はてなキーワード: 河本とは
河本の親が受給していたぶん、本当に身よりもなく生活保護を貰えなかった人間はどう思えばいいんだ?
以前、おにぎり食べたい、と書き残して餓死し、生活保護を貰えなかった人がいたが、そういう人を減らす為にも、調査は必要だと自分は思う。
「生活保護支給総額を減らす」ことで騒いでいるわけではない。
2ちゃんで煽る人間は、感情的に脊髄反射で騒ぐ人間を煽ると面白いから煽ってるだけだ。そこに釣られる人間は、結果的に同類だ。
ブラマヨ吉田が不用意な発言で叩かれているわけだが、深い怒りしか感じない。
このさいハッキリと言ってやるが、河本氏に関しては、不正受給云々に関して、少なくとも突っ込まれる余地を残したという点では、ちょっとばかり否はあったかなと思う。
確かにプライバシーの問題とか、あるいは親を供養する義務が存在するとか、その辺りはいろいろと問題があるかもしれない。
しかし、それに対して無理矢理「在日」であったり、不正受給者を厳しく取り締まれとかやりやがった。お前らは本当に生活保護を申請する時の苦労を全く知らない。
まず一つが水際作戦だ。水際作戦とは、受給者が生活保護を申請するための、申請用紙を渡さなかったり、今日は相談だけにするといって追い返すことだ。
もう一つ。これは明確な言葉を忘れたが、生活保護を受け付けたあとに、なにかしらの生活のめどが立つや否や、受給を取り下げるというものだ。
「それって悪いことなの?」と思うだろうが、当たり前じゃ。最初の仕事について「本当に安定するかどうか」まで見て、保護を取り消すというのならわかる。超絶ブラック企業にぶち当たって、2ヶ月で体調を崩して辞めたあとに、生活保護がなくなってみろ。悲惨なことになるのは目に見えてるだろ。
なぜ不正受給があるのか?なぜ必要な人が受けられないのか?簡単だ。現在、生活保護を貰うためにはコツが必要だからだ。コツとは何か?まず水際作戦を受けないことだ。多くの人が追い返されているとはいわないが、それなりの人数は追い返される。「貴方には必要が無いですよね?働けますよね?」と言われて追い返されるのだ。顔を見せて「あのー、生活保護受けたいんですよ」と言ったらにこやかに受けられるんじゃないんだよ。戦場だよ。そしてケースワーカーがものわかりがよければいいけど、ものわかりが悪いときもあるからな。そのときに消耗することもある。
あとな、公務員を無闇に減らせっていってんじゃねえよ。ケースワーカーや労働基準監督署の職員は足りてねえんだよ。で、公務員を減らされたとき、真っ先に何処が削られる?福祉関係だよ。福祉関係なんてクズしかいない。クズを雇うなんていうことに、何が気持ちいいことがあるか?ないだろ。だったらそこから人員が削減される。削減されないにしろ、嫌な顔されるだろうね。そんなにブラックや不正受給を憎んでいるんだったら、もっと公務員増やせって言えよ。さらにいうなら、その増やした公務員は福祉やそういうところに廻せって言え。
公務員が足りなくなりゃ、そりゃ管理はどんどんザルになるだろうよ。必要じゃない人は追い返すだろうね。
片山が動いたことに関しては知らないが、この件に関しては生活保護削減の動きも出ている。河本の一件が無けりゃ、物価水準に合わせることも考えるわな、とか思うことはあるよ。でもな、河本のおかげで「不正受給をやめさせろ」という世論が形勢されたらどうなると思う?そりゃ生活保護の厳密運営化を目指すだろう。はっきりいって、上記の意味で厳密に運営させたら、ますます餓死者が出続ける。そりゃそうだろうよ。現在の生活保護制度ですら運用できなかったら、ますますボロが出るに決まってるだろうよ。
制度には二つしかないんだよ。緩く運用するか、厳しく運用するか。厳しく運用した場合は、必要な人間は見殺しにするけど、その代わり不正受給は減る。緩く運用した場合は、必要な人間は見殺しにならないけど、その代わり不正受給も増える。この2択しかない。そして、現在はそれなりに厳しく運用されている。これ以上厳しくしたら、ますます餓死者が出て、受給のコネを持っている人(ああ、あいつらの大嫌いな左翼NPOとか、暴力団の施設とか、弁護士だろうね)しか、その門を潜れなくなるだろうね。
いいよ、お前らが国を憂いているのはわかる。だがな、生活保護の50%が在日であるとか、そういう雑な認識で接しないでくれ。頼むから、現在の運用状態とか、そういうのをちゃんと調べてから物事を言え。それと、制度をどっちにカジを取るかハッキリしろ。あのな、「本当に必要な人に入るようにするべき」っつー理想論なら誰でも言えるんだよ。そうじゃなくて、現実に如何にそういう制度を実現するかだろ。そして、現状はそういうのから、そこそこ遠いことはわかってるんだろ。
餓死者を引用して吉田に迫ったクズ。はっきりいって、お前がやったことは本当に最低だ。そして、これを喜びながらまとめているアフィリエイトのクズども。お前らも同罪だ。
おめでとう。お前らは、これから貧しい日本人を殺しつづけるだろう。無意識のうちにな。そうやって延々と血を貪りついて生きればいいさ。本当に醜悪だ。
そして、こんな文章をここにしか書けない俺が一番情けないよ。
でさー、ドヤ顔で「適切な運用」とか言っている馬鹿はなんですかね?俺だって「本当に必要な人に与えてほしい」と思いますよ。
でも、福祉には必ず例外がくる。じゃあ例外に対しては「お前は例外だからダメ」って言うのかどうなのかってのもまず一つあるよね。それ神様みたいにきめられないよね。で、生活保護を申請する場合、多くが緊急性が高い事例が多いんだよ。とすると、チェックしているから待っていてくださいねー、で死ぬ可能性もあるわけ。だから生活保護には、申請を出した時点で保護責任が生じる。だから申請をすると嫌がるの。
あとそれと、チェック体制をそれなりにしたけりゃ公務員を増やし、「福祉に人員をまわせ」って言うしかないの?すくなくとも、現状で廻ってないのに、さらに「チェック体制を厳しく」とかいったら、リソースはもっと割かれるし、そうするとさらにザルになるか、むしろ「お前はくんな」っていう圧迫、あるいはまだ安定していないのにも関わらず「お前生活できてるんだから切るわ」ってなるよね。
「適切な運用」にしたところで、どっちに触れるのかはあるし、「もっと厳しくやれ」っていうんだったら、少なくとも現状の運用状態だったら見殺しにするという認識を持って言ってほしいよね、って思うわけ。それだったら一貫性があるからまだいいよ。
http://anond.hatelabo.jp/20120526091039 続き
https://twitter.com/sasakitoshinao/status/206228386853560324
なんか「Studygiftは<公>だと思ってたのに<私>だったのか、騙された!」とか言ってる人が何人かいるが、公の意味をこれからもう一度再定義した方がいいと思う。そうやって怒ってる人は公がどこかから神のように降ってくる存在だと思っていないだろうか。
https://twitter.com/kirik/status/206229674295181312
いや、公を誤認させてはいかんでしょ RT @sasakitoshinao なんか「Studygiftは<公>だと思ってたのに<私>だったのか、騙された!」とか言ってる人が何人かいるが、公の意味をこれからもう一度再定義した方がいいと思う。そうやって怒ってる人は公がどこかから
https://twitter.com/sasakitoshinao/status/206228646128656384
公は天から降ってくるものでなければ中間共同体が勝手に担ってくれるものでもなく、今後は<私>の無数の集合体、<私>がつくるさまざまな仕組みの集合体によって<公>が成り立つという方に考えを切り替えないと。
https://twitter.com/kirik/status/206230378468487169
先生、public というのはきちんとした定義のある言葉です。ご主張は理解しますが、今回の事例でそのような理屈は通らないと思いますよ。 RT @sasakitoshinao 公は天から降ってくるものでなければ中間共同体が勝手に担ってくれるものでもなく、今後は<私>の無数の集合体、
https://twitter.com/sasakitoshinao/status/203695743184273409
おっしゃる通りです。情報は開示されてる。家入さんという個人の信頼でも担保されてる。詐欺じゃないでしょ。 RT @fox_m @sasakitoshinao 単位とらなかろうが旅行に行こうがそれをひっくるめお金出す人の選択の自由はあるという話を佐々木氏は言ってる気がするんだけど。
https://twitter.com/sasakitoshinao/status/206751155445956608
私は家入一真という人は、おおくの人が批判するように欠点もたくさんあるのかもしれないけれど、彼が追い求めている価値に共鳴している点で全幅の信頼を置いています。
https://twitter.com/sasakitoshinao/status/206752926461476865
そんな担保などあるわけないでしょう。すべては個人の意見。客観など幻想にすぎない。 RT @maitreya_K 公私とか自助公助とか、そういう切り口自体が佐々木俊尚さん、あなたのセルフサービスの問題意識と見受けられます。その見方はいったい何によって担保されているのでしょうか?
先ほどTwitterに連投したStudygift問題についての論考です。以下、少し整理して転載します。
一連の議論を見ていて思うのは、個別包摂と社会包摂がごっちゃになってしまっていませんか?ということ。社会包摂とは生活保護などの公的扶助をはじめ、誰もが平等に享受できるセーフティネット。個別包摂は、個人的なつながりの中でのセーフティネット。
たとえば隊長の「就学希望児童助成を軽いノリでやるな」という記事もそのひとつで、社会包摂としてはこの視点はそうだろうと思う。しかし個別包摂にまでそれを求めるのか?ということ。
■家入一真さんの例の件で願うことなど: やまもといちろう http://bit.ly/KArAfU
個別包摂なんて、親戚のおいちゃんおばちゃんに金出してもらうのと同じレベルで、単にそれをネットのオープンな場所でやってるだけ。だから「出したい人が出せばいい」と私は書いたわけです。そういう家族単位、知人単位、ソーシャルグラフ単位の個別包摂の集合体が、公的扶助などの社会包摂を補完していく可能性があるから。
だから個別包摂で、後から「なんだお前退学してたのか!」「男女関係からんでんじゃないの?」とかそういう話が出たとしても、おっちゃん(支援者)と姪(被支援者)の間で話せばいい話。「ほんまに復学する気があるのか?」「おまえ結婚しても学業続けられるんか」みたいな、そういうレベルの話。
そしてこの社会的包摂と個別の包摂の混同は、実のところ河本準一氏の生活保護騒動にもつながっている。「息子が支援(個別包摂)できるのに生活保護受ける(社会包摂)のはけしからん!」と。河本氏にあなたは個別包摂を利用せよと求めている。だったらなぜStudygiftの坂口さんには個別包摂によって支援を受けることを許さないのか? 二つの問題の根っこは、ここで実はつながっている。
Studygiftは皆が見える場所でやってるからけしからん、目に入らないところでやってくれという意見もあるだろう。まるで全員に門戸が開かれてるように誤解させるのはけしからん、と。だがこうした個別包摂でさえも可視化されてしまうのがネット時代の恐ろしいところなのだ。そしてこの可視化時代に、妬みや誹りや恨みの対象となるありようはそこらじゅうに可視化されている。今までは知らないで済んでいたことが、全部見えてしまう。これはある意味たいへん苛烈な時代だ。
しかしこのような個別包摂の試みは今後も次々出てくるだろう。個人間送金が簡単になればさらに加速する。私はその多様化は社会包摂を補完するありかたとして否定すべきでは無いと思う。今回のStudygiftは拙速なのは事実だが、そういう試みの最初の小さな一歩にすぎない。
ネットを活用した個別包摂のセーフティネットに対して「うまくやりやがって」「詐欺だ」と怒る人たちは今後も増え続けるだろう。それは避けられない。たとえばこの記事などが典型だ。
■仮に僕膣と学籍詐称が無くてもstudygiftは駄目だよな http://bit.ly/KAuGAA
無償のリスペクトが応酬されているだけの評価経済社会に留まっていれば、問題は起きなかっただろう。だが評価経済と貨幣経済が結びつくことで、評価=カネということが実現してきている。これは大きな波紋を投げ掛ける。
すべての人々が平等に包摂されるような時代は最早やってこない。そういう包摂は戦後社会でも平等幻想でしかなかったが、その幻想さえも剥ぎ取られる時代になってきている。だからこの問題への怨嗟は今後もなくならないだろう。しかし社会亭包摂とは何かということをもう一度考えなければならない時期に来ている。
自らを助ける者が助かるだろう。しかもその「助かる」有り様は見えてしまっている。だったら自らを助けられる者だけが助かればいいのか? そして、自らを助けられない者をいったい誰が助けるのか? これはコミュニタリアリズムとリバタリアニズムの対立にも繋がってる。だからここから本当に真っ当な政治哲学的な議論が始まるのかもしれない。
そう期待したいけど。
いのうえ とーる 私もこれを全く社会包摂で語って批判する人が多いことに最初から不思議でなりません。説明不足である問題点を除けば、売りのある人、自分がいいなと思った人を援助することは不自然でもなんでもないわけですし、そこに不公平だと文句をいうのはおかしいと感じます。だから、わたしは批判のほとんどは単なるそういう行動ができない人の嫉妬にすぎないと思えるのです。
上田 康之 ぼくも佐々木さんの言わはることに賛成なんです。同棲してたとか、退学してたとか、どーでもええ話やと思います。
勝手にやりゃええ話やと思います。
ただ、隊長の話と少し似てるんですけど、なにぶん対象が「子ども」なんで「顔を出して、実名も晒して、学校に行きたいけどいけないというプライバシーを晒すことが、どれだけの苦痛を将来において背負うことになるのか」ってのが少しだけ気にはなりました。
この子は20歳超えた子ですし、その点は理解してるかもしれないですけど。
最上 雄太 Twitterにも幾つかレスしましたが、別に悪意も変な扇動をしようという気もないのは伝わりました。
寄金 佳一 星野智幸さんが小説家らしいさすがの感性で語っています。「私たちがバッシングし、叩こうとし、殺そうとしているのは、「俺」なのだ。自分なのだ。」と。
http://hoshinot.asablo.jp/blog/2012/05/26/6457416
で、悪意がないのにこういった事を本気で書かれているのにヤバいな、と思いました。
不特定多数と知人の区分けが無意味と言いつつ、個別包摂と社会包摂に分けて考えろっていう起点自体が無茶苦茶ですよね。
先の「無視すればいい」という発言もそうですが、本質が全く見えてらっしゃらない。
今回こういう騒ぎになっているのは、一言で言えば「当事者に納得感が無い」からですよね?
この納得感というのは言うまでもなく必須要件であり、また今回の「当事者」は支援をする側される側だけじゃないですよね。
皆まで言いませんが、仲良しごっこも同好会ノリで楽しくやるのも全然いいんですが、迷惑かけないでって事です。
おおつね まさふみ これは「おっちゃん(支援者)と姪(被支援者)の間で話すようなトークを、単にネットという開けた場所でやってるだけ」って言われるだけのような……
おおつね まさふみ 「社会的包摂と個別包摂はネットで差別される。前者について発言するのは自由だが、後者については言論の自由は制限される。理由は◯◯だ」の、理由の部分がなんだかわかりにくいので、そこを聞きたい所。
川岸 義明 今回の件で、就学希望児童助成自体が世間的に眉唾に思われたのであれば....個別包摂,社会包摂に関わらず、痛い話だなぁと...支援者がそれを正しく区別できるのでしょうか....よくわかりませんが...
Kanehira Takashi 学費援助の件では、否定派と肯定派の対立軸がすぐに出来て、両者を包摂するとしたら、弱者を助けたい人(肯定派)の役回りになりそうです。生活保護の件でも、否定派と肯定派の対立では、やっぱり弱者を助けたい肯定派が、否定派に地道な説得をすることでしか包摂が来ない気がします。否定派は日本版ティーパーティーに見えます。閉塞感があるとさらに狭い方にいくのだなと。歴史を振り返ると、女性参政権を勝ち取った人はなんて偉いんだろうと想起したりもします。
くらます りょういち 個別包摂の試みというのは、ずいぶん前からありますね。いわゆる「○○ちゃんを救う会」。海外で手術受けるのに○千万円必要です、みたいな。
しかし、その「○○ちゃん」の情報が、もし事実と異なるものであったとしたら。それがお金を集めた後に明らかになったとしたら。
はたしてそれは「おっちゃん(支援者)と姪(被支援者)の間で話せばいい話」で済むんですかね。
上田 康之 くらますさんの【「おっちゃん(支援者)と姪(被支援者)の間で話せばいい話」で済むんですかね】は、それで済ませたらええんちゃうかなぁ。
もし、その子が将来、極道になったとしても、文句言わんと、それ込みで支援したろうって思ってやったらええんちゃうかなと思います。
はやし りょう 社会的包摂と個別包摂を区別してるんじゃなくて、資金の集まり如何に依らず目的を達成出来ない可能性を明らかにしないまま支援名目で投資を募ったのが叩かれてる原因じゃないですか?社会的包摂と個別包摂で区別して云々って論調が通るならば極論すれば「ばれなきゃオレオレ詐欺ってOKなの?」って話になりますし。
今回の件は何がよくて何がだめだったのかを議論してブラッシュアップを図るのが第一で、論じる人の社会的な関係性に論点ずらすのは単にこのネタつかってプロレス見せてるに過ぎないと思います。
おおつね まさふみ それだと「支援もしないし、興味もないけど、紛らわしい弱者風の錯誤でカネ集めているのは見過ごせないから個別包括をネットのオープンなところで主張する」という人だって居てもいいよね。
はやし りょう おおつねさんの発言がStudygiftをウェブで展開する事の意義だと思います。意見を述べている人の立場を以て「あなたには発言する権利がない」というのはもう本当にナンセンスですよ。そんな主張は第一次世界大戦でもう過去の遺物になってるんだから、知的なブラッシュアップに社会的立場とかホント混ぜないでほしい。
芝尾 幸一郎 個別包摂の取り組みだったら、金くれ http://kanekure.ssig33.com/ と言うサイトで良い気がします。そして、現にこのサイトは別に炎上していない。個別包摂の例なら上のサイトの方が適切な気がします。
金くれ
kanekure.ssig33.com
松本 孝行 社会が面倒を見るのか個人が面倒をみるのか、それを河本さんの話だけで語るならいいですが、studygiftを混ぜてしまうと、とたんに焦点がぼやけてしまいます。その問いかけはたしかに社会起業家やサッチャー・レーガンの社会福祉削除の話とも関連して、非常に重要だとは思います。しかしstudygiftの話はまた別問題です。それに私的な援助ができるのはジャストギビングなどもあるわけですし、なにもstudygiftがダメに成ったから全てダメになるということはありません。むしろ、今回の件は私的な寄付という行為へのハードルを上げたと思っています。
とにかく論点はそこじゃないと思いますよ。
荒巻 里江 個別包摂と社会包摂の区別以前の問題では…? 被支援者が嘘(あるいは誤解を招く言葉)を堂々とサイト上に掲げ、お金を集めようとしたことは、仮に悪意が無かったにしろ問題のある行為ですよね。そして「お金を出したい」と思わせる為の嘘に気付けば、いくら身内のおっちゃんと言えど腹が立つのではないでしょうか。そしてそんな嘘に騙されたおっちゃんの存在を知った周囲が、姪を批難するのは至極当然の流れだと思います。私には佐々木さんが「騙したのが身内のおっちゃんなら何ら問題ない」と仰られているようにしか見えないのです…。そんな馬鹿な話がまかり通るのであれば、世の中の詐欺は無くならないでしょうね。
稲畠 康 概ね同意ですが、個別包摂とはいえ間にサービス提供事業者(本件ではLiverty)が入っている訳で、「おっちゃん」と「姪」の間で話せばいい話と言う下りに疑問があります。
小林 啓一 私も次長課長の河本さんの件とstudygiftの問題はほとんど同じく(Twitter風に言うなら公式RTする様に)感じていました。
これって例えば子供が自立した夫婦の片方が亡くなった時、残された方が再婚する事に親族が反発してしまう話と同じと考えています。
つまり日本社会では成人でさえ個人としての自立が得られず、私で解決すべき問題と公で解決すべき問題の線が引けない、判断できない。
しかもそれに対して、それこそ非当事者が当事者の問題にずけずけと土足で入り込んで、さもしたり顔で持論を押し付ける。
こういう嫌らしい社会にしない様、個々人の当事者性を高めるにはどうしたらいいでしょうかね・・・?
佐々木 俊尚 叩きやすいものを叩く。叩かれてるものを擁護すると、「今さら何擁護してるんだ佐々木は、バカじゃないの?」という反応が湧き出てくる。ドヤ顔で勝ち馬に乗る連中が大量に湧き出てる。
おおつね まさふみ 「誰にでも叩く理由があれば叩く自由は有るよね?」って話なんですが、批判者ウザいっていう話だったのかな?
河村 明 当事者でないものはもの言うな、という考え方は当事者性を高めるのと、逆のところにあるような気が...違和感を感じました。
荒巻 里江 少し気になったのですが、佐々木さんは『問題点を指摘して批判すること』と『ただやみくもに叩くこと』を一緒くたにされてませんよね??? studygiftに対して批判的な意見は『すべて悪だ』と思われてませんよね??? 汚い言葉を吐き捨てるだけの人間も勿論います。しかしstudygiftを批判している人間全てが、ただ勝ち誇りたくて、ドヤ顔をしたくて、運営側に行動を起こしている訳ではないのです。佐々木さんに言わせれば『これは当事者だけの問題だから周りが口を出すな!!』ってことなのかもしれませんが、(揚げ足をとるようで非常に申し訳ないのですが、)もしそうであるなら『非当事者である佐々木さんがstudygiftに関して擁護的な意見を述べられたこと』にも違和感を感じざるをえません。個人的には、改善すべき点を完全に無視して、盲目的に運営側を擁護されるのは少し危険なのでは、と思います。
Shuichi Asai 恥ずかしながら、個別包摂という言葉は初めて聞いたのですが、「個別」と「社会」という分け方が、そこまでデジタルにできなくなってきてるのではないでしょうか。人の姪のことでも、親しい家族以外の人でも、アドバイスする可能性があるでしょ?インターネットでおおっぴらにやられると、なんでも身近に感じてしまうんですよ。コンプガチャ問題も、同じようなもんでしょ。みんな、コンプガチャなんてやっていないのに、嫌悪感を持つ。インターネットに人間がいる以上、このような現象が避けられないので、これを考慮してリスクヘッジするか、覚悟して強行突破するしかないのではないでしょうか?
Shuichi Asai あと「ドヤ顔で勝ち馬に乗って、したり顔している連中」は佐々木さん側にも沢山いますよね。
木下 孝二 生活保護の件、社会包摂の不正利用という1事例にすぎない。学費の件は、個別包摂を依頼する側の本人、仕掛人の当事者性が不足してましたね。「投資」ではない借金や資金支援というのは財布の中身やネガティブ情報も十分に相手に晒す必要がありますから、パブリックな場で募集しようとすれば当然それらを全公開する覚悟が要る。中途半端に情報量を抑えようとしたから、支援要件としての情報量を満たせなかった。
木下 孝二 やまもと氏は「学業支援という未成年中心の支援に機微情報全公開の手法はふさわしくない」と述べていてそれに同意するわけですが、佐々木さんも述べている既存のクローズド(親類)から一歩だけ進んだ、クローズドなソーシャルグラフ上での支援というのが、「一歩先のネット時代の支援」の形ではなかったかと思います。studygiftはいきなり全公開ですから、ちょっと勇み足が過ぎたかなという印象です。
最上 雄太 確かに叩く事自体が目的の人も散見されるので、イライラされるのも、ニュートラルを保つのが大変なのも分かりますが、勝ち馬とかドヤ顔とかいう言葉が出てくる事自体に驚きです。叩かれてるとか周りがどうとかではなく、それこそ極めてニュートラルな視点から感じた事を僕は言っただけですし、ほとんどの方も同様なのでは。論点ずれるのでこの辺にしておきます。
佐々木さんの論考には賛同しかねます。なぜなら、佐々木さんが個別包摂という概念を持ち出すのであれば、Studygiftでは支援者と被支援者との関係が、おじさんと姪のような信頼性が担保される関係には無いからです。ネットの時代の個別包摂だからといって支援者に寛容を求めるのは、支援者にはあまりに酷な話でしょう。
そもそも包摂とかコミュニタリアリズムとか、そんな複雑な概念で論考するような深刻な事案でしょうかね?私には小難しい言葉を意図的に多用して御自身の主張「出したい人が出せばいい」の正当性を守ろうとしているようにしか読めないのですが。
やまだ まさゆき 個人的には「親戚のおじさんが、懇意にしてるキャバクラの女店を持たせたいけど、身銭で賄うんじゃなくて、「この子の夢を叶えてあげたいので、ちょっと金をくれないかな」って言ってきたって印象。
てめーの女なんだからてめーで金出せよって思うし、どうみても「かわいそう」だからじゃなくて、下半身問題にしかみえないのを「かわいそう」という綺麗事を全面に押し出そうとしているから問題視されているのだと思う。
「ばれなきゃオレオレ詐欺ってOKなの?」という書き込みがあるのだけれども、studygiftで今回提示されている案件は血液型占いを本気で信じている人だって「あー・・・これは」って気づくくらいの作りになっていると思うのね。オレオレ詐欺なんか比較にならないくらいにユルいというか最初から、ぐぐたすで有名になったおねーちゃんがiPhone持ってインドなうにお金出してね☆(・ω<)だっていうのは誰の目にも明らかなのに綺麗事で押し通そうとするから、切り込み Permalink | 記事への反応(1) | 11:15
その通りだよね。援助が事実だとしても、悪いのは「援助した」河本ではなく
正直、今回の件は生贄フルボッコって感じでなぁ。
母親が叩かれるならまだわかるんだけど。
俺にも屑のような叔父と叔母がいるが。
「絶対に払わない。誰が俺を批判しようと絶対に俺は1円も出さない。俺の金は俺の金だ、あいつらを扶養なぞ死んでもするか」
つーか、この「三親等以内の扶養義務」が世間的に流布している解釈で実行された場合、
親がクズだったら人生詰むってことがわかってない人間が多すぎると思う。
なんにせよ、当面は「金をむしり取る」ことは国・自治体側では出来ないと思うので
「絶対に払わない」という強い心が重要だ。払ってたまるかクソが。
正直、今回の河本の件も「親への仕送り」が事実でなければ法的には問題じゃないんだよね
道義的にはともかくとして。
財産調査なんざ勝手にやれ。俺は絶対に払わない。何があろうと払わない。
屑のために使うカネなんぞ、一円もない。
ブログに書くか、ツイッターに書くか悩んだが、ヘタレなので増田で。
伯母(70前)が生活保護を受けています。かれこれ20年ほど。
離婚してからしばらくしてから生活保護を受けるようになりました。
なんで生活保護を受けるようになったのかというと、伯母は元々足の障害を持っていて、普通に歩くことができません。
ゆっくり歩けば歩けるけど。
そのため、軽作業しかできないのです。
生活保護の支給申請は頼まれてお袋と僕の3人で行った。
20年前なので窓際作戦などはなく、無事受給開始。
でも、まるまるもらっているのは申し訳ないと、軽作業のパートをして収入を得ていました。
ということになるけど、正直普通のサラリーマン世帯で遠くの市に住んでいる伯母に
保護受給開始直後はもちろん、数年ごとに市役所から「扶養の有無」の手紙が来てましたが、
経済的理由で無理と回答していました。
それが、今度の次長課長河本の騒動で「扶養することを義務付ける」という話が出て、
強制的に財産調査をするという話を聞いて、お袋は寝込んでしまいました。
ただでさえ困窮の生活を、身内の扶養を義務付けるという動きに、
同感。
つーか、なんでこのタイミングで虚構でもない河本の謝罪を記事にしたのかよくわからない。
studygiftでも使っておけばいいのに。
今回の騒動で伝わったことは、
何らかの手違いでボコボコにされる可能性があるってことでしょう。
そういうことを気にしない厚顔な人や
そもそも最初から不正受給を狙っている人にとってはどこ吹く風。
http://www.kotono8.com/mt5/mt-tb.cgi/1307
3 さらに数年後、事務所から援助増額の相談があり、増額した。その分はもちろん生活保護から減額されている。
片山さつき とにかく説明をしたいようなので聞きましょうと。そしたら、(河本氏の母親の)受給については、平成12年か13年からずっと続いてきたと。そして、今年の4月の半ばに初めて週刊誌報道があり、驚いて辞退したのだそうです。
3〜4の間に親を完全に扶養できるだけの収入があれば、その時点で辞退をするべきだったのだ。
2.民法(明治二十九年法律第八十九号)に定める扶養義務者の扶養及び他の法律に定める扶助は、すべてこの法律による保護に優先して行われるものとする。
坂口綾優も、河本も、一つには(広い意味での)芸能人というのが仇になったと思う。
他人の印象で飯を食うということは、的外れの批判も、嫉妬も、憎悪も、たとえそれが理不尽であろうとも受け止めなければならない。
大衆のご機嫌を伺う仕事をしてる以上、大衆のご機嫌を損ねたら、政治家が選挙でノーを突きつけられているのと一緒だ。
民主党がどんなにディスられようとも、民主党がノーを突きつけられるのは次の衆議院議員選挙のときだ。
票以外でノーを突きつけらててもそれほど痛くはない。
まあ、そういうこと。
ふと思ったんだが、そういう点では橋下徹はすごい。
http://www.kotono8.com/mt5/mt-tb.cgi/1307
3 さらに数年後、事務所から援助増額の相談があり、増額した。その分はもちろん生活保護から減額されている。
4は、生活保護が不要になったから辞退したかのような書き方だが、実態は報道に驚き5月から辞退している。
片山さつき とにかく説明をしたいようなので聞きましょうと。そしたら、(河本氏の母親の)受給については、平成12年か13年からずっと続いてきたと。そして、今年の4月の半ばに初めて週刊誌報道があり、驚いて辞退したのだそうです。
「生活費を援助する能力がある」と「実際にいくら援助した」は別の問題である。生活費の援助能力があったとしても、実際にする(あるいは受ける)か否か、いくら援助するかはまた別問題である。ちなみに、「能力があるなら養え」というのは道徳的・倫理的発言であって、「不正」という言葉が使われるような法的な問題ではない。さらに、わたしはその道徳・倫理には一切与しない。
ここからながながと、なぜか民法で定める扶養義務が道徳・義務の問題に摩り替わります。
2.民法(明治二十九年法律第八十九号)に定める扶養義務者の扶養及び他の法律に定める扶助は、すべてこの法律による保護に優先して行われるものとする。
親と子が共に不幸になる、親だけが幸福になる、自分だけが幸福になれる、それぞれ選べるとしたらどれを取るか?決まっている。己の幸福を迷わず選べよ。親ならばそれを望むが当然だ
Nico2Justice 2012/05/25 19:34:56
Twitterや2chやmixiやはてなやフェイスブックなんかを総合して日本人の平均的思考を導きたい。
なんだか前に話題になった「国会に初音ミクを!」のようなものって、結局は上の意見を混ぜあわせたようなものになるんだろうし、
どちらの勢力が大きくなりそうかってのは知っておきたい。
本件の印象は、「初動でつまずいたが、うまくリカバリしつつあるな」というものである。
推測だが、本件は、次のような流れなのではないだろうか。
→3. 5/25時点 危機管理に強い弁護士・コンサル投入(←イマココ!)
5月16日の発表(http://www.yoshimoto.co.jp/cmslight/resources/1/108/120516.pdf)を見てみよう。
しょっぱなから「週刊誌の記事やインターネット上の風説が流布されており」と書かれている。
通常、「風説の流布」とは、金商法上の用語として用いられるもので、法律家であればこのような文脈では使わないから、おそらく広報担当部署のみでの対応であったのだろう。
普通は、広報担当者には危機管理能力の高い人間を置くものだが、非上場化したので株主に叩かれることもないし、元々吉本ということでマスコミに叩かれることはないから、適当な人材を置いて対応しているのだろう。
更に、主語と動詞の関係を見ても、「週刊誌の記事…が流布されており」となっており、意味をなしていない。
アホくさいのでこれ以上は詳しくは触れない。
2.の時点でも、弁護士を入れて火消しに走ったようだが、イマイチだったようだ。
http://www.kotono8.com/2012/05/25komotojunichi.htmlによると、
とのことだが、当たり前である。記者会見で話したことは、吉本側の言い分であるのだから。
過去に発表した事実と矛盾しないように、かつ、新たな事実が判明しても嘘にならないように、巧妙に仕組まれている。
(そうでなければ、吉本側も高いフィーを払っている意味がない。)
2から1週間経って、満を持しての会見である。予行演習もバッチリやって、想定問答もバッチリ用意されているだろう。
タイミングについても、おそらくは木曜日発売の週刊誌で報道されることを見越してのものだろう。
更に、土日の情報番組で何度も取り上げられることも期待しているのかもしれない。
5月25日の発表(http://www.yoshimoto.co.jp/cmslight/resources/1/109/120525.pdf)も、垢抜けている。
ざっと見ても、(1)まず謝罪から入り、(2)(過去の行為の)責任を認めない(「自主的に」、「違法な行為があったことを前提とするものではありませんが」、「道義的な責任」)、(3)(将来の行為に対する)明確なコミットはしない(「…予定でおります」「…調整させていただきたいと考えております」)、(4)謝罪で〆る、という綺麗な流れである。
とのことであるが、このような人は、ディフェンス側の企業から見ると、善意であればあるほど、ありがたい。
確かに「貰えるもんは貰ろとけ」という考え自体は違法でも何でもないし、
別居してる親にいくら仕送りを送るかなんて他人に指図される筋合いはない。
個人的には胸糞悪い話だとは思うけど、ただそれだけ。
イメージ悪いからCM降ろされたりはするかもしれないが、犯罪を犯したわけではない。
ただ、生活保護という制度自体がスティグマ化されてるから成立してるところがある。
生活困窮者がみんな「貰えるもんは貰ろとけ」と開き直ったら、
単純に考えて今の5倍は予算を付けなきゃいけなくなる。
消費税を5%上げるだけでも国会が紛糾する現状で、その財源を確保するのは不可能に近い。
「貰えるもんは貰ろとけ」が国民全体に浸透したら、すぐにでも財政は破綻するだろう。
つまり、財政健全化のためには「貰えるもんは貰ろとけ」という考えは叩き潰されるべきで、
実に嫌な奴だ、何という人間のクズ、と思っていた。生活保護の問題が浮かび上がる前から。
森三中の小太りの子、と書こうとしたらみんな小太りなので、一番背が低い子が結婚発表をして、おめでとう、おめでとう、と言い合っている時に、河本は「この男を逃したらおまえみたいなブスには次はないで」というような内容のことを言い、空気を固まらせていた。これが山田花子が相手だったら「じゃかあしいわ、出来そこないのフクスケみたいな顔をしてるおまえが何を言うてんねん」と切り返せただろうし、花子の温情によってギャグという形にして貰えただろう。しかし森三中のその女子は、芸能人としてのポジション的にも、河本に切り返しが難しく、女子としての自意識と芸人としての欲をいまだ調整しきれていないように見えた。河本は芸人としても場の空気を見誤ったわけで、同じ毒舌キャラであっても有吉がいえば芸になっても河本が言えばただのモラハラ、セクハラ、パワハラなのであった。
バッテリーとしての信頼があって初めて投球できるシンカーにカーヴがかかった魔球をいきなり初対面の人に放ったようなもので、芸としての計算ではない、ただ単に河本が思いつきで、自分の性格から出た悪意ある毒舌を放っただけだった。普通にゲスな男である。
さて、そのゲスな男であるが、小中学校でオダギリジョーと同級生であり、オダギリ当人を前にして、俺はオダギリよりももてた、大阪ではおもろいのが一番もてんねん、と鼻を高くしていた。それは河本にとっては心からの魂の叫びであっただろう。別に河本がもてなかっただろうというつもりはない。ただ、普通は謙遜するものである。オダギリのように、正真正銘もてる男ならばここで謙遜しなければ社会的生命が危ういだろう。しかし「お笑い」はひたすら自我をだだ漏れさせることが許されるのである。自我を拡大させるための手段が牛丼屋かお笑いかと言う違いはあっても、その幼児的な全能感はワタミの社長に似ている。河本は自意識の中では「二枚目」として生きている。それが滑稽だと言えば滑稽だが、滑稽なのが問題なのではない。普通は生きていくうえで矯正されたり隠したりする全能感、絶対的な自己肯定感情が「お笑い」といういわば批評者の立場にたつことで、なんら矯正もされず、結婚を控えた女子に「おまえはブスだからこれが最後のチャンスだ」と計画性もなく無意識に投げつける男が、「人の嫌がることをするような人は消えればいいのに」と言えてしまうのである。この盲目性。絶対的な自己中心性。これはもはやほとんどサイコパスであろう。