はてなキーワード: 慶應幼稚舎とは
実家太い家に生まれたなら小学校からダブルスクールでインターナショナル行きつつSAPIX行って、英語と数学先取りして、御三家から東大余裕で行けるのに、エスカレーターで慶應卒って死にたくならんのかな?
俺が増田なら中学で「このままじゃ私大!やばい!人生終わる!」ってなって勉強ガチって大学は外部受験して国立行くけどな。塾行くための金や参考書代ならいくらでもあるだろうし。
私大の時点で国立卒の女の子に相手にされないのに、その上文系となると私立理系の女の子にも相手にされない。私文が大卒の女の子と結婚しようと思ったら相当選択肢が減る。慶應幼稚舎行かせるって一種虐待だよな。
別々に育った双子、というこの記事を読んで、亡父のこと、そしてKさんのことを思い出した。
https://courrier.jp/news/archives/314969/
目黒で生まれて目黒で育った父が、実は双子だった、という話を教えてもらったのは、私が高校生の頃だ。
親戚の法事の写真を見ていた、まだ小学生だった妹が、「あ、パパだ」と言うと、「よく似てるだろ、でも、パパじゃないんだ、パパの従兄弟なんだよ」と笑いながら父が言っていたのを覚えている。
父が住んでいた一帯の土地は、父の伯父(私からすると祖父の兄=伯祖父)が所有していた。
長兄である伯祖父は麻布に住んでおり、月に一度、地代を集めてその麻布の豪邸に持って行くのは父の姉の仕事だった。
伯祖父の家には子がおらず、末弟である私の祖父(既に4人の子持ち)に「次に生まれた子を養子にくれないか」という話をしていたらしい。
同じ顔をした赤ん坊のどちらか片方を、どういう基準で選んだのかはわからないが、Kさんは長兄の家の養子となり、父は末弟の家に残った。
正確には、養子ではない。
そのまま実子として役所に届けたらしい。
Kさんは、慶應幼稚舎から大学まで進んだ後は東京芸大に進み、その後は六本木で音楽教室を開いていた。
一方、末弟である祖父は米問屋をやっていたが、戦争で米は配給制になってしまい、商売は傾き、私が生まれた頃には既に故人だった。
父は、他の兄弟が全員大学進学したにも関わらず、高校を中退した。
家庭の事情もあったかもしれないが、そもそも学校の勉強は好きではなかったようだ。
実はこの高校中退、母との見合いの際には隠していたらしく、それなりに良心の呵責があったようで、70代になってから、酒の力を借りて(と言っても、ほぼ下戸ゆえコップ1杯のビールだが)孫たちの前でカミングアウトした。
孫たちには笑われ、唐突にそんな話を聞かされた母は呆れたという。
そんな父が、自分が双子だったと知ったきっかけは、社会人になってから少ししたある日、同僚から
と言われたことに始まる。
「君そっくりな人を知ってる」
と同僚。
そんな話を家に帰ってから母親(私の祖母)に話すと、「ああ、実はね」と、いともあっさりと、養子に出したKさんの話を教えてくれたという。
そういえば、地代を集めていた私の伯母は、「赤ちゃんが二人いたのに、一人になっちゃった、って不思議に思ってたの」と言っていた。
それ以後も、この二人はたまに法事などで会うことはあったらしい。
Kさんが真実を知ることになるのは、ずっと後、50歳になった頃だ。
それまでも寝たきりで入院していた高齢の祖母が、そろそろ危ない、という段階になった。
大学で授業を受けていた私のところにも連絡がきて、そのまま祖母の入院していた病院に向かった。
さすがに、真実を知らないとはいえ、ここはやはり教えてあげるべきなのではないか、と父も他の兄弟も考えたらしい。
だが、身長が父よりも5cm以上高い。
そんな、父のアップグレード版みたいな人が、私に敬語で話しかけてくる。
これは母も同じことを言っていたのだが、人が発する気配のようなものが、父と同じだった。
誰かが自分の後ろに立っていて、だけど姿が見えないので誰なのかはわからない、でも気配でそれが家族の誰だかわかる、ということがあるけれど、その気配が全く同じだった。
あまり科学的ではない気もするのだが、実際に多くの親族が出入りする状況で、それを何度も感じていた。
父もKさんも故人となってしまい、私自身も歳をとってきて、どこかにこの話を書いておこう、と件の記事を読んでふと思い立って、昼休みにこうして書いてる。
書いてみると、他にもいろんなことが思い出されてくる。
その後、年賀状のやりとりくらいをする間柄になったKさんが、実はある新興宗教の幹部になっていたとか、そういう話まで思い出しちゃったけど、それは書かないでおく。
中学受験をしてそれなりの学校に通った、あるいは子どもを通わせている人にとって、
「実家が太い」のは、「医者かそれと同等以上の職業についている親の家」になるのでは、と思う。
言い換えると、家庭環境を再生産するために、いくらでもリソースをつぎ込める家。
あるいは会社経営だったり政治家だったり、学歴で格好さえ付けば後からなんとかなるので、
とりあえず慶應幼稚舎にぶち込もうとか、そういう家。
うちはサラリーマン家庭だから、このあたりの機微が分からなかった。
で実際に入ってみると、はじめから経済力も考え方も違う「実家がとても太い」のが3割くらいいた。
多くは医者。で付き合って見ると、「××にあらずば人にあらず」みたいな、妙な選民意識を持っていたりする。
世帯の純金融資産保有額が5億円以上で超富裕層、というのを見て、うちって超富裕層だったんだなぁって新鮮な気持ちになった。
クルーザー所有してて船上パーティーとかしてるのが超富裕層のイメージだったけど、うちくらいでいいなら都内ゴロゴロいるんじゃない?
お金のことは話す相手もいないし、話さない方が人間関係支障がないのでないので、ここでちょっと書き散らす。
複雑な家庭の事情というわけではなく、所謂相続税対策です。今はこれやってもあまり意味ないらしい(何か税法が変わったんでしょ?)けど、昔は良くやったらしい。詳しくは知らない。
普通の恋愛結婚だったのであまりお互いの家のこと話してなかったんだけど、婚姻届書くときにお互い笑ったよね。記入がややこしいよ。
私の場合は祖母が良い所のお家の人だったけど祖父も親も勤め人だったから、感覚としてはあまりお金持ちの意識はない。都内でお金持ちというとテンプレだけど慶應幼稚舎とかさ、何か上を見ればキリがない世界があるからさ。
夫の家は代々商売をしてて地元のかなり大きな企業だけど、今はもう経営には関わってないので配当金の入金通知見る時くらいしか意識しない。夫も地元離れて大学からずっと東京で今も全然関係のない業種だし。
挨拶に行った時家が大きくて驚いたけど、田舎だからそんなもんかなくらいに思ってた。
私はごくごく普通の中小企業の一般職。年収500いくかなぁくらいの感じ。仕事のやりがいよりもホワイトな環境を優先した。定時退社万歳。
夫は一部上場企業だけど出世コースではないから年収600いく?いかない?くらいの感じ。有給とりたかったら取れる感じのまぁ激務ではない働き方。
夫婦共働きで会社の給料だけだと世帯年収1000万ちょっと。子どもは2人。
お互い一人っ子で相続の終点が自分たちだから。これから親が死ぬと、親の分の相続で更に増える。
数年前に私の祖父が死んだ時に払った相続税は数億だったけど、夫の祖父の時は十数億だった。
そんな現金さすがに無くて銀行に借りて、相続終わって返した。ここら辺、実家の弁護士さんと税理士さんがやってくれてたので私はあまりよく分かってない。夫は自分でなんか色々やってたので理解してるはず。
今のマンションもローンで買ったと思われてるんだろうけど、実は現金一括で買ったし名義は私。夫は地元の方で土地とかマンションがあるのでこれ以上固定資産増やしたくないとのことだったので。
家の値段的に私の会社給料だけだとローン組めなさそうだったし、面倒だから住宅ローン控除のことは諦めた。家の値段と同じくらいの金額がまだ銀行の普通口座にあるからまぁいいかなと思ってる。
本当はもっと自分たちの資産に興味を持って運用とかすればいいんだろうけど、家も貯金も仕事もあって現状何も困ってないから、頑張って増やすよりそれにかける労力の方が怠いかなって特に何もしていない。
言わなきゃそんなの分からないだろうし、実際には親しい友人も会社の同僚も全然知らない。生活に困ってはいないだろうなとは思われている気がするけど。
所謂、実家が太いってやつだよね。ありがとう。両親、祖父母と代々のご先祖様たち。
ネタかと思われるかな?まぁなんて思われてもいいか。色んな家庭があるよね、という話で。
1日で沢山の人がコメントくれて嬉しい。これが承認欲求ってやつだな?!ってなってる。ありがとう。
・うちは中小企業だけど零細企業ではないよ。資本金と従業員人数的に中小企業だけど、そこそこ儲かってる。このご時世にありがたい話ですね。
・私は一般職だけど平社員ではないよ。大きい会社ではないからそこまでの人数ではないけど部下はいる。私と同じ職位の人は他部署だともう少し貰ってる。…と書いてたんだけど、私もしかして総合職なんですね?なるほど?事務系総合職という認識が無かった。恥ずかしい。
・何で働いてるのか、って指摘だけど、高校出て、大学進学して、就職してって流れに何も疑問が無かったし当然そうするもんだと思ってた。
育休中に思ったけど、専業主婦するのも向き不向きがあるよ。私は外で働いてそこそこ社会と接してる方が精神的に良い。後、自分の会社のこと割と好きだし、いい会社だと思ってるから辞めない。
・まぁでも夫婦揃って会社給料より不労所得の方が多いから、育休明けで慣れない生活にバタバタしてる時期に夫残業が続いた時は、何のために働いてるの?!辞めれば?!みたいな喧嘩はした。ブーメランだなって思った。
・私が学生の頃祖母が亡くなって生まれて初めての相続が発生するまで、本当に自分の家は極普通の一般家庭だったと思ってたんだよ。そう言われて育ったし、周りから見ても自分の家が特別裕福だとは思わなかったし。だから今でも感覚が庶民的なんだろうなと自分では思ってる。まぁアホなので世間知らずで育ってしまったんだろうね。
◯元記事
朝鮮学校のいま 「在日」生徒たちの胸の内 - Yahoo!ニュース
https://news.yahoo.co.jp/feature/586
◯ブクマ
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/news.yahoo.co.jp/feature/586
◯メタブ
http://b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/s/news.yahoo.co.jp/feature/586
ってことでご質問いただきましたので。はてな記法をほとんど使ったことなくあってるかわからないので、間違ってたりこうしたらなおよしってのあれば教えて〜〜。
必要なスペックいるなら追記するけど15年ほど前に卒業。幼稚園から高校まで朝鮮学校だよっ!
http://b.hatena.ne.jp/entry/333956559/comment/akihiko810
id:Eizo0000 朝鮮学校に行くことは親の意志で決められるんですか?それとも自分の意志? あと普通の大学と朝鮮大学校に行く割合てどれくらいですか? 挑戦大学行くとその後の進路は韓国?日本の会社なんですか?
「学校に行く」っていうのが段階にもよるから後でパターン分けるけど、ほぼ100%親の意志かな。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E5%AD%A6%E6%A0%A1
大学は東京にひとつだけ、高校は都道府県にひとつあるかないか、中学校はひとつの都道府県に0〜5個、小学校は一番多い東京で9個。
イメージでいうと、小学校から高校まで同じ場所で一貫してるパターンか、あるいは小学校がいくつかある都道府県なら、小学校がいくつか合併するような形で中学校になって、その中学校が合併する形で高校になって、みたいなかんじ。だいたいはエスカレーターで小→中→高に進んでいく。
ってことでスタートはほぼ小学校(or幼稚園)なんだけど、どの小学校に行くかってほぼ親の意志だよね。「おれは慶應幼稚舎に行きたい!」ってなる6歳とかいるのかな。
中学校や高校から朝鮮学校に編入ってパターンは少なくて、ひとつの学校で1学年にひとりいるかいないかぐらい。ほとんどが小学校で入ってそのまま高校まで。
で、逆にあるのが、小学校は朝鮮学校に行って、中学や高校から日本の普通の学校に行くパターン。
普通に受験して入るんだけど、このパターンはだいたい塾とか行ってて成績がいい生徒たちかな。偏差値高い中学や高校に行ってそのまま東大京大やら早慶に行くのもいる。数は少ないけど。
「自分の意志」が出て来るのはこのタイミングかな。だから意志が入ってくるのは朝鮮学校に行くタイミングじゃなくて日本の学校に行くことに対して働くかと。
当時の体感でざっくりだけど、高校を出るタイミングで半分は就職、半分は進学。
進学の中には、日本の大学(受験組もいるしスポーツ推薦とかも結構ある。スポーツ強い。)やら短大やら専門学校に行くのもいれば朝鮮大学に行くってのもいるんだけど、朝鮮大学に行くのは全体の1〜2割ぐらいじゃないかな。
http://www.sankei.com/politics/news/160410/plt1604100008-n1.html
1学年に600人ってことかな。単純に10個の高校で割ると同級生で60人なんだけどってそんなにいるかな。どうだろ、いたかもしれない。当時で60人なら2〜3割ぐらいか。わからん。
※誤字そのままにしてごめんやで。引用って形で。
朝鮮大学に行ったあとの進路については詳しくないからわからないけど、特殊なのを除くと普通に日本の会社が多いんじゃないかな。
日本の会社ってのにも在日が経営してる会社ってのもあるので、それを日本の会社か韓国の会社かどっちに括るかはわからないけど。まぁ日本の会社でよいかと。
で、特殊っていうのは、朝鮮学校(小学校〜高校)の先生になるか、総連系組織の職員になるってのもあるかな。
組織ってところで変なの想像するのはダメよ、やんわり言うとコミュニティセンター的なかんじ。在日同士関わり持とうぜってかんじで集まる場所なイメージで。大きな都市で、区にひとつあるかないかぐらいかな。この辺りは説明が難しい。まぁでも危ないやつではないよ。
ってかんじかな。他もございましたら。
あとどうでもいいけど、PCは全文読めてスマホは「アプリで続きを読む」しか無い元記事マジでやめてほしい。UX考えろ〜〜
(追記)
http://anond.hatelabo.jp/20170428112309
ネトウヨ系まとめサイトによくある反日教育ってほんとにやってるの?
前提として、ベーシックな授業の内容は教科書の文字と話す言語が朝鮮語ってだけで、内容は普通の英語とか理科とか日本の教育と同じ。be動詞+ingで現在進行系ですね、とか。
で、オプション的にというか、日本の学校に無い授業では金日成の歴史とか、朝鮮の歴史とかが週に一コマあるかどうかだったかな。
ちとどう受け取るかで意見分かれるところとも思うんだけど、ファクトとしては、その朝鮮の歴史の授業なんかで、「植民地になりました」的な記述だったり植民地時代に日本やアメリカの兵士が云々みたいな記述はあるね。
ただまぁ今の日本に対する反日教育ってのはたぶん無いと思うよ。当時の〜〜、ってかんじ。それをどう受け取ってどう現代に昇華させるかはまた個人の問題になっちゃうんだけどねぇ。
国レベルで歴史認識がすれ違ってるところだからどっちがどうとかでも無いとも思うけど。
で、"ネトウヨ系まとめサイトによくある反日教育"ってのがどういうのがあるのかわからないんだけど、ちょいググって
https://www35.atwiki.jp/kolia/pages/1318.html
ってのを見たところ具体的な記述は
>「(朝鮮学校は) 金日成 を崇拝しない人は人ではないと教えている。限度を超えた民族教育に国税を投入するのはいかがなものかと思う」と疑問を呈した。
とか
> 故 金日成 主席と金総書記の写真が随所に掲載され、必ず「敬愛する」「偉大な」という修飾語をつけた上で、その業績が賛美して描かれる。
かな。
両方文字通り読んだときに直接「反日」って読み取れる人がいたらすごいとも思うんだけど、まず前者の「金日成を崇拝しない人は人ではないと教えている」ってのは、うーん、あったかなぁ、人ではないって言うのがいるかどうかわかんないけど、まぁ金日成すげぇぜ!、ってかんじの教えではあるね。まぁ国つくった人だし。
> 故 金日成 主席と金総書記の写真が随所に掲載され、必ず「敬愛する」「偉大な」という修飾語をつけた上で、その業績が賛美して描かれる。
これは逆枕詞みたいなもんかな。
「あをによし」って来たら「奈良」って来るの古典で習ったと思うけど、その逆、「金日成」の前に「偉大な」ってセットで来るだけ。
ってところかな。もうちょい「反日教育」の具体例教えてくれたら回答できるかも。
民族的なイデオロギーで「日本という国はは嫌い」ってのがどれぐらいいるのかは疑問かな。ゼロじゃないとは思うけど少ないと思うよ。
そういうのじゃなくて最近の国会ウォッチャー氏の増田とか見てて、日本やべぇなおい、って考えたりするのはまぁ普通の日本人と同じぐらいじゃないかな。
世の中ってのは君にとってはバカなものかもしれないね。
まず、カテゴライズしよう。
中学校(×1)
高等学校(×2)
大学、(×3)
大学院(×4)
このうち、「(お)受験が存在する」ものは、偏差値を基準にして適当に置き換える。
例えば、偏差値50~54程度なら「1点」とかね。
ただし、義務教育課程は中卒が最低ランクなので、それ未満の経歴や出身は考慮しない(たとえば慶應幼稚舎にいたとしてもプラスにはしない)つまり、小学校までは誰でも平等。
で、最終学歴によってその偏差値から置き換えた数値にかけ算して加える。掛ける数は上に書いてある通り
偏差値50の私立中学、私立高を経て、偏差値45~49程度の大卒になった人なら、
1*1+2*1+3*0=2
となる。偏差値49程度は実質の学力は高卒程度あるかどうかも疑わしいので、この数値は妥当である。
大学院の場合、×4だが、日本ではこの年齢はもはや価値がないのでどこにいこうと0点である。
高校からは広く偏差値でモノを測れるため、偏差値を基準に全てを計算する。
また、浪人、留年すると1年ごとに最終的な数値の合計を半分にする。計4年ならもとの1/16になる。中退は年齢のマイナス分のみ考慮する。
まだ粗いが簡単だ。
GPAも含めればより精密性が上がるだろう
1歳半くらいから2語文を話し始め、今では普通に会話ができます。また、「○○はXXだから△△なんだよね」のような理論的な思考もできます。特に教えてもいない(聞かれたことに答えてるだけです)のに、ひらがなやアルファベット、数字を完璧に読みます。他の同じ時期の子供と比べるとかなり進んでいるようで、他のママさんからは驚かれるのですが、せっかくの才能を伸ばしてやる自信がないです。うちはただのサラリーマンの家庭で私は専業主婦なので、慶應幼稚舎からとか経済的に無理だし。
実は、私自身も元神童(笑)だったのですが、やはり家は裕福ではなく、公立の進学校に進んだのはいいんですが、国公立大学しか受験させてもらえず、いまだに慶應に進学できなかったことを根に持っている節があります。その辺のトラウマで「慶應幼稚舎」が出てきたんだと思います。お恥ずかしい。
あと、青春時代が受験勉強一色だった過去があまりに暗黒過ぎて、子供にはそういう思いをさせたくないっていうのもあります。正直、エスカレーター系の学校に関する知識はないので、あくまでイメージでした。
この増田、記事消したんだね。
ほかの方もトラバで書いていらっしゃるけど、慶應幼稚舎は頭のいい子が行くところではありません。
あれは金を巻き上げるための施設です。
中学から慶応(普通部→塾高→法学部→SFC大学院)に行った知人がいますが、
知人いわく「普通部の時点から、幼稚舎上がりのやつと中学受験組とは溝がある」。
保護者も、幼稚舎ではなく普通部でも縛りのきつい「保護者の会」があってしんどそうです。
本当にお子様が大事なら幼稚舎から入れるのはやめた方がいいです。
大学での学生自体、付属上がりは「本当によくできる子」と「バカ」に二極化してますし。
湘南藤沢キャンパスの付属中高では2年に1回の割合で、自殺に追い込まれるほどの酷いいじめがあるようです。
慶応の幼稚舎クラスの幼稚園に通わしてない親は、不甲斐ないって思ってる?