サブスクが当たり前で生きてきた子供は、地上波番組にイライラする、というようなツイートを見かけた。
きっとその子にとっては、テレビとはいつでも見たい番組の全話が見れる媒体なのだろう。
昨今のサブスクは広く知られているサービスであり、その反面、地上波という昔ながらのコンテンツは認知度が低くなっているのかもしれないと思ってしまった。
それと、アニメは見るが録画したものを一気で見る、という知人も最近よく見かける。
自分も(深夜に起きてられないので)リアタイではなく、録画したものを翌日の夜に見る派ではあるが、録画したアニメを全話一気に見る、という人も大なり小なりいるのだろう。
まあこれは自分が知らないだけで昔からいた人達なのかもしれない。
この話の反論として、次の話が放映されるまでの期間に、考察や感想を言い合う人々が〜という意見があったけれど、そもそもインプットが多すぎて、アウトプットする機会が減っているから、考察だの感想だのを言い合うことに困らないのかなとも思った。
これまた昔の呟きだが(ソースは忘れた)、二次創作をやってみたいけどどうやるか分からない≒アウトプットのやり方がわからない、というツイートを見たこともある。
コンテンツ過多とも言えるが、それは単純にコンテンツの種類だけでなく、量にも言えるだろう。
単話ではなく、全話という単位の作品が「いつでもどこでも」見られるようになってしまった。
件のツイートはサブスクに絡んでいなかったけれど、作品が溢れかえっている状況は似ているものと考える。
そしてこの「いつでもどこでも」が当たり前に出来るのは、資金が潤沢にある大手の会社だけになるんだろなと思うと……なんだかなあ。