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はてなキーワード: ののしるとは

2024-07-26

anond:20240725142420

ここでいう「肌の黒い聖者もいた」は神道ないし仏教での神のことか

そもそも弥助を指して言ってるわけじゃないし仮に弥助を指して言ってるとして

そこから八幡神はずいぶん飛躍があるように見えるが、どういうインスピレーション八幡神になったんだろう

あと

中国史料ではアフリカ系の人を「黒鬼」と表記している。

中国語でいう鬼は、強さのイメージはないと聞いたが

から日本を見下して日本鬼子とののしるわけで

2024-07-03

anond:20240703193953

あー…被害妄想が激しい感じか

これは罵倒なんじゃなくて「頭がわるく見えるからそういう行動は控えた方がいい」っていう注意なのよ

他人善意を悪意としてしか受け取れないなら、人と会話するのは難しいだろうね

から、前提情報を取りこぼさな練習もできないと

かわいそうな人だ

あと、罵倒ってのは「ののしる」というニュアンスがふくまれてるから、本当に使い方間違ってるよ

2024-04-17

朝日新聞町長にたとえ加害の事実がなかったとしても、完全にアウトなのは草津町議会のもの

 町長にたとえ加害の事実がなかったとしても、この議会のものが十分に性暴力ミソジニーだった。「この議会の様子はYouTube世界配信される!」と町長自身動画内で言っていたので、自身の正しさを証明する機会として、新井議員をおとしめる発言を繰り返したのだろうが、「世界的」には完全にアウトなのは草津町議会のものではないか男性ばかりの歪な議会で、性被害を訴えた女性を「嘘つき」とののしる姿を世界さらしてしまった。

 日本には女性議員ゼロ市区町村が、311あるという(2020年内閣府調査)。全1741市区町村中なので、この国の約18%の“あなたが暮らす街”は、男性だけで大切なことが決められているということになる。日本全国でならすと、市区女性議員率はたったの16.6%で、町村にいたっては11.1%。草津町のように女性がたった一人しかいない議会地方にいけばいくほど珍しくない。

 国政に出るより町議区議のほうがハードルが低そうだし、女性も多そう……ということは全くなく、地域に根づけば根づくほど、そして田舎であればあるほど「女性は家に」の圧力が高く、政治参加が難しい現実があるのだ。

 日本有数の温泉街で繰り広げられるミソジニー議会温泉街女性の働き手抜きには語れない。一昔前は、住み込みでの旅館仕事は、身寄りのない女性の自立の道でもあった。夜のサービス業過去は非常に盛んで、今もコンパニオン需要は少なくない。女性議員があげた性被害の声と、それを数の力で潰す光景に、女性たちは何を思うのだろう。

https://dot.asahi.com/articles/-/81107?page=2

2024-03-27

お嬢様ずんだもん

口汚くののしるのは良くないと思うが、さすがにあの服はダサい

2024-03-17

太陽を覆い隠しながら発電量がしょぼいとののしる

太陽光パネルの量が足りないとのたまう

曇っているなら晴れさせろという

熱帯雨林極夜地方では日の光が日本ほど手に入らないことを知らないので存在しない

2024-03-10

anond:20240310235257

フォローしている金持ちがいつも貧乏人をののしる話ばっかりするの謎だと思っているんだけど、この増田も似たようなもんだな

人間ってやっぱり謎な生き物だ

2023-11-16

キラメキラリの歌詞

ののさまおねがいってのあるけど

ののしるのののだろうな

はあ

やよいにののしられるのかあ・・・

もう結婚してるよねその関係

2023-10-14

こだわり捨ててなまけちまえ

こだわりが強いと言ってののしるやつは日ごろからサボって頭を空っぽにしているからいつでも行けますって言えるんだよ

2023-08-26

自分自分比較して成功確率をまずは1パーセントまで高めよう

同じことをして成功確率が90パーセントある普通の人をねたんでも仕方ないし

世間から90パーセント成功率をなぜ失敗するのかという無能を憐れんだり無言でののしるような目線を向けられるのはやむをえない

2023-08-25

移りそうでヤダって言われたら引き下がるしかないよな

テストの点でバカが移りそうとか

飯を食えておらず覇気がない人にすべてが怠け、怠け菌だなどとののしるとか

顔のパーツの整って無さがおぞましいとか

田舎貧乏工場で作られてるのは不潔そうだとか

そうやっていじめてきたじゃない

いやなんだろ?目に見えないものですら知らないうちに何かが仕組まれてそうで

2023-06-14

not for 弱者男性のものの一部

女性にかかわるもの

思いやりいたわり

政党

高給な職

人の上に立つ職

正社員職員立場

日常的に会話をする他人

正しい金融知識

一見弱者男性も等しく扱うとも読めそうな文言

など

皆が言う弱者男性はthe last person who smileだと

最後に(なったらせめて)笑えばいいよとののしる

2023-06-10

酸素系の習い事子供には早い

まずは骨格と筋肉を大きくすること

デブののしる連中なんて一撃

2023-03-14

ビットライスさんの『責任という虚構』のブログへの反論

ビットライス氏のブログバランスの取れた議論と時折混ざる素直な感想が好きで、時々読んでいました。

『How to Not Die Alone』の書評とかは、あまり英語文章を読めないものですから、とても有益で思わずメモを取ったほどです。

先日、私が好きな『責任という虚構』のブログを挙げてるなと思って読んでみて結構びっくりしました。

https://davitrice.hatenadiary.jp/entry/2022/10/04/155546

(↑ブログURL

まず、全体的に内容に基づいた批判というよりも、文体や語り方の批判になっていますしかもかなり口汚くののしるような文体で、かなりショックを受けました。

普段結構素直に感想を語っていらっしゃるなと思っていましたし、今回も個人意見範疇かなと思ったのですが、今回のは批判結構ズレているし、主張の部分と著者の感想を取り違えているような気がしました。

一部(アンダーソンの手紙の部分)有益情報はあったのですが、数度読み直してみても、全体的にズレているなと感じました。

普段ほとんど人の書評ケチをつけないですし、内容理解にひどい部分があったとしても特に反応もしませんし、私はあまりネット名前を出して文章を書きたくないので、どうしようかとも思いましたが、はてな匿名ダイアリーネットの片隅に残るようなので、少々ずるいかと思いますが、書いてみたいと思います

気になったのは4つの点です。

一つ目。

書評の中では、ロールズについて書かれた箇所に出てくる「理想郷」という言葉から理想現実の対比を引き出して『責任という虚構』は理想論を模索する哲学者非難しているとして、それに対する再批判を展開しています

私が本書を読む限り、理想現実の対比は大して重要な対比ではないです。

ライス氏は「理想的な基準規範存在することで、ようやく、「現状の財の配分のされかたは間違っている」と批判したり問題を提起したりすることができる。」と続け、それを理解しない小坂井氏を非難する文章を連ねてますが、この論点は本書の主張に対する批判になっていません。

著者の小坂井氏が言いたいのは、人の行動や社会の動きというのは、人の手を離れて自律運動して生み出されるもので、したがって人の意識や理性でコントロールできるものではないので、そもそもべき論とは雨乞いの踊りのように無意味ものだ、という主張だと思います

規範について言い換えれば、現実世界における規範は、論理的だったり理性的に構築されたものではなく、権威などによって根拠づけられていることで初めて人の心理的抵抗を起こすことなく円滑に機能するので、理性によって規範を人工的に構築しようとしても、規範の生成のメカニズムが異なるのでどこかで無理が生じる、という主張です。

ロボットを作っても出来上がるメカニズムが違うので人間にはならない、というのと同種の主張です。

この主張に反論するならわかりますが、規範否定しているのに規範論を行う著者は倫理的相対主義ジレンマに陥っているというのは、少なくとも本筋に対する批判ではありません。

実際、哲学者山口尚氏ライス氏と同じく、小坂井氏の哲学者批判反論されていますしかし、批判の直接の理由価値相対主義ジレンマではありません。

https://note.com/free_will/n/n24feea05db99

(↑山口尚氏反論URL

山口氏のほうが的確に批判されていると思います

二つ目

ライス氏は、小坂井氏がほかのネット論客と同じく、

哲学者リベラルフェミニストなどが「ただしさ」を語ることは否定しながらも、「ただしさがもたらしている悪さ」や「ただしさを語っている連中の悪さ」をあれこれあげつらって非難することで「ただしさ」を語るという自分行為だけは特権的に許容する」

ということをしていると書いています。ほかのネット論客の方の本を拝読したことがありませんので、それに対するコメントは控えますが、『責任という虚構』を読む限りこの批判はズレていると思います

一つ目の内容で書きました通り、小坂井氏は、規範論で物事理解しようとすると、どうしても現実規範機能しているメカニズム無視することになりがちであると主張しています

これは、政治に利用しようと思って進化研究すると、進化本来の仕組みを無視することになるのと同種の主張だと思います規範対象なので感情的な反発が起きやす文章で(正直言えば小坂井氏もちょっとケンカを売っているような気もしますが)、ライス氏の言うようなものではないと思います

三つ目。

ライス氏は、規範を論じる哲学者たちに小坂井氏が、「傲慢」「偽善」「おぞましい」などの価値判断を含む言葉を使いながら非難を浴びせかけていることについて批判的です。

これに関しては、私も同意します。

実際、小坂井氏のほかの著作を読んでも、哲学者傲慢偽善、おぞましいと言える根拠はありません。あくま小坂井氏の主張する範囲では言えば、哲学者は「苦しい言い訳」を捻りだしているだけであり、別にからと言って哲学者傲慢だとか偽善だとかおぞましいとかいう主張はできません。

ではこれは何かといえば、小坂井氏のただの感想なのだと思います

ライス氏のブログで言えば、「好ましく思った」とか「イラっとした」みたいな文章に相当します。

私は小坂井氏にかなり共感していまして、こうした言葉に少し心を揺り動かされたりしますが、でもこれは小坂井氏の感想以上のものではないと思います

こういう言葉が出てくるのは、小坂井氏にとって学問が、ある種の実存をかけた戦いだからなのでしょう。私はそういう学問観、正直すごい好きです。強く共感します。

でもこれは本筋ではないので、ここに関して批判するのは、好み以上のものではなく、論理的な主張になりえないと思います

もしここに論理的批判を加えるのであれば、上述した山口さんの批判文のように、主体虚構と言っておきながら主体を前提とする「責め」を行っているではないか、というものになるのではないでしょうか。

とはいえ、このような「責め」が著者によって行われること自体が、主体の"虚構"性を表しているとすら私は思いますので、別にこの本の価値は減じないと思っています。この本の中において、虚構は単なる嘘ではないのですから

ちなみに、小坂井氏の言う相対主義認識論的な相対主義のことで、善悪単独では決まらず、枠組みに依存するという立場のことです。この立場に立てば、「小坂井氏という枠組み内では哲学者偽善者だ」といっているにすぎないので、特に問題はないと私は感じました。ライス氏の言う「イラっとした」と同じです。枠組みを超えた正しさは主張できないだけで、言う分には問題ないと思います

四つ目。

正直、上記3つだけであれば、この文章も書かなかったかもしれません。ライス氏の言うことも理解できなくはないですから

しかし、これがあったので書こうと思いました。

端的に申し上げて、他人著作題名を加工するというのは、少々失礼ではないですか。

責任という虚構』であって、『<責任>という虚構』ではありませんよね。

類似名称書籍『〈責任〉の生成』と混同したのかもしれませんが、ブログが書かれてから随分と経たれたのに直っていませんし、別のブログ批判的な言及をされた際にも同じ書き方をしていたので、もしかしたら、意図的ものかなとも思いました。

もし、ただの間違いなのであれば、訂正した方がいいと思います。どんな著作であれ、一生懸命書いたものだと思いますし、関わったのも著者だけではないのですから

しかし、意図的ものだとしたら、随分と陰湿だなと思います

※4つ目について。ライスから反応がありました。意図的ものではなかったそうで、すでに修正されたそうです。

2023-01-19

anond:20230119120445

名古屋ホームレスいじりについて

アップしてPV稼ぐのは時代が生んだものとして致し方ないとおもう。若者らの環境的にそういうカーストや人との比較でそうさせてるから。嫌ならSNS卒業させるか、SNSは無価値ものと抑え込むしかない。

かっちゃんというホームレスいじりをする若者を責めないで欲しい。

爺婆への態度は教わっていないだろうし、ネットをみたら老害ののしるワードも見れるわけで、

爺婆の活躍なんて期待してないし、誰もリスペクトしてないやん。

遠かれ近かれ、50歩100歩で同族やんおまえら と思うわけです。

若者らの親が教えてないことを、中途半端に歳とって、やっちゃってもある程度仕方ないよな。

今の日本のまんま写鏡なわけよ。

政治家らの態度もあるやろうけど、一点だけではなんともいかない、広域な問題やと思うよ。

地域お祭り機能してないならなおさらコロナの影響もあって、世代違いの人との会話は親としかしたことのないような、そんな人も現れると思う。

子どもからしたら、教わる機会がなかった。敬うなんて難しいよな。

あんな風にホームレスのばあちゃん弄りに苛立った諸君は、もれなく関わりの人たち全員に爺婆を敬うような態度をこれから絶えず続けろ。

若い子どもがいるなら、事あるごとにじじいばばあは偉い。先輩は無条件でえらいと言えよ。

老害について責めるとか、言動や行動について責めて、世代は責めるな。

阿呆はその辺の区別つかんぞ。

2022-10-20

anond:20221020073822

ますだ しってるか

くちぎたなくののしるやつは

いわれたことを

いっているだけだ

2022-08-19

anond:20220819105105

そのプライドとほかの人をののしるのは1セットなのかって事なんよ。

プライドってのは他人貶めることだっていうのなら、そういう捉え方してるのかって思うのでしょうがいかなっては思うよ。

本気でやって総取りでプライド賭けてもいいけど、それって自分以外の人間に「バーカバーカ」って言う事なのか、そのためにやってるのかって思ってさ。

そう言うことがそうだと、プライドだというのならそういうのは賭けないかしょうがないなって感じ。

2022-08-03

anond:20220802205501

海水浴回で、響子が水中でケツを触られたと勘違いして五代ののしる

しかクラゲだとわかり、「響子さんはそーゆー目でぼくを見ていたんですか。よくわかりました。」と今度は五代が不機嫌になる。

このあたりがいいよね。

2022-01-24

職場内容証明送ったら迷惑である」はまあ気持ちとしてはわからなくはないんだけど、

「そんなことして職場が不当な扱いをしたらどうするんだ、懲戒請求だ!」はなんかびっくりする。

それって不当な扱いをする職場側はどうなんだ。

例えば呉座先生は実際に自身事実上首になったのをちゃんと「職場相手の」裁判で戦ってるわけで、それが普通なんだと思ってたんだけど。

そりゃまあ裁判沙汰にならないほうが良い的な一般論として言うのならわかるけど、懲戒請求がどうこうと飛び出してくるとびっくりする。

懲戒請求ってのはもっと重たい話だと思ってたので。

「お前がこんなことをしたかあいつが悪事をしたんだ!」ってのは感情論としてはわからないわけではないが、

悪事を実際にした側の責任無視して、原因になった人を強くののしるというのはどうなのか。

それともアンチフェミ方面の人からすると、弁護士対応のためにサービス残業する事案とかが出たら、すわ懲戒請求なのだろうか。

そうなると、弁護士何もできないってことになるのでは。

2021-11-27

宮沢賢治の『ツェねずみ』の話

 宮沢賢治全集を読んでいる。

 清廉なこころのあり方と幻想的な描写、というイメージで語られることが多い作家だと思うが、まだあまり作品を読んだことがない人で、このぐらいの理解でいたら、損をしていると言いたい。

 宮沢賢治の良さは他にも、観察眼を突き詰めると対象への愛情とともに冷徹さを伴う好例のような、少し寒気がするほど容赦のない描写や、人を食っているとしか思えない異様な会話劇があって、これはサンドウィッチマン文字起こしされた漫才を読んでいるのと同じくらい笑える。みんな読んだらいいと思う(『気のいい火山弾』『毒もみのすきな署長さん』がおすすめ)。

 さて『ツェねずみ』だ。

 これも宮沢賢治短編で、ある種の人間とそれが引き起こす不幸のことを、他の文芸作品では触れた経験がないぐらい明らかにしており、衝撃だった。

 ツェねずみという一匹の鼠が屋根裏に住んでいる。

 ツェねずみは要領が悪い一方で欲が深く、性格ねじ曲がっているので、誰かから親切を受けても、「もっと自分のためになるように優しくすることもできたのに、それを怠った」という考え方をするため、みんなから死ぬほど嫌われていた。

 本来なら恩を受けた時点でプラス(という表現もアレだが)のはずが、工夫次第でもっとプラスにできたはずのことを、そうしなかったので実質マイナス、というのがツェねずみロジックだ。

 だから「損失」を弁償しろ、とツェねずみは主張する。

 ツェねずみ自分理屈をどう考えているのかは書かれていない。

 不合理だという自覚があるのか、常軌を素で逸しているのか。

 宮沢賢治がここに意識的言及していないのかはわからないが、明示されていないことが実に効果的だと思う。俺は、「最初自分でもムチャな理屈だと思っていたが、言い続けているうちに世の中がこれで渡れることがわかったので、次第に正気を失ってきた」と読む。

 そんな中で、唯一ツェねずみに優しく接するものがいた。「鼠捕り機」だ。

 宮沢賢治作品では、物体でも機械でも平気で人格を持って話し始めてしまう。木の柱だとかバケツだとか、そういうものだ。

 他の物体がツェねずみに嫌気がさして付き合いをやめていく中、鼠捕り機だけはツェねずみと仲良くしようとする。

 その理由は、鼠捕り機が(宮沢賢治時代でさえ)人間社会にはもう不要、という扱いになっており、邪魔者とみなされていたので、鼠捕り機も他に親しく付き合える相手がいなかったからだ。

 鼠捕り機は自分に仕掛けられた魚の頭やハンペンを、あえて罠の扉を閉めないことで、ツェねずみ交流を持つ。本来的には殺される者と殺す者という構造であったはずが、ねずみの強欲(と狂気)、鼠捕り機の孤独によって、いびつな友好が成立する。

 悲劇は、ツェねずみ尊大さに制限がかからなかったこと、そして、鼠捕り機の忍耐が特別優れていたわけではなく、通常の寛大さしかもたなかったことで生まれる。

 ツェねずみは、相手機械の本分を放棄して食べ物を与えてくれているという、ある種の奇跡自分に起きていることに気づかない。この幸運をどん欲に消費し、さらに良い物を鼠捕り機に求める。相手ののしることさえする。

 あるとき、鼠捕り機はののしられて一瞬われを忘れ、罠の扉をおろししまう。ツェねずみは閉じ込められ、お互いは本来の、殺される者と殺す者の関係に戻る。

 機械悲劇の方が、俺には身近に感じる。

 鼠を殺さない鼠捕り機、という存在は非常に奇妙だ。まともに生きにくい変わり者であると同時に、現代社会風で言えば「意識が高い」「キャラクターが立っている」という考え方も、できなくはない。

 ただ、自分が変わっていることを自覚して、それを生きる上での背骨にしてやっていこうとすると破滅が起きる。

 変わり者は、自分変人だと知ると、まるでこれが一種の才能と考えたくなりがちだが(個性が重視されるはずの現代ではなおさら?)、実際は関係がない。世の中的には本当はなんの意味もないことだ。

 なので、「変わり者として生きていこう」という目標基本的破綻するさだめにある。

 社会からは、なんでもいいか普通にやってくれ、と要求されるし、より強大な理由としては、変わり者自身の中にもちゃんと「普通」の部分があるからだ(鼠捕り機でいう罠としての本分)。

 社会と自らの内側の本性によって、人間は結局、まともに生きていかざるを得ない。鼠捕り機でいえば、優しかろうが意識が高かろうが、罠は罠らしく獲物を殺して生きていくしかない、ということだ。

 一方、ツェねずみの強欲と狂気も身に覚えがないこともない。

 対象が親しい人間でも漠然とした世の中全体でもいいが、基本的自我というのは、幸運をあり得ないものとして感謝するのをおこたりがちで、むしろそれを平時ベースとして、さらに豊かなものを求めようとする。

 要求する相手が生身の人間だろうと、社会という概念だろうと、いずれにしてもこんなことはいつまでも続かないので、いつか破綻を迎える。

 破滅した側の人間はこれを不幸だと感じるだろう。

 自分の望むものが度を過ぎていたので客観的には不幸でもなんでもないが、こういう「幸福幸福として認識できないバグ」が心理に埋め込まれていることが、別の意味で「不幸」ではあるかもしれない。

 おそろしいような気がすることとして、ねずみと鼠捕り機のカップリングは、ある種の人間関係として、友人・恋人家族同士の間で、思いのほかこの世で多く起きているような気がする。

 たぶん社会のあちこちで、「自分には特別な才能があるから少し変わった生き方でもやっていけるし、罠としての本分を超克して目の前のねずみと生きていける」と錯覚した鼠捕り機と、「まあこれぐらいは相手要求しても飲むだろう」と思い込んだねずみが、ある日双方のブレーキアクセルをぶっ壊して悲劇を生んでいる。

 また、俺が自分で感じたように、一人の人間の中にも、ねずみと鼠捕り機の両方が住んで同居している場合がある。宮沢賢治の『ツェねずみ』を、俺は『気のいい火山弾』と同じでサンドウィッチマンとか千鳥漫才台本とおなじくらいのつもりで読み始めたが、人間の本性と世界との関わり方の運命的な破滅についておそろしく冷徹に書かれていて感嘆した。すげえと思う。

 難しいのはねずみと鼠捕り機の関係で、鼠捕り機は自分の忍耐が切れて相手をとって食ってしまう前に相手から距離を置いた方がいいと思うが、人間という存在希望も美しさも、鼠捕り機が自分の本性を乗り越えたり、周囲から押し付けられた役割放棄して世の中を意識的サヴァイヴしていくことで描かれがちだということで、実際それに成功した人は素晴らしいと思うし、この辺は正直どうにもならんのかな、と思っている。

2021-06-19

anond:20210619095523

あんまり言いたかないんだけどさ

ゼミ教授っていうくらいだからこれ書いたの多分3年生くらいの増田なんだろうけど

21歳や遅生まれならまだ20歳くらいの子供のそれも社会なんてバイトくらいしか知らんであろう女に向かって、いい年した大のオッサンどもがムキになって生意気だとか貴様言論の自由を冒とくしているとかよく口汚く喚けるもんだな

自分の顔一回鏡で見てみたら?

というかそんな幼稚なままで今の今までよく社会で生きてこれたなーって俺は思う

個々の口汚く女子大生ののしる増田たちみてたら

2021-05-18

弱者男性差別に加担するVtuber

兄妹でVtuberやってるやつがいる。

チャンネル登録者数はそこそこだが、芸歴3年の古参だ。

兄は絵が描けてアニメを作れる多才だが、ザ陰キャ

人生恋人がいた気配はなく、友達も少ない。

仕事をやめたので収入不安定弱者男性である

一方で妹の方は取り立てて才能がなく頭も悪いが人当たりの良さでなんとか生き延びている普通女。

この妹が事あるごとに兄をののしる

兄が何か言うたびに「きっしょ」と吐き捨てる。

隣にいるだけで「くさい」と不快感をあらわにする。

するとそれを見ているリスナーたちも釣られて兄を叩き出すのだ。

コメント欄罵詈雑言の嵐となる。

それでも兄は怒ることな道化を演じ続ける。現実弱者男性と同じように。

問題はここからだ。

はいくら罵られても動じない。が、妹の方は少しいじられただけで怒り出す。

喫煙者いじりを少しされただけでメチャクチャ怒り出し、配信空気が悪くなる。

配信空気が悪くなるのでリスナーも妹のことはあまりいじらないようになる。

その結果どうなったか

弱者男性差別の一大エコーチャンバーが完成した。

弱者男性が何を言っても「気色悪い」扱い。

弱者男性は何を言われても怒ったり弱音を吐いてはいけない。

そんな数十万人を擁するコミュニティ形成されてしまった。

2021-04-05

anond:20210405102425

だよねえ

重病で1年休んでも復帰したらまた代表選手なんだから才能が全部だよね

まれつきの才能だけでトップに躍り出ている人が努力天才と呼ばれているだけ

まれつきの有利だけで出世した立場がある人をよいしょする言葉努力

結果的に失敗した人特に才能がなくて失敗した人をののしる言葉努力

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