はてなキーワード: リメイクとは
自分なら、「リメイクするならジェンダー規範を現代的にアップデートするのは当たり前。これはポリティカル・コレクトネスの問題で、好き嫌いではない。PCに『押しつけ』『強制』の側面があることは否定しないが、誰だって他者が共有すべきと考える規範や正義を何かしら持っているはず。過去の作品そのものを改変するのはやりすぎだが、これまでも差別用語の修正は当然のように行われている」と言い切るだろう。もっと炎上するかもしれないが、グダグダしただらしない弁明は無用になったはず。
というか津田さんはメディアの研究しているはずなのに、「Twitterで議論しちゃダメ、絶対!」の大原則がなぜ守れないのだろうか。Twitterは告知とグチの言いっぱなしのためのメディア。いまはなき北田さんにせよ千田さんにせよ、何で社会学者に限ってTwitterで議論しちゃうんだろう。コミュニケーションとかを研究対象にしているのに。
時代にそぐわないため変更が必要らしい。まぁ、この後に「個人の感想で、太宰メソッドの発言だったと思う」とも言ってるけど。
銀河英雄伝説のリメイク。3期以降も続くのかな。もしそうなら、男女役割分業の描き方は変更せざるをえない気がする。旧アニメのままだと、さすがに時代にそぐわない。作品として大変に面白いのは踏まえたうえで。…なんてことを書いたら炎上するかな。— Shotaro TSUDA (@brighthelmer) September 11, 2020
なお、個人の感想ですので作品に何ら干渉する意図はありません。NHKに投書もしませんし、BPOにねじ込んだりもしません。三期があるのを皆で祈りましょう。— Shotaro TSUDA (@brighthelmer) September 11, 2020
そのうえで、書き方が良くなかったと思うのは、結果として「太宰メソッド」みたいな論の建て方になってしまった点。世間がこう言っているからこうすべき、みたいな論のことこれは良くなかった。— Shotaro TSUDA (@brighthelmer) September 13, 2020
銀英伝って80年代に始まったみたいだけど当時の価値観からみても古風でしょう
これは現代よりも技術が発達してるのに古風を感じさせる作品が当時流行してたってのがあるんでしょうね。
レイア姫は男勝りだけど、これは別に女性の社会進出を訴えたとかじゃなくて
古典映画によく登場する「じゃじゃ馬姫」を意識して作られてるんでしょう。
作者が「今描いたら違った描き方になる」というのと、今アニメでリメイクされるときに変えるというのはずいぶん飛躍がある。
作品は、ひとつひとつの描写や人物造形やエピソードがバランスを保って成立するので、単純なセリフの差し替えならともかく、シーンや会話をまるまる別の人物造形に差し替えるのはバランスが崩れてしまうので相当難しい。
どうしても時代にそぐわなくて対応が必要というなら、冒頭に注意書きを表示するなりして対応するべきで、一足飛びに作り直しを有識者の肩書で迫るのはやりすぎ。
これって「男女分業の描き方を変えろ、変えないやつは差別主義者だ」って主張に
後で言い逃れするために申し訳程度に「気がする」を追加したもの以外と解釈するのは困難だと思う。
それはそれとして、2期まで許されていた表現を「3期以降では変更せざるをえない」とした理由ってなんだろう?
3期以降のエピソードで特別男女分業に関してひどい描写があるのか?
それとも2期放送終了後から3期開始までの間にポリコレ的なターニングポイントくる(すでに来てる?)ってことなの?
「1,2期を修正しろ」じゃなくて「3期以降では変更せざるをえない」って言うってことは
3期以降のエピソードに問題があるか、時流的な話かどちらかだと思うんだけど
そこんとこ明確になってなくない?
しかも何回同じ話を焼き直しリメイクしてるんだよ。当時でさえ三国志みたいな話を舞台を宇宙に変えたスペース時代劇みたいな評価だったのに(だがそれがイイ)、2020年にもなってあんな古臭い話を絵だけリメイクして再リリースでそこそこ需要があるってのにビックリだったわ。
ガンダムなんて未だにオリジナル版のリメイクには手を出してないし、逆に聖書ですら時代に応じて解釈を微妙に変えてきてるのに、なんでたかだか40年の歴史の銀英伝だとあんなめんどくさい原作原理主義者が騒いでるんだろ。
一視聴者であるジェンダー系の学者が「女性観については今風にアレンジして欲しい」ってTwitterで感想書いただけだろ。普通に面白そうじゃん。有能なのに上層部が無能過ぎて前線で儚く散る幸薄な女性指揮官とか君らの大好物だろ。ポリコレがコンテンツをダメにするみたいなアホが大勢いるけど、アレンジの方向性さえ間違えなければ原作の良さに加えてさらに現代風にブラッシュアップした新しい名作として生まれ変われるんだぜ?
ほんとそれな。
かぐや姫リメイクを作るにあたって、現代の常識に合わせた「月から来ない、竹から生まれないかぐや姫」にする間抜けはいない。
現代の感覚とずれていようと、(それが極端に個人の人権を侵害するものでなければ)自由に設定を作っていいのが物語というもの。
そうやって、「物語」と「意見」の区別がつけられる程度の素養をつけるのが国語教育のはずなんだが、なぜか「物語」から「意見」を読み取ろうとしてしまう人が多すぎる。
俺は長年の田中芳樹ファンだけど、残念ながらその頃と今回とでは「当たり前の批判」の社会的意味が違うんだよ。認識をアップデートしてよ。
タイトルの通り増田は20年来の銀英伝ファンですが、私が銀英伝を知りネットの掲示板や個人サイトなどを見始めた当時から、ファンによる「銀英伝の女性キャラはステレオタイプ過ぎる」とか「田中芳樹は女性を描くのが下手」みたいな批判は当たり前のものとしてありました。今回炎上した冒頭のツイートもそれと同系統のものであり、作品内の女性の扱いに対する感想としては見慣れた内容で特に違和感はありませんし、個人としての違和感を述べたうえでリメイクにあたってのアップデートを希望するものであって、それ自体問題があるものとは思えません(なお、「Die Neue These」はリメイクではなく「原作の再アニメ化」なので、その点は事実誤認なされているものと思います)
うん、銀英伝のファンのあいだでは「あいつ女を描けてねーよな」みたいな評は普通のものだったよね。そういう意味で、例の社会学者氏のツイートの認識はごくありふれた銀英伝認識を示したものだといえる。それだけを切り取ってみれば特に叩かれる要素はない。
でもさ、
ことと、
twitterという、簡単に支持者を社会運動に動員できるプラットフォームで、これまでさんざんコンテンツを燃やしてきた社会学者っていう属性の人が、表現の内容を変えるべきだと口を出したら、単なる批評の域を超えて作品へのバッシングを煽動してるようにしか見えないんだわ。
ジェンダーがどうこうというのも、そういうバッシングの際によく使われる常套句だからね。
「あっ、この状況、キズナアイバッシングで見たことある!」って思っちゃうんだよね。
実際にそれらの描写を変更すべきか否かはそれぞれで判断が異なるのは当然としても、こうした意見に対して「現代にそぐわないから変えろって言いだす社会学者やべえ」などと嘲笑するのは原作者のスタンスを含めて明らかに論点を見誤っていますし、「銀英伝を燃やしに来た」などと反応するのは過剰です。挙げ句に社会学者というツイート主の職業にフォーカスしてその職業全体を否定するような言説まで行うのははっきり言って異常だと思います。
もちろん、昨今のネットの社会学バッシングはどう考えてもおかしい。一部のおかしな社会学者の存在で以て学問としての存在意義まで否定されるべきではない。
ところで、「すべての男がそうじゃない」みたいな言い訳をする男に対してノットオールメンって言ってきたのってどういう人たちでしたっけ?
文系のはしくれとしてはノットオールソシオローグスと言いたいところなんだけど、フェミニズムに同調して社会問題に口を出してきた社会学者がそれを言うことは、まあ論理的一貫性の問題を惹起するよなあ。
本件もそうですが、ポリティカル・コレクトネスを巡る議論においては「過剰なポリコレを押し付けるな!」などと主張する批判側にも個人の意見に対して過剰かつ攻撃的な言動を繰り返す「反ポリコレを旗印に個人を抑圧するネット憂国騎士団」みたいな存在も目立ってきており、まともな議論が成立しづらい状況になっているように思います。
マトモな議論が成り立ちにくい環境を作ってきた責任を反ポリコレの側「だけ」に求められても困るんですが。
ポリコレが高邁な理想としての側面しか持ち合わせていなかったのであればともかく、実際には他の表現を抑圧する棒として使われてきていたという前史があった上での反ポリコレ側の過剰反応でしょう。
つい最近起きた騒動にだけ目を向けても、ジェンダーを専門とする社会学者によってキズナアイがバッシングされ、フェミニズムを掲げる弁護士や研究者によって献血ルームが攻撃され、「ミカンはお母さんが買うもの」などと宣うフェミ学者たちがラブライブの農協コラボを焼きに来た、といった話があって、その上で今回の社会学者氏の感想への過剰反応があるわけ。
ポリコレ棒でヒステリックに殴られてきた側がちょっとでもポリコレっぽく見えるものにヒステリックに反応するのは自明の理では?
悪いけど、ポリコレ棒を振り回して暴れ回ってきたポリコレ憂国騎士団の皆様にはもうウンザリしてるんだよ。
だからといってこちらも憂国騎士団ムーブをしていいことにはならないけど、ポリコレ側の憂国騎士団ムーブのことを棚に上げて反ポリコレ側だけを憂国騎士団と言われても困惑するほかないんだよね。トリューニヒトみたいな詭弁やめろ(憤怒)
実際問題、2013年の人工知能学会表紙事件以降、表現(特にオタクコンテンツ)をネットで叩いて社会問題化し、金と名声を得るというのは、社会学者の定番になってる。最も顕著だったのが宇崎ちゃん献血ポスター騒動
いや、ネットで表現を燃やしたところで影響力とか声望とか自尊感情とかはともかく金は得られんよ(少なくとも学者の世界では)。金目当てで彼らが動いているというのは被害妄想がすぎる。そりゃ有名どころのレーベルで新書とか書けばまとまった金は入ってくるかもしれんが、彼らは現段階ではtwitterで吠えてるだけで別に一般向けに売れそうな本を書いているというわけでもないし。
この界隈Twitterさえ見なきゃ起きてない論争多くない?ほぼネットそれもTwitterでしか「社会学者」を知らなそうな人多くない?
そりゃ、多くの人には表現を燃やしに来る「社会学者」の姿しか見えてませんし……
アカデミアあるいはそれと近いところにいれば、社会学といっても色々あって、ハマータウンの野郎どもを研究する人もいれば聖なる天蓋を論じる人もいて、ジェンダーやオタク文化に関心を持っているのは一部であり、表現を燃やしに来るのはさらにその限られた少数に過ぎず、もっと言えば社会学者といっても博士課程の院生から誰もが参照すべき大御所まで「権威」に勾配があることくらい理解しているだろうし「社会学者」を十把一絡げに論じるべきじゃないっていうのは自明の理なわけだけど、燃やされた被害者からはそのごくごく一部の姿しか見えないので。
アカデミアと縁のないそのへんのオタクにとって、哲学者や数学者や工学者や物理学者や言語学者や文化人類学者なんてろくずっぽ知らないのが「普通」でしょう。普通の人は良かれ悪しかれそんな学問について詳しい知識は持ってないんだよね(漠然としたイメージは持ってるかもだけど)。だからtwitterのオタクがロクに社会学者について知らないってのもある意味当然なのよ。
そんな学問についてよく知らない一般大衆は、まあ、自分たちの表現を燃やしに来た一部の社会学者の姿を見て「社会学者」のイメージを形成しちゃうよね。
もちろん「そんな社会学者ばかりじゃない」という異議申し立てはどんどんやればいいと思うよ。「そんな男ばかりじゃない」と同程度には正当性のある反論だろうし。
『ムーラン』と『銀河英雄伝説』が同時並行で話題になってホッテントリに出まくってるのに誰も『風よ、万里を翔けよ』の話してないのおかしくない!?
銀河英雄伝説のリメイク。3期以降も続くのかな。もしそうなら、男女役割分業の描き方は変更せざるをえない気がする。旧アニメのままだと、さすがに時代にそぐわない。作品として大変に面白いのは踏まえたうえで。…なんてことを書いたら炎上するかな。
実際のところ、昔のドラマやアニメを見ていると、価値観の変化がもっとも顕著なのがジェンダーの描き方だという感はある。そういう変化を踏まえたうえで作品を楽しめばよいわけで、ジェンダー関係の指摘は作品を全否定することだというのは違うと思うんだけどな。
なお、個人の感想ですので作品に何ら干渉する意図はありません。NHKに投書もしませんし、BPOにねじ込んだりもしません。三期があるのを皆で祈りましょう。
■原作者田中芳樹さんのスタンス(らいとすたっふ安達裕章さんの過去ツイートより)
このあたり、マッグガーデン版の巻末付録につけた田中さんのインタビューで聞いたなあ。執筆当時の「30代男性」と現在のそれでは、かなり大きな差があるもんね。あとは女性兵士の描き方とか。田中さんも「いま書いたら、ずいぶん違う作品になったと思う」って言ってたわ。
それについては作者の田中さんも、当時の自分のもつ軍人のイメージが男性中心だったことを認めたうえで、いまの自分が『銀英伝』を書いたら、女性の活躍をもっと多く書いただろう、と言ってました。
タイトルの通り増田は20年来の銀英伝ファンですが、私が銀英伝を知りネットの掲示板や個人サイトなどを見始めた当時から、ファンによる「銀英伝の女性キャラはステレオタイプ過ぎる」とか「田中芳樹は女性を描くのが下手」みたいな批判は当たり前のものとしてありました。今回炎上した冒頭のツイートもそれと同系統のものであり、作品内の女性の扱いに対する感想としては見慣れた内容で特に違和感はありませんし、個人としての違和感を述べたうえでリメイクにあたってのアップデートを希望するものであって、それ自体問題があるものとは思えません(なお、「Die Neue These」はリメイクではなく「原作の再アニメ化」なので、その点は事実誤認なされているものと思います)
また、続いて安達さんのツイートを引用した通り、原作者は「銀英伝における女性キャラや活躍が少ない」という点について、それを創作上の弱点(という言い方が正しくなければ上手く描ききれなかった部分)だと認めていて、当時の自身の理解や価値観を前提とした描写だったとしたうえで「いまなら別の描き方をしていた」というスタンスをとっています。
男女役割分業の描写については特にスタンスを明確にしているわけではないですが、上記のように女性の活躍や社会進出については当時といまとで違った描き方をするだろうことを認めていることから考えるに、現在の価値観にそぐわない描写があることは作者自身も否定しないものと思われます(原作で描かれたヤンとフレデリカの生活描写を「現在の価値観にそぐわない」と判断するかはわかりませんが)。
このように、冒頭のツイートは以前からファンの間でも作品の問題点のひとつとして挙げられていた描写について、あくまでも個人の意見として再アニメ化を行うにあたり違和感のないようアップデートしたほうが良いと述べるものであり、いっぽうで原作者も原作には様々な問題点があることは認めたうえで「いまなら別の描き方をする」というスタンスをとっているわけです。
実際にそれらの描写を変更すべきか否かはそれぞれで判断が異なるのは当然としても、こうした意見に対して「現代にそぐわないから変えろって言いだす社会学者やべえ」などと嘲笑するのは原作者のスタンスを含めて明らかに論点を見誤っていますし、「銀英伝を燃やしに来た」などと反応するのは過剰です。挙げ句に社会学者というツイート主の職業にフォーカスしてその職業全体を否定するような言説まで行うのははっきり言って異常だと思います。
■余談
本件もそうですが、ポリティカル・コレクトネスを巡る議論においては「過剰なポリコレを押し付けるな!」などと主張する批判側にも個人の意見に対して過剰かつ攻撃的な言動を繰り返す「反ポリコレを旗印に個人を抑圧するネット憂国騎士団」みたいな存在も目立ってきており、まともな議論が成立しづらい状況になっているように思います。
創作物それ自体だけでなく、創作物に対する意見・批判を含めての「表現の自由」です。「表現の自由」を訴えるのであればその点を見誤るべきではないし振る舞いも自制するべきではないでしょうか。
■さらに余談
「Die Neue These」も良いですが、原作ファンとしてはいまウルトラジャンプで連載中の藤崎竜版銀英伝を激推ししたいです。キャラクターやエピソードは本伝・外伝・OVAなどからの好いとこ取り、それも全体として齟齬がないように再構成されており、さらに物語やキャラクターをより魅力的にみせるような改変も随所になされていて、原作を知らない人はもちろんですが、原作(特にOVA)を良く知る人こそ色々な改変や小ネタ、伏線を見つけながら楽しむことができるとてもよい漫画となっています。フジリュー版はいいぞ。
■追記
『銀英伝』の話題の火元を把握した。原作ファンが怒ってるけど、たしかマッグガーデン・ノベルズ版収録の田中先生のロングインタビューで、「フレデリカまわりの描写は、今だったらもうちょっと違うものにする」みたいなことをご本人がおっしゃってなかったっけ? 手元に本がないのでアレだけども。
知人から田中芳樹先生がフレデリカの描写について触れているインタビューのソース画像が送られてきた。私の責任で引用しますね。出典は『銀河英雄伝説 6 飛翔篇 』(マッグガーデン・ノベルズ) の297ページ・298ページ。商品にリンクもしときます。 https://amzn.to/33ncPLt
(フレデリカの料理の描写について)ただ、これも三○年以上前だから許された表現なわけで、いまの時代にはそぐわないと思います。ヤンが料理や家事をしても良いわけですから。
このインタビューを読めば分かる通り、原作者自身は問題視された描写についてはっきり「いまの時代にはそぐわない」という認識を示しています。原作者の現在の価値観やスタンスはむしろ冒頭のツイートに近いわけです。にもかかわらず、「あの描写は時代にそぐわないからリメイク(再アニメ化)では変更したほうがいい」という意見を言っただけの個人に対して今回のような揶揄・嘲笑・攻撃が向けられる状況はやはり異常だと思います。
国民的アニメに入るかもしれないけど、宇宙戦艦ヤマトの白色彗星編は、
「さらば宇宙戦艦ヤマト」(劇場版)
と3回リメイクされている。ヤマト2とさらばは制作時期はかなり近いし流用カットもあるが、エピソードは増えてるし結末も違うからやはりリブートなのだと思う。
国民的アニメに入るかもしれないけど、宇宙戦艦ヤマトの白色彗星編は、
「さらば宇宙戦艦ヤマト」(劇場版)
と3回リメイクされている。ヤマト2とさらばは制作時期はかなり近いし流用カットもあるが、エピソードは増えてるし結末も違うからやはりリブートなのだと思う。
ポケモン剣盾に関して西洋の文化に詳しいユーザーの面白い考察を見ててイギリス要素をこれでもかと盛り込んでるなぁと驚きました。制作についてイギリス出身の社員が指揮に関わってたそうで,古代イギリスで起きた土着のケルト文化圏と移住でやってきたキリスト教文化圏の邂逅の話,イギリスにある環状列石や地上絵,バイキング,70年代のパンクロックと反体制派の思想の結びつきなどが盛り込まれてて西洋の歴史に疎かったのですが結構興味が出ましたね。ブラックホワイト以降のポケモンは現実にある地域の文化や生活や歴史などを新旧のポケモンの設定や世界観に組み込んでヒト社会にポケモンが溶け込んでいるような作りを目指していたものが剣盾ではっきりとしたものとなったようなので,また日本を舞台にした完全新作のポケモンを作ってほしいなぁ。九州がベースとなっている舞台があるルビーサファイアのリメイクでは熊本県の都市が元になってる街で熊本の都市にあるようなアーケード街が建設されてたので,現実の舞台をゲームに盛り込むノウハウで日本の地域ネタを盛り込んだらなかなか面白いだろうなぁ。
元々この春に公開だったが、コロナ騒ぎで延期してて、ようやく昨日から上映開始。
個人的に人生最初に映画館で見た映画がのび太の恐竜で、それから長い長い時を経て、子供と一緒にのび太の新恐竜を見てる自分に感慨深いものがあった。
さて中身。
以下ネタバレもあるので、内容を楽しみにしてる人は読まないでね。
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あの話は無かったものとして、のび太がジャイアン&スネ夫コンビに「恐竜を見せてやる!」と啖呵を切る所から始まる。
以前のピー助は歴史的にもちゃんと日本にいたフタバスズキリュウだったが、今回は謎の新種。名前が無いので物語中は新恐竜という名前で通される。
姿は始祖鳥。始祖鳥似なんだから鳥の子孫な訳で、物語もその鳥になる系統の新恐竜の特性を軸にしたストーリーが展開される。
産まれたての新恐竜に翼があって、成長して飛べるようになるまでのお馴染みのやつ。
飛べるように頑張る、でも飛べない。
何度も努力する、でも飛べない。
でもでも最後に?ってやつだ。
TV CMやってる木村拓哉は途中から出てくる。こいつはまぁまぁ重要なキャラで、ネタバレすると話が興醒めするので書かないが、小さめのどんでん返しがある。
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いつも思うけど、ゲスト声優で有名人連れてくるのはどうだかなと思う。
俳優が声を当てても大抵は合わない。演技とキャラがどうにも合わない。今回は芸人とかじゃない分、ましだったが。
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さて話を戻して。
今回は話の舞台は白亜紀。恐竜時代の最後の時期なのを利用したプロットになってます。
因みにフタバスズキリュウのピー助も白亜紀で、この物語の中でも実はピー助が出てきます。
でも正直、ここは話交じるけど出して良いのか?とも思った。そもそも前作見てない良い子の皆んなはピー助知らないだろうに。
その他、生物学的に疑問が出る箇所があったり、恐竜がCGだったり手書き風だったりが混ざってたり。ストーリーも絵もあちこちで粗さが見えた。
小学校高学年にはアラが目立つかも。
今回は50周年記念作と言うことでもうちょい頑張って欲しかったが、短い夏休みでどこにも行くとこないなと言う子持ちの皆んなは映画館に足を運んでみて欲しい。ガラガラだから映画が潰れないよう映画好きは少しでも貢献してね。
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おまけ。