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2023-03-22

息子の同級生の親を判別できない

息子の小学校卒業式明日保護者全員からお金を集めて先生プレゼントを渡すとのことで、クラス代表が集金をするらしい…が、そのクラス代表(=子供同級生の親)がどの人なのか分からない。学年1クラスだったから全員と6年間一緒だったはずなのに、親全員を判別できない。ヤバい。通学班が一緒の人とか、子供同士が仲いい人は覚えてるけどそれ以外は正直さっぱりだ。当日はお金集めてそうな人を雰囲気で察してお金を渡すしかない。

2023-03-17

anond:20230317120252

全国的なのか知らんけど住んでる地域小学校卒業式が袴が基本らしくて震えている。

子供小学校卒業するまでに廃れて欲しい。

大学卒業式なんだな

袴姿の女性が多い

でも袴よりやっぱり振袖の方がキレイだな

2023-03-14

漠然とした。多分私の人生の話。

急に昔の話をしたくなったので衝動ではてぶに登録した。

多分春だからだと思う。これは花粉症の症状の一つ。

そもそも、真夜中にこのブログを開設するあたり、私はもう正気じゃない。

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漠然とした。多分私の人生の話。

5歳の頃、家族旅行アメリカへ行った。国外旅行へ行くのはこの20数年間でこの一度だけ。知らない言語に囲まれて、知らない文化に触れた、初めての経験

私はそれまで、父親よりも背の高い人間がこの地球にいるなんて知らなかった。

幼稚園キリスト教系だった。でも園の中に十字架とかそういう「偶像」がなかったので、私が日々の中に神の存在を感じる機会は非常に限られていた。お弁当を食べる時になると手を合わせて祈りを捧げた。「神よ、日々の糧に感謝いたします。アーメン」。この時間くらいじゃないだろうか。

先生たちは定期的に聖書の話をしてくれたけれど、当時の私には理解できなかった。そして多分先生たちも私たち理解することを求めていなかった。卒園式で綺麗に装丁された聖書記念品にもらった。字が読めるようになり、心に哲学概念が沸いた年齢になった時に初めて読み返した。そしてようやく何かしらは理解できたと思う。多分。…。時間差があるね。

でもこれだけは覚えているのがある。園長先生という方は非常に柔らかいお話の仕方をなさる方だった。わかるようなわからないような、でもそれはそれとして言葉がスーッと染み込んでいくようなお話をなさっていた。

先生はいつもこうおっしゃっていた。唇に歌を忘れずに。光の子として歩みなさい。

前半は知らない。でも後半は聖書の一節だ。「あなたがたは、以前には暗闇でしたが、今は主に結ばれて、光となっています。光の子として歩みなさい。光から、あらゆる善意正義真実とが生じるのです」

小学校の頃は全く覚えてない。

中学時代勉強はできるような、できないような子供だった。

英語音楽国語だけできた。でも国語担当教師と年がら年中喧嘩してたので評定に定期テストの点数が反映された記憶がない。

英語は楽しかった。小さい頃漠然定型分だけ覚えて旅行に行ったあの「英語」が、形ある理論知識として目の前に再び現れた。いうなれば、旧友との再会のような。互いに少し成長していたけれど。

音楽は、心の拠り所を得るために気まぐれで合唱部に入ったら急に歌えるようになった経緯がある。何それって話なんだけど、私もよくわからない。ただ、ある日ある時急に突然「声の出し方、響かせ方」が分かった。2年生の時、ソプラノソロパート担当させてもらった。嬉しかった。あれは、私が自分の実力だけで勝ち得たもので、そして私にもできるものがあるのだという証明になったから。音楽先生卒業式の日私の母をとっ捕まえて手を握ってこう言ったそうな。

お嬢さん音大に行きたいと言ったら、どうか止めないで入れてあげてください」と。

周りの子供たちは「自由」が増え、レンタルショップビデオを借りた。麓の街に行って、友達同士で服を選び合った。私にもそんな自由が欲しかった。漫画の貸し借りをしてみたかった。アニメ情報を共有してみたかった。

ある日、一緒にピアノを習っていた友人から楽譜を借りた。

彼女は「あなたが弾きたい曲が入ってる楽譜、家にあるから貸してあげる。家まで来て」と言った。彼女の家は私の家とは少し離れていた。やや逆方向寄りなのだ。でも私は彼女について行った。そして楽譜を借りた。

家に帰ると母は非常に機嫌が悪かった。ただいま、という挨拶に対して返ってきたのは「どこほっつき歩いてたわけ?」だった。確かに帰宅時間は通常より20分ほど遅かった。

正直に話した。友人の家に寄って楽譜を借りてきた、と。楽譜没収された。

ちなみにその友人は時々漫画も貸してくれていた。しかし母はそれを目敏く見つけて隠した(母はよく私が学校にいる間に私の部屋に入って物を漁っていた)。そして3週間ほど経った頃にクロゼットから出してきて「あの子に返してきなさい、今すぐに」と言ったのだ。

少し考えればわかること。この家は、何かが少しずつ狂ってる。

私にも自由が欲しいとゴネた事がある。他の女の子みたいにガーリーな服(当時は少し露出があるのが流行っていた記憶がある)が着たい。髪を伸ばしたい。休日友達とお出かけをしたい。バレンタイン友達チョコレートの交換をしたい。

ことごとく跳ね除けられた。

おしゃれがしたいなら家でやらないで外で自己主張して頂戴。学校お菓子を持ち込むのは校則違反でしょ?(それをバレンタインの日だけは黙認されてるから私にもやらせてくれと言ったのだが。)お出かけして遊ぶ暇があるならピアノ練習して勉強したらどう?アンタは目の前の遊びを取って将来を失うつもり?それに私たちがアンタのピアノ習い事にどれだけの月謝を払ってると思ってるの?その分ちゃん練習してよ。

そんな言葉で私の心はポッキリだった。でもその時はまだ幼かったので「高校生になったらきっと変わる」と思っていた。

ちなみに上記言葉を言われた後で私は一度だけ地域お祭りに友人と行ったことがある。

一言で言えば、つまらなかった。目に映る何もかもがくだらなく見えて、そんなくだらないものにはしゃげる友人たちが寧ろ一周回って羨ましく思った。その日の私はピアノ練習もしなかったから、鍵盤が恋しかった。結局皆より一足早く帰宅したはずだ。

…そんな私の感想に、母は非常に満足げだった。こればかりは癪にさわる。

高校私立女子校入学した。良い大学に行くことだけが目標だった。それさえ達成できたなら、きっと私の人生は報われると思った。おしゃれらしいおしゃれをしなかったことも、友人と行ったお祭りを楽しめなかったのも、バレンタインの日にお菓子作りをしなかったのも、全部全部。

周りの友人は有名らしいアイドルにどっぷりとハマっていた。週末になれば電車に乗って遠くへ行き、グッズを買い、ブロマイドを買い、皆で見せ合って楽しんでいた。

街のお祭りを楽しめなかった女は、アイドルの良さもわからなかった。女の子たちが「ねえねえ、このひとカッコいいと思わない?」と見せてくるのを適当に「ほんとだ、カッコいいね」と返した。

ちなみにミュージカルをやる部活に入ったが、言わずもがな母は私がそこに入部するのを死ぬほど嫌がったし、門限は昔よりもシビアになった。当然遊べなくなったし、部活も毎回早退していた。それは舞台本番の1週間前でも変わらなかった。先輩も同期も私の家の事を理解してくれていたことだけがいである。あの人たちは皆優しかった。でもその優しさに永遠に甘えるわけにもいかなかった。当時私はスマホを持っていなかったから「今日だけは門限を伸ばして」と公衆電話から家に電話をかけた。「それなら家に入れてやらない」とだけ返されて電話を切られた。私は職員室の前で泣きながら「どうしろって言うんだよ!」と叫んだ。

その部活は1年生の冬に廃部になった。まあ色々あったのだ。晴れて私は本当に勉強しかすることの無い暇人になったのである

英語にのめり込んだ。きっと海の向こうの人たちが喋ってる言語は私の住む世界を広げてくれると思った。

音楽は私の心の拠り所だった。親には「私たちがアンタのピアノ習い事にどれだけの月謝を払ってると思ってるの?その分ちゃん練習してよ」と言われていて、それでよくピアノが嫌いにならなかったな、と思わないでもないが、それはひとえにピアノ先生の教え方が非常に上手かったからだ。あの先生は一生の恩師と言っても良いだろう。ピアノ技術だけでなく、音楽を体全体で楽しむことの大切さを教えて下さった。

必死勉強して、そこそこ良い大学に受かった。当時は大学入試の定員規定が厳しくなったばかりだったか絶対浪人すると思ってたけど、受かった。第0志望、希望希望通りの学科

高校生の頃(というか小学校中学から)ずっと母は私に「アンタみたいに頭の悪いやつは、私の時代なら商業高校に行ってたよ。今はいいね、アンタみたいなバカでも人並みに高校に入れて受験できるんだからさ」と言っていた。

何度も娘をバカだと言わなくて良い。言われなくても本人がちゃんと分かってる。

大学は色々な地域から色んな人たちが入学していた。

同じ地域に住み、同じ景色を見ていた小中、その延長線上にあった高校とはまるで違っていた。私のような実家住まいもいれば、一人暮らしで頑張る人もいた。

でもこれだけは断言したいが「明日屋根心配しなければならない人」は私以外あの空間には存在しなかった。

大学講義は遅くて6時に終わっていた。母は言った。

「7時半には返って来れるでしょ」

まり、7時半が門限だということだ。大学生の、門限が、7時半。

あんまりだよ、と泣いた。父を説得しようとし、父方の祖母を説得しようとした。大学生なんだよ、大人だよ?と。でも父は母のイエスマンだったし、祖母(と叔母)は如何せん価値観が若干古かった。「7時半は十分遅いよ、お母さんは譲歩してる方だと思う」と言って譲らなかった。

遊ぶことはなかった。化粧もしなかった。ファンデーションだけだった。化粧なんてね、若いうちは要らないの。それが母がいつも言うことだった。

少し考えれば分かること。あの時の母は、私を完全にコントロールたかったのだ。

大学2年生の時、母に内緒彼氏を作った。

その年の秋、私はこれまた突然、手首を痛めた。関節炎だった。ピアノの弾きすぎ、PCの打ちすぎで利き手ではない左手に過度の負担がかかったらしい。もうピアノは弾かないでください。と言われた。

あの時の絶望といったら。私は身近な人を突然亡くした経験はないけど、多分親友がある朝突然死んだらこういう気分なんだろう、と思った。うまく使えない左手、もう弾けないピアノ。虚無感、なんて言葉じゃ補いきれないものだった。

私にとってピアノはそれほど大きな存在だった。嬉しい時も辛い時も一緒にいたのが、ピアノであり、音楽だったから。

その時急に現れたのが昔の知り合いだった「彼氏」だった。

少しずつお互いのことを話す中で私は小さな打ち明け話をした。休日が大嫌いなんだ、と。

当時母は土日のたびに癇癪を起こしていた。やれ私の歩き方が気に食わない、やれ私の話し声が気に入らない。どうしてアンタは私の気に入るように振る舞わないの?と。当時私は土日の早朝6時〜9時でコンビニアルバイトをしていたので、その早朝勤務の後に母の喚き声を聞くと言うのはどうにも「来る」ものがあった。

さて話を戻すと、私の打ち明け話を聞いた彼は私を週末のお出かけに誘った。電車の向こうの街でかれこれこういう催し物があるらしい、行ってみようよ。気分転換にさ。と。そういう具合に。そして私はその誘いに乗った。

母には「友達と出かけてくる」とだけ言った。情報は不足しているかもしれないが、嘘はついていない。少なくとも当時は彼はまだ「友達」だった。

そしてその友人は彼氏になった。

から告白された時、私は一種のチャンスを感じた。きっと私は自分証明できるとお思った。私の人生は私のもので、私の人生の決定権は私が握っているのだと。

しかも、当時の私が心から欲していたのは「絶対的な安全」だった。そして痛めた手首によって失われた「心の拠り所」だった。

きっと彼ならそれらをくれるだろうと思ったので、私は彼の告白同意した。

まりにも、身勝手


彼はそれ以来ちょくちょく私を外へ連れ出した。

その度に私はまるで世間一般に溶け込んだ気分になっていた。世間一般の「普通の子」になれたように思った。そしてその時私は心から喜んだ。「生きてる!」と無邪気に思えた。

私が勝手に出かけ、挙句彼氏まで作ったので、母は怒った。最初父は「別にいいんじゃないか?」と言っていたが、母があまりにも怒るので父も手のひらクルリと返した。

彼の名前学歴を言わされた。ひどく侮辱された。

母は私から家の鍵と財布の金、銀行カード没収した。お前に鍵と金を渡すと碌なことにならない、と言いながら。(ちなみにこの銀行カード、取り返したら今度は月に3万、家に入れる事を要求された。当然今度は私の生活費が足りなくなってバイトを増やしたら、要求される金額がまた増えた)

母は、アンタがどこへ行ったか全部わかってるんだからね!と怒鳴った。最初意味がわからなかったが、どうやらあの時の母は私をスマホGPS機能で追跡していたらしい。それが判明した時、私は泣いて彼氏に詫びた。どうしようもないものに巻き込んでしまったと思った。ざっくり言えば、母のやったことは犯罪に近いのだ。

彼は「気にしてないよ」と言った。

私は「いや、そこは気にしてくれ」と思った。というか、そう言った。

彼は「お前がかわいそうだ、どうにかして救いたい」と言った。

その心はありがたかったが、ありがたがると同時に私はそれを拒絶した。

「かわいそう」と軽々しく言えた彼はどこまでも温室育ちだった。4人家族ペット付き、平均的かそれよりも幾許か上の環境で、ぬくぬくと、二親に愛されて育ち我らが王子様のような扱いを受けてきた彼が言ったのは、永遠に「かわいそう」な立場にはならないであろう人間の、無意識傲慢だった。

「救いたい」と言った彼は、きっと人間人間を救えると信じていたのだろう。確かに信じるものは救われるとは言うけれども、彼氏とはいえ第三者立場人間他人を救えるのなら、今頃イエスキリスト聖母マリアもこの世から用済みだろうし、仏典聖典も要らない。でも世界にはそういうもの存在するのだ…。彼はそれをちゃんとは理解していなかった。

私の状況も、世界の状況も、「聞いて知ってはいる」けど「理解」はしていなかった。

彼氏母親という人は、息子から私の家の状況を聞いて、こうコメントした。

「あそこの大学の子だと聞いて安心していたのに。それじゃあ全く、訳アリのお嬢さんを拾ってきたってこと?」

…ってうちの母がいうんだ、面白いよな、訳アリだなんて。と彼は笑いながら言った。少なくとも彼の中で「訳アリ」という言葉一種ネタとして消費されたらしい。

私は彼氏ができた、とか勝手に出かけた、とかそういう「罪」で度々家を追い出された。そんな時私を匿ってくれたのは大学の友人たちだった。

追い出されるたびに顔色が悪くなる私を見て友人は私の目を閉じさせ耳を塞がせ、その間に家中刃物という刃物を知らない場所に隠した。彼女曰く「今のアンタに刃物を見せたらすぐさま死んでしまいそうで怖い」。当時の私は一体どんな顔をしていたのだろう。

結局、私は彼と別れた。

彼は普通の家で育った普通人間だった。そんな温室の彼を「私」という人間に巻き込み、異常なものを見せ、その一部だけでも経験させてしまたことは、私が負うべき「罪」のように思った。そして、そんな異常な場所から彼を一刻でも早く遠ざけようと思った。「かわいそう」という言葉も「訳アリ」という言葉も、ネタとして理解できる世界に戻そうとした。

それが正しいかどうかは本当にわからない。でも身勝手だったとは思えど、あの時の私にできた「最善」の判断は、それだった。

どうか彼には「普通」の彼女ができていてほしいと思う。そして、私の視界に入らないところで幸せになってほしい。

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大学3年生になり、2つの喪失、「普通」の概念について考える日々、加えてコロナ禍。最悪だった。それでも秋までは保った。そして秋になって体調を崩した。

感情がわからなくなった。楽しいとか、嬉しいとか、悲しいとか。

指先から血の気がひいた。四六時中まるで体全体が後ろから引っ張られているような感覚だった。

ほんの少し正気に戻ったその瞬間に病院に行き、うつの診断を貰った。ついでに精神安定剤も貰った。(本来抗うつ剤をもらう予定だったが、そういう精神に効くタイプの薬を飲んだことがなく不安だったため、安定剤からスタートになった)

家族はまるでお手本のような否定言葉をぶつけてきた。

仮病だ、とか、考えすぎだ、とか、甘えだ、とか。診断をした医者はヤブだ、とも言った。そして私から保険証現金没収した。よって私は途中で治療が止まっている。


正直、大学3年4年をどう過ごしたか記憶がない。

ちなみにかの「原神」を始めたのは4年の最初だったか、それくらいだったはずである。(タブレットデバイス様様で、こういうゲーム自分スマホに入っていれば「実体」が無いので、両親は私が流行りのゲームを始めただなんて夢にも思っていない)





うつの診断を受ける前だったか後だったか、とにかくその辺りの時期に私は数回手首を切った。そのうちの一つだけ、鮮明に覚えている。

衝動に任せて切って、うっすらと血を滲ませた。最悪だったのはそれが金曜日で翌日にはバイトがあったということだ。(※この時は体調の限界やらシフトの都合やら色々なものが重なって、私のシフトは早朝6時〜9時ではなく、9時〜12時に移っていた。そこには私の幼馴染の男の子も一緒に働いていたので、早朝から働いていた時よりは幾分気が楽ではあった)

さて左手首を切って血を見て1時間、なんとなく冷静になった時に気が付く「待てよ、明日バイトじゃん」は本当に最悪だ。急いで薬をぬり(強めのステロイドだった気がする)、ガーゼを乗せて包帯を巻いた。

翌朝幼馴染の彼は「それ、どうしたんです」と聞いてきたので、私は笑って言った。

「関節炎の湿布


この幼馴染、私が怪我をしたとなるとまるで問診か何かのように問い詰めるのである。どこで怪我をしたの、どうして怪我をしたの。その時何があったの、いつもと変わったことでもあったの。

手首は数回掠った。そしてもし、もう一度でも金曜日にそれをやった上で「どこで、どうして怪我をしたの」と問い詰められたら、私は誤魔化せる自信がなかった。

そもそもコンビニアルバイトなんて、いつヘルプ要請が入るかもわからないものなので、それが金曜日じゃなくても、手首を切るのは普通にアウトだった。いつか誤魔化せない日が来ると思ったし、その調子で切ってたら取り返しのつかない事になるのは目に見えていた。

それ以来、手首を切るのは自制している。少しばかり、褒めてほしい。

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先日、この幼馴染と少しばかりの遠出をした。

出かける予定を作ったことを正直に母親に白状し、許可を得た(これがまたハードルが高かった。)母は私たち電車で行ったと思っているが。

私は彼が運転する車に乗って遠出した。





帰りの移動だった。彼は、夜の暗闇が一番好きだと言った。

私も夜が好きだと返した。夜は良いなと思う。あの暗闇も、程よい明るさも好きだ。

その日すっかり疲れてしまっていた私はぼんやりと、彼に少しばかりの昔話をした。

まだ私が早朝6時のバイトシフトに入っていた頃、5時に起きて支度をしていたから冬の早朝は真夜中みたいに真っ暗だったのだと。そして少し季節が春に近づくにつれて日の出時間も早くなり、西の空は暗く、東の空は明るくて、私はその真ん中に立っているような錯覚を覚えたのだと。まるで、昨日と明日の境目にいるような気分だったと。

ある時私は親に家を追い出されて、月曜火曜ならまだしも金曜日に追い出されたのなら翌朝のバイトは始発電車に乗らないと間に合わなかった。まだ空が真っ暗な時間にそっと友人の家を出て、電車の窓の外がうっすらと明るくなるのを見ていた。

そう言った。話し終えてからようやく自分が一体なんの話をしたのか、一体彼に何を聞かせていたのか気がついた。

変な話してごめん。私の家の騒動を知ってて私を家に泊めてくれた友人くらいしか知らない話だ、多分他人に初めて話した、幼馴染の女の子ですら知らない話だ…。と途方に暮れながら謝罪したところ、彼は「そうだろうね」と言い、こう続けた。

「よく、怪我しませんでしたね。危ないでしょう、色々と」





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今も私は「普通ってなんだろう」と考えている。

家では相変わらず母がつまらないことで喚き散らしているし、私の髪の一本一本にすら執着し干渉している。そして相変わらず父は母のイエスマンだ。


幸せになりたいな、と思う。

でもまず私は「幸せってなんだろうな」から思考を巡らせなければならい

そもそもはいまだに感情の生成についての問題解決していない。

たぶん私という人間も私の家族も、私の家の一族も何かしらが「おかしい」のだ。皆が皆で、それぞれ違うベクトルで狂ってるから、その異常性に気がつきにくい。

でも気がついた人が気がついた時に「終わらせなければならない」。母は自分自分母親と絶縁した。もしかしたらそれはいつか来る自分未来だと思う。

それはそれとして、もし誰かが私の幸運をほんの少しでも願ってくれているのなら、多分、私はまだ幸せだ。

2023-03-11

卒業式から一年経った

同期5人、ひとつ下の後輩1人のサークルの仲良しグループがあった。(各々がどう思ってたかはともかく、仲良しということにしてください)去年、私が卒業した時にサークルでもらった寄せ書きに、後輩のメッセージカードが入っていなかった。私以外の4人には、みっちりびっしりカード2枚も3枚も書いていたらしい。後輩からカードを貰ってないことに気づいてから、その仲良しグループで「後輩からメッセージカードがアツくて泣きそうだった」みたいな話になるたびに愛想笑いをするしかなかった。

一年経って、その後輩が卒業する年になった。寄せ書きを作ろうと言う話になり、遠方に引っ越した同期はわざわざメッセージカードを書いて郵送してきた。私がそのカードをまとめて台紙に貼って渡すことになり、全員分のカードが私の手元に来た。みんな、私以外みんな、"いいこと" を書いてて、しかも本気でそう思って書いてるぽかった。自分の書いたメッセージが薄すぎて書き直そうかと思ったけど、もう一回書いたところで書くネタ感情もないのでそのままにした。

私と後輩はその程度の関係で、後輩が私だけカードを書かないのも、まぁ当然だったな、と気付いた日だった。後輩ちゃん卒業おめでとう。

2023-03-10

小学校時代からよく学校を休む子だった。

体が弱いのですぐ風邪を引く、肺炎インフルエンザに罹った事も一度や二度ではない。

そもそもまれた時から体が弱かったのか、小学校入学までに7~8回ほど命に関わる手術を受けたらしい。

自分にそんな記憶はないのだけど、母や歳の離れた兄弟の話を聞く限り恐らくそれは事実なんだろうな、と思う。

すぐに体を壊して学校を休む、というだけでなく家でTVゲームをやりたい、体育の授業を受けたくない、いじめられたくない、というほんの些細なからよく学校を休む子供だった。

そんな自分が好き好んで学校に行っていたのは、小学校から高校までの12年間で、同じクラスの子に恋をした中学校三年生の一年間だけだったと思う。

の子と同じ高校に行きたい、とその時は真剣に思っていたけれど、何せ学力テストでの全教科の合計が150点前後一教科平均で30点ほどしか取れない馬鹿だったので、好きな子と同じ学校には進めなかった。

この時点で自分は同学年の子と比べても頭が非常に悪い事を自覚しておくべきだったのかもしれない。最近言葉で言うとギリ健、いやもしかしたら本来なら特別支援学級に通った方が良い子供だったのかもしれない。

まあ、そんな馬鹿でも入れる高校となると自分名前が書けて小学生レベルの問題が解ければ入れるだけの所謂バカしか無かった。そう呼ぶのはそこで働いていた先生や、真面目な同級生たちには大変失礼だとは思うけれど。

そんな馬鹿でも入れて、小学生レベルの問題が解ければ入れるバカ高でも、自分は付いていけなかった。幾つか…簡単な、馬鹿でも取れる資格だけは取れたけど、勉強には付いていけず早く家に帰ってゲームしたい、と思っていた。

後輩の不良が怖くてトイレに行けず、先生相談して綺麗なトイレが使える近所のデパートまでの外出許可を貰っていた。三年間同じクラスだった同級生とも結局仲が良い友達は一人も居なかった。

隣の席の女子からは本当にこれ以上は無いというくらい嫌われていた。体育の時に近くの体育館までバスで外出するタイプ学校で、その席も固定で隣の女から本当これでもかと嫌悪感をぶつけられた。

そうなると、ただでさえ嫌いな体育がもう授業そのものより参加する段階から自分にとっては苦痛しか無かったので、体育のある曜日絶対に休むようにした。隣の席の女子もその事に満足していたのではないだろうか。

友達が一人も居ない、女子からは毛嫌いされている、勉強が出来ず授業態度が不真面目なので当然先生から好かれる訳もない。三年間通った学校卒業した時も、中学校の時と違い満足感や寂しさのような物は一切無かった。

ただ、唯一嬉しかったのは卒業式の後家族が外食に連れて行ってくれた事だった。そこまでの18年間の人生でも本当に家族には迷惑かけっぱなしだった。もし、自分が逆の立場だったらこんな奴すぐ見捨てていると思う。

高校卒業してからは…基本的にずっとニートを続けている。

中学校時代の友人がアルバイトに誘ってくれたり、新しく生まれた親類のために少しだけほんの少しだけバイトをした事もあったけど、長続きしなかった。バイトを即効で辞めたため、結局家族に大きな負担をかけただけだったと思う。

学習性無気力というのか、今度こそバイトを続けるぞ、と思って考えなしに行動しては痛い目に遭うという事をこれまで4回か5回ほど繰り返して、もうバイトしたくない、痛い目に遭うだけだな、と悟った気がする。

サポステ斡旋してもらう形で紹介してもらった食肉工場では、そこで支給されるエプロンナプキン?が体に合わなかったという事で、さあ働くぞ!と思って出勤するも、出勤初日から現場に入れずに泣きながら当日辞めた。

派遣会社派遣してもらった次の食肉工場では、一日目にサイズの合わない作業靴で親指を痛めたり、現場リーダーが口が利けない外国人のお爺ちゃん作業中にニヤニヤ笑いながら殴ってる所を初日に何時間も見せられた。

その派遣会社と結んだ契約なんて知った事か、ともう次の日からその現場に向かう事を拒否した。自分絶対現場に行かないという勇気が無かったので、親に代理電話をかけてもらった。凄く情けない大人だと思う。

その次、タウンワークで自宅の近場にあった倉庫での作業は一週間だけ続いた。大した面接も無く働かせてもらえる事になって本当にラッキーだと思ったし、そこで働いてる人達も親切そうで良かった、と初日は思った。

ただ、リーダー格的な頼りになるおじさんがある同僚一人を露骨に虐めていたり、最年長の仕事が出来るベテラン爺さんが自分仕事を全てやり直したり、凄く簡単仕事さえ自分にはスピーディーに、丁寧にこなせない事が分かった。

初日から足を棒のようにして7時間働いただけでもうくたくたになってしまった。それで時給が800円前後だと、もうここで働くのは自分には無理だなあ…と、前回の工場と比べれば天国のような環境にも関わらず7日で辞めてしまった。

親に「何でも良いからとにかく働け」と言われたり、自発的に何か贈り物を挙げたいという動機アルバイトを始めても早ければ当日、長くても一週間で辞めてしま人間である事が4~5回の経験で分かった。

アルバイトに出てもどうせすぐに辞めるし、辞める度に自分ではなく親が代わりに辞職を願い出て自分は隠れて震えている、という事を何度も繰り返してここ数年はもう簡単アルバイトに出ようとさえ思わなくなった

親は「とにかくアルバイトでも良いから何かしてみろ」と言うのだけど、実際にサポステタウンワークを利用して働こうとすると「よく考えろ。考えなしに動くな」と矛盾したような事を自分に言った、と思う。4~5回、それを繰り返した。

ここからは本当に恥ずかしい事なんだけれど、倉庫でのアルバイトを辞めた後親に「何でも良いからとにかく働け」と言われると、怒りのままに物を壊し親兄弟暴力を振るった事が数えた事は無いけれど数十回はあると思う。

自分より非力で、もう体力もない親や兄弟暴力を振るう事に、自分は何のブレーキも無かった。普通なら、自分家族にそんな事出来る筈ないだろうに、自分は出来てしまった。自分は、正常な人間では無いのだと思う。

心療内科精神科医先生自分発達障害だ、と正確に診断を受けたのはここ数年の事だった。それも、ADHDだけでなくややアスペルガーの気もあるらしい。通りで自分には空気が読めない訳だよなあ、とやっと理解出来た。

自分家庭内暴力も、自分より強い父が生きていた頃は母親兄弟に向かう事は無かったので、自分は「群れの中で自分より強い父」と言うブレーキが無ければ家族に全力暴力を振るえる動物なんだろう。人間と言うより、動物

最も、母親兄弟に向かなかっただけで飼っていた犬や猫には苛立っている時には八つ当たり暴力を振るうような人間だったので、それは今更なんだろうな、とこれまでの自分の行動を振り返って見てみると思う。

お祭り金魚を釣って来ても愛情を一切注がず、母親兄弟に世話をさせていた。兄弟が飼っていたリスの籠を蹴ってしまい、リスを恐怖させ早死にさせてしまった。動物への行い的に、もし地獄があるなら死後は地獄行きだろうか。

この自分精神的傾向は、父方の祖父にも、父にも、兄弟にもあるし、方向性は違うけれど、母も異常な所が無いとは言えない。ただ、社会適応出来た両親や兄弟と違って、自分けが落ちこぼれなのは、やはり原因がありそう。

新しく生まれた親類、つまり自分の甥姪もこの父方の精神性を受け継いでいるのだろうなと思うし、高齢出産という事もあり、もう今の段階で知的障害発達障害の傾向が見られるので、この先苦労するだろうな、と悲しくなる。

自分は今、母親不動産収入父親の遺族年金と両親が一生懸命貯めた貯金を食い潰して生きている。それが無くなるタイムリミットは…正直、分からない。数十年、は無理だと思う。

今でも母親に「早く働きに行け」と言われるとカッとなる。そう言われて働きに出た結果何度もすぐ辞めたし、もう長続きしない事が分かったから。カッとなっても暴力を振るわないよう、最近はもうしばらく口を利かない方向にしている。

そう言えば、10年以上前に一緒にアルバイトに誘ってくれた中学校時代の友人ともここ数年は連絡が取れなくなった。寂しい気持ちと、もう親族でない他人と付き合わなくても良いという楽な気持ちが入り混じっている。

頭が悪く、能力が低く、仕事は長続きせず、肉親や小動物暴力を振るう事に躊躇が無く、ただ無駄飯を食らって生きているだけの知的障害精神病の中年男。こんな自分は生きているべきではない、とここ数年思っている。

今は障碍者手帳申請したお陰で、発達障害者向けの薬を1割負担で貰えるが、飲むと体調が悪くなるので気が向いた時しか飲んでいない。母親口喧嘩になるとすぐに「その薬を飲め」と言うのもある。キチガイ用の薬と言う訳だ。

税金も、父親が無くなってからは一度も市に納めていない。ズルズルと延期しているけれど、恐らく自分死ぬまで一度も収める事は無いのではなかろうか。そもそも、何の税金かさえも分かりはしないし。

確定申告も、自分PCで遊び惚けている間に母親が全て書類を用意して手続きを頑張ってくれている事をつい先日知った。自分は、確定申告とはどういうことなのか、何を書き込めば良いのかという事も一切理解していない。

今の自分は、毎日無料アニメ無料漫画時間を潰して生きている。自分をすり減らして働いて生きるよりは幸せなんだろうな、とは思う。最近だとジャンププラスゼブラック、コミックDAYSヤンマガWEBが本当にお気に入りだ。

暇を潰せて生きているけど、こんな自分主観的にも客観的にもさっさと死んだ方が世のため家族のためだと思っている。早く死にたい、と言う度に母は悲しそうにするし何だか怒るけど。

自分死ぬ勇気はないけど、早く死にたい母親が死んだら、自分も後を追って早く死にたい。もし母親ボケたり要介護の体になっても、自分には介護をする自信が無いので、酷い話だけどそうなる前に、早く死んでほしい。

こういう身内のお荷物のような人間は、両親が死んだ後今度は兄弟寄生し更に狂暴化するという話をこの前ネットで見た。そうなる前に、狂暴化する前に、何らかの方法で、出来るだけ苦痛なく幸せ死ぬ事を、自分は望んでる。

そう言えば

文章が書ける人間知的障害ではない」という俗説をよく聞くけれど、

そういう人には「小学生低学年の知能でも文章は書ける」という事を分かってもらいたい。自分は、小学生の時から中年の今まで、頭の中がアップデートされていない自覚があるのだから

読み返したら誤字ばかりだった

2023-03-08

anond:20230308134713

anond:20230308134714

バレないし。

消されると困るから魚拓

ピュアな子がいたら

「気になっている女の子がいる。その子ものすごくピュアっていうか一途な子だった。

先日のサークル飲み会で、過去恋愛のことを女子同士で話してるのが聞こえてきた。その子他人彼氏の話には「え〜ドキドキする〜!」と盛り上がっていたのに、彼女自身の話になると「恋愛とか、あんまりよく分からない……」とか言って濁していた。

これは後日、本人から聞けた話で、彼女女子出身で中高は恋愛とは無縁。小学校5年生のときから好きだった男の子の夢を今でもみて照れてるそう。その男の子とは小学校卒業式以来、一度も会ってないし、お互いに進学した学校しか知らないらしい。

ピュアでめちゃくちゃ可愛い。お前どう思う?」

みたいな感じの話をされました。正直、「そうなんだ、頑張って」以外の感想が出てこなかったんですが、この話を聞かされたとき皆さんはどう思いますか?

多分、他の男が恋愛経験の浅い女性ときめくかときめかないか、とかいうのを聞きたかったんだと思います(?)

バレると怖いからあとで消すかも

処女食いみたいのには憧れるけど、その子鈍い。

相当強引に行くか時間をかけないと

付き合えない。おセックスできない。

ピュアでめちゃくちゃ可愛い。お前どう思う?」

みたいな感じの話をされました。正直、「そうなんだ、頑張って」以外の感想が出てこなかったんですが、この話を聞かされたとき皆さんはどう思いますか?

多分、他の男が恋愛経験の浅い女性ときめくかときめかないか、とかいうのを聞きたかったんだと思います(?)

2023-03-07

anond:20230307003704

こういうの全く1ミリ記憶してないんだよなあ。

大学卒業式とかですら何も記憶にない。

そういうの覚えてられる人は社会性高いイメージがある。

かい春の日差し

小学校6年の卒業式でやった「呼びかけ」をまだ覚えてるな。

かい春の日差し

まぶしい朝

今日ここに集った

ぼくたち

わたしたち

もう流行らなくなったのかな。

子どもたちは普通に送辞答辞だった。

2023-03-05

素顔だと本当の自分が出せる、という感覚が分からない

マスクを外して素顔で卒業式、ってニュースがあったけれど

こういう、素顔=本当の自分という図式が正直理解できない

自分場合不細工な顔を見られるからどう考えても、素顔よりも顔を隠していた方が本当の自分が出せるから

コロナマスク義務づけられたのは有り難かったんだよなあ(まあマスクでも目は隠せないから完全ではないけど)

他人の素顔も見たくない

美形だったらコンプレックスを煽られるし不細工だったら共感して辛いし。

今はこんだけVtuberだの何だの流行ってるんだし

顔を隠した方が安心して本当の自分が出せるって方が常識になってると思うんだけど

anond:20230305122903

花が嬉しいって価値観自分もよく分からないな

花なんて男からもらったことはなく、卒業式とか送別会ばかりだ

写真とってコップや空き瓶などで飾って枯れたら捨てる

花を飾るような自宅でもないので扱いに困る

まあ造花は残るから処分に困るし、消え物としてなら生花が良いのかもしれない

2023-03-03

元カレ浮気相手は、女子高生だった。

 あるよく晴れた、暑すぎる夏の日だった。

 高校3年間と半年ほどを共にした恋人から、別れの電話を受け取った。本気の声だったけど、嘘を言っているのがわかった。たぶん、別れたい本質的理由はそこじゃないのだろうと思ったが、どうせ別れる相手だと思って何も言わなかったし、言えなかった。何となく最近の振る舞い方から別れを切り出されるのはそう遠くないと思っていたし、辛かったが現実として受け止めるにはそう時間もかからなかった。幸せになってね、と一言だけ伝えて電話を切った。

 それから1年が経ち、また暑すぎる夏がやってきた。共通の友人だったひとから聞いたのは思いもよらぬ衝撃的な事実だった。

 「元カレ浮気してたらしいよ。」

 え、あ。

 へえ〜。

 はあ、そっか。

 言葉が出てこなかった。普段感情言語化するのが得意な私だったが、この時ばかりは空気みたいな言葉しか出なかった。

 友人は面白がってるのか、私が嫌な思いをするだろうとか考えもしなかったのだろう。笑いながら、「そんな人どうせ幸せにならないって!」と言う。そうか、そんなもんか。まあそんなもんかと思うしかないよななんて自分が傷付かないために、心にある色々なブレーキを精一杯かけた。まあ高校3年間は楽しかったし。あの人のおかげで成長できた部分もあったし。何度も言うけど楽しかったし。正直、悪を正当化させるのに事実なんていらなかった。ただ「そう思いたい」という気持ちのみが、間違いではなかったと言い聞かせる材料になるのだ。

 そんな衝撃的“事実”を聞いてからまた少し経ち、春が来ようとしていた。新しい恋人も出来て、私も私で幸せに生きていた。もちろん浮気をされていたということが色々な気持ち弊害になっているのは確かだったけど、何とか新しい恋人を信じ切ることもできるようになっていた。順風満帆に見える人生だったが、不幸は突然やってくる。

 元カレと、新しい彼女……浮気相手だったという子のプリクラを、本当にたまたま見てしまった。SNSアカウントも、何なら新しい彼女がどんな子かも知らなかった。なのになぜか嫌なものは回ってきてしまう。

 

 女の子は、私と彼の出身高校制服を着ていたのだった。

 あの日卒業式で一緒につけた青い花のブローチをつけて。

 それを見て、それが何かをきちんと理解した瞬間、私の心のブレーキは一気に効かなくなった。突然、何もかもが見えなくなるような気持ちになった。

 こんな簡単言葉にしたくはないけれど、辛かった。本当に辛かった。私は浮気相手になってしまった子と同じ高校に一瞬でも通ってしまっていた。私と一緒に作った思い出は、浮気相手と話を盛り上げる手段になってしまった。私が彼と過ごした数年間で彼を作ったものが、浮気相手しか女子高生と恋に落ちるための序章になってしまった。

 

 きっと彼女とは卒業旅行に行くだろう。私とは感染症予防で行けなかったディズニーに行くだろう。そして私と行った3泊4日の金沢旅行なんて忘れてしまうだろう。他にも、一緒に過ごしたあの高校での思い出も、彼女と言う存在に塗り替えられて、私と出会った場所ではなく、彼女とを繋ぐ場所になったのだろう。

 もう彼のことは好きじゃない。それでも、許せなかった。これはもう浮気をされたひとにしか絶対にわからない。本当に許せなかった。年上がタイプで甘えられる人が好きなんて言っておきながら、年下で自分に甘えそうな、鼻の低い一重の女に乗り移ったのか。

 浮気相手のことも許せなかった。女がいるかどうかくらい、わかってくれ。何より、年上ってことを利用するような男なんかに、本気にならないでくれよ。てか女子高生から見た成人男性なんてカッコイイに決まってるだろ。そいつじゃなくたって良いだろう。

 何より貴女が恋に落ちたそのひとは、私のものだったんだよ!!

 そう、私のものだったんだよ。

 高校1年生の春、初めて出会った部室。お前、すげえ無愛想だったよな。なんて呼べば良い?って聞いたらすっごい空いて、中学の時のあだ名を教えてくれたよな。本名とか知らなかったよ。でも名前漢字がすごく美しくて、由来が両親の好きなゲームだったんだっけ。もう両親は不仲で家では何も話してないって、よく不満そうに言っていたよな。

 高校1年生の夏、みんなで頑張った部活練習暑かったよな、冷えピタとか貼ってバカみたいな顔してた。練習が終わっても夕方の冷えた風が吹くまで一緒に喋ってたよな。あの頃はまだ一緒に帰っていなかった。お前の家と私の家、そういえば逆方向だったし。

 高校1年生の秋、初めて勇気を出して誘った放課後喫茶店。お前はキャラメルカフェオレを飲んでいた。飲むスピードがびっくりするくらい早くて笑ったよ。そういえば食べるのはすごく遅かったのに、何であんな飲むのだけ早かったんだろう?確か、そこにものがあったら飲んじゃうって言ってたよな。それ病気らしいよ気をつけてね。

 高校1年生の冬、勇気を出して渡したバレンタイン本命って気づいてくれるかななんて思って渡したけど、私があまりにも無愛想に渡すもんだから義理チョコと思われてたんだっけ。馬鹿野郎義理チョコあんな丁寧な手紙同封するわけないだろう。それから1ヶ月して告白して付き合って、その日は初めて手を繋いで、顔が痛くなるまで笑った。人に好かれるのって、それを伝え合えるって幸せだねってよく話してた。

 高校2年生の春、クラス替え一緒にならなくて悲しかったよな。一緒のクラスになったらダンス一緒に踊れるはずだったのに。結局お互い誰と組んだんだっけ?覚えてないなあ、私、お前の衣装姿が可愛くてかっこよくて、今でもなんか思い出せるよ。私は紫で、多分お前は青だったよね。似合ってた。体育祭、3年生の頃はなかったかあの日のことすごい鮮明に覚えてるわ。

 高校2年生の夏、一度別れた。何で別れたんだっけ。なんかショックすぎて覚えてないな。返しそびれたCDを返したいとか言って久々に会ったよね。あの時普通に楽しく話せて、また戻れるんじゃないかなあって思ったよ。あの日の緊張、今もどんなだったかわかるよ。

 高校2年生の秋、もう部活もしなくなって本当は会えるわけないのに、私が前みたいに色々なところ無理やり誘って一緒に遊びに行ったよね。なんか映画とか見た気がする。お前最初から最後まで興味なさそうだったけど、今思えば何で着いてきてくれたの?友達いなかったのかな。その後パンケーキ食べたよね。甘くて食べきれなくて、気持ち悪かったよ。その日たまたま月が綺麗で、夏目漱石気持ちを強くわかったな。

 高校2年生の冬、クリスマスイブの日にカラオケでまた付き合った。イコラブの制服クリスマス歌って、「大人になって今日この日を、僕は思い出すだろう」って、なんかなぞる気持ちだったよ。あの日久しぶりにキスをして、嬉しくて泣いた。カラオケに入るまでは友達、出た後は恋人って、雑魚スカイツリー広告だよね。多分広告なんて興味ないだろうから、何言ってるか分かんないだろうけど。

 高校3年生の春、コロナ流行って学校に行けなくなって、会えなくなった。でもお互いの家のちょうど間くらいの場所公園があって、なぜか誰もいなくてよくそこでマスクしながら会ったよね。たまにデカい犬の散歩してる爺さんが来てた。そこから見えるいつもいっぱいの駐車場には一台も車がなくて、ふざけて「コロナでみんな死んだ後の世界だね、二人きりだね」なんて笑った。私、正直それが本当になったら幸せだなあって思ってたよ。

 高校3年生の夏、コロナの影響で全然夏休みとかなくて、しか受験勉強でなんか全然記憶ないな。でも二人が一緒に高校で過ごせる最後の夏だって思うと、妙にワクワクした。これから一緒にずっと過ごせても、高校生の夏は一生来ない。お互いどうしようかって思ってたけど、私は美大に、君は文学部に行くって決めたね。国語読書が大好きな君が、大学で何をするのかすごいワクワクしてたよ。

 高校3年生の秋、私はひと足先に進学先が決まって、そこからずっと君の受験応援した。確か塾に行き始めて、金銭的に英語の授業しか取れないって言ってたけど、君は記憶力も悪くないし国語は得意だし、それさえ伸ばせればきっと良い大学に進めるんだろうなって思ってたよ。私の方が英語得意だったのにいつの間にか私に教えてるくらい成績よくなってたよね。すごいよ。ほんとに。

 高校3年生の冬、2月ごろ確かお互いようやく進学先が決まって、もう残すは卒業式だけだった。高校生活最後の日、サイゼリヤでどれだけ食べられるかって隣駅のサイゼリヤまで行った。途中から吐きそうなくらいしんどかったような気がする。間違い探し全部見つけた時の達成感、めっちゃ面白かったなあ。卒業式の日は一緒にプリクラ撮って、観覧車乗って、キスして、本当に3年間ありがとうって泣いた。本当に大好きだよって言った。ずっと一緒にいようねって、言った。

 

 でも、お前浮気してたんだな。バイト先の女子高生と。妹と同じ年齢の女の子に。私に言った全ての言葉を嘘にして、彼女と手を繋いだんだね。

 選ばれなかったという事実が、貴方と過ごした日々は全て無かったことになってしまったということが、もう一生戻れないということが、私は辛いよ。苦しいよ。

 

 また二人にしか通じない言葉で笑おうよ。子どもが生まれたらなんて話す時につまらないキラキラネームを言って本気にならない会話をしようよ。公園で一緒にハンバーガーを食べながら桜を見ようよ。興味のない映画に着いてきてよ。顔の大きさが全然違うプリクラ爆笑しようよ。私はピアノを弾くからその優しい声で楽しそうに歌ってよ。将来私が作る晩御飯リクエストしてよ。私の飼い犬を可愛いなあって笑いながら撫でてよ。その黒い髪を私の手で梳かさせてよ。カラオケで一緒にaikoを歌おうよ。ハグで全部分かった気になろうよ。

 

 もう一度好きになってよ。

2023-03-02

卒業式マスク外そうとかいうノリ

なぜか卒業式マスク外すことが生徒学生のためになると思ってる人たちがいるから言いたいんだけど、「せっかくの卒業式なんだからマスクは外さなきゃ」っていうことは今まで3年間マスクをつけたまま過ごした青春マスクを外して過ごした青春劣化だって言ってることと同じだよね。

別にマスクをつけたままでも青春価値は変わらないし、勝手に憐れんで他人青春価値判断しないでほしい。

2023-03-01

日笠賢校長は「マスクは『顔のパンツ』になってしまっているということもあるのでは」と心情をおもんぱかった。

<特報>「顔パンツ」外すのに抵抗も 晴れ舞台卒業式に「初めて見る顔ばかりで新鮮」

https://www.sankei.com/article/20230228-3CON5L7BIROSDORKWRTJHRXYG4/





パンツ!!!

2023-02-28

トンとテキとビフを探す増田ますが差を不備と来て豚と(回文

おはようございます

トンテキのテキってなんだろう?

もしくは、

トンテキの敵ってなんだろう?って思いながら

テキはステーキのテキらしく

トンテキの敵はそれに匹敵する美味しいご飯が抜群に合うおかずって未だ発見されていないわ。

でさ、

私は日替わり定食探検家として

お気に入りの月替わりで献立が変わる変化するお店の

今日の日替わり今月一番大当たり!って思ってお店の軒先に掲げて発表されてある今日の日替わり情報写真をノールック今日は何かな?って見ないつもりで飛び込み前転しながら入店しようと思ったけれど、

指と指の間から今日の日替わり定食写真見えちゃった!

正確には指と指の間から見ちゃった!って言う方が健全で全うかも知れないんだけれども、

そのトンテキ定食

なんか思っていた期待した豚味もさることながらこれ調味料の味でのみで食べてるんじゃない?ってトンの肉自体の旨味を感じる前に、

酢豚の豚の様な素揚げしたところに、

ニュースで言うたまに出てくるバールのようなものでとここではそのステーキソースのようなものにまぶしまみれた感じの定食の仕上がりに

私は日替わり定食探検家として

このトンテキ定食は一瞬グッドスメルをかましつつ、

かつての宮崎美子さんばりにテカテカにピカピカに光った光沢の豚肉がその全てのシズル感で迫り来る迫力のが当たりだと思わせといて一番のハズレなのかも知れない!?って

シズルがハズレって韻を踏んでいて踏んでいないかのようよ。

それでちょっと今日のはガッカリかも知れない残念な日替わり定食と思った矢先だったのよ。

素材もとよりソースの濃い味付けだけを頼りにして食べさせてない?的なこのご飯の進み具合よ。

この無駄宮崎美子さん級のシズル感でテカテカにピカピカに迫ってくる迫力。

酢豚形式の軽く素揚げした豚にどう見てもステーキソースを絡めていただけの感じがして私の口の中が酢豚故郷を遠く感じさせるように馳せ参じて酢豚気持ちになったぐらいだわ。

酢豚を食べさせたくなる迫りくる迫力の宮崎美子さん級のテカテカのピカピカなシズル感としては美事成功しているわよね。

シズル感のみだけで食べさせているトンテキ定食よ!これ。

で、じゃあさじゃあさ、

トンテキのテキはステーキのテキだけど

ビフテキのビフってなに?って思ったのよ。

ビフって幻の動物がいるのかしら?

ビフってそう思ったら謎じゃない?

レジェンドピン芸人研ナオコさんがセロテープで鼻をあげて留めて変な顔で面白く見せる様子を私も人差し指テープこそは貼らないものの指で鼻をあげて

そこで

ビフビフ!って

言わないわよ!!!

ってぐらいビフビフのビフって何の動物なのかしらって知らないまま食べていた今までの思い出を返して欲しいわ!

卒業式の時に在校生卒業生か分からないけど、

言ったセリフのその後に輪唱のように続いてセリフを言う感じに、

思い出を返して欲しいわ!返して欲しいわ!って言うレヴェル。

かと言って、

チキンのそれは

チキテキとは言わないじゃない、

そう言う時はちゃんチキンステーキしかも皮パリパリバージョン!って

もしに仮にもも

もしもしって電話して注文しつつ

テキテキって洋食定食があったら

テキのテキってなに?って

前半のテキか後半のテキか?どっちのテキのことを聞いているのか一瞬分からいかも知れないのでややこしい話しよね。

でも

テキサスで食べる本場テキテキ定食!ってそそられると思わない?

へいらっしゃい!

おやっさん!テキテキ定食一丁!

塩にするかい?タレにするかい

いや私は塩コンブわさびトロ山芋ソースがいいわ!

お客さんなかなか通だね!だけどそんなのないよ!

ヘイお待ち!

おやっさん!テキテキ定食のじゅうじゅう音がしてなっている熱々の鉄板の器の縁に親指かかってる!

ラーメンどんぶりにインしている親指のラーメン屋さんの大将じゃないんだから!もー!って

そんな本場テキテキ定食洗礼を浴びたいわ。

そして、

そのじゅうじゅうの鳴って音がしている熱々の鉄板の上にないと言っていたのにある塩コンブわさびトロ山芋ソースをかけてじゅうじゅう言わせるの!

多分テキサス名物のテキテキが食べられる、

って実際にサボテンのことをテキテキって言うらしいか

あながちテクスメクス料理のテキテキ定食

ハイコンテクストな内容のハイコントラストテキストで書かれたメニューは読みにくいったらありゃしないわ。

テキテキ専門店ハイコンテクストな内容のハイコントラストテキストで書かれたメニュー表のテクスメクス料理のテキテキ定食は的確に美味しい的な!

的な!!!

今ここに新しい早口言葉誕生しました!って勢いで言いたいぐらいよ。

爆誕しないだけましよ!

って莫山先生が言ってました!

爆誕したって言っていいのは莫山先生本格焼酎かいちぐらいよね!そのぐらい私だって知っているわ!

間違っても大分むぎ焼酎二階堂ではないから!鍛高譚でもないし!

ゴールデンボンバーさんの女々しくての歌い出しの歌詞が分からなかったら、

たんたかたんたんたかたんたんたかたん、辛いよ〜って誤魔化せられるし。

私が知りたいのは

テキテキのテキが何のテキなのかってことと

ビフテキのビフが何のビフなのかってこと。

ってなるとさーてなると、

テキサスのテキ!

テキサスのサス!

ってそれぞれ何よ?って思うわ。

ヒノノニトン定食のトンもさるとこながら謎だけど、

ニノノニノンって言ったらそれは瀬川瑛子さんのモノマネだわ。

即席で使えるからその瀬川瑛子さんのモノマネ急場を凌ぐには便利だからオススメよ!

って思っていたら、

フアンドトンアンドチキの組み合わせの妙だとそれは王様食べ物食事だし。

あと厚焼き玉子焼きがあれば宴よ!宴!

そんな思いをしながら、

シズル感だけは抜群なハズレを引いたソースの味はバッチリ決まっているトンテキ定食を、

トンとテキとビフの謎が結局今日は解けないまま食べ終えて店を後にしたわ。

人は時として、

人生にトンとテキとビフを探す旅をするものなのよ。

呼んでいる~胸のどこか奥で~

いつも心踊る夢を見たい~

っつてね!

うふふ。


今日朝ご飯

タマサンドしました。

こちらは多分大赤字タマゴ不足にもかかわらず厚さは厚く思わず胸も熱くなる変わらぬ美味さの味で

朝のタマゴは元気の源の元のよしつねだわ。

デトックスウォーター

ホッツ緑茶ウォーラーです。

最近ずっと緑茶ホッツで済ましちゃってるけど、

だんだん暖かくなってきたので、

温活シーズン終わるまでにせっせと緑茶ホッツを消費しているワケなのよね。

お茶っ葉またなくなったら新たに買ってきてシーズン変わったら水出し緑茶ウォーラーにも出来るしね!

まあそんなところかしら。


すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

2023-02-25

死人の顔を撮っていることに対して怒る人間一言申したい

時々炎上する事例として、「葬式通夜の時に死体を映してtiktokやインスタにポエム付きでアップする」があると思う。

まぁ無関係な人からしたら、他人死体が急に明るい現実世界に出たらぎょっとするし気分悪いよな。

死体を映してニコニコしてる奴の神経を疑うとは思う。


でも俺は親族が嫌がってる場合を除いて、別に死体の横でピースしたり踊ったり記念撮影してるのは別にいいと思うんだ。

というか、ああいうのに吹き上がってる人間って親族が死んだり友達が死んだ経験が無いんだろうなと思う。


まぁ見るのも憚れるような悲惨事故を除いて、死って言うのはほんと、普段生活の延長、一部にあるものなんだ。

小学生の時ならまだ大人から「死」に近づかないように言われると思うけど、

死体の横で普通に宴会するし、「悲しいモノ」「暗いモノ」というより「卒業式」とか「最後の別れ」に近いものなんだよね。

実際、死人か生きている人の違いって「目をつぶって動かないだけ」だから

飲み会で潰れて寝てるやつの顔写真とったりするだろ。


他人死体なら離れたい、と思うのが本人だけど、横に居るのは一緒に手を繋いだり、一緒に飯食った人だったりするから、とにかく「離れたくない」「記録に残したい」という気持ちが多い。

結局人と人との関係なんて一方的感情や想いの集大成なんだから最後の別れに写真撮るのは普通だと思う。

骨になるとマジで「モノ」だからね。


から死体の横でtiktokしてたりしても、親族なら怒っていいと思うけど部外者人間不謹慎だとかバカとか言える立場じゃないと思うんよね。

ただ想像力人生経験が足りないだけじゃない?って俺は思っていつも見てる。

2023-02-22

君が代は破裂音を多く含むので、新型コロナウイルス拡散やすい。

卒業式においてマスクを外して国歌斉唱すると、感染者が増えるリスクが高い。

破裂音の多い歌の時は明確に粒子の増加が観察された。

https://jcanet.or.jp/JCAchorusguideline-ver3.pdf

「k」音節の初めにあるとき、強く息を吐くように発音されます

http://park.itc.u-tokyo.ac.jp/eigo/hatsuon/10-plosive.html

なぜ卒業式第二ボタンを贈るのか?

日本ではお別れの際、第二頸椎を骨上げする習わしがあるからです。

2023-02-18

オレは恋愛に失敗してない。

近所に女子が住んでいなかった事もあり、小学校低学年の時点で既にもう、女と縁遠かった。オナニーオカズとしてはグラビアアイドルとか漫画の女体はよく利用してきたが、女の性格というか、感情的になって無視してきたり、集団で結託して個人を追い詰める傾向は苦手だった。それでも好きになれた女子は何人かいて、告白しようと一念発起した時もある。だけど結局、すべての告白が決行直前に中止された。でもオレは恋愛に失敗したとは考えてないんだよ。

理由❶・中止と失敗は定義されてる

相手女子たちの気持ちが雲のように捉えどころがない以上、告白運ゲーになる。だから結果を評価するために、明確に、中止と失敗を定義する必要があった。中止とは、気持ちを打ち明ける前に思い留まること。こちらの気持ちを気取られず元のクラスメイト同士の関係性に戻るのが中止成立の条件。失敗とは、告白した後に振られるか、あるいはイエスと答えてくれたとしても、その後BにもAにも進めずに自然消滅すること。オレは過去一度も失敗した事はない。

理由❷・異常事態は想定済み

元々女子と関わってこなかったので経験値が足りてないのは自分でも分かってる。こちとら女子と手を繋いだことさえないんだぞ? 告白の直前で意味不明心臓がドキドキして挙動不審になってしまったり、女子にどうやら意中の男がいるっぽいことが判明したり。そういう異常事態が発生することは全部事前に分かっていた。強行して心に致命的な傷を負う前に、なにかヤバイ、と感じたら告白中断するのに躊躇は無かった。もちろん中止は泣きたいほど悔しいけどさ。だけど告白の機会は一度きりじゃない。誕生日告白できなくても、文化祭下駄箱に呼び出せばいい。それも厳しいなら卒業式にチャンスがある…

理由❸・オレ自身ダメージを受けてない

ティア1の女、クラスのマドンナを見送ったときメチャクチャ辛かった。焦って家まで追いかけたのはあのとき一度きりだ。だけどそれでもオレは別の女を好きになれた。惚れた女に強引にアプローチしたりはせず、興味ない女子とは不意の接触でお互い傷つけあうリスク回避するために普段は避けているので、誰かに面と向かってキモいと言われた事もない。フラれた経験もないかトラウマも抱えてない。心の傷を負って再起不能になったりしてない。致命的なダメージを受けてない。だからオレは恋愛に失敗してない。

理由❹・諦めてない

オレはアラフォー差し掛かる年齢だが、恋愛を諦めるつもりは毛頭ない。世間ではおひとり様を楽しめればいいじゃないかと性のゲーム下りた気になってる敗北者の傷の舐め合いがブームだが、生き延びた老後を少子化で数の少ない子どもたちに支えてもらう気満々なのに、フリーライドを認めず子持ちを偉いとさえ思わない、傲慢なあの自己中どものように、欺瞞に溺れて甘えた余生を過ごすつもりは一切ない。ここしばらく女っ気が皆無なのは認めるが、ただ今は少し、休んでるだけだ。

2023-02-15

卒業式マスク着用「外したい」約2割にとどまる 高知中学校

▽全体の54%にあたる70人が「外したくない」と回答した一方、

▽「外したい」と回答したのは23%にあたる30人にとどまりました。

このほか、

▽「迷っている」とした生徒も23%にあたる30人いました。

外すかどうか「迷っている」という女子生徒は「入学の時からマスクを着けて過ごしてきたので、しているのが当たり前で、外したら顔のイメージが違うとからかわれるのではという不安がある」と話していました。

まあそうだよね

純真ナイーブ中学生ならそうなるよなあ

パリピ系は気にしないのだろうけど

2023-02-10

マスク不要の合同卒業式をせねばなるまい

学校による卒業式ではマスクが認容されてしま

市民ホールなどでマスク不要の合同卒業式があれば大いに盛り上がるだろう

感染感染拡大防止は参加者個人のみの自己責任となる

あらかじめ念書を書かせればよい

anond:20230210185140

中三卒業式の前、最後辺りの音楽時間音楽教師君が代について話し始めて、クソガキながらにおっ左翼かと思ってたら、

「『君が代』の君は天皇ではなく「you」としての君なんだよ」みたいな変な言い換えにかぶれていた。

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