はてなキーワード: 背中とは
のたくった、サイズもバラバラな字で「ペンキやさんになりたい」と書いてあった
なんでペンキ屋なのかは覚えていない
ただ、それが当時本気でなりたかったものだということは何となく思い出せた
場当たり的にそこそこ響きの良いものばかり言い続けて、それなりに各々の夢にも興味を持っていた
だけど命を賭しても叶えたいと思ったものはその中にはなくて、全部なあなあの集まりで
辿っていくと幼稚園の「ペンキ屋」が後にも先にも唯一の、本心からの夢だったのだと思う
その会社に塗料部門があるのは、何の因果か知らないけれど。捻じれに捻じった形であるが、一応当時の夢を達成しつつある。
ちっぽけなあの頃の自分がずっと引っ張って、自分でも気が付かないうちに背中を押してくれて来たんだろう。
そう思って、頑張っていこうと思う。
好きな人ができても告白するな。不細工と罵られる羽目になる。お前の好きな人はイケメンの友人が好きだ。友人たちは皆そのことを知っていながら応援してくれる。それがきっかけでお前は友人たちと縁を切ってしまうが、勘違いするな、友人たちは優しいだけだ。身の程知らずなお前があまりにも哀れだから。
親に悩みを打ち明けるな。お前が世界一優しいと思っていた親は、それとかけ離れた人間だと気付く時がくる。禄に話を聞いても貰えないまま否定されたお前は深く悲しむが、その必要はない。お前は一人の人間から否定されただけだ。世界は広い。親に認められることに拘るな。
お前は規律を重んじ、必要であれば規律さえ変えるべきだと思って生きているな。世の中はお前が思うより腰が重く、簡単に規律を変えることはできないということを知っておけ。真面目に生きたって自分が死ぬだけだ。
誰かのせいにしろ。お前はいつも他人を許し、自分を責めて傷つけるが、その必要はない。自分で傷などつけなくても、十分他人から傷つけられているのだから。自傷する前にいつまでも痕が消えないリスクについてよく考えろ。
誰かが助けてくれると思うな。自分では思っていないつもりだろうが、お前はいつも他人に背中を押してもらうのを待っている。誰も押さない。お前に関心のある人間なんて居ないに等しいと思え。皆自分のことで精一杯だ。焦れ、急げ、やりたいことは今すぐやれ。
自分には何もできないと思うな。周りには「お前には何もできない」と言ってくる奴が居るがそいつは間違っている。できないことも勿論あるが、人より得意なことも沢山あるし、何よりお前は他人に親切で、親切な人に恵まれる。
過去の出来事に固執するな。嫌な出来事を反芻しても、嫌な気持ちになるだけだ。何もかも取るに足らない、くだらないことだ。
とはいえお前のことだから、ここまで言われてもきっと同じように生きてしまうんだろう。なぜならそうやって生きてもお前はそれなりに優秀な成績と知識と学歴と社会的安定を、一時は手に入れられるから。
ニートより
職場復帰してすこしたったところです。
(特に「最悪」、のところに思い当たる節が。動けなくて屋内でぴったりな趣味を見つけてしまい)
落ち着いて読み返させてもらい、行動を振り返ってみて、
間違っていなかったところ、足したほうがよいところがわかった気がしました。
休職中は散歩していたのですが、帰る頃に暗いこともあって復帰後はしていませんでした。
考え方の面では、休職中に読んだ本で合うものが1冊だけありましたので、読み返してみようと思います。
背中をパシッ!としてもらった気分です。
追い込まれるがまま書き、フォロワーのいるTwitterに書くには重すぎて初めて書いた記事でしたが、書いてよかったです。
お時間を割いていただき、ありがとうございます。
うつで高校行けてなかったので、18の時は受験できず、とりあえず宅浪の形をとって勉強できる時に勉強してました。完全に体が動けない日もあれば、昼に起きて午後からは机に向かえる日もあって、それでもまあ十分な勉強はできないまま乏しい受験の知識で適当な大学を2校だけ受けてみたところ、ちゃんと落ちてしまった。
とりあえずやってた科目は文系。高校通ってた時は数学得意だったので、文系数学で受験できる情報系の学部のある旧帝を受けようと思って過去問を解いていたけど、文系数学とはいえどふつうに苦戦してしまった。プラチカなんかもやってみたけど、過去問に戻ったところでうまく完答できる問題は少なかったです。
そこからすっかり数学に自信をなくして歴史科目にシフトしてみたけど、暗記はそもそも全然向いていないらしく、今年の受験は「数学の公式も覚えてない」「世界史の人物名さっぱり知らない」というダメっぷり。そりゃあ落ちるわ。
国語と英語は人よりできるので、いまは二科目で受験できる後期試験に申し込もうか迷っているところ。文系学部なので、興味ある経営学部だとか社会学部あたりかな。
もう一つの選択肢として、情報の専門とか楽しそうだなーとも思う。もともとパソコン触るのが好きでサイト制作を趣味にしてきたのもあって、充実した時間を過ごせるだろうなーと考えてる。
僕は、仲の良い友達と楽しい時間を過ごす、みたいな青春を送れなかったので、そこがわりとコンプレックスになってる。これを考えると必然的に、生徒数が多くてしっかり遊ぶ時間も取れるだろう私立大に行くべきだろう。
でもやはり、後期で受けようと思ってるような偏差値55くらいの私立文系(中堅ともいえないの?わからないけど)に行くなら、専門の方がよほど実践的で良いのだろうなーとも考えてしまう。こういう考え方はあまり良いものではないと考えてはいるものの、自分の将来のことになるといろんな心配をしてしまうものでしょう。
ちなみに、大学の方に進学できた場合も、きっと個人的にwebで情報を集めてプログラミングを学ぶんだろうな、という気がしてる。増田でバズったN予備校とかどうなんだろうね。
そんな感じです。短時間で適当に書いたので、あとで訂正する箇所が見つかるかもしれません。悪しからず。人生の先輩方に背中を押してもらう意味で書きました。どうぞよろしくお願いします。
「太ももは、体の大部分を占める筋肉があるので鍛えれば痩せます!」「そうなんだ」
「背中は、体の大部分を占める筋肉があるので鍛えれば痩せます!」「そうなんか」
「腹筋および大胸筋を鍛えれば痩せます!」「はぁ」
結局どこを鍛えればええねん!
アメリカじゃファッションなのにってよく聞くけどファッションだから良いとか悪いじゃない
眉間に皺寄せる人も口に出さないけど態度変わる人も全否定してる人もいるし
ファッションってたぶん日本のピアスぐらいの感じで言ってると思うけどタトゥーはタトゥーだし
デザイン・サイズ・場所でインプラントや日本での和彫りと同じぐらい差別的な偏見もある
若い子がやりたいって言ったらステレオタイプで親はたしなめるものだし出来ないし
アーティストや有名人で無いとか見た人がそれを知らないとそういう目で見られることも少なくない
日本で聞くようなアメリカでもレベル低い人がする認識だっていうのはさすがに違うけど
レベルではないけど職業で許される範囲に偏りはあってそれがいいイメージ悪いイメージ両方の職業にあるから
タトゥーする事がレベル低いとかじゃないけどどっちにしても堅実なイメージはあまり持たれないのはそうだと思う
あくまで初対面でだけど
何かメンタリティ強く見せなきゃいけない見せたい人って偏見はみんな自覚無くあると思うし
日本でも映画やドラマ見てればどういう偏見かなんとなく分かると思うけど
タトゥーの人間はそういう風に描かれる事少なくないしアナーキーに見せるためにメイクで足したり
元々ファッション自体でどんな人間か判断される部分もあって日本よりファッションの意味が強くて厳格だから
TPOや職でトゥーマッチだって場の空気読めない人間扱いもあるし
ファッション自体を理由に評価は下げられないけど言い方変わるだけだから
もっと相応しい別のキャリアがあるっていうのは日本のご縁が無かったに通じる
ファッションだから評価に晒されるし直接は言わないけどいない所やSNSじゃ物凄く言われてたりする
基本は主張の社会だしファッションだけどベーシックではないから意味や理由があると考える
日本でもポイントのタトゥーと背中の和彫りで印象が違うのと同じでデザインやサイズは大きいし
日本ではただのライトなデザインでもアメリカではそうじゃないと思われる
でもタトゥーは文化を担う一つでファッションだけじゃなくいいなって所も本当にたくさんあって
偏見もあるけど寛容さも同じくらいあるしそこが日本には足りなくてアメリカと比べて理解ないのもそうなんだけど
私はファッションの持つ開放感では全然日本だから(自由度じゃない)
ファッションて言葉の意味をそんな日本での自由やポジティブな意味であまりにも取り過ぎ
それが凄くもやもやする
夢いっぱいで日本の外はユートピアぐらいで言われると私も日本よくなってけばいいねってつい言ってしまうけど
その後若干の自己嫌悪になる
嘘も悪い事も言ってる訳じゃないしアメリカがそうじゃないって事でもないけど
立場のある(特に日本に来てるような)ショーやメディアが社会でお手本でいる役目から配慮も凄い強いし
求められてる所もあるし
言ってしまえば上澄みだけを日本で見ているなら素晴らしいって思うだろうし
メディア含めて低い所の話通じないヤバさも日本は比較にならないし
上の人たちの意識や意欲の高さはその切実さから生まれてる所もあるから
簡単に向こうが上とか言うの失礼でしょって思う
タトゥーが手放しで肯定されてる社会みたいな誤解もスターがガンガンに入れてるのを見てスターだからいれてるのをスターなのにいれてるって見てるからで
イメージによってはデザインや入れ初めにファンがショック受けるのもあるけど
そういうスターたちが番組で同じようにガンガンの一般人に「あなたのタトゥーステキね」って声かける姿も珍しくなくて
偏見持たれるファッションや髪でもそうだけどスターの役目での視聴者へのメッセージの意味もあって
「それは差別になる/あり得ない」って聞くと思うけど
それも言ってる感覚としてはお手本になる人をモデルとした良い人間に許される範囲での事で
そこに含まれない現実の問題は表してないし自分の言葉や行動が差別だってわかってて開き直って相手を差別されるべきようにする人間もそこにはいるから
分からないとそのままに平均的な感覚に受け取ってしまうだろうし
何が差別・偏見になるのかの正しさ以上に自分の中の理想的な社会をそこに見てしまうのかな
それは原宿の文化生見て日本をファッションの自由の国って思う子と同じで
完全に間違ってるわけじゃないって意味でも
日本に来るそういう子たちのタトゥーやファッションが旅行者だから許容されるのも同じで向こうもそうだから
長く住んでも文化が違う国出身の相手だとそれあるし保守的な人も別の国の話ならどこか関係ないと思っていつもよりスルーする
自分の周りに影響するとそうじゃないけど
それは本当の意味で受け入れてるわけじゃなくて
もしかしたら何の偏見にもあわず思い通りの生活を送れるかもしれないし
それでいいのかもしれないし
書いたような事言うのは簡単だけど別に自由じゃないよ日本と同じだよって言いたいわけじゃないし
そう見えると思うけど
むしろ比べられないのにって
比べたけど
もし日本より酷い偏見や差別の問題があってもそれが自由がない事じゃなくて
だけど日本で見てるアメリカの問題の山とアメリカでの山は同じに見えて違う
日本から見てアメリカも自由ないんだって思ってもアメリカの自由だったりするし
それは逆もだし
話聞いたり見たりしてもし思ってたのと違ってもそれは元々想像してた単位が違うからで
そこで定規で測ってみて数が小さく出てもそれが重さでの数の大きさを否定するものじゃない
わけわかんないかな
説明難しい
アメリカの赤を日本の赤だと思って見ると赤じゃないって思うかもしれない
だけどそれは赤なんだよって
日本とアメリカそれぞれの土地で赤のキレイさもキレイって言葉のイメージもそれぞれ違って
アメリカの赤のキレイさを日本の赤のキレイさと思ってる人には色の違いを説明したいし
それを知らないままアメリカは赤キレイなんだよねって言ってたらアメリカの赤がどんな赤か知ってから言って欲しい
書いた話はそういう意味
それでその人がキレイじゃないと思ってる日本の赤に似てる所があってアメリカはキレイな赤じゃないって思われるのは嫌だけど
アメリカの赤を勘違いされたままアメリカの赤はキレイって言ってる気持ち悪さも嫌で
そういうのを言いたいけどうまく言えなくて
長く書いてもこんなだし
日本もキレイな赤になればいいねって言って流す自分に落ち込む感じ
読み返しても伝わらなさそうだな
伝えられるなら愚痴でこんなの書いてないんだけど
嫌になる
確かにとあるQ&Aサイトで似たような質問してみたことはあるけど、「この問題に正解はありません」と答えがきて、それが正解だよなと思った記憶があります。自分も含めて「辞めたいけど辞めるのが怖い」人が背中を押してほしくてそういう相談をするのかも。
首がめちゃめちゃ痛い誰か助けて
原因は多分数時間前にがっと荷重がかかったから。背中側から首の付け根あたりにがっと。音はしなかったけどごりっとかぐぎっとかそういう感触が背中の始まり辺りにぐわっときた
痛すぎてとりあえず湿布貼って布団であおむけになって気を紛らわすためにスマホでネットしたりしてたんだけど湿布の辺りがどんどん痛くなってそこから肩、首、後頭部から頭のてっぺんまでがんがん痛み出してすごい気持ち悪い
痛さの所為だと思うけど心臓がぎゅうぎゅうするしそのすぐ下にはすうっと冷えたような感じがあるし耳の後ろちょっと下のところの首と頭の境目のツボっぽいところもじわじわ痛み出してもう眠るどころじゃない
横になっていられなくなって起き上がってみたんだけど特に改善する感じでもなくて喉がぐうぐう絞まる感じがして後頭部が重くて目の奥も痛くてくらくらする
一旦湿布をはがして床に座って壁に背を預けて様子を見る
こんばんは、猫です。本当にその鳴き方は「アオ」と聞き取れるのか、あなたと私達の聴力差に対する懸念が春霞のように漂うものの、仮に本当に「アオ」だった際の意味をお伝えしましょう。その前に夢の話が必要です。
私たちは二歳にもなれば落ち着き、世界のことを一通り分かったような心持ちになります。生活パターンも覚え、いつどのように振る舞えば衣食住が足りるか学び、それ以外は眠ることを好みます。眠ると夢を見、そこでは真に自由になれるからです。体は軽く飛ぶことすらでき、かろうじて生命である自覚はあるももの、それが見知った姿をしているかあやふやなほど存在は曖昧になります。
やがて夢から覚め、しばしボウとしてしまいます。私は何だったのか。何が私であるのか。尻尾の先を動かし、片耳を動かし、あくびをして、この世に占める自分の範囲を思い出します。大人しく温かな私は撫で甲斐があるのでしょう。飼い主の手が背骨に沿って往復しています。私が内側から感じる範囲と、外側で動く飼い主の手が示す範囲が一致し、ようやく輪郭が明確になります。そう、今しばらく私はこの範囲の舵取りをせねばなりません。
けれど、さきほどまでの解放された感覚が忘れがたいのです。私とあなたの境界は曖昧で、あなたは私の一部であり、その逆でもありました。万物はお互いに作用し、ゆえに全てが愛おしい。また、私と共にあるのは物質ばかりではありませんでした。巡る季節や、存在が変化していくくこと、例えば息を吹きかけたロウソクの炎が消えること、けれど何が失われたわけでもなく姿を変えただけのこと、それらの道理全ても私であり、つまり世界が私でありました。自分の輪郭など存在せず、ただ、私もあなたも穏やかな混沌の一部なのです。
「アオ」、それは「新しい世界が始まりそうだ」の意です。もしくは「やがて行きつく世界でもあなたと共にあった」の意です。あなたと共に暮らす猫は、目が覚め、しばらくボウとし、あなたを見つめてゆっくり瞬きをしながら「アオ」と鳴きやしませんか。ご飯やおもちゃは刺激的で暮らしに執着をさせる要因になりますが、年を重ねると命とはそれだけではないことに気がつくのです。私もあなたもやがてロウソクの炎のように見えなくなるでしょう。けれど大切なことは、今、目覚めたら世界が違って見えたということです。アオ、あなたにそれを伝えたい。
次に彼or彼女が鳴いたら、背中を撫でて輪郭を伝え、けれどお互いが溶け合うことを願うように、しばらく優しく抱いて下さったらと思います。
臨時収入があったので、社会人になってから疎遠になっていた最新ゲーム機などを買ってみようかなと思い立ち、既に持っている人数名にそれとなく訊いてみたのだけれども、誰一人として「○○がいいよ!」「××を買おうぜ!」と言ってくれないのには正直参った
ニンテンドースイッチを持ってる人3名、PS4を持ってる人2名、両方持ってる人1名、全員が「何となくで買うと失敗するよ」「まずは遊びたいソフトを決める所から始めてはどうか」と、俺の背中を押してくれない
聞けば彼ら全員「どうしても遊びたいソフトがあるから本体を買った」という人達ばかりだった
俺が最後に買ったゲーム機はPS2だけど、あの頃って「とりあえず」でゲーム機を買う人って結構多くなかったっけ?
少なくとも俺はそうだったし、とりあえずゲーム機本体があるからゲームソフトを買う敷居も下がって、就職で手放すまでの数年間色んなゲームソフトを買って楽しんだりしたんだけど、最近はそういうスタイルって少数派なの?
※とりあえず質問の切り口を変えて「じゃあ性能高いのはどっち?」と聞いたら前述の6人全員が「PS4」と答えたのでとりあえずPS4注文しました
もう去年からボケのせいか自分でご飯を食べられなくなっていた。
母が必死に、柔らかく煮た肉や野菜、水を飲ませたからここまで生きてられたのだと思う。
正直年を越せるとは思っていなかった。
あの日は母がずっと看病していた。
痛くて起き上がれず、寝ることで痛みから逃げていた時、父が体調が悪いと仕事から帰ってきた物音を聞いたのを覚えている。
また眠気に負けてうとうとしていたら、次は母がすすり泣く声が聞こえた。
それで亡くなったんだなと気づいた。
しばらく身の置き方が分からず寝たふりをしていたが、父が起こしに来たのでリビングへ向かう。
すぐにペットの火葬専門の人を呼ぶというので、ひとまず撫でる。
痩せてガリガリなのは覚えていた感触と違ったが、毛並みや暖かさや、耳のふわふわ、足の折りたたみ方、首の座り方がいつもの愛犬だった。
ほんとに死んでいるのかと思った。
母が落ち着いたので、変わらずまっすぐを向けない首を治しに整体へ向かうことにした。
火葬の人は深夜近くにならないと忙しくて来れないという。
火葬の時、痛みで外に出れないのは嫌だったので、今のうちに少しでも治しておこうと思った。
棺のような仮の箱は、少しでも冷えている玄関近くの廊下に置いた。
整体から帰ってきて、深夜に火葬の人が来て、棺から母が愛犬を出した。
見た目はいつもの愛犬でも、母に取り出された様子からさすがに死んでるなと思った。
艶のある頭を撫でて、耳のふわふわをふわふわして、背中を撫でた。
まだ暖かかった。
毛皮とはすごいものだと思った。
火葬の機械に入れられるとき、あったかかった感触を思い出して、なんだかまだ何かは生きてる気がしたので、可哀想だなと思ってしまった。
自分の頭の中では間違いで生きたまま土葬されたよその国の人の怖い話が思い出されていた。
正直、去年からは自分で歩くこともできず椅子の隅で丸くなっていた愛犬の存在は、日中家にいない自分の中で薄くなっていた。
と、思っていた。
しかし最近、スーパーで買い物をした帰り道に、尻尾を振りながら寄ってくる愛犬を荷物で塞がった両手で撫でるのは大変だなと考えながら帰宅したり、
母に言い訳をしたときに、ねーそう思うもんねと同意を求めそうになったり、
そういうことが多くて、存在は十分にあったのだと思う。
もう一回会えるなら、ぎゅっとした後に一緒の布団で寝たいなぁと思う。
見下ろしシューティングかなり苦手だけど楽しく遊んだというのもあって、360円でコインたくさんになるBIG COINというのを買った
これを買うと「コイン5個ぶん」という赤いコインが出るようになるのだ
やったことある人はわかると思うけど、このゲームは時々出る/確定で出る/デカモノ破壊で大量に出る、というコイン回収が楽しみの一つなのだが
コイン回収時は「敵にぶつかって死ぬ」「弾にぶつかって死ぬ」「少し先のコインも拾おうとしたら地表から生えてきた壁に囲まれて出られなくなり影に飲まれる」等でわりとデンジャラスである
しかしこのBIG COIN機能さえあれば「とりあえず赤いコインだけ拾ってれば間違いない」という感じになるので手間効率がアップし危険に遭遇する割合も減るのだ
いやあ買ってよかった
昨年ブームとなり、
そのサビで踊られるダンスのフリのことだ。
何人の日本人がそれに気付いているだろうか…。
おそらく何割の方はそれに気付いており、
このブームをバズらせる事に荷担してもいたのだろう。
そうは思っているのだが、
どのくらいの人数にそれが共有されているのだろうか。
そう不安にも思っている。
イイネ!と形容するくらいだから、もちろん良い意味で受け止められているのだろう。表面上は。
当然「Good!」を意味するジェスチャーから来ているのだろう。
しかし、
その曲に合わせシェイクする腕の振りに違和感を感じないだろうか?
その腕の角度と位置が高すぎるのだ(元ネタとされるshootダンスと比べても)。
そしてまた、その仕草は身体を画面に対し横を向いて行われるのだ。それはなに故だろう。
その立てた親指が描く軌跡が、親指がどこを通過しているか。
その意味を少し考えたら、その違和感の答えが分かるのだはないだろうか。
親指を下に突き下ろす仕草は、相手に否定の意志を示す行為であり、
その親指を首の前で通過させる仕草は、死ね!殺すぞ!という意味である。
そしてこの手の動きとセットとなっているのが、足で何かを踏みつけるような仕草でもある。
C'mon, baby アメリカ
これはちょうどイイネダンスが踊られている時に歌われてる歌詞である。
この、密かに重ね合わされている意味を、どれだけの人が自覚的に使っているのだろう‥。
無論、これはそう解釈できる…という話であって、振付師の意図を決めつけているものではない。
ただ、そんな解釈もしうるダンスを、あなたの家族や子供にこのまま踊らせていても良いとお思いでしょうか?
今なお気になって仕方がない。
いかがだろうか…。
ついでに蛇足ながら…、
それは単なる外部評価としてあるのだけではなく、
曲そのものの中に、相反するままに、貫かれているような気もする。
まず、今上げたC'mon baby にあるように、戦後ずっと常に日本を指導し先導し父親のようなポジションにあったアメリカを、あたかも目下の対象であるかのように呼びつける構図を描いている。
これは、昨今多少批判的に言及されるようにもなってきた「日本スゲー」勢を満足させる構図でもある。
アメリカを挑発し、見下し、かかってこい!と挑発しているのである。
気持ちの上では。
その潜在的な意味を、意識的にか、無意識的にか、人それぞれの割合で汲み取られていたことによって、この歌は、この時代に、必然的な条件を揃えて一大ブームとなっていたのだろう。
気持ちの上だけでは。
そう。潜在的な願望としては持っていても、直接面と向かって宣戦布告はできない。その度胸は無い。
横を向いてその意味を隠し、最初にイイネのサムズアップを強調することで言い逃れをまず先に用意しているのだ。
ダサイけれど、完全に服従している訳ではないという秘めたる信条がカッコイイのだ。
それは、夢を見せて成長の原動力を与えたくれた…という意味ではあろうが、
叶うはずのない夢を追って身を持ち崩すよう動機付けられたとも取れる。
サクセスの味方を organizer
成功の道筋を付け導いてくれたというように解釈すべきではあろうが、
儲けに繋がる見込みのない者には一切目もくれられないとも取れなくもない。
C'mon, baby アメリカ
英文の部分の意味は逆さに解釈するのだとすれば、この言葉はこうなる。「こっちに来ないでくれ」と。「アメリカよ、もう日本に関わってくれるな」と。
どっちかの夜は昼間
我々が、日本が、現状「夜」であることは、今、これまでが、アメリカが「昼間」であった事と必然的な関係となっているのだ。
…と、
しかし、こうも歌われている。
競合してくジパングで
より強くアメリカナイズされた沖縄は、日本本土に対して先行する存在だ!と、そこで育った若者としての自意識はあったりするのだろう。
しかし、そんな沖縄は基地問題にもあるように、日本本土から負担を一方的に押し付けられて続けている存在でもある。
どっちかの夜は昼間…その沖縄の「夜」を産み出している「昼間」とは、単純にアメリカとしてよいのであろうか、それともその標的は実は日本本土を指しているのであろうか。
それらをひっくるめて歌われている。
C'mon, baby アメリカ
これをただ無邪気に歌い踊っていてよいのだろか?
その親指を地面に向けて突き立てているその矛先は、どちらを向いているのだろうか…。