はてなキーワード: ドルオタとは
「シンデレラガール」はアイドルグループのデビュー曲である。「君は〜シンデレラガール マイプレシャスワン〜」で始まるあの曲だ。イケメン達が王子様みたいな服を着て少女漫画の主人公しか体験できないような世界観の歌詞を歌いあげるのだが、私はこの曲が好きです。聴くと「あっっ…私って…シンデレラガールだったもんね?…?(催眠状態)」となる。少女マンガに憧れる気持ち全く知らずに生きてきたけど、この曲を聴いて完全に分かった。
なんでここまで私がこの曲を好きになったのか、整理してみる。
アイドルは永遠との戦いだろ。というか愛は永遠との戦いだろ。だから結婚って形で相手に契約させたりする。好きなものなんて永遠になくならないで欲しいし永遠に好きでいたいに決まってる。でも愛ってどこかで終わりがちだし、アイドルは卒業するし、永遠なんてものはどこにもない。だからドルオタって最終的に「瞬間」に重きを置くようになるよね。「いまが最高!」とか言っちゃってね。もう今この瞬間を楽しむしか残された選択肢ないから。
そんなアイドルの無常を知っている私に対して、シンデレラガールは永遠を約束してくる。「いつになってもいくつになっても僕は君を守り続ける」とか言う。デビュー曲で、この世に存在しえないものを、誓ってくる。あーおいおい何にも分かってないこの若者達やっちまいましたよ…ありがとう。そう、これが最高の「瞬間」なのである。永遠なんて存在しないのに、なのにもうこの歌詞を聴いている瞬間だけは、「永遠」の存在を確信する。この若者たちと共に過ごす幸せな未来しか見渡せない。ありがとう、ずっと永遠に好きだよ。デビュー曲で永遠を提供してくるのは福利厚生よすぎだよ。
つまり何が言いたいかというと、真に輝いてるアイドルは「瞬間」の中に「永遠」を作り出すことができるし、シンデレラガールはその力を最大限に引き出す曲なのだ。
だが永遠を歌う曲はアイドル業界に山ほどある。なぜシンデレラガールはそこまで私を感動させたのか。それは2番の歌詞にリアリティがあるからだ。
ある時友人が恋人と別れた時に言っていたのだが、「恋してるときの方がよっぽど異常な状態で、別れるのは正気に戻るってことだ」と。その友人が本当にそう思っていたのか、自分にそう言い聞かせていたのかは分からないが、なるほどそういうものかもな。恋してる時は、終わりを想定できるほど賢くなれない。盲目で異常で精神病だ。あれ待てよ、これって瞬間の中に永遠を見出すか意味わからないことを言って必死になってる私のことか?
となったところでキンプリは一度現実を思い出させてくれる。2番の歌詞で「時が経てば宝石もガラス玉さ」と言ってくるのだ。ここで私はほっとする。なぜなら現実には永遠などないと知っているから。1番の歌詞のノリが2番も来てたら、なんとなく他人事で聴いちゃってると思う。だからここで一般論として「愛は冷めるらしい」というのを出してくることで、架空と現実の距離が一気に近づく。
そしてその上でキンプリさんは言うんだ、愛が冷め、形が変わっても、君が君でいる限り、僕はまた君に恋をすることになると。もうこのガラス玉の比喩表現が絶妙すぎて上手く訳せないんだけど、とりあえず2番の歌詞は遠い先を見越しているのだ。冷めきった結婚生活だと思っていた日々が、ある時をきっかけにこれが幸せで穏やかな毎日だと気づく、そういう瞬間をリアルに描いている。愛は冷めないのではなく、愛が何度でもはじまると言っている。「瞬間」の連続により「永遠」を実現する。ああ、そういうことか。永遠なんてないと思ってたけど、瞬間の連続の中に永遠があるんだな…これが愛だし、アイドルなんだな…やっぱ現実に「永遠」あるじゃん…となる。
つまり何が言いたいかというと、シンデレラガールの2番の歌詞には、「永遠」に現実感を持たせる説得力があるので、非常に魅力的曲になっている、ということだ。
あと関連してもう一つ言いたいのは、おそらくこの曲の歌詞はキンプリというグループに重ね合わせられてしまう点です。
デビューってジャニーズアイドル的には一番盛り上がるタイミングじゃん。無敵じゃん。そんなタイミングで永遠を誓う。これからはもう楽しい予感しかしない。推し(自担)が大好きで推しが誰よりも人気者で…もう最高だよね。分かる。でもさそんな宝石みたいな日々は過去になることを、古いオタク達はしってるんだよ。痛いほど知っている。CDの売り上げが落ちたり、テレビに出ることが減ったり、箱にスカスカ感が否めなくなったり、誰かがグループ抜けたり、あからさまにオワコン扱いされたり。そんな中で担降りする日が来て、今キンプリを追ったり、はたまたキンプリから降りたりするわけじゃん。
でも、そんな日が来たとしても、好きだった日々を懐かしい思い出だと言って、今を楽しく生きてくれるなら、それでいいってキンプリさんは言ってるんだよ。宝石がただのガラス玉になった時、捨てるでもしまっておくでもなく、普段使いの耳飾りにする、その姿に恋をするっていうのは、そういうことじゃないのか。キンプリデビュー時の勢いでファンになったけど、数年してファンを辞めた子。たまたま音楽番組で、キンプリ10周年とかいうの見かける。この歌詞を聴く。絶対泣くじゃん。この宝石みたいなデビュー曲を聴きながら、それを大切におもうし、その時の自分の延長に今の自分がいると気づくじゃん。はやくこれになりたい。
つまり何が言いたいかというと、この曲は今後、デビュー時のみんながキンプリに恋した日々をメタ的に歌った曲としての意味も持つようになり、より歌詞に深みを増すだろうということ。
増田みたいな限りなく無意義な、でも無料のもので時間を潰すことより
金払って映画行くとか、金払って外食するとか、金払って趣味でも作った方がいいのかもしれない
ただ、金を使って有意義とされることに取り組むと、使った金がなくなる
金は使い始めるとあっという間に減るものだ
だからできるだけ使わない方が良い
金を使わないことによって、金を稼ぐ必要がなくなる
が、自分が買い支えなければならないと思うほど必要なものは無い
こうして、娯楽に金を使う誰かにフリーライドして生活必需品だけを買い、老後のために貯蓄し、最低限の労働で生きることに、自分自身意義を見出せているかと言うと、全く見出せていない
じゃあ金を使えば有意義になるのだろうか
きっと金を使って得られるのは、お客様として承認されることで満たされる承認欲求だけだ
ドルオタは金を使ってドルオタというアイデンティティを買い、ドルオタとして存在する事を認めてもらっている
そこでこう思う、では社会参加することを有意義だと思わなければそれで済むじゃないかと
金を払って承認欲求を満たすキャバクラの客のようなことをするは虚しいことだ、そんなの必要ないと思えば、お金を払わずに済む
働かないこと、余暇を生むことを最優先し、結果生まれた余暇もまた「金を払わない」ために無為に過ごす
なんと無意味なことだろう
しかしこうも思う
お金を使って意味のあることをしなければならないのではないか、そのために労働な汗を流したほうがいいのではないかという焦りを感じるのは、資本主義に翻弄された考えに過ぎない
金を沢山稼いで沢山使うこと
金を大して稼がず対して使わないこと
両者に優劣はない。どちらもただ生まれ死ぬだけまでの通過点に過ぎない
こうして考えることもまた無駄なことだ
いや、「聞こえてる」んだけど「聴いたこと」はない。
んー。言語化しにくいな。
例えば「沈むように溶けてゆくように」みたいな歌詞があって、私には「シズムヨウニトケテユクヨウニ」って聞こえてるんだよね。
そこには文章はなくて、音が続く感じ?
たまーに口ずさんでたら、歌詞が急に文章になって「え、この歌詞ってこんな意味なんだ!」ってなることもしばしば。
だから歌詞に共感できたことがない、良い曲とか良くない曲もあんまわかんない。
多分かなり幼き頃からドルオタだったてのも大きいのかもしれない。
推しのCDはどんな出来映えでもとりあえず買う、握手したいからね。
良し悪しはわからんけどとりあえず聞く。ライブについていけるようにね。
「アイドル」がすきなのであって、「アイドルの曲」には価値を感じてないんだろうな。多分
みんなはどうですか?
大学の友人がドルオタで、勧められて見たら普通にどハマりしてしまったのが3年前。
グループは1年周期で変わりつつ今3グループ目を推してる。かわいい!かっこいい!サイコー!!
でもアイドルオタクって叩かれる訳じゃないですか。で、叩いてる人の言い分を聞くとまあ理解が出来る訳ですよ。
「金づるになってるだけ」
「付き合えるわけないのにリアコとかw」
だのだの……。
こちらとしてもCD積んだりコンサート行ったりは自己満足です!っていう体でオタクやらせてもらってるけど、それでも熱愛でたら「今が大事な時期なのに」「匂わせはダメだよね」みたいに「まあ熱愛自体はいいんだけどね??でもさぁ……」的な、いやお前絶対熱愛に怒ってんだろっていう感想出ちゃうじゃん。
見苦しいね〜こんなことやりたくないよ……。幸いまだ私の推してるグループ、メンバー達にそういう噂はないけど、熱愛や結婚あったら確実に荒れてしまう。
でも好きな人(推し)である以上幸せであって欲しい気持ちも本当なんだよ。美味しいもの食べて楽しいことやってよく寝て仕事も沢山あって……という幸せの中に恋人作って結婚してっていうのも理性上あるんだけど、実際はだいぶしんどい。
勿論私が付き合えるとか結婚出来るとか思ってる訳でもない。これはマジで勘違いしないで欲しいところ。オタクと繋がるアイドルは完全アウトです。でも付き合えないって思ってるのに結婚するなの方が酷い気もする。好きです!!だけど貴方は恋愛しないで下さい!!!って事だもんね。そんなんアイドル側としては仕事で疑似恋愛提供してんのにオタク側から言われたくないわな。
あーーーーアイドルには結婚して幸せな家庭を築いて欲しい反面、一生誰のものにもならずにステージの上でキラキラ歌って踊ってて欲しい〜〜〜
アイドル産業ってアイドル側にはアイドルとしての経歴以外には何も残らない虚しい事なのかもな。
でもごめんな、それでも好きなのでアイドルとしてのアイドルを応援します。
ままならねぇ〜〜〜
親友男にはあったその日くらいから仲良くてゲイな事も普通に言ってた。
ノンケなのわかってたけど、タイプだったので、鬱そうなときとか寝ないで相談聞いてあげたりとか、色々たくさん褒めて勇気づけたりとかしてた。ご飯おごったりもした。
向こうも好意わかってたんだと思う。ゲイじゃないからそういう好意は応えられないけど、いっぱい自分の話聞いてくれたし、いっぱい褒めてくれた。
まぁそんな彼も結婚してしまった。ちくしょーまーそうだよなーというかやっぱうなだれた。
よくドルオタや声優ヲタが「推しが結婚した、死にたい」って言ってる気持ちがなんかすっごいわかった。
親友と会う前は発展場とか行きまくってたのに、なんか親友ができてから自制して3年くらい誰ともセックスしなかったし、なんか「神様、ちょっとでもなんか報われてほしいです」って気持ちすごい持ってた。
問題はここだよな。これがなけりゃ「有名税じゃね?」とか「表現の自由やろ」で済むんだけど。
お前ら非実在女キャラが出てきたときに何て言ってた? ねえ何て言ってた? って話になるわけで。
ほんと腐フェミの韓流アイドル・洋画沼率高すぎてヤバい。あとバチェロレッテ見すぎ。バチェラーやテラスハウスも見てるやつそれなりにいて草しか生えない。リアリティショーとかいう生身の人間を骨の髄までしゃぶり尽くす搾取コンテンツ見ながら架空の女キャラに文句言ってるのマジウケる~って感じ。あいつらの人権感覚マジでどうなってるんだろうな。
あと、男オタってAKBや女性声優のエロ本とかあんまり描かないよなって思ったけど、男オタク文化圏は二次元と三次元が割と離れてるっていうのと(二次元のオタク、だいたい三次元が嫌いなんだよな。2.5次元が男性向けでは低調なのもそれが理由やろ)、そういうやべーことするやつは直接アイドルや声優に加害に行くっていう違いがあるのかね。声優に変態アプローチかまして問題になってるの、たいてい男だしな……
実際低調やんけ。俺の知ってる女オタはたいてい2.5見てるし女向けの雑誌やアニメイトの陳列棚ではむっちゃ2.5の特集組まれてたりするけど、俺の知ってる男オタで2.5見てるやつなんてレアケースだよ。レヴュースタァライトとかアサルトリリィとかの舞台やってるけど、あれが女向けの2.5と同じくらい男の間で流行ってるなんて聞いたことねーぞ。
さすがにそれは不当に厳しすぎる。いい大人が自分の意志で同意している以上それは同意。Yes means Yes. 嫌なら自己決定権を行使して「nmmnは訴えます」と言えばいい話。「本当は嫌だったけど別れ話を持ち出されたら困るからセックスに応じた」は有効な性的同意だろ、常識的に考えて。
昔、2ちゃんの半角文字板とかでは女性アイドルのエロ作品が多かったが、児ポが厳罰化するに伴い消えていった。男オタが三次に興味ないのではなく、2000年代に(未成年)実在女性のポルノが許されない社会に変わったのだ
そういう流れは知らなかったんだけど、なんか理屈がおかしくね? 18歳以上のアイドルの消費は児ポにはあたらないから児ポの厳罰化で廃れる理由がないし、仮に児ポ規制で年齢を問わず実在アイドルファンのポルノが許されない社会に変わったというのなら、なんで男性アイドルのポルノは生き延びてるの? 当たり前だけど、児ポ法が規制している「児童」には男子児童も含むよね……
女性の地位が低い国で女性の表象をおもちゃにするのはけしからん! とか言ってる腐フェミ見たときは草生え散らかしたわ。未だに同性婚すら認められておらず「ホモっぽい」がいじめの理由になるゲイの地位が低すぎる国で男性同性愛をおもちゃにしてる連中がよく言えるよなって。腐フェミには恥の概念が備わってないんじゃないか。
沼の外から見えるのが「問題ないと思ってる人たち」だけなのでは。ただ他人の性的消費という自覚が麻痺するのはやばいよな。タイBLドラマなんかは本人たちのファンサービスも多いらしく、距離感を掴み損ねるのかも
いや、別に韓流アイドルも洋画沼もリアリティショーも好きにすればいいと思うんだけど、男性向けコンテンツの女性描写に文句言ってるフェミがそれにハマってる率高すぎるのを見てると「はぁ?」ってなるって話(もちろんドルオタや洋画好きやリアリティショー視聴者の全員がそういうフェミやポリコレ厨ではないのはわかるし、フェミではない人たちをどうこう言うつもりはないよ)
タイBL、あれ性的消費というよりも性の消費の方がポリコレ的にはヤバいよね。出てる俳優の多くがGかBの当事者だってんならともかく、そうじゃないか、あるいはそのへんを曖昧にして匂わせで釣りに来てるなら、ポリコレ的には“クィア・ベイティング”の誹りは免れない。
https://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-47877196
別にポリコレとか興味ないしって言うなら気にする必要どこにもないんだけど、ポリコレに意識高い系腐女子がタイBLにハマってるのは割と見かけるから、見かける度にこいつバカじゃねーのって思ってるわ。
そもそも論として、『ムーラン』の制作陣にアジア人がいない! って中国系アメリカ人の俳優がキレてた流れでいくと、ポリコレ的にはBLの制作陣が女だらけなのはありえない、って話になるんだよなぁ。ポリコレ派腐女子、存在自体が自己矛盾すぎる……
男性の性的消費を批判する声の少なさ、ひとに欲情されることは喜ぶべきことってガチで信じてる男性が多いからかなあと暗澹としていたのですが、これからなのかもしらんね。
ほんと疑問なんだが、こういうこと言うやつって個人主義や自由主義っていう観念が頭の中にないの?
性的に消費されるのが嫌なら、そもそも性的消費の対象であることが自明なアイドルなんかにならなければいいし、アイドルであったとしても耐えられない性的消費があるなら個別に嫌だと言えばいい。本人が明白に嫌だと言っていないのに、わざわざ外野が「そのアイドルの消費は性的消費ですよ!」とか批判しないといけない理由がどこにある?
もっと言えば、性的消費されて喜ぶ男もいれば嫌がる男もいるだろうけど、前者が積極的に性的消費されに行ってるのに後者が文句を言う権利はどこにもない。「男全体」をなんで後者が代弁できると思うのか。「男性の性的消費」なんてものはなく、個別の男への個別の性的消費があるだけだ。そして、架空の男を消費している分には、実在する男としては何も迷惑がかからないんだから放っておけばいいだろう。一緒になって楽しむとかならともかく、わざわざ批判しに行くのは馬鹿のやることだ。
だから、腐女子の人たちが男を性的消費してたり勝手にカップリングしてたりする分には、モデルにした実在人物から抗議が出ない限り彼女らの自由だし、同じ男だからという理由で文句を言う筋合いはなかろうと思うよ。同じ口で「女を性的消費するな」とか「マイノリティの表象を好き勝手するな」とか言われると「ああん? どの口でそれを言うんだ?」ってなるだけ。
いわゆる地下アイドルと括られる「ライブアイドル」に激ハマりしていた30近いおっさんです。平日の夜と土日はできる限りアイドルのライブ現場へ向かい、推しとチェキを撮ることが最早生活の軸になっていました。
そんな私も今年の上旬から、コロナの影響で生活がごっそり変わってしまいました。
(幸いにも仕事はIT系だったので、リモートワークになっただけで収入は変化なし)
アイドルライブは激減し、推しに会える機会は完全に奪われてしまいました。Twitterで推しのツイートをいいねしたりリプしたりと、SNSでしか推しとコミュニケーション取れなくなってしまいました。
仕事が自宅に居ても完結してしまう状況になると、特に外出する用事は無く。。もちろん自分も感染はしたくないし社会的に感染拡大させてはならないと思い、旅行や飲み会なども控えて出来る限り自宅で過ごすことにしました。
数ヶ月経過し、徐々に感染対策しつつもライブが開催されるようになってくると、アイドルたちの行動に少しずつ疑問を感じるようになってしまいました。
・アイドルは「外出自粛をしているオタク」よりも「密になるライブ会場に来るオタク」を良しとする(アイドルも生活があるので仕方ないとは思うけど…)
一応私は自分なりに社会情勢を見つつ活動範囲を自粛してきたのですが、感染拡大に影響しそうな活動・行動をしまくっているアイドルを見ていると、アイドルへの気持ちが薄れていくのを感じました。毎日のように都心へ出て、人と会い、お店に入り、写真を撮ってSNSに上げている。
アイドル活動ももっとネットを活用した次世代的なものが模索されていくことも期待しましたが、どうやら彼女たちは従来の方法をやり直す方向へ進んでいるようです。なんとかして狭い会場に人を集めて催し(ライブ・ファンイベント・撮影会などなど)を開催しようとするのばかり目についてしまい、一人の社会人としての私の考えとは違いすぎて残念な気持ちが勝ってしまいました。
ライブに行かなくなるとびっくりするくらい貯金が溜まっていきました。来年の頭には引っ越しを考えていて、東京から近隣の県へ出ようと思っています。
ストレイライト実装の頃からその兆候はあったけれども、ノクチル以降一層顕著になった。
自分もサービス開始当初からそれなりにシャニマスは楽しんでいたが、最近では話題にするのもはばかられる。
解釈とか感情の解像度とか尊さどこかで聞きかじったようなフレーズで
面倒くさいアイドルを愛でる自分がいかに面倒くさい人間であるかをアピールし
競うかのような文化(少なくとも自分にはそう見える)に辟易してしまった。
ライトかつフラットに楽しみたい立場からすると、今かなり居心地が悪くなっている。
エロゲ全盛時代の葉鍵厨・月厨を見てるような気分になってきて大変しんどい。
とは言え、新作CDを1枚、年に1回ライブに行く程度で妻に聞かすこともない。一回聴かせたがハナから聴く態度を見せなかったから聴かせるのを止めた。
「私、基本的に邦楽分からないから」が妻の口癖であるが、洋楽も別に詳しいわけではない。ある時期のあるジャンルに詳しいだけだ。
そんなある日間ジャムで歌が上手いアイドルが紹介されていて、推しているアイドルが説明付きで紹介されていた。日頃、カラオケ番組で歌のうまさがどうのこうのと言っており、鈴木雅之と玉置浩二がツートップの妻にも伝わるかと思ったら流し聞きするどころか、聞いてすらおらずガルちゃんみてやがった。
で、見たら感想もなく、ふーんで終わった。そして、あからさまに不機嫌な態度で終わった。「なんで私がこんなもの見せられているの?」と言わんばかりの空気で。このあとに続く言葉は「時間の無駄」だろう。このあとやることはスプラトゥーンのくせに。
熱量上げすぎていた自分が悪いんだろうが、この温度差、この態度には心底冷めた。高々趣味だが、本当に癪に触った。
2人で車で出かけるときは妻の好みに合わせたプレイリストで流したり、否定したり、自分でも気にいるような曲を流している(玉置浩二とか安全地帯はまったく私は好きになれていないが、そのプレイリストだって流している)がそんな努力無駄だったようだ。