私はある大人数アイドルグループが好きだ。中でも推しは歌っている時は愛らしく麗しく凛々しいのに一度緊張がほぐれると普通の女の子に戻るところまでが完璧だと思う。アイドルという素晴らしい世界を教えてくれたのは紛れもなく推しだ。はぁ好き。
でも私が5年間好きだった人は推しではない、
彼女と推しはどう見ても似ていなかった。髪型も好きな音楽も趣味も全くの正反対、共通点といえばアイドルには勿体ない程の美貌と年齢ぐらいしかなかったと思う。
それでも、いやそれだからこそ推しも私も彼女の事が好きだったのかもしれない。人は自分に持っていないものを持つ人を好きになると聞いた事がある。
雑誌やブログ、モバメにSNSでは常に推しからの「○○大好き!」が発信されていた。
村番組中で萌え台詞を言わされた彼女にいち早く「カワイイー!」と叫ぶのもいつも推しだった。
だから握手会に行けば、推しとは彼女の話をする事が1番多かったように思う。今考えれば変な話だけれど。
もっと奇妙なのは、私は一度も彼女の握手レーンに並ばなかった事だ。推し以外のレーンに並ばない忠実オタなわけでも、話すネタがなかったわけでもない。ただただ純粋に「好き」だった。
「○○レーン行ってみたけれど、同じぐらい美人で気さくだったから行きなよ」
と言われることもあった。
直前まで行こうか悩んで何度も頭の中で予習してみたりもした。羨ましくて死にものぐるいでレポをあさったりもした。それぐらい話したかった。でも駄目だった。
顔はとっても小さくて目は吸い込まれそうらしいし、意外と小柄なんだって。あぁきっとこの世界の誰よりも美しいだろうなぁ。
テレビの中で誰よりも綺麗な彼女を見ながらそう思った。本当に、私は彼女の事を一方的に眺めるだけだった。5年間もずっと。
それでもただ熱に浮かされたように求め続けた彼女の事で頭がいっぱいになった。
短く切り揃えられた髪の毛も
それを「似合わない」と卑下するのも
艶っぽい表情をしたかと思えば
年相応に無邪気にはしゃいでいる姿も
みんなと違うものを好きだといえるのも
些細な疑いですら必ず晴らそうとするのも
「男の人が好きなんだ」と常から言い、1mmの夢も見させないところも
全部全部全部全部全部全部好きだった。
髪をかきあげる仕草 照れ隠しのプク顔 サラッと履いただけのTシャツとジーンズ 諭すような話し方 ワイプでのじゃれあい フフフッと口を隠す笑い方
全てが私の心を揺さぶって忙しくさせた。もうダメだった。どこが好きだとかが言えなくなったらそれはもう恋なんじゃないだろうか。
それなら
私は彼女に恋をしている、今もまだ。
まだ今は、私の彼女に対する想いは憧れの拗らせに過ぎなかったとは思いたくない。
それは今も変わらない。