8時15分に旅立った、と。>
12月の頭から、ほとんど歩けなかった。散歩も母に抱っこして連れてもらっていたとのこと。
そのうち1日のほとんどを寝て過ごすようになった。
わずかに起きている時間に、なんとかゴハンを食べさせようと大変だったようだ。>
<しかし3日ほど前、ついに咳がひどくなってしまい、寝ることもできなくなったようだ。
家族も寝ずに付き添ったが、一晩中苦しそうに咳込んでいたそうだ。
その様子を見て、家族は安楽させようと決意した。
私にも、「もう安楽死させるけん。連絡しとく」と電話があった。>
それまで実家では犬を飼ったことはなかったのだが、妹が飼いたいと言い出したらしい。>
<実家で犬を飼い始めて初めて帰省した日、迎えにきてくれた妹が道中で「あの子が喜ぶよ!」と言ったのを覚えている。
「喜ぶも何も、向こうは俺のこと知らんやろ」と言うと、「弟と同じ事言うとるね」と言って妹は笑った。
<実家に着くと、その子はその場でグルグル回ったり飛びかかってきたりした。
犬に詳しくない素人にも分かるはしゃぎ振りだった。
後に分かったことだが、その子は外の物音や知らない人には吠えまくる人見知りの子だった。
どうして一目も会ったったことのない自分が歓迎されたのか、不思議な気持ちだった。
それからはお盆と正月に帰った時だけ、この子と一緒に散歩に行くのが楽しみだった。>
<「病院の先生が何て言わすか分からんけど、安楽死させようと思う」と電話を描けてきた父は気丈だったが、言葉の端は声が震えていた。
「先生が酸素室に入れて様子を見ましょうって。安楽死させようとか、言えんかった。」
なんとなくホッとしたような、バツの悪そうなその声に、ああ、これこそ自分の父だと思った。>
幸いにも咳は止まって落ち着いていたらしい。
予想はできていた。
でも、悲しい。>
最初に具合が良くないと聞いたとき、もう一回正月に帰るときに会いたいなと思った。
でも具合の経過を聞くうち、なるべく苦しまないで欲しいと思った。
安楽死させると聞いたとき、仕方ないと思う一方、家族の心は大丈夫なのかと心配になった。
自分の考えは常に浅はかで、常に付き添って面倒を見てきた家族は数十倍、数百倍の負担があったに違いない。
あの子が死んだのはとても悲しい。
でも家族に見守られながら、安楽死でなく、比較的安らかに旅立ったことには、
もし安楽死をしていれば、家族は今後ずっと悩まされていただろう。
それは安楽死が死の権利として正しいという事とはまた別の話だ。決めた側には、必ず苦痛が伴うものだと思う。
年に2回会うだけの私が悲しいのだから、家族の苦しみはなおさらだ。
でも実際には人の数だけ、喜びも悲しみもあるのだろう。
誰かの記念日は、誰かの命日でもある。
こんな気持ちはSNSには吐き出せなかったので、ここに吐いてみた。
それでもこういう日は、多くの人にとって幸せな日であってほしい。
とりわけ、子どもにとっては。