以前タイの地方都市に滞在した時、貸自転車で通りを走っていると近隣住民に爆笑されたことをよく覚えている。移動手段といえば車か徒歩であった彼の地の住民にとって、自転車を漕いで移動する姿はひどく滑稽なものだったからだ。
自転車は基本的に車道を走るものとされ、歩道を走る自転車への取り締まりが厳しくなってくると、
「日本の法律運用が場当たり的で自転車乗りが犠牲になっている」
など、ようするに自転車乗り様かわいそう!とする意見が目立つ。
この種の意見に欠けているのは、自転車にそもそも乗らないという選択肢だ。
歩けばたどり着くところに行くため、鉄の塊を漕いで他人と自分を危険に晒す行為はまったく不可解だ。
歩くには遠すぎるところに行きたければ車や電車に乗ればよいだけの話だ。
歩くには少し遠い距離を自転車を漕いで少し楽をしたいという自転車乗りの都合は、自転車に乗っていない他の人々にとってまったくどうでもよいものだ。
ほんの少し楽をしたいという利己心のために鉄の塊を高速で移動させて他人を危険に晒したり、実際に死傷させたりする権利は誰にもない。
そうした利己心の発露が引き起こした危害とその危害への反省のなさが今回の自転車取り締まり強化を招いていることは明白なので、そこに同情の余地は微塵もない。
それにもかかわらず、自転車乗りである自分は不当な社会の弾圧にあっている、かわいそうな存在だと主張する面々がいるとすれば、脳が壊れているとしかいいようがない。
おっ久しぶりー