はてなキーワード: がっかりとは
リアルでもまあ好きではないんだけど、日常において関わる機会がないからそこまでの嫌悪感を抱いていないというか。
ハイローとかリベンジャーズとかそういう作品が好きな友人に連れられて見にいく、あるいは読む→合わなくて無感情になる。を何度も繰り返している。合わないのわかってんだから見に行くなよって思うと思うんだけど、友人からあらすじとかキャラクターの説明受けてる時は面白そうだなと思うんだなこれが。友人が話が上手いせいもあると思うんだけど、めっちゃ面白そう!これなら見れるかも!くらいの感情に毎回なっている。でも毎回ダメでその分自分にがっかりする。
ヤンキーキャラに感情移入ができないというか、山場のポイントでそこを山場だと感じられないのだ。よくある「お前ら、行くぞ!」ってトップが声かけたらみんな一斉に走り出して戦い出すみたいなシーンとか、ヤンキーだけど好きな女の子には優しいし命がけで守りますとか、そういう燃えるシーンで冷めてしまう。冷める理由は自分でもわからないし上手く言語化できないんだけどそこでテンションが全く上がらないので、話の本筋が面白くてもぼやけた印象というか本来話が盛り上がる場所で勝手に盛り下がってしまうのだ。
今日から俺はみたいなマイルドなヤンキーものもダメだったからもうシンプルに創作上のヤンキーって存在が苦手なんだと思うんだけど、張り切ってヤクザや殺し屋や殺人鬼まで行くと苦手指数が一気にゼロになるんだよな。普通に見られるようになる。現実で自分がヤンキーに迷惑かけられたりしたような経験もないので、この苦手感情がどこから湧いて何で苦手なのかがイマイチよくわからない。ちょっと前にTwitterで見た「創作上だと殺人より万引きの方が不快度数や悪いことやってる感が高い」って呟きが自分の感覚に近いというか原因なのかなと思ったがそれくらいだ。別に困ってないから克服したいとまではいかないのだけど、原因と基準が分からなくて月に一回くらい考えている。
悩んでることは一緒なんだけど「こんな賢いのにそんなことにまだ結論つけられないの?」と思ってその人のことが少し嫌いになってしまった
そんな年にもなって結論が付けられないのもなんだかな
子宮とって膣塞いで胸なくしたい。排尿関係で女性器の一部は残すことになりそうなのと、卵巣はホルモンの都合で残すけど、卵子は全部どっかに捨てるか寄付するかして構わない。乳頭もなくていいな。
男になりたいわけではないから顔や声はそのままでいいし、異性愛者だから戸籍もそのままでいい。
服着てれば気付かれないような変化なのが大事。
今、ボディポジティブっていう「自分のありのままの身体を愛す」って価値観が広まってきてるんだけど、それ自体は素晴らしいと思うのよ。
自分も別に今の体が嫌いだから変えたいんじゃなくて、もう十分役に立った後で、機能的に不便で、飽きたからアップグレードしたい。
例えばiPhone3Gは素晴らしいプロダクトだけど、そろそろiPhoneSE2使いたいよねって感覚。
単純に自分から女体の価値を引いた後に見えるものにも興味があるかな。
分泌物で汚れないとか、Tシャツ一枚で外出られて日々楽なら、形が変わらないことよりそっちの方がQOL上がるはずだし。(合併症や後遺症で人生変わる可能性もあるけど)
保険使う使わないによらず、気合入れて長いこと医者に嘘をつかないと、少なくとも国内で安全には実現しないらしい。
つまらない世の中だな…と思って、書いた。
俺と妻は性欲強めの好き物夫婦だった。毎晩子供達が寝た後に、様々なプレイを試した。だがそれもマンネリ化していた。
ある日、長女4歳が風呂場で俺の性器に興味を示し、いじってきた。楽しげなその様は妻にそっくりで、素質を感じた俺は深く考えもせず、娘にフェラと手淫を教え込んだ。幼い娘にやらせることに背徳感があり、それがますます欲情を募らせた。
不器用ながら一生懸命やる長女は可愛らしく、妻に教えると妻も止めずに興味深く見て、教えていた。褒めると娘は喜んでくれた。
「この子には素質がある。だけどこのことが外にばれたらまずい。教えるのはこの子だけにしよう」と妻と二人で決めた。
それからしょっちゅう、娘と妻と「秘密の遊び」をするようになった。性行為は9歳のころから始まった。妻は2階寝室に長女を連れて行き、他の子供たちが2階に来ないように見張ってくれた。ときには自分もセックスに参加して、手で勃起させた俺の陰茎をそのまま長女の陰部に導くこともあれば、娘と2人でフェラすることもあった。
娘はかわいらしい笑顔だった。楽しい親子の行事で、興奮するアブノーマルなプレイだった。
それ以外は普通の親だった。プリキュアやアンパンマンごっこをしたり、わがままに手を焼いたり、学校行事に参加したり、他の子供達とも分け隔てなく育てた。娘も俺たちを慕っていた。
思春期ならともかく幼い頃からこれが普通と吹き込めば傷つかない。セックスに抵抗感がなくなるだけ。今時それが普通。何の悪影響もない。そう確信していた
中学になって生理が来ると、妊娠させてはいけないからと性行為をやめた。長女を困らせたり負担をかけることはしたくないから。それにいつかは辞めなければいけないことだと覚悟していた。長女はがっかりしていた。
今、俺は何千、何万もの人から怒り、憎しみ、悍ましいものを見るような目をぶつけられている。鬼畜親父、娘が可哀想、と。
娘は性交を楽しんでいたんだ。俺は娘を喜ばせるためなら何でもしてきた。娘がいじめられている時は真剣にアドバイスし、いじめた同級生の元に向かった。
娘は笑顔で慕ってくれていた。俺を、妻を、家族を。娘は幸せだったはずだ。
なのに、どうしてこうなるんだ。不思議で仕方ない。
娘には言われた。自分の家庭が異常だとわかってずっと悩み苦しみ、自分は汚いんだと自責した、と。死にたかった、自殺を試みた、と。
思えば高校生になった娘は暗い顔をするようになっていた。クラスや部活のトラブルかな?と気にかけた。「何かあれば相談するんだぞ。父さんはお前の味方だからな」と声を掛けつつ、思春期になれば色々あるもんな…と思っていた。
申し訳なく思いつつ、今でも納得いかない部分がある。だって、娘は幸せだったんだ!あの時の娘の笑顔、自分達の親としての頑張りや思い出まで否定したくはない。自分が異常だと思わなければ、吹き込まれなければ、今でも幸せだったんじゃないか…と思っている。
長女以外の子供達からは今でも俺たちを慕う手紙が届く。姉を恨む子供達に、恨まないでやってくれ、と返事を書いた。
そもそもスペックが違うハードに移植されるのが刷新であるならば、先に遊べるのはアドバンテージとしては弱い。
追加要素がゲーム本編に関係するないようであれば、先に遊べるというアドバンテージは無くなる。
私はうなぎが大好きだ。
数年に一回程度のレベルだ。
おおよその察しはつくのだが、
ただ漠然と「もしかしたらそこそこ食べられるものかも」と期待してしまった。
なかなか訪問する機会が無かったのだが、土用の丑の日を外した昨日、
意を決して行ってみることとした。
世間一般では、1.なか卯、2.すきや、3.吉野家、という評価のようだった。
そこで、家の近くには無く、会社から歩いて行ける〇○○に行ってみることにした。
肝吸い付きのうな丼(¥1,800)を発券したつもりが、実は肝焼き付きで、
配膳された時に肝吸いが無い事を告げたら、元々肝吸いなんてないことが判明し
(これは自分が悪いのだが、肝吸い付きに見えるような表示も如何なものかと思う。)
ただ、丼からはみ出している「一匹分のうなぎ」が、美味しそうには見える。
温い。(ぬるいだよ、あたたかいとは読まないでよ。)
煮魚のようにべしゃっとしていて、厚い皮はブニャブニャしている。
たれの味が甘口で、濃くて、これがまたよろしくない味だ。
温い。
飯がまた温いと来てる。
これ、うなぎが不味いのを置いといたとしても、
こうなってくると、大量のうなぎがただの罰ゲームのように重く伸し掛かってくる。
お吸い物も味噌汁もない丼物を、冷たいお茶で流し込む作業になった。
食後2時間以上経過しても胸焼けしていた。
うなぎを初めて食す人にお願いしたい。
こんなものを食べさせられて、これがうな重(うな丼)だと思われたくない。
食べられるレベル=限界レベルと言うのは人それぞれ違いが有るのは分かる。
牛丼チェーン店のうなぎを美味しいと評している人を貶すつもりはないが、
オリンピック開会式が終わり、日々オリンピック関係者の感染者が増えていて、心の底からがっかりし続けている。
この気持ちの理由を紐解くと、ごくごく個人的なことながら、祖父の葬儀に出席できなかったことが根底にあるように思う。
私の祖父は初夏に旅だった。
しかし、私はエンタメ業界の末席におるサラリーマンであり、業界の状況的にも、とてもじゃないが葬儀に参列させて欲しいとは言えなかった。
勿論、本心では葬儀に参列したかったが、仕事柄、舞台の上に立てないと存在欲求が満たされず、地から足が浮く人たちが存在すると知っているし、
フリーランスの人たちが、肩書となれるような大きな仕事の有無によって生涯年収が左右されることも理解しているつもり。
だからこそ、オリンピックアスリート達が報われるような大舞台、そして納得行く結果が出せると良いねと思い、
少しでも感染状況を押さえる事で晴れ晴れしい状況に繋げられるのであればと、個人の感情に蓋をしたのだった。
しかし結果として、日々増え続ける関係者の感染、そして各パートが孤立して文脈のない開会式。
私は祖父の葬儀に参列できなかったのも、残された高齢者達への感染防止のためと思えば当然だと思うし、結果的に正しい行為をしたと思う。
しかし、この、心に小骨が刺さったような気分は、抑えられた感染状況、そして素晴らしい開会式の力で昇華されると信じていたのだ。
舞台上の選手達には、おめでとう、良い舞台にたててよかったね、と感じはするが、
しかしながら、現状の感染状況は悲観的な状況だし、開会式の内容と照らし合わせると空虚に感じる。
やっと夫婦の年代でもワクチンの集団接種予約ができるようになった。
夫婦で一緒に打つと2人とも腕が上がらなくなったりすると困るということで、とりあえずはずらして打つことは事前から決めていた。
ところで、集団接種会場は年齢に応じて段階的に予約を開始しているが、ワクチン予約のページを見ていてふと気づいたことがあった。
もしやと思い、電話予約を受け付けている病院に電話で聞いてみる。
答えはNO
多くの人がミスリードさせられていると思うが、あくまであの年齢制限は集団接種会場に対する制限であって、個別予約会場はその会場の判断に委ねられるということだ。
接種券が届いても、まだ自分たちの年齢の接種がはじまらないとまっている人は、とりあえず最寄りの個別接種会場に相談してみることをお勧めする。
かくして自分は集団接種会場の最短予約可能日よりも二週間近く早く接種予約を取ることができた。
ただし、予約日程は先方の指定通りのみで、特定の日時を指定することはできなかった。(たまたま自分はコロナの影響で融通しやすい状況にあった。)
これ幸とその時点で妻に勧めたところ、やれパートの日程が、子供の予定が、と、日程調整可能な集団接種の予約開始を待つという。
その時点で引っかかるものがあったが、そういうならば仕方ない。
それから一週間。
受付開始は0時。
一旦予約を促すも子供寝かせるのにそんな時間まで起きてられないとのこと。
日程だけ指定してくれれば代わりに取っておくよ、に対しても煮え切らない返事のまま子供を連れて寝室へ。
翌朝も予約を取る素振りも見せずに朝の支度を始める。
予約状況をサイトで確認してして、「今ならまだ8月中空いてるよ」と話しかけても、また曖昧な返事。
自分が出社するまで予約を取る様子は全く見せなかった。
なんとなく予約状況をサイトで確認してみると最寄りの接種会場はすでに8月末までいっぱいに。
自転車で行けなくないくらいの会場なら、まだ8月半ばに空きがある。
まさかと思い妻に予約確認のメールを送る。それも、「最寄りがいっぱいでもし予約がまだならちょっと遠くの会場なら8月中に打てるよ」とアドバイスを入れてだ。
いやいやいや。お花畑かよ。
連日のワクチン不足の報道、その上で今日の感染者数を見て、危機感とかない?
政府も通常医療に制限をかけるとか言い出してて、医療逼迫が明らかな状況。
今まで感染しなかったからって、これから感染しない保証なんて全くなし。
むしろ今までの対策に効果がなかったからこれだけ感染が拡大してるってなんで考えられない?
メールじゃダメだと思って、家に帰ってから直接話をすることに。
いいよ。いくらでもキレろよ。あなたが人工呼吸器のために挿管される姿なんて見たくないよ。
少し遠い会場で、8月半ばの接種予約ができたとのこと。
この後に及んでまだ「予定がー」とか「暑いのに遠くは嫌だ」とか口にする始末。
こういうのが正常性バイアスっていうんだなとまざまざと痛感した。
パートだってレジ打ちの接客業なんだから、感染したら給料どころの話じゃなかろうに。
たかだか数時間、一日数千円のためにワクチン接種を先送りにする意味がわからん。
ワクチンを打っても感染の抑止は少ない。なのにワクチン接種した人は重症化のリスクが減るから行動制限を無くしていく。
そんな世の中でワクチンを打ってないことがどれだけリスクになるか考えればすぐにわかることだ。
がっついてワクチン打つ必要なんてないけど、順番が回ってきたならそこは頑張ろうよ。
もう少し合理的だと思っていたが、常に夫にマウントとっていたいだけの私は忙しいアピールと不機嫌アピールには流石にがっかりした。
それでも予約が取れて良かった。
きっと世間にもこういう対応で心が折れかけている人がたくさんいるんだろうな。
見たくもない一面を見てしまったり、副反応のことで後で鬼詰されたり、接種を勧めたことなんて一生感謝されないこともわかってるけど、それができるのが家族なんだと信じてコロナぶっ潰してやりたいと思います。
体育大嫌いだったなあ
①
②
そのまま皆の前でテストをやらされて、みんなできるのに自分だけできなくて惨めな思いをする
③
試合をやらされ、自分と同じチームの人に申し訳ない気持ちで参加する。私と同じチームになってしまった子に「うわあ…」みたいな反応をされる
④
ここまで受けてきた惨めな気持ちと恥ずかしさと諸々で体育をどんどん嫌いになっていく
(おまけ)
発育が早く高身長だったので初対面で「バスケ/バレーやったら?」と言われまくるも実力を見られがっかりされる
同様に例えば自転車の練習をするにあたり「こんな大きい子がまだ自転車なんて練習してる…」なんて思われてそうな気がしてくる(被害妄想ではあるかもしれない)(逆に誰にも見られない場所で反復練習できる勉強は好きだ)
そりゃあ練習しろよって言われたらそれまでなんだけど、とにかく皆が当たり前にできることが自分はできないこと、それが周りの皆に知られてしまうこと、さらに私なんかと同じチームになった子に不利益を与えてしまうことが辛かった
あと上記の話とは全然違うけど持病で水泳に参加できなかったとき、体育の時間は代替で持久走をやるのに加えて課題として運動に関する資料(ピッチ走法がどうとかストライド走法がどうとか)を原稿用紙30枚くらいにまるまる書き写す課題が出されて教師のあまりの脳筋ぶりに引いたこともある(ちょうど受験シーズンだったから本当に時間の無駄で辛かった)
20時からの開会式は1秒も見なかったのだが(家族の誰一人としてあれを見たいと言わなかった)、Twitterのタイムラインを見ているとしっかり見ている人が多くて、しかも皆概ね楽しんで見ているようで心底失望した。
オリンピックが開会する前は、割とオリンピックに批判的だった人も開会式を見て楽しんでいるので余計にがっかりした。
オリンピックの放映権を持つアメリカの放送局の人間が「オリンピックさえ始まってしまえば皆コロナのことなど忘れてテレビで応援するようになる」という趣旨をコメントしていたようだがその通りかもしれないと思った。
世の中って案外単純なんだなぁとがっかりした。いくら逆張りと言われようとも今度のオリンピックは絶対にテレビで見ないと思う。