はてなキーワード: リアタイとは
今年の頭にアニメ「ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会」にハマり、1期をBDで観た後、2期をリアタイした。
自分自身の夢を見つけた高咲侑にいたく感動し、大好きなキャラになった。
スクスタも一応はじめた。
アニメから入った私にとってスクスタは各メンバーをより掘り下げるようなものであると解釈している。
なのでゲーム中、自身である「あなた」の個性については特になにも思わないし、「あなた」とメンバーとの関係性にも何も思うところはない。
2期本編でTOKIMEKI runnersが流れた場面、高咲侑が自身のもっと表現したい事に気が付くシーンが本当に好きなのだが、どうやらスクスタを永くやっている人からは、思い入れのある曲が勝手に高咲侑作曲になったという見え方もしたらしい。
Love U my friendsしかり、未来ハーモニーしかり、アニメのために制作できる、すでに持っている弾数の中で如何に演出できるかという縛りの中での選択だろうと、制作側の気持ちもなんとなくわかるし、先に思い出ができていた曲がなんかエエ感じのエモいとこや、みたいなタイミングで雑に使われてしまった古参のどちらにも一応同情はできた。
アニメが終わるくらいから終わった後の辺りで、アニメの直前生放送と別で、スクスタ中心の生放送をやっている事や、その中で登 公開される、所謂生首ドラマには高咲侑が出てこない事に気がつく。
まあここまでは理解できる。
その後、ちょうど先月に発売したドラマCD、「純情アマービレ」にも高咲侑はいない事に気がつく。
「あなた」の存在はメンバー同士の声のやりとりで登場させられなくないか...?だったらアニメ版でやったほうがよくないか...?等々色々考えたが、アニメが受け入れられないスクスタ勢への忖度だろ、別に自分に害は無いしまあええけど...と最早アニメ過激派みたいな思想になっていた。
で、5thライブみた。
虹ヶ咲シリーズというか、ラブライブ自体のライブも初めてだった自分にとって、アニメ本編のライブを追体験できることや、2期も含めた集大成のライブに立ち会えたことは、すごく良かった。
4daysでひたすらアニメ時空の演出を繰り返しやった上で「永遠の一瞬」を歌うのは、やっぱりスクスタとアニメはまとめて虹ヶ咲だよっていう事を肯定してくれたのかと思ったし、ライブ中の生首アニメに高咲侑が出てきたのが本当に嬉しかった。
もう古参との思想の違いに苦しむことはないんだなと、勝手に救われた気持ちになっていた。
と思ったら今日の後夜祭放送で公開されたスペシャルドラマ(生首ドラマ)に高咲侑がいない。どういう事.............???????
あれだけアニメとスクスタの共存を肯定しておいて、ライブの後夜祭で出すボイスドラマに高咲侑を出さない意味ってある?????????????????
怒りたいのはスクスタ勢の存在じゃなく、今後どういうスタンスでやってくつもりなの?ってこと。
スクスタからアニメに入った人はすんなり受け入れられてるかもしれないけど、アニメから入った人からすると全然意味わかんないからね。当たり前だけど「これはスクスタ時空の話です」なんて前置きはないから。
Twitterを検索してもyoutubeのコメントを見てもこの点に疑問を持っている人がめちゃくちゃ少なくて、なんか自分が間違っているんじゃ無いかと思って書いた。
小学生のときに帰宅してすぐテレビつけたとき夕方5じからやってたGガンダムのドラゴンガンダム戦をリアタイでみてからガンダム好きになった
はじめてみたのがGがんのドラゴンガンダム戦ってことをアラフォーのいまでもおぼえているくらい衝撃だった
それ以前にも父親が出張みやげでガンダムかってきてくれたことはあったけどはまってはいなかった
それからちょこちょこガンダムみてたけどガンダムXは最終回だけ見逃すという大失態してほんと悔しかった
まわりにあわせるためにボンボン派の人間なのに無理してコロコロかったりミニ四駆かったりしてたことは黒歴史だわ
そんでガンダムW
プールかよってたせいだったと思う
まじでほんとごみだわ俺
数年前の今頃、登録者20人程度のVtuberを何となく見つけた。
同接2人(要は本人+自分?)の配信で何となくめっちゃ褒めてみた。
めっちゃ調子良くなっちゃったのか、トークのトーンがめっちゃ上がって行った。
翌日以降も何となく在宅仕事しながら配信見てて、コメントしてたら喜んでた。
ぶっちゃけトークは下手だし、声も別に良いとは思わないし、ガワもぶっちゃけ安っぽい上に大して動かない。
けど、何となく居心地のいい空間だった。というか、自分以外に殆どコメントが来ない配信だった。
趣味で絵を描いていたので、何となくファンアをプレゼントした。
クオリティとしては、いいねが20付くかなくらいのクソザコレベル。
それでもめっちゃ喜んでた。というか、配信で泣きそうになってた。
配信自体は自分が知る1年前からやっていたようだけど、全然伸びなくてつらかったんだとか。
まぁトークもゲームプレイが上手い訳でも無いし、当然だよなぁと思った。
で、Twitterで拡散とかしてあげたらなんやかんやでその後半年はちらほら人が増えるようになった。
仲のいいVtuberやリスナーさんも出来たみたいで、登録者も無事100人近くになってた。
他の人がバンバンコメントしてたし、自分は声を聞くだけの参加になっていた。
誕生日配信をするというので、久しぶりにファンアートとコメントを残したら、お久しぶりです!!!ってめっちゃ喜んでた。
この人はまだ全然人居なかった時に初めてファンアートくれた人で、とか。
いつも支えてくれた人で。とか。
自分のコメントでそんなに喜んでくれてたのかと嬉しかった半面、ひいきし過ぎている気もして居心地が悪かった。
ガチ恋っぽい感じの人も定着してるし、正直コメント残して荒すのも、と思って、それ以降コメントは残さないようにした。
Twitterでは告知のRTとか日常ツイに反応を残す程度にした。
ファンアートもたまに描いてあげた。
サムネに使ってくれたりしてくれた。
ガチ恋の方もフレンドリーで、普通にフォローしてくれて、一緒にイラストを喜んでくれた。
ああ、良い人に巡り合えたあの子は良かったなぁと思った。
ガチ恋の方はSkebで神絵師さんにイラストをお願いして、凄い絵がプレゼントされていた。
やはりガチ恋の方は強い。そのままあの子を推し続けて頑張って欲しい。そう思いながら、日々を過ごしていた。
仕事自体ハードな内容に変わってしまい、当然、配信を見に行く余裕も無くなった。
気付けばそのまま一ヶ月近く配信を見に行けなくなっていた。
Vtuber用のTwitterアカウントも全然動かせなくなっていた。
ふと久しぶりにアカウントを見に行ったら、ガチ恋さんが推し変していた。
彼女が何かした、ではなく、ガチ恋さんの心変わりだったのだと思う。
またコメントの無い配信になっていた。声のトーンも下がっていた。
「お久しぶりですー!」
すると
あの時の元気なトーンに戻った。
不思議とハードな仕事で疲れていた自分にも元気が戻ってきた気がする。
なんだかんだで落ち着く声。
それ以降、お昼ごろの配信は早めの昼食と言う事で仕事を切り上げて配信に参加している。
元気な声が聞きたくて。元気が貰いたくて。
彼女も色々と大変そうな事があるみたいだけど、がんばれVtuber。
興味の無い人にとってはただの絵とか、色々言うけど。
こういう形の交流も悪くないな、と今でも思っている。
何のこっちゃっていうタイトルだが、本当にそのままだ。
突然だが、私はクリエイターの端くれだ。それ1本で生計を立てているわけではないが、VTuber企業様からも多少なりともお金をいただいている。
とある私の携わった動画は、タレントさんの高い能力と知名度のおかげで、ものすごい再生数も叩き出したし、そこからさらに他のお仕事へ繋がったりもしている。
察しの良い方はここでお気づきだろうが、私が推しVのオリ曲を聴けない理由、それはあまりにも情けない理由だ。
嫉妬をしたのだ。私の推しVのオリ曲に携わった、私の友人たちに。
悲しいかな、私のちっぽけな自尊心は、こんなしょうもないことでズタボロに引き裂かれてしまったのだ。
私は"選ばれなかった"。
全部能力不足な自分のせいだなんてことはハナっから分かってる。それでも、自分の惨めなプライドが邪魔をする。
大真面目な話、私はとある推しVのオリ曲がリリースされてから1年以上経ってもまともに聴くことができなかった。聴いてしまったら、その作品の良さに飲み込まれてしまって、敗北を認めてしまう。何と闘ってるんだ、自分は。
こんなことでポキっとメンタルが折れてしまう自分は、きっとクリエイターに向いていないのだと思う。
だが、それすら失ってしまったら、私は何をして生きていけば良いのだろう。その先を思うのがとても怖い。
決して安くはない金額をつぎ込んできた機材・ソフトたち、積み上げてきた知識・経験・実績、これまでに得てきたファン・認知度。
ああ、情けないな。こんなものに縋ることでしか、自分の存在価値を見出せない。
そうしているうちに、私は推しの配信すら見れなくなってしまっていた。それが楽しみだった、それが癒しだった、そんなはずの配信に、必死にリアタイしようとも思えなくなり、アーカイブを追う気力すら湧いてこない。
私はあれだ、小さな箱でライブしてた頃から応援してたアイドルが大きなステージに羽ばたいて行くことを素直に喜べない、醜くて小さい人間だ。そうはなりたくなかったはずなんだけど、結局自分ってそういう奴だったんだって気づいてしまった。
「勇気」なんて言葉をいっちょまえに使ってみたけど、勇気なんてカッコいいもんじゃないよな。
そんな自分に自己嫌悪しながら、今日もパソコンに向かって作り続ける。きっと自分が望む自分になることはないだろうと、自分を諦めながら。
キッズなのか、心がキッズな大人なのか知らんが、作品のコメント欄に突撃する人も多かった
作者がそれについて、コメント返ししたりすることもあって調子に乗ってた
(逆に展開予想とか当たったらネタバレになるコメントはやめてくれ~って声も頻繁に上がってた)
なろう以外は知らんが、ストーリーとか設定のある作品がネットに上がってリアクション(文章で)取れるようになったら自然発生的に湧くのだろう
思い返せば、小学生の頃とか、ネットとかなかったけど、ゲームや漫画について友達とわいわい喋ってた
キン肉マングレートの中の人とかも、カメハメだな~、あ~こっからテリーかって冷静に読んでた
直接的なネタバレはしないけど間接的にやんわり触れるので注意
この作品を始めてみたのは確か5年ぐらい前で、リアタイ勢ではないんだけどだいぶのめり込んでみていた。
当時は今よりだいぶぼんやり生きていたこともあってただただ作品に夢中になっていたんだけど、今見てみると陽毬や冠葉晶馬、苹果ちゃんや多蕗、ゆり達の愛に対する切実な姿がまぁ染みる。私は人と関わるのが苦手だけど愛をもって接していきたいと思った。
舞台挨拶の話もしたいけど内容話していいのかわからないから伏せるんだけど、輪り輪った愛がどこに向かったのか監督がお話してくれて、その話がすごく嬉しかった。この作品を作ってくれて本当にありがとう。
10年経って時計の針を進めるってんだから、そりゃあ長年付き合ったファンにとっては色々思うところがある。
当日、幕が上がってもどういう顔して見ていいか分からなかった。もうこれで終わりだと思うとどんな顔をしても違うように思える。
ただ、これで本当に終わりなんだろうな…というのは分かってたから、その最後まで見届ける努力はした。
終わんねぇじゃん!なんだよこれ!完全にこれで終わる流れだったろ!!!
永遠に醒めない幸せな夢、ファンがずっと変わらない想いを抱き続けることで未来永劫存在し続ける宿命を背負った作品"だった"んだよ。
でもすべてのものに変化は平等に訪れるじゃあないか。時計の針を動かしたのはそっちじゃあないですか!!
俺だってみんなと「続編楽しみだねーー!!」って言いたかったよ!素直に祝福したかったよ!!
けどダメなんだよ!俺の中でこの作品はデカくなり過ぎちゃったんだよ!!10年分のあいつらの軌跡が簡単に終わらせてくれねぇんだ!!公式様直々に幕を降ろしてもらうまで降りられなくなっちゃったんだよ!
相当覚悟したよ。
もうこれで終わってもいいって覚悟したからリアタイぶりに最終話見直したよ。5年以上かかったよ。
俺自身の血肉になり過ぎて作品の終わりがこの世の終わりみたいになったよ。あまりにも影響を与え過ぎた。
実際10年もここまでのめり込んで追いかけたコンテンツなんてなかったからね。
これまでご想像にお任せしますで無限の可能性を広げ続けてた"未来"の話を始めたからね、それを見届けるために前日は延々ブツブツ独り言呟いてたわ。自分の中でこの作品に対して一つの決着を付けないといけないからな。
当日、幕が開くまで本当にどういう顔して見りゃいいか分からんかったもん。笑顔で送ってやりゃいいのか、それとも心に従ってワンワン泣きゃいいのか。
結局普通に見ちゃったよ。覚悟しすぎたせいでいろんなもんポロポロ落としたわ。
やってっことが変わってないんですよ。
昔卒業ライブを武道館でやって、その一か月後に別イベ呼んだだろ。あっこからまるで成長してない。
これで終わるって、少し寂しいけど門出を祝わないとな…て挑んだ俺の覚悟を返してくれよ。どうすりゃいいんだよこれ。この覚悟どこにぶつけりゃいい?恥ずかしいよ俺。
素直に喜んでる他のファン見ておかしいのは僕の頭(ココ)か?劇場で息絶えた。決して傷つけることは望んでないけど、どうしてもねぇ…。
とにかく来春までどういう気持ちで待ってなきゃいいか分かんねぇよ。誰か教えてくれ。
………
……
…
以上が一回目鑑賞後の感想。正直話の内容ってより「思ってたんと違う!!」の方に重きがあるんで強い言葉を使っちゃってる。
今回舞台挨拶の関係で、インターバルを挟んで計三回見たんで以下に鑑賞後の心境の変化を記します。
①終わんねぇのかよふざけんな!俺の覚悟どうすんだ!!
②まぁ決めること決めてるしまとまってる……やっぱ尺足んねぇよなあ!30分!?Web配信でも良かったんじゃない?
③ンザイゴオオオオオオオオオオオオ!!!!!!!!!!!!来春楽しみ過ぎんですけど!!!!!!!!!!!
2回目はある程度冷静さを取り戻して心をニュートラルのまま見られた。
で、ちゃんと見たら三人とも結論に至るまでの経緯がちゃんと説明されてたから唐突感はなかった。納得できたし、OPの意味が確定した時点で目が蛇口になった。最終話見た後に第一話見たくなる作品は名作なんだよ。
ただ、正直尺足んねぇ感はあるんだよ。もっと見てたいなって。まだ色々物足りねぇなあ!!と思ってしまった。
それが3回目ではどうでしょうか。涙流しながらあいつ等の決断を見守ってた自分がいたよ。
あれで十分だよ。テーマがテーマだから少し寂しいEDへの入り方…だけど、この道の続きに待っているあいつらの素敵な未来に出逢ってるから寂しくなんてないんです。輝く未来を分け合ったあの日を胸に今日も生きているんです。
次に会うのが楽しみな自分に逢いに行くって決断したんだからさ、その瞬間まで笑顔でいるのがファンってもんじゃあねぇか。
結局俺は「さよなら」を言うのが怖かったんですよ。もう2度と会えなくなってしまう訳ではないはずなのに、このまま変わっていくことがどうしようもなく不安で怖かった。
大切な時間と居場所がずっと変わらずに続いていくんだって、心のどこかで当たり前のことのように思ってたんだよな。
だからそれが変わるのが怖くて立ち止まろうとしちゃってた。
絵師にかぎらずおじさんおばさんはね、
気が狂ったパイロットが日本の山に飛行機をおとして全員死んだり、
昭和天皇が崩御していろんな高校一位を決めるスポーツの試合が自粛になったり、
ドイツが東西で統一されたため大学のドイツ語授業が軒並み休講になったり、
宗教団体がテロやって自分ものるような有名な東京の地下鉄複数で毒ガスばら撒いて。そういうときの安否確認ってやっぱ固定電話で実家へ問い合わせなんだなっておもったり、
小渕首相が来週あたりもまた渡米して大統領とトークしてこようかという在任のさなかに過労死してしまったり、
ニューヨークで2番目に高い(漫画にもよく描かれた)貿易ビルに飛行機が突っ込んで燃えたとおもったら崩落して瓦礫の山になっちゃったり、
コロナでだれも外を歩かなくなったり、
いろ~~んなことをリアタイで経験しているのよ。まあテレビ視聴という形がメインだけど。
政治というのは一朝一夕にはかわらないし、別に子供が敏感に時流を感じてそわそわしても宿題の締切はさほどかわらなかった。
テレビ中毒なんていわれたけど、今でいうツイ廃だろうね。まあこんだけ事件があれば飽きるよ。
まだ慣れてない人はいろいろ反応しなきゃ!って張り切っちゃって生きにくいとおもうけど
サブスクが当たり前で生きてきた子供は、地上波番組にイライラする、というようなツイートを見かけた。
きっとその子にとっては、テレビとはいつでも見たい番組の全話が見れる媒体なのだろう。
昨今のサブスクは広く知られているサービスであり、その反面、地上波という昔ながらのコンテンツは認知度が低くなっているのかもしれないと思ってしまった。
それと、アニメは見るが録画したものを一気で見る、という知人も最近よく見かける。
自分も(深夜に起きてられないので)リアタイではなく、録画したものを翌日の夜に見る派ではあるが、録画したアニメを全話一気に見る、という人も大なり小なりいるのだろう。
まあこれは自分が知らないだけで昔からいた人達なのかもしれない。
この話の反論として、次の話が放映されるまでの期間に、考察や感想を言い合う人々が〜という意見があったけれど、そもそもインプットが多すぎて、アウトプットする機会が減っているから、考察だの感想だのを言い合うことに困らないのかなとも思った。
これまた昔の呟きだが(ソースは忘れた)、二次創作をやってみたいけどどうやるか分からない≒アウトプットのやり方がわからない、というツイートを見たこともある。
コンテンツ過多とも言えるが、それは単純にコンテンツの種類だけでなく、量にも言えるだろう。
単話ではなく、全話という単位の作品が「いつでもどこでも」見られるようになってしまった。
件のツイートはサブスクに絡んでいなかったけれど、作品が溢れかえっている状況は似ているものと考える。
そしてこの「いつでもどこでも」が当たり前に出来るのは、資金が潤沢にある大手の会社だけになるんだろなと思うと……なんだかなあ。