はてなキーワード: 河本とは
仕送りなんかもしてて、それをあえて隠させて生活保護を需給させてたとしたら
保護を何倍も受けるためにわざと貧乏親族の戸籍を分割しまくったり、
その上で収入ある親族は「扶養したくない」と言って保護を丸取りしたり。
不動産購入してそのローン返済で「余裕がない」と主張して生活保護をフルゲットして
しかもその不動産は生活保護受給者のために買ってあげたものだったり。
これなんの発想かっていうと
免税お味噌会社作ってそこから人材派遣させて消費税まる食いしたりとか。
まあどれも開発後しばらくして税務署にとっちめられたけど。
生活保護でもやらないわけがないと思ってたけどやっぱりやってた。
個人個人が思いついてやったとは考えにくい。
いかにも会社の経理とか税務やってる人間が開発しそうなやり口なんだよね。(ねえ吉本さん…)
本当にこれらが取り沙汰されるのを「何も問題ないのに」とか「不当なリンチだ」とか言っちゃう?
そこから生活保護受給者全部叩いちゃいけない、って話とは切り分けた方がいいんじゃあないの?
いよいよモラルのたがは外れるし扶養回避ノウハウやら分割多重受給ノウハウやら
生活保護費がどれほど膨らむか見当が付かない。
有名人の影響力は凄いしね。
だいたい「生活保護の不正受給率はたった0.4%」とか得意げに書いてる人がいっぱいいるけど
その数字がどこから出たのか、どういう出し方してるのか、意味がある数字なのか、疑った?
なーんか検挙率な気がして仕方ないけど。
それこそ一人一人の善悪とか超越した話で、
税金の仕事してる感覚として、不正が0.4%ぽっちなんてぜーーーーったいに。ありえない。
そして不正は、
「やるチャンスがある」「リスクがない」「やっても悪くない」というサインを受ければ
燎原の火みたいにぶわーーーーーーっと増えるよ。
ものすごく甘い見通しをしてると思う。
まー、河本の件はともかくとしてさ、子が親を扶養するという仕組み自体に無理があるのは否めないよね。
俺は河本がやったことに違法性があるよね、って考えだけど、それはそれとして、片山さつきはともかく世耕の何が不愉快かというと、てめーは二世三世議員で、親を扶養するどころか、
たんまりと遺産を相続したお坊ちゃんの癖に、他人に対しては「親を扶養すべき」とか言っている点ね。正直言って、おぞましいですよ、ああいう輩は。
子から親への扶養義務は、文字通り「親の因果が子に報いる」制度なので、どう考えても法の下の平等に違反している、とわしは思う。変えなくちゃね。家族を解体しないとこの国はどうにもならんよ。
まずね、それ自体が運用・解釈の話なの。本来規定されているのは扶養義務がある、ということだけ。
で、問題になっているのは、生活扶助型義務の基準ですら河本は緩い範囲内でしか扶助していなかったのではないかと言う点。
これ、全然、道義的問題じゃないからね。きちっとした法律的な話だからね。
生活保護費が多くて年間180万円。その他の点で平均的な所帯だとして、ざっと言って生活保護分を差し引いて1000万円以上も収入があれば、生活扶助型義務でも緩和要件は満たさないでしょう。
この辺は河本の収入が明らかになっていないから、本当のところは分からないけれど、まあ当人も認めて、常識的に考えて、年収が1千万円を下回ることはあり得ないでしょう。
「出来る範囲で」のこともやっていなければそこに違法性が成立するのは当たり前であって、「出来る範囲のことをすればいい」から違法性がないというのは当たらない。
「出来る範囲」というのは完全に任意の額ではないからね。寄付行為とは違うんだから。
仮に河本が会社社長で年収が2000万円あったとして、社長業に伴う出費もあって、差し引けば手取りで800万円残るとして、その中から社会的地位を維持しながら支払えるのはせいぜいが100万くらいだよね、という話なの、この運用の趣旨は。夫婦間、親から子への扶養は「てめえの事情なんか知るか、きっちり半分400万円支払えや」という扶養。子から親へ、兄弟間の扶養は、「まあ、そういう事情なら100万円がせいぜいですよね」という扶養。100万円がせいぜいですよねという扶養であって、いやわしは10万しか支払わんというのが許される運用ではないんだ。
その点、誤解している人が多いよね。
【生活保護】 「河本さんは悪くない。全国紙の一面に意見広告を出そう」 目標額は5000万円…ツイッターで呼びかけ
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1714839.html
募金の本サイトはこちら、civilactionjapanだそうです。
http://civilactionjapan.blogspot.jp/2012/05/blog-post.html
togetterでチラホラ見かけるnoiehoieさんが主催者らしい。
本サイトの趣意文を見るとその危惧よりずっとまともな印象で、失礼しましたと言う感じ。
表にババーンと出てきてるのは我等のnoiehoieさんだけど
趣意文には#CIVILACTIONJAPAN 有志一同と書いてある。
noiehoieさん以外はどなた?
というのがまず疑問。
noiehoieさんがtwitterで「よし決めた」って言ってから1日半でサイト公開&集金開始。
単純な作業量的には出来ないわけじゃないけど、根幹メンバーの話し合いとか最低限の意思疎通の時間考えると
2と3を一度に解決できる答はたとえば
・CIVILACTIONJAPAN 有志一同というのはほとんどnoiehoieさん個人とイコール。
・「よし決めた」前後の一連のツイートは演出で、それ以前から動き出していた。
とか?
それこそ生活困窮者を助けるにはお金がたぶんワンアンドオンリーぐらいに最適だけど。
河本さんを擁護したり助けたりするのに「五千万円で新聞広告を出す」は
ぼちぼち適切な手段(「最適な手段か」なんて無茶な疑問は発しませんよ)たりうるのでしょうか。
「よし決めた」が演出ツイートでないのなら
スピードや実行を重んじたい気持ちをわかったうえでもね。
思いつきで、怪しくて、軽いノリだからこそ、この試みには意味がある。必要なのは社会的信用ではなく、noiehoieさんのエンターテナーとしての矜持。 2012/05/30
@noiehoie さんには1万円ぐらい騙されてもまあ問題ないのであとで入れてくる。 2012/05/30
とのことで、なんだかnoiehoieさんのネームバリューがお金に換わってる印象が強い。
何故いつも発起人のバリューを換金する感じになるんだろうこういうのは。
「広く浄財を~」とか「世間の賛同を増やしていって~」みたいなのと反対の感じ。
なんかnoiehoieさんのことを「よくtwitterで喧嘩してる人」ぐらいに思ってました。
かなりパワーや人望がある人なんですね。
御見それしました。
お前の
その「オカシイ」は「大切なオカンというのは嘘」か「5000万も収入あるというのが嘘」だろ。
「大切なオカンというのが嘘」っていうのは生保とはまったく関係ない本人の性格の問題だし、「5000万も収入あるというのが嘘」なら扶養できないのも無理はないわなあ。
のどこから
そんな話が読み取れるんだよ。
論点を変えたいならきちんとそう宣言してから変えろ。
その上で
配偶者や子どもに対しては「生活保持義務」といって何があっても自分と同等の生活を保障する義務があるけど、
それ以外の関係(子→親や兄弟姉妹)に対して課せられてるのは「生活扶助義務」で、自分に無理のない範囲でできることをすればいいという規定なの。法律的に。
つまり何を訴えたいんだ君は?
横だが何言ってんだ
「DV事例をもち出して扶養義務に疑問をつけようとも
河本の事例はそういう関係ではないんだからその擁護は適用できない、話そらしだ」
って話だろ。
日本語も読解できないなら難しい話に入ってこなくてよろしい。
これが河本擁護派の話題ズラシの典型例でさ。
DV夫とか飲んだくれジジイとか出してきて、そんなのにまで義務が発生するとかヒドイって言うわけさ。
普通に除外事例だろ。
んで、「河本のケース」を考えたとき、やつは「大切なオカン」だと公言してんだぞ。
実際のところどの程度の法的な拘束力を持つのだろう?
ネット(の一部)の論調をみると”河本を擁護する奴は、不正受給者か在日”
らしい。まあこれの真偽についてはどうでもいいのだが、ここ(擁護者)に是非加えて欲しい属性がある。
それは
割かしというか典型的なリア充であったと思うのだが、まあとにかく現在はニートである。
私の方はというと、大学院を卒業後に幸運にも縁に恵まれ、それなりの企業に就職し現在は社畜である。
給料のほうは、まあ比較的高収入といって差し支えない程度にはある。
兄弟の関係はというと良くはない。ここ10年以上はまともに話をした覚えはない。
ただ、別に喧嘩をして仲違いしたとか言うわけではなく、趣味趣向の違いからか
次第に会話もしなくなり、そのまま互いの関係が希薄になっていった。
兄は現在、私たちの両親に扶養されているわけだが、当然両親はずっといるわけではない。
(このまま兄がニートであれば)いずれ私の方にその”扶養義務”とやらが降り掛かってくることになる。
その扶養というのも拒否できるのであれば拒否したい。
しかし、法的な強制力があるのであれば、それに違反しようとまでは思わない。
従って、この”扶養義務”というものが単なる努力義務的なものであることを願っているし、
そうであるべきだとも思っているが、実際のところどうなんだろうか。
本当こういう感情的な決めつけがマスダとかはてなサヨクのいかんところだと思うわ。人間のクズなのはおまえだろうに。
まず、現行法の話をすれば、親子兄弟には扶養義務はある。で、まず扶養義務がある者が被扶養者を扶養するのが原則。
これについてはいろいろ言いたいことはあるだろうけれど、とりあえずそうなっている。
今回の河本の一件で出た、「福祉局と話し合って決めているんだから違法性はない」という理屈ね。これ大間違い。扶養能力があってなおかつ扶養義務を果たしていない場合、厳密に適用すれば詐欺罪ですよ。やろうと思えば、今日からも立件できる。福祉局が「話し合った」のは、負担者と受益者が違うからですよ。扶養者と被扶養者の間で話がまとまるのを待っていたら、被扶養者が餓死してしまうからで、それで福祉局は扶養者が自発的に出す額と相殺して不足分を支給していたわけ。
・それでとりあえず河本が自発的に出せる額を増額してくれるよう「交渉」した。
これは生活保護の被支給者の生命を担保にした「誘拐交渉」なわけ。誘拐犯との交渉で、「警察には連絡しませんから子供を返してください」と言ったとして、それで法的に交渉成立、違法性はないということはないでしょう?
福祉局はこういうぎりぎりの交渉を強いられていて、なおかつそこで生活保護を支給するかどうかを判断している。あのね、この判断を間違いと言うなら、そして、河本側には福祉局が譲歩したことによって違法性はないというなら、福祉局は今後、杓子定規な強硬策をとらざるを得なくなるよ?
餓死者を増やしかねないことをしているのは河本を擁護している連中なんだよ?
まず河本の行為の違法性を認める。話は全てそこからじゃないか。それもせずに、片山がどうしたとあさってのことを言っているから純法理的に処理されれば、あんたらには一分の勝ち目もないよ。
まあ、俺は生活保護なんて関係ないから別にいいけどねー。つか、普通の人が普通に生活していて、一族親戚200人の中に生活保護受給者なんてふつういないって。
生活保護受給者なのは母親は年金を払っていない、娘は母子家庭、息子はプータローみたいな家ばっかりで、そういうところに生活保護が集中してんだよ。「普通の人」から見たら嫌悪の対象以外の何物でもないじゃない。
これを分断だ、切断操作だ、B層あたまわりぃってわめいても、最初から切り離されてるんだから共感なんて最初からないんだよ。現実も観ないでただわめいているだけのお坊ちゃんだからはてなサヨクは役立たずなんだよ。
ムリじゃないよ。
息子の資産(マンション)に住みながら生活保護の受給は、法制度上別にムリじゃない。
つーか、お役所の融通の利かなさ故に可能とも言える。書類が満ちてれば出るのが生活保護だからな。
単純に、「息子は扶養を拒否、母親は家賃ゼロの住居に居住、自己資産なし」と判断されただけのこと。
「息子よ、親に与えるマンションがあるならそれ売って生活費にしろ」っていう
事務フローや調査項目がお役所の事務範囲に無いってだけのお話。
河本のこの行為は、法律上無問題。仮にこれが不正受給に当たるとしても、それは河本の問題ではなく
母親の問題。母親の問題と河本の問題が一体化されすぎなんだよなぁ。
河本は母親を自己所有のマンションに住ませたが扶養を拒否した。母親は生活保護を受けた。
つまり、役所からすれば、芸人である息子が実質的に所有しているとみなしている資産に住んでいると解釈したのではないかな。
とすると、自己資産の制約がなくなり、家賃補助なしの生活保護を受けることは、それほど無理ではないとも言える。
ところで、どこからあんたになるのだろうか。
ともかく、40万が払えるならもっと払えるだろう、と思っている人が多いようだが、どうなんだろうなあ。
自己所有の資産ではなく、誰かの資産に「住ませてもらっている」場合は
それは自己資産ではないので生活保護の受給対象になるよ。(その代わり、家賃補助は出ない。家賃ゼロの住居に住んでるって解釈だ)
あんたが誰かの家に居候しながら生活保護を受けようとしたら、当然受けられる。河本はそのケースだ。
換金可能な自己資産がある場合は、田舎に住んでて車がなければ生活できない!みたいな場合を除いて、生活保護はムリだ。
逆に、「可処分資産は全部売らなきゃならない」もルールで、柔軟に対処すれば総支給額が減る状況が仮にあったとしても
役所はそれを把握していたら絶対に生活保護は出せない。受給条件上の瑕疵は絶対にハネられる。
役所は融通が利かなかった結果河本の母親に「生活保護を出してしまった」んだよ。柔軟さではなく、お役所仕事の結果だ。
だからよ。
この先「扶養義務制度の強固化」が起きた時に、間違いなく俺ターゲットだろうがっつってんの。
俺はガキ二人作って両方に最高の教育を受けさせると心に決めて生きてんだよ。
ところが、この先年収の上昇が順調に推移した場合、間違いなく俺はシバかれる対象になっちまうだろ。
運が悪いことに順調なんだよこちとら。
何故なら、それは母親の問題だからだ。あのババアがシバかれるなら理解出来る。
生活保護を受給する主体が叩かれるならわかる。しかし、今回バッシングのメインは河本だろ?
それも「扶養義務を果たしていなかった」というところで。国家の財政が悪い以上、この先収入があって扶養をしたくない人間が
危機感を覚えるのは当たり前の話だろうが。
仮に河本が仕送りをしていたところで、それは収入を隠していたババアの問題だろ。
ところが、矢面に立つのはいつだって稼ぎ頭だ。冗談じゃねえよ。
馬鹿が問題を正しく弁別しないまま感情論で叩いてるだろ。この先、扶養義務の強化は確定路線じゃねえか。
アホか。大迷惑だ。
でもこれさぁ。
俺がセーフなら河本もセーフだよな?「扶養する能力と必然性」って俺にもあるじゃん明らかに。
三親等以内だし、俺にはカネがある。少なくとも扶養できるだけのカネがある。
これ、どうやって区別すんの?行政の制度として確立したときに、河本と俺がどう区別されんの?されないと思うよ?
今回の件だって、河本に非ないじゃない。仕送りしてたとしたら、仕送りを受けているにも関わらず
生活保護を不正受給した母親が悪いし、仕送りをしていなかったとしたらそもそも受給が問題ない。
でも、そうは解釈されず道徳的観点から河本フルボッコじゃんこれ。
この調子でいったら、俺がヒドい目に合うの目に見えてんじゃんよ。
クソ親からやっと抜け出したと思ったのにまたこれか、と。大体、世の中に結構こういう人間多いと思うんだがね。
こんな河本たたきの大合唱になるほど、世の中の人間は扶養義務を果たしたくてしょうがないのかね?
理解できねえよ。
「普通に餓死すればいい」って親を餓死させた時点で社会人はゲームセットじゃん。報道されるし。
「親を餓死させたクズ」の肩書きを背負って社会生活なんてできるかよ。なんかもう、馬鹿じゃねえの。
大体よ、20代の若者が親を扶養するハメになったら生活のすべてが犠牲じゃねえの普通。収入から考えて。
そんなにゲームセットしたいのか、若者。「ウチの親は・・・」なんて思ってるかもしんないが、
あるとき突然経済的ゴミ虫にクラスチェンジする人間は少なくないんだよ。まぁ、俺の親は生まれついてのクソ虫だったがな!
この問題の一番大事なところをわかってない。
河本は、
それぐらいしか仕送りせずに生活保護受給しないと生きていけないような状況を放置している「おかんへの感謝は口だけ」の、俗にいうクズだっただけ。
少なくとも、未来永劫「おかんが好き。感謝している」とはTVで口にすることなんかできないのではないのだろうか。
河本は役所に対して嘘の仕送り額を言っていたことになり、詐欺の片棒を担いだ犯罪者になる。
もちろん母もくず
河本は河本母に対して扶養義務を負ってるとしても、社会とかクニに対して負ってるわけじゃないだろ
ってことは、河本が扶養義務を果たさなくてもそれに対して怒る資格があるのは河本母一人だけだろ
もしも売れなくなってお母さんすら養えなくなったらそんときに改めて受給申請すればいいじゃん
もうずっと高額所得者である河本のお母さんを悠々通し続けるぐらい話のわかる役所が
なんで河本が落ちぶれた時にお母さんの生活保護受給を拒否するんだよ?
つーか役所に対して失礼だよね
あれぐらい売れた後、多少人気に陰りが出たってテレビ以外でも仕事は山ほどある
変な投機に手を出すとか以外でこの先の河本が禁治産者になる可能性っていうのは
年に360日は飲みに行っていると豪語する河本。
たくさんの後輩を引き連れて一晩で100万払うこともあると言う河本。
倹約してる印象はまったくない。
もちろんそういう消費にはお笑い芸人としての必要な交際費みたいな部分もあるんだろうが
それにしたってこの中から少しを貯蓄するだけでも
将来もしもの時に自分の家族や親戚が生活するための蓄えぐらいは十分作れるはずだ。
というわけで
何をどう擁護しようにもこんなの、
「貰えるんだから貰っとけ」以外になんの考えもなかったというだけだろう。
今の河本にとっては目腐れガネだろうにこんな危険なせっこいことやってたのは
ことのはの人の意見なんかも読んだけど、いまひとつずれているように思う。岡山の福祉局が悪いのかというとそうでもないように思う。
生活保護が制度的に、親族、この場合は親子と兄弟の扶養義務を前提にしているのはこれは法設計上そうなっているわけであって、それがいいのか悪いのかはともかく、現状としてはそうなっている。夫婦、親子、兄弟には扶養義務があるのである。とは言え、運用上、その強制力は事実上ない。
扶養のためのお金を払うのは、制度的には義務であるが、運用上はそうなっていないため(もちろんそうなっていないのには理由がある)、生活保護を必要とする人が発生した場合、それは扶養義務がある人に言ってください、と行政がボールを相手に投げ返してしまえば、生活保護を必要とする人は結局、おかねを得られずに餓死することになる。
岡山の福祉局はそれを避けるために、河本準一との交渉との中で、相手が出すカネ(出せるカネではない)と相殺する分を差し引いた必要額を支給していたわけで、これをもって公的機関当局が河本準一の行動を是認していたということにはならない。河本準一の行動は少なくとも脱法的であるし、違法性も棄却できないのである。
ただ、その違法性を徹底的に追求した場合、事実上、法の下の平等に違反する可能性がある。誰もが親兄弟を扶養する義務はあるが、実際に扶養行為を強いられる人は限られているからだ。家族制度そのものに伴う問題である。親による子の扶養・養育、あるいは相続において、他と比較して劣位に置かれる人はいるが、それはプラス要素がないという不公平である。扶養義務の場合はさらに踏み込んでマイナス要素を負わされると言う不公平である。
不公平というならばプラス要素がないのも、マイナス要素があるのも同じく不公平であるが、自らに責任のない状況においてマイナス要素を負わせる、それも刑法的な懲罰を伴ってということになれば、実態は法の下の平等に違反する可能性が高い。そうした実情を勘案して、親子兄弟間の扶養義務は、運用上は「出来る範囲でお願いします」程度になっているのだが、法制度としてはあくまで義務である。
河本準一と福祉局との間に、「合意」があったから違法性はないと主張している人は単に法論理上まちがっているのみならず、法制度の額面通りの運用を徹底させかねない、つまり無理やりにでもマイナス要素を追わせかねない点で、弱者を困窮させかねないものである。
生活保護は多くてもこの場合年間180万円、ここ5年スパンで言うならば、その間、河本がその程度も負担できなかったはずがないので、経済的に強者の例まで、弱者として扱うことは本当に弱者の人たちを追い込むことになりかねないのである。
河本を擁護するならば家族制度そのものが持つ、不平等性を批判し、親子兄弟の扶養義務を制度として廃止するべきであろう。更にいうならば、他の家族制度による優遇、専業主婦や配偶者控除も批判されるべきであろう。親権それ自体も解消されるべきである。
ただし、現状そうなっていない。そうなっていない中で、片山さつきが違法性がある河本の行動を批判し追及するのはごく当たり前なのである。片山個人は親を扶養などしていないだろうし、家族制度に不平等性があるなどとも認識していないだろうし、家族制度を擁護するだろう。その点では私は彼女の考えをまったく支持は出来ないが、それはそれとして現状の違法性を議員が追及するのは当たり前なのである。
河本準一問題で一番悪いのは自分が、扶養を必要とする親を扶養させられることを期待されているにもかかわらず、その差別の構造に「家族の絆」の名のもとにすり寄っている河本自身である。彼を糾弾するために開かれた記者会見で、「おまえは扶養しているのか?おまえは?おまえは?」とひとりひとり問い但し、自分一人たまたま扶養義務を負わされることの理不尽を述べたならば彼は信念に基づいたうえでの抵抗者になり得た。そうであれば私は彼を全面的に支援したであろう。
しかし彼が実際にしているのは家族制度に基盤を置いた結婚であり、それは独身者に対して「プラス要素を与えない」という差別の制度である。その差別を容認しているのだから、同じ構造の中でたまたま不利になることを甘受すべきなのである。
「擁護するやつはみんな悪!」
って奴らがキモい。
彼らの言う「擁護するやつ」ってのは、
とか
扶養の義務って程度の線引きが難しいよね。
っていう、システムへの懐疑を表明するひとまで包んでいて
いうなれば、叩かないやつはみんな敵!
って感じで。
studygiftを通して見えること、芸人の生活保護費の受給を通して見えること、
に興味があるだけで、当事者の大学生(とか書くと脊髄反射で元大学生だ!と突っ込まれそう)にも芸人にも興味ないんじゃん。
一般論を吐く人は。
というか僕の感覚では、その人が善か悪か、有罪か無罪かなんてそれほど興味がない。
税金がいってると言われても、それより優先事項はあるだろうしと思っちゃうし。
奨学金や生活保護が存続可能な制度であるために云々は興味があるし、みんなが考えないとだろうけど。
額の大小じゃない!
悪を見逃すのか!
と言われたって、そう言う個別事例は法律屋に任せればいいと思うし。
こういう無関心が国をダメにするとか言われると反論できないけど。