はてなキーワード: ごろごろとは
すごくどうでもいい横だが、PTAなんてどんどん人入れ替わるんだからそんな漫画みたいな絶対権力者が出現するわけないだろ……
まともな大人同士が、それなりの年月をかけて、合意の下に運営しているシステムだから、そこに必要性・必然性があるのだろうと推定されるということだ。
本当に合意はしたのか?その場で権力のある人(たとえば本家の一番の年長者)の思いつきにみんなが従っているだけという可能性はないか?
親戚にかぎらず、PTAとか田舎の寄り合いとか、風通しの悪い組織にはそういうプロセスがごろごろ転がっているぞ
いいや、説明責任は常に運営責任を負っている人間にある。この場合の運営の最小単位は親戚ごとの各家、その責任者は普通は関係親族の長の父親だな。(母方の親戚づきあいであればこれは母親になる)
そして元増田は会社で言えば新入社員とか異動したての人間に相当する。そのような人間に旧組織の運営の説明責任があるとはとても思えない
更に言えば、書き込みを見る限り、書き手の増田は、そのような親戚間の合意形成に関与しておらず事情を把握していないらしいことは容易に想定され
そう、合意形成に関与していないのであれば疑問や不満が出るのは当然だし、事情は把握できない。
であれば運営責任者である父親が説明するべきだが、俺らが語りかけることができるのは元増田だけだってのが歯がゆいよな
ここまで説明して分かる通り、元増田に合意形成のプロセスが施行されておらず運営に関する権限も全く委譲されていないことから、責任なんてほとんどない。
正攻法でいえばここで父親に「今年の目標とか言うの辛いしトランプもつまらないから自分の好きに過ごさせてほしい」と交渉するところだけど
自分は人工肛門をつけていないので障害者手当のようなものはないけれど、特定疾患による医療費控除の恩恵を受けている。そして、元増田と同様、何十万もの税金が自分の治療に使われている。日本という国に生かされているなと感じる。
今の僕の治療は、2週間に1回の皮下注射と毎日の免疫抑制剤。それも自分には効きが弱いので多めにもらうのだけど、そうすると当然外界の雑菌に弱くなる。30分も人混みにいれば風邪をひいて高熱が出る。だから常に抗生物質を3種類くらい飲んでる。あとは胃腸の炎症を抑える薬とか。熱も出るのでロキソニンも常用。あと、元増田も言っている、"味の素が作ってるクソまずい液体"も飲んでいる。昔よりは味もマシになったと思うけれど飲まないで済むなら飲みたくはない。全部で10個くらいの薬をほぼ毎食後飲む。以前は毎週1回、血中の白血球除去も行っていて多少の緩和に役立っていたが、医療保険では一時的な利用に限られている。
これだけの最先端治療を受けていても次第に悪化する。最初は微熱から。だんだん食欲がなくなってきて、腹痛が頻繁になって、下痢をして。歩くのがつらくなって、座るのもつらくなって、じきに寝たきりになる。最後には寝ていることもつらくなる。
動けなくなるほど悪化したときにはその度に入院する。とはいえ、何か特別なことをしてくれるわけじゃない。ただ1ヶ月くらい何も食べないでごろごろする。栄養は血管から入れる。
人によっては、ここまでして難病患者に税金を使う必要があるのかと非難するだろう。僕もたまに思うことがある。生かされるだけの価値が自分にあることに自信がない。だったら特定疾患資格の辞退をすることもできる。それも簡単に。毎年の更新月に更新書類を提出しないというだけで受給者資格はなくなる。だけど、毎年面倒な書類を集めをしてまで資格を更新するんだ。
すまなく思う理由は、税金の問題だけじゃない。いつまで治療しても自分が緩解しないこと。
大量にさまざまな薬を試してきたけど、実を言えばどれも大して効きやしない。レミケードもヒュミラも、効いたのは最初だけだし、エレンタールもGCAPも対症療法だ。去年は治験で開発中の治療薬も試したけれど効果は芳しくなかった。ステロイドだけは効く。でも継続的には利用できない。
もういい加減にしたいと思う。建前としては患者数の少ない難病のデータを集めて研究に利用するということになっている。けれど、効く治療ならまだしも、大して効きやしない薬や治療に毎月何十万も税金を使っていいわけがない。まあ、だからといって自分から死ぬこともできない。大して生きているのが楽しいわけでもないのに。最近はほとんど人にも会わない。毎日を司馬遼太郎なんか読んでごまかしている。情けないね。
高齢者の医療費に多くの税金が割かれている事実に憤激する人もいる。理解できる。高齢化社会なんだし、働いている若者の金を使って老人を活かす価値がどこにあるんだ、ってことでしょう。その論法の先には、言うか言わざるかはともかく、医療に頼る老人は死ね、ってことでしょう。理解できる。筋は通っているし、強く批判する気もない。ところで老人を諦めた次に切り捨てる人間ももう決まっているのかしら。
健康で若い人たちは今の人類の医療をどこか信頼しきっている節がある。身体によくないことは分かっているにも関わらず暴飲暴食をする。悪くなったら毎年の健康診断で分かっちゃうからそれからでも遅くない? でも、残念ながら医療は万能じゃない。いざ病気になっても治療法が無いものもたくさんあるんだ。僕が通う大学病院はそういう治らない病気を抱えた人で毎日ごった返している。病気になったら負けだな、と最近思う。病気にならないことを意識してみんな日々を送って欲しい。
・天気いいしそろそろ○○(花)の季節だから、セブンでコーヒーかって公園行って芝生でごろごろすっかな
・本屋行って本買ってミスドのおかわり自由カフェオレがぶがぶ飲みながら本読もうかな
・○○(すし、お好み焼き、パンケーキ、ラーメンなど)が食べたい今どうしても
・ビールが飲みたい今どうしても、ついでにおいしい豆腐も食いたい、ちょっと遠出して豆腐屋行くかな、
あっあと肉厚のしいたけに酒少し落として焼いて食いたい、ああああとベーコンだおいしい奴、からの買い物行脚
ていうか医者に言われてるなら「外に出ること」それ自体を目標にしたらいいんじゃねえの
1kmとりあえず歩くとかさ。行き先は公園でも図書館でもどこでもいいけど。
歩くコースだけ決めるならキョリ測おすすめ。http://www.mapion.co.jp/route/
でも欝ぎみだと寄り道する気も起きないのはわかるわ
猫が好きなんだけど実際家に迎えることを考えるとさまざまな問題が生じてくる。
まず入手手段。ペットショップは明らかに非人道的な施設である。狭いし見世物小屋だしそれに狭い。ここで買えば商売へと加担することになる。
保健所ならどうか。救われるべき命を選別する資格が果たして自分にあるのか?
ダンボールの中に捨てられていれば猫と私とでwin-winだけどあまり捨てられていない。拾う奴がいるから捨てるんだという議論もあるだろう。
次に飼育環境について。外飼いは危険がいっぱいなので家内で飼うのが猫の心身のためである。じゃあ猫の自由意志はどうなんだということになる。猫は毎朝日がさすと、ソファーの背もたれに飛び乗ってベランダをじっと見つめている。
避妊手術の問題もある。猫が、仕掛け絵本から聞こえる子猫の鳴き声を実際の子猫と誤認して絵本を保護するという動画があって、視聴者は皆メロメロになっていたわけだが、切ない動画でもある。姉は手術後の姿を見て心を痛めたそうだが、こうすればいつまでも子猫の気分でいられると説明を受けていたので手術を受けさせたらしい。恐ろしい話でもある。
彼女はもう7歳になるが、たまに部屋から抜け出るベランダより外の世界を知らないわけである。サボるとすぐにゲロを吐くのでブラッシングが欠かせない。姪がどたばた走ってくると、迷惑そうに距離をとって耳をヒクヒクさせている。たまに留守中の世話を頼まれると、ドアを開けたとたんに鳴きながら足に体をすりつけてきて、足元でごろごろと転がる。ソファーに座っていると、膝の上に乗ってきて鼻を顔にグイグイ押し付けてくるのだが、10分もすると飽きて寝床へ行ってしまう。
こうやって姉の飼ってる猫をたまに愛でる分には倫理的な問題をアウトソーシングできる。死に際も看取らなくて済むだろう。
結局猫を飼うよりは、飼い主と仲良くなった方がお得である。
多分、田舎の生活費の低さを知らないんだろうね。給料の低さも。
東京の友人が「自分は月収30万くらいで低収入」とか言ってたけど、そういう感覚で言ってるでしょ。
女性は月30万ぽっちくらいしか給料貰えないだろうし独身じゃ食っていけないよね!的な。
田舎(県庁所在地じゃなくてもっと田舎な)は男性でもその半分しか貰えてない奴もごろごろしてんだよ。
それでも暮らせるレベルの生活しかしてないの。東京みたいに馬鹿高い家賃の家しかなかったり、良い服着ないと恥ずかしいとかないから。
んでそのレベルになると男女差なんて最早無いんだよ。下は最低賃金以下にはならないんだから。
仮に女性が月13万くらいで、男性が月15万くらいだったとして、男性は高収入!女性は結婚して男性に食わせて貰わないと生きられないよね!とか思わないだろ。
日本で嫌独感情が強まっているそうな。中央日報はそう報じていたし、ドイツ関係記事のはてなブックマークコメントを見ても厳しい意見が目立つようになっているのは確かだ。
中央日報はこれはメルケルが日韓問題に介入したことから来る、右傾化の現れと言っていたがそう言う面がまったくないとは言えないとしても、それだけじゃないと思う。
それ以前から次第にドイツ人へのあたりは厳しくなっていっていたからだ。
これはインターネットを通して多くのドイツ人に普通の日本人が接する機会が増えたからじゃないかと思う。ドイツ人の「嫌な奴」率の高さは異常だからだ。
1.ドイツ文学者やドイツ語学者などのドイツ学プロパーの人たち。
のおおむね二種類だったが、日本でのドイツのイメージは主に第一クラスタから発信されていた。
こういうプロパーの人たちは、おおむねその国への関心が自分たちの飯のタネに直結するため、実像よりも美化して、好意的に解釈してその国を捉えがちだ。明らかにマイナス要因になるようなこと、たとえばアメリカでの警察官による黒人殺害などでも、「理想へ向けて苦難の道を模索するアメリカ」みたいに、好意的に解釈して描こうとする。
悪意だけで解釈するのが間違っているように、善意だけで解釈するのも実はその実像は歪められている。
こういうプロパーの人たちがいつもいつも対象を好意的に解釈しているわけではなくて、要は周囲の関心が高まるのが目的であるから、実態以上に悪意をもって描かれる場合もある。ロシアなんかはその好例で、実際には何とかして没落せぬよう踏みとどまっている人口1億4000万程度の国に過ぎないのに、冷戦時代の遺物のソ連研究クラスタたちの人たちの声が大きいせいでアメリカ外交政策を歪めている(代表例はブレジンスキー。あの男ほどアメリカにとって害悪を成した人はいない)。
とにかくプロパー研究者が描き出す姿には注意をしなければならないという話である。
日本でのドイツのイメージはプロパーのせいで異常に美化されていたが、実際にドイツ人と関わる一般人、第2クラスタの間では以前からドイツ人の評判は最悪だった。
私の友人は海外視察をコーディネートする、逆に日本に海外からの視察をコーディネートする仕事をしているが、ドイツ人が問題を起こす比率の高さは図抜けているという。こういう話はごろごろあって、それぞれに癖はあっても、アメリカ人やフランス人、中国人、ベトナム人などを友好的に受け入れている組織団体でも、ドイツ人だけは勘弁してという処が多い。
こういう場所でのドイツ人の評判が悪いのは、彼らの性格が単に悪いからだ。それも、そういう人もいる、レベルではなくてそういう人ばかりというレベルでだ。自己中心的なことで知られるフランス人でさえ、ここまで評判は悪くない。
フランス人の自己中心性はあくまで利益レベルでの話であり、そもそも視察に来ているのであれば何かを学ぶのが自分の利益である。
イギリス人は皮肉屋ではあるが、こういうことでは我を張らないし、皮肉は自分自身に向けても行われている。
ドイツ人の自己中心性は、現象を尽く悪意で解釈する、他人を貶めて自分を持ち上げようとする思考態度に由来している。解釈はネガティヴにもポジティヴにもできるのだが、事後の報告書などではほとんど捏造レベルのことも書かれていて、それを発見できた俺は偉い、ドイツは世界一、というような態度が顕著に見られる。
第2クラスタの人たちからすれば、今まで日本にあったドイツへの好感などは幻想そのものだったのだが、ネットで次第次第にこういう実情が知られてきた結果の嫌独感情なのではないか。中央日報も、ドイツで韓国と言えばことごとく悪意を持って解釈されている事実を見れば、考えを改めるのではないだろうか。
パートナーに朝起こされながらも半分無視して眠っていたら出社時間を見事に遅刻した。
代わりに、悪夢とは言えないけれども緊張感がずっと続く、
映画のような夢をはっきり思い出せるほど見ていたので良いかと思う。
ゾンビが出てくる夢でした。
正確には、ゾンビに半分浸潤された世界のゾンビと人の境界域で人がいなくなった家を家探ししては生計を立ててる一団の子供……という立場。
ハンドルを握っているのはもちろん自分ではないし、義理の父母は全く知らない顔という心ぼそさを抱えながら、必死に生きてました。
夢の中で家探しをする間、夜眼に動く人影がないか見張るのが自分の役目で、見つけた後は逃げる自動車の後部座席から後ろの状況を実況するという。
ゾンビの活動期に繁閑期があって、ちょうど繁忙期にあたってゾンビのトレイン行為を引き起こしながら難民キャンプを突き抜けるのが夢のハイライトでした。
礫死体が去り行く風景に明らかにごろごろしていて、それとそれを跨ぎながら走り寄ってくるゾンビの群れを見ながら、よく分からない奇声で自分は泣き叫んでいた。
走りきった後、釣りをするあたりで誰かが戯けて、それを見ながら乾いた声で笑いながら夢は終わった。
今思い返してもうまく消化できない。
もうすぐ家族も出来る中で、映画の主役に夢の中でもなれないことに、今思い返せばとても凹む。
朝置いてかれたのは、夜実際に叫んで煩かったからなのだろうか。
実際に起こされたのかもしれないが記憶にない。
起床した後、ここ十年くらい続いている、右耳に心因性の低い音がいつものように反響していて、誰かさんの唸り声に聞こえなくもなかった。
東大とか京大とかそれなりのところに行ってると、それこそ明らかに凄い奴がいるんだ。
どうしたって追い付けねー、って人たちが。
そこまで無いにしても俺より5年先、10年先いってるって人たちもごろごろいる。
ちなみにその明らかに凄い奴も、自分はたいしたことないって言う。
上の世界に行くと、凄い奴の中でも超絶凄い奴が見えてくるらしい。一般人には区別がつかんけど。
まともな奴なら上には上がいるってことが見えてるからそんな強いエリート意識は持たない。
エリート意識持ってるとしたら、それより上が見えてないってことだから、たいていはそのレベル止まりだ。
これって勉強だけでなくスポーツとか職人とかオタクの世界でも同じだとおもう。
おんなじ提督でも司令部Lv.100なんてどうやったら到達できるのか、俺的には神レベルなんだが、
実際 司令部Lv.100の提督に聞いたら「俺なんか全然たいしたことない」って7割くらいが言うんじゃないかな。
司令部Lv.60の俺でも始めたばかりの新人提督にはすげえって思われてるかもだけど、特に自慢する気にはならない。
Lv.60なりの矜恃はあるけどさ。
野球も「甲子園出場経験」とかでフィルタリングするのが慣例だし。それ崩すには地方大会で余程の成績を上げないといけない。