はてなキーワード: 性役割とは
若い頃はエロイラストに寛容(気にしていない)だったけど、歳を取って感覚が変わる理由。
若気なので経験も少なく、判断を外に求めてしまう。そこで自分の商品価値を判断してしまう。
セクハラなどに対してもその感覚で、文句も言えず、後で恥ずかしく悔しい思いをする。
(セクハラと関係ないだろうと思うかもしれないが、加害者被害者共にハードルが低くなっていると事故る。あとで悔やむのは被害者)
特に未熟な人にとって、自己投影しやすい同年代の画には影響を受けやすいと思う。
(もちろん過去の自分が未熟だっただけで、気にし過ぎという意見もあるだろう)
社会が全て無菌室はよくないけど、公共に近いところは建前を気にしてほしいという思いです。
結果的にOKとなったものに、異を唱えるのも有り。異に異を唱えるのも有り。
…
ここではババア乙とか馬鹿なお前だけのお気持ちだろとか言われるのが関の山なんだろうね…
…
追記:
若者に何かを押し付けるつもりはなくて、大人側に公共に近い場での広告を配慮してほしい、性役割的なハードルを下げないでほしいと思っただけでした。
個人的な経験は自分の反省点として子供にそれとなく伝えようと思います。どう受け取るかは子供次第というのも理解しています。自分が幼く未熟だったのを他人もそうだと思っているわけではありません。
https://anond.hatelabo.jp/20220924084155
https://anond.hatelabo.jp/20220925050147
続いてる女装夫の話、バニーとか俺の考える最高の女とか下着でセックスとか、性欲ベースで捉えた女性を装う性の問題として増田達は捉えてるんじゃないの、それって女装をどう扱うべきかとはちょっと違うんじゃないの、と思った。
性欲ベースの行動は子供に見せたくないし日常生活で見たくないと言っていいと思う。教育方針の不一致(もちろん見せるという教育方針もあるよ)だし、生活で性欲モードでいることに関する性の不一致だよ。
自分の交友範囲の中で機会があれば着ぐるみ女装して出て来る人がいて、普段はそういう人って扱いなんだけど、一度水に入るわけでもない時にスクール水着を着て行きたいって発言があって、普段着てることを気にしないメンバーの間でもそれはダメだろって感じになったのね。結局着なかったんだけど。
単にオタク遊びするために集まった成人の集団において、着ぐるみさんがいるのはいいけど脈絡なくスク水着てる人がいるのは性の文脈が強すぎるのでTPOとして駄目ということなんだろうなあと線引きの理由を考えたことがあった。
私達の場合は友人として出会ってるからそりゃ性的でNGじゃね?が言えるけど、2人の増田の場合は夫婦という性に近すぎる場からスタートしてるから難易度が上がってるなと思う。
でも基本的に性欲見えちゃってる行動にはTPOを求めていいし、性関係の合意は不可欠だし(することの合意だけじゃなくて、半分以上は脳でするものだから性的ファンタジーの共有が必要でしょ)、子供の教育の問題ならなおさらだと思うんだよ。
もっと言うと、性的に強調された女性像をイコール女性とすることを父親を通じて学習するのは問題があると思うから、女性の捉え方が歪まないようにどう伝えるべきかはきちんと話し合わないと駄目じゃないかとは個人的に思う。
あと、最初の増田の家事とか子育てとか夫だけ個室があることとかの性役割規範について、規範だから性別そのものとは関係ないと言っても、夫はそのままで増田だけが規範を手放して個室にこもったりすると生活や子育てが成り立たない面もあるわけで、そこであんたが勝手に性役割規範に従順なだけと言うのは違う。役割規範は集団全体の問題だから、集団全体が規範を解除しないと役割の再配分が起こらないし、その際に特権的に持っているものも配分しなおす必要がある。
夫にそれをする気がなく性役割規範を維持するなら女のいいとこ取りをやってると見えても当然だし、その「いいとこ」が男性から見た性的な女性像であれば、よけいに男の性欲ベースの行動に見えるので女装どうすべきの問題から離れてしまうように思う。
ウルトラマンはポリコレじゃない。ウルトラパーソンにしなさい。女のウルトラパーソンや黒いウルトラパーソンも出しなさい。LGBTのウルトラパーソンも出しなさい。
プリキュアはポリコレじゃない。女ばかりでなく男のプリキュアも出しなさい。黒人のプリキュアも出しなさい。LGBTのプリキュアも出しなさい。声は当事者が担当しなさい。
アンパンマンはポリコレじゃない。アンパンパーソンにしなさい。バタコさんが助手なのは性役割の偏見を助長するので家父長制の象徴でもあるジャムおじさんを廃止しバタコさんを昇進させなさい。チーズは動物虐待なので自然に返しなさい。バイキンマンはバイキンパーソンにしなさい。バイキンマンが黒いのは黒人が犯罪者であるという差別と偏見を助長するため白くしなさい。ドキンちゃんはドキンさんと呼びなさい。
女ってだけで、下手にでしゃばると「気が強い」というレッテルを貼られる。←これは、男には使われない。
女ってだけで、化粧をするから肌荒れするのに、毎日化粧をする。
女ってだけで、キャリアプランにおいて結婚や妊娠を強く意識しなきゃならない。
でも、
男ってだけで、性犯罪者予備軍として扱われる。
男ってだけで、稼いでいないと人権がない。
男ってだけで、オシャレに気を使ったり、女性らしいことをしたりすると変な目で見られる。
自分の性の不自由さに目がいくから、女で生まれて損した気持ちになる。それに、この世の多くのルールは権力者の男に有利になっている。性的同意年齢、選択的夫婦別姓、はてには代理出産まで。大学生の私がもし妊娠したら堕胎しか選択肢はない。なんでピルやミレーナが保険適用にならないのか。
政治家は失言を繰り返すし、いつになっても女性の首相なんて誕生しない、ツイフェミとオタクの戦争は終わらないし、駅でぶつかってくるおじさんはいなくならない。
生理きた(^_^)v
一部の人間の意見を針小棒大に騒いでいるのも、また弱者男性論だな。
恋愛や結婚だけでも、従来の性役割から解放されてもいいのになぜそうなっていないのか?
自由な意志の侵害という大義名分を立てやすいから、恋愛論に偏ってるだけなんだよな。
(てか、相手にモテないとか結婚できないとか、かつてフェミニストが食らった不当な批判をそのまま弱者男性にやるとかあほかとw)
LGBコミュニティでは、昔っからそういう形で同性婚を批判する議論はあります。ぶっちゃけ50年以上前からあったし、今も同じ事を言ってる人たちはいます。
まずゲイ男性の同性婚批判について。ハッテン場とかをイメージしてもらうとわかるけど、ゲイ男性界隈というのはだいたい性的な交流・交渉に対してオープンで(享楽的ともいう)、短期間に多くのパートナーを持ったり、ワンナイトだけと割り切ってたりと、特定の相手との排他的な関係(モノガミーシップ)に拘束されたがらない人達が多かった(今でも多い)です。アクティヴィストも、基本的にはこういう行動パターンを自分たちが創り上げた独自のライフスタイル(ゲイ・ライフ)、異性愛主義から解き放たれたゲイ男性独自の文化的資産とみなし、肯定的に捉えてました。
もちろんそれは、同性との持続的関係を公にしつつ生きることが難しい時代背景ゆえの事情でもあったし、一方で60年代のヒッピー文化でもフラワーパワーとかと並んで性の解放が訴えられてたという事情もあったんですけど、まあ時代の空気だったんですね。で、そういうライフスタイルが主流だったゲイ男性の多くにとっては、「同性婚」というのはあんまりピンと来ないテーマだったんですよ。俺たちがヘテロの真似してどうすんの、という。米国でも欧州でも日本でもこういう言説は根強くありましたし、当事者自身がそう書いている書き物も多く残っています。
もう一方のレズビアン界隈での同性婚批判について。こっちはこっちで、結婚制度を「男女の性役割分業を究極的に固定化する差別的な制度」という風に見る人たちが多かったんです。今よりもレズビアン・フェミニスト的な立場の人達の影響も強かったし。家父長制と結婚制度こそが世の女性たちを抑圧しているシステムなんだから、それを自分たちが模倣するなんて…という抵抗感もありました。
そもそも当時は、「同性同士が結婚する」というアイディア自体、多くの当事者にとっても突飛な、想像を超える、およそ現実的でない絵空事だったんですよね。大半のゲイやレズビアンは、そんなことが本当に実現するとは思ってもいなかったから、それを目指して社会運動したりもしなかった。そもそも「昼間の世界」でカムアウトすること自体が自殺行為みたいな時代です。同性愛という性的指向を詳らかにして堂々と同性パートナーと暮らすことすら難しかったわけですから、さらにそこに法律婚の仕組みを適用するだなんて発想を持つ人はほとんどいなかったんですね。もちろん「同性のこの人と結婚できたらいいなあ」と夢想する人達は当時もいましたけど、それは多くの場合、ロマンティックなファンタジーとして語られていた。結婚制度を同性間に拡張することで、異性カップルに認められているさまざまな社会的権利を自分たちも獲得しよう、という発想はまだ乏しかったんです。
こういう流れを一変させたのが、80年代のAIDSパニックです。若い人は知らないと思いますけど、日本でも当時はプライバシー侵害なんかガン無視した、壮絶なパニック報道がありました(参考: https://www.janpplus.jp/topic/433 )。今でこそHIVとAIDSは、発症の抑制も症状の緩和も可能な、生活態度次第では余命を全うできる病気になりましたが、発見当初は本当に不治の病だったんです。震源地のひとつとなった米国のゲイ界隈はもう本当に凄惨な状況で、各都市のコミュニティ自体が壊滅し消え去ってしまうほどのパンデミックになりました。バスハウス(ハッテン場)で活動的だった人達を中心にゲイシーン全体に感染が広がり、次々に病み、衰え、死んでいったんです。その中にはもちろん、互いに大切に思っているパートナーと長期的関係を築いていたカップルもいました。その経緯を通して、パートナーの病と死に伴う課題、つまり「パートナーの医療・看取り・相続などについて、同性愛者は全く権利がなく、法的にとても脆弱な立場にある」ということがコミュニティに深く認識されることになりました。
結婚というのは、恋・愛から始まる親密な関係に確固とした法的枠組を与えてくれるものであると同時に、人が生きていればいずれ来る病・苦・死のリスクに対して、信頼できるパートナーと共に備え、支え合うことを可能にしてくれる枠組でもあります。AIDSという歴史的な苦難は、そのことへの経験と想像をゲイ/レズビアンコミュニティ全体に与える決定的な機会になりました。「ゲイの老後」という、それまであまり語られなかったトピックが海外でも日本でも注目され始めたのこがこの頃です。多くのゲイ男性が「自由で享楽的なゲイ・ライフ」という夢の先にある、生活者としての現実をシリアスに捉えるようになった…といってもいいかもしれません。これを保守化と取るか、成熟と取るかは人によって違うでしょうが、自分は後者だと思います。
AIDSパニック以後、ゲイ/レズビアン・アクティヴィズムが一気に同性婚推進路線に舵を切ったわけではありませんが、パートナーシップに対する法的保護のニーズを求める声はじわじわと広がっていきました。そして、米国各州で一部当事者と法曹支援者が同性婚訴訟を起こして、そのうちいくつかで良い結果が出続けたことで、同性婚に対して微妙な葛藤を持っていたアクティヴィズム界隈でも「これは行けるかもしれない」という手応えがでてきて、徐々に同性婚をめぐる権利運動が主流化していきました。このあたりの経緯は、ぜひジョージ・チョーンシーの『同性婚 ゲイの権利をめぐるアメリカ現代史』をお読みください。
というわけで、実は元増田の意見は割と真っ当というか、問題の芯をとらえてます。というのは、元増田が書いてることは、かつてのレズビアン/ゲイコミュニティでの典型的な同性婚批判のロジックとしっかり符合してるからです。
これは上でも書いた「異性愛前提の制度を模倣・従属すべきでない」という声。
それよりも新しく同性パートナーと生きていくのに必要なことを自分たちで決めてそれを法律に落とし込んでいく方がいい
それが多様性だろ
これは「既存の結婚制度に縛られない、よりフラットな意味合いの法律関係(シビルユニオンやPACSやパートナーシップ制度など)」を求める声。これについては、保護される権利が同等でない「まがいもの」で満足すべきではない、という批判もあったりして、結局それぞれにニーズのある人達がそれぞれの路線で運動して、結果的に両方が実現していくという流れがあります。
「恋愛のゴールとしての結婚」も、やはり異性愛主義やロマンティック・ラブ・イデオロギーの模倣とみなす批判はあります。一方で、先のチョーンシーはゲイの歴史学者で「自分は同性婚が法律化されても利用しないと思う」という立場ですが、それでも同性婚をめぐる運動が当事者を強くエンパワーしていることははっきり認めています。やっぱり法律婚って、そのパートナー関係に対する社会的承認の象徴なんですよね。その関係を行政が公的に認め、社会も追認する。そういう承認を得ることが当事者にとってどれほど心強く、報われる、喜ばしいことなのかは、想像していただければわかるのではないかと思います。
元増田のような問いを受け止めつつ、それでも諸々の紆余曲折を経て、同性婚の実現による法的権利と社会的承認の獲得に向かって前進してきたのが、今のレズビアン/ゲイコミュニティだと思います。
はい。
https://www.masshirona.red/entry/2018/09/25/230804
『日本には『上昇婚』なぞ(いうほど)ないだろうという話(3) 高学歴男性の視点がズレるわけ』
日本は(それなりに厳格な)階級・性役割分業社会としての側面を持つ。
その上で、日本は、同一の出身社会階級、あるいは学歴・職業などの共通の特徴を持つ者同士が婚姻する傾向が強い、同類婚社会である。
山田昌弘氏が定義したところの『上昇婚傾向』は、高度経済期のごく限られた時期、経済成長や第二次産業中心社会へのシフトが、婚姻行動に強いインセンティブを与えたことを説明するもので、日本における婚姻傾向を説明するのに普遍的な用法ではない。
実際には、女性が事務職(一般職)の場合を除外すると、同一の職業同士の婚姻が多く、高学歴者は高学歴者同士、低学歴者は低学歴者同士でカップリングされる傾向があり、格差拡大を招いている。
彼女的には男遊びってありなの?
もちろん、ちんこ突っ込む側は浮気みたいなもんだけど、彼氏がちんこつっこまれる側のウケだったらアリだったりする?もちろんゴムつけて病気の対策はしてね。
まぁ一々報告してこなければ…みたいな感じなんだろうなぁ。そもそも女に対する浮気と違ってバレにくそうだし。
彼女に掘ってもらうのもアリなんだけど、一体どれほどの世の中の女性がそういうのに興味があるのか…。
むしろ好きな人にべろちゅーされなが正常位でペニバンで犯されるのが1番幸福感覚える気がする。
女だけそんなのずるいわー。俺もされたいわー。
でも流石に全く興味ないのに無理やりしてもらってもなぁ。もはや男の喘いでる姿がそもそも、従来的な男性性から外れててキモいとか思われそうなんだよなぁ。
これもジェンダーの話になるはずなのにこういうことは一切無かったことにされるんだよねー。