はてなキーワード: 新興宗教とは
思うにそういうピュアに世界を変えたいと信じ、ピュアに行動することで人格を保つような人は、21世紀よりも前の世界では、普通は宗教の世界に入った。
牧師になったかもしれない、寺で出家したかもしれない、新興宗教の集会に足しげく通って一定の地位を得て幹部になったかもしれない。
とにかく、ピュアに世界を変えたい衝動のままピュアに語っていると、コミュニティに属し続けることができた。
ところがオンラインサロンっていうのは、宗教的でありながら、気軽に解体されて、ピュアなだけの人間を平気で取りこぼしていく。
あのオウム真理教ですら、コミュニティは維持し、結果としてメンバーのアイデンティティと精神は守ろうとしている。それすらしない。
昨日書いたことは間違ってた。
まあ、思いつきを書いてるだけなので。
いずれにしても「恐れるな我が半神よ」の半神は阪神ではないし、
Googleするとやたらに神と人の間の子みたいなのが表示されるけど、
それが合体すると完全な神になる、
本来、人は腕が四本、足が四本、頭が二つの生物だったが、それが分離してしまった。
その分離した同士が元の完全な状態になるために惹かれ合う、求め合うのが恋だの愛だのだ、
という宗教があるという話と似ているようにも思ったわけだが、
まったく影響受けてない作品なんてあの時期あったかというぐらいインパクトはあったわけだし、
あの余韻から影響受けてないものまで影響受けてるように見えてくる時点で
やっぱりエヴァは凄かったんだろうなあ、と思いはするけど、
ラーゼフォンは色々芸が細かすぎるというか、
ムーじゃなくてムウMuが正しいのか、
観ているうちにそんな話になるわけがなく、
というか、色々考えていると、オカルト臭さとか、
※※ご注意!※※
伊坂幸太郎著『ラッシュライフ』(新潮社刊)の伏線の考察であり、トリック的な部分に深く触れています。未読の方はこの記事を閲覧しないことをお薦めします。
画商と画家、プロの泥棒、新興宗教の信者、精神科医とサッカー選手、失業した男・・・5つのストーリーが併走する、巧緻な群像劇ミステリーで、とても好きな作品である。
先日、書店に行ったところ、作家生活20周年を迎えた伊坂さんのフェアがスタートしていて、伊坂さんのインタビューが載った特別記念冊子も置かれていた。このインタビューの中で「二十周年だから明かせる、作品に関する秘密」はあるかと質問された伊坂さんは、『ラッシュライフ』について興味深い発言をされていた。
ここに引用してみる。
『ラッシュライフ』の冒頭の章扉に、「最高時速240キロの場所から~」と書いてまして、ある機会に一度話したことがあるんですが、あれって物語の構成を示唆している伏線なんですよね。その分野に詳しい人が、「あれ?」と違和感を覚えて、読み終えた後に、「そういうことだったのか!」と喜んでくれるんじゃないか、と期待していたんです。ただ、意外にそういった声は聞こえてこなくて、独りよがりだったかなあ、と少し反省しています(笑)。当時、最初の一行目にヒントがある、というのをやってみたかったのかな。
この「物語の構成を示唆している伏線」というのが気になってしまった。
引用文では「最高時速240キロの場所から~」と省略されているが、正しくは「最高時速240キロの場所から物語が始まる」。伊坂さんが話しているように、章扉に書かれている一文なので「章題」と呼ぶべきものだろう。
自分は『ラッシュライフ』は複数回読んでいるが、そういえば、この章題をさほど気に留めたことはなかった。
章扉の次ページから『ラッシュライフ』の本文になる訳だが、その始まりは「画商と画家」のパートだ。画商の戸田と画家の志奈子は得意先回りのために「のぞみ500系」に乗車している。
だから当然、「最高時速240キロの場所」とは、この「のぞみ500系」のことだろう。今まで単純にそう思いながら読んでいた。
1人でただ考えていても見当がつかず、何か手掛かりはないかと「のぞみ500系」でネット検索してみた。
すると、あれっ?と思う結果が出たのだ。
「のぞみ500系」は2010年に引退し今は走ってはいないが、運行していた時の最高時速は「300キロ」だというのである。
「240キロ」ではない。
では、この章題は、間違っている・・・?
やはり考えても分からなかったので、さらに『ラッシュライフ』の再読を進めることにした。
すぐに、あることに気づいた。
文庫版(初版)だとp.21、ここから「新興宗教の信者」のパートが始まる。仙台駅近くの喫茶店で、信者の河原崎がコーヒーを飲んでいるシーンだ。
河原崎がぼんやりと窓から眺めているのが、ホームに入ってくる「MaxやまびこE4系」である。
この車両も2012年に引退しているそうだが、それはともかく。
その最高時速。
「240キロ」だった。
重大なネタバラシをしてしまうと、『ラッシュライフ』は数日間の物語だが、時間的に古いエピソードから順に書かれている訳ではない。作者は5つのパートの時系列を崩して配置しているのだ。その配置によって、異なるパートの登場人物たちが接近しているように見えたり、時間を隔てたエピソードが連続して起きているように見えたりする。そう見えることがさらに謎を生み、ストーリーが錯綜しているように読者は錯覚してしまう。本書の読みどころは、その「騙し絵」のごとき、巧みな構成だ。
具体的に言えば、前述の戸田と志奈子の「のぞみ500系」乗車シーンは、冒頭ではあるが、実は物語の「いちばん古いエピソード」ではない。
それがはっきり分かるのが、p.450からの本文。仙台駅前に白人女性が立っている。彼女はスケッチブックを手にし、街行く人に声をかけて「好きな日本語」を書き込んでもらっている。登場人物たちがスケッチブックに書き込んだ順番がここで明かされることで、物語の正しい時系列が判明するのだ(本書には、このスケッチブックのエピソード以外にも、読者が正しい時系列を把握するための描写が随所に散りばめられている)。
時間的には、『ラッシュライフ』は河原崎のパートからスタートするのである。
河原崎は喫茶店から、最高時速240キロの「MaxやまびこE4系」を眺めている。
この章題は、「間違い」などではない。
これは「MaxやまびこE4系が描写されているシーンから、物語が始まる」という意味だ。
伊坂さんはインタビューで正解を語っていないので断定はできないのだが、「物語の構成を示唆している」とは、こういうことだろうと推測する。
インタビュー中の「その分野に詳しい人」とは、鉄道マニアのことだろう。
確かに、鉄道に詳しくないと、自力でここが「伏線」だと発見するのはかなり難しい。
鉄道が話の筋にに大きく関わる訳でもないのに、「500系」「E4系」と車両形式まで書かれていることにまず疑問を持つべきだったのだが、残念ながら今までまったく気にせずに読んでいた(戸田と志奈子は「のぞみ500系」を降りた後、東京で食事をし、仙台へ向かうためにまた新幹線に乗るのだが、その場面では、ただ「東北新幹線」と書かれているだけ。愛称も車両形式も記されていない。問題の伏線とは関係ない新幹線なので描写する必要がなかったのだろう)。
それでも、伊坂さんからのヒントによって、こうして『ラッシュライフ』に秘められた、伊坂さんの洒落っ気、遊び心を知ることができて嬉しい。この作品がより好きになった。
最後に、『ラッシュライフ』の5つのパートの構成については、『文藝別冊 総特集 伊坂幸太郎』(河出書房新社刊)に、詳細な「時間/事件相関図」が掲載されているので参照するといい。
こんな状況の私でも良いと言ってくれる人なら結婚してるわ。
何回か告白されたけどこの状況を知ったらどう思うんだろう。
それでもいいと言うなら良いけど。
んな親はさっくり捨てろと言われると思うけど残念ながら半端に家族愛のある私は見捨てるわけにも行かずズルズル。
とはいえ父親はともかく母親は毒親の気質があるので父親が片付いたら捨てたい。
母は捨てられても父が捨てられない、かといって私一人じゃ父の介護を賄えない(時間的・金銭的)。
…という状態だったんだけど、父親がいよいよだめで施設へ(コロナの影響も大いにある)。
母親と過ごす時間が長くなるに連れ、なんでこんなのが母親なんだろうと思うばかり。
けど父親は気がかりだけど衰えと地方でコミュニケーションも取れないし、母親は新興宗教が気持ち悪いし、これを気に家族の縁を切ってもいいよね?
強引に誘ってくれる人とかいるといろいろと関係性が続くんだけどな。今はそういう強引な人はハラスメント扱いで毛嫌いされるから絶滅してしまったのかもしれないな。
新興宗教とかに入ると強引に集会にお呼ばれするかもしれんけど、そういうのは違うよな。怖いし。
うーん。ありきたりだけど、なんらかの健全なコミュニティに潜入するしかないね。ネット以外のもので。
1. 水道水を飲む
ウォーターサーバーやペットボトル水がなくても、水道水を平気な顔して飲む人が、あなたの人生の苦楽をともにできる頼もしい嫁です。金のわらじを履いてでも探しに行きましょう。
あなたが味の違いが分かり、そこに金を使える財力があれば、まだチャンスは残っています。
ですが、「健康にいいでしょ?」と言われたら、即LINEブロック。サプリ常用者にも要注意です。
中華料理屋に行って「喉が渇く。味の素いれすぎ」と言いだせば、LINEブロック。化学調味料を摂取する機会が最もあるのは、中華料理屋でなく、スナック菓子です。
時間を節約し、安価な食材を美味しく仕上げる化学調味料は、忙しい家庭の強力な味方です。
「新興宗教に入っていない」が配偶者選びの条件の1つでしたが、新興宗教以外にも姿形を変えて、幸せな家庭生活をぶち壊しにかかる裾野が広がっています。
「フードファディズムに気をつけろ」ということもありますが、それ以上に、「エビデンス主義で物事を考えられるか」です。どんなに頭がよかろうが、普遍性を欠いた自分たちの論理に閉じこもり、出発点や頭の使い方をが間違うとゴールも誤るのは、オウム真理教の信者が教えてくれます。
もちろん、同じ宗教の信者同士で結婚するのが、解決策の一つです。周囲は知りませんが、本人たちには(呪縛がとけるまでは)幸せな家庭を築くチャンスがあります。
「旦那を選ぶ時」には注意しなくていいのかって?もちろん、注意してください。ですが、フードファディズムに陥りやすいのは圧倒的に女性、特に専業主婦です。家庭に費やす時間があまりない旦那がいる家庭でよく見られます。同類の仲間の友人と共鳴を深め、更に奈落に落ち込んでいきます。
反ワクチン・代替医療・放射脳といった深刻な症状への入り口に、ライトなフードファディズムがなっているのは、よく観察されます。
松任谷由美氏に対する某大学講師の発言が炎上した件で、自分が思ったのは「自分の好きな作家やアーティストにはなるべく政治的な発言をして欲しくないなあ」というものだった
当然アーティストも一個人なので、政治的や宗教的な発言等をする権利はあるし、自分がそれを咎めることなど出来ない
なので自分として出来ることは「えー、出来ることであれば政治的なお考えは内心だけに留めて頂いて極力外部に発信しないで頂けませんでしょうかね」とただただ願うことだけである
そう考えていて、これって自分がこれまで散々馬鹿にしてきた“自分の推しメンバーが恋愛をしないことを願うAKBオタ”や“好きな声優が処女であることを願う声優オタ”と大差ないじゃんということに気付いてしまった
当然全く同じというわけではない 自分は小沢健二が好きなのだが、小沢健二が政治的な発言をしたとしても声優オタのようにCDを叩き割ったりはしない
オザケンが「黒人射殺の件に抗議してライブを更に1年延期します」と発言したり、黒人被害者の名前が書いてあるマスクをつけてライブで登場したとしても、残念だなあと思いながらもCDは聴き続けるだろう
現に自分は景山民夫氏の作品が好きで、氏が幸福の科学に入信したあとも「トラブル・バスター」を何度も読み返したりしている
多分自分の中で「アーティスト個人の信条・政治的スタンスとアーティストの作品は別物」という整理がそれなりに出来ているので、引き続き作品を楽しむことが出来ているのだと思う
ただ、やはり政治的な発言や新興宗教に入信などということがあれば「うへえ」と思ってしまうのは事実だ
なので自分は今日も好きな作家さんの本を読んだり、好きなアーティストの曲を聴きながら「自分の好きな人たちが何も変な発言をしませんように」と願うばかりなのである
自身でもガチ恋夢女であることは自覚しているがそれは他者にとってどう映るのかという話。
以前いたオタクグループで私は「夢女キャラ」として浸透していたのだが、それと同時に「面白狂人属性」としても扱われていた。
確かに「今付き合ってる彼(二次元)との出会いは某MMOからでこういう経緯がきっかけだったし…」「こないだ彼氏からクリスマスプレゼントを貰って(夢女友人とのプレゼント交換)」みたいな事を言っていたのでまあ…自己投影型夢女以外から見るとやべー女だな…とは思う。
ただ、TRPGでのそれぞれのRP傾向についての話題で「増田(仮)さんよりやべー(TRPG)キャラは見たことない。だって本人が一番狂ってるからな(概要)」と言われた時には「??????????」と宇宙猫状態になってしまった。
TRPGでは比較的色々なキャラをやったが新興宗教の信者も教祖も倫理観0の犯罪者もRPしていた。
夢女という人種はそんな創作上の彼らよりも狂ってる存在に見えるのだろうか。
私の場合グループ内で割と「面白属性」をキープする為に無意識で立ち回りしていた節もあるのだがこうして改めて「フィクションのやべーやつよりも狂ってる」と言われると頭を鈍器で殴られた気分になる。
そこにはもちろん「普通の人間は最終的に三次元の異性を愛する」という前提の思想もあるとは思うのだが、私のようにフィクトセクシャル(二次元性愛)の気がある人間は彼らにとって「ありえない」からこそ「面白いもの」として映るのかもしれない。
スパチャがキャバみたいという話だけど、これは一部のVTuberファン、はっきり言えばホロライブファンがキモがられているだけじゃねーのって思う。
ここのファンは、にじさんじファンのような、脳死のアホやサブカルバカやゲーマーっぽい奴はあんまりいなさそうな反面、キモオタ率の高さは間違いなくぶっちぎりで、他の追随を許さない。
ファンの男女比率の偏りも相当なもので、恐らく九割九分九厘は男だろう。
そんな状態になったのも、ここの所属タレントが「ドル売りVTuber」というプロデュースにより、アニオタ・声優オタ・ドルオタといった奴らをまとめて絡め取る、ブラックホールと化しているからである。
2ちゃん(5ちゃん)風に、「厄介オタクの隔離箱」と揶揄される日もそう遠くないというか、既に言われていても何らおかしくはない。
そういう手合いが画面の向こうの「女の子の動画」に向かって、「てぇてぇ」などと呟きながら銭を投げるんだから、世間的には新興宗教よりもヤバみがあるでしょ。
とはいえ、日本を含む東アジア〜東南アジアにおいて、アイドルムーブは芸能を語る上で決して抜きにできないというか、非常に根強い文化になっているわけで、それを裾野に、遂には世界中のキモオタからカネを巻き上げるシステムが出来上がったと。
まあそれ以前の話として、陰に日向にキモオタをdisりまくっていた、あの宇野常寛(富野信者)でさえ、あっさりAKBオタとして完堕ちしたのだから、もう何をか言わんやである。
スピンオフ元であるプリティーリズムレインボーライブは未履修だったし
ある日、突然に、落ちた。
落ちたというよりは、突き落とされたとか引き摺り込まれたといったほうが正しいかもしれない。
エリートの巧みな誘導により、プリズムのきらめきを浴び、摂取し、そして世界が輝いて見えた。
私は目を輝かせて浄水器でも壺でもブレスレットでも買っていただろう。
だけど私が買ったのは、スタァジュエルだった。
キンプリにハマり、映画館やイベント、コラボカフェに舞台など様々なところへ足を運び
それまでインドア派のオタクだった私は初めて「現場のオタク」になったが
1番多く触れたのはやはりアプリ「プリズムラッシュLIVE」だった。
つらい事があった時は景気付けに
嬉しい時は祝砲がわりに
頑張った時はご褒美として
自転車や馬でお届けに来てくれるスタァたち、
大抵は渋い結果に苦笑しながらスクショを撮り
たった2作の劇場版と1クールのアニメを飽きずに擦り切れるほど見たが
ラッシュくんの中では新しいストーリー、新しいキャラクターが生まれ
スッスッスがアニメになって
ロズパがあってスパライがあって
キンプリと共に生きていけると思っていた。
サ終は悲しい。
ラッシュくんと過ごした3年間を忘れない。
私は誓う。
精一杯生きることを。
ありがうとーーーー!!!!!