はてなキーワード: ロリとは
またロリの年齢上げたのか
高校生の頃にやっておけば許されたんだよなあ。
自分も小学生の頃にフニャフニャチンチンで同級生にスマタだけでもしてたら諦めがついたんかなあ。
あーでもやるなら洋ロリがいいなあ。
交換留学でホームステイ先にいる子供とセックスするのは流石にありえんだろうしなあ。
でも犯罪行為には及びたくない。
捕まりたくないっていうのもあるけど、犯罪行為をしているという感覚が折角のセックスを歪めてしまうだろうから。
犯罪でもいいからセックスしたいお金持ちがロリとセックス出来る不思議なクラブを作る気持ちもなんか分かる。
でも違うんだよなあ。
周囲からどう扱われるかは置いといて、何一つ恥じることのない純愛であるという気持ちを持って小学生とセックスがしたい。
だけど、もし今目の前に俺に一目惚れした小学生がいてもセックスしたいわけじゃない。
高校野球で一回戦負け日の記憶を延々と引きずる弱小高校球児が、漠然といつまでも甲子園を夢見るような、そんな終わってしまった夢の続きとしての、小学生とセックスしたさがずっとあるわけだよ。
自分が抱いた嫌悪感がなにに起因するものなのかわからなく戸惑っている。
先日、小学校三年生くらいのコが5、6人、私の前を歩いていた。一人か二人が男の子で他は女の子だった。突然、左端を歩いていた女の子が隣の女の子の頬に軽くキスをした(ほっぺにチュー的な)。キスされた女の子はきゃーっと笑ったあと「口でしよう」と言った。そして女の子二人は躊躇いなく歩きながらキスしたのである。結構べったりと。
私は驚いて立ち止まり、彼女たちの背中を見送った。そのあとに嫌悪感が湧き上がった。いやなものを見たという感覚。自分の感覚に驚いた。これはなんだ?
増田は成人男子で二次作品なら百合は好物である。一般向け作品ならロリ表現も特段抵抗ない。BLもあまりエグい表現がなければ楽しめる。シスジェンダーで異性愛者だが、自覚的にはLGBTQ全般に対して寛容なほうだと思っている。私は一体何に嫌悪感を抱いたのだろう。
これが男の子と女の子だったらどうだろうと考える。「ませたガキだな!」と思っても嫌悪感には至らないと思う。
男の子同士だったらどうだろう。相当びっくりするだろうが、やはり嫌悪感には至らない気がする(ちょっとあやしいが)。
もう少し年齢が上の女の子同士(中高生くらい)だったらどうだろう。むしろ「尊い」とか「いいもの見た」という感覚になりそうだ。多分、嫌悪感はない。
となると、嫌悪感の源は「女児」+「性的ニュアンス」だろうか。いきなり三次元の児童ポルノを見せられたような嫌悪感。女児同士にキスをさせ、それを見ている成人男性である自分、みたいな。
仮にそれが嫌悪感の源だとしたら、あの光景が嫌悪感に結びつくのは普通のことだろうか。もしかしたら私のなにか認知のゆがみが嫌悪感に結びつけてしまっているのではないか。わからない。
※注:長い
先日、数年ほどFF相互関係を築いていた人物(以下、Dさん(仮名)と表記)から離れるために、私はTwitterのアカウントを削除した。
ひとまず目標通りDさんから離れることができたものの、まだ消化不良の気持ちが残る。この文章ではそれらを吐き出しながら、整理していきたい。
Dさんとは、近からず遠からずな趣味を共通言語として、それなりに親しい間柄ではあったと思う。しかし、ほかのFFさん相手の場合とは異なり、交流期間が伸びるにつれて、Dさんの人格とその言行に私が苦しさをおぼえることが増えていたのも事実だった。また、Dさんと私の母との類似を自覚してから、彼女にストレスを感じるたびに母へのトラウマやストレスもフラッシュバックするという悪循環があった。
離れる決断の決定打となったのは、ストーカー被害をめぐるDさんの対応だった。
あるとき、Dさんが企画した鑑賞会の参加者2人(ともにDさんのFF)が、その会での発言をきっかけに揉めた。2人が揉めだしたさなか、Dさんはその一方に安易に助太刀するような発言をしていた。それでトラブルがヒートアップすると、事態を冷却しようとしたらしいDさんが一方のFFを急にブロックした。結果、Dさんはブロックした相手から連日にわたりフォロリクやブログへのコメントが続く事態となっていた。
その上、Dさんが助太刀をした人物(以下、A(仮名)。私とは一切交流がない人物。)は、その勢いでつけ上がってか、「犬好きはサイコパス」のような、揉めた相手をターゲットとする大雑把で攻撃的な発言を繰り返すようになる。それが理由でDさんはその後Aとの関係も断ったが、Aの粘着行為はDさんが何度も恐怖を表現する程度に続いていた。
第三者の私から見ても、Aの粘着行動は先の人物のそれよりもずっと深刻だと感じられた。Aは、拒否され続けても1日に何度もDさんの鍵垢にフォロリクを送ったり、Aの別垢と思しきアカウント2、3個からもフォロリクをしかけたり、Dさんの相互関係にある公開垢たちを少しずつフォローしていくなどの偏執的な行動を続けながらも、Twitter上では、あいかわらず揉めた相手とDさんのことも誹謗するようなツイートを続けていた。Dさんへの攻撃的な発言を繰り返す一方で関係を保持することに固執しているAの行動は、矛盾しておりむちゃくちゃで異様に思えた。
何より、DさんがAの粘着や監視下にあるような状態を怖がっているような発言を繰り返していたのが痛ましかったので、私は被害の解消が早まるようにと一言二言、心ばかりの助言はしていた。
ただ、次第にDさんへの疑念も私の中で膨らんでいった。そもそもAが日頃から攻撃的な発言を繰り返していることは少しツイートを見ていれば明白だったし、検索すればAはその舌禍のために趣味の「界隈」からさえ煙たがれ、ヲチや誹謗発言まとめページがつくられているような要注意人物だったからだ。Dさんは、「嫌いなものに悪口を言いあえるフォロワーが増えることのほうが嬉しいから」との理由で、Aの言動をあえて見過ごして相互関係を続けていたという…。
また、Aの粘着に困っている状況にもかかわらず、真偽不明なAの過去発言をまだ信じているような姿勢を見せるDさんに、私は度々戸惑いを覚えた。そうこうしているうちにDさんが、「別SNSのアカウントならフォローしてもいい」と積極的にAを誘導するような発言をブログに明記した(実際、その後にAと思しきアカウントがDさんのフォロー欄に現れていた)ことも、私には理解しかねた。Dさんのプライバシーや心理的安全を本気で心配していただけに、軽率に見えるこうしたDさんの言行に内心で愕然としてしまっていた。
Dさんの、「猫好きなら(「良い人」だろう)」とか「相手が同性なら」みたいな安易な判断で、過剰に攻撃的な言動をする人でも平気でフォローする軽率さ…。ストーカーの粘着に困っていた最中に、Dさんはトラブって閉じた鍵垢とは別に新しいアカウントをつくり、公開垢として使用すると宣言していた。公開垢の運用方針の相談を兼ねてDさんが相互内で行ったアンケートでは、「(公開垢では)大人しくしておいたほうがいい」に投票した相互の割合が圧倒的に最多だった。にもかかわらず、Dさん曰く「正当な機会を得て他者を攻撃したいから」と、マウント・承認欲求を結局優先するような発言をしていたことにも引いてしまったし、結局DさんはFF内のアンケートを考慮することはなく、公開垢をやたら攻撃的な「思想」垢として稼働させるという、軽率さを再び発揮していた。また、いざその「思想」垢のツイートがプチバズしたら、焦ったのか急に鍵に戻す…Dさんの軽率さ…。その連続に、目眩がするようだった。
Dさんの行動は、人の話を聞かないまま軽率に行う自発的な社会行動のせいで自分の首を絞め、そのたびに周囲に自分の感情をわめき、まき散らす点で、私の母にそっくりに思えた。咄嗟に「もう付き合いきれない」と思う発言も何度もあった。なぜ娯楽の一環で利用しているインターネットでまでそんな人間と関わらんといけないのか、それともこの痛苦の感覚は私の認知の歪みの産物でしかなく、私の自他境界の曖昧さの問題で「他責思考」に由来しているんじゃないのかとも、あてどもなく何度も自問もしていた。
いずれにしても、Dさんとの関係が、母とのトラウマを思い出すトリガーとなりつつあった。彼女を相手にすると、いわゆる「カサンドラ」、適応障害のような心理に私が飲み込まれてしまう状態になることが避けがたく、また耐えがたく感じられたため、Dさんから離れる必要性を度々意識していた。
以前から蓋をしていたDさんへの違和感や不満が、何度も爆発しそうになっていた。また、いつか怒りで我を忘れて、ひどいかたちでDさんに感情をぶつけてしまうかもしれないと想像されることも、私には怖かった。
そうはいいつつ、象徴的なエピソードとして記憶している出来事にも触れたい。以前、私が趣味に関するつぶやきをした際に、ポロッとDさんが「自分がカバーしてない知識を持っている人をフォローしておくと相手の知識を食えるのでお得」といったツイートをしたことがあった。私自身や私にとって面白かった趣味の良書たちの情報を、Dさんがそんなふうに雑に消費しているものとは思ってもみなかったので、今思い出しても全身が脱力するくらいに、とても悲しい気持ちになる出来事だった。親しい相手と思っていたはずのDさんからは、便利な情報源、もっといえば「遊び道具(モノ)」としてしか認識されていなかったのだろうかという落胆と不快感の両方を意識せざるを得なかった。また、私の適当なツイートを眺めるだけで「知識を食」っているつもりになるDさんの知的不誠実さにも不信感を抱くようになった。
もちろん、彼女としては軽い気持ちのつぶやきだったのかもかもしれない。私に、自分の信念に決定的に反するような発想と発言をする人間を受け流しながら適当な交流を続ける余裕がないという問題があるのは確かだ。
それでも、他人の言動に対して積極的かつ軽率に対処をするDさんの癖が、彼女にさまざまなトラブルを引き寄せているように感じるようになっていた。
つまるところ、私としてはもう限界だと思ったのだった。
こうした経過があって、私は自分の精神的健康を保つためにはDさんとの関係を断つことが最善の選択だと、最終的に結論づけた。
話が伝わりがたくトラブルを誘発しやすい人と関係を続けることは自分を消耗させるだけなので、こうして見切りをつける勇気も必要だったように感じている。
Dさんと交流のあったアカウントを削除した結果、このさき私とDさんが直接衝突する事態は未然に避けられたわけだから、こうしてあらかじめ身を引けてよかったのかもしれない(と、思うほかない…)。
私に見えないところで私とは無関係に、これからもDさんがどうか楽しく過ごされていますようにとは願っている。
おしまい。
> saizansmb 「今は逆風」と言うのは暇氏が結構ヤバいって事であんまり肩入れするのは止めよう、って雰囲気になっただけで、Colaboが怪しくない団体になった訳ではないのでは?
暇空は「Colaboが怪しい団体であるという証拠がある、裁判で出す」と言ったまま出せずに結審した
ネットではイキってるわりに暇空は裁判だと「暇空が提示した疑惑がデマだというのはもう報道されているからcolaboの名誉は復活している、だから減刑しろ」と主張している
「怪しくなかったですデマでしたごめんなさい」というのを対colaboでは暇空自身が主張してる
暇空界隈の議員がcolaboで保護されていた元少女を買収して月30万弱払うから裁判で有利な証言するよう言ってたが支払いを惜しんだため元少女に告発・離反され裁判で証拠のでっちあげできなくなった
そもそも暇空は部屋の間取りの名称をよくわかっておらず、3LDを「リビング・風呂場・キッチン・寝室で計4部屋ある構造のこと」と勘違いしており
3人の女性を3LDKの部屋に仮住まいさせ寝室合同なのは、劣悪な環境だし家賃巻き上げてると思い込んだのがすべての始まり
暇空はcolaboバッシング開始する前は表現の自由界隈を叩きのターゲットにして手嶋海嶺や神聖童貞ゆとうらと対立し
「ロリ漫画なんか見る奴は実際に児童買春してそうだから規制してもいい」「ロリコンはゲイの隠れ蓑」「BLは読んだらつまらなかったし規制してもいい」
と気に食わない相手を叩くために規制論展開するような奴で最初からヤバかった
女叩きできるなら規制論者にでも乗っかる破滅願望のあるオタクが多かっただけ
その時々で規制に反対ってポーズもとるけど、結局パルワールドやなろう小説や初音ミクやランスMODやゆうきまさみなど気に食わないもの次々と燃やしてる