いつか無かったことにされる。
その前に、「硝子ドールだけは人類史に残すべき」と伝えるために俺はここにやってきた。
俺は音楽のことはあまりわからないのでメタルだとかディストーションだとかの話は誰かがやってくれると信じてひたすら歌詞の解説をする。
硝子ドールは、鏡に映した自分に問いかけるようにして紡がれる詩である。
その本質は「変革を望む気持ちと拒む気持ち、変革への確信と普遍への確信の矛盾、自己憐憫と自己批判、そんな自分を客観的に見ているつもりで、自分の思い込みに縛られる様子。モラトリアムの中で戸惑いながら、終わらない日常を願いながら、昨日までと違う明日も同時に願う少女の姿」である。
アイカツは対象年齢を幼児向けとしながらも、音楽やテーマは若干背伸びさせてジュブナイルに仕上げているが、その中で最も痛烈に「青臭さゆえの痛々しさ」を描き出しながらも、それを「永遠の時間を生きる設定の吸血鬼美少女」に重ねることで「耽美的」とも言える絶妙な痛快感に仕立て上げているのがこの硝子ドールである。
幼少期の知りうる世界の狭さをもってしか生み出すことの出来ない1人セカイ系とも言える感覚の原体験がここに詰まっている。
紛れもない名歌である。
鏡越しに見ている人とは誰か。自分で鏡の前に立ってみると分かる。自分である。ではなぜ眼差しが乱反射するのだろうか?それは自分が自分に対して焦点を合わせることを躊躇っているからである。人は元来、自分の姿に気恥ずかしさを感じるものだ。自分を鏡に写したとき、自分を直視するのは難しい。まして、自分に自信がなければ。
ビロードと聞いて最初に浮かぶのは「手触りのイメージ」。これによって聞くものは空に手を触れる感覚を持つ。手を触れられるほどに低い空は陰鬱なイメージを。それと同時に、もっと強く手を伸ばせば突き破れるほどの低さを感じさせる。心の中に浮かぶ自分だけの夜の世界。ガラスの天井は突き破ろうとすればいつでも破れる。その空の低さが「なぜここにいつまでも留まるのか?」を問いかける。もちろん、自分の心に広がるセカイの狭さも。
今日こそは変化が起きる。モラトリアムに揺れ動いた日々、いつもどこかでそう思っていた。それは夜になるほどに強くなり、「今、もしも布団に潜らなければ、今日こそはセカイは変わるのに」と強く思い込みながらも、社会に迎合することを選んで眠りについた日が誰にでもあるだろう。
誰かが連れ出してくれると信じている。自分が踏み出すのを助けてくれる誰かを待っている。自分だけでは不可能だと。ここは自分だけの世界。それならば本当に待っているのは、自分を助けることが出来る強さを持った自分自身。今ココにいる自分では駄目だと感じ。それでも、どこかに強い自分がいてきっと自分を助けられると信じたい。
鍵が壊れているからそっと押すだけで開くのか。壊れた鍵が噛み込んでもう開くことは出来ないのか。重ね合わった2つの可能性。果たして実際に試したのか。それとも、ただ心のなかで思うだけで扉に触れてもいないのか。
昨日と同じ明日が永遠と繰り返されているような感覚。無限大の過去を遡ってもずっとそうだったような気がする。無限大の未来を見ても、ずっと変わることはない気さえする。長いのではなく、永い。命が尽きるまで終わることがないのなら、我が身が吸血鬼ならばそれは永遠を意味している。
誰かに尋ねても貴方はもう自由だと返ってくる。それでも自分はここから動けない。自分を縛っているものが確かにある。他人にはそれがわからない。もしもこれが自分の心にしか無いのなら、自分はずっと夢の中にいるのと変わらない。夢の外にたどり着くことその日が来るまで、自分で生み出した鎖からは逃げられない。
硝子=鏡。硝子の瞳=硝子に映った自分の瞳。自分自身が自分に対していい加減に終わりにすることを望んでいる。夢から醒めることを待っている。終わりのないこの夢に退屈している。それでも辞めることが出来ない。鏡を覗けば自分でさえも呆れ果ているのは明白なのに。
そうしてもまたモラトリアムは繰り返される。
現実は容赦なくやってくる。心は夢に閉じ込められたままでも、体は現実を生きなければならない。自分の夢にだけ引きこもれる夜が終われば、夢と現実が重なりあった時間が始まる。
ゆっくりと時間をかけて現実へとチャンネルをあわせていく。夢の世界が閉じていく。今日もまた夢の中の自分は鳥籠から出れないままに、現実の自分を布団からゆっくりと起き上がらせていく。醒めない夢は、心の奥でまだ続いている。それでも現実に向けて歩みだしていかなければいけない。
誰かが扉を開けている。終わらないはずの夜が外の世界の向こうへと誰かがそっと抜け出ていく。扉を開けているのは自分自身。扉を締めてまた暗闇の世界に戻っているのもまた自分。自分の中でとっくに夢を抜け出ている自分がいる。夜の世界に居続けることを選んでいる自分はそれを見送っている。本当は今ここで鎖に繋がれている自分も抜け出せるのだろうか。
こうして私が夢の中に閉じこもり続けることを選び続けることを世界もまた望んでいる。同時に夢の外に出て生きることもまた望まれている。重なり合って矛盾にまみれている。だけどその矛盾の重なり合いに身を委ねるなら、どちらでもないままで居続けることが許されている。それに苦しみながらも、それに助けられながら、それを恨みながら、それを望んでいる。
終わることのない矛盾を終わらせることを投げ出してただこのまま全てを終わりにしたい。変わることを願いたいと思う自分に満足したまま、変わらないで居続けられるままで。永遠にただ今のままであれば、選択する必要もなく、選択しようとしたことだけを残し、何者でもありえるままにいられる。
それでも、いつか変わる日が来るのだろう。変わろうと思わずとも変わることになる。きっといつかその日が来る。でもそれは今日じゃない。明日かも知れないけど今日ではない。確信だけがそこにある。まだ何も始まらないままに、何かがいつか起きることだけを知っている。鏡の中の私は硝子の瞳でそれを待ちわびている。待ちわびたままでじっと動かない。硝子で作られた動くことのないお人形。硝子ドール。
頑張って書いたな。こういう熱い文章は好きやで。
硝子ドールが何のことかさっぱり掴めず、しばらく迷子になった 楽曲であると初めに書きなさい