はてなキーワード: 無限大とは
失敗したのは3Dテレビであって、3D映像、3D映画の可能性はまだまだ無限大である。
3D映画対応の映画館は少ないし、3Dテレビが売れなくて家で見られないのに普及するはずないだろって言う人もいるが、実は3D映像はVRで見られる。これ知らない人が多い。
MetaQuest2でもPico4でも3D映画作品が売られてる。Pico4の場合、無料で見放題になってたので見た人も多そう。
VR使って初めて3D映像を見たけど、迫力が普通の映画と全然違うのは確か。これは凄すぎる。
来年にはPSVR2もAppleVRも出るし、アバターが5まで作られるのもVR使ってのソフト売りを見込んでのことだろう。AppleVRの目玉コンテンツとしてアバターがあるかも。
無限大の広さと吸引力を持つBHGP(ブラックホールゴールポスト)じゃん。
その時その時にどこがロビー活動かけてくるかで七色に変わるでしょ。
たとえば統一教会からすれば「自由恋愛」こそが「公序良俗違反」なわけだから、あらゆる恋愛の表現が禁止される。
過激な一神教からすれば「他の神の存在を描くこと」は許されないので、神話が元ネタになるあらゆるものもチェーンしてアウトな可能性が出る。
ルッキズムへの批判を掲げる人達にとっては「美男美女」を出してはいけないことに。
逆に醜い人物を描くことが、「実在する自分の醜さに悩む人達を傷つける」ことを懸念して禁止されることだってあるだろう。
ここまでで禁止してまだ残っているFANBOXの絵なんていくつあるんだろうか?
実際便利かもしれないけどね。
いい感じの素材を買えることに特化したサイトっていうのは。
「木を隠すなら森の中となるのを防ぐため、怪しい奴らの潜みそうな所を片っ端から爆破して焼け野原にした」という噂である。
ベトナム戦争の教訓からもわかるように、それをやっても実際には敵を焼き尽くすことなんて出来はしない。
生き残った連中が引き続きあの手この手の方向でゲリラ的に活動するだけだ。
さらには厄介なことに、そこに暮らす人達の生活様式が変化し、今までと違う動きをすることが結果としてゲリラに都合よく作用する可能性だ。
今回Pixivがやったのは、多くの表現者に「地下に潜ること」を推奨するような行為である。
今後Pixivにおいては「リアルの人間が犠牲になって『いない』ようなポルノやゴア表現」でさえも、「隠語を使ってやり取りされる」ようになるリスクがあるのだ。
これの何が不味いかというと、ユーザー達の隠語表現に対する知見が加速することになり、結果としてPixivが潜んでいる本物の犯罪者を探すのが難しくなるのである。
それでもPixivがユーザーからの信頼を獲得していれば、犯罪者を突き出すために隠語表現を運営にリークする善意の協力者を募ることも簡単だっただろう。
しかし、今回のように無関係の善良な市民を平気で巻き込むようなやり方は、人々の反感を買ってそれらの教育を惜しませるように働くと思われる。
もしもPixivに圧倒的な力(この世界で唯一つの画像共有サイトであったり)があれば、それでも追放を恐れたユーザー達が自主的な協力により運営に媚を売れたのかも知れない。
だが実際には「ニジエで宣伝して、skebで稼ぐ」といった選択肢がまだ残っているのだ。
この状況においてはPixivでの活動はメインではなく単なる導線づくりにしてしまうことも容易となる。
隠語を多用して身を隠し、禁止されるかどうかのギリギリのラインを攻め、あくまでユーザーの獲得をメインとして本格的な収益は他のサイトで得る……このやり方が成立するのだ。
そもそも犯罪者達こそが結局は別のサイト(ダークウェブやそのスレスレ)に誘導すればいいわけで、Pixivにおいて「金銭的なやり取り」をする必要さえないのだ。
つまりは「Pixivの決済サービスから犯罪者を締め出すために、多方面を絨毯爆撃する」というのは極めて愚かな行為なのである。
だが待って欲しい。
そもそもPixivが今回出している声明の中に「リアルの児童ポルノやスナッフフィルム を売っている人達がいるので」という話は出て来ない。
つまりは「単なる一部ユーザーの間でされる噂話」でしかないのだ。
いつか無かったことにされる。
その前に、「硝子ドールだけは人類史に残すべき」と伝えるために俺はここにやってきた。
俺は音楽のことはあまりわからないのでメタルだとかディストーションだとかの話は誰かがやってくれると信じてひたすら歌詞の解説をする。
硝子ドールは、鏡に映した自分に問いかけるようにして紡がれる詩である。
その本質は「変革を望む気持ちと拒む気持ち、変革への確信と普遍への確信の矛盾、自己憐憫と自己批判、そんな自分を客観的に見ているつもりで、自分の思い込みに縛られる様子。モラトリアムの中で戸惑いながら、終わらない日常を願いながら、昨日までと違う明日も同時に願う少女の姿」である。
アイカツは対象年齢を幼児向けとしながらも、音楽やテーマは若干背伸びさせてジュブナイルに仕上げているが、その中で最も痛烈に「青臭さゆえの痛々しさ」を描き出しながらも、それを「永遠の時間を生きる設定の吸血鬼美少女」に重ねることで「耽美的」とも言える絶妙な痛快感に仕立て上げているのがこの硝子ドールである。
幼少期の知りうる世界の狭さをもってしか生み出すことの出来ない1人セカイ系とも言える感覚の原体験がここに詰まっている。
紛れもない名歌である。
鏡越しに見ている人とは誰か。自分で鏡の前に立ってみると分かる。自分である。ではなぜ眼差しが乱反射するのだろうか?それは自分が自分に対して焦点を合わせることを躊躇っているからである。人は元来、自分の姿に気恥ずかしさを感じるものだ。自分を鏡に写したとき、自分を直視するのは難しい。まして、自分に自信がなければ。
ビロードと聞いて最初に浮かぶのは「手触りのイメージ」。これによって聞くものは空に手を触れる感覚を持つ。手を触れられるほどに低い空は陰鬱なイメージを。それと同時に、もっと強く手を伸ばせば突き破れるほどの低さを感じさせる。心の中に浮かぶ自分だけの夜の世界。ガラスの天井は突き破ろうとすればいつでも破れる。その空の低さが「なぜここにいつまでも留まるのか?」を問いかける。もちろん、自分の心に広がるセカイの狭さも。
今日こそは変化が起きる。モラトリアムに揺れ動いた日々、いつもどこかでそう思っていた。それは夜になるほどに強くなり、「今、もしも布団に潜らなければ、今日こそはセカイは変わるのに」と強く思い込みながらも、社会に迎合することを選んで眠りについた日が誰にでもあるだろう。
誰かが連れ出してくれると信じている。自分が踏み出すのを助けてくれる誰かを待っている。自分だけでは不可能だと。ここは自分だけの世界。それならば本当に待っているのは、自分を助けることが出来る強さを持った自分自身。今ココにいる自分では駄目だと感じ。それでも、どこかに強い自分がいてきっと自分を助けられると信じたい。
鍵が壊れているからそっと押すだけで開くのか。壊れた鍵が噛み込んでもう開くことは出来ないのか。重ね合わった2つの可能性。果たして実際に試したのか。それとも、ただ心のなかで思うだけで扉に触れてもいないのか。
昨日と同じ明日が永遠と繰り返されているような感覚。無限大の過去を遡ってもずっとそうだったような気がする。無限大の未来を見ても、ずっと変わることはない気さえする。長いのではなく、永い。命が尽きるまで終わることがないのなら、我が身が吸血鬼ならばそれは永遠を意味している。
誰かに尋ねても貴方はもう自由だと返ってくる。それでも自分はここから動けない。自分を縛っているものが確かにある。他人にはそれがわからない。もしもこれが自分の心にしか無いのなら、自分はずっと夢の中にいるのと変わらない。夢の外にたどり着くことその日が来るまで、自分で生み出した鎖からは逃げられない。
硝子=鏡。硝子の瞳=硝子に映った自分の瞳。自分自身が自分に対していい加減に終わりにすることを望んでいる。夢から醒めることを待っている。終わりのないこの夢に退屈している。それでも辞めることが出来ない。鏡を覗けば自分でさえも呆れ果ているのは明白なのに。
そうしてもまたモラトリアムは繰り返される。
現実は容赦なくやってくる。心は夢に閉じ込められたままでも、体は現実を生きなければならない。自分の夢にだけ引きこもれる夜が終われば、夢と現実が重なりあった時間が始まる。
ゆっくりと時間をかけて現実へとチャンネルをあわせていく。夢の世界が閉じていく。今日もまた夢の中の自分は鳥籠から出れないままに、現実の自分を布団からゆっくりと起き上がらせていく。醒めない夢は、心の奥でまだ続いている。それでも現実に向けて歩みだしていかなければいけない。
誰かが扉を開けている。終わらないはずの夜が外の世界の向こうへと誰かがそっと抜け出ていく。扉を開けているのは自分自身。扉を締めてまた暗闇の世界に戻っているのもまた自分。自分の中でとっくに夢を抜け出ている自分がいる。夜の世界に居続けることを選んでいる自分はそれを見送っている。本当は今ここで鎖に繋がれている自分も抜け出せるのだろうか。
こうして私が夢の中に閉じこもり続けることを選び続けることを世界もまた望んでいる。同時に夢の外に出て生きることもまた望まれている。重なり合って矛盾にまみれている。だけどその矛盾の重なり合いに身を委ねるなら、どちらでもないままで居続けることが許されている。それに苦しみながらも、それに助けられながら、それを恨みながら、それを望んでいる。
終わることのない矛盾を終わらせることを投げ出してただこのまま全てを終わりにしたい。変わることを願いたいと思う自分に満足したまま、変わらないで居続けられるままで。永遠にただ今のままであれば、選択する必要もなく、選択しようとしたことだけを残し、何者でもありえるままにいられる。
それでも、いつか変わる日が来るのだろう。変わろうと思わずとも変わることになる。きっといつかその日が来る。でもそれは今日じゃない。明日かも知れないけど今日ではない。確信だけがそこにある。まだ何も始まらないままに、何かがいつか起きることだけを知っている。鏡の中の私は硝子の瞳でそれを待ちわびている。待ちわびたままでじっと動かない。硝子で作られた動くことのないお人形。硝子ドール。
相変わらずTwitterには婦人科でちょっとでも不調があったら病院に行けというクソアドバイスが蔓延しているけれど
婦人科に行くと必ず嫌な思いをさせられるし、まともな医者を探してドクタージプシーしてたら仕事も碌に出来ない
「対応のいい先生も必ずいらっしゃいます。」じゃねーんだよ、そんな台詞はまず先に全ての医者を対応の良い医者にしてから言え。
ちなみにこの手の病院行け行けアドバイスがうざいくらいにあるのってほぼ婦人科だけで
女性の身体の不調といえばとにかく婦人科に行け!って刷り込む事で治療を遅らせている面もあるよね
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.sankei.com/article/20221019-GFOIEZC7YRIO5EI5WR3ESI63I4/
なんでリベラル叩きのためなら日本国憲法で個人の権利無限大論者になるんだよ。どんな権利にも限界があるって知らんのか。
信教の自由が無限大だったら信者がカルトにいくら寄付してどう操られようが自由だろうが。
あっ、だから憲法の全ての条項に人権の制限について書き込まなきゃって思ってるのか。バカだなー。
性的志向を聞いてるんじゃねーんだよ。議題の統一教会に関係ない話じゃない、必要な質問だろーが。
だいたい信条の自由って言ったら、思想の自由も同等なんだから、国会で思想の質問ができなくなるだろ。
詭弁に騙されんな。
一般人なら思想も信条も聞くのは失礼や差別にあたるだろうが、政治家だぞ。
根本的な勘違いとしてウヨは国会議員の権利は一般人より手厚く保護されるべきって思ってるっぽいんだよな。
不逮捕特権とかはあるけどそれは警察権力から身を守るためのものだから。プライバシー権とか下がるのは常識。
そんなに思想信条の自由が絶対なら共産党員の家族を公安や自衛隊に入れろよ。無知なウヨは統一教会の件と同じで身辺調査も知らんのか。
学びましょう。簡潔に述べると、クレカの番号は漏洩しても被害はクレカ利用の範囲に留まるけど、行政組織のあらゆるDBに対応した主キー(マイナンバー)は、個人の住所氏名のみならず納税や病歴など全てのデータにアクセスし、更新も理論上可能になるので、リスクが無限大だということです https://t.co/Pozgu3JT7E— こなたま(CV:渡辺久美子) (@MyoyoShinnyo) October 15, 2022
※DBの主キーはテーブルの中でレコードを一意に識別するためのデータであって、アクセスや更新を制御するセキュリティの仕組みは別にあります。
金利ある通貨を100円分持っていると、1年後に5円の金利がつく。
金利無い通貨を100円分持っていると、1年後も金利はつかない。
として、
金利ある通貨を金利の無い通貨で買おうとしたら、いくらが妥当なのか?という問題にすると、
1年後を基準にすると、金利ある通貨100円分=金利無い通貨105円分
2年後を基準にすると、金利ある通貨100円分=金利無い通貨110円分
∞年後を基準にすると、金利ある通貨100円分=金利無い通貨∞円分
となるので、金利差があるかぎり、妥当な交換額は無限に膨らむと考えるのは正しい。
ところが、人は無限に長くは生きられないし、およそ10年後20年後のことはさっぱり予測できない。
するとまぁ、5年後くらいに得られる金利分で交換するのが妥当か、
いや、5年後のこともロシア戦争があるからわからない。2年後くらいに得られる金利分で妥協するか、
と、みんながいろんな思惑で考えた結果、その平均値として、
みたいに落ち着く。
要は、金利ベースだけで考えれば、その交換比率は無限大だけど、
時間の経過とともに考えないといけないリスクも無限に増加してゆく。
その是非が疑問視される中、「AI絵」の特徴を以下のように示し、「何となく見分けることができる 人間舐めんな」と豪語する者をよく見る
・手が書けてない
・構図が単調
・どっかで見たような絵柄
何故なら年単位で練習した絵師でも「手」「複雑な構図」「オリジナリティのある絵柄」を書ける者はごく少数だからだ
「手」に関しては熟練の漫画家ですら上手く書けていない事が多々あることからしてその難易度がうかがえるだろう
単に面倒だから省略して書いているという場合もあるが、何にせよ初心者が書くには「手」という部位はかなり作画カロリーが高い
3Dアセットをぐるぐるさせたり大量の画像を参考にし、トライアンドエラーを繰り返して初めて理想とする「手」が書ける
「手」だけに着目したイラスト本も山の様にあり、
外転、内転、外旋、内旋、屈曲、伸展……5本の指と手首が織りなすレパートリーは正に無限大
「左向き」「正面」「右向き」「後ろ」「斜め後ろ」「真横」
右利きの人間は手癖で書くと左向きの構図に偏りがちであり、いざ右向きの練習をしてみると勝手が違い過ぎて絶望する
「左向きならパパっと書けんのに〜」という欲望を何とか抑えつけながらグルっとカメラを一周させた絵の練習をせねばならない
こうして修練を積み重ねた後Y軸の回転に挑戦する
「斜め上」「斜め下」この2つが出来れば十分だがX軸が360度回転する以上レパートリーは従来の3倍になっており、さらに空間把握能力も必要となる
「手は参考資料を見ながらリトライしまくってようやく書ける(出来れば書きたくないので隠しちゃうことも)」
「構図は複雑なの(寝そべったり、真下からのアングル)は無理だけどグルっと一周させるくらいならできる」
絵柄が流行りに近ければフォロワーも段々と増え、練習の成果がようやく目に見える形となってくる頃合いだろう
「どこかで見た画風」「手は都合が悪いので誤魔化す」「構図はそこそこのレパートリー」
自らが何年もかけて練習してきた絵をAIはポンポン産み出してしまう
「その域」から脱却するにはさらなる修練が必要となってくるが、既に成長曲線のピークは過ぎており
ここからは半歩ずつ歩むことになるだろう
整形して美人になったからではない。顔面偏差値35くらいから38になったとは思うので確かにやや美しくはなってるけど、でも偏差値65以上になってめちゃモテ委員会かいうとそんなことはない。
自己肯定感が上がった理由は、自分好みの顔の系統になれたから。以前は重い一重のせいでキツイ印象のブスだったのだが、目を整形して丸くできたことで、やさしい顔立ちのブスにクラスチェンジできた。
好きな服に着替えたような感覚だ。好きな服であれば別に偏差値70の着こなしじゃなくてもハッピー。それを着て外を歩けば元気が出てくる。
ああ私ってやさしい顔立ちのグループなんだ……と思うと嬉しくて自然と明るくなれる。人見知りだったけど声かけるとかもへっちゃらで、モジモジしない。自己肯定感ってすごいなと本当に思う。自分を愛することで生まれるパワーは無限大やで
昔、といっても10年前くらいまではまだ料理ができるのを自慢できた
インターネットにレシピは溢れかえっていたけどレシピだけで作れない人種が一定数いたから
今、インターネットにはレシピどころか作る過程を動画で、無料で、好きなだけ見ることができる
見たまま実行するだけで誰でも料理できる
もう素人レベルの「料理ができる」は自慢にならない、できないを恥じる時代になってしまった
もっともっと昔、親に聞くか本を読むかでしかレシピがわからない時代なら幾らでも自慢できた料理経験者、令和の今なら無限大にいるだろうなあ
:追記
少子化対策したいなら金配るんじゃなくて障害児が生まれたり子育て向いてなかったわと思ったら気軽に手放せるようにするべき。
いざとなったら手放せると思えば試しに産んでみるかとなる。産んでみたら子育て向いてたからそのまま育てたという人が8割くらいになって社会的には万々歳だろう。
向いてるかも分からんし知的障害児が生まれるかもしれなくて、もしそうなったら一生掛けて責任を負っていかなければならない現状では、どんなに金を積まれようと最初の一歩に躊躇するのは当たり前(もしそうなった場合の主観的損失が無限大なので、いくら金を積まれても埋め合わせにならない)。
何度も言うけど、ミスったときの損失が無限大だったらカネをいくら配っても埋め合わせにはならないから効果はねーんだよ。(アホ向けに補足すると、本当に数学的に無限大かどうかということではなく、100万200万あるいは1000万くらいの端金と人生丸ごと棒に振る損失とを比較したら後者の方が遥かにでかいという意味だぞ。)
そこに手を入れない限りいくら独身税を徴収して子育て世帯に配ろうと大して意味ねーよ。既に子供産み終わってる連中が喜ぶだけで子供の数はほとんど増えずに終わるだけだっつうの。