はてなキーワード: 騎兵隊とは
Twtitterで一部の漫画家やイラストレーターとそのファンネルがやってるあれ。
あれがやってるのは産業機械導入に反対してる手工業労働者みたいな感じで
最高にうまく反対運動して数年は押し留めたってどうもなりゃしない。
更に破格に上手く行って日本が反AI国家になっても他の国がやるだけ。
仮にAIが今のままでも活用法はどんどん進歩していくから引き出せるポテンシャルは日進月歩だし
実際にはAI自体がどんどん学習して人間には追い付けない速度で成長してしまう。
「チェスと違って将棋は複雑だからソフトが人間に勝てる日は来ない」なんて言われてた。
もう流れが読めるだろ。かろうじて人間と競ってるように見えるのすら今だけだよ。
AIは今まで見たことのない斬新な画像を生み出している(ゲち華道など)。
AIで100日チャレンジしてるアカウントが嘲笑されてるけどあのアスカのイラストも明らかに魅力的で
実際にアンチの声も注目度に代えて新作イラストが9万いいねとか叩き出してる。
あれに誰が勝てる?
そして漫画家もイラストレーターも第一線の人気作家は反AIに加わっていない。
熱心に反対運動してるのは本業パッとしないロートルや歳食ったアマチュア・ワナビーばっかりだ。
(日頃から思ったように評価されない不満と被害感情がAIに向けて噴き出していると見る)
人気で圧倒して世論を引き倒すという勝ち筋も期待できない。
AIにガンガン手を出してるのはファーストペンギン気質と銭ゲバだ。
こういう連中は知能かバイタリティの少なくともどっちかは異様に高い。
技術でどんどん突っ走ったりさっさとマネタイズスキームを組んだりできてしまう。
この手の人間と「古いやり方を守らせてほしい」というタイプの人間とで戦争したら前者が絶対に勝つ。
はっきり言って知能自体も違う気がするが、
なにより「軽薄さ」と「スピード」という戦争に重要な要素で全然能力が違う。
加速的に技術を蓄え金になるスキームを作り利益を分けて味方を増やせる側と
反対反対言ってるだけで発展もスキームもない分ける金もない側と
戦争でどっちが勝つかなんてわかりきってる。
AI側は晒されたり叩かれたりするのも受け入れて常に注目されて表示回数といいねを増やし続けてる。
反AI側は全賛同してくれないリプはどんどん感情的にブロックして表示回数を細らせ続けてる。
長年フォローしてるそんなに売れない漫画家さんが反AIになり、
正直負け戦だと思えたけどせめて善戦して何かの”戦った意義”を残してほしくて
「運動や世論戦で反対意見ブロックしてると絶対勝てないっす!」のようなことを送ってみた。
ブロックされた。
郅都(?) -?) 前漢時代の河東郡楊県(現在の山西省宏道県東南部)の出身である。 漢の文帝の時代には、漢の役人を務めた。 警部補時代、法律を厳格に執行し、権力者を寄せ付けなかったため、「鷲」と呼ばれるようになった。
内容
1 バイオグラフィー
1.3 強者に挑む
1.4 皇太子妃の不興を買う
1.6 イーグルの死
2 評価
3 関連項目
4 参考文献
漢の文帝の時代、志杜は文官となり、次いで文帝の家来となった。 景帝の時代になってから、将軍に昇進した。 その勇気ある助言によって、大臣たちを説得することができたのだ。
ある時、景帝に随行して上林宮に行った時、随行していた賈詡がトイレを使っていると、突然イノシシがトイレに突入してきたことがあった。 皇帝は志杜に、その目で嘉吉を救うように指示したが、武器を持った志杜は皇帝の体を守るだけで、行動を起こさない。 景帝が自ら武器を取って助けようとすると、子都は景帝の前にひざまずいて、「一人の妾を失えば、また一人が宮入りする、世に嘉吉のような女が不足するだろうか」と言いました。 陛下がご自身の安全を軽視されるのであれば、国や皇太后をどこに置くというのですか?" 漢の景帝は、志杜の言葉を聞いて、賈賈をおいて、結局、イノシシは誰も傷つけずに、便所から逃げ出したのです。 この出来事を聞いた皇太后は大喜びで、志都に金百枚を褒美として与え、漢の景帝はそれ以降、志都を重用するようになった[1]。
前漢の初め、宮廷は黄蓋の術によって国を治め、何もせずに治めるという方針をとった。 済南県には300余りの謝氏一族がいたが、彼らは強大で狡猾なため、済南の将軍は何もできなかったので、景帝は志都を済南の将軍に任命し、地方の有力者を治めるように命じた。 彼が済南県に到着すると、謝氏一族の悪党の長をすべて処刑させ、他の謝氏一族は恐怖に震え、二度と法を犯すことを恐れなくなった。 済南県に赴任して1年後、県内には一切の残骸がなく、周辺の十数県の知事たちは皆、彼を上官のように尊敬していた[2]。
その後、中尉に昇進し、北軍と都の警備を担当することになった。 有力者の顔色をうかがうことはしなかった。 宰相の周亜夫(しゅうあふ)は傲慢(ごうまん)で横柄(おうへい)だったが、彼に会うと頭を下げるだけで、ひざまずかないのだ。 文帝と景帝の時代には、民衆の搾取が減り、平和で満足な暮らしができ、法を犯す人もほとんどいなかった。 法律は王族の親族や貴族が執行し、法律を破った者は官吏や人に関係なく、法律に従って厳しく罰せられました。 王室からは嫌われ、恐れられ、横目で見られ、陰では「鷲」と呼ばれ、その激しい法執行の比喩とされた[3]。
紀元前153年、漢の景帝の長男である劉栄が皇太子に任命された。 紀元前150年、劉協の母・王耀が密かに大臣を唆して景帝に李自成を皇后にするよう依頼し、景帝は激怒して劉協を臨江王として退位させた[4]。
紀元前148年、劉栄が勅令に違反して菩提寺の土地を流用して宮殿を建てたため、景帝は劉栄を呼び寄せて謁見させることにした。 劉栄は江陵(現在の湖北省江陵県)の北門から出発し、乗り込んだ馬車が壊れてしまったのだ。 江陵の人々は皆、目に涙を浮かべながら、「私の王は帰れない」と内心で言っていた[5]。
都に入った劉栄は、裁判のために尉官室に呼び出された。 劉栄は恐れをなして、景帝に礼状を書こうと筆と剣を求めたが、景帝はそれを許さなかった。 魏斉の侯爵、斗英は人を遣わして劉栄に静かにナイフとペンを渡した。 長男の死を知った皇太后は激怒し、法律を厳格に執行して甘受しようとしない財津を憎んだ。 景帝は彼を故郷に罷免したが、その後、使者を送って延門県知事に任命し、近道で直接赴任させ、県の事務を処理する特権を与えた[6]。
漢の景帝の時代、匈奴の鉄騎兵が長年国境を侵し、国境の県は長い間未開拓のままであった。 彼の清廉潔白の名声を慕っていた匈奴は、彼が燕門の総督に任命されたことを知り、恐れおののいた。 匈奴の騎馬隊は退却し、燕門から遠ざかった。 死ぬまで延門に近づく勇気はなかったという。
匈奴はザイドゥの形をした人形を彫り、匈奴の騎兵が馬上から撃つための標的として設置したのです。 ザイドゥを恐れて、匈奴の騎兵は誰も目標を達成することができませんでした[7]。
景行が再び財津を利用したことを知った道太后は激怒し、直ちに逮捕を命じた。 景帝は「宰子は忠臣である」と宰子を擁護し、釈放の準備をした。 孫の劉栄の死も忘れず、斗太后は「臨江王は忠臣ではなかったか」と言った。 彼女の仲介で、ついに志杜は殺された。 彼の死後まもなく、匈奴の騎兵隊が燕門に再侵攻した[8]。
彼は忠誠心が強く、公正で正直な官吏で、内部では権力者や有力者に立ち向かい、外部では外国の侵略から身を守り、匈奴の神経をすり減らすほどの勇気を持った人物であった。 親族を倍加して仕えれば、政府の下で死んでも妻にはこだわらない」という有名な言葉があるが、これはまさに彼の官僚としての生き様を表している。 後世の人たちは、財津を高く評価していた。
司馬遷は『大史記』-巻122-「涼官伝説」の中で、「彼は素直な人であり、天下を争うほどの人であった」と賞賛している。
漢の成帝の時代、大臣の顧雍はメモで志都を論じ、「趙に連波と馬遂がいて、強い秦は井戸を覗く勇気がなく、近漢に志都と魏商がいて、匈奴は砂幕に南下する勇気がない」と述べている。
唐の古書』巻194には、唐の中宗皇帝の時代に、右補奇人の陸遜が「漢が宰子を祀ると匈奴は国境を避け、趙が李牧を任命すると臨湖は遠くに逃げた」と発言したことが記されている。
上記の名前から、志都は戦国時代の趙の連波、趙奢、李牧など、「戦国の武将、国家の手先」とされた名将と肩を並べることになる[10][11]。
https://anond.hatelabo.jp/20220430203312
まずキャラが良い。
話が進むごとに一部のキャラを除いてどんどん没個性化していく原典を先に読んでると「マジかよ!」て思っちゃうもん。
特に最強キャラ人気投票で見事1位を獲得した林冲はやっぱ最高だね。
心の弱さを抱えたままで、作中でいい歳したオッサンになってもまだナイーヴさの残る繊細なオッサンだ。
それだけ聞くとなんかウジウジしてめんどくさそうなオッサンだと思うかもしれないが、そのとおりなのだが、そのくせして本当に強い。
もうめちゃくちゃ強い。個人としても最強キャラの一角だが騎兵隊指揮官としても水滸伝では最優秀指揮官だろう。
北方水滸伝を読んだらお前は精鋭騎馬隊突撃最強厨になること請け合いだが、大丈夫だ、問題ない。
他には、途中から戦場で林冲の相棒っぽくなってる索超なんかもいいし、定番の九紋竜史進なんかもクソ生意気で最高だ。
梁山泊を革命勢力だと定義して思いっきりカストロとゲバラに寄せてるのだが、それがまたカッコいい。
もう革命最高、腐敗した権力は打倒せよって思っちゃうもん。クソ皇帝とかクソ宦官とか本当にブチ殺したくなる。
それくらい悪役もしっかり悪役として描いているってことなんだ。悪役が憎たらしいって良いぞ。最高だ。
拷問描写とかこれ絶対狂うよなと思う。俺だったら2時間でゲロっちゃうわこんなん。
で、国vs革命勢力ってことで、梁山泊の財源をちゃんと描いてるのも最高だ。
だいたいこういうのの主人公側って「資金はどこからともなく出てくる」か「作中でご都合主義的に金持ちになる」もんだが、北方水滸伝では何故金持ちなのかがしっかり描かれる。最高だ。
その財源を巡っての特殊部隊同士の暗闘も最高だ。
正規軍とは別に諜報活動とか暗殺とかする特殊部隊がお互いにいて、お互いに闇の中でめっちゃやり合ってる。
主人公を引き立たせるために不自然にアホにさせられる悪役みたいなのに辟易しているお前、心配するな。
悪役側も一部を除いてちゃんと優秀だ。お互いに優秀だからこそ緊迫した戦いになるのだ。
無能な悪役もいるが、無能な悪役としてぶち殺される役回りを完璧に演じてくれるから最高だ。
まあこれ以上俺が語るのも無粋だろう。読め。
1巻だと中盤までひょっとしてちょっとダルいと思うかもしれないが、長編の導入部だ。そこは我慢してくれ。
全巻読んで物足りないなーと思ったら大丈夫だ、続編がちゃんと用意されている。
楊令伝を読んだお前は聞煥章最低だなと思いつつ勃起せずにはいられないだろう。
オッサンになった呼延灼に悲哀を感じ、そして勇気づけられずにはいられないだろう。
それでも満足できなければ岳飛伝がお前を待っている。
西暦1805年冬、ナポレオン率いるフランス大陸軍六万と、ロシア・オーストリア連合軍八万がウィーン近郊のアウステルリッツ=プラッツェン高地西方で激突した。
フランス軍は当時のロシア軍に対し数的劣勢であったことに加え、アウステルリッツにおいて最重要拠点であるプラッツェン高地をロシア軍に占拠されていたため(一時はフランス軍によって占拠されていたものの、明け渡された)、当時フランス軍にとって有利な状況は何一つ存在していなかった。その上、アウステルリッツの南北双方からは敵増援が到着しつつあり、これら増援とロシア軍が合流を果たせばフランス軍には万に一つの勝ち目も無かった。
しかし連合軍は数的優勢、土壇場になって停戦交渉に打って出たナポレオンの弱腰、さらには戦場における最重要拠点であるプラッツェン高地を手中に収めていることを鑑み、勝機ありと見た末に停戦交渉を撥ね退け、フランス軍との大規模会戦に打って出たのである。それらが全てナポレオンの張り巡らせた罠であるとも知らずに。
1805年12月2日、戦端はロシア軍の先制攻撃によって開かれる。プラッツェン高地南方にて、フランス軍右翼の守るテルニッツ村が攻撃を受けた。
当時の布陣図によれば、フランス軍右翼は極めて脆弱であり、ロシア軍はそこを弱点と見做し自軍左翼のブクスホーデン軍を急行させたのである。南北に伸びたプラッツェン高地から出撃したブクスホーデン軍によって、フランス軍右翼陣地はあわや撃滅されようとしていた。右翼が壊滅すれば突破したロシア軍はフランス軍後方へと迂回し、中央のフランス軍主力部隊を挟撃することができる。そうなればフランス軍は終わりである。
しかし、まさにその瞬間に――ブクスホーデン軍がプラッツェン高地から、地上のフランス軍右翼へと殺到し始めた瞬間に――ナポレオンは勝利を確信したのである。
フランス軍右翼は囮であった。ナポレオンの狙いは、ロシア軍左翼がフランス軍右翼を攻撃するために進撃を開始した瞬間に、手薄になった中央のプラッツェン高地を集中攻撃することにあった。
これによって、重要拠点であるプラッツェン高地をロシア軍から奪回し、戦場の主導権を我が物にしようとしたのである。さらに、アウステルリッツの会戦当日にはプラッツェン高地周囲の森には深い霧が立ち込めており、この霧の存在もナポレオンの企図を助けることとなった。
ロシア軍左翼がプラッツェン高地から出撃して間もなく、スルト元帥麾下の第四軍団14000がプラッツェン高地中央部を急襲し、霧の中突如として現れたフランス軍を前に、ロシア軍中央は総崩れとなる。また、脆弱だった筈のフランス軍右翼も、ダヴ―元帥麾下7000の部隊が後方都市から到着したことで、数的劣勢を克服し、戦況を盛り返しつつあった。
(開戦前日にダヴ―麾下7000の部隊は密かに戦場へと到達すると、言わば伏兵として右翼後方に待機していた)
やがて激烈なフランス軍主力の攻撃により、ロシア軍中央は壊走を始め、プラッツェン高地はフランス軍により奪回された。同時に、フランス軍右翼の攻撃のためにプラッツェン高地から地上へと降り立っていたロシア軍左翼は、敵陣の中孤立することとなり、戦局はここに決したのであった。
ロシア軍は戦端を開こうとせず、増援の到着を待ち戦力を増強しさえすれば、少なくともフランス軍との直接対決において敗北を喫することは無かったであろう。
しかし、ナポレオンはその裏を掻いたのである。彼はロシア軍が友軍と合流する前に会戦の火蓋を切って落とし、大規模な会戦に持ち込むことで、いち早く敵軍主力を撃滅することを画策したのだ。そのために、敢えて戦力劣勢を露呈し、戦場の最重要拠点を敵軍へと譲り、尚且つ弱気な姿勢を見せるために仮初の停戦交渉さえして見せたのである。とどめには、勝機に逸るロシア軍の中央を攻撃するために、敢えて右翼の布陣を脆弱にするという周到さであった。それら全ての罠がロシア軍の判断能力を奪い、かくしてロシア連合軍八万はアウステルリッツの地にて壊滅したのだ。
かの有名な書物『戦争論』の中で、著者であるプロイセンの将校クラウゼヴィッツはこの戦いを次の言葉で概括している。 「戦争芸術の粋」。
紀元前219年、遥かアフリカ北端の国家・カルタゴの将軍ハンニバルは、当時世界最大の強国であった共和制ローマを相手取り絶望的な戦いを挑んでいた。
その絶望的な戦況を好転させるため、ハンニバルは自ら率いた精鋭部隊をスペインからアルプス地方へと経由させることで、ローマの中枢であるイタリア半島本土に対し直接攻撃を仕掛けたのである。
最終的に、ハンニバルはイタリア半島に十年間留まり、その間絶えずローマ軍に対する圧迫を続けた。その十年の戦いにおいて世界戦史上に燦然と煌めく、もっとも著名な戦いこそがカンナエの戦いである。
ハンニバルはアルプス山脈を越えイタリア北部に侵攻すると、次々と現れるローマ軍を待ち伏せや正面突破によって壊滅させ、イタリア半島南方へと進撃した。当時、快進撃を続けるハンニバルは数万の軍隊を維持するべく、イタリア半島各地で略奪を行っており、農村を中心に甚大な被害が上がっていたことからローマ軍首脳のストレスはピークに達していた。更に、イタリア半島南部においてはローマ軍の補給基地が存在しており、そこをハンニバルに抑えられるとローマ軍は南イタリアでの行動を制限される可能性があった。そのため、ローマ首脳陣はカルタゴ軍を撃滅するべくローマ史上最大規模の部隊を編成し、約八万の軍を執政官パウルスとウァロに指揮させた。この時、決戦の地に選ばれたのがイタリア南方のカンナエである。
決戦の舞台となったカンナエは、川と丘陵地帯に挟まれた地形であり、カルタゴ軍約五万とローマ軍七万は平原をほとんど埋めるように布陣し、正面から向かい合った。
両軍は双方ともに両翼に騎兵部隊を、中央に歩兵部隊を配置しており、いかにも窮屈そうな陣形であった。
しかし、この人馬が埋め尽くす不自由な戦場は、後に分かる通り、ハンニバルの用意した殺戮の舞台としてはうってつけのものでさえあった。
ローマ・カルタゴ双方の騎兵隊は、狭い地形において機動戦法を取ることができず、正面からぶつかった。
歩兵戦力ではローマとカルタゴで比べるべくもない数的差(6万強:4万)が開いていたが、騎兵の質、量においてはカルタゴ軍がローマ軍を上回っており(6500:1万)、カルタゴ軍は開戦から僅かな間に、左翼での騎兵部隊の戦闘において優勢に立っていた。単純な数的有利から繰り出される圧力と、また練度の違いによりローマ軍騎兵は瞬く間に圧迫され、その算を乱していった。
一方歩兵部隊における戦力差は繰り返すように圧倒的であり、歩兵同士の戦闘に限ってはカルタゴ軍がローマ軍に勝利する公算は無かった。
そのため、ハンニバルは一計を案じた。
ハンニバルはカルタゴ軍歩兵の陣形をお椀のように変形させ、その弧を描いた部分をローマ軍中央の歩兵部隊と接敵するようにしたのである。これによって接敵する面積をできるだけ減らし、中央が突破されるまでの時間を稼ごうとしたのだ。ハンニバルは歩兵同士の戦闘をできるだけ遅滞させ、両翼の騎兵部隊が優勢に立つのを待った。
また、ハンニバルはお椀型をしていた陣形を、戦闘が推移するに従って屈伸させ後退させた。当初の形(お椀の底の部分が接敵する形)とは逆に、ローマ軍の大半をお椀の中へと誘い込んだのである。さらに、ハンニバルは温存していた自軍左右の重装歩兵をローマ軍へと攻撃させ、ローマ歩兵が挟撃される形を築こうとした。
とは言えこの時点ではカルタゴ軍によるローマ軍への包囲は決定的ではなく、ローマ軍は歩兵戦闘において依然優勢な状況にあった。そのためローマ軍は、優勢な戦況を継続し、カルタゴ軍中央を突破することで戦局を優位に進めようとした。
ところがその時、歩兵部隊の両翼で戦闘を行っていたカルタゴ騎兵が、歩兵同士の戦闘に加わったのである。
戦端より優勢を維持していたカルタゴ軍騎兵は、ローマ騎兵を壊滅させた後に、敵歩兵部隊の無防備な背後を攻撃した。左右を川と丘陵に囲まれた陣形の狭さ故に、ローマ騎兵は有効な回避機動を取ることができず、瞬く間にカルタゴ騎兵によって殲滅されたのであった。
ただでさえカルタゴ軍に包囲されかかっていたローマ軍は、後方から攻撃を受けることによって決定的な混乱を迎えた。周囲を完全に包囲されたローマ軍は逃げ惑い、歩兵の中央部では逃げ惑う味方の身体に押されて圧死する者も現れたという。
この戦いによってローマ軍7万の部隊は完全に壊滅し、6万人が死傷、また、残る1万人は捕虜となった。
地形を有効に利用し、敵軍を機能不全に陥らせ包囲殲滅する戦法は、いわばハンニバルの御家芸であった。
機動部隊同士の戦闘を優勢に進め、敵軍を包囲殲滅するこの戦法が、以降近現代の軍事教本に取り上げられ、カンナエの戦いのハンニバルに帰する栄光が不動のものとなったことはあまりにも有名である。ハンニバルはイタリアの地にてローマ軍を完全に破った。この戦闘によって、当初戦闘に参加していた元老院議員の政治家八十名が戦死し、議員定員約300名のローマ議会における四分の一が戦死することとなる。
「サボタージュ」、「間諜最後の日」、「平原児」、「西部戦線異状なし」、「祇園囃子(1934年)」、「祇園囃子(1953年)」、「雨月物語」、「東京物語」、「地獄門」、「青い山脈 」(1949年版)、「おかあさん」など
「ローマの休日」※、「戦争と平和」※、「シャレード」(1963年版)、「風と共に去りぬ」、「アフリカの女王」、「荒野のガンマン」、「ガンヒルの決斗」、「キリマンジャロの雪」、「エンブリヨ」、「ルーシー・ショー」、「ボナンザ」など
「セカンド・サイト光と影の中で(英語版)」、「ハングマン(英語版)
「カサブランカ」、「紳士は金髪がお好き」、「カンサス騎兵隊」、「片目のジャック」、「マクリントック」、「バリ島珍道中」、「雲流るるはてに」、「恋愛準決勝戦」、「白雪姫」
「岩窟の野獣」、「ガリバー旅行記」、「スーパーマン」(フライシャー・スタジオ製作分)、「ポパイ」(フライシャー・スタジオ製作分)、「まぼろし探偵」
「C.C.ライダー」
「シェーン」、「禁じられた遊び」、「オズの魔法使」、「凱旋門」(1948年版)、「イースター・パレード」、「雨に唄えば」、「真昼の決闘」、「ウィンチェスター銃'73」、「ピノキオ」、「バンビ」、「ファンタジア」、「ダンボ」
自分語りをする。
宇宙戦艦ヤマト2199がTV放送された時、誰もが名前を知っている名作の宇宙戦艦ヤマトだし、とりあえず見てみるか、と思って見始めたのが俺が初めて見たヤマトだった。
衝撃を受けた。リメイクされているとは言え、自分が生まれるはるか前、40年以上前のアニメが元ネタになっていてこんなにおもしろいとは。
たった一隻で孤軍奮闘し、知恵と勇気と、禁断の兵器波動砲で様々な難所を切り抜けていく爽快感は、どこかテンプレート的でありつつも(逆を言うとヤマトが今まで私の見てきた作品に影響を与えたのかもしれない)洗練された面白さがあった。
それを彩る数々の素晴らしい音楽、日本の今の実力が高い声優を一同に集めたかのようなハイクオリティな声の演技。
旧作ヤマトファンからすると色々不満点があったようだが、自分からすれば心の底から見てよかったと言えるアニメだった。
勿論面白かったが、やはり平成生まれの自分としては、設定も作画も2199が合ってるな、って思った。
星巡る方舟でガトランティスも出てきたし、続編やってほしいな、と心の底から願った。
だからこそ、2202が発表されたときは、某任天堂のゲームが発表された時の外国人の様に歓喜した。
心の底から劇場公開を楽しみにした。指折り数えてカウントダウンもした。
いままで公開された6章、テクニックが要求されるような見ごたえのある戦闘シーンは数えるほどしかない。
2199で登場した新キャラクターが、地球、ガミラス問わずほとんどが終盤になるまで登場しない。
ヤマトがほとんど活躍しないどころか、最新の章ではあの洗練されたヤマトのフォルムに改造が加えられる。
旧作にあった空間騎兵隊と古代や航空科との対立からの和解もなければ、何よりあれだけ面白かった木星での前衛艦隊との対決も波動砲と破滅ミサイルを打ち合うだけの戦いになってしまっている。
挙句の果て、削った尺は上から目線の愛についての説教じみた話が続く。
シリーズ構成の福井のクソ野郎曰く「ヤマト世代には響く」話らしいが、どうも俺のように2199からヤマトの魅力を知った人間は対象外だったらしい。ふざけんな。
アニメに教訓じみた話をいれるのは嫌いじゃないし、むしろ良いと思うが、それは最低限その作品がやるべきエンターテインメントを完遂した上でなされるべきじゃないのか。
本業であるエンターテインメントを放棄し、愛とはなんぞやという自分語りみたいなことばかり繰り返す本作はもはやアニメですらない。
何よりこれが、俺がこよなく愛した2199の続編だということが死ぬほど憎らしい。
これから先、宇宙戦艦ヤマトシリーズの続編はまた作られるかもしれないが、宇宙戦艦ヤマト2199の続編が作られることは決してないだろう。
(2199時空のシリーズが続いたとしても、それはこの駄作の続編でしかない)
ただでさえ旧作ヤマト2はカミカゼととられかねない要素を中心に様々な誤解を生みかねない要素がある。
だからこそ、ヤマトだけは左右関わらず政治思想要素に最も気をつかわなければいけない作品のはずだ。
そのトップに近いスタッフ陣がTwitterで延々と右翼発言を繰り返す、こんなことが平成も終わろうかという時代に許されているのが不思議で仕方ない。