はてなキーワード: 貧乏とは
普通の家庭で娘が音大受けるからとなんとか金を工面して100万円のバイオリン買ってくれて、周りは数百万円のバイオリンだらけの中で音大に合格できた、という話に対し
「僕は父がヨーロッパで買ってきてくれた2万円のバイオリン使ってた。受験のときは10万円のバイオリンだっとよ」
という話ぶつけてくるN響バイオリニストの話聞いてちょっと泣いちゃった。
N響だときっと今は数千万円のバイオリン使ってる。お父さんがヨーロッパ行ってバイオリン買ってきてくれるお金持ちの生まれで。
ところで最近、新進気鋭のジャズ・ミュージシャンもほぼ音大でジャズ学んだ人ばかりで、ジャズの世界も金持ちしか一流プロになれなくなってきたのかもしれないと思っている。
当時1万するソフトかってもらっといてうちは貧乏だったから。。。みたいなのうざすぎ
本体といっしょに1本かってるはずだから、スターオーシャンと合わせたら、すくなくとも2本以上かってもらってるってことだろ?
親にかってもらったスーファミのソフトは、本体といっしょに割引あるからってことでよーやくかってもらったスパ丼2だけだったわ
まじえせ貧乏きえろや
ってひどいよな。
金を受け取らない清らかな正義の皺寄せを弁護士に尻拭いさせるからそうなる
6、7年前のこと。
当時、私は大学を1年休学し、アルバイトで貯金を貯めては発展途上国に旅に出るという生活を送っていた。
いわゆるバックパッカーという奴で、当時はうだつの上がらない大学生を中心にとても流行っていた。
国民からの支持も厚きプミポン国王陛下(大変偉大だった。名前の響きも良い)がまだご存命であらせられた頃の微笑みの国で、途上国と言っても過ごしやすい場所だった。
主な活動拠点であった首都バンコクにはそこら中にコンビニがあるし、バンコクでなくても観光地ならそこら中にコンビニがあった。
短距離の移動も楽で、自動車やバイクやトゥクトゥクなんかのタクシーが車道を(適宜信号を無視しながら)縦横無尽に行き交っていた。
足に自信があればレンタル自転車でも移動できたし、自信がなくてもレンタルエレファントに騎乗することによってなんか自分がとても偉くなった気分にもなれた。
だが、長距離の移動は辛かった。
何十キロも移動する場合、貧乏学生に与えられた選択肢は乗合バスか国有鉄道の2択になる。
私はこの1年後、南国フィジーで偶然出会った黒人と雰囲気でビガップするまで乗合バスというものを食わず嫌いしていたのでタイで乗ったことはない。乗り込んだら最後、ギャングが鮨詰めになったファベーラっぽい場所に連れて行かれるような気がしていたからだ。
なので国有鉄道ばっかり乗っていた。
国有鉄道は大変安価で、バンコクから国中に放射状に線路が伸びていたっぽい。バンコクのなんか名前の長い駅からどこへでも行けるし、どこからでもバンコクに戻れた。
だだ、乗り心地は酷かった。
座面も背もたれも材質不明の硬い何か(プラスチックっぽい)で長時間乗るとケツが割れる。
窓はいつも半開きなくせになぜか換気能力が低く、どの車両に乗っても独特の臭いがした。しかもこの窓は出入り口でもあった。車両が駅に停車すると野生の物売りたちが華麗な身のこなしで窓から乗り込んでくるのだ。なので泥とか砂とかがいろんなとこについてた。
最も難儀したのは、夕方夜にかけて、バンコクから地方に向かう鉄道の車内である。
一つ考えてほしい。我々日本人は、夜にへとへとで電車に乗りこんだものの、座席が空いていなかったらどうする? 観念して空いている場所に立つか、次の電車を待つかするだろう。
タイの疲れた人々はどうだろうか。そんな非効率的なことはしない。
何故なら、電車には床があるのだ。そして疲れているのだ。疲れている人は、座るか、寝るのだ。
そう、電車の床に座って、寝るのである。それも、スペースがあればあらゆる場所に。
座席の肘置きはもちろん、座席の下に潜り込んで疲れを誤魔化す。始発のバンコクならまだスペースに余りもあるが、途中の街から乗り込もうものなら、扉をあければもうみっちみちである。
しかも、地方に行くほど駅が減る。1時間停車しないということもあった。つまり、長時間、めちゃ揺れる車内に、みちみち。
私はその日の夕方、とある観光地から別の観光地に向かう鉄道に乗り込んだ。そして、普通に行き先を間違えた。
動揺を押し隠して途中下車し、優しい駅員の指示のもと折り返しの電車を待った。折り返しの電車が来るころには、空は暗く、月が輝いていた。
やたら笑顔の駅員にはにかみながら、私はやってきた車両に乗り込んだ。
扉を開けると、わぁ……人がみっしりしていたぁ……。
足の踏む場もないほどの人の密集具合に、育ちのいい小学生ほどもあるバカみたいにでかいリュックを背負っていた私は、車両にいることさえ不可能なのではないか思った。
行き場所を失い、半分外みたいな場所に追いやられた私は、そこが電車の連結部であることに気づいた。(賢いので)
日本の電車の連結部は大抵、人間がおっこちて線路脇のゴミにならないように何かしらで覆われている。だがその車両は違った。
連結部の左右は吹き抜けで、端的に言うとめちゃくちゃ危なかった。
だが、私の居場所はそこにしかなかった。私は肩の荷を慎重に下ろし、それに腰掛ける形で車両入り口の扉に向かい合った。バランスを崩すとそのまま車両から脱落する可能性が大いにあったので、足を広く開き、腕は胸の前で組んだ。RPGのボスみたいな座り方だな、と思った。
それからしばらく、私は連結部の主だった。
どれぐらい動的不動の時間が過ぎたか、12、3歳の少年が、扉を開いて入ってきた。
続きはまた今度書く。
さて、続き。
少年の年齢は私の推測である。見慣れた日本人ならともかく、他人種の正確な年齢など私にとっては一目見て分かるものではない。
ただ、少年は成人男性の顎ぐらいの身長でスポーツ刈りだった。よれよれのシャツを着て、よれよれのズボンを履いていた。
少し話は逸れるが、私がタイを訪れ、タイ人と出会って抱いた強い印象の中に『なんか目がキラキラしている』というのがある。これは漫画的な表現ではあるけれど、これが一番適切な表現だと信じている。涙袋のせいだとか二重がどうこうといった美容的なことは知らないので詳しくはわからないが、タイ人の多くはどことなく目が大きく、それでいて黒目が抱き込んでいる光がたくさんあるように見えたのだ。今昔の写真で見返すとそんな風にも感じないのが不思議だが、とにかく、当時の印象としては、大人から子供まで、とにかくキラキラした瞳を持った人間が多く、特に子供たちはだいたいキラッキラだった。屈託のないとか、卑屈な感じじゃないとか(実態はともあれ)そんな感じだったのだ。ちなみに、現地でインド人もたくさん会ったが(外人にスーツを仕立てさせる押し売りが流行ってたっぽい)特にそんな印象はなかった。
さて、話を戻すと、その少年もまた瞳がキラキラしていた。表情は特に無かったと思う。連結部は車両の光で明るく、顔はよく見えたはずなのだが、今思い出せるのは瞳の印象だけである。
少年は私を見ると、なんか言った。タイ語は全くわからなかったので、私は唯一知っているタイ語で挨拶をした。
「サワディカ」どこでも使えて便利な挨拶だった。
すると少年は少し笑って、挨拶を返してくれた。浮かれた様子はまったく無かったので、彼にとっては電車の連結部で見知らぬ外国人がふんぞり返ってる状況など慣れたものだったのかもしれない。
私は気が楽になって、アイフォン(当時はオンボロの5を使っていた)を取り出してイヤフォンを耳に入れると、昨日ホテルのWi-Fiでダウンロードしていたアニメを見始めた。
画面に青白い顔でピンク色の制服を着た女子高生がウロウロしたり電気をつけたりするオープニングが流れ出すと、少年が近づいてきてそれを覗き込んだ。
私は少年の顔を見た。少年は、驚きとか、興奮とかそういう表情を浮かべてはいなかった。ただ、じっとアニメーションを見ていた。私は途中からイヤフォンのコードを抜いて、音量をあげた。
そのオープニングが終わると、別のアニメのオープニングを流した。それから、アイフォンに入れていた日本のアーティストのMVや、ディズニー映画のミュージカルシーンなんかをいくつか再生した。
私は映像を流し見しながら、少年を見た。少年はだいぶ負担のかかりそうな首の角度で、画面を凝視していた。
海外の反応集みたいな大きな反応を期待したが、そういうものはなかった。だが、私には分かるような気がしていた。幼い頃、実家で兄が怪物と戦うゲームを遊んでいた時、たぶん私もこんな風に画面を凝視していた気がする。
しばらくして、私は再生するのをやめて、アイフォンをしまおうとした。少年に見えるように持っているのが普通にしんどかったからである。
すると、少年がなにやらそれを止めた。
まだ何かが見たいのかと思ったが、どうやらそれも違う。自分の写真を撮ってほしいということを身振りやら表情で伝えてきた。
そんなことならとカメラを向けると、少年はポケットから小さな箱を取り出した。
それはたばこだった。
真っ黒な内蔵の写真が雑にプリントされた、やたらグロテスクなパッケージのタバコである。当時、タイのたばこは全て買う気が失せるようなパッケージをしていた。(今もかもしれない)
私は少しだけ衝撃を受けた。少年は明らかにタバコを吸っていい年齢ではない。タイではそういうものなのかもと思ったが、そんなわけないなとすぐに思い直した。
が、一介の腐れ大学生で、この国のことを何も知らない観光客である私には、目の前の未成年喫煙を止めるような義務も、権利もない。
少年は慣れた手つきでたばこを取り出すと火をつけて、口元に持っていって、動きを止めた。
どうやらポーズが決まったらしい。私は写真を撮り、それを見せた。
少年は素人のブレブレで光の加減も適当な写真を見て、口の片方だけを上げるやたらニヒルな笑い方をした。私も真似した。
それが気に入ったのか、少年は私にタバコの箱を差し出した。吸うか? ということらしい。
私は普段タバコを吸わない上に、未成年からこんなものを勧められるとは、などと色々と迷ったが、こんな経験も貴重だろうと一本いただいた。
少年にライターを借り、私はタバコに火をつけた。そして一口吸った。普通の煙たいタバコだった。
私と少年は少しの間、揺れる車両の連結部で煙をふかした。吐いた煙もタバコの先から出る副流煙も、すぐに飛ばされていった。
少年は私がたばこを吸い終わるのを待って、吸い殻を引き取ってくれた。そして、車両の外に放った。私はポイ捨てとかが嫌いな人間だったが、それをここで誇示してもしょうがないなと思ったのを覚えている。
私は車両に戻ろうとする少年の肩を少し叩いて、アイフォンの内カメラを見せた。一緒に写真を撮ろうという意思表示である。
少年は少し照れくさそうにしていたが、写真を撮る瞬間だけ何故かすごいハードボイルドな顔をしていた。たばこを吸っている写真を撮らせたり、なにかそういうのが流行っていたのかもしれない。
私は車両連結部の主に戻った。
私は時折車両の揺れによって荷物経由でケツを叩かれてバウンドしながら、ぼんやりと思った。
この電車は、私が乗り込んだ駅から、まだどこにも停車していない。私が乗り込んだ駅にはあの少年はいなかった。つまり、彼はどこか遠くからずっとこの電車に乗っているのだ。連結部で少しの時間を過ごしたが、親や兄弟と思しき誰かが様子を見に来ることも無かった。時刻はとっくに夜だった。平日だった。少年の様子は、何も特別なものではなかった。
あの子は家から離れた場所に働きに出ているのだろう。と結論づけた。
翻って白状すると、私は就職活動から逃げるためにバックパッカーをしていた。
ただし、当時の私は反省などしなかった。今もしていない。自分がやっていることは間違いじゃないし、こういうことしていたからこういう経験ができたわけだし。
だが、瞳だけはキラキラで、貧乏な風体の、サラリーマンみたいな貫禄の少年に、思うところがないわけでは無かった。
少年と自分を比較して、自分の子供時代を評価していたことにも気づいた。
意味のないことをした。と思ったと同時に、何かとても価値のあるイベントに参加したような気もした。
それから、電車はいくつかの停車地を経て、私を目的地へと運んだ。
電車を降りる時、さりげなく少年を探したが、彼は見当たらなかった。
私は何故かさらに少しだけ気分が良くなり、意気揚々と宿を探すことにした。
宿を探すのにはさらに1時間近くかかり、しかも宿のベッドで南京虫と格闘することになったため、私は激怒した。
結局、特に何かを伝えたい話ではない。
先日までセールをしてたので息子のスイッチを貸してもらって、スターオーシャン1 -First Departure R-を買った
もうセールは終わってるのでステマではなく、自分語りをさせてほしい
スターオーシャンが発売されたのはSFC末期の1996年7月、既にプレステやセガサターン、ニンテンドー64といった次世代機も発売されている時期だった
うちは貧乏だったので、次世代機を買うことを親にお願いできず、そんな気配を察知した父が秋葉原に連れて行ってくれて買ってくれたのがスターオーシャンだった
当時小学生だった自分はその時までスターオーシャンを知らず、秋葉原のゲーム屋ではずっと64やプレステのデモ画面を眺めていた
最後にスーファミのソフトなら1個買ってあげると言われて、店内をうろつき、あのドラクエのエニックスのRPGということで選んだのである
もちろん子供なのでエニックスがまさか販売元であり、開発元がソフトごとに異なるなんてことは当然知らない
前から欲しいゲームではなかったけど、父親の思いつきとやさしさで新しいゲームを買ってもらえてラッキーと、電車の中でほくほくしながら家に帰ったことを覚えている
自宅で早速やり始めてドラクエというよりはFFのような綺麗なビジュアル、ドラクエのような正面ではなくFFのような横から見た戦闘システム、
戦闘中に縦横無尽に走り回るキャラクター、スーファミなのにキャラが喋ること、綺麗な音楽に感動した
何よりも感動したのは、ゲーム冒頭1時間がほぼイベントシーンであり、ほぼ操作できないずに会話を見るだけ(世界観の説明)だったことだ
今なら批判されるだろうが、ゲームを始めたらとりあえず戦闘してスライムのような雑魚を倒してレベル上げて、ではなく
世界観の説明に冒頭1時間費やすのが子供ながらに新しく感じたのだ
そして世界観がいわゆる中世RPGだと思ったら、現代社会も出てくるSFだったこと(もちろんゲームの大半は中世RPG的な星の過去に行くという流れで中世RPGっぽくなる)
みんなプレステ、64、セガサターンで話題は持ちきりであり、今更スーファミ?という空気だった
一度友人を家に呼んでスターオーシャンの凄さを力説したものの、この戦闘テイルズと一緒じゃんと一蹴された
攻略本もあったのだろうが、ハード末期なので近くの本屋には売っておらず、自力でラスボスを倒してクリアした
おそらく大量の分岐や仲間にしていない仲間がいたと思われるが、自分としては満足だった
父には買ってもらったゲームめっちゃ面白かったよと伝えると笑っていた
そんな父も今年の夏に亡くなった
正直に言ってまだ喪失感が続いている
そんな時に息子のスイッチのニュース画面でスターオーシャンのセールを見てプレイする時間もないのに買ってしまった
買ったのは1週間以上前だけど、まだ起動すらしていない
自分の記憶で美化されているだけならどうしよう、リメイクって言ってるけど昔の雰囲気はあるんだろうか(そもそもよく調べたらPSP版の再リメイクのようだ)
などと不安が募る
今夜にでも勇気を出してやってみようと思う
あの冒頭の1時間は同じなんだろうか
自己責任ってどうとでも言えるな。
それをおかしいと思うかなんてお気持ちはさて置いて、現状の実態として税金多く取られるの分かった上で好き好んで高所得者として働いてんだから自己責任。税金が軽くなるよう貧乏人にも肩入れして欲しいなんてお気持ちは甘え。
分かってなくてそういう働き方してたんなら勉強不足で当然自己責任。
頑張った分だけ報われるべきとかいうお気持ちを振りかざして、貧乏人の社会福祉軽減を期待するなんて甘え。
変えたいなら自分で選挙に立候補して当選すればいいのに、それをやらないんだから自己責任。出た上で落選したなら努力不足だから自己責任で甘え。
地底はビンボー人の巣窟
文化資本も大幅に劣るので、採用されてからそういう劣ることを埋めるのに必死にならないといけないから、頭角表すことも少ないと思う
もう国内での仕事はレッドオーシャンだからコネがモノを言うからいくら頭よくても地底みたいなコネなし貧乏家庭出身者を生かす場がない
https://pbs.twimg.com/media/F_YLnMmWoAAgLop?format=jpg&name=900x900
https://pbs.twimg.com/media/F_YLnM1W0AAmcdH.jpg:medium
↑安心したわ。
いまのごく普通の日本人はそれほど学会嫌いじゃないと思う。学会員の活動家に聞くと、反学会のやつは正体を隠したのが多いそうだ。
「貧乏人と病人の集まり」と揶揄された創価学会と日本共産党は、ともに社会の最下層に支持者を広げ、その構成員を奪い合う犬猿の仲。
それと、顕正会員、日蓮正宗法檀家、日蓮宗檀家は、創価学会を目の敵にしている。これは日蓮系で同族嫌悪。
また、創価学会の折伏大行進に恐れた敵対勢力、または信者を奪い合った他の宗派で、
一昔前なら、幸福の科学信者、立正佼成会信者、真如苑信者、天理教信者など新興宗教で敵対した団体。
そして、念仏宗檀家、浄土宗檀家など各宗派。創価学会の広がり方が半端なくて、存在そのものを脅かされたから、そうとう憎んだみたいだね。
なぜ夫や妻以外の人間とセックスしたらすぐ離婚沙汰になってしまうのか?
逆に当人間のセックス頻度が少ないだけでも離婚事由になってしまうし
というか実際高いのだとして、そんなに高くする必要性あるか?
結婚というのはある家族の一員と別の家族の一員が契約して新しい家族を作る行為のはずだ
その新しい家族を安定的に持続させるために、たとえば経済的豊かさや身体的安全性、心理的安全性が重視されるのは、わかる
家庭内暴力が常態化していれば自身の生存が危ぶまれたり、子の健全な成長を妨げる
モラハラが酷いと家族を運営する上でのフェアな意思決定ができないし、最悪精神を病んだり、これまた子の健全な成長を妨げることになる
だから浪費癖やDV、モラハラが「もうあなたとは家族をつづけることができません」という理由になるのは当然だと思う
でもそれらに比べて、不貞行為(=浮気、不倫)やセックスレスって次元が違くないか?
いや、もちろん酷いのがあることは認める
たとえば他所の女に入れ込んで金を使い込んだり、間男の子を孕んだり、変な病気うつされて不妊になったりね
でもそれらも突き詰めれば経済的問題や身体的問題が重大なのであって、他人とのセックス自体が問題なわけではないだろ
他人とのセックスを起点として家族の持続性を危ぶませる事態が発生しているのは事実だが、かといってすべての他人とのセックスが家族を破壊する事態を引き起こすとは限らないはずだ
セックスレスそのものが問題というよりそれに伴って生じる精神不安や家族間の不和が家族を破綻させる
そう考えると不貞行為がそれだけで離婚事由になるという現行の結婚制度はどこか恣意的だと思わないか?
きっと今の結婚制度を作った大昔の人はセックスが好きすぎて頭が狂っていたんだと思う
非婚者がこれだけ増えて、同性パートナー制度や子を持たない家庭が当たり前になりつつある今、家族のカタチが変わるなら結婚のカタチも変わって当然だろう
「家族」という関係性、契約、仕組みにとって、どのくらいセックスが重大で、あるいは重大でないのか
そこを整理し、再定位することで、きっと救われる家族は増えるだろう
本当はそんなにセックスが重要ではないのに世間体や現代のセックス偏重主義的価値観の内面化によって苦しみ、悩んでいる人がたくさんいるのだから