はてなキーワード: 交通とは
・立体交差
カーナビないと身動き取れない運転下手なんだけど、「この先5km以上道なりです」って言われた後に「100m先、右です」て言われた時の私の発狂振りに共感してくれる人いませんか。
立体交差って入口が交差点の300mくらい前にあるから「えっ、えっ、これなに?? この道なに??? 入っちゃったらどうなるの???」てなって入りそびれてカーナビ通りじゃなくなったりする。
立体交差の直進道に入り損ねても直進できることを知ってからは発狂度は減ったけど、運転中にパニックになるのマジ危ないので教習所の段階でもっときちんと教えて欲しい。
・ガソリン
親が車にレギュラー入れてたから自分もセルフでレギュラーで給油してたら、スタンドから爺さんがやってきて「何でこの車にレギュラー入れるんだ!!」ってすげー怒られた。
ていうかセルフでもガソリン出す出さないのボタンはそっちで制御してるんじゃなかったっけ?
満タン入れてから怒りにくるのおかしいだろ。全部捨ててハイオク入れ直せってか? お金は? 捨てられるレギュラーの分も払えって?
教習所ではガソリンスタンドで空気圧変えられるくらいのことしか習わなかった気がするんだよね。あと灯油のポリタンクにガソリン入れるの禁止くらい。そもそもセルフの給油に関しても教わらなかったから友人に聞きつつ機械の説明読みつつだったよ(親はそれを嫌って断固セルフで給油しない)。
ガソリン違ってダメならもう車の給油口にハイオクの色付けるなり「この車はハイオクです」て書くなり接合部に爪付けてちゃんとハマるノズルじゃないと給油できなくするなりしてくんねーかな。ガソリンスタンドでスタッフにどのガソリン入れるかの指定する必要もなくなって世界が平和になるんじゃない???
ところで自分は怖いからエンジン切って給油する(してもらう)けど、エンジン付けっぱなしで給油してる人いない? あれつけっぱでいいの? それも教習所で聞いた覚えないんだよね。なんで教えてくんないんだろ。
246を池尻大橋から青山一丁目方向に走ってだんだけど、渋谷駅前で4車線あって、Googleマップの「左車線で走ってください」の指示に従って左折レーンのすぐ右の直進レーンにいたんだわ。
左折レーン、直進、直進、右折の4レーンだったからそれでいいと思うよな?
そしたら左直進レーンは信号超えたら左折専用レーンだったんだよ。宮益坂に誘導されて大パニック。(まぁ標識見えてはいた)(見えた位置からして私ごときに車線変更できる状態じゃなかったけど)
つまり国道246号線とかいうデカい道路なのに進み続けられるのは右から2番目の直進レーンだけなのな! 渋谷怖い!! そうでなくとも246は路駐があって左走りたくないわ右折レーンなしの右折があって右走りたくないわ、真ん中走ってたつもりがいつの間にか左レーンなくなって右レーン増えて「???」てなるわ、意味不明なのに。
あとカーナビが地図更新されないのなんとかなりませんか。多分新東名入ってないんだよこれ。カーナビの名前でGoogle検索しても7年くらい前に地図の更新提供終了してるし。カーナビとGoogleマップのナビの併用も割とキツいんで(ルートが違うが細かく合わせられない)(カーナビはオリパラ交通規制反映されてない多分)(Googleマップは立体交差マジ分からん)、カーナビ各社または正規代理店はなんとかしてください…。
よくよく考えたらすごい安いなこれw
KBライナーは、三栄交通/千葉みらい観光というバス会社が 京都から東京までの夜行バスを運行しています。
最大の特徴は値段が安い!京都-東京間の乗車料金は平均5~6,000円。
かたや、KBライナーは平日2,300円。週末(金・土)でも4.000円前後。
2月の平日で3.000円前後。週末(金・土)でも4.000円前後です。
とにかく安く行きたい!!そんな方にはKBライナーをお勧めします!!
安いだけでどんなバスが来るのか?バスの車内はどんな感じ?など不安はつきもの。ここではバスの車体・車内の写真を紹介します!
写真は4列スタンダードシート。平均的な日本人男性にとっては少し狭く感じるかもしれません。横方向には、2列、2列の4列シートとなっていますが、2列並んだシートの間には、肘掛がなく、シートの幅自体もやや狭い気がします。上記を踏まえた上で値段と相談して決めるのも良いでしょう。
https://www.youtube.com/watch?v=W8mahC0coUM]
この大分県警の【大分県警】猛スピードで走る自転車【VR交通安全動画】という動画を見たのだけれど、
自転車は猛スピードというほど猛スピードではなく制限速度内での走行だと考えられるし、
(というかあれほどリアクションできるなら自転車も避けられるだろうし)
(まあ演出上仕方がない)
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210825/k10013221371000.html
車椅子の人が電車に乗る時の連絡アナウンスを悪用して痴漢などする、という行為が問題になって記事になっています。
これを読んで思うのが、障害のある人間を狙って声をかけてくる人が一定数いるよなーってことです。
私は見た目ではわからない障害があるので障害者手帳を持っているし、公共の交通を使える福祉パスを持っています。
それを使う際(大体そういうものは機械が使えないので駅の方に提示します)に、たまたまそれを見てきた人が「障害があるんですか?」と声をかけてきます。誤解のないよう念のため書いておきますが、私は見た目も自身の認知も女性で、声をかけてくるのは大体男性です。
そういう時、あからさまに「障害があるから普通の恋愛はできないだろう?」という旨のことを言われたこともあります。
そういうことがあるので、私はどんなに辛くてもヘルプマークはつけないようにしようと決めています。
そこで何が言いたいのかというと、毎日福祉パスを使う時にすごく緊張するということです。あと属性によりヘルプマークが使えないというのも、ヘルプマークの意味があるのかよくわからないので気になりますが、今回の件の趣旨とは外れるので言及はしません。
なので、公の機関の方は、福祉パスなども機械に対応させるなど、他人に見えないようにシステムなどを考えていただきたいと思います。
(これだと車椅子など他人から見てわかる身体障害の方にはあまり意味がないとは思うのですが……)
一応、役所の方などにはお伝えしていますが、たまに理解していただけない方に「考え過ぎ」など言われてしまうこともあるし、税金で電車やバスに乗せてもらっているので声を大にして言いづらい雰囲気があると思います。
ですが、人間は現象を言葉にしないと認識できない生き物です。なので、こういうことを知らない人がいたら、少しでも知ってもらいたいと記事を見て思います。
鹿児島もいいよね。俺が知ってるのは鹿児島市だけだけど、人口は60万くらいだっけ? 地方都市ではあるが小都市ではない。結構いろんなものが揃っているので、東京の田舎(失礼!)よりは便利そう。平地が少ないので地方都市の割には家賃相場が思ったほど安くはないけど、東京と比べりゃ激安。割とコンパクトな街なので交通が便利で交通費もかさまない。あと、食い物がうまい 😁
宮崎市も行ったことあるけど、結構いいところみたいだ。人口30万で小さめだけど、平地が広々してて空が広い! 土地がゆったりしててちょっと外国みたい。太平洋に面していて夏の猛暑もほぼ無い。空港は宮崎市内にあって超便利。あと、宮崎の人たちはあまりカリカリしてなくて割とゆったりしていて親切。弱点は新幹線が通ってないことか。
これ結構疑問に思ってる
ヨーロッパの例を見てもイギリスが感染対策で有利だったかというとそうでも無かった様に思うのだ
オーストラリアやニュージーランドを例に挙げる人多いのだが、その2つの国は農業国で元々検疫が厳しい国としても知られている
台湾は中国による攻撃を想定した対策があって、それを感染症対策に応用している(応用した手腕は評価されるべきだが)
しかし日本は有事法制もろくに整っておらず、戒厳令の様に市民の行動を制約する行政命令を出す事が難しい(不可能ではないが悪しき前例となる)
イギリスは日本よりは食料自給率の高い国だが、自国で生産が難しい作物などは輸入に頼っている
日本にせよイギリスにせよ経済規模の大きな大国であり、それ故に輸出入の金額も大きくそれに伴う人の移動も多いのではないかと思う
日本やイギリスの感染拡大は本当に行政の無能だけが原因なのだろうか?
オーストラリアやニュージーランド、台湾などと単純に比較できるのだろうか?
俺はどうにもそうは思えない
島国であるかどうかは一つの要素に過ぎず、その国の産業分布や法制のあり方、国民性、国内の交通インフラの整備状況など様々な要素が影響しているのではないかと俺は考えている
勉強とは結局覚えることだ。いわゆる暗記科目はもちろんのこと、数学や英語だって多くのパターンを覚えて一般化し、それを問題に適用しているだけに過ぎない。
だから、大事なのは覚えることに対する二つのアプローチである。「どうやって楽しく覚えるか」と「どうやって使える形で覚えるか」だ。
覚えることは、基本的に楽しくない。粉薬を大量に飲むようなものである。そこで、オブラートを使うとか、おくすりのめたねを使うとか、飲んだ後にちょっとしたおやつを用意するとかの対処が必要になってくる。
それが一般には面白い先生の授業だったり、自分の好きなものと絡めて覚えること(洋楽と英語とか、大河ドラマと日本史とか)だったりするわけだ。
万人に向いた方法はないので、最終的には自分が覚えやすくなる良い方法を自分で探すしかない。基本的には、好きなものと関連づけてやるのがいいと思う。
大事なのは、覚えるための努力は必要ということだ。面白いので自然と覚えていることもあるだろうが、それで覚えられることはせいぜい10%くらいだ。残りは努力で覚えるしかない。それを多少なりとも楽にしようというのが、一点目である。
使える形で覚えるというのには二つの要素がある。覚える段階で使える情報を覚えるということと、覚えた情報を使える形で引き出すということだ。
目標が試験に合格することなら、過去問をやる。それが最高の方法である。大学受験や資格試験なら普通は過去問が手に入るし、そうでなくとも問題のスタイルや問題数、そこから見える傾向くらいはあるはずだ。(完全に新規の試験は除く)
過去問ならば、使える形でインプットもアウトプットもできる。間違いがない。
テストなどではない漠然とした目標の場合、少し考える必要があるが、多くの場合は、目標の立て方が下手である。
英語ができるようになりたい、であれば、読みたいのか聞きたいのか話したいのか書きたいのか、あるいは全部か、それぞれの観点で整理して、かつどれくらいを目指すのかを検討する。
ビジネスメールを読み書きできるようになりたい、もまだブレークダウンできる。ビジネスメールで、はいかいいえくらいのやりとりなのか、本格的な交渉なのか、質問対応なのか等で何をすべきかは変わる。
基本的には、なすべきことがわかるまでブレークダウンを続けるべきだ。ブレークダウンの途中で詰まってしまったら、それは人に相談すべきタイミングである。
適切に目標をブレークダウンできたなら、もうやることは見えている。どういう情報をインプットし、どういう形でアウトプットできるようになるべきか、十分に理解したはずだ。
上記のことを意識すれば、勉強とは何か?でつまづいている人も、どうにかなるだろう。
勉強とは覚えることであり記憶することだ。車の運転だって、一つ一つの動作と交通ルール、安全な距離感のパターンを覚えて行っているに過ぎない。
そして覚えるためには相応の努力が必要だということを忘れてはならない。
漠然としていて、かつブレークダウンもしにくい目標の前に立っている、という人がいるかもしれない。
その目標は完全に達成することが難しい(完全に達成できそうなら、もう一度目標のブレークダウンを見直すべきだ)
どれだけ覚えたところで完全にはならないという諦めと、それでも知らないと何もできないという渇望をもって進むしかない。
大事なのは、完璧は存在しないという謙虚な姿勢の一点のみだ。無知の知があれば、勉強を続けるべきという強迫観念が勝手に背中を押していくだろう。
がんばれ
マジで忘れられん
イスタンブールの朝が初海外だったっていうのもかなりデカイ気がするんだが、にしたってあれは良かったよ
港町っぽい、なんとなく風が海っぽくて潮の匂いがこころなしかするような感じ
あの辺の気候なのか、ちぎれ雲が多くて、よく晴れてるんだけど色の薄い空
道路がほんのり汚い感じ
壁に大量の落書きがしてあること
その辺に露天がいっぱいあって、謎のプレッツェルみたいなのを山積みにしていること
野犬がうろついていて怖い
そのへんの看板が全部アルファベットあるいは読めねえ文字で書かれてて、心細い
その辺で釣りしてる人の多さ
飯が安くて美味い
交通がメチャクチャで、信号が全然ないし、あってもみんなガンガン無視してる
それで渋滞が起きてて、渋滞してんだからどう考えても意味ないのに、なぜかみんなクラクションを鳴らす
うるせえんだよな ホテルで寝てても結構夜遅くまでパーパー言ってるのが聞こえてきて、この街頭おかしいだろ!なんて思うんだけども、なんかだんだんクセになってくる
そんで朝起きだして外出ると、あの独特の、言葉にしがたい朝の雰囲気、雑然とした活力の感じ、あーー……
イスタンブール行きてえな
でも英語で話したりするのは嫌だな
かつて、「キャンセルカルチャー」と呼ばれる社会運動があった。
それは、多くの人々がある人間の不正に声を挙げ、その是正を求める運動のことである。
その「キャンセルカルチャー」が進んだある時期の我が国では、首相になる人間が居ないことが大きな悩みであった。
なぜなら、首相候補となった人間が立て続けに、他人を傷つけるような過去の所業を週刊誌やらインターネットやらで明かされてしまい、
社会的地位が失われるほどに叩かれ、ことごとくスキャンダルとして立候補を取り辞めてしまったからだった。
そこではもはや、与党も野党も無所属もなかった。どの政治家が立候補しても、批判となる種は必ずみつかった。
また、人々の批判は候補者の日常生活についてもその対象だった。交通関係は特にそのターゲットとされた。
速度規制を守らない、赤信号を無視して渡るなどが、今の時代でも理解できる例であろう。
それはいくら微細と言えど、政治に関わる者が法を犯すというのは、やはり人々から批判を受ける事項だったのだ。
もちろん、違反金を払うなど法の裁きを受けたものはノーカンではある。
ただ、1キロ、2キロの速度オーバー、人が見ていないだろう歩行者信号の無視などは、候補者自身でも罪を認識していなかったりする。
しかし、防犯カメラとその記憶容量の増大、そして人々同士で高まる監視の目は多大な効果を発し、
それが仮に交通による違反でなくても、ほとんどの候補者で法令違反となる事項がみつかってしまった。
先に述べたとおり、他人を傷つけるような過去の所業への批判と合わせると、批判をかわせる政治家は誰も居なかった。
その過程では、政治家ではなく市井の人間を首相とすることも試みられた。
○○団体の会長、○○社の代表取締役など、そうそうたるメンバーが候補となったが、
首相になるどころか、元々の社会的地位まで失うはめとなり、地位の高い人ほど、そのリスクから立候補を忌避するようになった。
そして、候補の対象は一般人に至る。有象無象の様々な人間が候補となったが、
自分と同じような人間が首相になるのが気にくわないのか、その批判はますますエスカレートした。
その結末は文章にするのも憚られるほどだが、しかし、一般人が立候補可能となることで、ようやく批判の嵐を掻い潜る候補者がみつかった。
それは、「生まれてから一度も外に出たことの無い」人間だった。
しかし、その人物のスペックはわからない。首相にもなった人間なのに、その人物が何者だったかもわからないのだ。
いわく、名前も年齢も性別も人々を傷つける情報になりうるから、とのことで不開示とされたようだ。
ただ唯一、人々の批判対象とならないことを明確に示すために、その「生まれてから一度も外に出たことの無い」という情報だけが明らかにされたのだ。
そのように名も知られぬ首相による政治は、人々の批判が求めるとおり、より「正しい」ものとなった。
つまり、そんな人々の批判となる事項を市井の人間のやりとりにとどめずに、立法・司法・行政の取り扱う対象としたのだ。
いくら昔のことと言えども法による裁きを受けさせ、いくら些細なことと言えどもやはり法による裁きを受けさせることにしたのだ。
よって、多くの人々が罰金刑もしくは懲役刑の対象となった。罪を受ければその所業は許されるため、より「正しい」世界が実現したことになった。
しかし、当時の人々の反応は違った。罪を受けた人々はもう批判の対象となる事項はなくなったので、
巻き添えとするように、別な他人の批判されるべき事項をインターネット上で明らかにするのがますます流行った。
立法・司法・行政は、それらの情報もことごとく法令違反として扱う。
もはや、人々は普通に生活を営むには多大なコストを強いられた。
例えば、会社に勤務するにも、給料よりも多大な罰金を覚悟しなくてはならなくなった。誰も働きたくなくなる。
すると、人々は外に出なくなるようになる。その名も知られぬ首相と同じ状態となってしまったのだ。
そうして日本社会は穏やかに崩壊し、政治の立て直しが必要になった。
しかし、人々の批判は止まない。そんなあまりにも窮屈な社会情勢に反旗を翻した人々が居た。
実際に居たのだ。しかし、その人々がどのような行為を行ったかについては詳しく述べない。
なぜなら、たしかにその反旗はその時代に必要なものではあったものの、「正しい」行為ではなかったからだ。
それは、当時の人々の批判に晒されるべき行為、実際に晒されていた行為であるからだ。
それなのに、その批判を無理やりねじ伏せることでクーデターは成立したのだ。それは「正しい」ことではない。
だから、その内容には触れぬこととして、その名も知られぬ首相はクーデターにより姿を消した。
いや、反旗を翻す中で何らかの刑を与えられ消えたというわけではない。純粋に姿を消したのだ。
そう、驚くべきことに、クーデターを企てた誰もかも、その首相の姿を見ることはなかったのだ。
そして、政治家、大臣を含め、首相とのやりとりは通信を介してのものだと判明し、
結果として、その首相の正体を実際に見たものは誰ひとりとして居なかったことがわかったのだ。
現在も、歴史の資料集にある首相一覧でひとりだけ、写真も名前も載って居ないのはそういう理由だったのだ。
それでも、私はかつてあった「キャンセルカルチャー」と呼ばれる運動が正しかったと信じている。
そのクーデターによって、人々の批判は抑えられ、たしかに人々の生活は安定したものの、
その反動で、皆が知るとおり、現在は他人を傷つけ合うのが当たり前の世界になってしまった。
私はそんな世界に耐えられない。
その復興を願うために、いや、一度失敗した「キャンセルカルチャー」をより合理的な形で実現するために、