はてなキーワード: さぼりとは
時の流れというのは早いもので、2013年ももう5ヶ月過ぎた。
いつもこの時期になると聞こえてくる言葉の一つに「5月病」というものがある。意味は知っている方も多いと思われるが、簡単に説明すると意気揚々と4月に飛び込んだ新しい環境に馴染めず鬱状態になったり「本当に今のままでいいのだろうか」とやけに軽く焦ってきたり(これはもしかして僕だけだったのだろうか)する精神状態のことを言うらしい。
何分僕もその頃、まだ若いというのに人生の意義や今後の進路について過剰に煩悶していた張本人であった。当時、高校1年生の頃だった。そして、なんと勝手に地方から東京に出、結果的に約3年間を無駄と化してしまったのである。
これから僕が書くのは「懺悔」の文だ。と同時に、今頃僕と同じ、正確には3年前のあの頃の僕と同じ精神状態に陥っている高校生(もしかしたら中学生も含むかもしれない)への、ちょっとした戒めの文でもある。稚拙ながら、その点ご容赦願いたい。
先に言っておくと、僕は現在とある地方の予備校生だ。まあ、タイトルからして分かるだろう。全くといっていいほど勉強していなかったから、大学なんて受かるはずもなかった。
ここまで書くと、「なんだ、予備校生なんて日本に何万人といるよ」と思われるかもしれないが、そういう類ですらない。学校でも全く勉強という勉強はしなかった、授業すらあってないようなものだったのである。
正直に言うと、現在の僕の学力は高等学校普通科に換算すると1年の1学期ほどまでの学力しかない。いや、3年間ほったらかしにしていたからそれからさらに落ち、中学校程度しかないのではなかろうか。(参考程度に12月に受けた河合模試の結果を書いておくと、国英社平均して偏差値30台後半だった。)
はい、全くもってその通り。が、気づくのが遅すぎた。
ただ単にさぼっていたというわけなのだが、学校で寝たりしていたのではない。むしろそれ以下だった。学校という学校に通ってすらいなかったのだ。あの頃の僕は本気で「勉強よりも今やるべきことがあるはずだ」と思っていたのである。「学生」なのに。
というわけで論より証拠、僕のこの3年間の動きについて、書き綴ってみようと思う。まさかこの年で自分の行いを振り返る事があるとは思わなかった。しかし、これもあの頃の僕のように著しい思い違いをしている高校生を一人でも思いとどまらせるためのものだ。
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今となっては途方もなく堕ちた僕だが、小、中とまでは何処にでもいる学生だった。高校もまずまずの進学校、といっても地方なのでその高校の偏差値も50台半ばだが、とまれ当時の僕はそれぐらいの学力はあったのである。
しかし、その僕に変貌が訪れてしまうきっかけとなる出来事が3年前、高校1年生の今頃に起こってしまう。
僕は丁度、テレビを見ていた。すると、僕と同じ高校生なのに、学校とは別に団体を作ってボランティア活動に従事したり、あるいはビジネスで大人の人と渡り合い、あるいは海外で外国の経営者や政治家と直接話し合っている高校生が特集されていた。いわゆる「意識の高い学生」である。
今ではどうやらこの言葉は大学生を主として使われているらしいが、僕の場合この意識の高い高校生を見て衝撃を受けたのである。そして、「これこそ今僕がやるべきことだ」と「気づいて」しまったのであった。
その頃の僕は大多数の同世代の例に漏れず、思春期特有の将来に対する漠然とした不安というものがあった。皆さんも「このまま何となく大学を出て、何となく会社に入って・・・というつまらない人生でいいのだろうか」と、自分の進路に悩んだ方、悩んでいる方も多いのではないだろうか。こういうのは本来時間の経過とともに治まっていくものだが、僕の場合、変にこだわりが強いせいかそれはもう延々と悩み続けた。そこに前出のスーパー高校生の登場である。
もちろん、一地方の田舎でそんな活動ができるわけはない。特集されていた高校生も、みな東京の学生だ。元々上京意識が高かった事もあったが、彼等を見てついに僕も上京を決心する。
早速両親に上京を掛けあってみたのだが、勿論のごとく変えてくるのはありきたりの言葉だった。
「なんで今なんだ」「大学出てからにしろ」「そんなこと考えてる暇があるなら勉強しろ」「その高校生は特別なんだ」「そもそも具体的に何するの?」
今となっては、実にあたり前のことだった。しかし、僕は知っていた。いや、知ってしまっていた。世の中の偉人と言われる人は皆、周囲の反対を押し切った人が成功しているのだと。
繰り返しになってしまうのだが、あの頃の僕は本当に前しか見ておらず、成功者の自伝などを読みまくり、その結果としてこれはある経営者の高校生時の状況と瓜2つだということを感じ取ってしまった。SoftBankの孫正義である。彼も高校生時代に、周囲の反対を押し切りアメリカへ行ったのだ。アメリカと東京という違いはあれど、まさしく今の僕と同じ状況ではないか。
・・・その頃の僕は気づいていなかった。1人の「成功者」と呼ばれる人物の裏では、何百人という人々が涙を飲んでいるという事実に・・・
かくして僕は、とうとう貯めていた貯金の全てを使い切り、抗議の意志を示すかのごとく断りなく一人単身で東京に行ってしまったのである。安い旅館に何日も泊まり、東京行きを正式に認めてもらうまで家には帰らないと突っぱねた。その頃、季節はもう夏になっていた。
そしてついに両親は根負けし、東京行きを認めることになった。マンションの一部屋を借り、学校にも転入届を出すことになる。
ここに、間違いがあった。転入先の高校を通信制高校にしてしまったのである。池袋駅東口をでて大通りを歩くとビルの上にでかでかと緑の看板があるあそこだ。前にも書いたが、勉強なんてそっちのけでやるべきことがある(が、はっきりとはしてなかったし結局しなかった)というのが僕の持論だったのだ。根拠のない自信である。「ただ単に勉強にあくせくするだけの高校生活では後悔する。それよりもむしろ高校生という立場を利用して、社会的にコミットしていくべきではないか」と。勿論、学習塾の類にも通わなかった。
・・・いや、「学生」の意味わかってるか?と今になって突っ込んでも、もう遅いのだ。
さて、東京に来た秋から卒業してから連れ戻される今年3月までは、すべてを語るともう読むだけで日が暮れてしまうだろうから、かいつまんでだけ説明する。
まず、多くの本を読んだ。上京する前から本は読んでいた方なのだが、上京してからは大型書店がたくさんあったこともあり、大量に購入してむさぼり読んだ。内容としては社会問題(震災、ボランティア等)や政治経済、自己啓発書、著名な経営者が書いた本などが主であった。
次に、自由に使える時間を利用して、様々な講演会に出かけた。これは東京でだからこそ出来る代物であろう。政治家、各省庁の役員、NPO団体の代表、大学教授や評論家、新聞記者さんなどが開催する講演会やシンポジウムである。僕は前もって作った名刺(といっても名前と電話番号、メールアドレスしか描いてない素朴なものだった)を持って行き、終了後に社会人に混じって名刺交換に励んだ。「学生です」と言うと「こんな若いのに立派だねえ!」と返してくれる。それが嬉しかったのか、どんどんと基本的に社会人向けの講演やシンポに出席するようになった。周りがスーツだらけの中1人洋服だとしても、全くお構いなしだった。
他にも参宮橋近くにあるいわゆる意識の高い人達がいっぱい集まる某センターに何度も紛れ込み、迷惑になるので名前は明かせないが様々な団体と交流したり付属の宿泊施設に泊まったりすることもあった。
その他にも興味のある大学の授業にひっそりと出席したりと、まあ思いついたことをそのままやってみせた。
ここまで聞いて、「何だ、結構すごい事やってんじゃん」と思った方もいるかもしれない。
確かに、当時僕が交流していた学生にはテレビや雑誌で紹介された経験もあるようなすごい人もたくさんいた。が、彼等意識の高い学生と、僕とが全然違うファクターが1つだけあったのである。
それが、「学力」だ。
僕は、一般の高校生が学校に行き、その後学習塾に行き、ヘトヘトになって帰宅して更に課題に追われているその間に、好きなまましてきただけのことだった。先述した他の学生は学校に行った上で、その他の活動もしていたのだ。この時点で差は明白だったのだが、これも今だから言えることである。
とは言え、当時の僕がいかに学力で劣っているかは、当時の僕自身も知っていたことではあった。
3年生になった。そろそろ進学先を決めねばならない。しかし、学力は無い。じゃあどうするか。
学力の無い僕にとっては大学に行く手段としては自己推薦・AOしかないわけで、実は上京した当初からそれを狙っていた。そのためにこれまでたくさんの一般高校生とは違う活動をしてきたんだ。この経験は大きいだろう・・・
とまれ、そのためには小論文や自己推薦書の練習をしなければならない。偶然にもイベントで何度も同席していたとある都立高校生が、論文対策にこれまでも同試験で多数の大学に合格者を出しているW塾を教えてくれた。
が、ここに相談に行った時に、僕のこれまでの一連の楽観的考えを一気に叩き潰される出来事が起こるのである。
推薦対策のコース説明を聞き終わり、帰宅前にアンケートを書いていた時の事だった。
「あ、〇〇高校さんなんですか。」
「ええ、そうです。」
「あの、確かそこって通信制高校でしたよね。」
「はい、そうですが。」
「・・・言いにくいことですが、通信だと推薦やAOは難しいですよ。」
考えてみれば確かにおかしな話である。「今までの画一的な学力入試にとらわれない多面性を重視した新しい入試方式(うろ覚え)」なのに、どうしてそんな差別があるのか。
そこから先は、今まで何度かこの文章の中で自分自身でつっこんできたことそのままだった。手短くまとめると、背伸びをする前に学生としての本分を果たせとのことだ。反論できなかった。呆然とするしかなかった。
しかし、今まで普通科以外の高校から合格した人もたくさんいるのではないか。苦し紛れに反論した僕に、更なる追い討ちをかける。
「何か、これだけは日本一だと誇れるものはあるか?」「何かの大会で優勝したり入賞したことはあるか?」「テレビか、ニュースで報道されたことがあるか?」「まあそうじゃなくても、せめて何かの団体を率いたり、主催をしたことがあるか?」「そもそも、東京に来た目的ははっきりしたか?」
・・・今考えると、最後は「それをはっきりさせるためにここに説明を聞きに来たんでしょ!」と反論できなくも無かったかもしれないが、その他の部分ではもはや撃沈であった。
どう帰ったかは、よく覚えていない。こんなにはっきり言われたのは、初めてだったのだ。確かに通信制の学校で、何も勉強せずに大学に通った例は、たとえば芸能人とか、ゴルフなどで優勝したとか、ケン玉で日本一になったとか「特筆すべき何か」を持ってる人ばかりだった。
だが、一般高校の場合はまた違ってくるだろう。僕も今まで、さまざまなW塾出身の合格者に出会ってきた。しかし、その人もたいてい何らかの(小さいながらも)組織の代表を務め、さらに将来に対する明確な目標や問題意識を持っていた。
冷静になって考えてみると、通信云々という前にこの時点でアウトだったのかもしれない。僕は「東京に一大決心をして来る」ということを「目的」としてしまったのだ。その後にやってきたのは皆、講演会にしてもイベントにしてもシンポジウムにしても、ほかの誰かが開催したものにただ参加したというだけ(しかもお金まで払って)の、単なる「客」だったということだ。はっきり言って「受動的」。これではダメだ。
誰が、こんな人を入学させるのだろうか。
しかも僕の場合はさらにひどく、このような活動をしていないほかの高校生を見下してさえいたのである。先述したとおり、「学生」の本分を完璧に忘却していた。当時僕が「見下していた」多くの学生は、今頃大学で楽しい生活を送っているのだろう。対して僕は予備校詰めだ。これはある種の罰なのだろうか。
話がそれた。
W塾での出来事は相当こたえたが、だからといってあきらめるわけにもいかない。これで受からなければ、とても大学には進めないのだ。僕はありとあらゆる大学の資料を取り寄せ、自己推薦書や小論文を書き出願した。やみくもに書いたわけではない。このころになると都内の有名どころの大型書店の地図は全て頭の中に入っていたから、何店舗か回って関連書籍を買い漁った。文の書き方から何まで丁寧に指導してくれていた本もあり、それも参考にしながら今までやってきたことや思ってきたことを全て提出用紙に書きなぐった。何が「お前じゃ難しい」だ。今に見ていろ。何校も受かって、鼻を明かしてやるからな。
帰ってくる不合格通知の山。僕は、目の前が真っ暗になった。今までやってきたことは何だったんだ。
伊達にW塾は毎年何十人も推薦合格者を出してきたのではなかったのである。
しかも、出願前に必要事項を記入していてわかったことなのだが、大学側が求めた記入事項にも、それを裏付ける所があった。人間性のみを見るはずなのに、通っている高校が「普通・定時・通信」のどれなのかを記入しなければいけなかったのだから。
久しぶりのスクーリング日。担任の先生に言われた。「そろそろセンターの準備はできてる?」
もう、2012年も残すところ1ヶ月だった。
12月、僕は初めてセンター模試というものを受けてみた。といっても、これは今年のセンター模試の最終回だったらしいが。
結果は、始めの方に書いたとおりだ。センターまであと1ヶ月ちょっと、このままの成績で大学に受かるなど、ドラゴン桜のカリスマ先生が今一堂に会しても不可能だろう。そもそも、勉強の習慣さえついてない。
もちろん、模試の時書いた志望校の合格可能性欄は軒並みEだった。・・・いや、1つだけA判定があったな。ちょっと前に2ちゃんねるで騒がれていて、ネタのつもりで書いたBF校、日本橋学館大学。進学させてくれなかったけど。
卒業式には、行かなかった。
よく覚えていないが、このころは全ての夢が潰えたショックで、ただひたすらに家でぼーっとしていたような気がする。
―――Check mate―――
ふと、そんな言葉が頭をよぎった。
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住人である28歳会社員の高木智子が帰宅するその隣には、16歳無職の大西聖闘が居た。
「この部屋を使ってね。布団は干しといたから」
智子が指し示したのは畳張りの北向き四畳半。
一間の押入れは襖が外されて壁に立てかけられ、一組の畳まれた布団が中に置かれている。
聖闘の部屋の腰窓からは外廊下が見え、内廊下の向かいには風呂とトイレがある。
廊下を出て左には玄関、右にはダイニングキッチン。そしてその先には日当たりのよい智子の部屋があった。
智子の部屋は六畳のフローリング張りで、シングルベッドが置いてあり、ベランダに繋がっている。
築年数は30年前後だが、水周りだけはリフォームされ、掃除も行き届いた小奇麗な印象の部屋だ。
智子はこれまで築年数15年程度のワンルームマンションに住んでいたが、聖闘との同居が決まって住み替えた。
家賃は管理費込みで7万だ。智子の手取りは月22万。聖闘に出る国の手当てが5万なので、充分な暮らしが出来る。
聖闘は5時間かけて地元から東京に出てきた。諸手続に2時間、智子との顔合わせを済ませて今に至る。
東京に来たのは初めてで、当然小田急線も初めてだった。これからは平日3日、この小田急線と中央線を使って職業訓練校に通うことになる。
智子との暮らしが快適なものになるかそうでないかはわからないが、聖闘に帰る場所が無い事実は変わらない。
中3の頃に、母親が再婚した。聖闘の苗字はそのとき、田淵から大西に変わった。新しい父親には連れ子が居た。
母親は新しい父親の歓心を得るために連れ子だけを可愛がり、聖闘を無視して食事を用意しなくなった。
新しく男が出来ると聖闘を無視し、男と別れると聖闘を猫可愛がりする。
母親が聖闘の実父と別れた、聖闘が小学生低学年の頃から繰り返されてきたことだった。
実父はアルコール中毒のパチンコ中毒で、母親をよく殴った。母親が聖闘を連れて家を出てからは一度も会っていない。
どんな仕事をしていたのか知らないし、もう連絡も取れない。
聖闘は中学をさぼり、家に帰らないことを繰り返すようになった。当然、成績も内申も全日制は無理で、定時制高校に進学することになった。
しかし高校にもほとんど行かず、母親の財布から金を抜いては友達の家やコンビニ、ゲーセン、カラオケ等で過ごした。
そして遂にキレた母親にガラス瓶を投げつけられ、後頭部がパックリと割れて7針縫った。
入院していたら、役所から相談員が派遣されてきた。そこで説明を受け、東京の会社員の家で暮らすことを決めた。
智子はニッコマ文系学部卒の、6年付き合った彼氏と破局して2年になる会社員だ。
両親は千葉市内に戸建てを構えており、きょうだいは妹一人だが既に埼玉に嫁いでいる。専業主婦で子供は1人。
聖闘を初めて見たときは驚いた。片方の耳の上を刈り上げ、片方を伸ばしたアシンメトリーな髪型。
しかも金髪でピンク色のメッシュが入っており、根元からは3センチくらい黒髪が伸びていた。
智子がこれまで見たことのなかった人種である。いや、探せば電車で乗り合わせないこともないのだが(特に町田で乗降する人々に)、
自分には関係が無いと思って生きてきたので、ちゃんと認識していなかったのである。
聖闘の両耳にはピアス穴が開いているが、誰かに言われて外したのか、ピアスは付いていない。
そして一つのピアス穴が膿んで、黒ずんだ紫色と黄色が混じったような色になっている。不衛生な開け方をしたのだろう。
智子は肩を少し過ぎるくらいの長さの暗い茶髪だ。会社の服飾規定のため、明るい髪色は禁じられている。
しかし、智子はそもそも明るい髪型にしたいとは思わない。目立つことを好まないからだ。
まめに染め直されてトリートメントされた肩を過ぎるくらいの長さの暗い茶髪というのも、社内で最も目立たないスタイルだからそうしている。
短大時代にイベントコンパニオンをしていたという美人の派遣社員に影響されて一時はネイルアートなどしていたが、
金もかかるし飽きたので現在はパールの入った桜色の単色ネイルに落ち着いている。
親に心配をかけるのが面倒で、無難に・普通にと生きてきたが、結婚はうまくいかなかった。
これといった趣味もなく、仕事も無責任な勤め方はしていないが遣り甲斐に燃えているというわけでもなく。
両親や妹ともケンカをすることは無いが、なんとなく分かり合えないような心の距離を感じていて、
両親は実家から通える大学を希望していたが都内の進学を決め、一人暮らしを始めた。それ以降ずっと一人暮らしだ。
何のために、誰のために生きているのかよくわからない。
バカバカしいとは思いながら、スピリチュアルやら新興宗教やらにハマってしまいそうな自己不安定感。
そこでたまたまやっていたNHKスペシャル、特集されていた新制度。
親にも同僚にも言わず軽い気持ちで応募してみたら、なんと選ばれてしまい…。
そんな二人の生活はどうなるのか。
ただのおねショタエロ創作になってしまわない、リアルな社会階層の話とかの硬派な建前を保った感じで誰か小説にしてください。
あと映画化してください。映画のほうはPG12~R15+指定(暴力描写じゃなくて性的描写が理由)くらいがちょうどいいです。
第n日の「力」をC(n)と表記することにする。C(n)は学習を通して前日の力とその日の努力とに依存して決まる、と仮定する。これを与える関数をG、第n日の努力をD(n)と表記することにすると、
C(n) = G( C(n-1), D(n) )
Gとして単純な和を採用してみる。
C(n) = C(n-1) + D(n)
D1(i) : {A(i=1), B(それ以外)}, D2(i) : {A(i=n), B(それ以外)}
を考えてみると、D1, D2 のいずれも C(n) = C(0) + A + (n-1)*B となる。
これは、初日にいつもと違う努力をした場合と最終日にそれをした場合とで最終的に同じ力になることを意味する。人間の知力や体力の場合これは現実と比べて妥当では無いので、このGの形は不適当と考える。
Gとして昨日の力との差分が、今日の力と努力の両方に影響を受けるものと仮定して
C(n) = C(n-1) + C(n-1) * D(n)
を採用してみる。(D=0が力に何も影響を与えない程度の努力を意味することに注意。)
(前掲の D1, D2 については D1: C(n) = [C(0) * (1+A)] * (1+B)^(n-1) D2: C(n) = [C(0) * (1+B)^(n-1)] * (1+A) と、違う形を与える。)
さらに簡単のためD(n)は一定とすると(これは公比が 1+D の等比数列であるから)、
C(n) = C(0) * (1 + D)^n
になる。このGにおいてnを1年、D=0よりもさらなる努力として正の値 D = 0.01 にすると「1.01 の法則」が得られる。同様に少しのさぼりとして負の値 D = - 0.01 にすると「0.99の法則」が得られる。
C や D に関して大小関係しか仮定していないので「たった0.02しか」「38倍」といった数値や比は無意味である。(「同じ C を与えるための D の大小パターン」「Dの列を入れ替えた時の結果のCの大小」といった計算は可能ではある。)
また D に伴う「大変さ」は C に依存し、また何らかの制約条件(「寝る時間がありません」「死んでしまいます」)などがあることが予想されるが、その点は考慮していない。(このため、前述の D1,D2 の比較において B=0 とした場合両方とも C(0)*(1+A) という不合理な事になる。)
http://www.yukawanet.com/archives/4384058.html
http://b.hatena.ne.jp/entry/www.yukawanet.com/archives/4384058.html
27歳になって十数時間。俺はつかの間、そのことを忘れて浮かれていた。
夜を徹しての作業中、半ば惰性になったとはいえ物陰から出てくるバースデーケーキと人々の祝福の言葉は満更でもない以上の気分にさせた。動く絵文字いりのファンシーなメールだってそこそこ届いた。眠いけど返事は書かなきゃね。贅沢な疲労を感じながら惰眠をむさぼり、忘れもしない15時38分。枕の下敷きになっていたあわれなスマートフォンにそのメールは届いた。
なんだよ。
楽しそうにしやがって。おめでとうじゃねぇよ。あんた今どこに居んのよ。誰と居るの。知りたくもないけど。
ヒトの中のヒトならぬものを。
あの人そのものがもはやヒトじゃないのだと俺はずっと言い続けてる。
あれはそう、鏡だ。真っ正面から見た者の貌を真っ正面から映す。優しくすれば同じだけ優しく。憎しみを向ければ同じだけの刃で。与えれば与えただけ返ってくる。それに気づいてしまったら僕らようなのはおしまいだ。
寂しがりの意地っ張りは。
溺れるように愛して浴びるように愛されて、めくるめく脳内麻薬浸けの日々、一秒でも離れていたくないなんて、ああ恋をするってこういうことなんだ、なんて思って。
だけどそんなの長く続かない。
鏡が写すのは誰か一人、なんてことはない。
他の誰かが前に立てば、鏡のあなたは無情にもそれをただ俺にしたのと同じように写すだけ。
本当にね、もう殺してやりたかったよ。胃酸出っぱなしで胸から下は寝ても覚めても灼けつくよう。誰にも会わせたくないと思えどんなこと可能なわけもなく。あんたを含め想像の中で何人殺したか知れない。
僕を気持ちよくしたようにそいつのこともしてやんだ?
もう男でも女でも関係なかった。その前に立つ人間は残らず憎かった。
それは俺んだ。
俺んだ。
返せよ。
プライドの堆い俺は人前でこそ涼しい顔をしていたが、その実何度も見たくないものを見ては吐いた。もともと痩せ型なのに急に8kg痩せて周囲に驚かれた。(さすがにまずいと思って気合いで戻したが)
皮肉にも筆は進むようになり世間の評価は上がった。うなぎ昇りってやつだ。本当に皮肉にも。
その頃には俺は気づいていた。俺があの人に相対して苦しめば苦しむだけ相手も苦しむのだ。
苦しめてやろうと思った。憎いというより悲しかった。そして思った通り自分が悲しめば悲しむほど彼女の顔もどんどん悲しそうなものになっていった。どうしてわかってくれないんだ、と思えば思うほど、わからないとあの人は泣いた。
胸が痛かった。
でも溜飲が下がった。
そのままだいぶ経った。僕らは時折共同でモノを作ることがあったから、その時も同じ部屋の中でいわゆる“素材”ってやつを見ていた。
最近にしちゃ珍しく小さい頃の古傷を掘り返すようなモノを俺が書いた。あの人はそれを見ながら黙って少し泣いた。
色が染みたような静かな泣き顔だった。
肺を掌で握り潰されるみたいに苦しくなった。
俺の悲しみが君に感染った。そう思った。全力で一発殴られたようなショックで目が覚めた。血の気が引いたら涙が出た。プライドも何もなく泣きながら詫びた。返事はなかった。
馬鹿か俺は。
何をしていたんだろう。
もう嫌だって何度も思ったんだろうな。でもつい幸せ願ったりしちまうんだろな。何のことはない。本当の気持ちは鏡の中にずっと写ってた。
あれから2年が過ぎました。今は鏡を叩き割ってやろうとは思わない。姿が見えないでいると胃が痛む瞬間はあるけれどね。
今日も作業終わりは完全に朝。朝だ。眩しいな。
よく眠ろう。もうすぐまたあの人に会える。
戦争が終わって一週間がたった。今やっと、こうして故郷に帰ってきた。この街はまだ、被害が少なかったようだ。私の家も無事だった。
「ただいま。」
期待を込めてそう言った。… だが、返事は聞こえない。仕方なく、上がって、部屋を探しまわった。いずれも空だった。
バッ!
そこで見たのは、赤い血。
… 元をたどると、生魚をむさぼり食うネコがいた。すると、とっさに逃げるので、追いかけた。
追っかけて、追っかけて、
ネコも私も疲れてきた。
「すみません。」
と声が聞こえたので、あたりを見まわすと、どうやら、そのネコが話しているようだった。
「そんなバカな」とも思ったが、確かに、そうだった。
という彼の言葉に、私は、
「ああ! だからね!!」と、
つい、言ってしまった。
ストレス溜まってくると
今も毎日自炊して栄養管理に身体慣らして、次は筋トレしてボディメイクしようとか思ってるし
それと並行してビーズ手芸のキットめっちゃくちゃ買い込んできて片っぱしから仕上げまくってるし
図書館でトルコオヤのハウツー本とか借りて、何作ってどう活かすかすんごい真面目にあれこれ考えてるし
目に付いた小説とか絵本をむさぼり読んでて自分でも何か書こうとか思ってポメラ開けたりしている
さっきとかちょっとカワイイ刺しゅうの図案見ちゃった勢いで危うく刺しゅう用ミシンポチるところだった
あぶねー
カードの支払い今月結構ぎりぎりなのに五万円とか十万円とか出るわけねーだろー
この衝動何とかしてもうちょっとコントロールしたほうがいいのかもしれない
気が付いたらウン万円とかホイホイつぎ込んじゃってマジやばい、正直自分でもちょっとあたまおかしい感がする
せめて何とか産物を金に結びつけられないだろうか
入学おめでとう。
本当は新しく大学生になる青年たち全員に向けて書くべきなのだが、とりあえずわたしにできることとして、母校について書く。
君は同志社が第一志望だったのかも知れないし、本当は他の大学に行きたかったのかも知れない。何故かよく分からないままこの大学に辿り着いてしまったのかも知れない。どんな経路でここに入学することになったにせよ、まずは、おめでとう。それはきっと、何かの縁だったのだろう。わたしがこうやってこの文章を書いていることも、君がたまたまこの文章を目にするようになったことも。
君が入学することになったこの大学は、基本的に学生を放置する大学だ。学生は好きなことを好きなだけやれば良し、そういう思想を持っていると思う。パンフレットか何かで既に見たかも知れないが、創立者はこんな言葉を残している。
わが校の門をくぐりたる者は、政治家になるもよし、宗教家になるもよし、実業家になるもよし、教育家になるもよし、文学者になるもよし。かつ少々角あるも可。奇骨あるも可。ただかの優柔不断にして安逸をむさぼり、いやしくも姑息の計をなすがごとき軟骨漢には決してならぬこと。
この大学は奇骨のある青年を求めている。勉強せずに卒業しようと思えば、それも可能だ。授業に一回も出なくても、試験答案さえ良ければいい、という先生も数多くいる。逆に徹底して学問をしたいという人間には、真摯に向き合ってくれる先生もいるだろう。
君は四年間で何をするつもりだろうか。サークル活動だろうか。テニスか、軽音か、環境に興味があるか。ビジネスか。友人と徹夜で騒ぐのもいい。せっかく大学に行っているのだから、本を多く読んでみるのも良いかもしれない。何をするにせよ、しかし、自分の頭で考えて決めることだ。自分に何ができるか、そして、何をすべきか。
それも、走りながら。
京田辺の別館が、ローム館が、そしてキャンパス内にある様々な穴場が。今出川の明徳館が、寒梅館が、そして近くにある天下一品が、君の生活の一部になることに、わたしは興奮している。わたしもまた、あの場所で人生のひとときを過ごした人間だからだ。これから様々な発見があるだろうが、君の世界がこの四年間で大きく広がることを願う。
2009年に放送され、ヒットを記録した「けいおん!(一期)」はまだ記憶に新しいが、その続編である「けいおん!!(二期)」の人気にはいささか翳りが見えてきているようである。
まず、客観的数値として一番わかりやすいそれぞれの初動売上を比較してみよう。
一期1巻:40,452
二期1巻:33,078
数字としては約2割も売上が落ちている。
もちろんキャンペーンの差であるとか、様々な要因が考えられるが人気作の続編としてこの下落率は大失敗と言わざるを得ない。
ここで本題である、「なぜけいおん二期は失敗したか」について考えてみたい。
あまり長いことを書いても読んでもらえないと思うので真っ先に考えられる一番シンプルな理由だけを極々簡単に紹介してみたい。ずばり、二期は全体的にヌルいということである。
一期は言うまでもなく高校入学から軽音楽部入部、そして初めての楽器演奏といった主人公唯の成長譚としても観ることができた。そして1クールという短い回数の中で二年間の成長がうまくまとめられていた。
まじめに練習しているシーンがないと重箱の隅をつつく人もいたようだが、短い尺に納めるため、練習していることは前提としてそれ以外のより重要なシーンを描くことに重きを置いたと解釈するのが自然だと思う。
一方で二期目はどうか。そもそもの話として、二期は一期の成功を確認した上での企画であると思われる。二期を観ていると一期で評価された部分にスタッフが味を占め、そこをあざとく強調しているようにしかみえない。
もちろん一期の短い放送回数では描ききれなかった日常シーンを望む声はあるだろう。けれど、実際に放送された二期をみると制作側からのチャレンジ精神は見えてこず、安易な需要へのフィードバックだった。
つまり、二期は「空気系」および「日常系」といった単語で安全圏に引きこもり、惰性でなんの起伏もないシーンをだらだらと続けているだけである。
過去に大ヒットを記録したアニメは例外なく多くの論争を巻き起こした。某ロボットアニメを例にとるまでもなく、歴史に残るような作品はすべて多大なる長所と短所を包含し、ネット論壇において、放送当時はもとより未だに議論の対象となっている。
ここでけいおん二期に話が戻ると、この作品に至っては「短所」がほとんど存在しない代わりに「長所」も皆無である。一期の成功を前提に無難に無難に作られた作品であるが故に評価すべき点がまったくと言っていいほど見あたらない。
ネットを見渡してもこの作品について精緻な考察を繰り広げているブログも存在しないのではないか。あるのは、キャラに対する表面的な萌えの声や、“あるあるネタ”への共感のみである。
「けいおん!」(一期)は確かにヒットした。時代をうまく汲み取っていたし、批評性があるように思われた。けれどそれに続く二期は、うまみを知って舞い上がった制作陣による、薄く引き延ばした劣化レプリカ、失敗した二次創作、もしくは傲慢な京アニから放たれる醜悪な排泄物にすぎない。
京都アニメーションはこれまで時代性をうまく作品に反映し、優れた技術と相まってその時々を代表する作品を生み出し続けてきた。そういったアグレッシブなメンタリティこそが京アニの真価であり、圧倒的な人気を誇ってきたゆえんでもあろう。
その京アニがけいおん二期という冒険心のない凡作を生み出してしまったという事実は大きい。
一般メディアや中高生向けクラスタへの露出の多さから関連商品は売れ続けるだろうが、その求心力はどんどん衰えていくだろう。
確かに新しいことにチャレンジすることのリスクは大きい。それが京アニという巨大ブランドであればなおさらだ。しかし、当初のコンセプトを失い、目の前にぶら下がった利益だけをむさぼり続けた企業が衰退していくことは歴史が証明している。
京アニには腹の周りについた醜い贅肉をそぎ落とし、いつまでもラディカルな制作集団でいてもらいたい。けいおんはその意味でとてもいいクスリになったはずだ。
勝てない、辛い、と思ったら即逃げてしまうようになってしまったのは、
遡れば中1の部活からだったような気がする。
俺が中学生の頃は、バリバリのスラムダンク世代ともいえる時期で、
当時の俺はその例にもれず、その地区でそこそこ強豪といわれてたバスケ部の門をたたいた。
運動は得意でない、でも何とかなると思った。
何ともならなかった。絶望の毎日だった。
そもそもボールを持った時頭が真っ白になり、何もできない。
そのうちなめられて俺にボールがきたら何人も群がられなにもできず被スティール。
そもそもちょっと早いパスになるととれなくなる。指が痛い。
そのうちなめられてボールがこない。くるのはそもそも捕らせる気のない、おふざけの剛速球。
このあたりでレギュラー候補の同級生には軽蔑され、それ以外にはストレスのはけ口にされる生活に。
だんだん嫌になって、同じく何にも出来ない子と部活をさぼるようになった。
そんな生活を半年続け2年に進学する時、俺は両親の転勤の都合で別の中学へ引っ越すことになった。
2年生、今度こそはと入ったハンドボール部。
サボることなく、卒業まで続けることができた。
いや、なんどもサボろうとしたけど仲良くなったキャプテンがそれを許さなかった。
でも、何もできなかったことに変わりはない。
顧問にセンスがないと一言いわれてへこみ、それをバネに努力することもせず、結局スタメンに選ばれるどころか
候補に挙がることすら1度もなかった。
高校はそんな努力をすること自体が苦痛で、でも部活に入るのが決まりだからって卓球部で幽霊部員。
残るものと言えば、同じ時間をなんとなく過ごしてきた部員とのなんとなくの繋がり。
大学でもサークルで学祭の店のリーダーをやるも、計画性の無さと人間関係のトラブルを全て他人におしつけ、さぼり、
連絡に来る携帯のバイブに怯え何がしたかったのかわからないまま終わってしまった。
もう少し、自分に暴力的な、暴走してでもいいからなにかエンジンみたいなものがあれば。
たとえば初めてバスケットボールを顔面に近距離で剛速球で投げられた時、
ただ泣くだけでなく全力でボール投げ返すことができていれば。
なにか変わったのだろうか。
おめーにだけは負けたくない、そう心から思って何かにとりくめる人間は強いと思う。
そりゃ動機は負の感情かもしれない、何かトラブルを起こすかもしれない。
けどそういった人間の爆発力には何か、とても憧れてやまないものが入ってる気がする。
なんでこんな事を書いたかっていうと、社会人1年目の今、同期と差が開いてきた気がして、
しかもそれが俺自身がさぼっている、+客にびびっちゃってるのが原因で、
その原因がわかっていながらもう嫌になっちゃって、また今日もサボるという悪循環を
繰り返してしまったから。
自分なりに何とかしようと、本を読んだり戦略練ったりはするものの、実行に起こせない。
アウトプットできないなら本とか読んでも全く無意味じゃないと、
わかっててもできない。
染みついた負け癖逃げ癖不利になったら放棄する癖が
どうしてもどうしてもどうしてもどうしてもとれない。
一回ドロップアウトしてしまったらもう戻れないのかな。
家に帰ってきた今は、こんなにやる気なのに、
寝て目が覚めたらまたいつもの日常になってしまいそうなのが怖い。
おぱんちゅを下ろし可愛い二つの丸みをおびたおしりを露にし、ぼくのお口に腰掛けるあずにゃん
なんて綺麗なんだろう…
小振りだが弛みのないあずにゃんの魅力的なおしりに見とれていると
「ふぅ…」という小さいため息の後に
あずにゃんのもはや「すじ」といっても遜一のない無毛のおまんまんから噴水があがって
ぼくの口の奥に叩き付けられてじょろじょろという音がたつのにゃん
次第にあずにゃんのため息が何かを我慢しているような声になって
その瞬間あずにゃんのおまんまんとは違うもう一つのきゅっと佇む肛門から「プスーッ!」という
にわかには信じがたい音が個室の中に響くのにゃん
ああ、あずにゃんみたいな可愛いおにゃのこでもウンチはするんだな
という興奮のなかとうとうお待ちかねだったあずにゃんの排便タイムをリアルタイム観察するのにゃん!
あずにゃんの喘ぎ声が次第に大きなものになり、双丘の中に息づくすぼまりがゆっくり広がっていくのと同時に
肛門周辺の筋肉が段々と盛り上がっていき、あずにゃんのお父さんやお母さんのものには及ばないけど
火山の噴火口をちょうど逆さまにしたような形にぷっくりと膨らむのにゃん
そしてあずにゃんのおしりの穴が伸びきるとミチミチ肛門と摩擦を起こすような音と同時にあずにゃんの
プリチーで健康的なバナナ型のうんうんがおしりの谷間からコンニチワするのにゃん
ぼくのお口にうんうんを産み落としたあとは、急速にすぼまっていくあずにゃんのおしりの穴
産み落とされた未だに熱を持ってホカホカと湯気をあげるあずにゃんのうんうん
その瞬間だけあずにゃんのおしっことうんうんはぼくだけのもの!
一部始終を見終わった一人きりになったぼくは感極まってあずにゃんのおうちの便器に生まれてきてよかった
できればぼくにあずにゃんのアワビと菊のお世話もさせてほしいのにゃん…
特に菊のほうは丹念にお世話してあげるのにゃん
トイレットペーパーの代わりにあずにゃんの菊のお世話を買って出た以上は手抜きはできないのにゃん!
あずにゃんがウンチする度、ぼくのベロであずにゃんの菊を清めるのにゃん
あずにゃんの中心の穴付近から皺にそって念入りにウンチをなめ取ってあげるのにゃん
口の中に広がるあずにゃんの酸っぱいような、苦いような排泄されたばかりのあずにゃんのウンチを楽しみながら作業するのにゃん
次第にあずにゃんの菊は見た目上は綺麗になるけどこれじゃまだまだなのにゃん
今度はあずにゃんの直腸にまでベロをねじ込んで、未排泄のウンチをかき出してあげるのにゃん
排泄の後の直腸内には排泄されなかったウンチが貯まっている事があるのにゃん
そしてあずにゃんのウンチをぼくが味わうためにもこれは見過ごせないのにゃん
あらかたあずにゃんの腸内に塊が無くなったら、あずにゃんの腸壁までぼくのベロで綺麗にするのにゃん
アナルも異物があると膣と同じように濡れてくるというのはどうやら本当みたいで
まるで砂漠を何時間も歩き回った旅人がわき出てくる泉にむさぼり付くように
しつこくあずにゃんの次々としみ出てくる腸液を喉に流し込むのにゃん
そこであずにゃんに「あの…そろそろ…」ってまさかのストップがかかっちゃうのにゃん
にゃんにゃん…、あずにゃんの菊に一分でも、一秒でも長くぼくのベロで味わってたかったのを見抜かれたのにゃん…
でもこれで終わりじゃないのにゃん
あずにゃんの菊は逃げないのにゃん!
また次あずにゃんがウンチするときまでしばしのお別れなのがちょっと寂しかっただけなのにゃん
「病気という傘に守られて、おまえはいいよな」
と尊敬している上司から言われた。病院、といえばさぼり、起き上がれなくてさぼり、それもこれも、俺の言葉に傷ついて精神を病んでしまったからなんだろう?
お前のせいで、俺は降格したよ。役職を与えられて、でも一銭も給料は上がらない。これはなんでだ?お前のせいだよ。お前の病気の原因が俺にあるからだよ。
でもお前がしてきたことに比べたらぜんぜんだよな。俺のいったことをやらない、俺の指示したことをやらないから、俺はお前を怒鳴ったりしかったり、多少言いすぎなことはあるかもしれないけど、仕事ができてたら、俺のいったとおりにやれてたら、こんなことにはならなかったんだ。自分のことを棚にあげて、上に悪口を言ったんだろう?俺が、非人道的なことを言う、と。
といわれて頭が真っ白になる。その通りなんだ。私が仕事ができないから、自分で精神を病んでいるということになる。上司の給料が上がらないのも私のせいだ。病気を傘にしてるんだろう。
毎日、泣きながら電車に乗り、会社につく、仕事をする。仕事ができないで怒鳴られる、という数ヶ月をすごしてきた。昨月それがふ、ときれたように何もできなくなってしまった。会社に入れなかった。その日、大事なプレゼンがあったのに。経理の人に話を聞いてもらって、その日の夜に社長とその経理の人と会食をした。
そこで私が言ったことは悪口だったのか。
「ひどいことを言われるけど、それは私が仕事ができないからです。
でも先輩は尊敬しているし、がんばりたいとおもっています」
そうか。これは悪口だったのか。
今日も隣の席で仕事をしている。私がミスをすると大げさなため息をつく。
ほかの人との声がワントーン違う。
死んでもらいたい。やめてもらいたい。幾度と無くその言葉を聞いている。
やめると、またその上司は降格になってしまうのではないかと思い、怖くて言い出せない。今の精神状態を落ち着かそうと2~3日休みが欲しい、という要求も、その上司をおいつめることになるだろう。
回りのみんなは、私が病院に通う原因を知っているから。
全部私が悪いんだ。
俺が昔住んでたアパートの隣の住人が頭のおかしい40過ぎのおっさんで、
早朝「アーーーーーーーーーーーー!!!!」とか部屋で叫んだり、
とにかくそのおっさんは変だった。
しまいには夜中俺の部屋の窓をいきなり開けて、
目見開いてニヤ~っと笑みを浮かべながら「フリダシに戻るぅ~~」とか叫びやがった。
俺はめちゃくちゃびびったのと同時に何故かめちゃくちゃ腹立って、
どうにかしてこのおっさんに仕返しがしたくて、
俺も頭おかしいこと言ってビビらせてやろうと思った。
そして俺は「ピーちゃんの星でラーメンむさぼりたいの~~~」みたいなことを言ってやった。
そしたらおっさん急に冷めた顔になって「お前は冬型の気圧配置だから無理」とか言ってスタスタどっかに消えた。
マジで腹立ったあれは。今思い出しても腹立つ。
http://anond.hatelabo.jp/20100624234636
元のhttp://anond.hatelabo.jp/20100624140030です。
母親もわりと学校にいってなかったらしくて「中学とかほんとつまんないよね。いらない授業多すぎるんだよ」とか言って、私を強制的に学校に行かせようとはしなかった。
この強制的に行かせようとしないっていうのがポイントかも。
うちでは、たまたま学校に行かなくなり始めた頃、他県で教員をやっている友人にそれを知られた。
「このままにしておいたら、完全に行けなくなっちゃうよ。無理にでも行かせなきゃダメ」
と叱咤されて焦ったが、無理やりに行かせようとしていいことはなかったな。
どっちにしろ、完全に行けなくなったし。
ほんと、無理に行かせようとしてた日々は親子ともに消耗するだけで徒労だったね。
父親が文系で母親が理系だから、父親に英語と社会を教わって、母親に数学と理科を教わって、それで地元ではそこそこの高校に入った。
だから勉強さえどうにかなればどうにでもなるんじゃないかなーなんて思っちゃう。
いいなあ、両親に分担して教えてもらえたなんて。うちは両方理系だよ。
親よりも塾の先生に教えてもらう方が好きらしいんで、今はそれでぼちぼち。
ちょいちょいさぼりながら通えるような適当な高校に行けたらいいなと思う。
てきとーな両親から生まれたてきとーな小娘の戯言ですけども。参考にならなそ。
いやいや、ご両親、いろいろと工夫して、後押しをしてくれていたんだね。
見習ってゆるゆる行きたいと思うよ。
母親もわりと学校にいってなかったらしくて「中学とかほんとつまんないよね。いらない授業多すぎるんだよ」とか言って、私を強制的に学校に行かせようとはしなかった。
むしろ年のはなれた弟がいるから「面倒みてやってね!」とか言い出すくらい。
でも仕事を夜勤を多めにしてくれて、昼間は勉強みてくれたり、一緒に料理したり。
夜は父親が勉強みてくれた。
父親が文系で母親が理系だから、父親に英語と社会を教わって、母親に数学と理科を教わって、それで地元ではそこそこの高校に入った。
だから勉強さえどうにかなればどうにでもなるんじゃないかなーなんて思っちゃう。
てきとーな両親から生まれたてきとーな小娘の戯言ですけども。参考にならなそ。
>一人暮らしのサラリーマンはやりたくなければ家事をする必要がないじゃんよ。掃除洗濯は週一でお手伝いさん雇って、食事は外で食べるなり弁当食うなりすりゃいいんだから。
そんな金持ちな一人暮らしばかりじゃないだろ。金に余裕がある場合なら主婦だって同じことはできる。金持ちの主婦ならお手伝いさんもいれば、外食も多い。金持ち一人暮らしと一般主婦を比べて何がしたいのやら。
>専業主婦が、それやってたら「さぼりだ」って賢い人でも言うでしょ。
家事の内容なんか赤の他人に知られることは普通ない。外食で髪の毛はいってたとかメニュー間違えたら謝罪で作り直しだが、家事ならそんなこともないくらい気楽にやれる。
主婦は1日4時間家事をやっていて、「「自分が料理をする時間」に対しての「妥当な時給」については、平均「1,139円」と1,000円を超える結果となった。 」ということらしい。
でもさ、自分が料理をする時間って、少なくとも半分は自分の食べるものを作っているだけだろう。金を貰える性質なんてそもそもがない。そこで時給どうこうを考えてしまうのはどうなんだろうか。
お金に換算しないと、価値をはかれないバカが増えてきたから、わかりやすいように数字にしているだけだよ。
一人暮らしのサラリーマンはやりたくなければ家事をする必要がないじゃんよ。掃除洗濯は週一でお手伝いさん雇って、食事は外で食べるなり弁当食うなりすりゃいいんだから。専業主婦が、それやってたら「さぼりだ」って賢い人でも言うでしょ。
http://anond.hatelabo.jp/20100308183630
森毅はほとんど読んでいないが、
その森が、火傷を負ったときいて、胸がすぅっとした。
だが、青少年に怠惰を吹き込んだ森のような人物は、罰をうけるべきだ。
重傷の火傷は、天罰だったにちがいない。
ってさ、青少年の頃の自分には、判断力が無かった、ということを告白しているわけだよね。
まあ、若かりし日の自分が判断力に欠けている、というのは当然のことだけれども、
それを誰かの所為にしてしまってもいい気分になれる、というあなたがわたしには信じられらない。
ふつうに自分が18歳のときにどういうものを読んでいたか、といえば、
「ええかげんでいいんや。大学では勉強なんてしなくていい。エリートは勝手に育つもんだ」
みたいな話もそりゃあ、触れていたけれども、
その逆の、「大学で勉強すると面白いぞ」という話も、同時に読んでいたわけで。結局、諸先輩方が何を言いたいのか、ということは、人それぞれなんだなぁ、ぐらいの感受性はもっていたが。
それを、「森オンリー」「森信者」になれてしまっていた、というのが問題だったんだろうね。あなたの場合。
さらに加えて言えば、「エリートは勝手に育つ」という発言があるのなら、あなたは「勝手に育つエリート」ではなかったんだろうね。
「授業をさぼり、漫画喫茶で一日を過ごし、友達とくっちゃべ」る日常を過ごしているのでも、育つ人だっているだろうに。
まあ、森さんの発言がテキトーだったのかもしれない、とは思うけれども、
自分で理解できないようなのであれば
「だから、あなたはダメなんだ」
としか言いようがない。
あなたの人生でしょ。
http://anond.hatelabo.jp/20100307133147
匿名なのだから記事が残っていようが本人には何の痛痒もないはずだ。
匿名なのに記事を消すなど不合理だと思う。
よって再掲させてもらう。
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料理中にコンロの火が服に燃え移り、腕に火傷の重傷を負ったという。
ざまぁみろ、と思った。気分がすっとした。
このときの感情は、さすがに倫理にもとると感じて封印していた。
ために、ここで打ち明けてみようと思う。
今から20年ほど前、高校生だった私は森毅のエッセイをむさぼるように読んでいた。
進学校に通っていたが、地頭はそれほどよくなかったし、学校の雰囲気や、教育熱心な母の重圧に少々参っていた。
そんなときに、森が著書の中で
「ええかげんでいいんや。大学では勉強なんてしなくていい。エリートは勝手に育つもんだ」
と主張していたのに、救われた気がした。
それまでは頑張ろう。そして、大学では遊ぼう。
そう考えて頑張った結果、大学では、早慶クラスの、名の通った大学に入った。
大学では、遊びほうけていた。
とはいっても、それまで遊んだことのない人間の遊びなんてたかが知れている。
授業をさぼり、漫画喫茶で一日を過ごし、友達とくっちゃべって一日が過ぎていた。
遊ぶ、というより、勉強をしない、といった方がいいかもしれない。
高校までの受験勉強で学んだ知識が、実生活で生きる訳ではない。
若い頃に「勉強して、知識を記憶にたたき込み、それを応用する」という習慣をつけるために、受験勉強というものはあるのだ。
だから、高校まで勉強をつづけた後、大学ではそれ以上に勉強することが必要となる。
本当に自分がやりたいことを模索して、選択して、一心不乱に勉強する……それが大切な時期なのだ。
ただですら、怠惰に流れがちなのだから。
私は、貴重な4年間を、彼の思想の影響を受けたせいで無駄にした。
彼の言葉は福音だと思っていたが、なんのことはない、怠惰な人間に、「それでいいんだよ」と甘い言葉をかけていただけなのだ。
彼に影響を受けた私は、勉強の習慣を失い、未だにダメサラリーマンをつづけ、うだつがあがっていない。
どのような人間を師匠とするかが、いかに大切なことだと、今になってわかる。
彼の言っていることは、元々地頭のいいエリート向けの言葉であって、それ以外の9割の頭の悪い人間にとっては、地獄への一里塚だった。
彼にとってみれば、受験教育のために潰されそうになっている1割の人間を救うために、書いたのだろうし、彼の本を読んで影響を受けた1割はそれで救われたかもしれない。
だが、9割は社会から脱落していったのではなかろうか。
まさに、
私が彼を知った少し前から、彼の著作はブームになっていたので、影響を受けた高校生も多いだろう。
そのほとんどは、進学校に通う、受験生活に疲れた少年だったように思う。
そのほとんどは、その後の人生に失敗をしているように感じる。
だから、失敗者の声は届かない。
だから、彼はこれまで称揚されてきたのだろう。
見かける度に、反吐が出た。
その森が、火傷を負ったときいて、胸がすぅっとした。
だが、青少年に怠惰を吹き込んだ森のような人物は、罰をうけるべきだ。
重傷の火傷は、天罰だったにちがいない。