はてなキーワード: エロ漫画家とは
シュベール出版のエロ漫画って、もう手に入りにくいんですかね〜。ちょっと調べたらもうシュベール出版って無いんですね〜
それはさておき、シュベール出版周りの出版物探してたら、あまり見かけない作家さんの名前があって、絵もそれなりに可愛らしいので、
今でも活躍してらっしゃるのかしら〜って、探してみたんですね。
2022年現在も健在のようで、生活漫画っていうんですかね?名前はよくわかりませんけど、Twitterのまとめとかでよく見かけるタイプの、力の抜けた作者が自分の身の回りで起きたこととかを紹介する漫画があるじゃないですか、
そんな感じの漫画を書いていらして、すげー本職の人はしっかりと世間に食らいついていきてるんだなーって思ってたら
"おち〇ぽ"は、エロ漫画の中だけで通じる表現として発達してきたものだと思います。
だから、実社会で使う人はめったにいないし、その語源を調べてもほとんど意味がない。
その漫画をよんだ別の漫画家さんが、これは使いやすい言葉として使い始めた。
おおかたそんなところでしょう。
私:30歳女性。男性向けエロ漫画家兼イラストレーターをしている
商業エロ漫画を描いてると、男性のアレを指す際のセリフは"おち〇ぽ"表記でと出版社側から指導される事があるのだけれど、
私にとってこの単語は人生で一度も使用した事が無く、縁遠いどこかファンタジーに等しい単語である。
が、しかし
エロ漫画のヒロイン達は、まるで常用単語のようにスラスラと平気で連呼しまくる。
明らかに清楚の塊な君たちが一体人生のどこでこの単語を学び、知り、覚え、瞬間的に口に出せるようになったのだろうか?Why?
そもそも"おち〇ぽ"という単語は一体どういった起源の元生まれ、どういう存在としてエロ漫画界の重鎮として存在してきたんだろうか、
私は自分の作品内に登場する単語に対し無知なままでも良いのだろうか、いいや、良くない。
私は身近な単語、ち〇ち〇から一体どのようにしてこの単語に進化し派生したのか調べることにした。
まず身近な一般男性に
「"おち〇ぽ"って生まれてこのかた耳にしたことないんだけど、どういう人がどういうタイミングで使用するのだろうか?」
と尋ねてみた。
相手はかなり面食らった様子だったが、難しい顔をした後
『"おち〇ぽ"は、幼児語である"ち〇ち〇"が成長したものであり、成人語である。』
『例えば幼児は車を指し"ぶーぶー"と言う。』
『"ぶーぶー"の成人語は"車"であり、心身の成長に伴い次第に後者の名称へと移行する。』
と答えた。
なるほど、理にかなっている気がする。
名詞の変容についての分かりやすい例えとして幼児語を例に挙げたが、
おおかた思春期の中学生前後でこの単語は変化するといったニュアンスを私は感じ取った。
小学生までは「オレのち〇ち〇がさー!」
と語っていたところ、
大学生頃になると「俺のおち〇ぽがさぁ!」
なるほど、そうだったのか。
点と点が繋がらなかった状態が線で繋がった感覚だ、青天の霹靂である。
一般男性に感謝を述べ、続いて英知の塊インターネッツにてググることにした。
"ち〇ち〇 おち〇ぽ" 検索
>>おち〇ぽの場合、"お"をつけることで愛おしいものとしてのニュアンスがあり、ち〇ぽで主に成人の勃起した男性器・下品なものとしての意味合いを表す。
…???
どういう事だろうか。頭が混乱する。
"お"は愛しい物につけるもの、"ち〇ぽ"は下品なものとしての意味合い…?
一般男性の回答とはまるでかけ離れた一文に、思考を放棄しそうになる。
よくわからない。
そもそも"ち〇ぽ"って何だ…?
調べてみる。
>>"ち〇ぽ"は関東地方での"ち〇ち〇"に対する呼び名である。
「"おち〇ぽ"とは、主に関東地方で使用される陰茎に対する呼び名"ち〇ぽ"を、1段階エロティックにするべく"お"を付けた呼称であり、主に成人男性に使用される。」
↓
「"おち〇ぽ"は関東地方と言う人口密集地でのメジャーな呼び方であることから、商業誌でも広く用いられる。」
もう何も分からん。
他にも
"ち〇この呼び方が「ち〇こ」や「ち〇ぽ」の女性は落ち着いた大人の女性。" だとか
"ち〇この呼び方が「ち〇ち〇」の場合、優しく明るい女性。" だとか書いてある。
また5chでは"おち〇ぽ"呼びが興奮するだとか萎えるだとか議論が繰り広げられている。
もしかしたら陰茎を持たざるたった1人の人間が解を得ようなんておこがましい議題だったのかもしれない。
そのエロい絵を描くのが得意な人が、ある日自分でシコる用にその(主にエロ方面に)秀でた画力をフル活用し、最高のおかずとなるエロ絵を描き上げた
そのエロ絵は公式からエロ描いちゃだめよ!と言われてるコンテンツ、まぁ名前を出すとウマ娘とかそういうコンテンツだったり
はたまた現実でネタにするとマズいモノ(不謹慎な例だけどオ○ム真理教の教祖が女を犯して回るとか、そういうやつ)だったとする
しかし、その絵描きはあくまで誰にも公開するつもりもなく、ただ自分でシコる為だけにその絵を描き、誰にも公開しないつもりで画像データをローカルフォルダの奥底に、もしくはそれを描いたノートを机の奥にしまい込んだ
時折シコる為にそれを開いて自己満足(オナニー的な意味で)する、それだけの為に
しかし、ある日彼の家に泥棒が入りその禁断のエロ画像が描かれたノートを盗まれたり、クラッカーにPCをハッキングされ禁断のエロ画像も流出してしまった
まもなく、その泥棒によってスキャンされたり、クラッカーからP2Pだのなんだのにばら撒かれた禁断のエロ画像がネットに広まる事になる
有識者(と言う名のオタク)はその画風を見て一瞬で「あの超絶有名エロ絵師の○○さんの絵じゃん!!」と、その禁断のエロ画像の作者を特定する
さて、悪いのは誰になるのだろうか
描いてはいけない題材でエロ絵を描いた彼なのか、それとも悪意をもって彼から泥棒を働きそれをばら撒いた奴なのか
エロゲ作家やエロ漫画家が、「表現の自由を規制すべき」という規制論に組するのは、珍しくない。
なぜなら、「オタク向け作品を作っているから」と言って、オタクを好きなわけではないからだ。むしろ自分も含めて嫌悪しているケースも有る。
もうちょっと話を広くすると、「オタクのオタク嫌い」っていうケースはたくさんある。
オタクだけれど、自分以外のオタクを(場合によっちゃ自分も含めて)否定することでアイデンティティを確立した人間って、実はたくさんいる。
まあ、いわゆるオタク差別という時代があったわけでそこはもう語らない。ただまあ、色々鬱屈してる人がいるわけで。
彼らの鬱屈した感情は、まさに卑屈な変態というべきものであると同時に、一時代、確かに創作の大きな原動力だったことは認めざるをえない。
ただもう、その鬱屈した感情が伝わる世代じゃなくなってきたんだよなあ。
「オタクが社会に受け入れられない。オタク作品は欲望のままに生きているゴミの山だからだ。しかし俺は違うぞ。本物を作り出してやる、と、オタクと社会の鬱屈を悩み抜いて結局ぐるぐるまわって自分も含めて同胞をdis否定しつつそれでも創作せずにはいられない感情の爆発」
あの時代は大変だった。それはわかる。
赤松健のように「自分はパンチラ漫画家と言われても仕方ない」と笑い飛ばせる強さは誰もが持ち合わせていなかった。
杉田智和のように他人を否定することなく、おたくの情念を込めて好きなものを語るという強靭さは誰もが持ち合わせていなかった。
「俺の作品は、他のエロ漫画やエロ同人やエロアニメやエロゲとは違う。俺の好きな芸術なんだ。エロの他に高尚さを持ち合わせている。わからないやつはキモオタだ。しかし、しかし、ぐぬぬぬぬぬぬ」
みたいな謎の鬱屈した芸術家感情は、確かに過去においては創作の原動力だったのだと思うが、今はもう「馬鹿なの?」で終わってしまう。
しかし、残念ながらそういう「自己否定と自己肯定を繰り返した自意識の化物」みたいな存在は、たくさんいる。
嫌いな言葉だが、「オタクは価値観をアップデートできない」という現象だ。
いつまで経っても「社会でオタクは最下層の中、なんとか社会と折り合いをつけたいと自己否定を繰り返して悩み続ける」という精神構造から抜け出せない。
それはかつては得難い才能であったと同時に、現代においてはしち面倒臭いと嫌われもするのだ。
今の時代、「オタクを否定して悩みながらオタクをやる創作」なんて変態の所業がウケるわけがない。
そんなことやってる暇があるならSNSにFGOやアズールレーンのイラストを一枚でも上げたほうがよっぽど建設的って状況だ。
自己否定して悩み続けるならともかく、こういうタイプは周囲の人間に喧嘩を売りまくるから始末に負えない。
こういう態度は耳目を引くが結局嫌われる。「愛されキャラが最強」のSNSでは、珍獣として消費され尽くしてしまう。
いまさら「オタク作品はダメなんだ。堕落している。こんなものばかりでは業界が腐る。オタクは腐っている」なんてアジったところで、「老害オタクがまた発狂してる。でもお前の作品は、まさにそういうダメオタクなんですがw」と鼻で笑われているだけだ。
そんなことは描いている本人がよくわかって悩んでいて、それでも言わずにはいられない宿痾の業なのだが。
そして、それらの悩み続ける時代がデフォルトオタクが唯一存在証明をできる場所が、SNS政治だった。
「ぎゃーぎゃーぎゃー」と騒いで与党やら野党やらをバッシングし続ける珍獣としてならば、「オタクをバッシングしながら自意識をこじらせオタクでも迎え入れてくれる」という需要があった。
なんかもう、色々痛すぎる。
見ていて痛々しいわけだが、本当に、どうしてこうなった感がある。
そういう時代は気がついたら終わっていた。
今はそういう時代ではない。
SNSでどんな悩みもオタク生体の鬱屈した感情も共有できたのは救いだった。しかし、「それは珍しくないただの鬱屈した感情」で「別にあなた特有の特別な悩みではない」ことがバレてしまって急速に求心力を失ってしまった。
悩めば偉いオタクなわけでも、苦悩したから上等な人間なわけでもない。
結局の所、そんなものより愛されることが重要なのがSNSだった。
オタクが悩んだ長文を上げるよりも、コスプレイヤーの自撮り写真やお絵描き実況のほうがよっぽど需要がある。
そんで、そういった中年のどろどろしたオタクの情念をぶつける場所はSNSでは限られていた。単純にSNS社会では政治しかなかった。
「オタクはネトウヨ。でもおれはネトウヨにならないオタク」という謎の偏見構図に乗っかって、twitter政治でオタク批判を繰り返すのみである。
で、それだけならまだ救いはあるが、彼がが一番憎んでいるのは、開放されたオタクだ。
悩みから開放され、もう自己否定を繰り返さずに社会と折り合いをつけている、普通の若い世代のオタク、自分たちと同年代なのに、悩むことをやめてしまったオタクたち。
許すことができない。
もう、社会においてオタクは最下層民ではないと自認したオタクたちは悩むことをやめる。当然だ。しかしその状況を許せない。
もし、「もう悩む必要がない」と悟ってしまったら、「彼らが存在する」というだけで自分を卑屈な変態だと認めざるをえないからだ。
だから、自民党が表現規制を捨てつつある今、自分たちが規制論を叫ぶという本末転倒が起きている。
「最下層民のままで悩み続ける生き方」
ここに書き記しておく
もともとは小説家志望で高校から大学までシコシコと文学賞に投稿し続けていた。しかしもう小説はオワコンなのではと思い、大学2年頃に漫画家になることを決意。御茶ノ水の本屋でイラストや漫画家入門みたいな本を買い漁って練習を開始した。また同時期に大学の漫画サークルに入った。サークルにはすでにデビューを決めた人、アシスタントをしている人、エロ漫画家として収入がある人などがおり、色々学ぶことができた。入門本や教本じゃわからない背景やキャラの描き分けみたいなことも学べたし、何より友人もできた。
大学を卒業後はサークルの友人とボロアパートで共同生活しながら持ち込みや投稿を続けた。収入は出版社から紹介してもらった某先生のアシスタント。先輩アシスタントや現在も連載を続けている先生のもとで画力を鍛えプロとしてのストーリー構成などを教わった。先生の影響で手書きから完全デジタルに切り替えたのはこの頃かな。ただ賞はさっぱりだった。この頃すでに27歳。親からは心配されるし自分でも不安がやばかった。結局アシスタントをやめ地元に帰った。地元でバイトしながらユーキャンで公務員試験の勉強をし、年齢制限ギリギリで市役所に入った。
市役所に入ってからも休日は漫画を描き、サークルの同期や後輩たちのコミケの手伝いなんかもしてた。将来不安がなくなった分、画力やストーリーの創造力は上がった気がする。そんな中で渾身の作品ができたため、ウェブコミック配信サイトの賞に応募した。結果的には落選したが、編集部よりメールが来て定期的に連絡を取りながらネームのアドバイスをもらえることになった。それだけでとても嬉しかった。平日は仕事をし早朝や帰宅後、休日にプロット、ネームを描いた。そんな生活を繰り返す中ついに作品が出来上がり編集部から連載のオッケーが出た。作品の詳細は伏せる。正直俺一人じゃここまでの作品はつくれなかった。担当さんにはとても感謝している。
そんなわけで一応ウェブコミック作家になることができた。ウェブコミックは雑誌と異なり連載ペースが作家次第なところが兼業作家としてはありがたい。担当さんからは仕事は続けるように言われた。もちろん続ける気でいたし、サイトの原稿料だけじゃとても生活はできない。上司にこの件を伝えたところ、さらに上の上司から掲載する媒体や原稿の内容を確認させてほしいと言われた。面倒くさそうだなと思っていたが、あっさりOKが出て驚いた。その後守って欲しい確認事項や書類提出(こっちは面倒くさかった)を済ませ、俺は職場公認の漫画家になることができた。
長くなったが、もしこれを読んだ人の中に夢を諦め生活のために仕事をしている人がいるのなら、無理のない範囲でいいから仕事と並行して挑戦してみてほしい。
単行本だと修正が甘いからあるコマで一部が隠れているとしてもその箇所が一貫していないために、読み進めれば具の全体像が把握できるようなものがざらにある
今はネットで無修正動画がいくらでも見れるからともかく、昔はどうしていたのか
エロ漫画家でヌードデッサンの経験とか出来る美大の出は少数派だろうし、少なくとも需要側が童貞じゃなかったのことの証明じゃないのか?
あとは同業の女性とかと結婚してからもエロ漫画の作家業および同人を出し続けていた人もいたと思う
これって単につぶしが利かない職業だから継続しているというだけの話に収まるのかな?
誰にとっても三次元は二次元の代替であるとか、三次元で満たされるようになったら二次元には興味が失せるようになると決め付けてるような、そういうどちらか一方みたいな考え方自体に人間の多様性に対する無理解があるように思えるよ
少なくとも俺の皮モノとか全身ラバーとかの特殊性癖の萌芽ってチャレンジ3年生あたりの付録の本で同年代の子が特殊メイクで変わっていく一連の写真があって、型をとるために白くドロドロした生クリームのようなものを頭から顔全体を覆うまでにかけられるさまや、それが固まったものを取り外す瞬間、そしてその型からとったシリコンのパーツを顔の各部位にぴったりとくっつけていくときの写真をみて「肌に対する密着感」というものに開眼したのか、それらを見ながらふとんに陰部を押し付けるとより気持ちいいという発見から来ている
ちなみにこのときは性的快感をマッサージチェアとか温泉に入ったときの気持ちよさあるいは脇などをくすぐられることと同列に捉えていてそれが性に関するものという観念自体なかった
今でも二次元と三次元の両方がおかずで互いにないものを補い合っている感じだ
今でこそ女性への興味は人並みにあるが、当時は女の子に恋愛感情を持つほど俺は発達していなかった
まあ写真に載っていたのが女の子ではなく男の子だったらそれ以前のおかずを使ってなかった陰部摩擦に比べて逆に抜けていなかっただろうことも確かなんだけどそのことが論点においてどこまで意味を持つのか…
俺が話さないんじゃなくて、お前らが聞いてこないんだわ。話すやつ話すやつ皆自分自身のことばっかベラベラしゃべんだわ。普通、お前がこの前の休日やったことについて話したら、その後俺に「この前の休日なにした?」って聞くべきでしょ。なんで沈黙が訪れるん??なんでお前が休日を費やした趣味について俺が掘り下げないと行けないわけ???ターン制を守りなさいよ。もっと俺に興味を持ちなさいよ。
おかげで俺が今ハマってるブラウザゲー(QB狩りオンライン)とか仮想通貨(下げ相場で大損こいてる)とか最近読んだ本(ゴリラ、SDGs、中国、小説)とか、初めて作った動画(niconicoとyoutubeに上げた)とか最近見つけたボカロ曲製作者(MIMI)とかエロ漫画家(大横山飴)とかラヴィット!にハマってる話とか真空ジェシカのラジオとかロングコートダディにハマり始めてる話とかラヴィット!に影響されて食ってみたい食べ物がたくさんある話とかぜ〜んぜん出来ない。もっと俺を知ってくれないか????