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はてなキーワード: 川端康成とは

2022-11-14

はてなーで「3種の読書

クリエイティブになるには、3種の読書を1000日続けよ

https://note.com/hoshinomaki/n/n1c2fd844ed21

これ。毎日、(短編)物語1つ、詩を1つ、論考(essay)を1つ。

面白そうだけど、3種×1000個も探してらんないじゃん。今こそ集合知じゃん。よろしくお願いします。

自分から

  1. 川端康成掌の小説』より『火に行く彼女
  2. 谷川俊太郎『62のソネット+36』より『今日
  3. 野家啓一『「実証主義」の興亡 -科学哲学視点から-』 https://www.jstage.jst.go.jp/article/ojjams/16/1/16_3/_pdf

1種類だけでもいいし、元動画が言うほどビッグネームじゃなくていいよ。歴史に残っててぱっと読める論考なんて知らないよ

別にマイベストじゃなくていいから気兼ねなく頼むよ

2022-10-27

[] 筆力が高いと人間観察力や構成力が高いように思えるけど別にそんなことはまったく無い話

勝手に期待しといて勝手にガッカリするのおかしいけどう〜〜ん・・・

 

語彙力・リズム感・構成力がめちゃ高だが、常識に分類される知識をすべてパージするギャングスタラッパーもといネットラッパーは以前も書いたが、

今回は別の方

 

語彙力・リズム感・表現力がめちゃ高で随所に本が好きなんだなぁ感があり純文学アピールもするが、

まり人間観察力や構成力が難があってびっくりした話

・・・い〜や・・・どうしたって、そ〜はならんやろ、みたいな・・・

おそらく、この方は文体模写もめちゃくちゃ得意なはずで、萌えオタクなら必ず一度は目にする某作家ぶっちゃけ少し似ている

ただ軽快さは遥かにこの方の方が上で、クリアボイスの歌手が唄うようにスムーズ言葉が入ってくる

『え?今なんて言った?』と全くならない

おそらく、相当、幅広い分野の本を読まれていると思うのだが・・・・まぁ殆どお話には大抵お約束があるよね?

だいたいログラインで興味を引くような展開になっているわけなのだけど・・・何故それを・・・無視・・・なのか?

これが、読者に好かれる人物にする法則さえもブン投げていれば、逆に、『そうなんだ』って腹落ちするが、何故かそこだけはぶん投げていない

合わない人は合わない川端康成(ワイは好き)みたいな淡々とした話でも、欧州監督が撮りそうな何も起きないノンフィクション風の体裁映画みたいな話でも、

プログレみたいな実験的な話では無いのだわ・・・いや・・・強いて言えば、ボカロの曲でありそうか・・・

うん、令和の言語IQクソ高ボカロPだったのかも知れない

 

でもよくよく考えるまでもなく、ワイくんもそこそこさまざまなコンテンツに触れておきながら、比喩ではないガチうんこばかり捻り出しているので、

情報作品に触れた数とアウトプットには何ら関係がないのかなと思いました まる

2022-08-11

anond:20220810111408

割とみんな思ってる事では?って思ったけどな。とにかく人物の掘り下げが浅い

例えばで言えば "間違った、偉そうなことを言うザコ・モブ" は甘やかされてるみたいな描写がなされるが

実際では逆でおすします

 

ただしっかり人物描写しているやつも人間が書いている以上は観察者の主観が入るし、商業的な作為は入るかなぁって思う

あと、淡々として最後まで何も起きない、川端康成の『舞姫』とか『山の音』とかめっちゃ好きだけど、

マンガでこれは無理じゃないかなぁって思う。少なくとも商業誌では

いがらしみきおゆうきまさみ人物描写は好きだけど、エンタメ的に事件起こるもの

2022-05-02

anond:20220501015737

手塚治虫火の鳥ヤマト編」の、大王の今際の際、生への未練がある状況を表した1コマを思い出した。セリフを取り出すと

川端康成モヨミタカッタ

映画モミタカッタ

女ノ子トデートタカッタ

車ヲフットバシタカッタ

マージャンヲオボエタカッタ

一ドジョニーウォーカーノミタカッタ

2022-01-23

anond:20220123105834

川端康成の『雪国』という小説評価されてます

国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」

の一節が生まれたんだからええじゃないか

2021-11-18

anond:20211118180823

米山によれば、越後湯沢みたいな観光地は、川端康成雪国」っぽい雰囲気にするのがよい。そのために駅前を整備するのが正しい政策だってさ。


常識的に考えて、そっちの方が「多額の公費」がかかると思うし、日本中温泉地でそんなお金を出せるところは少数と思うが……。

観光地「光」風景と言う意味で、基本そこにしかない風景を作りこむに尽きると思います。「萌え絵キャラ」は余程有名な原作と結びついていない限り正直全て同じに見え、その観光地を際立たせる効果はほぼなく、例えば湯沢なら川端康成の「雪国」的ティストで駅前を整備するだけで全然違うと思います

https://twitter.com/RyuichiYoneyama/status/1460793390757343237


ちなみに、越後湯沢にも、温泉むすめがいます

2021-07-08

自己レス:というかメンヘラの物知らずばかりでほんとイラつく。中学生ラジオかよ

一例 ↓

なにがドストエフスキーは読みにくいだよ

やさしい女(A Gentle Creature )って読みづらかったか〜〜?????????

それとも原書で読んだんでちゅか〜???

ホンマ本読んだアピールするアホきらい

 

川端康成も同じことが言える

ワイが1番好きなのは舞姫」やで(森鴎外じゃないよそもそも映画化もされてるからな)

次いで「山の音

(anond:20210201002639)

anond:20210708194034

2021-06-11

花束みたいな恋をした」は若者の浅い文化への揶揄かな

マイナーサブカルチャーが分かってる自分に酔ってる絹と麦だけど、押井守とか今村夏子とか「マイナーメジャー」な人しか出てこない。

監督はあえてやっているんだろうけど、作者や作品名前は出しても内容には一切触れていない。

例えば今村夏子のピクニックをすごいと言いつつ、何がどんなふうにすごかったかは言わない。宝石の国を読んで泣いたとは言いつつ、どこを見て何を思って泣いたは言わない。

内容を深く掘り下げることもないので、恋愛について語っているブログ川端康成とほぼ同じことを言っていてもブロガー言葉(=マイナー文化側の人間が生み出した言葉)として解釈してしまう。

これは雰囲気だけで「エモい」「感動した」「めっちゃよかった」という若者に自らの姿を見せているのではないかな。

いかにもエモいと言われそうな映画を作って、流行りの俳優女優を使っていかにもな出会いや別れや回想を表現して。

サブカル勢風の若い人にはウケ、本物のサブカル勢はあんまり好ましく思わないか共感性羞恥を感じてるんじゃないかな。

ちなみに自分が1番共感性羞恥を感じたのは、絹と麦が「ショーシャンクの空に」とか「魔女の宅急便」を好きな人を見下していたところ。その人たちも押井守の顔を知らなかっただけかもしれないのに、名前を言わず「神が…」といって私はわかっていますよ感を出す。中学2年生?

サブカル風が好きな若者たちが、サブカル風の若者描写した映画を見にいく。映画スクリーンが鏡のように感じた。

2021-05-04

日本語のとびっきり優れた英訳といえば

意味だけではなく、言葉の奥深さまでもが伝わる翻訳……源氏物語川端康成安部公房村上春樹、……やっぱり文学ということになる

漫画でも優れた訳者をつけることでもっとマーケットが広がるのではと思うのだが、文化的ではないと軽んぜられているのかな……

2021-03-06

シグロ氏の発言について、ある左翼かつリベラルから見た感想(続き)

前半はこちら↓

https://anond.hatelabo.jp/20210306213555

結局のところ、このイシグロ氏のインタビューの浅さ、つまらなさは、インテリ向けの文学芸術業界という自分の属する世界世界全体であるかのように錯覚して語っているところにある。

その上で、あくまでもそういうインテリ業界文学芸術業界への提言、また自戒としてイシグロ氏の発言を読むなら、部分的同意できないこともない。イシグロ氏は「リベラル以外の人たちがどんな感情や考え、世界観を持っているのかを反映する芸術必要です」と言う。必要かどうかはわからないが、非リベラルの人が思想感情表現した芸術があってもいいというのはその通りだろう。リベラル原則からしても、非リベラルの人の表現自由制限するのは筋が通らない。ただしその表現批判する自由もあり、表現する以上は批判を受けるリスクは負うべきだというだけだ。

しかしここでもやはりイシグロ氏との現状認識の断絶は感じる。イシグロ氏から見ると世界リベラルが作った芸術ばかりらしいが、少なくとも私は日本に生まれ育って、「リベラル以外の人たちがどんな感情や考え、世界観を持っているのかを反映する芸術」の方を圧倒的に多く目にしてきたと思う。そもそもポリティカルコレクトネスなどが日本で多少とも意識され始めたのはごく最近のことであり、それ以前の言論にせよ芸術にせよ、今の視点で見れば差別偏見にあふれているもの普通だ。

たとえばイシグロ氏と同じくノーベル文学賞を受賞した川端康成という作家がいて、日本はいまだに高く評価され、小さな書店にも文庫本の数冊くらいは置いてあるだろう。私も過去にいくつも作品を読んできたが、同時に忘れられない言葉がある。ある時私の母親が言った「若い時に川端康成を読んで、女は芸者しか出てこんのかと思った、芸者にならにゃいけんのかと思った」というものだ。私は芸者という職業否定しないが、ここで問題なのは芸者の側ではなく、女性を極度に美化しつつあくまでも鑑賞される客体として描きがちだった川端康成視線の方である現在の目で見て、こういう川端康成視線女性蔑視的要素を含まないということは難しい。

また私は十代の頃に太宰治を読み、貧しく教育のない芸妓を買い取るようにして妻にした挙げ句、その妻が他の男と寝ていたというので絶望し、何やら自分が裏切られたかのように荒れている主人公(これは作者自身体験に基づく)の思考回路がよくわからないと感じたことがある。しかし当時の私はまだ、そんなものはわからなくていいと突き放すことができなかった。そこであれこれ想像力を駆使しつつ、そういう「苦悩」に何とか共感できないかと努めた記憶がある。ずいぶんと「理解しがたい他者」に耳を傾けようとしたものだ。その後フェミニスト批評に触れたりする中で、共感できなくて当然だったといつしか思うようになったが。『男流文学論』や『妊娠小説』を笑いつつ興奮しつつ読んだ日を思い出す。

私の世代には、そういうフェミニスト批評のように、また女性自身による新しい表現のように、男性作家視点を相対化してくれるだけの「他者の声」が辛うじてあった。その他の多様なマイノリティ視点から作られる芸術も探せばそれなりにあった。しか古典とされるようなものは言うまでもなく、世間で人気のあるもの話題になっているものは多くがリベラルでも何でもなく、機械的に「差別語」を排除したりする他はポリティカルコレクトネスにも多様性にも無配慮なのが普通だった。それにもかかわらず、「逆差別」だの「自虐史観」だのとリベラル側の価値観攻撃する言説は早々と巷にあふれていた。私は左翼だが、小林よしのり作品をいくつか読んだことがある。周りで流行っていたからだ。小林よしのりは「じいちゃんの死は無駄だったというのか」といったまさに感情に訴える手法保守派戦争観を広め、当時の若い世代にかなり影響を与えた。

シグロ氏の周りはどうなのか知らないが(と皮肉を込めて言うが)、日本書店というのはいまだに「嫌韓本」が山積みにされたり、保守論客歴史本がベストセラーになったりしている。イシグロ氏の小説を読むようなインテリ層の一部はそれに眉をひそめるかもしれないが、現実として、日本にはずっと「リベラル以外の人」の表現があふれ、どこにでもいる「リベラル以外の人」がそれをのびのびと享受している。「ストーリーを語ることはリベラル側の専売特許である社会などいったいどこにあるのだろうか。私は見た覚えがない。

小説であれ、大衆向けのエンタメであれ、もっとオープンになってリベラル進歩的な考えを持つ人たち以外の声も取り上げていかなければいけないと思います。」そう思うのかもしれない。「私は人生の大半を進歩自由主義的な考えのもとで心地よく過ごしてきた」と言えてしまうような人は。この言葉移民であり民族的マイノリティであるシグロ氏の口から語られることは、イギリス社会成熟を示すものでもあるだろう。

しかあいにく、私の住んでいる世界はイシグロ氏の世界とは違う。イシグロ氏の世界にしても、単にイシグロ氏に見えていないだけで、リベラル価値観の過剰ではなくその不足に苦しんでいる人がまだたくさんいるだろうと私は思う。私はリベラルとして非リベラル発言権を奪えとは言わないし、またその声に耳を傾ける人がいてもいいと思うが、私が日本社会でより多く耳を傾けたい声は、やはり非リベラル社会が長らく抑圧してきた、今も抑圧している声の方である

ところで、私は川端康成太宰治作品差別的な要素があると言ったが、かれらの本を絶版しろとも、教材に入れるなとも、子どもに読ませるなとも思わない。差別的要素があるからといって作品全体が否定されるべきだとも思わない。私は川端康成文章の美しさも、太宰治小説面白さも理解することができる。それに価値がないとは言わない。

キャンセルカルチャー」という言葉が指す状況を私は詳しく知っているわけではないが、作者がある場面で「政治的に正しくない」言動をしたからといってその作品全否定したり、市場から完全に追放したりすることは私は支持しない。差別思想公的な表明は批判されるべきだが、芸術表現を直接的に規制したり、作品を抹消したりすることは慎重であるべきだと思っている。

この点はおそらくイシグロ氏の考えと私の考えは近いだろう。芸術総体として愛するならば、自分の嫌いな作品理解しがたい作品が生まれてくる可能性も含めて愛さなければならない。私は現在視点川端康成太宰治表現の一部に批判をもっているが、その批判を表明する方法作品を焼いたり隠したりすることでは決してなく、批評や新たな作品で相対化していくこと、注釈を書き加えていくことだと思っている。

ただし同時に、かれらの作品にも行動にも現在から見て許しがたい要素があること、それは当時には自覚も変更も難しかたかもしれないが、今後の社会に引き継ぐべきではないこと、そこを否認するつもりもない。作品は消さないが、今後も読まれ続けるのなら、そういう観点から批判作品自体と同じくらいに読まれ、語られるべきだと思う。もし川端康成教室で読むのであれば、教師にはその美しさだけでなく、その女性の描き方が一方的であったり一面的であったりすること、フェミニズムを通過した視点でどう見えるかというようなことにも学生の注意を促してほしいと思う。これが過剰な要求であるとは私は思わない。

最後に、イシグロ氏が述べている「感情」というものについて少し違う角度から見ておきたい。最初に書いたように、私は政策決定などにおいて事実科学的根拠より感情が優先されるような事態は望まない。この点ではイシグロ氏に同意する。

しか人間感情というもの社会のあらゆる場面で抑えられるべきとも、それが可能とも思えない。イシグロ氏の主張を大きくまとめると、現在世界(実際はイシグロ氏の属するインテリ業界)はリベラル側の感情を優先しすぎるものになっているので、感情優先を抑えると同時に非リベラルももっと発言の場を与えるべきだ、と読める。私はこれには同意できない。

まず現状認識が違い、芸術世界リベラルに席巻されているようには到底見えない、というのが上に書いたことだが、それとはまた別に文学芸術世界でまで政策議論場合のように感情排除する必要はないだろうと思う。イシグロ氏は小説家として、感情を重視する文学トランプ支持のような不合理に加担した可能性を反省しているのかもしれない。しかし思うに、それはそれで文学の買いかぶりというものだ。感情に訴え、感情を揺さぶもの文学芸術の他にもいくらでもある。むしろ現実生活が多様な感情を強く喚起するからこそ、それを芸術表現し直すことが対象化や客観視の手段になりうるのだ。そして文学芸術は、合理性を追求する世界からこぼれ落ちる感情思想避難所としての役割をもっている。人間が完全に「合理的」な存在に変化しない限り、この役割がなくなることはないだろう。科学エビデンスに基づいてワクチン政策を決めるように自分人生を生きられる人はいない。そんなことを個人に求めるべきだとも思わない。

また、イシグロ氏の言う「リベラル」に人種的民族的性的その他の抑圧されてきたマイノリティが含まれるのだとしたら、かれらが時に強い攻撃性をもってその感情、蓄積されてきた恨みや怒りの感情表現することを私は一律に非難したくない。被差別者表現が時に復讐的な攻撃性をもっていたり、「逆差別」と見えるような偏見を含んでいたりすることはある。それ自体はたしかに「良いこと」とは言いがたい。しかしこれもまた現状認識問題になるが、今の社会マイノリティマジョリティ攻撃するような表現公然と行えば、より危険さらされるのはマイノリティの方である。だから圧倒的多数マイノリティはそんなことをせず、むしろ感情抑制に非常に長けている。

BLMを暴力的だと言って眉をひそめる人を数多く見たが、私が以前から思っているのは、もし黒人たちがその何世代にもわたる奴隷制怨恨復讐としてそのまま投げ返したなら、アメリカ白人社会はすでに何度廃墟になっているかからないということだ。しか現実はそうなっていない。現実マイノリティは、時に攻撃的に見えることがあるとしても、総体として恐ろしく理性的で自制的で、そして寛容なのだ。何一つ復讐も、感情表現することもできずに埋もれていった膨大な被抑圧者の忍耐の上に今の社会は維持されている。多くの被差別者は、深い痛みを抱えながらも、求めるのは復讐ではなく次世代幸せになることだと穏やかに語る。その中から時に感情的な表現が投げかけられたとして、それを感情的だと単純に排除することを私はためらう。

ずいぶんと長くなってしまったが、ふと書く気になったので書いた。まだいくつか書き残している気もするが、土曜も一日つぶれたことだしこのへんで。

2021-02-22

必読書コピペマジレスしてみる・日本文学

方針

森鴎外舞姫

留学先で女性妊娠させて見捨ててしまう話なので、近頃は評判が非常によろしくない。そのくせ、この文体のせいで美しいと感じてしま自分がいて、実はこれ、レトリック文体によって騙されることに注意しろっていう警告なんじゃないかって気もする。「自分おすすめ編」にも書くつもりなんだけど、ナボコフロリータ」もそういう自己正当化がとにかくうまい

余談だが、鴎外自身東洋人だったこともあり、留学先では写真を撮らせてくれと頼まれたことがあったという。それに対して、構わないけどもあなた写真も逆に撮らせてくれ、と言って、相手も満足させつつ日本人としての尊厳も守ったことがあって、これは割と好きなエピソードの一つ。まあ、漱石よりは世渡りうまいよな。

樋口一葉にごりえ

古風な文体挫折しかかるも何とか読破。これよりは幼馴染系の「たけくらべ」のほうが好きだったなあ。増田では古文いるかどうかで議論になったことがあったらしいが、古文がすらすら読めるほうがこういう趣味というか楽しみが増える気もするし、純粋実用面だけでいえば法律用語や古い公文書を読む必要がまだあるんじゃないのかな。

舞姫」の話の続きだけど、古典文学にもやっぱりクズエピソード結構あり、じゃあどれを教えてどれを教えないかは割と難しい。

泉鏡花高野聖

僧侶山間で美しい妖怪出会う話。文庫ちくま日本文学全集で読んだ。全集と銘打っているけど、このシリーズ日本の近現代文学作家ベスト盤みたいな感じで、チョイスはいいのだけれどときどき抄、つまりダイジェスト版みたいなのが紛れていて、コンプリートしようとは思わなかった。

話としては幻想的ですごく好き。幻想譚が好きな自分がどうして泉鏡花にどっぷりはまるまでいかなかったのかが不思議なほどだ。当時は、著名な作品をどんどん消化しようと思って乱読していたからかもしれない。そういう意味でも、課題図書読破することが自己目的化した読書には幾分害がある。

国木田独歩武蔵野

とても好き。小説が読めなくなったときには、文豪の書いたこうした随筆というか、風景描写の豊かな文章を読むことで、自分リズムを整えたくなる。外出の難しい昨今、こうして空想世界でだけでも豊かな自然のなかで過ごしたいものだ。五感が刺激される文章というのはなかなかない。

夏目漱石吾輩は猫である

我輩を吾輩に修正

ここ最近漱石の評判はあまりよろしくないと聞く。所詮は当時の欧米文学の輸入に過ぎないとか、結局は男社会文学だとか。言われてみれば確かにその通りなのだけれども、日本近代文学開拓者にそこまで求めちゃうのも酷でしょうと思わないでもないし、この作品からたったの十年で「明暗」にまでたどり着いたのだから、やっぱりすごい人ではないかと思う。五十になる前に亡くなったのが惜しまれる。

で、肝心の内容だが。基本的おっさんおっさんの家をたまり場にしてわいわいやる日常ものなので、当時の人にしか面白くないギャグを除けば、普通に笑える。最終回は突然後ろ向きになるが、もしかしたら漱石の本分はユーモアにあるのかもしれない。

余談だが漱石留学時代日記に付き合いのお茶会について「行カネバナラヌ。厭ダナー」とのコメントを残している。

島崎藤村破戒

素直に面白かった。若干のプロパガンダっぽさがなくはないが、読んだ当時は差別する側のねちっこさや意地の悪さが良く書けているように思われた。とはいえ、昨今は善意から来る差別についても考える時代であり、問題はより複雑になった。

被差別部落問題については気になっているのだがなかなか追えていない。日本史について読んでさまざまな地域実例について断片的にかじった程度だ。それでも、地域によって温度差やあったり、差別対象が全く異なっていたりすることがわかり、どこかで日本全体の実情について知りたく思っている。

田山花袋蒲団

女中の布団の残り香を嗅いで悶々とする話だってことは覚えているんだけれども、読んだときにはあまり印象に残らなかった。なぜだろう。自分が読んできた近代文学は、基本的ダメな奴がダメなままうだうだする話ばかりだったからかもしれない。その多くの一つとして処理してしまたか

で、自分が好きなのは飢え死にするほど悲惨じゃないくらいのダメさであり、親戚のちょっと困ったおじさんくらいのダメさなんだろうと思う。

有島武郎或る女

読んだことがない。ただ、ドナルド・キーンの「百代の過客〈続〉 日記に見る日本人」によればこんなことを書き残しているそうだ。「僕ハ是レカラ日記ハ僕ノ身ニ大事件ガ起ツタ時ノミ記ケルコトニ仕様ト思ツタガ、矢張夫レハ駄目な様デアル。日記ヲ記ケ慣レタ身ニハ日記ヲ一日惰ルコトハ一日ヲ全生涯カラ控除シタ様子ナ気ガスル。夫レ故是レカラ再ビ毎日日記ヲ始メ様ト思フ」(意訳。日記書かないとその日が無かったみたいで落ち着かない)。ここでツイッターに常駐している自分としては大いに共感したのである。そのうち読もう。

志賀直哉小僧の神様

読んだはずだが記憶にない。「暗夜行路」で娼婦の胸をもみながら「豊年だ! 豊年だ!」と叫ぶよくわからないシーンがあったが、そこばかり記憶に残っている。これを読んだ当時は、この小説のように自分がどれほど理想を抱いていたとしても、モテいからいつかソープランドに行くのだろうな、とぼんやり思ったことを覚えている。

ちなみに、自分が初めて関係を持った女性貧乳だった。だがそれがいい

お父さんとうまくいっていない人は子供の才能をつぶす話である清兵衛と瓢箪」が刺さるんじゃないかな。あとは少女誘拐視点の「児を盗む話」もよかった。

内田百閒『冥途・旅順入城式』

大学時代知り合った文学少女から薦められて読んだはずなのだが、覚えているのは「阿房列車」の何編かだけだ。それと、いつも金に困っていて給料を前借りしていて、そのことのまつわるドタバタを描いた作品日記もあって、そうした印象ばかり残っている。

関係ないけど就職活動中に、この文学少女から二次関数を教えてくれと言われ、片想いしていた自分はそのためだけに都内にまで足を延ばしたことがある。いいように使われていたなあ、自分あいつには二度と会いたくないが、元気にしているかどうかだけは気になる。

宮澤賢治銀河鉄道の夜

めんどくさいファンがいることで有名な作家全集には第三稿や第四原稿が収録されており、比較するのも楽しい。俺は〇〇は好きだが〇〇が好きだと言ってるやつは嫌いだ、の○○に入れたくなる作家の一人。○○には「ライ麦畑で捕まえて」「村上春樹」「新世紀エヴァンゲリオン」「東京事変」などが入る(註:この四つのものとその愛好家に対する歪んだ愛情から来る発言です。僕も全部好きです。すみません)。サブカル系にはこれがモチーフになっているものが数多くあり、その点では「不思議の国のアリス」と並ぶ。

思想に偏りはあるが、独特の言語感覚や観察眼は今でもすごく好きだ。余談だが新書の「童貞としての宮沢賢治」は面白い。

江戸川乱歩押絵と旅する男

知り合いにいつもぬいぐるみキーホルダーを持ち歩いてかわいがっていた男がいたが、それで本人が落ち着くのならいいと思う。不安の多い世の中で、人が何か具体的に触れるものにすがるってどういうことなんだろう、って、ってことをこの作品を思い出すといつも考える。どこで読んだか思い出せなかったが、これもちくま文庫全集でだった。

横光利一機械

狭いコミュニティの中でこじれていく人間関係の話ではあるけれども、新潮文庫場合表題作よりも他の話のほうが気に入った。印象に残っているのは十二人の旅芸人夜逃げする「時間」と、ナポレオンヨーロッパ征服に乗り出したのはタムシのせいだったという「ナポレオンと田虫」。

谷崎潤一郎春琴抄

実はこの作品は読めていない。谷崎作品は割と好きで、「痴人の愛」「刺青秘密」「猫と庄造と二人のおんな」「細雪」は読んだ。「痴人の愛」という美少女を育てようと思ったら逆に飼育される話は自分人生観に多大な影響を与えたし(例の文学少女気持ちをもてあそばれても怒らなくなってしまったのもこれが遠因だろう)、「細雪」はただ文章リズムにぷかぷかと浮くだけで心底気持ちがいい。ついでに、戦時中生活爆弾が実際に降ってくるまでは震災コロナでただよう自粛雰囲気そっくりだったこととよくわかる。

ところで、最近久しぶりに谷崎作品を読もうと思ったら、ヒロイン名前が母と同じだったのですっかり萎えしまった。というか、ここ最近趣味が「健全」になり始めていて、谷崎作品に魅力を感じられなくなっている。感覚がどんどん保守的になっていく。これはいかん。

夢野久作ドグラ・マグラ

ミステリ編参照。anond:20210215101500

川端康成雪国

高校生の頃に読んだのは確かに記憶に残っているのだけれど、高校生川端康成エロティシズムが理解できたかどうかはよくわからない。たぶんわかっていない。せいぜい伊豆の踊子の裸の少女を読んで、ロリコン発症させたことくらいだろう。

太宰治斜陽

太宰はいいぞ。自分は愛される値打ちがあるんだろうか、というテーマを本人の育った境遇パーソナリティの偏りや性的虐待疑惑に求める説は多いが、そういう心理普遍的ものでもあり、だから多感な時期に読むとわかったつもりになる。芸術に何歳までに読むべきという賞味期限原則としてないが、これもできるだけ若いうちに読んでおくといい。太宰の理解者ぶるつもりはないが。

もっとも、本ばかり読んで他の活動をないがしろにしていいものだとは全く思わない。あまりにもドマイナーな本を読んでマウンティングするくらいならバンジージャンプでもやったほうが話の種にもなるし人間的な厚みも出るというものだ。たぶん。

三島由紀夫仮面の告白

天才的。男性のあらゆる種類のコンプレックスとその拗らせ方を書かせたら彼の右に出るものは少なかろう。ただ、大学卒業してから突然読めなくなってしまった作家でもある。息苦しくなるまで端正に磨きこまれ文章のせいかもしれない。

武田泰淳ひかりごけ

極限状況下でのカニバリズムテーマにした小説なんだけれども、途中から戯曲になって、「食べちまう葬式ってえのは、あっかなあ」などとやけにのんびりした台詞が出てくるなんともユニーク小説。ただし、これは単なるブラックジョークではない。物語は序章、戯曲第一部、第二部と別れているのだけれども、その構成にきちんとした意味がある。

人類全体の原罪を問うようなラストは必見。あなたは、本当に人を食べたことがないと言えますか?

安部公房砂の女

祖父母の家から貰ってきた作品で、愛蔵版らしくカバーに入っていた。カフカにはまっていた時期だから楽しんだ。カフカ父親の影から逃れられない主人公とは別の種類の渦巻にとらわれてしまった主人公がだらだら、ぐだぐだしてしまうのだが、カフカ男性によって抑圧されているとしたら、こちらは女性に飲み込まれている文章だ。

大西巨人神聖喜劇

未読。不条理陸軍の中で、最強の記憶力を頼りにサバイブする話だと聞いて面白そうだと思い購入したのだが、ずっと積んだままだ。これに限らず、自分戦争もの小説漫画をあまり読んでない。戦争に関しては文学よりも歴史書からアプローチすることが多い。

これは自分の悪癖だが、戦争ものになると庶民よりも知識人にばかり感情移入してしまう。

大江健三郎万延元年のフットボール

大江健三郎は初期の作品をいくつかと、「燃え上がる緑の木」三部作を読んだきりで、どういう態度を取ればいいのかよくわかっていない作家の一人だ。狭い人間関係の中のいじめだとかそうした描写に病的に関心のあった時期に読んだせいで適切な評価ができていない。

燃え上がる緑の木」は新興宗教原子力発電といった(結果的には)非常に予言的であった作品であったが、癖が強くカトリック宗教教育を受けた自分であっても世界観に入り込むのに時間がかかった。「1Q84」よりもきつい。面白いが。

萩原朔太郎『月に吠える』

大学時代の友人に薦められて読んだ。「この家の主人は病気です」と、飢えて自分を食ってしまったタコの詩ばかりを覚えている。覚えているのはこれだけだが、この二つが読めたからいいか、と考えている。大体、詩集ってのはピンとくる表現ひとつでもあれば当たりなのだ。そして、それはあらゆる書物にも当てはまることである

福沢諭吉福翁自伝

祖父学生時代に送ってくれたのだけれども、ぱらぱらとしか読んでいない。

子供向けのものだった気もするし、近々原文にチャレンジするべきか。自助論西国立志編)なんかと合わせて、自己啓発書の歴史を知る意味でも興味深いかもしれない。

正岡子規歌よみに与ふる書

読もうと思って読めていないけれども、これまたドナルド・キーンの本で面白記述を見つけた。「墨汁一滴」の中に、つまらない俳句乱造しているやつの作品にはどうせ碌なもんなんてありゃしないんだから、そういう連中は糸瓜でも作ってるほうがマシだ、という趣旨のくだりがあるそうだ。創作する上でのこういう厳しさは、いい。

石川啄木時代閉塞の現状』

ローマ字日記しか読んだことがない。たぶん日本最初フィストファックが描写された文学かもしれない。春画はどうか知らないけど。

小林秀雄『様々なる意匠

詩集翻訳しか読んだことがない……。

坂口安吾堕落論

堕落と言いつつもある種の誠実さについて語った本だった気がするが、それよりも新潮文庫で同時に収録されていた、天智天皇天武天皇家系にまつわる謎についてのほうが印象に残っている。

哲学編に続く→anond:20210222080300

関係ないけど芥川が載ってないのは納得できないぞ。

誰が一番弱者かとかそんなのはどうでもいいんだよ

弱者女性より弱者男性より新疆ウイグル族の方が弱者で、結局人には人の地獄があるだけなんだよ。

イケメン人生イージーモード強者男性三浦春馬には三浦春馬地獄があって、木村花には木村花地獄があっただけ。

竹内結子うごちゃんも、太宰治だって川端康成だって自分地獄があった。

俺にとっても人生地獄だし、チー牛もそう。不細工デブニキビマンもそう。

地獄の度合いっていうのは相対化できなくて、どっちの方がなんて言えない。

しか不細工より美人の方が有利かもしれないけど、だからお前は甘えてるなんて言うことはできない。

2021-02-10

本好きなら高校生までに読破しておきたい古典100

哲学思想

プラトン饗宴

アリストテレス詩学

アウグスティヌス告白

レオナルド・ダ・ヴィンチレオナルド・ダ・ヴィンチの手記』

マキァベッリ『君主論

モア『ユートピア

デカルト方法序説

ホッブズリヴァイアサン

パスカルパンセ

スピノザエチカ

ルソー社会契約論』

カント純粋理性批判

ヘーゲル精神現象学

キルケゴール死に至る病

マルクス資本論

ニーチェ道徳の系譜

ウェーバープロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神

ソシュール一般言語学講義

ヴァレリー精神危機

フロイト快感原則彼岸

シュミット政治神学

ブルトンシュルレアリスム宣言

ハイデッガー存在と時間

ガンジーガンジー自伝

ベンヤミン『複製技術時代における芸術作品

ポランニー『大転換 市場社会形成崩壊

アドルノホルクハイマー啓蒙の弁証法

アレント全体主義の起源

ウィトゲンシュタイン哲学探求』

レヴィ=ストロース野生の思考

マクルーハングーテンベルグ銀河系

フーコー言葉と物』

デリダ『グラマトロジーについて』

ドゥルーズガタリアンチオイディプス

ラカン精神分析の四つの基本概念

ウォーラーステイン近代世界システム

ケージジョン・ケージ

サイードオリエンタリズム

ベイトソン精神自然

アンダーソン『想像の共同体

本居宣長『玉勝間

上田秋成『胆大小心録』

内村鑑三『余は如何にして基督信徒となりし乎』

岡倉天心東洋理想

西田幾多郎西田幾多郎哲学論集Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ』

九鬼周造『「いき」の構造

和辻哲郎風土

柳田國男『木綿以前の事』

時枝誠記国語学原論

宇野弘蔵経済学方法論』

海外文学

ホメロスオデュッセイア

旧約聖書創世記

ソポクレスオイディプス王』

唐詩選』

ハイヤーム『ルバイヤート

ダンテ神曲

ラブレーガルガンテュアとパンタグリュエルの物語

シェイクスピアハムレット

セルバンテスドン・キホーテ

スウィフトガリヴァー旅行記

スターントリストラム・シャンディ』

サド悪徳の栄え

ゲーテファウスト

スタンダールパルムの僧院

ゴーゴリ外套

ポー盗まれた手紙

エミリー・ブロンテ嵐が丘

メルヴィル白鯨

フローベールボヴァリー夫人

キャロル不思議の国のアリス

ドストエフスキー悪霊

チェーホフ桜の園

チェスタトンブラウン神父童心

プルースト失われた時を求めて

カフカ審判

魯迅『阿Q正伝』

ジョイスユリシーズ

トーマス・マン魔の山

ザミャーミン『われら』

ムージル特性のない男』

セリーヌ『夜の果ての旅』

フォークナーアブサロム、アブサロム!

ゴンブローヴィッチ『フェルディドゥルケ』平

サルトル嘔吐

ジュネ『泥棒日記

ベケットゴドーを待ちながら

ロブ=グリエ嫉妬

デュラス『モデラートカンタービレ

レム『ソラリスの陽のもとに』

ガルシア=マルケス百年の孤独

ラシュディ『真夜中の子どもたち』

ブレイクブレイク詩集

ベルダーリンヘルダーリン詩集

ボードレール悪の華

ランボーランボー詩集

エリオット荒地

マヤコフスキーマヤコフスキー詩集

ツェランツェラン詩集

バフチンドストエフスキー詩学

ブランショ文学空間

日本文学

二葉亭四迷浮雲

森鴎外舞姫

樋口一葉にごりえ

泉鏡花高野聖

国木田独歩武蔵野

夏目漱石我輩は猫である

島崎藤村破戒

田山花袋蒲団

徳田秋声あらくれ

有島武郎或る女

志賀直哉小僧の神様

内田百閒『冥途・旅順入城式』

宮澤賢治銀河鉄道の夜

江戸川乱歩押絵と旅する男

横光利一機械

谷崎潤一郎春琴抄

夢野久作ドグラ・マグラ

中野重治村の家

川端康成雪国

折口信夫死者の書

太宰治斜陽

大岡昇平『俘虜記』

埴谷雄高死霊

三島由紀夫仮面の告白

武田泰淳ひかりごけ

深沢七郎楢山節考

安部公房砂の女

野坂昭如エロ事師たち

島尾敏雄死の棘

大西巨人神聖喜劇

大江健三郎万延元年のフットボール

古井由吉円陣を組む女たち』

後藤明生挟み撃ち

円地文子食卓のない家』

中上健次枯木灘

斎藤茂吉『赤光』

萩原朔太郎『月に吠える』

田村隆一田村隆一詩集

吉岡実吉岡実詩集

坪内逍遥小説神髄

北村透谷人生に相渉るとは何の謂ぞ』

福沢諭吉福翁自伝

正岡子規歌よみに与ふる書

石川啄木時代閉塞の現状』

小林秀雄『様々なる意匠

保田與重郎日本の橋』

坂口安吾堕落論

花田清輝復興期の精神

吉本隆明転向論』

江藤淳成熟喪失

2021-02-01

なにがドストエフスキーは読みにくいだよ

やさしい女(A Gentle Creature )って読みづらかったか〜〜?????????

それとも原書で読んだんでちゅか〜???

ホンマ本読んだアピールするアホきらい

 

川端康成も同じことが言える

ワイが1番好きなのは舞姫」やで(森鴎外じゃないよそもそも映画化もされてるからな)

次いで「山の音

2020-11-30

ベリーダンスマーニャふんどし

ベリーダンスとの出会い

幼いころに観た、「ドラえもん のび太ドラビアンナイト」には、ぜんまい仕掛けの舞姫が出てくる。しかし、まだ自分はそれに欲情することはなかった。パンツエッチもの認識はあったのに、しずちゃんのへそ出し衣装にも、それどころかオアシスでの全裸水浴にも何の感慨も抱かなかったのである

もう少し大きくなってからとある学習漫画で見たベリーダンスには、なぜかエッチ気持ちになった。確か、アラビアと聞いて半裸の女性が踊っている不埒妄想をしているシーンだったような気がする。性の目覚めとは不思議もので、その時に出会ったものタイミングによって、その後の性癖に多大な影響を与えてしまうし、パンツの向こうにある女性器に興味が出てきたのは、中学生以降になってからだった。

文学ベリーダンス出会ったのはオルハン・パムク2006年ノーベル文学賞作家を読んでいた時だ。結婚式などの場にベリーダンサーを呼ぶべきかどうかについて議論している個所が作中に出てきた。どうやら、ベリーダンスの持っているイメージ社会的意味が、ヨーロッパとはかなり違うのではないかと気づいたのはこの時である

イスラーム圏におけるベリーダンス

今回はかなり日英のウィキペディア記事が充実しているので、そこから抜粋しよう。

そもそもベリーダンスには二種類の社会的コンテクストがある。一つはRaqs BaladiまたはRaqs Shaabiと呼ばれる社交ダンスで、別に露出度の高くない通常のファッションで行われる。保守的地域では男女別に踊るものとされている。もう一つがパフォーマンスとしてのダンサーだが、社会的地位はまだ高くない。想像する通り、イスラームでは禁忌とされる肌の露出を行うからである

衣装はbedlahと呼ばれ、典型的なのはぴったりしたブラトップ、臀部のベルト、そしてロングスカートハーレムパンツの組み合わせでできている。ブラとベルトはビーズスパンコールクリスタルコインビーズ刺繍で飾られている。ベルトはスカートと一体のこともあれば、別々のこともある。

起源

ベリーダンス起源は諸説存在するが、地中海世界中東アフリカ関係があるという証拠が最も多く挙げられている。たとえば、紀元前5世紀のものといわれるエジプトの墓の壁画には、半裸のダンサー達が描かれており、その姿はベリーダンサーが鏡の前で行う柔軟体操姿勢に似ている。ウィキペディアにはこんなことが描かれているが、画像がないのがもどかしい紀元前14世紀のネブアメンの墓には、少女が帯だけを身に着けて裸で踊る姿が描写されているが、紀元前5世紀とは年代が合わない。紀元前13世紀のもので、トップレスのダンサーの姿を描いた陶片も出土している。

健全精神がどうたらという言葉で有名なユウェナリスや、風刺詩人のマルティアリスは、現在スペイン小アジア地方で波打つ動きやカスタネット、太ももを震わせて床に沈み込む所作のある踊りを記録している。

そして、12世紀から13世紀にかけてのペルシアの細密画の中においてもベリーダンス描写が見られ、その歴史の長さを伺わせる、とあるが、これもウィキペディアリンクを貼っていない。やれやれ

ちなみに、アンダルシア地方ロマ人の踊りと融合してできたのがフラメンコだという説がある。

エジプト

エジプトベリーダンス西洋人最初に見た様式とされる。ナポレオンエジプトに侵攻した際、ナポレオン軍は芸人音楽家としてられるガワーズィー族と遭遇した。フランス人たちは重たげな宝石髪型に飾り立てられた踊りに徐々に引き付けられた、という。

現在エジプトベリーダンスの多くはカイロで行われ、その起源ナイトクラブにある。多くのダンサーエジプト映画に出演し、エジプト様式ダンスの発展に寄与した。

プロダンスエジプト人に限られていないが、2004年当局外国人ダンサーパフォーマンをすることを禁止した。現在は解除されてはいるが、排他的雰囲気は残っているようだ。

エジプトでは、ダンサーはbedlahを着用している。また、メッシュで覆われた切り込みの入ったドレスを着ることもある。エジプトには、ダンサーが着用できるものとできないものに関する法律があり、文学作品検閲に関する法律第430号によると、ダンサー乳房や腹部を含む下半身を覆わなければならない。事実衣装については「Raqs sharqi」の項にも詳しいが、1950年代以降、エジプトではベリーダンサーが腹部を露出して公の場でパフォーマンスをすることは違法とされ、ワンピースガウンを着用することが一般的になってきている。

と、書かれているそうだが、一般的には、肌色の薄手のメッシュ生地で腹部を覆うだけで十分である、という記載もある。カイロの多くのダンサーはこの規則無視しているが、この規則はそこまで厳密に施行されておらず、腹を出してパフォーマンスをした場合は単に罰金を科されるだけであるしかし、外国人ベリーダンサー衣装を着て逮捕されるという事件が何度も起きているとのこと。

ブラとスカートを別々に着用する場合は、ベルトはほとんど使用されず、タイトでなめらかなlycra(?)のスカートに直接刺繍が施されている。腹をカバーするために、薄手のストッキングを着用しなければならない。

エジプトダンサー伝統的に素足で踊るが、最近では靴を履いてハイヒールを履くことも多い。また、抑制のきいた正確な動きでも知られている。

トルコ

子孫繁栄を祈る踊りでもあるため、中東各国では結婚式に欠かせないそうだ。なるほどパムクの小説に出てきたのもこれで説明がつく。

トルコベリーダンス衣装は肌を露わにしたものであり、ダンサーたちは腰より高い位置で留められたベルトに脚を完全に露出させるようなスリットの入ったスカートをしばしば身にまとっていた。

多くのトルコ衣装の特徴的な特徴は、V字型または三角形ベルトが含まれており、上端の周りに形を整えたり、輪郭を描いたりすることができる。また、ブラジャーベルトの両方に多くの装飾やビーズフリンジが含まれる。スカートは、しばしばエジプト対応するものよりも充実しており、lycraよりもむしろシフォンベルベットで作られている可能性が高い。

1980年代から90年代にかけては、両足をヒップまで露出させたスカートや、広く開けたブラジャーやはなはだしくはスパンコールのみなど、非常に露出度の高い衣装採用された。何があったのだろう?

今日ダンサーエジプトスタイルを想わせる、淑やかなマーメイドスタイルスカートを穿いている。ダンサーたちはハイヒールプラットフォームシューズ(厚底靴)を履く事でさらに、ターキッシュスタイルである事を強調する。ト

トルコベリーダンスオスマン帝国スルタン宮殿にあるハレムに深いルーツを持ってはいた。しかし、今日トルコベリーダンスは、エジプトシリアレバノンと言った姉妹様式よりも、ロマ民族やローマ人様式により強く影響を受けている。現に、現在トルコダンサーの多くは、ロマ民族にルーツを持つ。トルコ法律は、エジプトのようにダンサーの踊りの様式衣装制限を課さなかった。

レバノン

エジプトトルコ様式中間であると言われる。レバノンダンスは、古典的オリエンタルダンスベースにしながらも、現代的でもある。大きなステップ体幹の後方への傾き、ヒップローテーションのねじれ、大きくて忙しい腕、そして多くのシミー(体自体は動かさず、肩のみを前後に動かす所作)がある。

衣装については、腹部を見せることを禁じる規定存在しないため、bedlahスタイル一般的であるスカートエジプトのものよりも透けている傾向にあり、ダンサー身体がよく見える。ヴェールエジプトと比べて広く用いられ、ハイヒール一般的レバノンダンサーエジプトよりも衣装自由享受している。

イラン

アラビア様式によく似ており、イランではベリーダンスのことをアラブダンスと呼ぶ。

tribal style

その他の伝統的な様式がある。興味深いのは、民族的スタイルのブラに着けられたコイン中近東のものとは限らず、日本や中後のものらしいものが含まれることだ。参考、ブラトップ。乾隆通宝とあるので、18世紀のものだ。当時からそこまで交易網が広がっていたことがありありと浮かぶインド洋交易歴史もっと古いが)。

欧米におけるベリーダンス

ベリーダンスという名称も、https://en.wikipedia.org/wiki/Belly_dance#/media/File:Jean-L%C3%A9on_G%C3%A9r%C3%B4me_011.jpg:title-ジャン=レオンジェロームの絵画]の俗称に由来しているという説がある。この絵画では腹部どころか乳房をあらわにして兵士たちの前で踊っているが、この画家空想を織り込むことで有名だ。たとえば別の有名な蛇使いの絵画]

の後ろにある青い壁と床の組み合わせも、確かどっかの宮殿モスク適当に組み合わせたもので、正確さに欠けている。異国情緒あふれていて魅力的だが、今ではたぶん許されない表現だろう。実際、ベリーダンスからイメージされるものは、元来その地域のものであったものとは異なる。

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/a9/Jean-L%C3%A9on_G%C3%A9r%C3%B4me_-_Le_charmeur_de_serpents.jpg

普通ベリーダンス衣装としてまず想起されるものは、1930年代エジプトダンサーたちが身にまとい、他の地域へと知れ渡った衣装で、たいていビーズコインがブラの周辺に飾られたブラジャー風のトップスで、腰のベルトにもビーズコインが飾り付けられている。下半身ハーレムパンツストレートタイプスカートサーキュラー・スカートパネル飾りがあしらわれたスカートである

20世紀バーレスク映画産業がこうした幻想を広めたのだが、当のエジプトダンサーたちもまたまたビーズで全面を飾り立てた衣装を身に纏うようになった。映画でも、セクシーな悪役のイメージとも結びつき、胡散臭いものとして見られることも増えてしまった。このイメージ払拭には時間がかかった。

今でもカイロにあるナイトクラブオーナー、バディア・マサブニは西洋人旅行者の期待に添うために露出度の高いドレス採用している。身体輪郭を覆い隠し、ダンスのたびに強調されるのはスカーフやお尻に巻かれたベルトくらいであエジプト民族衣装とは異なるのである

日本ゲーム漫画アニメベリーダンス

マーニャ

https://dic.pixiv.net/a/%E8%B8%8A%E3%82%8A%E5%AD%90%E3%81%AE%E6%9C%8D]

踊り子と聞けば川端康成ではなくこっちを思い出してしまう人は多いだろう。

たぶん、日本ゲームベリーダンス的な幻想を多くの青少年に植え付けたもっとも古いものの例だ。今に至るまで踊り子といえばへそ出しであり、無数の同人誌で多くの人を悶絶させたはずである。ただ、中東ベリーダンス伝統的にはここまで脚を出さない。

ファンタジーの謎の前垂れの起源もこれだろうか?

マギ

【マギ】モルジアナさんの踊り【ぬるぬるな高画質】 - ニコニコ動画

現代漫画オリエント幻想を一番前に出しているのはこの作品だと聞いたのでリンクを張る。読書の傍ら、漫画も読もう読もうと思って全然読めていないのが悔しい。短篇ばっかり読んでいる。

ただし、書かれているのが謝肉祭とのことであり、結婚式の場ではないようだし、伝統的な衣装とは幾分異なる。

翠星のガルガンティア

https://www.nicovideo.jp/watch/sm21377022]

英語版ウィキペディアアニメの中のベリーダンスとして紹介されたのがこの作品だ。鳴子ハナハル作品については、エロ漫画ソムリエの友人から薦められて楽しく読んだ。大体、彼が進めてくれるのはストーリー重視で性欲があまり刺激されないものが多いのだが、それはさておいて、上の動画深夜アニメなだけのことはある。

しかし、衣装や腰の動きは半ばリオのカーニバルじゃなかろうか。未来舞台から文化が混交しているのかもしれないが。

イスラームと親密さ、異性に見せてもいい場所

Intimate parts in Islam - Wikipedia

で、実際イスラームにおけるへそ出しファッションってどのくらいのタブーに当たるのか?

上記記事によれば、身体のどの部分を覆うべきかについては大きな差があるようだ。主要な見方をまとめると次のようになる。

とはいえトルコのようにかなり世俗化しているところもあるし、特に教徒に対して顔を隠すべきかはかなり差があるようだ。

長くなったが、結論

実際のところ、イスラーム圏でへそ出しダンスって普及しているの? と思っていたので、意外と広まっていたのには驚いた。しかし、あれだけ広い地域に広がっている宗教なのだから戒律をどのくらい守っているかには地域差があって当然だし、都市農村では法の運用方法にも差があってもさほど驚くべきではないだろう。悪名高い女子割礼や名誉の殺人にしたところで、イスラーム本来の教えというよりはその土地部族の慣習が強化された面もあるようだ。海外に行くと善意から両手を合わせた挨拶をしてくれることがあるが、タイ人日本人を混同するような誤解を、きっと僕らもしていることだろう。

2020-08-23

文豪の本を読んだことをステータスにしないでほしい

「太宰とか芥川とか泉鏡花とか川端康成とか読んだことないの?笑」ってなんやねん!!!!!!

本を読むのが好きだ。好きな作家特にいない。

本屋にふらっと入って、その時話題だったり平積みされてるのから面白そうなのを適当に選んで読む。

最近読んだ中では「蜜蜂と遠雷」とか「あきない正傳 金と銀」とかがハマって凄い面白くて一気読みした。ホームズとかも好き。

年代流行りの村上春樹は「騎士団長殺し」は50pくらいまで読んだもののどうしても合わなくて途中で売ってしまった。

けど、「遠い太鼓」はちょっと面白くて、1年くらいかけてちまちま読んだ。




そんなだから趣味読書ですって言っても良いと思ってるんだけど、

そうすると文豪の本をほとんど読んだことがないので、読書仲間の間ではなんとなく浮いている気がする。

読まず嫌いというわけでもなく、刺青とか堕落論とかは一応最後まで読んでみたものの、読み終わっても別になあ…っていう感じだった。

女生徒とか吾輩は猫であるも冒頭チラッと読んだけど、上がんなくて最後まで読めなかった。

文体が古くて読みづらいって言うか目が滑るって言うか。というのもあるけど、現代人が現代小説の方が好きなことって別に普通のことじゃないか

自分は当て勘で本を買っては当たったり外れたりしているけど、

それって自分にとってそうってだけで

他の人のハズレが自分にとってあたりだったり、その逆もあるってもちろん理解してる。

文豪文豪として扱われるだけの力があるんだろうなってこともわかる。


んだけど、やっぱり太宰治読んだことないよっていうと苦笑されたりするんだよな。

なぜか文豪の名著を読んだことってステータスになりがち。あれやめてほしい。

あと単純にあの重たい文体を楽しんで読めるのが羨ましいので、なんか読みやすくて面白いのがあれば教えてほしい。

2020-07-30

anond:20200730201430

川端康成 や (一部)坂口安吾遠藤周作海外古典SF ディック とかは好きだし

古典ラノベ 吉岡平とか神坂一 や なろう は面白みを感じるので

単純に好みやろな

2020-07-29

anond:20200729113820

ワイは川端康成舞姫の続きめっちゃ気になるが

 

ツッコミが入る前に書いとくが川端康成のであってるから

2020-07-24

今週読んだ漫画を書く

先週は面白い漫画紹介してもらってありがとう

まだ全部読んでないけどやっぱり人が推薦する漫画面白い

また教えてください。

☆今週読んだもの

マイホームヒーロー

推理小説趣味で書くお父さんがその知識を総動員し、娘のために裏組織と戦う話。

今まで読んだミステリ漫画中でもダントツ面白い。息もつかせぬスピード感と展開。読み終わるまで眠れない。

お父さんがすごすぎて悪漢がかわいそうになるレベル。絵が細密でうまいキャラ性格に沿った描き分けがいい。

この作の方、推理小説とか書いてないのかな。最新刊読んだら検索してみる。面白い

異世界失格】

太宰治異世界転生してハーレムする話。

ハーレムというとそんな都合いい女いるかという気分になるが転生者が太宰治というだけで納得いく。

いやこんな女いるなー。私が間違ってた。絵は綺麗。内容はちょっと薄め。あんまり濃くできない理由はわかる。

同時期に太宰治が転生してると聞き検索して見たけど多分なろう連載小説かな?

こちらは文体から凝ってて読み応えありそう。一緒に読むと2度おいしくていいと思う。

書籍化川端康成サイドとの折衝にかかってると思うけど難しそうな気はする。

応天の門

まだ学生菅原道真在原業平今日の都で起こる問題解決する推理もの

大河ドラマ時代考証やってるプロがついてるらしく、挟まれ講釈がためになって面白い

漫画としての面白さよりなんかこう、知的好奇心で読むと良さそう。エンタメとしては薄味?

絵はざっくりした感じで好みは分かれそう。

スキップビート

幼馴染が都会にでて歌手になるのに利用され、貢いで尽くした挙句捨てられた少女自分アイドルになって見返そうとする話。

エキセントリック体当たりヒロイン自力で成り上がる姿が清々しい(?)

この作者さん、全作通して普通王子様を待つ少女漫画なぞ描かないわよ、という気概があって、あん少女漫画きじゃなくても楽しく読めてたんだけど、最近ちょっとヒロイン上げが鼻につくような。典型的はわわヒロインになってる気がする。

でも夢小説が大流行からそういうヒロインの方が世間受けはいいのかもしれない。仕方ない時代の流れ。

最初の方は面白い

ゴールデンカムイ

あらすじ書くまでもない人気漫画

最新刊読んだ。杉本かっこいい。妙に乙女おっさんなだけではないところをたまには見せてくれる。

今回の砂金の話はちょっとホラーかかってて面白かった。

敵味方入り乱れすぎて似たような顔のキャラはどこ陣営なのかよくわからんくなってきた。

ファブル】

なにわ友あれの作者の漫画。前回タイトル間違えててすいません。

殺し屋ファブルがボス命令で一時休業し、一般社会一般人として暮らそうとする話。

正体を隠したファブルが悪漢に囚われた美女を救う話で、こういう話を嫌いな人間がいるだろうか、いやいない。

相棒小悪魔美女暇つぶしヤリチン男をうんちに沈める回も楽しい

この作品キャラクターはいい人が多いが、中でも一番のいい人はデザイン会社社長。まさに聖人男性

この漫画で納得いかないのはこの社長独身なことだけである

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