はてなキーワード: 牛肉とは
結論はタイトルに書いてあるが理由をできるだけ簡単に説明しよう。
食文化において「常食」となりうるには次の3つの条件を満たす必要がある。
これらを満たしている日本の常食といえばおにぎりやライスを含む米、コンビニやパンやで売られるパン、ラーメンやにおける麺、コンビニやイタリアンでのパスタ、複合的なものでは通常バーガーやフィレオフィッシュバーガーや牛丼などが代表される。
①昨今では牛肉が買い負けしがちだが牛肉を使ったファーストフードで常食されているため、牛肉をファーストフードで扱うという問題自体はクリアされている。現実としてステーキチェーン店や個人店が存在する。
②こちらも同様にステーキチェーン店は新旧で入れ替わりこそあるものの増加傾向にある。まだ十分とは言えないがステーキ店自体の増加は時間が解決するはずだ。
③ここが特に深刻な問題を抱えている。まず一般的な日本人はステーキという料理そのものを理解していない。
ステーキは肉そのものの品質・下処理・焼きである料理の3要素によって大きく味を変える。
安い肉であっても下処理や焼きが最適であればそれなりの味に変わるのがステーキだ。
しかしステーキを常食していない一般的な日本人は、大多数の人間は、この筋を取る下処理や指定された焼き加減を忠実に守る重要性を理解していない。
この料理としてのステーキの良し悪しを理解できないのが多数派、という事実が後述する問題につながる。
何か祝い事や給料日にステーキでも食べるかと考える人はいるだろうが、日本人がわざわざラーメンや焼肉よりもステーキを選ぶ確率は低い。
グループで食べるのにも個人で食べるのにも普段から食べ慣れているラーメンの方が信頼性も高く店舗数もバリエーションも多い。
価格帯であればラーメンとさして変わらないほどの価格設定がされる安めのステーキチェーンですらラーメンを競合と捉えると勝つのは難しい。
つまり候補としてラーメンを押しのけるようなステーキを常食したいと思っている人間はステーキそのものが好きな日本人である。
そういった人間が現在のステーキチェーンの躍進を支えている原動力であるが、現在は少数派であることも認めざるを得ない。
ステーキチェーンのリピート率ではステーキ好きの方が多いが店の売上に対しては新規客や低頻度の客の方が多いのだ。
ハッキリ言ってステーキチェーンの提供するステーキのレベルは非情に低い。
レアで注文すると中は生であっても冷え切った状態で提供されたり、レアで注文したのにミディアムで出てくるなんて珍しくもない。
肝心の肉は脂身は良しとして筋が残りまくっており、噛み切れずにペーパーに吐き出すのは当たり前。
下処理の段階でスジを取り除く工程はトリミングと言われるが、そもそもトリミングをできる料理人が店舗に常駐していない、もしくは分量を減らさないようにケチっている。
当然、肉の最適な焼き加減を見極める技術を持つ料理人もいるわけがない。そのため、あるチェーン店では誰にでもできるレアをデフォルトにして、あとは客に鉄板で焼かせるようにしている。
なお、頼んだ焼き加減ではない状態を確認させて見せてみても、バイト店員は「レア」も「ミディアムレア」も「ミディアム」も「ウェルダン」も理解していないから意味が無い。
マニュアルで「ミディアムレアがお勧めですが」と生体自動音声を流しているだけで言葉の意味を一ミリも理解していない。
ホールもバイト。焼いてるやつもバイト。オーナーも店長も不在。誰も知らないのだ。
彼らに訴えたところで肉はレアに戻らないし何も解決しないし再発防止もされない。
下処理と焼きの技術を一定のレベルに保障する沖縄発のチェーン店が存在するが、それは本場のノウハウを日本本土に持ってきている成功である。
他のチェーン店はとにかく肉の質や値段、店員をどう安く雇うかしか頭にないからクオリティは下がり続ける一方だ。
ところがこんなレベルの低いステーキが出ても、大半の日本人は肉が鉄板の上で焼かれているのなら「なんでもステーキ」に見えるわけだ。
上司が寿司を奢ってくれるというからついていくと、外国人がカリフォルニア巻きなどといって創作の寿司を日本人に出せば、なんだこれは?と訝しむだろう。
カリフォルニア巻きレベルのド酷いステーキを出しても大半の日本人は喜んで食べるのだから、違いの分かる少数のために下処理や焼きに時間と金と人を使うメリットがないのだ。売上的には。
そうやって客のレベルが低いせいで酷いステーキは酷いステーキのまま提供され続けることになる。
しかし、本当にステーキが常食に成り上がるためには、リピーターを増やさなければならない。
今のままではリピーターはさらに高い価格設定のステーキハウスに移ってしまう。もしくは自宅で楽しむか。
新規や低頻度でステーキの良し悪しが分からないような層だけをターゲットにしているチェーン店は、別の新しい競合に簡単に奪われてしまう。
地に足がついた食文化になるためには、ステーキの良し悪しが分かってしまうようなリピーターを増やさなければならないが、そのための技術も人も金もノウハウもない。
今のままではステーキが好きで今のステーキチェーン店に通いつめることで、いずれリピーターは自分の食べているステーキのレベルが低いことに勝手に気づく。
そうなるとさらに上を求めるか、コスパ重視で自宅ステーキの2択しかない。
そしてステーキを常食化に失敗したせいで、同業だけでなく他業のラーメンや焼肉とミーハーな客の取り合いをせざるを得ない。
それが日本のステーキ業界という実に宙ぶらりんな業界の正体である。
レビューにどれだけ筋だらけや焼きすぎ焼けてないと低評価がついたところでビクともしないのは、舌馬鹿の売上を当てにしている形態のため改善が不可能だからだ。
メディアに出てくるステーキ紹介も肉汁や柔らかい話しかしない、この程度の食文化では常食になるはずがない。
もし、ステーキを本当の意味で常食へと成り上がらせるだけの知識と力を兼ね備えたチェーン店が誕生すれば、今のステーキ業界を圧巻して簡単に覇権を握ることができる。
これからのステーキ業界に必要なのは「どんなステーキが良いステーキなのか」という啓蒙を店が行い、客が地道に教育されることでリピーターを増やしていくしかない。
でなければ日本にステーキ常食の未来などない。牛丼や焼肉や焼き鳥には一生勝てない。
これらは店も客も底辺でもある程度良し悪しが分かってしまうため、同業で競争社会が成立するからだ。
中年独身男性が賃貸でセカンドハウスを借りて1年が経過しました。
なんだかんだで月1回ぐらいは利用しているので、わりと気に入っているみたいです。
前回の投稿:https://anond.hatelabo.jp/20221023111129
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寝すぎて頭痛がする
今日はマックスバリュにいったらちょうど半額のシールをはってるところだった
それでもいつもより選択肢が多くてわくわくしてまた1600円も買ってしまった
帰って
エビフライ2本
とりごぼうの甘辛煮
を食った
ほんとは焼き鳥とかほかにも買ったけどもうお腹いっぱいになったから無理して食べないようにする
エビフライは見た目でついかっちゃったけど マックスバリュクオリティだからまずかったな・・・買わなきゃよかった
とりごぼうの甘辛煮は、マックスバリュでこれまでで一番うまいと思った!
セルフレジでハンドスキャナー使えねーからほぼ垂直にある読み取り場所にバーコードあてないといけないから、汁がひゃくぱーこぼれてまじ最悪だった
これがうまいってよりかは味が濃いものなら原料とかのまずさがごまかされるってほうがただしいのかもしれんが
前食ってまずかったかにかまの天ぷらとかもあったけど、もう絶対だまされんぞと思えた
あと全体的に鶏肉系ばっかだなあと思った
原価たけえからしょうがねえんだろうけど
これは菜食主義やベジタリアニズムとは何の関係もない。たった1kgの肉を生産するのにどれだけの水が必要なのか、そしてなぜ私たちの食生活から肉の消費を減らすべきなのかを理解することである。これは持続可能性の問題のひとつであるが、実際には多くの側面があり、今日はそのひとつである「水」のみに焦点を当てる!
3,091,000リットルの水で何ができるのか?これは200kgの骨なし牛肉を生産するのに必要な水の量である。これによると、骨なし牛肉1kgを生産するのに必要な水の量は15,400Lである。
長さ8m、高さ40mの壁
15,400Lの水を実際に頭の中でイメージできるだろうか?1Lの水筒を思い浮かべてください。それを目の前に置いて、この1Lの水筒でできた長さ8m、高さ40mの壁を想像してみてください。これはステーキ1枚に含まれる水の量である(例えば、追加の調理工程は必要ない)。信じられないかもしれないが、私たちが使用する水のほとんど(実際には92%)は食料生産に使用されている。少なくともその一部を節約することで、ほんの一部でも大きな違いを生み出すことができる!
ヴィーガンの思想は正しいけど、その思想にはついてこれないくらい肉が美味すぎるから肉食ってるタイプの不道徳人間
https://twitter.com/hetare_keieisha/status/1676240649430142977
いっっつも思うんだけど、『食に感謝してるから、肉は食べて良いんだ』って考えが理解はできるけど全然共感できない
めちゃくちゃ"食べる側"の都合のいい解釈な気がするんだよな
「オマエ今から殺すけど、オマエが死ぬことに感謝するから許してくれや」って言ったら身勝手さがわかるんじゃないか
牛肉をオモチャにしてゴミにする行為と、牛肉を炒めて腹に満たす行為って結局牛そのものが死んでいることには変わりがないわけじゃん
「感謝していれば道徳的に問題ない」って、結局動物の死を蔑ろにしてない?「食料としての人間に感謝しているので食人は問題ない」とすら言えちゃうじゃん
どんなサイコパスだよ って思う
増田は前提としてあらゆる命は粗末にされるべきではないと思っているから、「牛と人間は命の重みが違う」と言われたら「そうっすか……」としか言えないのであしからず
みんなありがとう もやもやしてることを適当にここに投げるとひりついた応酬が返ってくるからありがたい
>ヴィーガンならヴィーガンで堂々としてればいいのに なんで自分はヴィーガンじゃないけどって断り入れてヴィーガン推しするの? そういうところだぞ
そもそも俺はヴィーガンではない。思想として正しいと思うことと、その思想に従っているかいないかは今回関係がない
そしていまは反ヴィーガンの話をしているんだ
「ヴィーガンは信用ならない」という部分を言いたいお前のお気持ちは聞いていない
>全ての命は尊重されるべき派はミジンコも?細菌は?植物は命じゃない?と言った論点が出てくる(略)
ヴィーガンの話になると絶対出てくるよねこれ。1か0しかない発想だと思う。
ヴィーガンは「食肉にされることで苦しむ動物達を救済することで、世界全体の苦しみの総数を減らそうとしている」思想だから、
『生物を大事にしているなら植物も生物だろうが』という反論は微妙に的が外れているのでは。
ただそれはそれとして『人間以外のすべての命は全て人間のために利用されるべき』というのは思想として筋が通ってるからこれはこれで素晴らしい。
>自分が健康に幸せに生きるために必要な要素だから肉食べる(略)
前述の通り、「人間として利用するから食べる」という思想は道徳的ではないが突き抜けているので好感がすごく持てる。いいと思う。