はてなキーワード: ミンキーモモとは
12歳の女の子が魔法で18歳に変身して色んなトラブルを解決する話
12歳の女の子がトラブルに飛び込んで18歳に変身して解決して12歳に戻って良かった良かったってのがパターン
んで次回予告は18歳の方がしゃべる
なんでだよwって思ったけど文章が何となく声優(小山茉美)のアドリブっぽかったから大人の声の方がやりやすかったんだろうと納得してた
だったんだけど
1部最終回の前の回で変身用アイテムが悪いやつに壊されてしまう
なるほど~って思った
そして伝説にもなった1部最終回ではモモが死に人間の夫婦の子供として転生する(もともとは夢の国の住人)
赤ちゃんとなって1部の終わりを迎えての2部
2部の次回予告はモモ以外がしゃべるようになる
それってつまり……
昭和はエログッズ、たとえばギャルの絵のついた抱き枕など市販製品として売るルートがなかった(アニメイトは子供向けの店、というかアニメは子供が見るもの)
同人でつくろうとしても印刷所などで対応してくれるところがなく、一般工場オーダーは高かった
その一方でロボットおもちゃは売れに売れた、親御さんもクリスマスに買うものといえば電子ゲームはまだないので
男児用おもちゃといえばロボット、女児用おもちゃといえばドールハウス・おままごと系かコンパクト(化粧品ではなく変身グッズ)だった
ゆえに大人な製作者はエロが好きかつロボットが好きな男児にこっそり画面にエロをしのびこませてとどけていたのだ
地上波テレビ(放送衛星などまだとんでないのでテレビは全部地上波だが)で人気といえば
・ニュース
・時代劇
・料理番組(西洋から輸入なのでやけに高カロリーで体に悪そうなやつ)
であったよ
お笑いは少なくドリフターズ(志村けんも死んだけど)のお笑いも下品なのでたびたびPTAにおこられてた
地上波の夜8時から男性がベビードールといわれる薄いキャミソールとストッキング着て女装してストリップ演じてあっはんうっふんしていたり今みるとかわいいもの…でもないか
こんな感じやろ。
「魔法使いサリー」「ひみつのアッコちゃん」から始まる古典的なシリーズ。
「変身」に限らずさまざまな魔法を使えることが多い。
ヒロインは「大人に変身する」ことが多く、特にアイドル要素が強い。
追記。
「魔法少女ちゅうかなぱいぱい!」「美少女仮面ポワトリン」「有言実行三姉妹シュシュトリアン」などの実写特撮ドラマシリーズ。
戦闘要素もあり、特にポワトリンはセーラームーンに影響を与えたと言われる。
シリーズとしては、同じ東映の「スケバン刑事」のヒットを受けて制作されたものである。
「魔法少女」と「変身ヒロイン」の2つの流れが合流し、魔法少女にがっつり「戦闘」を絡ませた作風を確立。
フォロワーに「ウェディングピーチ」「りりかSOS」「カードキャプターさくら」など。少女漫画原作が多い。
ほのぼのコメディの「赤ずきんチャチャ」までアニメ版では変身して戦う羽目に。
「男性オタク向け魔法少女パロディ」の始祖的な作品で、いわば「リリカルなのは」の大先輩。
さらにパロディ要素が強い「邪道魔法少女」として「ナースウィッチ小麦ちゃん」「大魔法峠」「ぷにぷにぽえみぃ」などがある。
シリーズとしてはそこそこ続いたが他への影響は薄い。
「暗黒魔法少女」的な作品としてまどマギの直接的な先祖と言える。
セーラームーンよりも肉弾的な戦闘が特徴。現在まで続く長期シリーズに。
ラノベ作家・西尾維新が描く、魔法少女の設定を下敷きにした「暗黒魔法少女」的なバトルもの。
ラノベ全体でも、「撲殺天使ドクロちゃん」「おと×まほ」など、2000年代にシリアス/コメディ問わず魔法少女パロディが増加している。
エロゲ作品のスピンオフ。魔法をビーム砲のように撃ち合う描写が特徴。
オタクのあいだで人気を得て、続編が多く作られ、二次創作人気でも一時代を築いた。
能とかが顕著
洗練され過ぎた伝統芸能は、普通の人はよくわからないし、気軽に能見に行く人は現在は少ない
歌舞伎なんかはもうちょっと大衆に浸透しているけど、それでもやっぱり格式が高くて難しいイメージがある
文学もそう
大衆小説やラノベなら読めても、ガルシアマルケス読むのは苦痛だった
現代アートなんかもそう
部屋中にスプーンが散乱してる様を見せられても頭抱えるし、ホールをマラソンランナーが走り抜ける、とかを展示と言われても反応すらできない
これらの現象が生じる理由は、芸術表現の技術の継承や習得の過程で、それなりの作法や慣習、お約束事を学ぶ必要がまずあるからだ
その結果、技術的歴史的背景への理解が深まり、一般人の知り得ない見え方感じ方の習得も行われている
そして、芸術作品というのは過去にあった作品の発展形や、過去の芸術家に対する解釈をさらに新たな作品として世に出すこともある
そのため、目の前のものだけでは理解に必要な材料が揃っておらず、理解には前提となる膨大な知識を要求するようになっているのだ
で
ポップアート、いわゆる美少女イラストなんかも当然そうなっている
親しみやすく感じ取りやすいがため、一般人もポップアートを理解できている気がしているから、批判も起きやすい
が、本当は能がわからないのと同様、ポップアートも全然わかっていない
歴史的には春画から始まり、戦前はノラクロ三等兵、そしてひみつのあっこちゃんにキューティーハニー、そしてミンキーモモやあんみつ姫を経て、スレイヤーズなどの時代から萌え絵という概念が誕生する
そしてスレーヤーズ的な絵柄から、ハルヒ的な絵柄へと変遷があり、さらに今はラブライブ的な絵柄がイラストやアニメに携わるイラストレーター、アニメーターたちの、”お作法”となっている
これはまさに時代の中の芸術の変遷であり、我々がラブライブ風イラストを街で普通に見るのは、いわゆる同時代性と呼ぶべきものであろう
イラストレーターの技術の継承や絵柄の流行り廃りがあるからこそ、岸田メルやさいとうなおきなどのような、現代の優れたイラストレーターがこの時代に優れたイラストを描ける
しかし、それらを「不快な萌え絵」と呼び嫌悪する方が存在する、というのはつまり、他の芸術と同様、ポップアートに対する背景を共有できない者が存在する、ということだろう
イラストに関連する現代の文化そのものが、洗練されすぎ、先鋭化していっているがために、イラスト文化アニメ文化を共有できない者の理解が追い付かなくなっているのだ
この現象を軽く考え、反萌え絵派をただ批判するというのは、「ガルシアマルケスすらわからないやつがラノベ面白い、とか言ってて笑う」とか「高師直も塩冶判官も知らないやつが忠臣蔵のドラマ見てて笑う」みたいな態度と言えるだろう
歴史的文化的背景の継承者のみしか理解できない芸術は必ず尻すぼみになる
絵や文字は、わかっていると勘違いしやすいものであるため、この認識を持ちづらいのも問題であろう
「一般の場に出す実用作品に、背景を要求するものは相応しくない」というのも、萌え絵に関する議論で考えるべきひとつの側面だろう
子供向けアニメと特撮を、四十路ババアになっても息子と一緒に今日も全力で鑑賞しています。ひとつぶで二度おいしい人生ってすばらしい。
息子は男女の違いを理解し、ピンクを嫌がる年頃になりまして、見るのはもっぱら男児向けなんですが、友人の娘にあわせプリキュアとか見る機会があり。
あー女児向けの魔法少女かーなつかしいなー自分も子供のころミンキーモモやマジカルエミとかみたっけなぁーとか呟きながら鑑賞して、その趣の違いに驚いたので。
まずプリキュアの「変身」について。
いやこれ、「変身」じゃなくて「変装」じゃないの? コスプレだよね?
バイキンマンの方がまだ中身を隠す努力しているんじゃないかというガバガバっぷり。いや、大人の汚い心がそう見せているのだろうと必死に自分を納得させて、なるたけ幼女の気持ちを思い出しながら見続けて、違和感を感じました。
その違和感を以下モモと比較しながらつらつら書きたいと思います。
(すみません、モモを知らない世代の方の方が多いでしょうが、80年代に制作された魔法少女アニメです。魔法の国のプリンセスであるモモは、魔法の国を救う為の使命を帯び人間界に降り立ち、プロフェッショナルな大人に変身する魔法を使って夢を忘れた人間に再び夢を見る事を思い出させる仕事にあけくれる物語です)
大人の目線からみたら十二分に子供ですが、低学年の目線では「大人」です。
え? って思われるかもしれませんが、胸もふくらみ手足も長くなり幼女とは明らかに違う生き物になっている少女達は、「小さい大人」なんです。
「だからなに?」と思われるでしょうか。
大人のお姉さん達が、素敵な可愛い洋服を身に纏い、悪いやつらをやっつけてくれる。そりゃあもちろん応援します。でも それは大人の世界の話で、自分たちの世界の話ではないのです。プリキュアたちが学校でするような当意即妙な会話など、身の回りには存在しませんし。
それと共に「悪いやつらを腕力でやっつける」という展開。
むしろ、その爽快感を捨ててしまったらストーリーはひどく退屈なものになるでしょうし、男児向けはそれでいいと思っています。
男の子たちは「自分も努力をすれば仮面ライダーやウルトラマンになれる」と考え問題を腕力で解決しようとするからです。腕力は努力すれば手に入ると思うことができる力です。(実際、うちの息子は毎日修行に励んで、いつかウルトラマンになるのだと宣言しています。男児向けストーリーでも修行や努力を推奨するものが多い。)
これは努力でなんとかなるものではありません。選ばれし勇者だからという、自分の努力や才能とは一切関係のないものです。たなぼたです。
モモが変身するのは「プロフェッショナルな技術と知識をつけた大人」です。
いつか、(そのために努力すれば)手に入れることができるもの。
「魔法で変身する」
ミンキーモモで一番好きだったのが、変身のシーンです。
子供から大人へ。今の自分とは全く違う、でもいつかきっとなれるモノへ変身する。
胸をどきどきさせながら、大人になったモモががんばる姿を応援していた自分。
そこには、自分の、いつか私がとびこんでいく未来の世界の物語がありました。
プリキュアには、素敵な、子供を励まし力づける物語や示唆がたくさんちりばめられています。 歴代監督が商業的にどれだけ魅力でも「大きいお友達」向けにならない様に努力されている事も。
なぜなら、成長した自分は、もう子供の頃に見た物語の細部や台詞は残念ながら覚えていなかったからです。
けれど、子供の頃に見たモモという物語の核になるメッセージは忘れてませんでした。
この点が、自分の(※イタコ中)物語ではないと感じた理由です。
浅い理解と罵られそうですが、幼女は浅い理解で生きる生き物ですのでご容赦を。
モモをつくった大人たちは、現実の世界で悪戦苦闘しながら、それでも、大人になることへの希望を届けようとしてくれたのではないでしょうか。
製作者のフェチ または 女児向けコミックなどに多く見られる kawaii (目が大きい、きらきら、幼い)を盛り込んだデフォルメ調の人物画あるいは亜人画。
kawaii のみであれば近年歓迎される風潮にあるが、フェチを盛り込んだ (胸やボディラインの強調) 人物画は、高まるコンプライアンス意識により、しばし炎上の元となっている。
また、フェチを盛り込んだ萌え絵に対する嫌悪感から、フェチ要素のない純粋な kawaii 萌え絵が謂れのない非難の対象となることがしばしある。
だが、萌え絵を厳しい立場に置いている要因は、フェチ要素がなく kawaii のみで構成された人物画あるいは亜人画を用いてポルノコミックス・イラストが量産され、
未成年者やポルノを望まない人間にも容易にインターネットで目に入ることにある。
(量産されるポルノコミックス・イラストは男女の垣根は無く、Twitter や Google の画像検索でキャラクター名や作品名その他一般的なワードで表示される)
現状、"萌え絵" と "hentai (https://en.wikipedia.org/wiki/Hentai) " を完全に切り離すことは不可能な状況下にあり、
判断能力の無い年齢 (小学校低学年以下) の子どもに与える際に親が大人が慎重になるのは当然と言える。
2019-11-02
萌え界隈はゴミクズしかいないし所得や文化レベルの分断化は進んでる
加えて萌え界隈の基地外&低脳&非オタク率(オタク文化に対する知識の無さ)は異常
ワイがガキンチョの頃から、つーかそれより更に昔から萌え絵の本はあったぞ
ただし、ライトノベルみたいな児童文学な?古くからは スターライトキッズ (1990) とか
ミンキーモモ で 有名な渡辺ひろし・渡辺けいこ がそういうタッチでイラスト描いてる
それに文句を言うものは誰もいなかった
何故かって?住み分けですよ
マンガ っぽいものを求めて自己選択出来る年齢の児童に対しての作品だから
未就学児にファーストフードばっか食わす親みたいに、
「これが売れるので商売としてやってます」なら需要と供給があっている話で終わるけど
萌え界隈に群がるのは個人情報をばら撒いたり執拗な個人攻撃を繰り返したりする基地外ばかりの世界と認識ある上で
2000年代お固めな企業 (銀行やMSなどなど)が萌えキャラ採用して
知らねーよ。勝手に認定すんな。文句あるならそのアカウントに直接反論すりゃいいのに匿名でコソコソしてんなよ。
そして来ると思ったこのクソ無知な発言。確かにゆめかわを言い出したのは原宿系モデルの人だが、反応したものは男のロリコン的感性によるものなんだぞ。その大元となったのは魔法少女アニメで、しかも決定的に影響を与えているのがクリィミーマミやミンキーモモって、もう答え出てるんだよ。しかも元祖魔法少女モノのサリーちやん、元祖変身少女モノのアッコちゃん、どっちも原作者は男。
建前では女の子向けとして売られているアニメが暗に成人男性もターゲットにしてるって、いまさら言うまでもない事実だけど。子供向けに括られているからマジでそう捉えるとか今どき純粋すぎるぞ。特撮ヒーローでも敵役の女がやけにエロいってことあるし(実際セクシー女優が出たことなかったか)。特に美少女が主役のアニメはロリコンの感性がガンガンに入り込んでる。たとえばゆめかわに影響を与えたものにセラムン(特にアニメ)があるけど、これも世界観を作ってたのは男のクリエイターたちだし(原作者も自分の作品の同人誌買ってたりロリ漫画誌読んでたロリコン女)、セラムン放送前までやってたポワトリン等の女児向け特撮もアイドルに主役やらせて、ドルヲタからの支持を言わないだけで意識してた(ポワトリン=フランス語で胸)。
マドンナやシンディ・ローパー?あれは「男が女に要求してきた女性性をあえて自分から過剰に纏うことで主体性を演じて見せる」というやつでオリジンは男なんだよ。あれも安売りしないタカビーな売春婦みたいなもんだろ。今となってはブラックフェイスの類でやっちゃいけない方のフェミニズムだから。
(といっても今の海外女性アーティストってマドンナ的手法を悪化させたような主体的セクシーみたいなのが跋扈しててヤバいことになってるが。ガガ様のグロ推しとか)
「女が作った言葉や文化」なんてゆめかわ、ファンシー、フェアリーには存在しないよ。きゃりーぱみゅぱみゅの曲を作っているのもビジュアルを作っているのも男だ。
だからといって女が作ったり好きと言ったりしたからといってそれが「女のもの」というアリバイには全くならないんだよ。そういうのを表現するのにふさわしい言葉が「名誉男性」なんだけど。
『スターライト・キッズ』著:蜂屋誠一、イラスト:渡辺ひろし・渡辺けいこ (1990年)という
トラウマ抱えた桃太郎のお話(小学生上級向けと記載されている児童小説)がマジであってだな
御伽噺の主人公たちが出てくるけど実は滅んでしまった星の生き残り。鬼もそうで故郷に帰りたいよシクシクってやってる
あの時代によくあったなんかみんな死ぬ系でなんやかんやみんな死ぬんだけど
(児童小説なのに著作者がリアル10代からハタチそこそこの頃の作品だったらしく容赦がない)
あの時代によくあった(というか今も?)、
『いろいろあった僕だけど(美少女)彼女と出会えて僕は幸せです』で終わる