらいのテレビの政治系番組で語られていたこと。
こういう社会の雰囲気の中で必死に頑張らされていたことを知ってほしい。
(1)新卒の就職率が悪いのは「若者が仕事を選り好みしている」「やりたいことにこだわりすぎる」から。
(2)日本経済の停滞の原因は労働者が終身雇用のぬるま湯に浸かって競争が足りないから。
(3)日本経済の停滞の原因は労働者の賃金が高すぎて国際競争に勝てないから。
(4)公務員とか公共事業は明らかに税金の無駄遣い。減らそうとしないのは官僚や族議員の利権。