はてなキーワード: 酸素とは
最近友達とか家族とSwitchのヌルいゲームばっかやってるせいか、この間はじめたSEKIROが面白すぎる。
Switchは陽キャのゲームすぎるから、Steamとかいう陰キャのプラットフォームのほうが水があうなと思ったということで
陰キャらしく一人でシコシコ楽しんでる、または楽しんでたゲームを紹介する。
・SEKIRO 18時間 進行中
アクションゲー好きで自称でいいからハードコアゲーマー名乗ってるやつはメチャクチャ面白いからおすすめ。
ダクソは途中でレベル上げだるくなってやめたけど、SEKIROはメチャクチャ面白くて続けられてる。
敵のパターンに対して経験積んで攻撃見切って倒した時の快感が素晴らしい。
今のとこ山羊頭のデーモンみたいな理不尽だったりクソゲー感ある敵が居ないのも良い。
エスコン7もこの間のセールで買った、ストーリーで5とかZEROで聞いた名前とかちょこちょこ出てきてエモい。
ゲーム的には5とかZEROに近い感じなんで、AHにがっかりしたエスコンファンにおすすめしたい、逆にAHみたいなゲームを期待してる人には別ゲーだから別ゲーとして買ってほしい。
テンポよく進められて12時間くらいでノーマルなら1周できるから結構おすすめ。
いろいろ進化してて、雲の表現とかすごくて、雲の中に入ると上下がわからなくなるし、積乱雲に入れば雷にあたってコントロールを失ったいrする。
雲の中の敵にロックが効かなかったり、逆に雲に入って回避もできるっぽい、なんか凄い
・Enter The Gungeon 139時間 全キャラで過去を始末
難易度が高い分自分のPSが向上してるのがわかりやすく実感出来るのがかなりそそる
最初のフロアを超えるのですらやっとだったのに、慣れてくると片手間にノーダメクリア出来るようになってる
・Grand Theft Auto5 89時間 ストーリークリア マルチはソシャゲ並の課金ゲーのようなので最初期以外やってない
超有名神ゲー
3人の操作可能キャラはそれぞれメチャクチャ個性的で特にトレバーがお気に入り、ゲスカスサイコ薬中おじさんなんだが、ストーリー進めてくと愛着が湧いてくる。
細かい小ネタとかキャラが立ってて面白いストーリーなんで時間があってやるゲームに迷ってるならぜひ買ってみてほしい
・middle earth shadow of war 50時間
ロード・オブ・ザ・リングの舞台で、野伏せ(古語)として戦うアクションゲーム
このゲームの一番面白いところは、敵を洗脳出来るところ、敵のオーク将軍を洗脳して地域を制圧したり、スパイとして敵の城に送り込むことで城攻めのタイミングで裏切らせたり、別のオーク将軍を攻撃させレベルを上げてから殺したりと、邪悪な楽しみ方が沢山ある。
俺の拙い説明では面白さが伝わらないと思うので、興味があったらちゃんとしたレビューを見てほしい。
前作Shadow of mordorも面白かったが、Shadow of warのほうが面白いのでわざわざ前のやつからやらなくても良いと思う。
ステルスあり、アクションあり、探索あり、謎解きすこしな神ゲー
4作品あって混乱するかもしれないが、発売順にやっていくのが一番良いと思う。
※追記
Switchをディスってるつもりはなくて、Switchはみんなでワイワイやるのに緩めの面白いゲームがたくさんあって、どうしてもそっち系のゲームばっかりやってしまってる。
・オーバークック2
友達や家族とやると、それぞれの情報処理能力やらなんやらが色々見れて面白い
4人でやるとパーティーゲーとして遊べるし、2人でステージの3段階評価で3を目指すとなかなかいい感じに効率化を求められるので面白い
ジョイコン4つかコントローラー2つでストーリーを2人プレイ出来る
探索要素と非ゲーマーでも楽しめる難易度なので、彼女とかにルイージを操作してもらって、自分はグーイージ(カービィで言うヘルパー的なもの)を操作して楽しむのが良いと思う。
各フロアごとにある宝石やテレサの探索、謎解きなどもあってかなり楽しく遊べる。
・ゼルダBoW
リーバルちゃんのツンデレも可愛いけど、ダルケルの男らしい感じもかっこいい、ミファーは可愛いしウルボザの姉御もかっこいい
チュートリアルのフィールドがめちゃくちゃ広いと思ったら、全体マップはもっと広くて感動する
まだやってないなら早めにやってほしい
・ポケモン剣盾
経験値と努力値が手持ち全部のポケモンに入るシステムや、空を飛ぶ波乗りのためにポケモンを手持ちに入れなくていいという画期的システムにより、道中のストレスなどがかなりなくなっている
何よりキャラクターが良い、チャンピオンやジムリーダーたちがメチャクチャ「大人」って感じでかっこいいし、ライバルや主人公と同年代のキャラ達は若いエネルギーがあってエモい、カブさんがかっこいいオジサンすぎるし、ポップくんはいい子だし、ビートは最初ウザいのに後半憎めない奴に見えるし、メロンさんはエロい。
800時間やってたスト5を捨てて最近はスマブラオン対戦しかしてない
4人でやったらもちろん神ゲーで、いろんな遊び方なんかもあって楽しめすぎる
キャラ数がまず多い79体いる、だから見たことない意味不明な技で倒されたりする
バランスも良い、もちろん強キャラ弱キャラや相性もあるけど、どのキャラにもだいたい強いみたいなキャラがなくて、大体弱点がある
オン対戦は最初はボコボコにされるからレベル9CPUに負けないようになってから潜れ
4ヶ月位やっててまだVIP(上位だけが入れるマッチング)には入れてないんだけど、それでもめっちゃ楽しい
Switch持ってて格ゲーとか好きなら買ってやろうぜ、コントローラーは圧倒的にホリコンがおすすめ、間違っても安い無線コンとか買うな、俺は結局コントローラー3つ買う羽目になった
でもスマブラみたいなみんなでやったほうが楽しいゲームを一人でシコシコしてるやつは陰キャすぎるなと思う、でも楽しいんだもん。
※追記2回目
ブコメみたら「CSでも出てる」とか言ってる陰キャ多すぎて草、俺がSteamでシコシコやってるおすすめゲームとしか言っとらんだろ、友達にハブられる理由はそういうとこやぞ!
宇宙船のパーツごとにいろんな機能が設定されているので、攻撃する場所を選んで、敵の酸素供給を断って中身だけ殺したり、エネルギー供給を断って一方的に殴ったりと敵とどう戦うかだけでもいろんな戦略が会って面白い
宇宙船の種類や乗員の種類も複数あり、中立の宇宙船があったりでいろんな楽しみ方が出来る。
・HOTLINE MIAMI 5時間
Hydrogenは特に神
バレットタイムを使いバスローブを着た侍が失われた自分の過去を探すゲーム
バレットタイムで銃弾を跳ね返したり、スピード感のあるアクションが楽しめる
タイムアタックモードなんかもあって、好きな人は無限にやり込めそう、ボリューム自体はそんなにない
操作感が素直でスタイリッシュなので、うまくステージをクリアすると気持ちがええんじゃ!
・Magicka 8時間
8種類の魔法の組み合わせとそれを「自分に使う」「武器にエンチャント」「発射」「周りに放出」で選んで使わないといけない、慣れるまでは混乱してヤバイ
濡れてる時に電気の魔法を使おうとすると感電してダメージを受けるので、一度炎の魔法を自分にかけて乾かさないと使えないとかもあって、ギミックが面白い
そしてマルチプレイが面白い、FF有りなので電気を使おうとしてる味方に水を掛けることはもちろん、普通に攻撃をぶっぱなしてあの世に送ることも出来る、神ゲーである。
・keep talking nobody dies 6時間
マニュアルを読む側と時限爆弾を操作する側に分かれて爆弾を解除するゲーム
マニュアル側は爆弾を見ないで、爆弾側はマニュアルを見ないで会話だけで爆弾の情報をやり取りして解除をしなければならない。
マニュアルもいやらしい作りで、わざとマニュアル側が説明ミスするように出来ている、まるで実際のマニュアルのようである
きょうの朝、父から電話が掛かってきた。 実家の愛犬が旅立ったという電話だ。 8時15分に旅立った、と。 もうみんな覚悟はできていたと思う。 12月の頭から、ほとんど歩けなかった。散歩も母に抱っこして連れてもらっていたとのこと。 そのうち1日のほとんどを寝て過ごすようになった。 わずかに起きている時間に、なんとかゴハンを食べさせようと大変だったようだ。 しかし3日ほど前、ついに咳がひどくなってしまい、寝ることもできなくなったようだ。 家族も寝ずに付き添ったが、一晩中苦しそうに咳込んでいたそうだ。 その様子を見て、家族は安楽させようと決意した。 私にも、「もう安楽死させるけん。連絡しとく」と電話があった。 彼女は私が実家を離れてから買い始めた雑種犬だ、 それまで実家では犬を飼ったことはなかったのだが、妹が飼いたいと言い出したらしい。 実家で犬を飼い始めて初めて帰省した日、迎えにきてくれた妹が道中で「あの子が喜ぶよ!」と言ったのを覚えている。 「喜ぶも何も、向こうは俺のこと知らんやろ」と言うと、「弟と同じ事言うとるね」と言って妹は笑った。 その言葉に私はなんとなく閉口してしまった。 実家に着くと、その子はその場でグルグル回ったり飛びかかってきたりした。 犬に詳しくない素人にも分かるはしゃぎ振りだった。 後に分かったことだが、その子は外の物音や知らない人には吠えまくる人見知りの子だった。 どうして一目も会ったったことのない自分が歓迎されたのか、不思議な気持ちだった。 それからはお盆と正月に帰った時だけ、この子と一緒に散歩に行くのが楽しみだった。 「病院の先生が何て言わすか分からんけど、安楽死させようと思う」と電話を描けてきた父は気丈だったが、言葉の端は声が震えていた。 私もただ「分かった」と言うしかなかった。 しかし数時間後、また父から電話が掛かってきた。 「先生が酸素室に入れて様子を見ましょうって。安楽死させようとか、言えんかった。」 なんとなくホッとしたような、バツの悪そうなその声に、ああ、これこそ自分の父だと思った。 それから3日、愛犬は頑張った。 幸いにも咳は止まって落ち着いていたらしい。 だが、もうゴハンは食べてくれなかったとのこと。 だからもうみんな分かっていた。 予想はできていた。 でも、悲しい。 最初に具合が良くないと聞いたとき、もう一回正月に帰るときに会いたいなと思った。 でも具合の経過を聞くうち、なるべく苦しまないで欲しいと思った。 安楽死させると聞いたとき、仕方ないと思う一方、家族の心は大丈夫なのかと心配になった。 自分の考えは常に浅はかで、常に付き添って面倒を見てきた家族は数十倍、数百倍の負担があったに違いない。 あの子が死んだのはとても悲しい。 でも家族に見守られながら、安楽死でなく、比較的安らかに旅立ったことには、 とても勝手ながら、ある意味で良かったと思っている。 もし安楽死をしていれば、家族は今後ずっと悩まされていただろう。 それは安楽死が死の権利として正しいという事とはまた別の話だ。決めた側には、必ず苦痛が伴うものだと思う。 年に2回会うだけの私が悲しいのだから、家族の苦しみはなおさらだ。 今日はクリスマスイブ。 みんな幸せに満ちあふれているような雰囲気だ。 でも実際には人の数だけ、喜びも悲しみもあるのだろう。 誰かの記念日は、誰かの命日でもある。 こんな気持ちはSNSには吐き出せなかったので、ここに吐いてみた。 それでもこういう日は、多くの人にとって幸せな日であってほしい。 とりわけ、子どもにとっては。 メリークリスマス。
8時15分に旅立った、と。>
12月の頭から、ほとんど歩けなかった。散歩も母に抱っこして連れてもらっていたとのこと。
そのうち1日のほとんどを寝て過ごすようになった。
わずかに起きている時間に、なんとかゴハンを食べさせようと大変だったようだ。>
<しかし3日ほど前、ついに咳がひどくなってしまい、寝ることもできなくなったようだ。
家族も寝ずに付き添ったが、一晩中苦しそうに咳込んでいたそうだ。
その様子を見て、家族は安楽させようと決意した。
私にも、「もう安楽死させるけん。連絡しとく」と電話があった。>
それまで実家では犬を飼ったことはなかったのだが、妹が飼いたいと言い出したらしい。>
<実家で犬を飼い始めて初めて帰省した日、迎えにきてくれた妹が道中で「あの子が喜ぶよ!」と言ったのを覚えている。
「喜ぶも何も、向こうは俺のこと知らんやろ」と言うと、「弟と同じ事言うとるね」と言って妹は笑った。
<実家に着くと、その子はその場でグルグル回ったり飛びかかってきたりした。
犬に詳しくない素人にも分かるはしゃぎ振りだった。
後に分かったことだが、その子は外の物音や知らない人には吠えまくる人見知りの子だった。
どうして一目も会ったったことのない自分が歓迎されたのか、不思議な気持ちだった。
それからはお盆と正月に帰った時だけ、この子と一緒に散歩に行くのが楽しみだった。>
<「病院の先生が何て言わすか分からんけど、安楽死させようと思う」と電話を描けてきた父は気丈だったが、言葉の端は声が震えていた。
「先生が酸素室に入れて様子を見ましょうって。安楽死させようとか、言えんかった。」
なんとなくホッとしたような、バツの悪そうなその声に、ああ、これこそ自分の父だと思った。>
幸いにも咳は止まって落ち着いていたらしい。
予想はできていた。
でも、悲しい。>
最初に具合が良くないと聞いたとき、もう一回正月に帰るときに会いたいなと思った。
でも具合の経過を聞くうち、なるべく苦しまないで欲しいと思った。
安楽死させると聞いたとき、仕方ないと思う一方、家族の心は大丈夫なのかと心配になった。
自分の考えは常に浅はかで、常に付き添って面倒を見てきた家族は数十倍、数百倍の負担があったに違いない。
あの子が死んだのはとても悲しい。
でも家族に見守られながら、安楽死でなく、比較的安らかに旅立ったことには、
もし安楽死をしていれば、家族は今後ずっと悩まされていただろう。
それは安楽死が死の権利として正しいという事とはまた別の話だ。決めた側には、必ず苦痛が伴うものだと思う。
年に2回会うだけの私が悲しいのだから、家族の苦しみはなおさらだ。
でも実際には人の数だけ、喜びも悲しみもあるのだろう。
誰かの記念日は、誰かの命日でもある。
こんな気持ちはSNSには吐き出せなかったので、ここに吐いてみた。
それでもこういう日は、多くの人にとって幸せな日であってほしい。
とりわけ、子どもにとっては。
しかし3日ほど前、ついに咳がひどくなってしまい、寝ることもできなくなったようだ。
家族も寝ずに付き添ったが、一晩中苦しそうに咳込んでいたそうだ。
その様子を見て、家族は安楽させようと決意した。
私にも、「もう安楽死させるけん。連絡しとく」と電話があった。
それまで実家では犬を飼ったことはなかったのだが、妹が飼いたいと言い出したらしい。
実家で犬を飼い始めて初めて帰省した日、迎えにきてくれた妹が道中で「あの子が喜ぶよ!」と言ったのを覚えている。
「喜ぶも何も、向こうは俺のこと知らんやろ」と言うと、「弟と同じ事言うとるね」と言って妹は笑った。
実家に着くと、その子はその場でグルグル回ったり飛びかかってきたりした。
犬に詳しくない素人にも分かるはしゃぎ振りだった。
後に分かったことだが、その子は外の物音や知らない人には吠えまくる人見知りの子だった。
どうして一目も会ったったことのない自分が歓迎されたのか、不思議な気持ちだった。
それからはお盆と正月に帰った時だけ、この子と一緒に散歩に行くのが楽しみだった。
「病院の先生が何て言わすか分からんけど、安楽死させようと思う」と電話を描けてきた父は気丈だったが、言葉の端は声が震えていた。
私もただ「分かった」と言うしかなかった。
「先生が酸素室に入れて様子を見ましょうって。安楽死させようとか、言えんかった。」
なんとなくホッとしたような、バツの悪そうなその声に、ああ、これこそ自分の父だと思った。
それから3日、愛犬は頑張った。
幸いにも咳は止まって落ち着いていたらしい。
だが、もうゴハンは食べてくれなかったとのこと。
だからもうみんな分かっていた。
予想はできていた。
でも、悲しい。
最初に具合が良くないと聞いたとき、もう一回正月に帰るときに会いたいなと思った。
でも具合の経過を聞くうち、なるべく苦しまないで欲しいと思った。
安楽死させると聞いたとき、仕方ないと思う一方、家族の心は大丈夫なのかと心配になった。
自分の考えは常に浅はかで、常に付き添って面倒を見てきた家族は数十倍、数百倍の負担があったに違いない。
あの子が死んだのはとても悲しい。
でも家族に見守られながら、安楽死でなく、比較的安らかに旅立ったことには、
もし安楽死をしていれば、家族は今後ずっと悩まされていただろう。
それは安楽死が死の権利として正しいという事とはまた別の話だ。決めた側には、必ず苦痛が伴うものだと思う。
年に2回会うだけの私が悲しいのだから、家族の苦しみはなおさらだ。
でも実際には人の数だけ、喜びも悲しみもあるのだろう。
誰かの記念日は、誰かの命日でもある。
こんな気持ちはSNSには吐き出せなかったので、ここに吐いてみた。
それでもこういう日は、多くの人にとって幸せな日であってほしい。
とりわけ、子どもにとっては。
8時15分に旅立った、と。
もうみんな覚悟はできていたと思う。
12月の頭から、ほとんど歩けなかった。散歩も母に抱っこして連れてもらっていたとのこと。
そのうち1日のほとんどを寝て過ごすようになった。
わずかに起きている時間に、なんとかゴハンを食べさせようと大変だったようだ。
しかし3日ほど前、ついに咳がひどくなってしまい、寝ることもできなくなったようだ。
家族も寝ずに付き添ったが、一晩中苦しそうに咳込んでいたそうだ。
その様子を見て、家族は安楽させようと決意した。
私にも、「もう安楽死させるけん。連絡しとく」と電話があった。
それまで実家では犬を飼ったことはなかったのだが、妹が飼いたいと言い出したらしい。
実家で犬を飼い始めて初めて帰省した日、迎えにきてくれた妹が道中で「あの子が喜ぶよ!」と言ったのを覚えている。
「喜ぶも何も、向こうは俺のこと知らんやろ」と言うと、「弟と同じ事言うとるね」と言って妹は笑った。
実家に着くと、その子はその場でグルグル回ったり飛びかかってきたりした。
犬に詳しくない素人にも分かるはしゃぎ振りだった。
後に分かったことだが、その子は外の物音や知らない人には吠えまくる人見知りの子だった。
どうして一目も会ったったことのない自分が歓迎されたのか、不思議な気持ちだった。
それからはお盆と正月に帰った時だけ、この子と一緒に散歩に行くのが楽しみだった。
「病院の先生が何て言わすか分からんけど、安楽死させようと思う」と電話を描けてきた父は気丈だったが、言葉の端は声が震えていた。
私もただ「分かった」と言うしかなかった。
「先生が酸素室に入れて様子を見ましょうって。安楽死させようとか、言えんかった。」
なんとなくホッとしたような、バツの悪そうなその声に、ああ、これこそ自分の父だと思った。
それから3日、愛犬は頑張った。
幸いにも咳は止まって落ち着いていたらしい。
だが、もうゴハンは食べてくれなかったとのこと。
だからもうみんな分かっていた。
予想はできていた。
でも、悲しい。
最初に具合が良くないと聞いたとき、もう一回正月に帰るときに会いたいなと思った。
でも具合の経過を聞くうち、なるべく苦しまないで欲しいと思った。
安楽死させると聞いたとき、仕方ないと思う一方、家族の心は大丈夫なのかと心配になった。
自分の考えは常に浅はかで、常に付き添って面倒を見てきた家族は数十倍、数百倍の負担があったに違いない。
あの子が死んだのはとても悲しい。
でも家族に見守られながら、安楽死でなく、比較的安らかに旅立ったことには、
もし安楽死をしていれば、家族は今後ずっと悩まされていただろう。
それは安楽死が死の権利として正しいという事とはまた別の話だ。決めた側には、必ず苦痛が伴うものだと思う。
年に2回会うだけの私が悲しいのだから、家族の苦しみはなおさらだ。
でも実際には人の数だけ、喜びも悲しみもあるのだろう。
誰かの記念日は、誰かの命日でもある。
こんな気持ちはSNSには吐き出せなかったので、ここに吐いてみた。
それでもこういう日は、多くの人にとって幸せな日であってほしい。
とりわけ、子どもにとっては。
なんというか最近、本業と外れてオマケ的に文章を書く仕事があったりする。
本業というのはまぁ、はてなにはよくある人買い人売りのSIer業務なんだけど。
で、社内報の原稿とか、忘年会の台本だとかをお願いされることがこのところ増えてきた。
これらは人と人のつながりで、彼らの言う「あいつにお願いしたら?」というのが行き着いて私に来ているんだろう。
で、まぁそれは私も業務の合間にメモ帳でそれらをしたためるほどには器用に立ち回れるし、負担ではないんだ。
要望に合わせてなんか文章を書く、それはそれで余裕でやれるし、お題があればそれそこに即興で立ち回れる。
そういうことからすればコピーライターとか、なんか文章発表するフリーランサーとかいうかっこいい響きのそれもできなくはないのかな、と。
日々の人買い調整とか、糞ベンダーと糞客の間に立って「まぁまぁ・・・」という非生産的な業務にも嫌気はさしている。
そんな中で、会社向けの文章を書いてねなんて依頼は面白いし、実質的には佐村河内守グラサン的な立ち居地でも書いていれば面白いし、なんか好評って聞くとあぁ、よかった。
って、感情が沸く訳だ。
とは言え、フリーランサーの厳しい状況を聞くと、
今の会社で言う所の本業を、テキトーにこなしつつ、横のつながりでの作文をしつつ、趣味で何打アレあれだと作文をしつつ、暮らしていくのが安牌なんだろうねって。
正直周りがGAFAとかに行ったりすることを二度三度ではなく、結構見送っていたりする。
自身の短所として、アイキャントスピークイングリッシュではあるので、その手の外資は無理だなとは思いつつ、
あの、あのその…しかいえないあいつがgoogleさん?学生時代は週2で職質されていたあいつがAWS???
なんてのは、にちじょうちゃはんじだ。
今の業務に対する収入って、成果時給換算的には最強なんですよね。
そこからすれば、他を見る必要も無い特権階級のようにも思えるんだけど。
とはいえ、日々脳死で良いのか、もっとやれることはあるんじゃないか、なんて思ったりするわけだ。
結局のところ、今もらっている温い立場は享受しつつ生きていくのが最適解なんだと思うんだけどね。
周りがGAFAとか、そういう年収アップアップ名ところにいっているのを見ると、「じゃあ俺も・・・。」
なんて夢見るんだけど、理系院卒なのに、認められるのは文系的なアレ、という悲しみに今日も向き合っているわけだ。
突然だが、私は看護師をしている。同業者ならお馴染の入院期間が長く介護度が高いとされる内科の混合病棟。そこに私は新人で配属されてから今まで4年間勤務している。日々腰痛に悩まされ、終わらない業務に鳴り止まないナースコール。土地柄なのか文句を言った者勝ちだとでも思っているかの如く多いクレーム。正直、毎日疲弊しているし帰っても何もする気になれない。
そんな私が1年目の時、先輩看護師からふと「患者さんの前で涙を流してはいけないよ」と言われた。詳しい理由は聞いていないし、正直今でもあまりよくわかっていない。調べてもみたが、『時には涙を流すことも必要ですよ』なんていう謎のカウンセリング的な言葉が最後に出てくるばかりで明確な理由はわからず仕舞いだった。ただ、何となく、自分のなかでは「私たちはプロの医療従事者として、感情を露わにしてはいけないんだ」「患者さんやその家族の方には今まで歩いてきたその人たちの人生があって、私たちが関わっているのはそのうちのほんの数ヶ月。そんな短い時間関わっただけの看護師が、一番苦しくて大変な想いをしている患者さん、家族の方の前で涙を流すことはきっと何か違うんだ」と思ってきた。
内科系、特に私の所属する病棟は残念ながら亡くなってしまう患者さんが少なくない。4年間働くなかで看取りをした経験は数えきれないほどあるし、何度も「本当に私のしてきた看護は間違っていなかったのかな」と疑問に思うこともあったし、「もっとああしてあげればよかった」と後悔もした。自分の母親と年齢の近い患者さんと、色んなお話をした夜勤明けに、「また明後日来ますね」なんて言いながら別れたのに、次に勤務してきた時にはその人は亡くなってしまっていた、なんてこともあった。それでも私は涙を流さなかったし、どこかで自分に泣いてはいけないんだと暗示をかけていたように思う。
ADLは自立、今まで入院経験もなく普通に自宅で過ごしてきた60歳代の上品な女性。病室は詰所から一番遠い場所で、きっとそのうち検査が終われば退院するのだろうと思っていた。入院当初に発行する入院診療計画書にも、入院期間は2~3週間と書いていたように思う。
けれど、検査の結果すぐに治療が必要である疾患が見つかり、その患者さんの入院期間はどんどん延びていった。何号室の何番ベッドの人、と言えば全員が「ああ、〇〇さんね」とわかってしまうほど長い期間入院することになったその患者さんは、点滴、内服など様々な治療を代わる代わるうけていた。それでも文句の一つも言わず、「先生や看護師さんには本当によくしてもらってるからね」といつも笑顔だった。
その患者さんは、毎朝起きると持参の電気ケトルにお湯を入れるため給湯室までやって来る。夜勤だった私はその日、担当するチームではなかったものの偶然給湯室に居合わせ、挨拶をして少しだけ給湯室前のソファで話をすることになった。
「先生に退院まだですか?って聞いたんだけどね、まだもうちょっと、って言われちゃった」
「もう一ヶ月になるかしら。そろそろ家に残してきた旦那のことも心配で」
「そうなのよ。何だかんだいって、心配してくれて。今までも色々と迷惑かけてるけど、まだもうちょっと、お世話になりますね」
そんな会話をしたと思う。
この頃、既に病名は本人にも家族にも告知されていたし、きっと自宅に帰るベストなタイミングだったんだろうと思う。けれど、主治医はその決断を下さなかった。どうして、と聞きたかったけれど、それを誰も聞かなかったし、聞いていたところで教えてくれなかったと思う。
それから更に一ヶ月が経って、その患者さんは酸素が手離せない身体になってしまっていた。疾患そのものではなく、合併症により呼吸状態が著しく低下したことは本人にも伝えられた。ただ一つ、予後があまり長くないことだけは、家族の方にのみ伝えられたらしい。急変時はどうしますか、という質問に返答はなかった。当然だ、ほんの数ヶ月前まで自宅で普通に生活をしていたのだ、入院中だって自分の足で歩いて、普通に話ができていたのだ。
合併症の治療のため抗生剤が開始となった。すると、今度はその抗生剤の影響で感染症に罹患。個室隔離することになった。
「こんなことになって、人にうつしてしまうしまうかもしれないなんて、孫にうつしてしまったらどうしよう。またみんなに迷惑をかけてしまう」
そう言いながら涙を流す患者さんに、決してあなたのせいじゃない、あなたは誰よりも頑張っていますよ、としか伝えることができなかった。
きっとずっと前から、心は限界だったのだろう。どんどん気力をなくしていくのが目に見えてわかったし、同時に、投与する酸素の量は増えて行った。
そして、ある日の朝。その患者さんの担当だった私は、朝の内服薬を持って病室を訪れた。おはようございます、お薬を飲みましょうか。そう伝えると、閉じていた目がゆっくりと開いた。
「もう、いらない」
そう返された時、私はすぐにどうして、と言えなかった。いつかこうなるんだろうな、とどこかで覚悟していた自分がいたのだ。
「ずっと頑張ってきたの。それでもこんなにしんどいの。どうして?もう疲れた。今日死にたい。今すぐ楽になりたい。わかってるの、みなさんには本当によくしてもらってるの。先生にも、看護師さんにも。けど、もう疲れちゃった。もう何もしたくない。お父さんも、息子も、私に生きてほしいって言うの。でも、もういい。お願いだから楽にして」
腕や足だけじゃない。指先、眼球にまで浮腫が及んだ身体で、整わない息で、そう伝えられた時、私は溢れてきた涙を我慢することができなかった。既に投与している酸素の量は限界、これ以上の酸素化を望むのであれば人工呼吸器をつける必要がある。逆に言えば、人工呼吸器をつければ身体に強制的に酸素を送ることはできる。今の医療は先を望めば生き永らえることができてしまう。家族から急変時の対応に関する返答はまだない。急変時の確認ができていない患者は、原則何としてでも助ける必要がある。けれど今、この患者さんは自分の意思を私に伝えている。浮腫でパンパンに腫れ上がった冷たい手を握った。
「今まで頑張ってきたんですもんね。しんどかったですよね。お薬は、今はやめときましょうか」
そう言うだけで精一杯だった。
しばらく何も言わず、ただ黙って付き添って、患者さんの息が整ったタイミングで病室を出た。その足でトイレに駆け込んで、心を落ち着けてから業務に戻った。それでもその日、どれだけ他の患者さんと笑って話をしても、家に帰っても、あの患者さんと過ごした30分程度の時間が忘れられなかった。
それから一週間後、その人は亡くなった。私は勤務時間ではなく、申し送りでそのことを聞いた。やっと楽になれたんだね、としか思えなかったし涙を流すこともなかった。身体を綺麗にして数時間後にはお迎えがきたし、その更に数時間後には新しい患者さんがその部屋に入院してきた。自分がどこにいるのかもわからないほど忙しい業務に追われ、代わる代わる入院と退院を繰り返していく中で、それでもあの患者さんの言葉が忘れられない。あの時掛けるべき言葉が、すべきことがもっとあったように思う。けれど後悔している暇もなく毎日を過ごしていて、正解がわからないままここまで来てしまっている。
私は、もうすぐ今の勤務先を退職する。理由は色々あるし、それはあの患者さんが亡くなる前から決まっていたことだった。新しい職場は決まっていない。けれど、きっとまた看護師としてどこかの病院で勤務しているのだろうと思う。私は、看護師の仕事が好きだから。理不尽なことを言われるし、後悔だって沢山する。それでも、看護師という仕事が、患者さんのことが好きなのだ。もしかするとこの先、同じように患者さんの前で泣いてしまうことがあるかもしれない。プロ失格だと言われてしまえばそれまでなのだけれど、でも、きっとその時も私は後悔して、また働き続けるのだろう。結局、正解なんてないと思うから。それでも自分にできることはあると思うから。