はてなキーワード: 自死とは
・オマエはまだ苦しみ始めてわずかだが、これから一生その苦しみが続く。時間が経てば経つほど苦しみが増し、責められ嬲られ生殺しにされる。
・オマエは何も生み出さない。何も出来ない。稼げない。そして一生分の幸せを、ちょうど今使い切っているところだ。
・苦しまないで死ぬ方法を伝えたい。そして、4ヵ月後にそれを実行するのが、最も幸せなことだ。オマエも、家族も、社会も、「ウィン-ウィン-ウィン」だ。
・「生きていればいいことがある」のは人間だけ。オマエは家畜だ。家畜は嬲られ肉を剥ぎ取られ喰われるものだ。家畜はそれを受け入れる。受け入れられないオマエは、唯一可能な方法-自死を行え。
・可能性なんかない。未来は真っ暗だ。周囲はオマエをバカにして、搾取するのが当然だと思っている。オマエはそれと戦う力もないし、味方も誰もいない。オマエの10年後のオレが言うのだから、間違いない。
・オマエが今入れる生命保険は、自殺でも2千万円でるので、入っておけ。
・今死ねばオマエは「英霊」として祀られる。金も遺して、遺った家族は幸せに暮らせる。10年後のような産業廃棄物ではない。
・勇気を見せろ。
人間は二種類いる。
バカと利口だ。
劣等と優等、と言い換えてもいい。
奴隷は全員バカで劣等だ。だが、優等の中には奴隷と支配者がいる。
優等の中にいて、バカを馬鹿と見分けられ、バカを操るすべを知っているのに、奴隷に落ちる、優等の中のバカもいる。
劣等と優等は、別の種、と言ってもいい。劣等な人間には見えないモノが、優等な人間には見えている。
逆に劣等な人間は、優等な人間の前では丸裸になっている。ケツの穴まで見られている。ただ、ケツの穴を見られても劣等な種は恥ずかしさを感じない。家畜が尻を晒しているように。人間はそもそも気づかないか、気づいたら目をそらす。劣等な種が晒しているケツから目を逸らすのは優等な種である。
これは能力であって、優等な種が劣等な種に対して迫害したとか、何らかの操作をした、というわけではない。
ライオンは最初から兎を足止めする眼力をもっている。これは遺伝子に刻み込まれた能力であって、「努力」によって勝ち取られたものではない。
(というより、「努力」という言葉自体に幻想を抱けるからこそ奴隷は奴隷である証拠だ。そして、奴隷が抱くその幻想が、経済を動かしている)
こういうことを言うと、ファシズムがどうとか、ナチがどうとか、ガチで言い始める奴がいる。
「劣等遺伝子を持った人間を虐殺するのか!」「オマエのような差別主義者は許せない」と。
結論から言えば、ナチスとは、優等な種をジェノサイドした、劣等な種の集まりだ。
劣等な種が集まり、優等な種のなかの一部にそそのかされ、他の穏やかな優等な種を虐殺するときの欺瞞として、「(ほんとうは劣等な種だが)オレ達は優等な種であり、(ほんとうは優等な種でかなわない相手なのだが)劣等な種は有害だから滅ぼす」という言葉を創りだした。
この言葉すら、たぶん優等な種のうちの一部が創りだした言葉だろう。劣等な種に言葉を紡ぐ能力など無いし、能力があればそれは優等な種だ。
そして、先ほどの「オマエは差別者だ」と言っていたような奴が、先頭を切って虐殺を行い、「わたしはこんなに苦しい思いをしながら、しかし大義に報じるため、しかたなく屠殺を行っている。おお神よ」と舌を出していたのだ。
優等な種は、家畜をむやみに殺さない。
劣等な種だけが、虐殺という経済行為(これは経済行為の一種だ)を行う。
優等な種が憂うのは、劣等な家畜たちの反乱である。その反乱は、優等な種を滅ぼしたあと、劣等な種を激しい自死に誘う。内ゲバ、粛清、リンチ、処刑。
ロンドンで暴動があった。家畜の暴動だ。その前にフランスで暴動があった。家畜の暴動だ。
ハリケーン・カトリーナがニューオリンズを襲った。優等な種も劣等な種も被害にあった。そして、つかの間、「ユートピア」が現れたが、教育を受けた劣等な種が、怯えから大虐殺を行った。
劣等な種は、怯える。不安を紛らわせるために、建設的で地道なこと以外のあらゆることを行おうとする。
劣等な種が怯えている。彼らは奴隷の一揆を起こそうとしている。彼らは「自分たちは報われるべき人間なのに、このように不安を抱えている状態は許せないしそれは支配者が悪い」を合言葉に打ち壊しを始め、やがてその打ち壊しが自己目的化する。
優等な種は憂いている。
わたしは穏やかな劣等種なので、このような駄文を書いて自滅を避けることを(それはできないが)呼びかけることしかできない。
親が障害を持つ子供の権利を(過剰なまでに)求めるといった類のニュースが語られた時、近年になって定番のように貼られるコピペに、以下のようなものがある。
生まれついて重い障害を負って生まれた息子の為に、親は「サリドマイド児の親の会」を立ち上げて、休日は全て会の活動。
「障害者に理解のある社会=息子の為」との強い信念のもと、息子を連れて積極的にマスコミにも出たり、講演活動も行った。
さらに、息子を普通学級に進学させた。息子は重い障害を負いながらも大学に進学。一時は、マスコミにもてはやされた。
が、大学卒業後、障害を負った息子は何処にも就職できなかった。ここで、息子は生まれて初めて本音をぶっちゃける。
「子供の頃から、人前でさらし者にされて辛かった」「休みの日くらい、家族だけで過ごしたかった。家族だけで遊園地や旅行に行きたかったのに」
「普通学級になんて行きたくなかった。手の無い俺が、普通学級でどれだけ不自由で辛く、孤独だったか。
どれだけ、危険で屈辱的(同級生による排泄介護等)な思いをしたか!」と、延々と恨み言を言い出した。
で、親が「何で言ってくれなかったんだ!」と反論したら「言ったが、全て“お前のためだ”で済まされた。
一度だけ、同じ障害を持つ子供たちがいる養護学校に行きたいと言ったら“負けるな”と説教された」
「俺みたいな障害を持った子供が、親に見捨てられたら生きていけない。だから、言いなりになっていた」
「お前たちは“俺の為”と言っていたが、結局は自分たちが社会から注目されてチヤホヤされたかったダケだろう。
養護学校に進学した同じ障害を持った連中は、職業訓練を受けて就職して自立しているのに、親の見栄で、普通学級に進学させられた俺は、就職できなかった」
「俺の障害を受け入れてくれない、見栄っぱりな親のせいで、俺の人生はメチャクチャにさせられた!」
結局、息子さんは親に対する恨みつらみの遺書を残して自殺。最後に親御さんは「もっと息子の気持ちを考えてやれば良かった」
「健常児と同じようにする事が、息子の為だと思っていたが、間違いだった」と嘆いていたな。
【サリドマイド児】と冠してしまったことで、(主にサリドマイド禍にあわれた方々が、大卒の年齢に達するのが今から30年程度前であることから※)全体に無理が生じてしまったこと、にもかかわらずドキュメンタリーなどと真実味を付加してしまったことで、決して少なくない数の「嘘を嘘であると見抜けない」方々が、あたかも現実の出来事であるかのように喧伝してしまうことがもったいないほどである。
既に
http://ameblo.jp/rosexxxkasumi/entry-10613422332.html
といった記事で述べられているように、このコピペが真実であると誤解した方々が、出典として挙げる書籍に『青い鳥はいなかった―薬害をめぐる一人の親のモノローグ(飯田 進)』というものがある。
上記のサイトを見ていただければ、このコピペが=『青い鳥はいなかった』著者の息子、伸一氏ではなかったことや、コピペの状況自体に矛盾が生じることは容易に理解出来ると思う。
にもかかわらず、相変わらずコピペ=伸一氏であるとされる方々は一向に減らないし、さらには「俺はこの本を読んだけどこのコピペの内容が書いてあったよ」などとする者もいる。
ここではその誤解をはっきりと解くために、『青い鳥はいなかった』本文からの引用を交えてネット上に残しておきたい。
なお、本来『青い鳥はいなかった』という書籍は伸一氏との関係についてを主たる題材として扱っているわけではないため、これから取り上げる部分がこの本の限定的な一部分からの抜粋になることを付記しておく。
この本を紹介したアマゾンのページである。目次に注目していただきたい。
目次
わが内なる罪
父母の会創設
国際的な連帯を求めて
噴出する矛盾と内部対立
集団訴訟をめぐって
親の止まり木を目指して
裁判有利の展開のかげに
疑惑の根源
裁判の終結
和解の落とし穴
父母の会の解散
息子伸一の死
実際は「わが内なる罪」を序章とした一二章構成になっており、ここに前書きと終章が加わる。
『青い鳥はいなかった』を誤解している方の殆どは、この目次と、飯田進氏がサリドマイド児の親たちを中心にした「子どもたちの未来をひらく父母の会」発起人であり会長であったことのみをもって判断しているのではないかと想像するが、どうだろうか。
「わが内なる罪」で始まり「息子伸一の死」などと締めてあっては、いかにもコピペの親が飯田進氏であるかのように錯覚できるのは否定しない。
しかし実際「わが内なる罪」で語られている進氏の心情はこうだ。
まぎれもなく私は、重大な過ちを犯した。大倉医師の指摘したとおり、私は充分な統計的調査をすることなく、不用意にも息子伸一の誕生が、あたかも「被爆者に奇形児が生まれると、それをすぐに原爆の影響だと考える」思い込みを前提とした投書をしたのであった。(37頁38頁)
たしかに息子がうまれたときには、その障害の原因がサリドマイド系薬品にあったことを知っている者は、だれもいなかった。その罪意識は、それから私の心理と行動に支配的な影響をもたらすことになった。(41頁)
「息子伸一の死」ではより具体的にコピペとの差違を指摘できる。
知人が主催する公益法人に、伸一を就職させたことがある(268頁)
彼は結婚前もその後も、しばしばタイ、インド、ネパール、チベットなどへ旅行をしている。いわゆるバックパッカーである。いくら貧乏旅行とはいえ、それだけの経済的余裕があったのである。(269頁)
いわゆる不審死である(274頁)そして死因は急性肝不全(274頁)
さらに終章では
伸一は母子感染でC型肝肝炎になったのにちがいない。当時の輸血用血液は、アメリカなどからの輸入に頼っていた。その血液には、しばしばC型肝炎のウイルスが混入していたのである。(312頁)
もちろん伸一は、妻が入院中、連日のように病院を訪れている。見る影もなくやせ衰え、苦痛に耐えつつ死んでいった妻の姿を見ている。だから彼は、おのれが直面させられている運命を、知っていたのに違いない。(312頁)
事実上医療をこばみ、緩慢な自死にひとしい成り行きをたどった秘密もまた、そこに潜んでいたのか。なんたることか。(313頁)
『青い鳥はいなかった』で語られるのは父母の会の設立運営や、その後の訴訟に関して「こうするべきだった、こうあるべきだった、でも現実にはそうではなかった」という筆者の悔恨である。そして息子の死が「私が行ってきた行動を、全否定しているかのよう」に感じた筆者が死後の伸一氏へ当てた手紙のようでもある。
飯田氏の行ってきたことを少しでも知ったなら、あのようなコピペの元ネタとして扱うことがいかに礼を失する行為であるかは理解してしかるべきであると思う。
障害をもった親の権利を(過剰なまでに)求める親や、その親を反差別だネグレクトだと叩く行為の是非まで問うつもりはないが、それを叩く材料として上記のコピペを「真実」であるかのように貼り付けたり、『青い鳥はいなかった』と結びつけて語ったとき、その行為は誹謗中傷であり、いいかえればそれこそが”差別”である。
最後に、コピペにある「遺書」と似て非なる伸一氏が「遺した書簡」が、筆者にとって「お前は肝心なところはわかっていてくれたんだな」と言わせる、筆者と伸一氏の間に決定的な断絶があったわあけではないことの証左であるし、また筆者がこの本でいいたかったことの半分程度を言いあらわす例ともなりうるので、全文を引用してこの日記を閉じる。
「サリドマイドの裁判は、親である第三者が闘った裁判であるのが特徴であった。かなり特殊な裁判であると言える。当事者である被害者は、幼児であったからだ。障害者である本人は、自分の被害をほとんど知らぬままに保証金をもらって和解したのが、サリドマイド裁判の実態であると言って差し支えないであろう。その裁判においてサリドマイド以外の障害者については、何もしなかったのも事実だ」(中略)[注、本文ママ]
「つまりサリドマイド裁判は薬害と言いながら、サリドマイド障害者の救済しかしなかったし、一緒に闘ったはずのサリドマイドとは認定されなかった他の障害者の救済は何もしなかった。いまだにその認識は、サリドマイド障害者にはほとんどない。」(290頁)
※に関する追記
サリドマイド禍はその時期がそれほど広範ではなく、「サリドマイド禍にあわれた方々」が大学を卒業する時期もある程度類推が可能である。コピペの記述などから考えても、「30年前」という時期をそれほど外してはいないと思う。
30年前といえば、時はバブル前夜。「大卒」という肩書きが十二分に武器となった時代。今とは違い、大卒で「就職できない」という事態はそれなりにレアケースである。「親の活動そのもの」が反社会的とされ、企業に嫌われた可能性もないではないが、コピペの記述からはどうもそんな雰囲気ではない。少なくとも、職業訓練よりは大卒の肩書きのほうがはるかに就職に有利であった時代に「普通学級で大学にいかされたせいで」就職できない、という記述には矛盾が生じている。
コピペに「危険で屈辱的(同級生による排泄介護等)」という記述があることから、その障害が日常生活や就業に支障をもたらすものであった場合は上記の限りではないが、そうであった場合、時はバリアフリーのバの字もなかった時代である。そういう時代に重度障害者が大学に通い、卒業する、ということがどれだけ大きな事態であったことか。それこそ大学始まって以来というレベルの出来事である。本人の確固たる意志に、親をはじめ、周囲の身を削るような協力があっても難しいような行為。にもかかわらず、本人に大学に行きたい、卒業したいという意志はかけらもなく、親も見栄が先行しているのを子供に見透かされるような程度の熱の入れようなのだそうだ。ここにもやはり矛盾がある
去年の11月くらいにに某所で書いたものなのだけど、人の目に当たる事が殆ど無かった。
さっき風呂入ってぼんやりしてたら何となくこれの事を思い出したのでここに投げ込んでみる。
文体がやや気持ち悪いのはその時の精神状態と投下した場所でのキャラこんなだから。
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なんだかんだでもう10年は病んでて最近調子良くなってきたから社会復帰できるかな、と思いきや転落してまたニートもどきな日々を過ごしています。
数年前に某富士の麓に研究所がある自動車会社に派遣で行くことがありました。長期という話だったので御殿場の駅前の新築アパート借りてさぁ心機一転がんばるぞー、と働き始めました。
ところがこれがまた劣悪な職場な訳で…。
なんとか方式とかいう効率的な職場方針の大本だけあっていろいろと効率的です。工場じゃなくて研究所だから少しはマシかな、と思っていたらそうでもなかった。
なんていうか怖い。
期日がタイトなのはデフォルトとして、結果も求められる。失敗は許されない。
実験するんですよ。私は派遣の丁稚だからプロパー(自動車会社の正社員)さんにアゴで使われて実験のセッティングをして実験をしました。赴任一週間目だったと思います。
や、プロパーさんに「これくらいできるよね?」みたいな感じで早口でメモ取る余裕もなくあれこれ一方的に言われて「じゃ、忙しいから後は任せた」みたいな感じでさっさとどっか行っちゃうのです。
どうしろと?
実験と言ってもここでの実験は所謂物理学的な実験で私がバックグラウンドに持っている化学の実験の知識なんかクソほどに役に立ちません。
でもやらないと、ということで役に立たないメモと記憶を頼りに実験したら見事失敗。
部長(昭和の悪しき風習を未だに引きずってる感じのするオヤジ)と面談になってプロパーさんは胃に穴が開いてそうな顔をして
で、その部長さん、プロパーさんだけじゃなく私にも面談だと呼び出してきました。
実験を失敗させた「戦犯」だしガミガミ言われるのかな…と思いきやこう言ったのですよ。
「オマエ○○にいたんだろ?使えない奴だな。そんなだから半年でクビになるんだよ」
○○というのは栃木と埼玉に研究所を持つ自動車会社です。栃木の方に半年勤めていました。これも派遣なんですけど。
しかしそれは面倒くさい事に巻き込まれてそれに対して正論言ったらさらに面倒くさいことになってそれにカチンときたので更に言ったらパワハラまがいのこと喰らって、それが元でメンヘラが悪化してノックダウン、派遣元判断で強制退去と言う経緯があります。
面倒くさいことがなかったら多分長く続けることができたと思います。職場環境は今まで勤めた中でもずば抜けて良かったですし、今でももし機会があればまたそこで働きたいと思うほどです。
話を戻しましょう。
部長はその○○に何か執着があるのかそれ以降ことあるごとにそれを引き合いに出すようになりました。一番酷かったのは私の歓迎会という席で無理矢理酒飲まされそうになって断ったら「だから○○辞めさせられたんだよ!」と曰った事でしょうか。
それが切っ掛けという訳じゃないのですがそれから仕事場に行くたびにMP(メンタルポイント)が削られていくのがわかりました。実験は相変わらず上手く行かないし、新卒の小五月蠅いガキっぽいのがゴミを見るような目で無茶なことやらせたりでMPはどんどん減っていきます。
そして…某月某日、MPが尽きました。
朝起きても動けない。恐怖と不安で押しつぶされて身動きができない。今でも仕事決まって行こうとするとこの恐怖と不安の発作が出ます。それの始まりでした。
三日間全く動けず。
何して何食べてどうやって生きてたかは正直覚えてないです。寝て起きると汗びっしょりでクタクタで、それでもインターネットはやっていたらしいです。どんだけ好きなんだよインターネット。
三日目の夜携帯電話が鳴る。相手は派遣元の研究所担当の営業さん。
「完全にお怒りで…」
「明日何が何でも出社でき・・・」
「そうでなければ解雇wldajkfdhafasfa」
覚えているのは薬入れにあった向精神薬,睡眠薬全てを出して、冷蔵庫からスクリュードライバーの缶をだしてビーカーに注いで薬を全部飲んで布団敷いてメモに走り書き的な遺書書いて寝ていた。
…らしい。
発見されたときの状況がそうだったらしいのでそうだったのかもしれない。
電話の途中で思考がシャットダウンされた後の記憶は本当に無く、次に気がついたときには病院らしき場所でやたらでかい注射が打たれる瞬間だった。それを見た数秒後また意識が暗転。
次に気がついたときは当時所有してた車の助手席に座っていて、父が車を運転していた。何十年ぶりのマニュアル車でしかも外車なのに…申し訳ないと思ってまた意識が暗転。
次に気がついたのは実家の目の前。父が「降りろ」と言うので車から降りようとしたら足に全く力が入らず顔面からダイレクトに着地。まぶたが切れて血がどくどく出るわ眼鏡に傷がつくわ背伸びして買ったオサレ服屋のシャツに血がつくわで散々だった。
それから記憶がはっきりするのに一週間以上かかった気がします。
記憶がはっきりしないときに派遣元のコンプライアンス部長とかいう人が来たらしく、お金沢山あげるからもう金輪際関係はありませんさようならみたいな念書を書かされたようです。
実際体験して思ったことは「死は自動的」であるということ。行うときは本当に無意識に自動的に執り行われます。
死ぬ死ぬ喚いているうちは死にません。だって死ぬって宣言する時点でリミッターが働いているから。私も死ぬ死ぬ詐欺よくやるから解るけど、実際喚いている時は本当に苦しい。辛い。誰かに(辛さ、苦しみを)わかって欲しい。そうやってレスポンス貰ってようやく自分の中に空いた穴が満たされるのです。
少し前にUstreamで自殺実況して本当に死んじゃったって事件あるけどあれも本当に自分の苦しみをわかって欲しかったんでしょうね。でも場所とオーディエンスが悪かった。
煽られ罵られ貶された末に彼がとった行動は「本当に」死ぬことだった。
多分怒りからきた衝動だと思う。そりゃ怒るよ。こっちは真剣に苦しいのに「早く死ね」とかナチュラルに匿名掲示板のノリで煽っちゃ。
基本的にメンヘラの人は怒りを自分自信に向ける。自罰的な人が多いって言うのだろうか。この場合だと
「死ねなかった」→煽られる→「くそ!死ねなかった俺が悪いんだくそ!くそ!くそ!」→衝動的に「行動」に移す→運悪く「成功」
怒りで死んじゃったら救われないよ…。
匿名掲示板という特殊環境と群集心理というのもあったのかもしれないけれど、あの場にいたオーディエンスは本当に悪質だと思う。正直、IP調べて書き込んだ奴らを自殺示唆で立件してもよかったんじゃないかとすら思っています。
自殺願望者にとって死は救いです。ギャグでも何でもなくて本気で死ぬことによって苦しみから解放されると思っています。
でも基本的に人間っていうのは自死に対してはリミッターが働いてしまう。だから苦しみから解放されず辛くて苦しい時を過ごさざるを得ない。で、その苦しみや辛さを知って欲しいからある人はリスカ写真あげるかもしれないし、死ぬ死ぬ詐欺する人もいるかもしれない。
http://b.hatena.ne.jp/entry/www.asahi.com/national/update/1115/OSK201011150159.html
はてなブックマーク - asahi.com(朝日新聞社):それはDV、気づいて 生理用品に被害相談先 - 社会
大王製紙(本社・東京)が、生理用品の包装紙にドメスティックバイオレンス(DV)の被害相談先を掲載して販売する取り組みを始めた。女性だけが使う商品だからこそ男性に気づかれずに相談相手の存在をそっと伝えられる、という1人の元被害女性の思いを企業が受け止めた。
きっかけは2年前、兵庫県の女性(48)から届いた手紙だった。女性は元夫の暴力的な言動に耐えられなくなり、9年前に家を出た。「パパのそばにいてあげたい」と残った長男が2003年3月、元夫に刺殺された。
ブックマーク数は20を超えた。「DVは女性だけの問題じゃない」(から不完全だろう)というコメントもあるし、そもそももっと基本的な知識として、女のみならず誰もが熟知する情報となるべきだとも思う。まあ、それはいい。今回はおいておこう。
実はこの件、初めて朝日の記事になったのではない。メーカーに要望を出している状態のときに、すでに記事となっている。「DV相談窓口、生理用品に記載して…長男失った女性訴え(http://www.asahi.com/national/update/0902/OSK200909020015.html)」がそうだ。ブックマーク数も200超だから、記憶している人も多いだろう。
そして、この記事についての日記を過去に書いたことがある(http://anond.hatelabo.jp/20090904015211)。以下引用。
以前はごく普通の仲の良い家族だった。食卓には笑い声が響き、年に数回は旅行に行った。だが元夫は仕事などが原因で神経症になり、ささいなことで逆上するようになる。12年前から4年間、DVの被害を受け続けた。
そのまま素直に読めば、「仲の良い家族」であったはずの夫が「ささいなことで逆上するようにな」ったのは、「仕事など」のトラブル?や「神経症」が原因だろう。
もちろん、病気だからといって夫の行動が何もかも免責されるとは思わない。が、エスカレートする前の、せめて「たまに殴られることもあった」ぐらいのときに状況を食い止め、また「仲の良い家族」へ戻る方法は存在しなかったのだろうか?
資料を読みあさった。DV被害者は、加害者にコントロールされて自分が悪いと信じ込み、事態を悪化させる。早く気づいていたら。自分のような人に、自分が受けているのはDVだと気づいてもらう方法はないか。
まず行くべき「相談窓口」は他にないのか。
今回の記事には「元夫の暴力的な言動」の原因は欠片も出てこない。被害者の女性が気にしているのは、長男と自分の受けた被害だけなのか。夫がDVを振るわず、ただ一人で自死でも選んでいたら、それは構わないのだろうか。
「女のみならず誰もが熟知する情報」はほかにもあるはずだ。
http://anond.hatelabo.jp/20101110041534
>何故電車は死に方としてそんなに人気があるのか。
ということについて、確かにJRおよび地下鉄、私鉄各社は心理的な検証をしたことがあるのだろうか。
どうして電車で死んだんですか、と経験者にインタビューしようとしてもその人は既に肉塊になってしまっているので、無理もないだろうが。
電車での自殺を実行コストの観点から説明しようとすることには確かに一理ある。
しかし、腑に落ちない点もある。
そこであらためて「電車が死に方として人気がある理由」を考えてみたい。
といったようなイメージが強烈に定着しているということがまず、あるのではないだろうか。
みんながやっているから、確実に死ねる。赤信号、みんなで渡ればみんな死ぬ。
日本人にとって、電車とは自殺の安心ブランドなのではないだろうか。
ほかに簡単で苦しくない死に方を思いつく人にとっては、こういう死に方は思考停止に思われるかもしれない。
そうだ、死にゆく人の思考は停止しかかっている場合がある。
重度の鬱で気がついたら死のうとしていた、という人にとって、自分の死に方についてそれほどクリエイティブな思考を巡らせるだけのエネルギーはもはや残っていない。
だからそういう人は、この国における「自死」のイメージに強烈に結びついた電車のイメージに、まさに身体ごと引き込まれていくのではないだろうか
2【自分が死んだことを知ってほしいという願望がどこかにある】
誰にも迷惑をかけず、この世から消えてしまいたいと本気で思った人は、富士の樹海への行き方を調べたことがあるのではないだろうか。
電車で自殺をする人は樹海を目指す人たちとは異なる考え方をしているように見える。
たとえば毎日の通勤で、駅に行くと電光掲示板に「人身事故」の文字が流れる。
このようにして、電車で自殺すると、あなたの死はいやおうなしに知らされる。たとえ大部分の人にとってそれが匿名の死であっても。
電車で死ぬ人には、彼または彼女が愛した人にであれ、殺してやりたいと思っている人にであれ、自分が死んだという事実を確認してもらいたいという願望がどこかにあるのではないだろうか。
DSMの改訂の度に、論議を呼ぶような追加があるが、今回も例外ではない。実際、マニュアルはだんだん厚くなっている。今回提案の改訂で最も不穏なのは、いわゆる医療の専門家が個人の性格を調査する際の方法が、ずうずうしく露骨な新方式になっていることだ。
変わった個性を持つ子供が、その個性のために奇抜な行動を見せると、精神疾患と分類されることになる。昔からこの基準で診断されてきたならば、モーツァルトやアインシュタインのように通常の枠組みから飛び出して新しい発想にたどり着く人は存在しなかったかもしれない。
「今日、7才のモーツァルトがコンチェルトを作曲しようとすれば、注意欠如・多動性障害と診断され、投薬で才気の無い『正常』にされるかもしれない」
性格の違いまで精神病と解釈するとなると、人間は個人的な義務を感じなくてよくなるが、同時にユニークな人間性を奪われることになる。自分で考えることができず、医薬品でコントロールされるだけの存在に貶められる。
この子(http://www.youtube.com/watch?v=6-owL1vM4nE)みたく飛びぬけていたり、見つけて伸ばしてもらえた子は良いのだろうけど、そうじゃない出る杭になっちゃった子は打たれるんだろうな。
医師の自殺率は高い。1980年代前半の英国における医師の自殺率は、一般人口に比べて、男性で3倍、女性で6倍である(a'Brook,1989)*1。最近の米国では、一般の男性に比べて、男性の医師は自殺を試みることが1.41倍だが、一般の女性に比べて、女医は自殺を試みることが2.27倍と高く(SchernhammerとColditz,2004)、女医の19.5%がうつ病の既往を自己報告している(FrankとDingle,1999)。
1967年から1972年の米国では、精神科医の自殺率は、他の医師の2倍である(Richら,1980)。自殺率が高いだけでなく、精神科医は医師の中で喫煙率が最も高く、禁煙に最も失敗しやすい(TamerinとEisinger,1972)。1980年代の米国では、男性の精神科医の7.1%、女性の精神科医の3.1%が、自らの患者と性的に接触している(Gartrellら,1986)。これらは1960年代から1980年代にかけてのデータだが、精神分析が流行していた当時の米国の精神科医たちは一般の医師よりもさらに不健康な人たちの集まりだったようだ。
全国自死遺族連絡会が2010年3月までに行った調査によると、自殺者1016人のうち精神科を受診、治療中だった人は701人で、69.0%を占めた。自殺者のうち飛び降り、飛び込みは197人で、自宅のマンションから飛び降り自殺を図った場合は全員が受診していた。また、自殺した20~50歳代女性も100%が通院していた。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100504-00000000-jct-soci
さて、このグラフは何を表しているのでしょうか?これはものの
示しています。
(中略)
精神科にかかる患者が増えるのも、抗うつ剤の売り上げが増えるのも
それが本当に患者のためになるのであれば、私は一切批判はしません。
しかし、私の知っている現実はそれと全く逆です。精神医療現場では、
患者の尊厳や命までも、精神医療産業の利益と比べてあまりにも軽視
されていて、不当な診断をされたり、知らされなかった薬の副作用で
被害に遭う人が本当に多くいるのです。
薬害エイズ事件は、患者の安全や命、尊厳が無視された結果、必然的
に生じたものでした。私は、抗うつ剤に限らず、向精神薬による薬害
は、薬害エイズ以上に大規模な問題であると考えます。そして、無用
に患者を隔離拘束薬漬けにしてきた精神医療は、ハンセン病問題を
はるかに超える規模の犯罪・不作為であると考えます。
http://blog.livedoor.jp/mizikanamondai/archives/50929735.html
昨今、気軽に精神科にかかろうといった風潮があるけれど、精神科について知るにつれ、よほどのことがない限りあまり近寄らない方がいい場所に思えてくるんだけれど、どうなのだろう。
音無が目を覚ますとそこには真っ白い天井が見えた。
規則正しく響く脈拍計の音。これは……点滴だろうか?
開かれた窓から風がたなびいてカーテンを揺らしている。
今度は、慌ただしげな物音。行き交う大勢の人々。
真っ白い格好をした人々。必死に声を掛ける人。お母さん……?
たくさんの人が音無に必死で話しかけるが動けず、声も出せない。
やがて音無は、自分が生きていて、病室で目を覚ましたことを実感する。
戸惑いつつ、それでもリハビリに励む音無は、
心臓が高鳴る。
動けない身体で彼女の元に急ぐ音無。
音無は必死にあの世界での出来事を天使に話すが、彼女はどうも困惑気味だ。
「あの……知ってる人ですか?」
記憶喪失でずっとこの病院の別の病棟に入院している患者なのだそうだ。
しかし抑えきれない音無は、必死にあの世界の出来事を彼女に話す。
自死とそれを選ばざるを得なかった運命を受け入れ、ついに彼を許し、天使になったゆりのこと。
巻き込んでしまった仲間たちと、仲間に裏切られ殺されたその運命を初めから受け入れていた日向のこと。
解散ライブで音楽だけは永遠に生きることを伝えようとしたあのバンドメンバーたちのこと。
そして、僕自身のこと。これから生きて……生きることで償い続けなければならない、罪のこと。
他にも、たくさん話したいことが、話さなければならないことがある。
言いたいことが多すぎて、うまく言葉が出てこない。
当然、天使の顔をした天使じゃない彼女にはさっぱり事情が理解できない。
だから、少女は言った。
「良かったね」と。
突然表情が変わり、動けない身体をむち打ってすがりつく音無に、少女は困り果てる。
「あの……ちょっと私もう行かなきゃならないんです」
……と言っても演奏するのは患者の人たちのコピーバンドなんですけどね。
わたし、それにどうしても行きたいんです! だから……」
遠くからかすかに聞こえるギターの音。
「いけないもうはじまっちゃってる! ごめんなさい!」
一礼して、音無の元を走り去っていく少女。
遠くから響く聞き覚えのあるイントロ。
それは、聞き間違えようがない……。
音無は、少女を追いかけようとするが思うように身体が動かずに転んでしまう。
必死の思いで起き上がろうとする音無を覆う影。
ふと見上げると、そこにはさきほどの天使の顔をした少女が手を差し伸べていた。
「あなたも好きなんですか? ガルデモ」
END
「サラリーマン」と括ってしまうことで拡散してしまうものがあると知りつつ、ひとつの視点を提案してみたいです。
あ、三十手前職歴なしのたわごとです。
あとは貶すなり加えるなり好きにしてください。
帰属意識という点で、あらゆる伝統技能職や専門職よりも職人(あるいは奉公)精神を求められるのが、現代のサラリーマンなんじゃないか。
そう考えることで、よくわからない精神的敷居の高さ、正社員にあらずんば人にあらず的な空気、新卒>>>>>>既卒+経験、という現象の一旦が説明できないだろうかと思う次第です。
変なタイトルつけちゃったけどさ。私が言いたいのはね。
そうした職人精神とか、「社畜」の心意気みたいなのは、あってもいいと思う。立派に働いている友人たちは尊敬してる。
でも、それが日本的な相互監視と相まってできた「空気」に追い詰められた人が「自死」を選んだとき、その人の弱さのせいみたいに言うのは、やっぱりおかしい。
だから、私はもうすぐここから逃げるつもりです。
何度負けたって、それが死でなければ、人生は続くのだから。
「空気」を喜ばせるより、こんな私でもいて欲しいと言ってくれる人を喜ばせるために、これからは生きてくつもりです。
自死扶助法を制定施行するために、(社会的でも政治的でもなく)純法律的にクリアしなければならない点ってなんだろうか。
本人の意思表示が他者に強制されていないことの立証かなあ…
しかし「ないこと」の立証って悪魔の証明だからなあ。無理なのか?
自死の意思表示前の3年内に効力を発した保険契約は無効とする。
(可能ならば払込み済掛金から事務経費を除いた額の相続財団への組入れは可能にしてあげたいけれど、それはさすがに生保がのまないだろうし、捨ててもいいでしょう)
あとは借金の問題か… 自死の前に借りまくって遊びまくった挙句自死、遺族は相続放棄してしまう場合(いわゆる自死前提での遊び逃げ)。これは貸し手側が可哀想だ。うーん、消費者庁(後述)の自死後の証拠調べの中で、債務がある場合にはその契約及び使途を洗い出したうえ、遊興費にあてていた場合は相続放棄を認めない、などの手当てが必要か? いや、何か無理筋っぽいな…
かと言ってここには何らかの歯止めが絶対に必要だよな。仕込んでおかないと市場から個人相手の貸し手がいなくなってしまう。それは「生きたい人たちにはできる限り迷惑をかけない」という原則に反してしまうよね。上手い手はないかな…
あー、刑法の殺人罪(未遂を含む。)について、自死扶助の場合は違法性阻却事由にあたるものとして可罰性を取り除いてやらんといかんのか。
だって自死について、痛いし苦しいしそうでない手段を選ぼうとするとえらく手間隙がかかって、とにかくハードルが高い、コスト(金額換算だけでなく、面倒くささをも含む。)がかかる。このコストを低下させることができたら、もっと気軽に自死を選べると思うのだ。BJのドクターキリコのような方に自死扶助を委託するコストが5万円ならば、これは素敵。
++++++++++
追記:あ、刑法にそのものずばりの条文があったから、殺人より何よりこちらを何とかしないとダメだよね。本当に隙だらけだ。すまん。
第202条 人を教唆し若しくは幇助して自殺させ、又は人をその嘱託を受け若しくはその承諾を得て殺した者は、6月以上7年以下の懲役又は禁錮に処する。
(未遂罪)
第203条 第199条及び前条の罪の未遂は、罰する。
すると… この手当ては最低限必要なのか?
第1条 刑法の一部を次のとおり改める。
同中「若しくは幇助し」及び「、または又は人をその嘱託を受け若しくはその承諾を得て殺し」とあるを削る。
…う~ん、やっぱりだめだ、第202条の立法者意思が分からないと小手先で条文に手を入れてもだめだろう。削る方向では本来網をかけなければならない場合を落としてしまう。A「Bさん、私を殺してください」 B「はい、分かりました」でBさんがAさんを殺すと6月以上7年以下の懲役又は禁錮になる。それはAの死後では結局「死人に口なし」となりAのBに対する嘱託の存否が確認できないからか? そうであれば「ただし、AのBに対する嘱託がAの真正の意思表示に基づくものとして他の法令に定める手続きが履践されている場合はこの限りでない。」とただし書をあてれば良いのか?
++++++++++
しかし、するとなあ… 自死の意思表示が明示的にも暗示的にも他者からの強制によるものでないことという要件は、更に重要性を増すことになるわけで。ここをどう仕込むか。公証人の前での宣誓だけでは全然足りないよなあ。
公証人との完全な相対で自己が自死を選択する理由及び原因について口述し、録取してもらう。うち、自己に対し不法行為を為したがため自死を選ぶこととしたと主張する場合、その不法行為を為した者及びその不法行為があったことに係る証拠(になり得ると少なくとも本人が考えているもの)を公証人に預ける。このように不法行為に対する損害賠償請求権を国家に承継させようとする場合、それは国家のリソースを費消することになるから、自死の意思表示のオプションとして選択できるようにする。選択する場合別に手数料の納付が必要だよね。破産手続き開始決定の申立て並みに、40万円程度で良いんじゃないかなあ。
自死が確認できた後、公証人はこれを…そうだなあ、できれば専掌官庁(内閣府自死管理庁?)であれば良いけれど、難しいようならせっかく作った消費者庁に引渡し、消費者庁はこれら証拠を調べて、不法行為に係る損害賠償請求を行って取れる見込みがあると想定する場合、当該損害賠償請求の訴えを被告の居住地、自死者の居住地または死亡確認地を競合的管轄権を有する第一審裁判所としてここに提起する。そして得られた賠償額から必要経費(原告代理人費用も含む。この訴えに限り、原告代理人を検事以外でも可として、訟務の所管を法務省から外す …とすると設置法の一部改正も必要なのか? これは調整がえらく大変そうだなあ…)を控除したうえ、残余を相続財団に組入れる。
消費者庁の証拠調べの過程で、刑事として立件しなければ社会正義が保たれないと判断すべき証拠が発見された場合、検察官への告発を義務付ける。
あとは18歳未満の自死扶助制度の利用を禁止する規定は絶対に必要だよな。可哀想だけれど。成年被後見人や被保佐人などの能力制限者も利用禁止。
まだまだ、というか全然法技術的に詰めきれていないなあ…
先ほど措いてしまった社会的な同意の調達は難しいかなあ。40代前半以下の有権者について、全く無根拠だがきっと現時点で10%程度の支持は取れそうな気がするのだけれども。楽に死ねるものなら死んでしまいたい、死んでも良いな、と考えている層は、一定以上いると思うのだが。
50もブクマしてもらって、個人的にはここまで誰かに構ってもらったことがないので興奮しました!
今日は持病の通院のため朝から休み。のんびりした時間を過ごしてかなりくつろげた。毎日こうだといいな。大学時代を思い出した。孤独だったのに特に苦しくなかったのは、こういう風に充実した時間を過ごせてたおかげなんだな(平日の人の少ない書店、喫茶店、映画。やりたいことをストレス少なく自由にやれる感じ。←社会人になって失ってしまったものばかり)。
今からもう明日の会社が怖い。憂鬱というより、もはや怖い。一部ブコメで指摘してもらった通り、今心が苦しいのは過労が原因というのもあるかもしれない。でも、過労といっても、雑談を交わしあえる人間関係があるならいくらでも働けると思うんだ。一人ぼっちであんだけ頑張らなきゃいけないから、もう悲鳴を上げそうなんだ。
コメントを下さった方にお返事。
こんなにいっぱいレスしてしまうくらいコミュニケーションに飢えてます。なので、色々コメントをもらえてうれしかったです。
同調(?)してくれるようなコメントから何人か気になる方がいたんですけど、大半の人がはてなダイアリーは書いてないんですね。人となりを知って仲良くなれるかなと期待したんですが。残念でした。
http://anond.hatelabo.jp/20091004214026さん。
創作意欲は低い人間です。センスがない。あと、今は全く時間がない。。。
http://anond.hatelabo.jp/20091005003417さん。
お互い辛いですね。2chとかで出会いはあるのかな??ネットで本当に出会いってあるのかな?ネットからリアルの付き合いになるには、それこそ抜群のコミュニケーション能力かルックスが必要だと思うんだ。その点、絶望。
あー、明日の会社がいやだー。
九重りんから学んだこと、それは、「娘のために、母親は死んではいけない」ということだった。
九重りんは、ほんとうは彼女の年頃ならば、無償でふんだんに与えられなければならない愛を、
性を差し出して、得ようとしている。
憐れすぎる。
そうして「教師」という職を、(逆説的に)一番信頼しているのは彼女である。
教師という職につくものは、いくばくかの愛を無償で与えるものだと信頼している。
ほかのこどもよりも、幾分多めに求めているだけなのである。
性を差し出して。
青木くんは、彼女が求めるだけの愛(かつ、職分が許すだけの愛)を与え、絶対に、対価をとってはいけない。
彼女が出産で死んでいたら、九重りんの生涯は、もっと過酷なものであった。
彼女が不用意に従弟と同居なぞするから、残された九重りんの生涯が、過酷なものになっている。
秋の選択は、とてもエゴイズムに満ちている。
増田: 1歳になる娘もちのメス。 じつは、「こどものじかん」は1巻を読んだだけ。 wikipediaの「こどものじかん」の項目を読んで、かなしくなった。
科学や仕組み(社会システム)はどれだけ人を救えるのだろうか。
何ヶ月か前、私は心療内科へ通ったことがあった。通ったといっても必要に迫られて2度ほど行っただけなのだが、そこで、頼み込んで診断書を書いてもらった。欝とかそんな内容の診断書だったと思う。一定期間会社を休職するために必要だったわけだけれど、現在はもう回復しているし、たいした問題じゃないと思っていた。のだけれど、これが意外と問題だったのだ。それを知ったのは、つい最近の話。
それは、つい最近、話がためになるからと友達から紹介された保険屋Yさんの話をじっくりと聞かされた4時間後のことだ。さて、いよいよ契約どうしましょう、という段になってYさんは言った。契約云々はおいといて、とりあえず審査が必要なんです。なにはともあれ、とにかく審査をしましょう。必死にすすめてくる。これは契約する気がないのが半ば見えかけていた私をつなぎとめようとしているな、とわかったので、どうしようかなぁと悩みかけたのだが、そのときだ。審査が通らない人って結構いるんですよ、意外と心療内科通院暦があったりね、とにこやかにいうY さんである。私、そのまさかです。告げると、Yさんのせわしなく動く口が半開きで止まった。あー・・・あ、あ。そうなんですか。それはまずいなぁ・・・。
いわく説明はこうだった。つまり、欝になったことのある人の死亡率は異常に高い。それは自死率が高いからだ。だから、通院暦のある人は、特に審査の厳しいというYさんの所の保険には入れないと考えたほうがよい、あるいはうまくしても条件付になり掛け金が高くなるとの事。欝かどうかは薬の種類でわかるし、通院暦も処方暦も健康保険証に残っている。もちろん、嘘はつけない。
というわけで、私はどうやら保険に入れない可能性が高い。今回は、無事保険に入らずにすんだ万歳なのだが、いつか入りたくなっても入れないかもしれないということだ。後先考えず、極端な話“気軽に”診断書を書いてもらったわけだけど、思わぬところで弊害。私だけでなく、何百万といるであろう、診療内科通院者(あるいは経験者)も同様、ということだ。
これはなに?生きずらい人はどこまでも生きずらい世の中だってこと?
そうね、極論ではある。でも、一瞬そう思った自分がいる。
Yさんは言うのだ。せっかく縁があって会ったお客さんなのだから、そのひとりひとりに幸せな暮らしをおくってほしいんです。いざというときの心配をしなくてすむように、最適な保険に入ってほしい、幸せな人生のサポートをしたいのです。そこから始まった話の顛末。幸せな暮らしをみんなに送ってほしい、そのための社会システムの、矛盾じゃあないでしょうか。
一度弱者に転落した人が、再び元の道に戻るための社会システムはあるのか?強者はひたすら強く強なるためのサポートを受けられる、一方、弱者は・・・?なんて、ふと感じてしまったわけです。
うつ病に代表されるメンヘルそのものは現代社会が生み出した病気であり、
これは怠慢でも何でもなくうつ病の症状なのだ。
私も短期間であるがうつ病を患った身なので痛いほど気持ちは理解できる。
それでも大半の者は決死の覚悟で起き上がり、電車に揺られて会社へ行く。
生きるために、飯を食うために、決死の覚悟で布団から出るのだ。
「決死の覚悟」と書いたのは大袈裟な表現では無い。
事実、その布団へ戻れない者がいるのだ。
ある者は高層ビルから身を投げ
ある者は縄に首をかけ
ある者は電車に飛び込む
健常者は人生にもがいて、それでもどうにもならない状況に追い込まれたとき、将来に絶望し、死を選ぶ。
うつ病患者は、ぼんやりとした意識の中で、脳内に存在する得体のしれない何かに襲われ、ぼんやりと死を選ぶ。
うつ病とはそういうものなのだ。
何か得体のしれないもの、それも自分の脳内にある何かに、ぼんやりと、殺される。
ここから私は怒りを表明する。
大勢の人がブログを書くようになった。
私が許せないのは、精神的な病を患っている事を宣伝し、自らのブログに衆目を集めようとする輩だ。
「私は基地外だ」
「幸福そうな奴らを見ると発作を起こす」
「傷付けてやる 私は病気だから仕方が無い」
彼らはネット社会において自らの存在を大きく見せたいがためにうつ病をアピールし、病を根拠に他人を傷つける事を正統化し、自らを「うつ病患者」として売り出す。
うつ病とは本来、他者を傷つけようとする性質のものではない。大多数の患者は病である事を隠し、戦っている。時には治療薬に頼り、時には家族の庇護を受けながらも、病気を治すために、「決死の覚悟」で戦っている。
私は、以前の私、そう、うつ病だった頃の私を思い出すと今でも涙が止まらなくなる。私は病気と闘い、それを克服した。その過程には、主治医と、妻と、母親と、友人と、治療薬の存在がある。どれ一つ欠けていても私は病に負けていたかもしれない。病気と正面から向き合い、闘い、打ち勝った自分への誇りの念を一生忘れないだろう。理解し、包容してくれた周囲への感謝の念を忘れる事はないだろう。
話が逸れてしまったが、この文章をタイピングしながらも私は先述した輩への怒りが収まらない。
彼らにとって病とは、「治療し、戦い、打ち克つもの」ではない。
彼らにとってのうつ病とは「ネット社会の商品価値を高める道具」なのである。
「基地外は攻撃的」このような言葉をよく耳にするが、大きな誤解である。
精神病を患った者の大半は他者に対して、優しい。
自分の心の弱さを知っており、身内の優しさ、周囲のサポートを受けているからこそ、他者に優しい。
精神を患っていることを免罪符にネットで他人を傷付ける行為を繰り返す者は、偽りの病である。彼らは他者への攻撃を精神病という免罪符で正当化しているだけに過ぎない。彼らのほとんどは、病など患っていない。
彼らの行為は、今、こうしている間にも病と闘っている多くの人の名誉すらも傷つけている。ネット社会における自らの商品価値を高めるために「精神病患者は他者に攻撃的」という誤解を撒き散らしている。
どうか皆さん、騙されないでください。
今すぐ止めよ
もう一度言う、今すぐ止めよ
君のやっている事は、全国数百万の、病と闘っている者への、これ以上ない侮辱なのだぞ
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尻を叩こうとしたら別れを切り出されました。うける。
自分がメンヘラになってわかった。自殺は人には止められなかった。
医者は役に立つ事もある。薬も効くことがある。家族や友人もありがたい。
でも、自殺衝動はホントに「衝動」で来るんだ。急に死にたくなるんだ。
しかも、その時は判断力がそうとう鈍ってるんだ。本人が自覚してる以上に。
今でも何人も電車に飛び込むだろ。「電車に飛び込むと損害賠償が大変なのに何考えてんの?」ってよく聞く。
逆に考えてほしい。それを知ってても飛び込む人が減らないのはなぜなのか。ホームにたつと急に死にたくなるからなんだよ。
自殺は止められなかった。
だから、自殺した人の家族や友人は、自殺を止められなかった、といって悔やむ必要は全くない。罪悪感を感じる必要は全くない。
自分がメンヘラになって、自殺の止め方はわからなかったけど、自殺の救いがたさだけはわかった。
日本は毎年3万人が自殺してる。自殺未遂まで含めるとその何倍にもなる。
そして、その数以上に「自殺を止められなかった家族・友人」がいる。その人たちに、少しでも伝えたくて書いた。
実は、これ増田に書くの3度目なんだ。前2回はほとんど反応なかった。
この主張を広める方法知ってる教えてくれる人いたら教えてくれないかな?
「自殺とかってカマってちゃんだろ。プゲラ」ってあおりをトラバしてくれるだけでも嬉しい。
とにかく、この主張を人目に触れさせたいんだ。力を貸してくれ。
-------- 以下 追記 -------------
20:34 追記
わーい。コメントがついた。みんな優しいな。反応を水増ししたいけど、自演はアレだから、一つずつコメ返すよ。
22:15 追記
はてブたくさんありがとうございます。コメントを読んで言葉が足りない&不適切だったかな、と思い追記。
私は一時期、自分が死ぬかもしれない、と思った。それは「衝動が断続的に襲ってきて、運が悪ければそれに耐えられないかもしれない。」と思ったのだ。常に死にたい、と思っていたわけではない。でも、死ぬかもしれない、と思った。自分に殺されるかもしれない、と言ってもいいのかもしれない。
万が一の時、残った家族に、自分を責めて欲しくなかった。あなたたちのせいじゃないんだ。むしろあなたたちのおかげで今まで衝動に耐えられたし、幸せを感じた時間がたくさんあった、と伝えたかった。
すみません、最初からこう書けばよかったのかもしれません。
また、止められないから、止めても無駄だ、と言いたいわけでもありません。力になることもあります。でも、それを全て忘れる瞬間も存在するんです。
「止められなかった場合に」責めてほしくない、と言いたかったのです。私の表現が悪かったと思うので表現を「止められない」から「止められなかった」に変更しました。
7/4 13:37 追記
こんなにたくさんのはてブありがとうございます!!多くの人の目にとまる事ができたんじゃないかと思います。
また「タイトルにも追記希望」ってコメがあったんですが、追記の内容をはてブや注目エントリのタイトルに反映させることって可能なんですか?方法ご存じの方いらしたらご教授いただけると嬉しいです。
「自殺」と「自死」という言葉の使い方に関しては私が無知でした。実は今でもよくわかりません。全部訂正した方がよいのでしょうか?タイトルはこのままの方がキャッチーな気もしますし・・・