私は昔から若く見られる人だった。
20代の後半でも、美容院では学生に間違えられたり、居酒屋で年齢確認をされたりなんてザラにあって、
久しぶりに友人と会うと「もうそんな歳になったの?」なんて驚かれるくらいだった。
自慢しているわけではなくて、基本的に眼鏡だし、ヒールなんてめったに履かないし、貧相な身体だし、
今年の新年会で昔話に花を咲かせていたら、10年来の友人の男の子から
「お前も老けたよなあ」と言われた。
「そりゃあ今年30になるんだから、老けるに決まってるじゃん!」と笑ってその場は収めたものの、
次の日にはセンター分けだった前髪をぱつんと切って、少しでも幼い見た目であろうとする自分がいた。
「もうアラサーだし」「ばばあには辛いよ」
そんなことを言い合って、女子会で笑い呆けていた。
でも自分でもなく、近くの女子友でもなく、同年代の異性に言われた「老けた」という言葉が、
私は凄くショックだった。
この見た目の若さに甘えていたんだなあと思った。
人は「惨め(みじめ)」という言葉に敏感だ。
シミやシワには怯えながらも、若作りするような人にはなりたくないと言う。
40代や50代になって「今でもかわいいとか、綺麗って言われます」みたいな人とは距離を起きたいし、
若い女の子というだけでちやほやされていた時代から、若い子をちやほやする側へのポジションチェンジができずに苦しむ人を見て、
ああはならないと心に誓う。
なぜって、惨めだから。
でもこんなにも忌み嫌う「惨め」の範囲って、本当はすごく曖昧で分かりづらい。
私には若作りして痛々しく見えたとしても、
その人にとっては年老いた格好をすることのほうが「惨め」なのかもしれない。
実年齢にしては顔の皮が引き伸ばされていて違和感があるように見えたとしても、
その人にとっては自分の顔にシワがある方が「惨め」ってことなんだろう。
自分の「惨め」の基準がマジョリティかマイノリティかなんて、誰にも分からない。
ただ、私がどれだけ悩もうと、老化は止まること無く進み続ける。
30歳という年齢は、見た目や若さの基準から一歩外に出る機会を与えてくれる年齢なんだね。
今まで見た目や若さでアイデンティティを保っていた人には辛いけど、
そしてその自信は、他人から認められることでしか、得られないんだよなあと思う。
結局そこだよね、いつもそこ。
どんな自己啓発本も結局、
「他人の幸せを考えよう」「与えられることを考えよう」みたいな話に落ち着くんだよ。
できたら苦労しないっつーの。